これが後のファーストプロポーズ
クランドの背中を撫でながら、まじまじセシルさんを見詰める。
セシルさんはきれいな人だ。
今はたき火に照らされて、全体的に橙色っぽいけど、淡い金髪と赤い目をしている。
ゆるく編まれたみつあみは、今は左の肩から垂れている。
線の細い彼はすらっとしていて、物腰も穏やかで紳士的だ。
……なんだろう、この敗北感。
師匠もきれいな人だったけど、師匠は中身がだめだめだったからな……。
空いた左手をセシルさんの耳許へ伸ばして、ゆるく手を閉じる。
そっと開くと、白金の髪に白い小花が咲き乱れた。甘い果物に似たにおいが、ふんわりする。
うん、上出来。
手を下ろした僕に代わり、驚いた様子のセシルさんが髪に触れた。
黒の革手袋が、しっとりとした花をかさりと鳴らす。
「エルダーフラワーです。あっ、だめだよクランド! クランドの分はもう終わり。さては食いしん坊だな!?」
はみ出た青バラもきっちり食べ終わり、クランドがのそりとセシルさんの膝へ移ろうとする。
一心不乱に彼の耳許にある小花を見詰める瞳に、青バラでなくても食べるんじゃないかな? 疑問を抱いた。
クランドの身体に腕を回して、持ち上げる。
滑らかな白いお腹へ頬を寄せると、クランドが必死に手足をばたつかせた。
「クランドひんやりする……」
「……花、もらったの、初めてです」
「ははっ、ばたばたしてる。……あ、そうなんですか?」
「はい。嬉しいものですね」
横目で窺ったセシルさんは、ゆるゆると表情を緩めて、うれしそうな顔をしていた。
喜んでもらえたならば、本望だ。僕の特技はあんまり使いどころがないから、こういう反応はうれしい。
えへへ、勝手に頬が緩んだ。
「ではまた贈りますね。セシルさんに似合いそうなの、いっぱいあるので」
「……お嫁さんにしよう……」
「はい?」
「あっ、いえ! 何でもありません!」
顔の前でぱたぱた手を振ったセシルさんが、片手で顔を覆いながら、「ありがとうございます」消え入りそうな声でお礼を呟く。
……こんなに照れられるのは、予想外だ。
花が身近な僕と、花と無縁なセシルさんの、価値観のちがいかな?
あと、お嫁さんって、脈絡ないなあ……。
セシルさんって、結構独特な人だよなあ。
それより、はらぺこクランドがセシルさんにあげた花を狙っている。
師匠は『一日一輪』っていってたけど、……小さいバラだったら、おやつ程度でセーフになるかな?
「……クランドが大きくなったら、鞄買い換えよう……」
じたばたもがくクランドに、小さめの青バラを生成する。
鼻先にかざした瞬間、ばくん! クランドの大口の中に青バラが消えた。
もしゃもしゃ動いた顎が、満足気に開かれる。そこに花びらの残骸はなかった。
けふりと息をついたクランドが、僕の膝の上でぐるりととぐろを巻き、数秒後にはすぴーと寝息を立てる。
何ともわかりやすい『腹が膨れたから寝る』の公式に、思わず笑ってしまった。ひんやりとした背中を撫でる。
「こうして見ると、ドラゴンらしくありませんね」
「やっぱりフトアゴヒゲトカゲだと思うんです」
「ドラゴンです」
「ええ……っ」
頑ななセシルさんの訂正に、どう見てもドラゴンっぽくないのに……。不満に思う。
僕の手に耐熱性のマグカップが戻ってきた。
セシルさんが温和に表情を緩める。
「アオイくんも食事にしてください。食べ慣れないうちは食べにくいとは思いますが……」
「そんなに熟練の技が必要なんですか!?」
「まあ……味はマシになりました」
「あ。すごくハードルが上がりました。気合い入れて食べます」
目線を逸らせながら話すセシルさんに、よくないものを察知する。
勇気を出して、脇に置いた携帯食料を掴んだ。
揺らめくたき火に照らされたそれは、のっぺりとした茶色をしている。……なんというか、粘土っぽい。
食欲のわかない形状に、恐る恐る歯を立ててみる。そして即座に諦めた。
「かたい……」
「そうなんですよねぇ。よくこれで、誤って口の中を噛む人がいるんです」
「味と一緒に、硬度は改良されなかったんですか?」
「不思議ですよね。後世に期待しています」
にこにこ笑うセシルさんが、噛み切れない物体エックスと格闘する僕から、ひょいとカップを取り上げる。
多分、零れないようにと配慮しているのだろう。
それよりも、この物体エックスをどうにかしてほしい。
もらった手前、いっては何だが、これ、すごく不味い。
「オートミールを水でふやかした上に、無理矢理イチゴジャムを乗せたような味がします」
「ああ、確かに。何の味だろうと不思議に思っていたんです」
「……これ、マシになったんですよね?」
「はい、遥かに。あ。お茶飲みますか? どうぞ、流し込んでください」
「流し込むようのお茶!!」
満面の笑みのセシルさんからカップを受け取り、口内をお茶で流す。
何だろう、この絶妙に不快なハーモニー……。
例えるなら、凍ったキャラメルが口内の温度で溶けて、ねばねばする状態かな?
いつまでも後味が尾を引く。
いつまでも、ふやかしたオートミールと無理矢理イチゴジャムが口の中に居座る。
そこに新たにやってきた、渋めのお茶。
あとなんか、薬っぽい味する。
……これが噛み切れないから、全く減らない。……どうしよう。
「すみません、アオイくん。私が料理出来ればよかったのですが、なにぶん不得手で……」
「材料と設備さえあれば、僕が作ります……」
「アオイくんは料理が出来る人ですか! すごいですね!!」
ぱっとセシルさんの表情が明るくなる。
彼の調理技術については触れないでおこうと、僕は固く心に誓った。
それよりも、今後もこの物体エックスと戦うくらいなら、今度からは自分でごはんを作ろう。
そのくらいしよう。……うん。
「……セシルさんが、頑なに野宿を回避しようとしていた理由が、少しわかりました」
「純粋にアオイくんを心配してますよ? 危険も多いですし」
「……ありがとうございます」
「それを食べたら、今日はもう休みましょう。遅い時間です」
「セシルさんは食べないんですか?」
「食べますよ」
セシルさんが取り出した小筒の中には、ダイス状に切られた携帯食料が入っていた。
一口で片付く大きさのそれに、思わず手許に残る長方形と見比べる。
えっ、そんな楽な食べ方があるの!? ええっ、ずるい!!
「セシルさんずるい! 食べやすい方法があるなら、先に教えてくださいよ!」
「あははっ、まずはスタンダードな形を体験していただこうと思いまして」
「何の配慮ですか!?」
「ほらほら、あまり大きな声を出すと、クランドくんが起きてしまいますよ?」
「ううっ、この人さり気なくいじわるだ……!!」
むむむ! 不貞腐れた胸中で、物体エックスにかじりつく。
ちっとも噛み切れない! 口の中で変な味がする!
セシルさんはそんな僕を微笑ましそうに眺めているのだから、余計に気持ちがささくれた。
飄々とした仕草で、彼がダイス状の物体エックスを自身の口へ押し込む。
膝で頬杖をついたセシルさんは、何とも楽しそうな表情をしていた。