第十部
整備工場という割に大きく、大手の車会社が経営しているところのようで、多くの整備工の人が走り回っており、車も多く整備されている。
今川が車を止めると、スーツ姿の男性が駆け寄ってきて、
「いらっしゃいませ。本日はどうされましたか?」
おそらく、車の修理に来た人間だと思われたのだろう。今川が、
「すみません。遠野さん、いらっしゃいますか?」
男性は首をかしげて、
「整備部の遠野ですか?」
「ええ、その遠野さんです。大学の後輩の今川が来たとお伝え願いたいのですが。」
「すみません、就業時間内の個人的な面会であれば、お断りさせて貰っているんです。」
当然の反応だ。これだけ大きな工場なら一日の修理台数も多いだろうし、整備の人間に抜けられた分だけ修理すべき車が残っていくのだから。今川があたふたしていたので、山本が
「すみません。自分達はこういうものです。遠野さんが何かしたというわけではないのですが、捜査に関することでご助言をいただきたく、来させてもらいました。」
山本が警察手帳を見せながら言うと、男性も
「ああ、そういうことですか?でもどのような助言を?」
「車に関してはかなりお詳しいと、この今川が言ってましたので。」
「あ~確かに詳しいですね。わかりました、上司に確認してきますので少しお待ちください。」
男性が走っていくと、山本が
「こういう場合は捜査に協力を願い出る形の方がうまくまとまるぞ。」
「すみません。」
「俺も色々教えてるつもりなんだけどな。」
「竹中さんの言ってたこと気にしてるんですか?」
「何も教えてないみたいな言い方しただろあの人?」
「どういう関係なんですか?明らかに嫌そうな顔してましたけど。」
「まだ武さん達が現場にいたころ、大阪と東京で合同捜査した事件があった。その時に、大阪府警の警部が無茶なことばかりするから、見張ってろと言われたことがあった。」
「その無茶する警部が竹中さんですか?」
「ああ、土地勘がないのに車でどこでも行こうとするは、聞き込みも強引な手段でしようとするは、まったくいい迷惑な人だったよ。」
「その事件はどうなったんですか?」
「竹中さんの集めた情報がきっかけで解決した。」
「すごいじゃないですか。」
「結果だけ見ればな。あれで事件解決できてなかったら、懲戒免職もんだった気がする。まあ、難しい事件だったのに解決したってことに関しては俺もこの人は何だかんだで凄いと思ったよ。」
「じゃあ、何で嫌ってるんですか?」
「別に嫌ってるんじゃない。あの人のノリについて行けないだけだ。」
「ああ、よくありますよね。謎なテンションの人について行けないのは。」
そんなことを話していると、先ほどの男性が戻ってきて
「お待たせしました。まだ少し作業が残っているのですが、あと5・6分で終わるみたいなので、中でお待ちください。ご案内します。」
男性の案内に続いて屋内へと入り、休憩室らしい部屋に案内され、
男性は挨拶をして自分の持ち場に戻っていった。
少ししてからドアが開き、一人の男性が入って来た。今川が立ち上がり、
「遠野さん、お久しぶりです。」
「おう、今川。わざわざ会いに来てくれるとは思ってなかったよ。」
二人の挨拶が終わったところで、山本が
「はじめまして、今川の上司の山本と申します。
本日はお忙しい中すみません。遠野さんが車に大変お詳しいと今川が言っていたので色々と教えて頂きたくて来ました。」
「いえ、私でお役に立てるかどうか。それでどんな内容をお話すればいいですか?」
「最近、テレビ等でも報道されていますが、連続ひき逃げ致死傷事件の捜査をしています。」
遠野が少し驚いた顔をしたのが気になったが、山本が続けた。
「犯行に使用された車の特定が全くできていないことと、人に重傷を負わせるような衝撃を加えれば車の方にも損傷が出ると思われて、今、修理工場などでそのような車がないかを調べていたのですが、該当するものは見つかっていません。
つまり、破損しないような改造が行われているのではないかと思いまして。そのような改造は可能でしょうか?」
「方法はいくらでもあると思います。例えば既存の車体に追加パーツを付ける等ですが、同型車と外見が大きく変わりますし、取り外しも大変だと思います。
