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想いの裏切り

「あぁ、本当に残念だ」


 アリアの太陽のように明るい表情は、正反対の暗闇に染まって行く。


 ウェンはトレイルに渡されたばかりの剣をゆっくり抜く。


 太めに打たれた刀身は金属光沢を放ち、威圧感を共にしてアリアの目に入った。


 何の冗談か、彼女は真っ青の顔色から身体は硬直してピクリとも動かせず、目を見開いて凶器を構えるウェンを見ていた。


「お前が着いて来れば、向かった部隊が危険に晒される。一人の愚図が全員の死を招く......それなら、いっそ此処で死ね」


「......そん、な......嘘......」


 アリアはその光景を見ても尚、信じられなかった。

 信じたくなかった。否定したかった。認めたくなかった。


 彼の目は、何度か見た殺意が込められていた。


 これまで、その目を向けられた者は例外無く殺された。

 敵に対してのみ向けられる純粋な敵意を凝縮した視線。


 恐ろしくも頼もしかったその眼差しは、今まさに自分に対して向けられている。


 その事実を、アリアは信じたくなかった。


 その事実を、嘘だと思いたかった。質の悪い冗談だと、いつもの自分を叱る口だけの行動だと思いたかった。


「......や、やだよ。そんな。嘘、冗談、だよね......?」


 震える手足は、すり足で一歩分後退りした。


 きしくも、恐怖に支配されたアリアの表情は、今までウェンが殺してきた敵の最期と同じ表情をしていた。


 恐怖、怨嗟、苦痛に歪む敵達の顔を、アリアは再現していた。


「お前には行かなきゃならない場所があるんだろ、とっとと俺達から離れて行けば良かったんだ」


「そんなのっ、私だけ逃げるみたいな真似、出来るわけないよ......!」


「......馬鹿が」


 ウェンの呟きはアリアに届かず、勢いをそのままに彼女は続けて口を開いた。


「そんなのっ......!」


 アリアの絶叫に合わせて、ウェンは剣を振るった。


 か高い音が廊下に響く。

 一振された剣はアリアの頭の横、彼女のサイドテールを纏めている髪飾りを砕き、尻餅をつかせた。


 年季の入った髪飾りは砕かれ、幾数もの破片となって廊下に散らばった。


 纏まりを失った髪は乱れ、肩甲骨の辺りまで伸びる橙色の髪が舞った。


「う。あ、あ......」


 口からは言葉も出なかった。

 真っ青な顔で、恐怖に染まった表情で、手足の震えで床を撫でている。


 ウェンは一歩踏み出した。

 その際に彼女の髪飾りだったものを踏み砕き、ゆっくりと見下した。


「......これが最後だ。俺の前から消えろ。じゃなきゃ......」


 アリアの眼前に剣先を向けた。


「殺す」


「っ、ひっ......あ、あああっ......!」


 溢れた涙を零し、愛想の良さが特徴的な彼女は、震える手足に鞭を打ち、命からがらその場を逃げ出した。


 小さくなる仲間だったアリアの背中を悲しそうに見つめ、ウェンは振るった剣を鞘に収めた。


「優しくなったもんだな、お前」


「......なんだ、見てたのか」


 背後から忍び寄ったのはトレイル。

 一連の光景を見てもなお、表情一つ変える事無く、彼に近付いた。


「いや、甘くなった、と言うべきかな。以前の君なら本当に斬り捨てていたよ」


「忠告してただろ。あれ以上ワガママ言うってんなら、殺してた」


「どうだかな。このままあの子が着いて来れば、リリアノだけでなく彼女も危険に晒される......元兵士もお優しくなったもんだ。まぁ、そんな事より、ミハエルがさっきの中庭に来て欲しいと言っていた」


