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第一部

「ハァ、ハァ・・・・」

 男は振り返りながら、後ろを確認している。何も来ていない、男は、

「フウ、」と息を吐き、立ち止まって、携帯を見る。町中にいるはずなのに、携帯はずっと圏外のままだ。男は人通りの多いところを目指そうと走り出し、角を曲がったところで、自分の体が宙に浮く感覚を覚えた後、地面に激突する。

強烈な痛みが襲う中、男の目には、黒塗りの中型車に、『鬼引き』と書かれているのだけが写っていた。


「警部も手伝ってくださいよ。」

山本警部は、警視庁に新設された捜査課の部屋で椅子に座り、コーヒーを飲みながら、新聞を読んでいた。上田警部補に話しかけられたので、新聞から目を離すと、部下の三浦・今川・加藤・藤堂が段ボールを小走りで運んでいる。

異動命令を受けて、警視庁勤務になったものの、まだ人員の補充がされておらず、山本をあわせた6人で広い部屋に資料などを運び込んでいる。

「人が足りてないんだから、警部も手伝ってください。」

 上田が先ほどと全く同じことを繰り返した。山本は持っていた新聞を上田に見せて聞いた。

「この事件どう思う?」

「この事件って、ただの事故じゃないですか?」

 上田が見る限り、ひき逃げ事故の記事だった。

「この被害者は?」

 山本の問いがわからず、言われるままに被害者の名前を確認する。

「新山武、誰ですか?」

「二年前の捜査中に、たまたま信号無視の速度違反者捕まえたことあっただろう、そいつだ。」

「ああ、あの態度だけでかくて、言ってること無茶苦茶で、面倒だった。そう言えば、警部が交通課と仲悪くなったのもこいつが原因でしたね。」

「あ?そうだったか?」

「そうですよ。管轄が違うだろうとか言って来た交通課の主任にぶちぎれてたじゃないですか。しかも、新山が仮釈放中だったことで、その担当保護司が警察OBだったとかで、結局不問にされたとかいうので、かなり怒ってましたよ、警部。」

「まあとりあえず、あいつだ。」

「でも、被害者の名前なんて新聞に載るんですね。加害者なら見たことありますけど。」

「まあ、死んでるからな。」

「えっ、ひき逃げの死亡事故だったんですか?」

 上田はそう言って、新聞記事を読み直していると、

「上田さん、ミイラ取りがミイラになってますよ。」

 三浦巡査部長は、片づけを手伝わない警部に一言言って来てくださいと、上田を向かわせたところ、上田も片づけをやめてしまったことに文句を言った。

「ただのひき逃げでしょ?何か他にも気になることでもあるんですか、警部?」

 三浦に聞かれた山本は、

「この新山って奴は、結局、保護司に対する暴行で、仮釈放が取り消され、つい先日出所したばかりだったみたいだな。」

「誰かが意図的にその新山って男をひき殺したとお考えなんですか?」

 三浦がうんざりした感じで言い、上田も

「ちょっと、無理があるんじゃないですか?それにうちの課に捜査命令が来るとは思えませんよ。ただでさえ人数が少ないのに、交通事故の捜査なんて無理ですよ。」

 山本がドアを背に座っていたため、新聞を覗き込む、上田と三浦も必然的にドアを背に立っていた。さらに新聞の内容を確かめていた上田と三浦は自分達の目の前にいる今川・加藤・藤堂の一瞬の敬礼に気づかずにいた。敬礼された人間はゆっくりと3人の背後に立ち、言った。

