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エッセイのプロムナード  作者: 多谷昇太
1974年4月7日バルセロナにて
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ボヘミアン

ボヘミアンという言葉をご存知でしょうか?辞書を調べると(1)ジプシーの異称。(2) 社会の規範にとらわれず、自由で放浪的な生活をする人。と記されています。私の場合(2)になるわけですが、若い頃に1973年から1975年にかけてリュックを背にして世界中を放浪した経験があります。なぜそんなことをしたかと云うと別に理由はありませんで、とにかく日本を飛び出して世界を見たかったわけです。そこに自分を置いて自分の立つ位置、自分とは何か…おおげさに云えば人は(自分)は何のために生きているのか、人間とは何か、などということを追究してみたかったわけです。今でこそ転生輪廻、人間は死んでも何回も生まれかわるということが認識されているようですが、当時はむしろ死んだらそれっきり、もう二度とこの世に出ることはないという唯物指向が強かったのです。私もそれでもし二度とこの世に生まれることがないならば生きているこの数十年間は奇跡のようなものではないか、自分の子供に生を託して命をつなぐなど馬鹿げている、自分は自分、子供は子供であくまでも別の存在だ。それならばいい就職をして、結婚をして家庭を持ち、一生を安穏に過ごすことが当たり前ではなくなり、むしろよくそんなことができるな、死んだらもう一切が無だぜ、世界と人間の原存在を追究すべきではないか…などという今からすれば開いた口がふさがらない指向に陥ってしまったわけです。また前記(1)のジプシーということも私には当てはまり、むしろこっちの方が強かったかと思います。むろん私はジプシーではありませんが、社会に馴染めず、人々からうとまれ嫌われる(?)ような性癖を私も持っていた。根暗で孤独、それを変え行く根性もない…という次第です。それゆえに自分を変え行こう、出征する兵士のように、みずからの再生を求めて旅立とう、などと期した次第ですが…しかしこれも今からすれば単なる自分へのごまかし、云いわけであったことがよくわかります。日本で勝負できない者が世界で勝負できるでしょうか。

 畢竟無意味とも思える2年間の放浪でしたがしかしその無意味さをわかったこと、人間としてのあるべきポジションが見えたこと、またそれに至るプロセス、すなわち放浪の実態を描くことが有意義になることを信じて、以下に皆様のお目にそれを晒します。では1974年4月7日のバルセロナへとどうぞ…。

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プロムナードが時に歩く(=読む)に堪え難い、恥っさらしな「引越し顛末記」だったりして申しわけありません。不快をもよおした方はここを飛ばされて結構です。以後はできるだけ歩くにまともな道(エッセイ)を敷くつもりですが、しかしこの難所の「引越し顛末記」はあともう一章ほど続ける予定です。
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