八つ当たり
心配は結果的には無駄になった。
敵からの追手も、罠も何も無く、リリアノを乗せた馬車は王国の城まで辿り着いた。
王国兵かかりつけの医師にリリアノを預け、ウェンは傷の手当もロクにせずに部屋を出た。
絨毯が敷かれた廊下の端で、力が抜けたかのように座り込んだ。
行き交う人間は血や泥で薄汚れたウェンを見て顔を顰める。
医者の診断を待つ間、気が気でない様子の彼は、ふと天井を見上げた。
「......なんだ、居たのかお前」
見上げた先には見知った顔。
凛とした顔付きをしているが、どこか頼りない雰囲気を醸し出しているのはミハエル。
目は少しばかり濁り、顔色は土気色をしている。
「汚い格好の男が、この騎士宿舎に侵入していると聞いてね」
「ネクロに次いで大変だなお前らは。生憎だがここにはそんな奴居ないぜ」
「よく言う。......怪我、してるんだろ。治療を受けてはどうだ」
ミハエルの提案に、ウェンは身体を少し動かしてみる。
怪我した身体を労ると言うより、まだ動く事の再確認のように、突っ張る皮膚と軋む筋肉を無理矢理動かした。
「いや、大丈夫だ。大した事ねぇ」
それを証明するように立ち上がる。
「ならいいんだが......あれ? 僕が貸した剣は?」
立ち上がったウェンの腰元を見て、青ざめた表情をして彼の顔を見上げた。
「リリアノ、無事だといいが......」
「人の話を聞けよ! あれは僕の初任給で買った思い入れのある剣なんだぞ! 貸した筈だろう、何処に行った!」
「折れたから捨てた」
「おれっ......!?」
シレッと悪びれず宣うウェンに、ミハエルは拳を握り締めた。
「おっ、おまっ、ふざけるなよ! 僕の血と汗と涙とかが染み込んだ宝物を......」
「んなモン人に貸すなよ......剣なんて使い捨てだろ。敵と戦って折れたんだから、名誉の戦死だ」
「そっ、それは......うぐぐ......」
ミハエルは頭を抱えて唸った。
理屈と感情が混じり合い、葛藤しているようだ。
「......まぁ、確かに君の言う事も最もだ。よく生きて帰って来てくれた」
「何上から目線でモノ言ってんだ」
ミハエルはウェンの横に立ち、壁に背中を預けた。
少しの時間の後、溜め息を一つ吐いた。
「カーラとモーリスの遺体を回収した」
そう呟いた彼の横顔は、押し潰されそうな憂いが篭っていて、埃一つ落ちていない床を睨んでいる。
守れなかった。その罪悪感だけが彼にのしかかっているのだろう。
それは力不足を確信させ、仲間の死は上に立つ人間の罪として背中に覆い被さって行く。
それを、生きている限り背負って歩く。
「......そうか」
ウェンはそれ以上何も言わなかった。
言えなかったのかもしれない。
彼に恋心を寄せていたカーラを囮にして見殺しにしたのは、他でもないウェンである。
「......二人は、僕の事を恨んでいるだろうか」
背中を壁に押し付けたまま座り込んだ。
震えていた。
未だ齢二十に満たないミハエルにとって、指揮を執る隊長としての役割も、自身にのしかかる責任も、重過ぎた。
彼の心は重圧に押し潰され、自己否定を繰り返す。
「さぁな。そんな事、死んだ人間は考えないだろ」
「......はは、君らしい」
ウェンは横目でミハエルを見た。
いつもなら彼の物言いに突っかかって、怒りで顔を赤くしながら反論してくるが、今回は勝手が違うらしい。
少しばかりの違和感を感じ、ウェンは調子を崩したように前を向いた。
俯いた後、頭を抱えて髪を掻き毟った。
「......そうは考えたくない、が。今は......君の考え方が、少し、羨ましい」
「そんなもん、羨ましがるもんでもねぇよ」
最初の問答も、今思えばミハエルなりの空元気だったもかもしれない。
会話が終わると同時に、治療が行われていた部屋の扉が開いた。
医者の顔が見える前に扉へ飛び入り、下を向いて重厚な面持ちの医者の男は驚きに顔を染めた。
「リリアノは!」
「落ち着け、口から心臓が出るかと思ったわ。少しは老体を労われまったく......」
顔を赤青させて胸を抑える。
ウェンは男の冗談を無視して、押し退けながら部屋の中に入った。
中には助手と思わしき女性がリリアノの顔を覗き込んで、顔を伏せている。
連れて入った時と同じく、眠っている。
「......怪我は無かった筈だ、何で目覚めない?」
「......お前さんにとっては、話を聞くのに少し覚悟がいるぞ」