「人員を回せないことに関しては本当に申し訳なく思っているよ。」

 上田と三浦は声に驚いて振り返る。山本はゆっくりと振り返って、

「上杉刑事部長、今日はどのようなご用件ですか?」

「その呼び方はやめろよ、山本。まあ、でも俺はここの課長も兼任だからな、片づけ具合を確認に来たんだけどな。」

 上田と三浦は、今川達の方に向き、目線だけで早く教えとけよと送る。今川達も気づいたのか首を横に小さく振った。

「まあ、上田君・三浦君、彼らを責めないでくれよ。俺が静かにしろって感じで入って来たからな」

 そう言って、上杉は口の前で人差し指をたて、「シィー」と言った。

「で、上杉さん。本当の用件は何ですか?」

 山本が聞くと、上杉は

「部下との親睦を深めるために来たとは思わないのか?」

「仕事が山積みの刑事部長が、そんな暇ないでしょう?」

「違うな。俺の仕事は片付いてるんだよ。

武さんがダラダラしてハンコおしてくれないだけで。」

「それで?」

山本が聞くと、上杉はやれやれといった感じで、

「その事件についてだが、正式に警視総監から捜査命令が出た。この事件がこの課、初めての事件になる。」

「ただのひき逃げじゃないってことですか?」

 上田が聞くと、上杉が後ろ手に持っていた封筒を開け、一枚の写真を取り出して上田に渡した。

「お、鬼ひきですか?」

「さあな。なんて読むかはわからないが、鬼に引くとかいて「鬼引き」っていうのだけは写真から読み取れる。」

「何の写真ですか?」

山本が聞く。

「事件現場付近の目撃情報に、黒の中型車が猛スピードで走っているのを見たというのがあり、付近の防犯カメラをチェックしたところ奇跡的に、この一枚だけ鮮明に見れたんだよ。」

「でも、その証言だけでこの車が加害者のものだとは言えませんよね?」

 三浦が聞くと上杉は笑顔で

「確かにそうだ。さすが優秀な奴ばかりで助かるよ。」

「いえ、そんなことは・・・」

 三浦が恥ずかしそうに言い、それを見た山本があきれた感じで、

「他にも似たような事件が起こってるんですか?」

「ああ、今回の事件は被害者が死亡しているが、他の事件では重傷者は出たものの死者は出てなかった。

もしかしたら、組織的な連続ひき逃げ致死傷事件かもしれない。」

「どうして、組織的なんでありますか?」

 事件の捜査ということで、片づけを途中でやめ、今川達も山本の周りに集まっており、加藤が聞いた。

「バカなんですか、加藤さん。そんな目立つロゴが入った車の特定に時間かかりませんよ。まだ何もつかめてないということは、そういう改造とかが得意な人が仲間内にいるってことですよ。」

 藤堂が言うと加藤が

「お前、バカは言いすぎだろ。」

 ケンカになりそうだったので間に今川が入り、

「加藤、刑事部長の前だ。それに藤堂も言い過ぎだよ。」

 加藤・藤堂は「すみません」と言って少し距離を置いた。

「いやいや、元気があっていいじゃないか。

それに藤堂君の言う通り、警察は車の特定もできていないし、目撃情報もほんのわずかで、まったく情報がないのと変わらない。

近頃はいたるところに防犯カメラがあるのに、その車の映像はほとんどない。

となると、事件の時だけそのような見た目にしている可能性が高い。個人でその車の改造等を行うには時間が足りないだろう。大人数で一斉に改造して、全く違う車として逃走しているに違いない。」

「わかってることはそれだけですか?」

 山本が聞くと、上杉は、封筒から資料を取り出し、山本に渡し、

「被害者側にも共通点があった。」

 山本は渡された資料に一通り目を通し、

「全員、前科者ですか。」

「ああ、この共通点から、『鬼引き』の『鬼』が前科者を意味すると仮定するなら、その対象者は、全国に何万人といることになる。

 他にも防犯カメラに写ってた映像では、必死に逃げる新山の姿と、新山が走り去った場所を猛スピードで走る黒い物体の影が見えた。

 出会い頭に轢いてるんじゃなく、対象を追い詰めて轢いていることが、ここからわかる。」

「計画的に、対象の足取りをつかんで、追い込み、危害を加えているということか。」

山本がつぶやくと、

「でも、たまたま前科のある人が、交通事故に遭っているだけで、その新山だけが誰かに意図的に狙われたという可能性もありますよね?」

 上田が聞くと、上杉は別の資料を出し、

「これは、事故に遭って重傷を負った被害者の聴取だ。全員がいきなり後ろから車が来て、逃げたら追いかけてきたという内容の証言をしている。

 そして、さらに共通するのがこの『鬼引き』の文字があったということだ。」

「決まりだな。連続ひき逃げ致死傷事件として捜査だ。」

 山本が言うと、全員が「はい。」と言い、上杉が

「この課、初めての事件だ。知りたい情報があれば俺に言ってくれれば、すべて用意する。いまだに自分の管轄だからという輩が多いが、そんなことでは後手後手の捜査しかできない。被害者を減らし、事件の早期解決を目指すために新設された特別犯罪捜査課だから諸君も気を引き締めて捜査にあたってくれ。」