かなり特殊な方法としてですが、車体の前面のパーツだけより強い素材で作ることによって外見を変えずに強度を上げることができます。ただこれをしようと思うとかなり専門性の高い技術とその素材を手に入れるだけの立場が必要になりますし、現実的ではないですね。」
「例えば・・・・、遠野さんならその改造はできますか?」
山本が言うと、今川が慌てて
「警部、失礼ですよ。」
「いやいや、いいよ今川。例えばですよね?」
「ええ、別に遠野さんじゃなくても、整備士さんならできるのかという意味です。どうですか?」
「ええ、パーツさえあれば可能だと思いますよ。ただそのパーツを個人で手に入れようと思うとかなり難しいですね。何より、その購入履歴は残りますし、犯罪に使うなら足が付きやすいと思います。」
「そうですか。じゃあ、車体の色を変えるのにはどれくらいかかりますか?」
「車体全体の色をですか?」
「はい、例えばですが犯行後、車体の色を変えて別の車のように見せて逃走したとするなら車体の特定ができないのも納得できるんですが。」
「なるほど・・・・。でも、車体を塗装するための塗料を屋外で使用するとなると、その痕跡は必ず残りますし、どれほど腕のいい人でも1時間以上はかけないと他の車との間で違和感が出ますし、塗装が乾くまでとなるともっとかかると思いますよ。」
「そうですか。ところで、四・五日前って遠野さんどちらにいましたか?」
「それくらいの日なら実家のある京都にいました。友人が結婚することになってお披露目会があったので。」
「警部?」
今川が不審そうにしていたので、山本が
「いえ、整備士ってどれくらいの頻度で休みをもらっているのかと思いましてね。他業種のことをあまりわからないので。最近休みがない俺としては、なんというか不公平感みたいなものがありまして。」
「大変ですね、警察も。」
遠野は笑いながら言い、
「週二くらい休みがありますよ。でも、この前のは有給を一日貰ったので、今週は三日休みですね。」
「うらやましいですよ。」
山本が笑顔で言っているが、今川はまだ不審な目を山本に向けていた。そんな今川に対して、遠野が
「そうだ、今川。お前、警察官僚だったよな。
道交法の改正と新しい信号機の話とか詳しく知らないか?」
「警察官僚ですけど、何ですかその話?」
今川が聞いたことのない話だったので聞き返す。
「近々、法改正がされて、警察の交通関係の取締の様相が変わるらしい。そんでその取締に最新型の信号機を使うようになるらしい。」
山本が気になったので聞いた。
「その情報は誰からですか?」
「私が以前いた部署の同僚からです。新型車の開発を手掛ける部署だったんですが、自動ブレーキとか、車の大きさを変えずに中を広くするためにはとか、あとは自動運転の車の開発とかをしてました。
そういう部署だと、法律が変わってやってはいけないことが増えると開発計画自体がとん挫することもあるので、過敏に反応するんですよ。」
「なるほど。それで、その最新型の信号っていうのはどんなやつなんですか?」
「信号機に超小型カメラを搭載して、50m先から来る車の速度などを計測して、法定速度を超えていたり、違反行為をしている車を判別して写真と時間を残すことができるようになるそうです。
しかもカメラの精度が凄くて、真夜中でもきれいにナンバープレイトから、運転手、同乗者まで写し出すものを搭載するので、警察官が町中でスピードガンもって、取締ったりとかする必要がなくなるみたいです。」
「そんなことできるんですか?」
今川が驚いて聞くと、遠野は笑顔で、
「人工知能の発達がものすごいスピードで進んでるからな。
各信号にAIを搭載して、法令違反に繋がる行為をしている車を見分けて、取締らせるらしい。しかもAIの精度を上げるためという理由で常に動画が管理センターに送られ、記録として残される仕組みみたいだ。」
「監視社会に繋がるという批判が国会で出てもおかしくないような、信号機ですね。」
山本が言うと、遠野は満面の笑みで
「そうなんです。そこが一番不可解なところですよね。
こんなものを全国に一斉に設置する法案が国会を通るはずがない。
