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12 やっぱ良いや

 笑わなくなったのは、笑えなくなったのはいつからだろう。

 ワイドショーや話題のコメディー映画を見ても、何故だか面白いようには感じなくて。心の奥底から笑い転げられる友人達が羨ましかった。孤児であることや、勉強して実績を残さなければならないプレッシャーからか、彼女からいつしか日常的な笑顔の数が減っていった。


 理沙がニューヨークの地下研究施設に連れてこられて少しだけ時間が経った。


 勉強から解放された。孤独感はなくなった。欲しいものは大概手に入れられるようになった。

 それなのに、



「日本に帰りたい」



 そんなことを願うのは我儘だろうか。


 理沙が小さく呟いたのを聞いて、セシルは思わず目を細めた。二人で年末のカウントダウンテレビを見ている矢先のことだった。日本はとっくに年明けを迎えているだろう。

 画面にはニューヨークのタイムズスクエアの賑わいと、陽気な格好をしたコメンテーターが映し出されている。コメンテーターはこの部屋の静けさに反して、視聴者を笑わせようとジョークをかましている。彼が何か言うたびに聞き飽きた録音の笑い声が響く。


 一ヶ月の間に数日、理沙は酷く感傷的になる。ホルモンの乱れによって感情の起伏が激しくなることが原因だろう。女性にはよくあることだ。

 セシルはこういった女性の対応には手馴れていた。しかし、「外に出たい」だの「学校に行きたい」だの「国に殺される」だの日頃の不満が爆発したナーバスな女の子を丸一日(・・・)相手にしたことはなかったし、辛抱強く付き合っているのは褒められるべきことだと思う。



「理沙、もう年越しだよ。忘れて楽しんでも良いじゃないか」


「……毎年年末はね、孤児院の皆で年越し蕎麦を食べて、小さなパーティをして、それから十二時まで皆で仲良くテレビを見るの」


「へえ、僕じゃ不満?」


 その問いに理沙は言葉を返さなかった。

 それからしばらく黙りこんでテレビを見つめていると、ついにニューヨークが夜の十二時に差し掛かった。幼少の頃は年が明けた瞬間にジャンプをしてみたり、皆でクラッカーを鳴らしたり騒いだりしたものだが、良い歳した今そんな気力も体力もない。

 もちろんセシルはおめでたいことを祝う準備をしていたが、理沙の気分は降下気味で、この状態で目の前にケーキやご馳走を出しても逆効果なような気がした。


 セシルはテレビの画面が花吹雪や眩しい電飾で溢れた途端に、隣にいる理沙にキスしようとした。ーーが、思い留まった。

 そうだ、彼女は日本人だ。アメリカではこういった時には近くにいる人とキスする習慣があるが、日本人には刺激が強いだろう。彼は自分の母親がその類のスキンシップを嫌っていたことを思い出した。彼女曰く、「誰彼構わずキスするなんてどうかしてる」だそうで。

 セシルは理沙にとって”誰彼”ではないだろうが、いやしかし、ここでキスするのはかえって心境を悪くしかねない。



「Happy New Year,理沙」


「……明けましておめでとう」


 あからさまな英語が癪に障ったのか、理沙は鼻で笑ってから挨拶を返した。

 テレビの上のシックな時計の針が、もう年が明けたことを示している。理沙はそれを見ると、すぐにテレビを消してベッドへと向かった。彼女は欠伸混じりに毛布を大きく広げ始める。


「もう寝るのかい?」


「ちゃんとお肌のゴールデンタイムに寝ないと。肌荒れしちゃう」


「今日くらい良いじゃないか」


「……意外だね。セシル、いっつも『早く寝ろ』って母親みたいなこと言うのに」


 彼の普段の言動は、理沙が小説やドラマで見た母親そのものだ。

 血液提供者が不健康だと、血液や細胞にも影響が出る。だからセシルはいつも、彼女の身体状態や食事、睡眠時間、運動といったヘルスケアに力を入れている。

 ーー昨日までは十時に寝ろとかほざいていたくせに、年明けに限って小言を言わないなんて。


「そうかな。僕の母はあんまり……うん」


 言いかけて、セシルは目の前の少女が孤児だということを思い出した。

 しかし理沙は、今更気遣われても困ると思った。

 彼女の前での家族関係の話題は勝手にタブー視されているようだが、16年間生きた以上その手の話題は避けて通ってくることができるわけない。高校生ほどの年齢になると、もはや自分が孤児だということに悲しみも怒りも湧いてこない。

 院の子供たちは血のつながりはないが家族のような存在だったし、院長は理沙に金を惜しまなかった。親を恨んでいないと言えば嘘になるが、だからといって最悪な人生というわけではなかった。


