第十三部
「紅茶とコーヒーどちらがいいですか?」
課長室に入ると、大谷の言うようにきれいに整頓されている。
「あ、どちらでも。」
「そうですか。」
黒田はカップに紅茶を注ぎながら、
「どうかされましたか?」
キョロキョロと部屋を見回していたのに気づかれたのかと思い山本が、
「いえ、上杉さんが来ることはないと思って、資料室にしようと思って物を詰め込んでいた部屋がきれいになっているので、驚いていただけです。」
「一応女性の部屋なんですから、じろじろ見ないでください。」
「すみません。」
「冗談ですよ。こちらにお座りください。」
そう言って、黒田はどこから持ってきたのかわからないソファーを指さした。山本は言われた通りにソファーに座り、
「それで、お話とは?」
「ご結婚は?」
質問の意味が分からず、一瞬とまり、
「いえ、まだしてませんが。」
「そうですか。」
少し嬉しそうな響きを帯びている気がしたが、この話を広げることはしてはいけないことのような気がして、
「世間話をされるために呼ばれたのですか?」
少し不満そうな顔になった黒田は一瞬で元の笑顔に戻り、
「いえ、竹中さん経由で例の暴走族の事件の資料を手に入れたので、そちらをお渡ししたかったのと・・・、あっ、紅茶冷めないうちにどうぞ。」
「すみません、いただきます。」
そう言って、紅茶を飲むと黒田が、
「あと昨日、福岡の方から連絡があり、一週間前に暴力団の組長を乗せた車が大型貨物車に追突され、組長が死亡、同乗していた運転手の組員が意識不明の重体になっていた事件に関して、今回の事件の関連事件と認定されました。」
「その経緯は?」
「当初は、暴力団同士の抗争が招いた事件だと思われてました。実際に対立する組の所有している車が盗まれ、犯行に使用されていましたので認定が遅れましたが、車が盗まれたのは今回の事件が起こる1年前で、それは警察が確認しているので確かです。
ただ、意識不明だった組員が意識を取り戻し、証言したところによると、車のボンネットに『鬼引き』の文字があったことを話しています。」
「どうやって組員は確認したんですか?」
「ルームミラー越しに組長と話していたところ、猛スピードで近づいてくる車があったので、それで見たようですね。
ついでに、犯行に使われた車は現場から5キロ離れた場所で発見されたとのことですが、ボンネットには確かに何かが貼り付けられたような痕跡があったようです。」
「その組長が狙われた原因は?」
「暴力団の組長だからでは納得できませんか?」
「その条件で狙われるなら、神戸や他の地域でも同じような事件が起こると考えられますね。真っ先に福岡で起こった理由があると思いますか?」
「さすがですね。まだ捜査中の事案ですが、拳銃の密輸から違法薬物関係まで幅広く手を伸ばしている組なので、狙われる原因は山ほどあります。その組長自身も恐喝や傷害の前科があります。」
「その組長に道交法の前科は?」
「ありますよ。ただ、組長は免許を持っていません。無免許運転です。」
「これまでの被害者と条件はあってますね。他には何か情報はありますか?」
「いえ、今はこれくらいですね。明日には向こうの部下に頼んで資料を作成させて送ってもらうことになってますので少しお待ちください。」
「了解しました。それじゃあ、俺はこれで」
「あ、待ってください・・・・」
「どうかされましたか?」
「あの、その、大谷君に言っといてください。私は昨日の夜からここの掃除をしてて、今日の朝には片付け終わっていたのだと。」
「どうして、昨日の夜から片付けてたんですか?」
黒田は恥ずかしそうに
「すみません。こっちの住居がまだ決まってなくて、行くところがなかったので課長室で泊まろうかと思ったんですけど、資料がいっぱいで休む場所がなくて、片付けてたら夜が明けてしまって。」
「宿直室を借りるなり、ホテルに泊まるなりすればよかったんじゃないですか?普通はそうしますよね。」
「一人でそういう所を利用したことがなかったので、どうやるのかがわからなかったので。」
「お嬢様なんですか?」
「世間知らずだとよく言われます。」
「今日はどうされるんですか?」
「まだ、決まってないので片付け終えたことですし、こちらでもう一泊しようかと・・・」
「俺の家泊まりますか?」
「え、え~!それはその一緒にということですか?」
「俺、最近全く帰ってないんですよ。でも家賃は払ってるし、誰か使ってくれるならそっちの方がいいかなと思っただけです。
俺は今日も宿直室に泊まりますし。」
「あ、あ~そういうことですか。」
「もう長いこと帰ってないので、掃除からしないといけないかもしれませんけど、よろしければどうぞ。」
そう言って、山本は鍵を取り出した。黒田は鍵を受け取るかどうか迷っているようで、なかなか受け取らなかったので、山本が黒田の腕を取り、鍵を渡す。
「いらなければ、俺の机の上に置いといて下さい。」
そう言って課長室を出ようとすると、今度は黒田が山本の腕をつかみ、
「あの場所がわからないです。」
「ああ、そうですね。これから、一度行きますか?」
「いいんですか?」
「今川に送らせてもいいんですが、家の場所を部下に教えるのは面倒なので」
「じゃあ、よろしくお願いします。」
「じゃあ、俺は車の用意してくるんで、準備して駐車場に来てください。」
黒田が黙って頷く、山本はそれを確認して課長室を出た。
「黒田さんを家に泊めるんですか?」
山本が車の鍵を取って、出ようとすると大谷と今川が寄ってきて小声で言った。
「お前ら、盗み聞きしてましたって自己申告しに来たことは気づいてるんだろうな。」
大谷と今川は顔を見合わせ、しまったという顔をした。
「別に使ってない部屋を提供するだけでやましいことは何もないぞ。」
「何で、使ってないんですか?」
今川が聞き、山本がめんどくさそうに、
「朝起きられないから、部下に起こしに来てもらってたんだが、それも迷惑になるから最近は宿直室で寝てるんだよ。」
「黒田さんに毎朝起こしてもらおうという考えですか?」
大谷が楽しそうに聞き、
「馬鹿か、同居するわけないだろ。あの人の住まいが決まるまでの一時宿泊施設みたいなもんだよ。」
「あ、あの~・・・・・」
山本達が振り返ると黒田が荷物を持って後ろに立っていた。
「すみません。部下の方々にいらぬ誤解を与えるようであれば、私は全然この課長室で泊まりますので。」
「いえ、課長室で女性が寝てるとこいつらの仕事の集中力が落ちますので、俺の家で寝てください。」
「そ、そうですか?」
「そうです。お前らもいらないこと他のやつに言うなよ。特に竹中さんには絶対に言うな。わかったな。」
山本の剣幕に負け今川と大谷が同時に
「わかりました。」
「じゃあ、行きましょう。お前らはこの資料の整理と犯人に繋がる何かがないか探しとけ。」
山本はそう言って、大阪から届いた資料を今川に渡し黒田とともに部屋を出ていった。
「黒田さん、最初の挨拶した時とは別人みたいになってなかった?」
今川が聞くと、大谷が
「凛とした感じがなくて、おしとやかな女性って感じでしたね。」
「警部のこと・・・・・?」
「やめときましょう。あまり深く詮索するのはこっちに損なことしかない気がします。」
大谷が言うと、今川も確かにそうだなと思い、
「絶対に誰にもこのことは言わないでおこうな」
「もちろんです。」