事例報告:滑らかな石
――その日のアオイは魔女に連れられ、開かずの間とされていた部屋に来ていた。
見回した周囲には、魔女が収集したであろう、骨董品や絵画、用途不明の小物や悪趣味な物体、そしてところ狭しと棚に並んでひしめき合う硝子瓶など、雑多に物が詰め込まれていた。
「不用意に触るな」
物珍しそうにきょろきょろと辺りを見回すアオイは現在より幼く、好奇心も強かった。
師の服を引き、懸命に気になるものへ人差し指を向ける。
「師匠、あれはなんですか?」
「薬だ」
「おくすりですか?」
魔女の端的な説明を受け、大きな瞳が丸くなる。
硝子瓶に詰められていたのは、干乾びた実や枝、石のようなもの、くすんだ色の粉などで、アオイの目にはとてもではないが薬には映らなかった。
それらが生薬と呼ばれることを説明することなく、魔女が雑然とした棚へ近付く。
その手が無造作に何かを掴んだ。
「師匠!? なにもってるんですか!?」
「マンドレイク」
「明らかに人の顔!!」
怯えた顔のアオイが、魔女から距離を取る。
老人のような干乾びた顔を、無理矢理縦に引き伸ばしたような、人肌色のそれ。
子どもの頭蓋ほどの大きさのそれには、縮れた根が髭のように生えていた。
無表情の魔女が手にするそれから、アオイが怯えたように距離を取る。
切れ長の琥珀色の目が、少年の姿を捉えた。
「それ以上、下がるな」
「なんっ、うわ!?」
ばんっ、アオイの小柄が板状のものにぶつかる。ばさり、背後で何かが鳴った。
くしゃくしゃの布を足許に、現れたのは古ぼけた縁飾りの姿見だった。
鏡面に映り込んだ景色に、少年の肩が跳ねる。
「か、かがみ……?」
「見るな」
まじまじと鏡に映る世界を覗き込んでいたアオイの視界が、斑を描く布によって唐突に遮られる。
再び布を被った姿見から顔を上げたアオイが、憮然とした顔の魔女を見上げた。
「自死した女が使っていた品だ」
「……? おんなのひとの、なんであるんです?」
「さあな」
素っ気ない声音で魔女が鏡の前を離れる。
今のアオイなら、「何でそんな最高にフィティッシュ極めたものがあるんですか? ここは呪いの館ですか?」くらいは口にしただろう。
如何せん、当時はまだ幼かった。
不意に少年は、鏡に映った景色がおかしかったことに気がついた。
振り返って確認した部屋の様子と、記憶に残る鏡面の景色。
当時のアオイは『反転』の言葉も、鏡の性質も知らなかったが、直感が気味悪さを訴えた。
慌てた様子で師の後ろを追いかける。
――師匠のほかに、だれかいた。僕のすぐうしろにいた。
お部屋がおんなじ場所になかった。
「ししょう、ししょう、はやく出ましょう?」
「これを持て」
「うわあああんっ、かぴかぴのおじさんんんん」
アオイが必死に魔女の腰に縋りつくも、素気無く手渡されたマンドレイクに、少年が泣きそうな顔をする。
皺の寄った額にしか見えない箇所を恐る恐る掴み、彼が青色の瞳に涙を溜めた。
何故魔女が、足手纏いにしかならないような子どもを、このようないわくまみれの部屋に連れ込んだのか?
単純な荷物持ちのためだ。そこにアオイの意思は含まれていない。
魔女が透明に透き通る鉱石を張りつけた、頭蓋骨を両手で持ち上げた。
黄ばんだ遺骨は上部を半分ほど溶かしており、その穴を埋めるように鉱石が詰まっていた。
ひっ、アオイの喉が鳴る。
「し、ししょう……? それ、なんですか……?」
「白い森の妖精が食った骨だ」
「ようせいさん、ほねたべるんですか!?」
「そこのは肉食だ。炭素結晶を生み、人間を呼び寄せ食らい、結晶を生む」
「はわわ……っ」
いたいけな少年の、妖精に対する夢が潰された瞬間だった。
当時のアオイは大変なショックを覚え、以降妖精不信へと陥ってしまった。
そんなアオイに構うことなく、黙々と魔女が目的の資材を集めていく。
透明の鉱石を掴んだ左手が、容易く鉱石をもぎ取った。
魔女は魔術を行使していたが、アオイの目にはもぎ取ったようにしか映らなかった。
拳大の大きさの鉱石を投げて寄越され、嫌々ながらアオイが受け止める。
少年の両手は、干乾びた老人の頭部にしか見えないものと、人骨から生まれた結晶で塞がった。
アオイは泣きそうだ。
「ししょう……っ」
「調合に使う。あとは石だ」
「石って、おくすりになるんですか!?」
「砕く」
「くだく!?」
愕然とするアオイを見ることなく、魔女が引き出しの小箱から、不揃いな大きさの石膏を取り出す。
青白い手のひらへ乗せられたそれを指先で転がし、ようやく無表情が少年を向いた。
「数が減った。近々収穫に向かう」
「しゅーかく?」
「石の化け物から採取する。しばらく留守にするからな」
「……はい」
アオイは留守番が苦手だった。
何度も玄関を覗いては、魔女が帰ってこないことに落胆する。
ひとりきりの家は寂しくてつらく、じわじわと植物に侵食されるそこは廃墟のようで、アオイを心細くさせた。
落ち込んだ顔で俯く幼い頭を、魔女が乱雑にくしゃりと撫でる。
ひんやりと冷たいそれを見上げ、部屋を出ようとする後姿を小走りが追いかけた。
落ち込んだ心情を吹き飛ばすように、アオイが師へ尋ねる。
「師匠、どんなおくすり作るんですか?」
「びや……お前にはまだ早い」
「えーっ! なんですか? おしえてくださいー!」
「うるさい。俺だって好んで作っているわけではない」
苛立たしげなため息をつき、扉に南京錠をさげた魔女が、足早に廊下を進む。
両手にいわくつきの物品を従えたアオイが、ししょうししょうと懸命に追い縋った。
数日前に訪れた客人が、鬼気迫る顔で魔女に依頼していたことを、案内とお茶出ししかしていないアオイは知る由もなかった。
*
いたいけだった過去の出来事が走馬灯のように駆け抜け、アオイが乾いた笑みを漏らす。
彼の前には石膏像がいた。
山肌が剥き出しとなった崖下に、突如として現れた全身像。
頭上の青空を背負った古城の中ならまだしも、馬車が擦れ違うことすら困難と感じるような野外の細道で、出会ってしまった肉体美の彫像。
なるほど、『石の化け物』。
思い至ったアオイは、クランドの入った鞄を抱き締め、顔面を蒼白にさせた。