 山本も含め全員が敬礼で返した。



「刑事部長って、いつも、しかめっ面で怖い印象があったんですけど、実際に会うとそうでもないですね。」

 上杉が帰った後、片づけを途中でやめ、全員で昼飯でも行こうと、部屋を出て警視庁内を歩いている時に、藤堂が言った。

「基本的には、難しい顔してることが多いけど、部下には優しい良い人だよ。藤堂が見るのは大体、武さんと一緒の時だろ?」

 山本が聞くと、藤堂が

「そうですね。総監と一緒におられるところをよく見かけます。」

「武さんは、上杉さんを困らせて遊んでるからな。上杉さん本人も、そのことをわかってるからいつも怒ってるんだよ。」

「なるほど。」藤堂が言い

「それほど、総監と刑事部長の仲が良いということですよね。」

 今川が言う。山本も「そうだな」とだけ言って歩いていると、

「藤堂。」

 大きな声で藤堂を呼び、手を振りながら近づいてくる男がいる。その場にいた今川以外の全員が藤堂の方を見ている。藤堂は面倒そうな顔で、少し手を挙げて振り返している。その光景に驚いていると男が近づいてきて、

「お久しぶりです、今川さん。他の同僚の方も一緒でしたか。」

「久しぶりだね、大谷君。」

 今川が返して、山本から順に紹介した。それを聞いて、大谷は

「はじめまして、藤堂の同期で、今、捜査一課にいます大谷です。」

 そう言って、大谷は軽く会釈した。今川が山本に向かて

「石川議員の殺害に関する情報をくれていた藤堂の同期です。」

「ああ、その節はありがとうございました。頂いた情報のおかげで、色々と捜査が進みましたから。」

「いえ、お役に立てたならよかったです。それに、職場であまりうまくいかない藤堂がこんなに楽しそうに歩いてるのも初めて見れましたから。」

「うるさいんだよ、大谷。いらないこと言わなくていいよ。」

 藤堂はよほど恥ずかしかったのか、顔が真っ赤になっていた。山本はそれを見て少し笑ってから、

「大谷さん、俺らに情報を流したことで、あなたに迷惑をかけてしまったんじゃないですか?」

「そうですね。まあ、異動にはなりましたが、元々、異動の時期だったので、そこまで迷惑かというとそうでもないですね。」

「えっ、次どこだよ?」

 藤堂が慌てて聞くと、大谷は笑いながら

「そんなに俺と離れたくないのかよ?」

「そんなこといってないだろ。」

「まだ、決まってないから何とも言えないんですが、どこも人不足ですからね。」

 大谷はあくまで楽しそうに話している。山本は、自分たちのせいで不利な立場に大谷がなったのではないかと心配していたがその様子もなく安心した。

「これから、飯に行きますけど、大谷さんも一緒にどうですか?」

 上田が言い、藤堂が聞く。

「何でですか?」

「それは、あれだよ。・・・・捜査に協力してくれたお礼を・・・、なっ三浦?」

「ああ、そうですね。お礼をすることは大事ですね。

 別に藤堂のことをいじりたいから、誘ってるわけじゃないですよね、上田さん。」

「その目的しかないでしょ、怒りますよ二人とも。」

 藤堂たちのやり取りを少し離れて見ていた山本に大谷が近づき、

「ありがとうございます。」

「何がですか?」

「藤堂は、良い奴だし、正義感も人一倍あって、優秀な奴なんですけど、人とのコミュニケーションが苦手で、打ち解けてからじゃないと笑顔も見れないくらいの奴なんです。それがあそこまでたくさんの人と笑いあってるのを見るとなんだか僕も嬉しくなりました。この間、今川さんと一緒に藤堂が来た時も、今川さんにとてもなついているなと思って嬉しくて、二人がそろって帰るのを見て、ひとりで笑ってました。」

「お母さんみたいですね。」

「あはは、せめてお兄ちゃんぐらいにして欲しいですね。でも、本当に嬉しいですよ、僕とだけしか話せてない頃の藤堂は常に自分一人で抱え込んでましたから。ぶつけあえる仲間っていうか、そういった感じがしますもんね。」