「......またか、まぁいい。ネクロを殺したら戻って来る。それまでリリアノの側に居てくれ」


 トレイルから離れ、ウェンは中庭へ向かう。


「ウェン!」


 珍しく声を荒らげたトレイルに気を取られ、振り向いた。


 そして、トレイルは息を大きく吸って、吐いたかと思うと、


「リリアノは目を覚ます。ネクロを倒せば、また帰って来る筈だ」


 それは真剣な眼差しだった。

 嘘を吐いている訳でもなく、冗談半分と言う訳でもない。


 締め上げた医者から吐かせた言葉と正反対の意味を成す彼女の一言に、ウェンは暫く固まった。


「......本当なのか?」


「私は嘘は吐かない。それとも何か、私が信用出来ないか?」


 とても重い言葉だった。

 信用とは軽々しく口に出来るものではなく、その一言は二人の中にある目に見えない繋がりを形容しているようだ。


 互いに深く理解し合っていないと、信用なんて言葉は出ない。


 自信に溢れたトレイルに応えるように、ウェンは口を開いた。


「信じるさ。今までだってそうしてきた」


「そうだ、それでいい。ネクロ討てばリリアノは助かる。だから早く倒して来い。待ってるぞ」


 トレイルは微笑み、満足して振り返って病室の方へ向かった。


 心做しか元気づけられた気持ちのウェンは、何やら軽くなった足取りで中庭へ歩みを進めた。


----


「来てくれたか。待っていたぞ」


 中庭に出ると、立ち直ったミハエルが迎えた。

 整列した騎士達の一番前で、しきりに指示を出していた。


 指示を出された騎士や兵士は、忙しなくその命令をこなそうと動く。


「そりゃな、ネクロの情報を知ってるのは俺だけだ。俺がいなきゃ始まらねぇだろ」


「その通りだ。そして、今からネクロ討伐に向かう。君と僕と、それから......」


 ミハエルの台詞を遮って、視界の隅から猛スピードでウェンに近付く一つの影。


 影はその速度を緩めず、一直線に突進し、その人物は剣を振るった。


 神速とも言える速度にウェンは対応し、剣の柄で辛うじて防御した。


「っ、誰だ!?」


 視界の隅から隅に移動する、自身より一回り以上小さい影。

 僅かな金属音と、地面を蹴る砂利の音。


 鎧の金属音を響かせ、もう一度ウェンに攻撃しようと跳ねた。


「二度も、喰らう、か!」


 今度は完全に見切った。

 細身の剣の攻撃を刃で防ぎ、身体を捻って鳩尾に蹴りを入れる。


 鎧の上からでは大したダメージは与えられないが、対象との距離を離す事には成功した。


「......誰だ、お前」


 相対する二人。

 襲い掛かって来た血の気の多い人間は、全身に鎧を身に纏って、頭には鉄仮面まで装備しており、肌一つ見えない。


 身長は小さめで、レイピアのような極細の剣をその手に持っている。


「誰だ、か。名前を聞く時はまず自分から、と言う常識を知らないのか?」


 挑発的なソプラノボイスには、未だ幼さが残っているのを感じる。


「いや、お前の名前は必要無いな。何故なら今からここで死ぬからだ、よくもここまで私達騎士をコケにしてくれた。ネクロ」


 右手には剣、左手には短剣を構える。

 鉄仮面から覗く瞳には、好戦的な光が垣間見えた。


「......おい、何だコイツ。迷子?」


「お、おいサラ。止めるんだ、ソイツはネクロじゃない。協力者のウェンだ、さっき話したろ」


 指をさして小馬鹿にした態度のウェンと、サラと呼ばれた鎧の騎士を諌めるミハエル。


 ミハエルの言葉にサラは一時的に構えを解いてウェンを四方八方から見渡した。


「......いいえ、嘘ですね。こんな人相の悪い協力者がいますか! この目付きは敵側の人間ですよ、間違いない」


 鉄仮面で表情は見えないが、警戒していることは間違いなさそうだ。


 ウェンは「アリアと似た空気を感じる」とこの先の展開を予想し、溜め息を吐いた。


「それが間違いなんだって......いいから言う事聞いてくれよ......」


 頭を抱えるミハエルを見て欠片ばかり同情すると、


「で、コイツは何なんだよ」


 コイツ、と呼ばれた事にカチンと来たらしく、ウェンの遥か下から睨みを向ける。


「この子は僕の後輩、一応白翼騎士団の一人、サラだ。ほら謝るんだ」


「はぁぁー......すっみませんでしたァ」


 顔どころか目元すらまともに見えないが、反省していないことは言葉尻から理解出来た。


 そっぽを向いて、地面を蹴って剣を仕舞う彼女を見て、苛立ちを覚える。


「......コイツすっげぇムカつくな。流石の変人集団。で、ネクロ討伐に行くもう一人ってコイツの事なのか?」


「そうだ、此処の防衛が最優先で、僕達三人に加え、六人の兵士達討伐隊は少数精鋭で奴を倒す」


「精鋭、ね......」


 まるで疑うようにサラを見ると、未だに自身に対して威嚇行為を行っている。


 それは先程自分が裏切った、一人の少女を思い出す行動だった。


 アリアの人懐こい笑顔が、苦痛と恐怖に変わって行く様を見て、大切な掛け替えのないモノを壊してしまったような、取り返しのつかない決定的な一撃を与えてしまったようで。


 何とも言えない後悔のような、罪の意識のような感覚に襲われ、ウェンは拳を握った。


 「らしくない、らしくない」と切り捨てた者に対して描いた事の無い感情に、名前は付けれなかった。


「まぁいいさ。で、いつ向かうんだ? 早いに越した事はないが」


「今からだ。当たり前だ。これ以上街を、国を、人々を危険に晒すわけには行かない」


「そりゃ、お前らしいな。最もだが」


 安易に組まれた一行は城を出た。

 これは最後の戦いになるだろうと言う予見と共に。


 帰路の際、英雄の凱旋となるか、更なる脅威の襲来となるかは、未だ誰にも分からなかった。


 リリアノは目覚める。

 トレイルの言ったなんの根拠も無い話に、それを糧にウェンは動いている。


 一つの希望。いくつもの大切なモノ達を切り捨ててきて、一つの守りたいものすら守れなければ、その時は--


 自分が終わってしまうような気がして。


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