弱点
「やぁ、久し振りだなウェン。さっきのド派手なショーは何だったんだ?」
「と、トレイル......」
扉を開いた勢いは何処へ行ったのか、眉間に皺を寄せて青ざめ、後退りして距離を取った。
名前を呼ばれた彼女は不敵な笑いを崩さずに、部屋に入って律儀に扉を閉めた。
少し癖毛の黒髪を短く揃え、男口調を崩さないトレイルは空いている椅子に勝手に腰掛け、ウェンを見上げた。
「ねぇ、誰この人......超美人だけど、知り合い?」
「何回か話してるだろ。情報屋トレイルだよ」
我を取り戻したアリアがウェンに聞いたので、鬱陶しいそうに返すと、アリアは口をあんぐり開けて驚いた。
「うそ! 男の人かと思ってた......」
アリアのリアクション芸に何の反応も示さないトレイルは、彼女の顔を見て怪訝な顔をした。
「......誰だこの子、知らない顔だな。お前は少女を誘拐する趣味があったのか?」
「な訳ねぇだろ。使えそうだから拾った、利害も一致してたしな。今は後悔してるが」
冗談を飛ばすトレイルに苛立ちながら返すと、「ふーん」と興味無さそうに呟き、次にリリアノを見た。
リリアノと目を合わすと、次は人が変わったかのようにニッコリと微笑み、
「君がリリアノちゃんか。初めまして、私はトレイル。もしかしたらウェンから話を聞いてるかもね」
不意に出された手と握手すると、リリアノはペコリと頭を下げた。
「ウェン、此処はお茶も出ないのか? 折角遠路遥々やって来たというのに」
わざとらしく舌を出すと、我儘を宣った。
「そうだ、お前どうやって此処まで来た? 橋は封鎖されてたろ」
「船で来たよ」
「船? そんなもん動いてんのか、だったら何で俺達に教えない?」
ウェンの怒りを込めた言葉を聞いて、余裕を含んだ微笑を止め、真顔になって少し考えたかと思うと、声に出して大笑いを始めた。
「はー、苦しい。やっぱお前馬鹿だな。大馬鹿」
「何だとお前......」
「無知な君に教えてやろう。今船を動かしているのは、王国の上層部と先の内乱で儲けたごく一部の商人だけ」
椅子から立ち上がり、部屋を歩き回りながら言葉を続ける。
「そして、それに乗れるのはある程度の地位と権力、確かな身分を持った者のみ。私ならともかく、君みたいな貧乏で名前も知られていない運び屋が乗れるとでも?」
「......わ、分かった。もう充分」
「貧乏で思い出した。私が貸した金は返せるのか? こっちだって慈善事業じゃないんだ」
「そ、それは勿論返せる......」
「いつ?」
「..................出世払い」
「それは私が生きてる間に達成されるのか?」
これ以降、耳の痛くなる言葉がウェンに叩き付けられ、答えに詰まる度にもう一度攻撃される。
正に負の連鎖。
彼がトレイルを苦手とし、頭が上がらないのが会話を聞いているだけで理解出来る。
上司と部下、例えるならそんな関係性だろう。
リリアノにとってそれは新鮮この上ない光景であり、普段の立ち振る舞いとは違う、尻に敷かれている状態を見て驚いている。
そして、それを見ているもう一人の少女アリアが、トレイルに尊敬の熱い視線を送っていた。
旅の間だけだが共に歩み、これまで彼の手綱を握る者を見た事が無い。
傍若無人、そんなウェンを軽くあしらい、反撃の余地無く言いくるめている彼女を見て、心が踊った。
そして、押されきれなくなった感情は、彼女の性格に則って飛び出した。
「凄い! 凄いです、尊敬します!」
トレイルのポキャブラリーに富んだ罵倒に対し、語彙の少なさを際立たせた感想を口から出しながら、トレイルの手をガッシリと握った。
目を輝かせ、正義の味方に憧れる少年のような、幻想を抱いているようだ。
「この鬼畜にそんな事言えるなんて......それに落ち着いて、美人で、大人っぽくて、憧れます!」
「......ふふ、まさかそんな事を言われるとは思わなかったなぁ」
珍しく嬉しそうな顔を見せるトレイルに、アリアはもう一つ追撃する。
「あ、もしかして、恋人さんとかですか? すっごく仲良いですよね!」
ピシ、と音がした気がする。
それは何を予想して言ったのだろうか。アリアの空っぽの頭中を考えるが、明確な答えは出ない。
トレイルの貼り付けた微笑は、既に無くなっていた。
「あ、やべ......」
行き場の無い言葉の暴力に頭を抱えていたウェンはその空気をいち早く感じ、リリアノを連れて外へ出た。
狭い部屋に二人きりになったトレイルとアリア。
鼻息荒く問い詰めているアリアに、トレイルは再び微笑を構築して、
「うーん、それはどういう事かな?」
「え......?」
関係の薄いアリアでは、トレイルの感情を読み切れない。
声色も表情も変えずに、醸し出す雰囲気だけが重くのしかかる。
「えと、あれだけ好きに言えるのは仲が良いからだと思って、もしかしたら、その......恋人なのかな、と」
「なるほど、では仲が良く見えれば恋人と言うのか? では例えば、此処の宿主と君が会話をするとすれば、宿主は君を無下に扱うだろうか?」
「扱わ、ないと思います......」
「だろうね。何故なら君は客、無下に扱う筈が無い。なら宿主は君と仲良く喋るだろうが、君と宿主は恋人同士か? 違うだろう、それは宿屋としての評判、人間性、色々ある」
トレイルは溜め息と共に目を細めた。