でも実際に国会で可決され、近いうちに交換作業が始まると言われてます。」
「どうして、監視社会に繋がるんですか?」
今川が聞くと、遠野はその質問に呆れたような顔をして、
「あのな、今川。昔から思ってたけどどこかぬけてるんだよ、お前は。
いいか、常に動画を撮影して記録を残しているということは、信号自体が防犯カメラみたいになるんだよ。何の罪を犯してない人でも車を運転している姿が国によって把握されることになる。警察がアリバイを確認するのにNシステムを使うことがあるけど、誰がその車に乗っていたかまでは把握できない。
でも、この信号が設置されれば、車で移動するだけでどこかにその人が写りだすし、何時にどこを通ったかでアリバイの有無まで判断できるようになる。」
「さらに言うなら、信号機が日本の至る所にあることを考えて、50m先の車を写すことができるなら、その周辺の歩道や店の様子まで写すことも可能だと考えるべきだ。」
山本が付け加える。今川は二人の言う意味を理解し
「じゃあ、特定の人物の動向を確認することが、この信号が設置されるだけで十分可能になるってことですよね。人権侵害に他ならないんじゃないですか?」
「表向けは、警察官の職務軽減と交通安全のため。あとはシステムの向上のためとうたわれてるけど、その実は国民を管理するための仕組みだと私は思ってますよ。
山本さんは、どう思われますか?」
「そうですね。このAIに前科者の情報やストーカー登録された人物の情報を記録させれば、その人物がどこで何をしていたのかまで丸見えになりますから、昨今、世間を騒がせているような事件は大幅になくなるかもしれません。
ただ、まっとうに生きている人達の情報まで自動で記録され、それが後に何か別の目的に利用されるのではないかと思うと、休みの日にも外に出かけようと思わなくなるでしょうね。」
「面白い意見ですね。そうなれば、今、山本さん達が調べてる事件も解決するかもしれませんね。」
「どうでしょうね。頭のいい人間が首謀者であるなら、システムをかいくぐる術を見つけ出し、同じような犯行を行う可能性はありますからね。」
「それは・・・・・」
遠野が言いかけたところでドアが開き、
「遠野さん、そろそろ・・・」
「ああ、直ぐに戻るよ。」
遠野が答えると、声をかけた男はドアを閉めて出ていった。
「すみません。もう時間みたいですね。お役に立てましたか?」
遠野が聞き、山本が
「ええ、色々教えて頂きありがとうございました。また機会があればぜひお話をお聞かせ願いたいと思います。」
「私などでよければ、喜んで。」
「遠野さん、あなたなら今回の引き逃げ事件どう思いますか?」
今川が聞くと、遠野は驚いて
「それを警察官のお前が一般人の俺に聞くのか?
まあ、そうだな。常識的に考えて、人を車で轢くという行為が正しいとは思わないけど、道路交通法で最高速度が規定されていて、その速度以上で走ってはいけないとあるにも関わらず、速度超過の規定は15キロ以内なら減点1となってる。大体、標識の10キロオーバーくらいなら警察も何か異変がなければ止めることもないだろ。
じゃあ、それは何かというと車が走り始めてからできた慣習みたいなもんで、10キロ以内なら警察に捕まらない、減点になることもないと思って、速度を超過してる。
そういうあまえが、さらに速度を上げて、運転操作を誤ったり、事故につながるんじゃないかと俺は思う。
でも、安全に運転できる速度を定めているのに、それを守らずに、守っている常識のある人間を煙たがるような奴の方がこの世の中には多いと俺は思ってる。
そういう意味では、安全な速度を守らせるためにも、この信号は必要な物だ。常に監視されていれば悪いことなんて起こそうと思わない、関係のない人間が巻き込まれる悲惨な事故も起きなくなると俺は思う。」
「ありがとうございます。お時間頂いてすみませんでした。」
「何だ?もういいのか?」
「ええ、遠野さんが考えてることも理解できた気がします。あとは僕がこの事件を解決して見せます。」
「お、おう、そうか。じゃあ、私は仕事に戻りますね。」
そう言って、遠野は頭を下げて出ていった。今川もその遠野に向かって頭を下げた。