扉を閉める医者に目を向けて、無言で頷いた。
ミハエルは廊下で俯いたまま、動かない。
「恐らく、その子はもう目覚めない。二度と、奇跡でも起きない限り--」
部屋中に轟音が響いた。
ウェンは医者の胸倉を掴んで、後ろの扉へ叩き付けた。
目は血走り、鼻息荒く、歯を食いしばって睨み付けた。
八つ当たりだ。
話も聞かず、感情の向くままに攻撃した。
「病人を、怪我人を治すのがお前の仕事だろうがッ! 奇跡だと? 何処までも誰よりも現実見なきゃなんねぇお前らが、そんなファンタジー宣うなッ!」
掴む手が震え、強ばる。
「この世に奇跡なんて無ぇ。積み重ねた理屈が、理が引き起こす必然の結果、それを何も知らない奴らが奇跡と呼ぶ! お前らがそれを捨てちまったら、諦めちまったら、リリアノは! リリアノは......」
医者の顔は呼吸出来ずに顔は赤く染まり、口をパクつかせて微々たる抵抗をする。
背後の助手は口周りを手で覆い、青ざめた顔で後退りした。
「......や、め......」
掠れた声が聞こえ、ウェンは我を取り戻して手を離した。
崩れ落ちた医者は床に転がって咳き込む。
「.....くそっ」
近くの椅子に座ると、拳を机に打ち付けた。
「......そうだ、感情だ。こんなものがあるから、俺は......」
「......ゲッホ、おえ......まったく、殺す気、か......」
呼吸を整え始めた医者は、未だ赤い顔で恨めしくウェンを見た。
「あぁ、そうかもな......今なら八つ当たりで人が殺せそうだ」
「末恐ろしい奴だの......ジジイの話は、最後まで聞くもんだ」
ヨロヨロと覚束無い足取りで、ウェンの対面に座る。
「じゃあ爺さん、話せ。八つ当たりはその後だ」
「でかい態度だの。私はバリー、この国一の名医だ」
「前にも似たような台詞を聞いたぜ。ホントかどうかは知らねぇが」
この国に来てからというもの、医者という人間にろくな思い出は無い。
バリーはリリアノの方をちらりと見て、語り出す。
「先ず、死霊魔術が何か知っているか?」
「さぁ? 詳しくは専門外でね。魔法陣介して死体とか生物操る魔法?」
「五十点ってところだな」
「偉そうに......そう言うって事は、分かってんだろ。勿体ぶらずにとっとと話せ」
バリーは机の上に散乱した紙の一枚を手に取り、老眼鏡を掛けて見た。
「お前ら兵士が奔走している間、王宮魔術師達が死にものぐるいで調査したのさ。情報屋に礼金払ってな。アレは昔、帝国で研究されていた魔法だ」
ウェンの眉がピクリと動いた。
「過去に死霊魔術を扱っていた一族の文献もある。死体をゴーレムのように操る人外の術だ。だが、敵さんが使うのはそれの模倣品レベルなのさ」
「模倣品だと? 死体だけじゃ無く、生身の人間も操れるなら、上位互換だろうが」
「それがそうじゃねぇのさ。あれは欠陥がある。奴が使う死霊魔術は二通りあるんだ」
バリーはウェンの眼前に指を二本出した。
「一つは簡単な命令を与えて、自律操作させるタイプ。もう一つは、奴自身が直接命令を与える遠隔操作タイプ」
「......じゃあ、あの時のは」
ウェンは以前目にした、操られた死体の何かが『切り替わる』瞬間を思い出した。
「どうやら二つ目の遠隔操作タイプは、生きた人間を操れるらしい。その方法は......」
「魔法で生きたまま遠隔で脳を操作し、命令を与えている」
バリーの言葉を遮って扉から入りざまに口を出したのは、見慣れた黒髪の女、トレイル。
彼女の細い手には不釣り合いな、鞘に収められた剣が重そうに握られていた。
それと、彼女の服の裾を掴みながら部屋に入ったのは、俯いたままのアリア。
「......取られちまったが、理屈はそんなもんだ。そのエルフの少女、リリアノとか言ったか。その子が目覚めないのは、強大な魔法の力により、脳に多大なダメージを受けたからだ」
「脳に、ダメージ......」
零れた言葉に、力は無かった。
握り締めた拳は何処にも向けられず、恨めしそうに床を睨んだ。
繰り返された衝撃の真実に、アリアはビクリと肩を震わせて薄ピンクの唇を噛み締めた。
「......可能性は、無いのか」
八つ当たりする気力も無い。
ウェンは僅かな可能性にも縋る気持ちで、バリーを見て言う。
「......言ったろ。奇跡でも起きなきゃ目覚めないと」
名医バリーの非情な一言に、その場は静まり返った。