「私とウェンの関係はそれに似ている。根本は違うが。そうだな、私は雇用主、彼は私の下僕と言った所か。アリアちゃん、アイツに対する振る舞いを仲が良いからと言ったな? ......下僕に対して丁寧に扱う者が居るか?」
「え、え? あの、変な事言ってしまいました......? ご、ごめんなさい」
「アリアちゃん。私は謝って欲しいわけじゃないんだ。性格かな、『何故君がそんな考えに至ったか』を知らずにはいられないんだ」
トレイルの純粋な好奇心が、アリアを襲った。
場面は変わり、部屋を出て廊下で話すウェンとリリアノ。
怪訝な顔をするリリアノに対し、ウェンは苦虫を噛み潰した顔で部屋の扉を見た。
彼の端々の反応だけで、彼女を苦手としている事が手に取るように分かる。
「......アイツは女っぽくないんだ」
唐突に口に出した否定の言葉に、リリアノは首を振った。
「あぁ言いたい事は分かる。見た目はバッチリ女だな、男口調だけど。そうじゃなくて考え方、かな」
ウェンは自身の経験を思い出しながら語る。
アリアに絶賛降り掛かっている災難は、彼も嫌と言う程味わって来た。
「何か気に入らない事、気になった事、言い返したい事があれば言葉で追い詰めるんだ。文字通り、相手の逃げ場を無くしながら、問い詰める。すっげぇ面倒臭いんだよアイツ」
蛇のように狡猾で、じわじわと追い詰める様はさながらハンターと言った所か。
「興味あったら見てみ」とウェンはリリアノへ勧める。
それに乗り、こっそり扉を開けて部屋の中を覗くと、
「うわぁぁぁ! ごめんなさいぃぃ!」
「だから、アリアちゃん。私は謝罪を聞きたい訳じゃなくて、君の本心を聞きたくて--」
リリアノはビクリと肩を震わせた。
「ほらな、だから俺はアイツが苦手なんだよ」
トレイルの疑問が尽きるまでアリアは振り回され、他二人は面倒事に巻き込まれるのを恐れて廊下で暇を潰した。
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「で、何でお前はこっちに来た?」
部屋に戻り、震えるアリアをリリアノに預けて、ウェンとトレイルは向かい合う形で座って話し合った。
「仕事だ。当たり前だろ。ついでに色々確認しようかと思ったんだ、まぁ、予想外な事もあったが......」
トレイルがアリアへ目を向けると、未だ恐怖心が残る彼女はリリアノの陰へ隠れてしまう。
「嫌われたもんだ」と自傷気味に呟くと、ダウナーな雰囲気を保ちつつ続ける。
「......他にも、君に話す事があってね」
「俺に?」
「此処じゃ何だし、部屋を変えようか。二人にとっては良い話にならない」
「生憎だな、部屋は埋まってんだと。だから三人狭い部屋に居る」
「埋まってるからじゃなく、金が無いからだと素直になりなよ。隣の住人には既に退去して貰ってる。君と違って余ってるものでね」
『金にモノを言わせて追い出した』と自慢すると、トレイルは席を立った。
再び一本取られてしまったウェンは一言多い物言いに苛立ちながらも移動する。
「リリアノ、此処は安全だと思うが、何かあったら隣まで来い」
「面倒見良いねぇ」
部屋を出る直前、リリアノへ注意を送ると、トレイルはそれを茶化す。
「うるせぇ」とあしらい、言葉を送った彼女の頷きを確認すると、次いで部屋から出た。
借りた部屋の右隣。
全く同じ間取り、同じ家具が置かれ、本当に人は居ないようだ。
トレイルは椅子を引くと座り、足を組んだ。
さっきと同じ、向き合う構図で話が始まる。
「さて......旅はどうだった?」
「そんな事聞きたかったのかよ。まぁ、二、三回死にかけたが、大した事無かったな」
「へぇ、エルガルド傭兵団にでも会ったか?」
ウェンはそその言葉に虚空に向けていた視線を彼女へ向け、驚きを示した。
「......知ってんのかよ。大したもんだな情報屋さん」
「商売道具は常に新しい物を、が信条でね。で、君が危惧していた、『リリアノの心を開く』は達成出来たのか?」
「まぁマシにはなっただろ。殆どアリアがやったようなもんだが」
「......やはりあの子か」
予想の外ではあるが嬉しいような、驚きのような、形容出来ない顔をするトレイルに、ウェンは疑問を向けた。
「まぁ、君が命懸けで彼女を守っているのは意外だったよ」
「......当たり前だろ。あの子は俺の大事な従業員その一、命くらい懸けてやるさ」
「はははっ、面白い面白い」
トレイルはウェンの言葉に表情を全く変えず手を叩いた。
それはまるで煽りを含んでいるかのように、子供をあやす時の見下した感覚。
彼女の見下しを受け、流石のウェンも表情を固める。
「......俺が冗談を言っているとでも?」
「あぁ、自己正当化のタチの悪い嘘だな」
その言葉を聞き、ウェンは怒り心頭で立ち上がってはトレイルの胸倉を掴んだ。
「何をいきり立っているんだか......」
自分より遥かに強者のウェンに脅されようとも、顔色一つ変えない。
戦って勝つ自信では無い。
まるでそれ以上踏み込んで来ないのを理解しているかのような立ち振る舞い。
「君の本心を教えてやろうか」
「俺の、本心......?」
掴む手が少し緩んだ。
それは彼の動揺を生んだと言っても過言では無い。
思わずゴクリと唾を飲み込んだ。
自分より年下と思っている彼女が、今は恐ろしさすら感じる。