「で、どうしますか、飯行きますか?」

「すみません、まだ仕事が残ってますし、あの輪に入るのはまだ早いと思いますから。」

「どういう・・・・」

 山本が言いかけたところで、藤堂が駆け寄ってきて、大谷を反転させ、背中を押しながら言った

「もういいから、仕事戻れよ。」

「わかった、わかった。」

 そう言って、上田達に向かって

「すみません、まだ仕事もありますし、また今度誘ってください。」

「今度もないよ」

 藤堂が言うと他の全員が笑い、

「それじゃあ、失礼します。」

 頭を下げて、大谷は人ごみに消えていった。

「残念だよな。藤堂の恥ずかしい話とかも知ってたんだろう?」

「ないですよ、そんなの。」

 その様子を見ながら、山本は笑い、そして、

「早くいくぞ、今日はおごってやるよ。」

「マジですか?」

 上田が聞く。三浦が

「何かいいことありましたか?」

「まあ、藤堂に友達がいたことが分かった記念だな。」

「いいですね。」

「警部までやめて下さいよ。」


「交通事犯のうち、過失致傷などの犯罪の認知件数は、60万件くらいあり、その半数くらいが検察によって起訴されている。過失が認められれば、懲役を免れ、執行猶予が付くことも罰金や示談で和解することだってある。

 暗数に関しても、予想もできないくらいあるだろう。

交通犯罪ほど、野放しになっている犯罪はない。現在、日本に走っている車の台数を正確には言えないが、その台数のすべてを警察が把握し、取締ることなど不可能だろう。」

「そうだと思います。ただでさえ、最近の事件によって多数の退職者を出し、20万人近くいた警察官も、15万人ほどにまで減少しました。

 警察組織は改革を行ってはいますが、まだその成果は日の目を見ていません。」

「我々が望むことは、これ以上、被害者を出さないこと、突然、家族を失うような悲劇を繰り返さないことだ。」

「今までも、犯罪によって社会の問題点が浮き彫りになり、そのたびに修正するための改革を行って来ています。今も、ひき逃げ事件が連続で発生して、その事件についての報道が目立つようになってきています。

 事件の解決に伴って、交通犯罪の怖さや被害者・ご遺族の悲しみが社会に認められれば、社会を変革することができるでしょう。」

「本当にそうだろうか?今までも大きな事故があっても、ほとんど何も変わらず、新しい悲劇を生んできたのではないか?小手先の改革は何も変えないのと一緒だろう。」

「おっしゃることはわかります。でも、変えて見せます。私が変えます。どうかこの黒木俊一にお任せください。

事件の詳細が分かっていないのでまだ、どこをどう変えればいいのかはわかりませんが、必ず事件を解決してくれる刑事を私は知っています。事件の詳細に合わせて、さらに、これまでの悲劇の内容も併せて、被害者の会の皆様のご期待に応えてみせます。」

「そんな刑事がいるのか?」

「はい、新設された特別犯罪捜査課の山本勘二警部は、私の大学の同期で、親友です。彼は今までも難解な事件を解決してきた、この国の救世主です。」

「救世主・・・か。期待しているよ、黒木君」

「ありがとうございます。」

 黒木は頭を下げたが、その口元には笑みが浮かんでいた。


「黒の中型車か・・・・」

 上田がつぶやくと、横で片付け作業をしていた加藤が、

「どうかしたんですか?」

「いや、確か『坊ちゃん狩り』の時に、覆面集団も使ってたなと思ってさ。」

「その車見つかったんでしたっけ?」

「いや、車の手配をしたのが金原雄介だったから、吉本さんにはその車の出所がわからないってことで、今もまだ見つかってないよ。運転手も含めてな。」

「まだ捕まってない、犯人グループがいるってことですか?」

「どうだろうな。誰がいつ参加したかまでは、吉本さんも知らなかったし、みんな覆面してるから誰が誰かわからなかっただろう。何より団結力が強くて、お互いにかばいあってる部分があるから、そのへんの役割の人が捕まってても名乗り出てないだけかもしれないからな。」

「警部が、黒木議員をバックにした犯罪組織があるみたいなこと言ってましたけど、今回もその関連の事件なんですかね?」

「どうかな。あと加藤、警部はそこまでは言ってないぞ。」

「二人とも手を動かしてください。」

 三浦が大きな荷物を運びながら言い、通り過ぎていく。

「あの車が今回も使われていたとするなら、関連は出るけどさすがにそんな証拠は見つからないだろう。」

「そうですね。」

 三浦に言われた通り手を動かすことに集中することにした二人だった。


「初めまして、検察官の浅井(あざい)です。」

「弁護士の朝倉です。」

「どうも山本です。」

 山本は片付けの途中で、「客が来た」と伝言を貰い、二人の男を出迎えた。

浅井と名乗った検察官が、

「お忙しいところすみません。私と朝倉は、元三橋ゼミ生で、今は五條の事件に関して、検察官と弁護士の立場で関わっています。この間も五條の依頼であなたとの面会を融通しました。そのことに関しては、私情を持ち込んだと思われたとしても仕方ないことをして申し訳ありませんでした。」