「私、セシルのお母さんに会ってみたいな。日本人なんでしょ?」


「そうだよ。母さんも理沙に会えたら喜ぶだろうな」


 そうは言ったが、セシルの母親は理沙の名前どころか存在さえ知らない。

『SR細胞』は最重要国家機密。家族にさえおいそれと話して良いものじゃないし、国際機関に属している以上、情報漏洩が重罪であるということくらい彼の家族も理解している。

 だから理沙へのプレゼントの相談をした際、女の子が云々という話をしてしまったが、特に研究内容に関する追求はされなかった。

 家族の話題になったところで、理沙は最近ニュースで取り上げられている大統領選挙の立候補人のことを思い出した。

 確か共和党から出馬した議員の名前は”ローウェン”だったーー


「セシルの親戚に政治家はいるの?」


「ああもしかして、ニュースで見たのかな。いるよ。僕の伯父は元上院議員で、今や大統領候補さ。今年ーーいや去年に選挙があって……かなり優勢だったとは聞いてるよ」


 つい先日、クリスマス手前頃に選挙人投票が行われついに長かった選挙期間も終わった。

 年が明けて一週間ほどで正式に当選者が発表されるようだが、共和党のローウェン氏と民主党のスウィフト氏の一体どちらが新大統領になるのかと、理沙も非常に関心を持っていた。

 セシルはさぞ意気揚々としているだろうと思ったが、理沙の見た彼の横顔はあまり嬉しそうではなかった。


「セシル、もしかして当選して欲しくないの?」


「んー……いいや。そうじゃないんだ。親族から大統領が出るなんて名誉あることだし、僕の扱いだって更に良くなると思う。けど僕、あまりあの人のことが好きじゃなくて」


「なんで?」


「権力欲が強くて、女性関係も激しい。おまけに顔も顔が良くて嫌味な奴なんだ。僕も人のことはいえたもんじゃないけどさ」


 それは同族嫌悪ではないかーー理沙はそんなことを言おうとしたが、すぐに口をつぐんだ。

 その激しいという女性関係をスキャンダルにされたら、大統領なんてなれっこないのではとも思ったが、セシル曰く、金があれば人の感情を操ることも、事件をもみ消すことも、マスメディアの興味の向かう先を左右させることだってできるらしい。そしてそもそも、日本と違ってアメリカは新聞やニュースの支持率は低いからあまり影響はないんだと。

 理沙はこんな汚い大人にはなるまいと強く誓った。


 セシルの身内評が公正なものなのかは分からないが、彼の思い出話を聞けば誰でもローウェン氏に良い印象は持たないことだろう。


「きっとあっちも、僕のことはあんまり好きじゃないさ。父さんとは仲が良いけどね」


「セシルの家って資産家なんだよね」


「うん。でも理沙が想像しているような華々しい生活じゃないよ。父さんは経営者だけど僕は豪邸なんかに住んでなかったし、執事やシェフもいない」


 けれどローウェンという名を出すと、少し学識のある人ならばすぐに彼が資産家の血筋の者だと気づく。故に幼少の頃は金目当ての人間しか寄ってこなかったし、学生時代は優れた容貌や成績も相まって、馬鹿な女たちが肉にたかるハエのように集まってきたものだった。

 今はとっくにそんなことには慣れっこで、子供の頃は疎んでいた家柄も容姿も女遊びと出世に有効活用されている。

 使えるものは使っておかねば損というもの。


 彼が女遊びを始めたきっかけは大学に入った時、同じ学部で仲良くなった先輩に色々教わったことだった。

 その先輩は頭と顔はとびきり良い癖に素行不良で、影でこっそりマリファナの売買をしているような男だった。名門・ケンブリッジ大学の生徒らしからぬ男である。しかしセシルは彼のことが嫌いにはなれなかった。由緒ある家柄で豊かな人生を送ってきたセシルにとって、先輩のような存在は異端で、心の何処かで強く惹かれていたのだ。

 それでも違法なことをしている先輩を疎ましく思っていたが、告発するようなことはなかった。彼もそのことを分かっていたのだろう。洗練されたお坊っちゃまのセシルに二面性を感じたのか、先輩は彼に様々な技術と遊びを教えた。


 その中の一つが女遊びだ。

 先輩は彼に近くにいる女を引っ掛ける方法と話し方を教えた。

 徐々に他人を支配する快楽に愉悦を感じ始めたセシルだったが、先輩が逮捕されたことをきっかけについに目が覚めた。


 以降は違法ギリギリな行為も止め、真面目に勉強して国際機関に就職。今に至るというわけだ。

 しかし、満ち足りない生活、乾いた自分を満たすために女性をとっかえひっかえする癖は治らない。

 そういえば先輩はもう釈放されているだろうが、一体今はなにをしているんだか。今でも彼のことは尊敬しているが、もう二度と関わりたくない。



 マリファナといえば、20XX年にニューヨークでも大麻が解禁され、ついにニューヨーカー達が甘い匂いを漂わせるようになってきた。日本では『危険』と銘打ち避けられている大麻だが、医療用であればそれは麻酔にもなるし、嗜好品としても全米中に広まっている。今や売人は人気職業の一つだし、大学の薬学科にも大麻専門のコースだってできた。

