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7 水を得た魚のように

 WHOニューヨーク支部 地下研究施設 研究室



「接触型の実験、ですか?」


「あぁ。この間の研究発表の際、それがないことに文句を言われてね」


 スイスから帰国したタリスの表情は、ここ数年の中で最も穏やかだった。言うまでもなく、彼はWHOの幹部の何人かとの接触の上、協力を承諾させることに成功したのだ。

 本部での報告の際、上層部の反応はまちまちで、不老不死の研究の進み具合に笑顔を見せる者や、まだこんなものかと顔をしかめる者など様々であった。

 文句に対しては言い訳しようもない。


 現状を『進んでいる』か否かと捉えるのは個々の価値観にもよるだろうが、一般的な目から見れば、研究が進んでいないのはやはり事実なのだ。


 今分かっているのは、『SR細胞』の動きと働きだけだ。

 細胞自体は死ぬのか、どのような形状をしているのか、ラットに投与した結果ーー研究内容としては、初期の初期と言っても良いかもしれない。

 今回文句を言われたことを踏まえ、アリアは、渋っていた直接的な実験などの許可を下ろした。

 ーーこれで、漸く研究が進む。

 タリスだけでなく、顕微鏡の中の蠢く細胞を見飽きていた研究者達も喜んだ。



「不死性についての研究は時間がかかる。まずは、怪我や病気などへの細胞の対処についてだ」


 タリスは研究者達の前で、ボードを片手に持ちながら呼びかける。彼等の顔がほころびる中、要は退屈そうに足を組んで座っていた。


「ミス・レッドフィールドには(この名前が出た途端、女性職員は眉をぴくりと動かした)、全ての実験の許可を取っているんですか?」


「いや、実験を行う際は必ず、研究内容と方法を事細かく書いたレジュメを提出しろと、言われていてね……」


「相変わらずお堅い方だ」


 アリア・レッドフィールドという女は、驚くほど保守的だった。

 彼女は何も石橋を叩いて渡るような人間、というわけではない。自身は出世こそはしているが、組織改革や研究への介入や改変を行う気はない。ただ変化を望まないのだ。



 しかし、必ずしもこの場所にいる全員がタリスのような急進派というわけではない。


 水を得た魚のように生き生きとしたタリスを尻目に、要は怪訝そうに机に肘をついていた。要はアリアを少なからず知っている。

 彼女はその場で偉い人間に睨まれただけで、簡単に方針を変えるような女ではないのだ。何かあったのだろうと要は推測づけたが、いやしかし、彼には関係のない話だ。



「……誰が直接、被験者に会うんだろうな」


 名乗り上げる権利があるならば、是非自分がしたいところだ、と要は思った。

 無能な連中よりも、自分がやった方が手際が良いだろう。もしタリスが自分に仕事を回さないなら、犬飼に言ってでも介入するつもりだった。それに被験者のお目付役は、要の友人であるセシルだ。何かと都合がつくかもしれない。


 タリスが今月の研究内容と分担、そして抱負を力強く語ると、朝のミーティングのようなものは終わりを迎え、各自が自分の持ち場へと散っていった。

 要がその様子を冷めた目で見つめていると、タリスが近づいてきた。


「ミスター・サカモト。ちょっと良いかな」


「ああ。どうした」


 要が立ち上がろうとすると、タリスは笑顔で両手を出し、それを抑える動作をした。


「犬飼さんが君のことを呼んでいたよ。何か被験者について話があるそうだ。……多分、実際に実験ができるのは君だね」


「……それはまあ、嬉しいな。そっちは?」


「私も参加したい。良かったら、犬飼さんに頼んでくれないか?」


「言うだけ言ってみる」




 ***




 坂本 要は、自分の親の顔を知らない。


 彼は小学校6年生の年齢まで、東京の孤児院にいた。

 そこは優しい老夫婦の営む温かな場所で、彼は無愛想で生意気な孤児ではあったが、しっかりとした大人の庇護下で暮らしていた。


 ある日彼は、犬飼と名乗る不審な男に養子として引き取られた。彼の容貌はうら若く、日本人離れした緑色の瞳をしていた。

 犬飼は、要の頭の良さを見込んだらしい。


 要は所謂『ギフテッド』というもので、著しく高度な知的能力を持っていた。

 勉強は好きだったが、いつも退屈だった。本を読んでいたり、妄想をしたりして楽しむ、共感性のない子供はーーそれは今でも変わらないーー犬飼に引き取られたことにより、色のない世界が一変した。


 犬飼が何故、わざわざ日本に来てまで要を引き取ったのかーーその理由は未だに分からない。しかし、あの男のことだから、どうせ碌でもない理由だろうとは思っていた。

 もしかしたら自分は彼の隠し子だったのかもしれないし、誰かの忘れ形見だったのかもしれない。目的があるにしろないにしろ、彼が自分をここまで育ててくれたのは紛れもない事実だった。