呼吸の音すら、聞こえなかった。
数秒、数十秒、もしかしたら数分かもしれない、長い長い静寂を切り開いたのは、諦めたように息を吐いたウェンだった。
「--そうか」
その目は漆黒だった。
軍医も兼ね、何人もの修羅場を潜った人間を見て来たバリーも、その目を見て寒気がした。
椅子から立ち上がったと思うと、ゆらりと幽霊のようにリリアノの枕元へ立った。
トレイルの元を離れたアリアも、それに次いでウェンの隣に立つ。
「......私、やだよ。信じないから、そんなの......リリアノちゃんは目覚めるよ。だって、だって昨日まで......」
アリアは泣き続けた。
それはまるで生者を看取った時のように、受け入れたくはない現実と戦いながら。
死には慣れていた。
昨日まで食事を共にしていた仲間が、次の日には戦場で屍になっている事も珍しくはなかった。
悲しまないようにしていた。いや、悲しまないようになっていた。
先程のミハエルとの会話だってそうだ。
『死んだ人間は考えない』。そう思っていないと、気が狂ってしまいそうで、自身との思いとは裏腹に、精神までも鈍って行く。
枯れて、乾いてしまった心に、一滴の水が差された。
それを生きる糧としていた彼にとって、一滴の消滅により、再び乾きを取り戻した。
その乾きは憎悪となり、殺意となり、この現況を作り出した、忌々しい魔導師の顔を思い出した。
「......弔い合戦だな。リリアノ。贖罪はその後だ」
泣き止まないアリアを放置して、踵を返した。
扉の前に待っていた無表情のトレイルは、手に持つ剣をウェンに渡す。
「預かり物だ。君専用の、振り回しても折れない剣」
「......ありがとよ。前のは合ってなかったからな。これで......」
--アイツをぶっ殺せる。
扉を開け、振り向かずに廊下へ出た。
ミハエルはもうおらず、人っ子一人見当たらない廊下を一人歩く。
「待って!」
背後から聞こえた高い声に振り向く。
部屋から追い掛け、駆けて来るのは目を真っ赤に充血させたアリア。
足を止めたウェンをあっという間に追い越して、呼吸を整えながら言った。
「お願い。私も、連れてって!」
「駄目だ、此処に居ろ」
言葉と答えは決まっていた。
彼女の中でも、抑えられない怒りがあるのだろう。
一刀両断されたアリアは、めげずに、
「私だって、リリアノちゃんをあんな目に合わせた奴を許せない! お願いだから......」
「無理だ。お前は弱過ぎる。来ても邪魔だ、着いて来るな」
否定の言葉を連打され、怯んだアリアは唇を噛み締めた。
彼女の横を通って、ウェンは再び歩き出す。
「待ってよ、待って!」
それでも諦めないアリアは彼の横に着いて歩き、思いの丈をぶちまけた。
「役に立つから、絶対! 邪魔なんてしない、私だって......」
「足でまとい、だ。お前が着いて来ても、戦力以前に足を引っ張るだろう。お前は死ぬだけだ、役にも立たず、仲間を道ずれにして」
「そ、そんな事......無い......よ」
徐々に小さくなる語尾と、逸らされる目線は、本人の自身の無さを表していた。
勿論、彼女も理解していた。
着いて来た所で、体した働きも出来ず、ウェンの言う通り足でまといになる事は。
しかし、動かずにはいられなかった。
親友が傷付けられ、指を咥えて見ているなど、彼女にとっては許せない事だからだ。
「......分かったら着いて来るな」
それだけ言って、ウェンはアリアを押し退けて歩き続けた。
「......そんなの、分かんないじゃん......」
俯いて拳を握り締めたアリアは、涙を溜めた瞳をウェンに向け、もう一度走り出した。
「私だって、役に立つよ! 貴方が思ってるより弱くないし、守られるだけじゃない! 確かに今まで貴方には助けられて来た、迷惑もかけた。それでも、それでも私には行かなきゃならない理由がある! 私の事を見くびらないで、私を、私を......」
すーっと、深く息を吸い込み、勢いに気圧されているウェンへ、
「馬鹿にするなーっ!!」
その階の廊下に響き渡るほどの怒号を浴びせた。
息を切らせたアリアを、ウェンは無言で見詰めた。
下から睨み付ける彼女を見て、彼の中で一つだけ覚悟を決めた。
「......そうか。なら、仕方ねぇな」
折れた、と思わせる彼の表情に、アリアの顔は緩んだ。
「えっ、じゃあ......!」
紡ぎ出される言葉を予想して、アリアは喜びを露わにした。