 浅井と朝倉は頭を下げた。山本が

「で、そのことを謝罪するために来られたわけではないですよね?」

 その問いに答えたのは朝倉で、

「はい、山本さんから新たな証拠が出たとの報告を受け、その証拠について詳しく教えて頂きたく来させていただきました。」

「あの証拠は、使えないと思うんですが?」

 山本が言うと、浅井が

「すみません、我々もまだ内容やその証拠の経緯まではわかってないので」

「わかりました。あの証拠に関しては、五條の後輩である斎藤勤という人物からの私に宛てた手紙でした。

斎藤勤に関しては、五條本人が面会中に調べてみればいいと言ったので調べました。残念ながら斎藤の情報をつかんで、会いに行ったころには、斎藤は事故で帰らぬ人になってましたが。」

「それで、内容は?」

朝倉が聞く、山本は面倒だなと言った感じで

「五條の事件への関与と、罪悪感に苛まれていること、そして、五條への恩について書いてありました。現物を提出してもいいのですが、証拠能力が薄く、本人が死亡していることから真実は、五條しか知らない状態です。五條が、わざわざ斎藤の関与を認めるわけありませんから、結局、何の意味もない、ただ私にのみ語ったことでしょうね。」

 浅井が、

「一度見せて頂けますか?」

「わかりました。少し待っていてください。」

 そう言って、山本が席を離れ、

「どう思いますか、浅井さん。山本さんの言う通りなら、証拠能力はないですし、何より五條は全ての犯行に関しては、自分一人で行ったことと主張してます。

 新たな共犯者が出たところで、裁判は変わらないと思いますよ。」

「朝倉、弁護士として、波風立てたくないのもわかるが、単独犯では説明しきれない部分が多々あることぐらいお前もわかってるだろう。それに死亡しているとはいえ、犯罪者を野放しにはできない。それが検察官である俺の正義だ。」

「でも・・・・・」

「お話し中すみません、例のものはこれになりますね。」

 山本が戻ってきて、手紙を渡す。浅井・朝倉は手紙を覗き込んで、内容を確認している。

「これで全部ですか?」

 浅井が聞き、山本が

「何かご不満でも?」

「手紙の書き始めが『拝啓』なのだから終わりは『敬具』等の文字で締めるのが普通です。でもこの手紙にはそれがない。」

「斎藤が、その『普通』を知らなかったのではないですか?」

「常識的なことです。斎藤の様に会社を経営していた人物であるなら、なおさらそういった礼儀的なことには通じていなければいけない。」

「浅井さん、話がそれてますよ。」

 言い合いに耐え切れなくなった朝倉が制止する。

「ああ、悪いな朝倉。すみません山本さん、我々も手紙がこれで終わりなのだとするなら、それはそれでいいんです。でも、何かまだ隠されていることがあるなら、これを証拠としたときに山本さんにご迷惑がかかると思って聞いているんです。」

「それに続きがあるとするなら、どんな内容だというんですか?」

 山本が聞くと、答えたのは朝倉で、

「僕は斎藤の同期です。あいつはまっすぐな奴で、でも、尊敬できる人の言うことなら、何でもうのみにする馬鹿な奴でもありました。五條さんの犯行に加担したなら納得はいきます。昔から五條さんのことを尊敬してましたから。

 でも、その半面で自分の会社の人達にも思うことがあったんじゃないか。

罪悪感に堪えられるほど強い奴でもありませんでした。

 以上のことから、あいつは事故で死んだのではなく、自殺したんじゃないかと思います。犯罪に加担したうえ、自殺したとなると会社の人に迷惑がかかると思った。だから公表を避けてほしいとでも書いてあった。」

 朝倉は真剣な顔で、山本を見つめている。山本もその顔をまっすぐに見返して、

懐から、もう一枚の紙を出した。

「朝倉さんの言う通りだ。斎藤は自殺した。俺は斎藤勤という男を情報でしか知らないけど、それでも、こいつの頼みを聞いた方がいいと思うほどの、人間性があいつの会社の人間と話すだけで伝わって来た。