 要は犬飼の執務室のドアをノックすると、返事を待たずに部屋に入った。

 礼儀を知らない人間相手に、礼儀を気にするする必要はない。犬飼に近く、日常的に可愛らしい(・・・・・)嫌がらせを受けている要にとって、この些細な”失礼”は、ストレス発散の一つだった。



「返事くらい待ってから入れ」


 デスクに座り、こちらに一瞥もしないで犬飼はその言葉を口にした。

『人のことを言えない』ということを彼は自覚しているのだろうか。いや、していないだろう。他人に礼儀を欠くことと嫌がらせは、彼にとっては息をするような、自然で当たり前のものなのだ。

 要はそのような保護者を反面教師に生きてきたつもりだったが、まともな人間にはならなかった。これは本人の元の性格もあるのか、悪趣味の影響力が強すぎたのか。


 本格的に、犬飼と血縁であることを疑い始めても良いかもしれないーーと彼が考え始めた頃、犬飼は顔を上げて、


「調子はどうだ?」


「報告書は渡したと思うんですけど」


「細胞の件じゃない。お前の心身の状態を聞いてる」


「……はあ」


 要は自身が心配されたことに驚いた。

 彼は、他人を気遣うという行為を知らない男のはずだ。


「まあまあ、かな」


 左の手の平を下に向け、ひらひらと動かした要の顔は、何かを訝しんでいるようだった。

 犬飼の執務室には大きな窓がある。デスクの後ろに拓けるニューヨークの今日の天気は、生憎の空模様だ。最近晴れの少ないこの都市だが、喧噪や観光客の多さは依然として変わらない。


 要としては、このような人目につく場所に機密研究施設を作るよりは、どこぞのスパイ映画のように山脈、谷の隙間や100km直下の方が適切だ。お陰で要は若者集う街中の部屋を借りる羽目になっているし、支部にやってくるのだって手間がかかる。


 数週間前まで、研究室の仮眠室を占領して寝泊まりをしていたが、痺れを切らした他研究者達がタリスに懇願し、無事、仮眠室使用禁止が言い渡された。

 虎の威を借りても良かったが、その虎にさえ小言を言われた狐は、獣達に従わざるを得なくなった。

 先日まで根に持っていた『追放事件』だったが、親友に諌められたことにより、今ではその怒りはすっかりと消えてしまっている。


「それなら良い。いや、最近顔を見ていないと思って。お前みたいな甲斐性無しじゃ、一人暮らしは大変だろう」


「そうでも。家じゃ寝ることしかしないし」


「食事は? お前が包丁を持つと、グロテスクなものしかできないと記憶しているが」


「三食はレストランか、食べないかだから。アイランドキッチンはありますが、引っ越してから火さえもつけた覚えがない」


 そもそも、火の付け方さえ知らない。


「掃除は? 何なら手伝いを雇うが」


「あぁ……洗濯が面倒だから、手伝いは欲しいですね」


「週二。月、木」


「分かりました」


 内容は子を心配する親さながらだが、業務的な言い方と両者の不機嫌そうな表情が相まって、部屋は実に冷淡な空気で満たされていた。

 この場所に正常な感性を持った一般人が放り込まれたら、言いようのない不気味さに身体の芯から震え上がることだろう。それほどまでに、親子らしからぬ異様な光景だった。



「そうそう、お前を呼んだのはそんな理由じゃない」


「主任から聞きました。俺に被験者の直接実験に参加する許可をくれるんですか?」


「そうだ。一足早いクリスマスプレゼントーー嬉しいだろう?」


「まあ」


 犬飼は、誕生日とクリスマスに必ずプレゼントを義子に送る。

 赤い包装の中身は様々で、昨年のクリスマスは育毛剤、誕生日は新車の鍵(ちなみに車はプレゼントされていない)だった。極端に安いか高いか、もしくは必要のないものが多い。

 一度だけ要は、広辞苑に勝る分厚さの医学書をもらったが、恐らくあの時はネタ切れだったのだろう。まともな贈り物はそれっきりだった。


 とはいえ、もらうだけなのは悪い気がするので、要も毎年クリスマスプレゼントを送っている。

 今年はお風呂に浮かばせるアヒルのおもちゃにするつもりだったがーー二十数年の中で最も嬉しいプレゼントをもらったのだーープレゼントを改めて、ゾウさんのジョウロあたりにしておこう。


