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朝の小説

作者: 高野 真

「朝の小説」


 朝の小説。

 この四文字に、ここまで頭を悩ませるとは思ってもみなかった。

「朝の小説」は小説日本編集部のI女史が持ち込んできた企画である。以前「夜の小説」で寄稿した縁があり、お声が掛かったのである。

 所要の枚数も少ないことから書き上げるのは簡単だと思っていたが、何のことはない、題材が思いつかないのである。

 自分の過去の作品を振り返ってみても、夜を描いたものは多いが、朝を描いたものが見当たらない。朝を舞台として設定するに適したテーマはおろか、朝の情景を表現するために、何を、どう描写すれば良いのかすらわからないのである。

 そのうち自棄を起こした私は、――

「毎日伸びていく蔓に水やりをする老婦人が居る。訊くと朝顔を育てているのですと言う。翌朝、花が咲いた。花は人間の顔そのものだった。これがほんとの朝顔なのだろう」

「インフルエンザで寝込み、久々に起きた朝。声を掛けるも家に誰もいない。窓の外は一面の雪景色で人も車も見当たらない。どすんどすんという地響き。地震か?実は地震ではなく巨大な白うさぎが街で暴れていたのだ!」

 こんなチープな題材では犬も食うまい。書きかけの原稿は燃やした。


 妻が私を呼ぶ声がする。きゃっきゃと息子が笑う。

 原稿を進める前に、朝食である。早く食べないと、妻の出勤に差し障る。

 妻が出かけた後で息子を保育園に連れて行き、その足で私も会社へ向かうのだ。

 読者の皆さんにはあまり知られていないようだが、私は兼業作家なのだ。本業がどちらであるか―会社員としての収入と、作家としての収入のどちらが主か―は敢えて言うまい。ご賢察いただきたい。

 ともあれ、二足のわらじ生活を続けて久しい。決して多くはない稼ぎで、妻にも迷惑を掛けていると思う。

 けれども、私はいまのこの生活に、それなりの幸福感を覚えているのも事実である。

 私が生まれ育った家は、あまり環境が良くなかった、のだと思う。

 父は仕事で一年のほとんどを東京で過ごし、母親と私だけが家で暮らした。彼女は、何が気に入らなかったのか今でもわからないが、よく私を殴った。

 親戚は遠方に少数居るばかりであったし、友人が少なかった(遊んで帰宅が遅くなれば、それは新たな暴力の火種だったからである)私は、本を読み、自分で文章を紡ぐことに逃げ場を見出していた。


 朝食、着替えと毎日繰り広げられる格闘の末に息子を送り届け、街へ向かう電車に乗る。

 二両編成の小さな電車は、京都に残った最後の路面電車である。ゴロゴロと音を立てながら、通りの真ん中をのんびりと走っていく。

 営業車と思しきライトバンに抜かれ、学生とサラリーマンを満載したバスに抜かれ、最後には割烹着姿のおばちゃんが漕ぐ自転車にも追い抜かれてしまった。

 まるで私の人生のようだ、と思った。

 元々、人と何かを争うのを好まなかったのだ、と言い訳させていただきたい。

 それは、争ってもどうせ負けるだけ、という諦観が故だったのかもしれないし、その諦観は家庭内での自分の立ち位置によって自然に体得した、「人には歯向かわない」という方針によって形成されたものなのかもしれない。

 ともあれ、母親から殴られない程度の成績を取って、世間体の悪くない程度の大学を出て、人様の前で社名を出しても恥はかかない程度の会社に入って、上司から小言を頂戴しない程度に仕事をした。

 そうしたものの積み重ねの上にあるのが、現在の私なのである。

 大学時代の同期には、学会でそれなりのポジションを得て活躍している者も居る。会社の同期も世界各国で活躍し、現地法人の代表すら見えてきている者も居る。私と同じ年に小説日本新人賞を得て文壇デビューしたK氏(読者の皆さんもご存じであろう、あのR教授シリーズの作者である)は今や毎年のようにヒット作を生み出し、その作品は映画化や舞台化を経て海外にも受け入れられつつある。

 方や、私の場合はどうか。

 会社では、ごくごくありふれた中間管理職の一人として、たいへん素晴らしい尊敬すべき上司とぽんやりとした若手社員に挟まれ、年々威力を増すベテラン女性社員には陰口の一つや二つは叩かれているだろう(この文章が次回の賞与査定に響かぬことを願うのみである)。

 物書き業においてもこれといったヒット作はなく、私の本が増刷されたという話はついぞ聞いたことがなく、編集者のT君は不出来な私についに匙を投げ、交代したI女史ですら時折私を蔑む目で見ていることに気づいてしまった。

 そして家庭を顧みれば、家計維持のために妻はフルタイムで働き、息子は保育園でお留守番、週末を迎えても取材と称した市内散策で私が家を空けるが故に満足に旅行にも連れて行ってやることができない。

 会社人としても、作家としても、父親としても夫としても中途半端な男なのだ。私は。


 四条大宮の駅に着くと、強烈な日差しがじりじりと私の肌を灼いた。

 四条通のはるか向こうには緑濃い東山の峰々が見え、ロータリーは出発を今か今かと鼻息荒く待つバスで埋められている。修学旅行生と思しき制服姿の子供たちが地図を覗き込みながらあれやこれやと話し合い、こんな時期だというのにネクタイをぴしっと締め整髪料で寸分の狂いなく身だしなみを整えた男が颯爽と歩いていく。あまりにまぶしい朝の光景であった。

 そう、私は気づいてしまったのだ。私自身が、朝に似つかわしくない人間だということに。

 朝日が燦々と射す世界ではなく、夕暮れ時の、輪郭すらあやふやになってくる薄闇の中に佇むのがお似合いだということに。


 これでは、「朝の小説」が書けないのも当然である。規定の枚数もオーバーしてしまったし、締切も過ぎてしまった。何より、書いていて何だか悲しくなってきてしまった。それではまた次回、京都のどこかで。

参加要件は以下のとおり。

【内容】小説内の時間を“朝(夜明けから10時くらいまで)”と限定した短編もしくはショートショート

【期間】本日より9月30日まで

【長さ】 1文~原稿用紙5枚程度


(平成29年10月7日脱稿)


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