 セシルはお家柄の関係で使ったことはないが、友人は煙草代わりにふかしていた。依存性があるのは煙草同様いただけないものだ。しかし薬物というものは基本、身体に何かしらの副作用と渇望をもたらす。使いすぎは良くないものだ。


 理沙に薬の話を振ったが、あまり良い顔はされなかった。

 どうやら日本はその類の規制が厳しいらしく、学校の授業でも薬物乱用について事細かく学ばされるらしい。そのためか、マリファナという単語に忌避感を感じているというのだ。



「あっそういえば、大統領は私のことを知っているの? セシルの叔父さんが大統領になったら、当然私の存在のことも聞くわけだよね?」


「アメリカ、イギリス、フランス、中国、ロシア、それと日本のトップは知っているよ。基本は大統領と、安保理とWHOの国連幹部職員だね。日本の場合、理沙の入院していた病院の関係者は知っている」


「日本ってば、何で国連に報告したんだろう? そんなに常任理事国になりたかったのかな」


「君の異変に気がついた病院側が、日本の国営病院とアメリカの大学病院に調査を依頼して……そこから国に漏れたって感じかな。本当は日本は自国で研究したかったようだけど、国連の管理下にある施設の方が良いと言われて、今君はここにいる」


「あの一ヶ月の軟禁生活の内に、色々あったんだねぇ……私のせいで色んな人の胃に穴が空いたかもしれない」


「本当にね。日本のストレスは並々のものじゃなかったはずだよ。アメリカからの圧力は強かったようだし、他にも各国から君を引き渡すように要請があった。国連の管理下に置かれることは決定事項になってたからさ、何処の国にやるかで揉めてたんだ。皆理沙が欲しいからね」


「でも、あ、あんまりその……嬉しくないなぁ。世界から取り合いされるってのは」


「ハハハッ……」


 ーー言えてる。

 セシルは乾いた笑いしか返せなかった。慰めようがない。


「しかもみんな、欲しいのは私の技術や才能じゃなくて血だけ。血だけ取れば後は興味ないんでしょ? それもまたムカつく」


「そんなことはないよ。君はモルモットじゃないんだから」


 世界中の国々が彼女を欲していると言えば聞こえは良いが、実際の待遇はただの軟禁。不自由のないように配慮されてはいるが、決して自由な環境ではない。

 理沙はここ数ヶ月、外の空気を吸っていない。太陽の光も浴びていない。このままではいつか病気になるんじゃないかと彼女は思っていたが、そういえば自分は風邪やインフルエンザすら罹ったことがないと気がついてしまった。


 普通に過ごせることがどんなに幸せなのか。

 分かったから。さあ、早く日本へ帰して。



 祈れど何も起こらない。唯一縋れるのは犬飼(悪魔)だけだが、彼は願いを叶えずに代償だけもぎ取っていくことだろう。


「また太陽の顔は見たいけどさ」


 理沙は毛布をぐっと自分の胸元まで引き寄せた。


「外に出られたとして、でももし私が過激なーー例えばテロ組織とかの手に渡ったらどんな扱いを受けるか……考えただけで身の毛がよだつよ」


「……だから君は、ここにいなくちゃいけない」


 セシルの言うことはいつだって正しい。

 だから嫌いなんだ。


 自分を守るために。隠すために国連は彼女をここに収容している。自由な環境に身を置けば、いつどこで誰がさらいにくるか分からない。

 理沙だって不満は漏らすが、どうして自分が外に出られないのかはきっと誰よりも深く理解している。ただ解消されないストレスと願いをどこかに吐き捨てたいだけなのだ。


 セシルはベッドの側に歩いて近寄ると、理沙を視線を合わせるためにその場でしゃがんだ。



「でも理沙。僕がいるよ」


「……」


「僕はずっと側にいるから。僕がずっと君を守ってあげるよ。外に出られなくても、理沙が退屈しないように、僕が……」



 ーー僕が、君の太陽の代わりに……。


 喉まででかかった言葉を飲み込んだ。

 理沙は不思議そうに首を傾げている。彼は誤魔化すように彼女の頭を撫で、視線をどこか遠くへとやった。


「何? セシルが何してくれるの?」


「……やっぱ良いや」



 ーー我ながら、この子に入れ込みすぎているのかもしれない。

 いつもならスラスラと出てくる歯の浮くような言葉が、今日に限って、喉につっかえて出てこなかった。

 セシルは目を瞑って、この感情の名前を考えた。


 そしてやがて。

 ニューヨークと共に彼は一人で朝を迎えた。


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