「ローウェンに話は通してある。漸く、あの子娘の化けの皮が剥がれるかな」


「化けてるんですか?」


「……いや、あいつは最初から化け物か」


「貴方は、そう思ってるんですね」


「どう考えても人間じゃないだろう? 不死の力を持つなんて……神か、悪魔か。俺はどっちも信じてないから、『化け物』だろうな」


「人間ですよ。細胞以外は」


 要はそう言って、タリスと研究者達による論文の内容を思い出す。

『SR細胞』は、適合者である被験者以外の体内に取り込まれると、アレルギー反応を起こす。ラットの場合は一分、サルの場合は五分で『SR細胞』は増殖し、細胞膜や各器官の細胞を破壊した。これは驚くべきことだ。

 被験者にとっては不老不死の未知の細胞だというのに、適合しない一般諸君からしてみれば、ただの生物兵器に過ぎないのだ。人間に投与するわけにもいかず、不接触実験は難航している。


 そう考えると、アリアの『神格論』や犬飼の『化け物論』は、あながり間違ってはいないのかもしれない。しかし要もまたリアリストで、神も仏も、未知の化け物の存在も信じていなかった。


「俺はあくまで、人間として接します。アンタのそれは、いささか偏見が過ぎませんか?」


「どうだか。一度対峙してみると良い。年頃の娘とは考えられないくらい悟っているような、全てを諦めているような。そんな目だ。気味が悪い」


「注射のせいじゃないですかね」


 本人からの強い要望により、極細の針が研究室で開発された。

 採血の時間は長くなるが、痛みはほとんどないという優れものだ。しかし被験者が嫌いなのは痛みではなく、針そのものだという。渡して数日は使っていたが、結局被験者自身が「ずっと刺さってるのが恐い」と言い出し、以前の注射針に戻ってしまった。


「聡い子ですか? 実験の内容とか、細胞の件とか。話しても通じるでしょうか」


「ある程度は理解するだろう。生意気な子娘だが、頭は良いらしい」


「へぇ」



 それなら、話の通じなさに苛立つことはなさそうだ。

 被験者と嫌でもコミュニケーションを取らなければならない羽目になるだろうし、セシルがすぐ近くにいるため、変にそっけない態度を取るのもいけないと考えた。

 セシルは確かに、自分を利用しようと近づいてきている。しかし友人でもある。彼に悪い印象はあまり持たれたくないし、細胞は被験者の精神状態に比例する可能性だって大いにある。


 ーーああそうだ。タリスに。



「主任が実験に参加したいと言ってました。メンバーが決まっているなら別に良いですけど


「いや。元々、実験メンバーはお前に決めさせるつもりだった。タリス・アボットか……レッドフィールドが嫌がりそうだが、お前が入れたいなら好きにすれば良い」


「他のメンツは? 俺はどうも他人から好かれないし、俺も他人は好きじゃないんで、誰が優秀がそうでないかも分からないんだがーー」


「ではこちらから、後二人指名しておく」


「どうも」


 互いに話すこともなくなり、数十秒の沈黙ができた。

 同じ屋根の下で暮らしていた時も、このようなことが多々あった。話が続かないーー雑談をしないタイプの二人は、すぐに会話が途切れてしまうのだ。一言も互いに言葉を交わさない日もあったくらいだから、コミュニケーション能力の欠如が実に明瞭だ。



 その後、軽く挨拶を済ませて部屋を出た。

 すると、特徴的な赤毛の女性が扉の横にもたれていることに気がつく。アリア・レッドフィールドだ。彼女は要を見つけると、小さく微笑んで、黒縁眼鏡の縁を押し上げた。


「あら、犬飼Jrじゃないの」


「その呼び方、ローウェンに教えるなよ。面白がってそう呼ばれても嫌だ」


「大丈夫よ。あいつとは、もう一生関わりあうつもりはないから」


「そうだったな」


 要はセシルの浮気事件の概要をあらかた知っていた。

 本人に愚痴を聞かされたから、その真実性は確かだ。そしてまた、アリア・レッドフィールドが強く根に持っていることも有名な話だった。


「貴方、接触型実験のメンバーなんでしょ? 犬飼さんからそう聞いたわ」


「あぁ。今その話をしていた」


「……タリスは?」


「彼も参加させる」


「そう……」


 一瞬苦々しい顔をしたが、すぐに笑顔を取り繕った。

 貼り付けたような笑みだ。セシルのようにもっと自然に笑えるように練習すれば良いのに、と要は彼女を見て思った。


「貴方は誰につくの?」


「”誰”っていうのは?」


「……分からないなら良いわ。でも直に決めなければならない時が来る。貴方、道徳は好き? 神は信じる?」


「保護者を見てくれば分かる通り」


「そう……今の内によく考えておきなさい」


 アリアは口角を吊り上げた。



「WHOは、直に真っ二つに割れる(・・・・・・・・・・)


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