 社員からの信頼と尊敬、子供のころから知っているというベテラン社員にはバレてたようだが、これ以上、斎藤勤という男の評価を下げる必要はないと思った。」

 朝倉は頭を下げ、

「ありがとうございます。あいつは本当に馬鹿でまっすぐで、でも誰もが寄っていくような温かさがあったんです。」

「朝倉、この手紙は二枚セットじゃないと、証拠としたは扱えない。」

「そんな・・・・・」

浅井が言い、朝倉が愕然とする中で、浅井が

「だが、この手紙自体に証拠能力がなさすぎる。裁判所に提出したところで、意味がないような物だ。途中から何の根拠もない妄想が入ってるだろう。

 これでは、お前の依頼人である五條の利益にはならない。俺とお前のお互いにとって不利益でしかない証拠を持ち出すことはできればしたくない。」

「浅井さん・・・・」

「確かに妄想と判断された部分については、根拠がありませんから仕方ありませんね。」

 山本が言う。朝倉は山本の発言の意図を読み取ったのか、

「浅井さん、山本さんありがとうございます。あと、正式にこの手紙は証拠能力に乏しいと判断しましたので、裁判への提出はしないということでよろしかったですか浅井検察官?」

「ああ、俺は異論なしだ。この手紙を見つけた警察官の山本さんがそれでよければですが?」

「俺も異論なしだな。少なくともこの元凶と言われる人物の特定ができなければ、俺はこれを世間に公表するつもりもなかった。」

「『元凶』は存在するということですか?」

 朝倉が聞くと、山本はうっすらと笑みを浮かべて、

「逆に、あなた方個人として、斎藤の言う『元凶』は誰だと思いますか?」

「出会っただけでその人を間違った方向に導くことのできる人物ですか。難しいですね。」

「さらに絶対に捕まらない人ですよね?」

 朝倉が不安そうに言う。浅井が、

「よほど権力を持った人物か、あるいは、既にこの世にいない人物なのかもしれませんね。」

「偉人とかですか?」

 朝倉が聞くと、浅井は笑いながら、

「いや、斎藤だって死んでるから捕まえることができないわけだろう。確かにヒトラー等の思想に感化されてテロを行う人物がいたり、宗教の教えを誤解して、テロを行うグループもある。そういった意味では、もしかしたら元凶と呼ばれる人物もそういった人かもしれないな。」

「『出会って』の部分から、現代に生きていた人物であることは確かだと思いますよ。」

 山本が言うと、浅井は笑いながら

「冗談ですよ。」

「黒木俊一議員はどうでしょうか?」

 朝倉が急に言った。浅井が、

「なぜそう思うんだ?確かに優秀な人物であるし、国会議員でもあるが、そこまでの影響力は、まだないだろう?」

「でも、五條さんや坂本さんだって、黒木議員と出会ってから、少しおかしくなってませんでしたか?」

「いや、あの二人はもっと前から他の奴とは違う感じだったぞ。そうだな、あの・・・、何だったかな、あいつらの二個下くらいの変わった奴とつるみだした頃には既にあんな感じだったろ。」

「そうでしたっけ?」

「その二個下の変わった奴って誰ですか?」

 山本が聞くと、朝倉が、

「あの三橋に追い詰められて自殺した影山ですよ。」

「影山・・・・・・ですか。」

「まあ、黒木さんが元凶と考えるのもわかるけどな。最近の事件の関連法案は全部あの人が主導で作成されている。そのために犯罪を起こしていると考えても納得がいくからな。」

「お二人は、黒木とは親しくないんですか?」

「ええ、黒木さんとは基本的に考えがあいませんからね。完全犯罪はない。三橋と一緒なのは嫌ですが、完全犯罪を生まないために法曹人は存在しているんですよ。」

 浅井が言い、続けて朝倉も

「どっちかって言うと僕も、黒木さんの論文よりは、三橋の盗作したあの欠陥刑法の論文の方が共感しますね。あれを書いた人は天才だと思いますよ。」

「ありがとうございます。でも、そんなすごい人間じゃないですよ。それじゃあ、俺は仕事に戻りますので、その手紙に関してはお預けします。必要なければ、特別犯罪捜査課に送ってください。」

 山本は席を立ち、だるそうに部屋から出ていった。部屋に残った二人はしばらく意味が分からずに、固まっていたが、

「えっ、もしかして山本さんが書いた論文なんですかね?」

朝倉の問いに、浅井は

「そう・・・・なんじゃないか?」 としか返せなかった。


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