騎士道
「そこのお前、何をやっている?」
怒りを内部に飽和した、男性の声が三人に投げられる。
男性の声と言うには少し高めだが、威厳と自信が声だけでも伝わってくるようだ。
只ならぬ言葉遣いにウェンは振り向いて、その人物の顔を見た。
中性的な整った顔付きに、身長は百七十程。薄緑色のミディアムロングの髪は清潔感を感じさせる。
腰には細めの剣を携えて、ハニアと良く似た白の鎧を体に纏っている。
「このマルクス王国で、少女を暴行とは......許せない」
垂らした拳を握り締め、怒りの形相でウェンを睨む。
目の前の男にはまるで正義が取り憑いているようで、その瞳は曇り一つ無く、敵意を込めてウェンを、慈愛を込めてアリアを見ている。
客観的に見えれば、ウェンの行動は彼の言った通り暴行に近いものなのだが、真意を知らない彼は真っ直ぐ突き進む。
原因は口の減らない二人にあるのは間違い無いが。
「ミハイル様だ......」
「騎士ミハイル様が来てくれたぞ!」
『騎士』ミハイル。
そう呼ばれた彼は少し照れ臭そうな表情をした後、再び真剣な顔を取り戻した。
騎士と銘打たれた彼を見て、ウェンは嫌な予感を加速させる。
「悪党。観念してその子を離せ」
指をさして言い放つと、周りの人間から賛辞が送られた。
どうやら、騎士というのは思った以上に国民から愛されているようだ。
ハニアと同じく騎士の位。
それを聞いてウェンは彼女の言っていたある言葉を思い出した。
「......四変態の一人か」
「よんっ!? ......何だと?」
「あ、やべ......」
つい口からぽろりと零れてしまった一言を後悔した。
が、出てしまったものはしょうがない。
アリアを離すと、気怠そうに後頭部を掻いてミハイルへ向き直す。
「この『王国の白き稲妻』にそんな口を叩くとは......覚悟はいいだろうな」
「ぶふっ。いや、ちょっと待ってくれ。勘違いなん--」
「問答無用!」
ハニアと違い、恥ずかしげも無く二つ名を名乗る騎士に吹き出すと、待ったの一言も聞かずに抜刀しないままの鞘で攻撃した。
不意打ちになったが、身体を捻ってギリギリ躱す。
白き稲妻と自称する事もあってか、その一撃はハニアより速く、的確にウェンの身体を抜けようとしていた。
当てる気で振るった剣を軽々避けられ、ミハイルは驚きを顔に貼り付けると、攻撃終わりと同時に後退した。
「危ねぇな、話聞けよ!」
「そうだよそうだよ、えーっと、王国の白き......鯰さん?」
「おい馬鹿煽るな」
要らぬ場所で天然を発揮するアリアにウェンは注意するが、これまた口から出てしまったので、時既に遅し。
皮肉にも、先程アリアの言っていた通り、「口は災の元」だったと言う訳である。
「貴様ら......僕を愚弄するのがよっぽど楽しいらしいな。騎士道に従い、君を裁かせてもらうよ」
剣を構え、眼光鋭くウェンを睨むが、村での一件で武器が無い。
肩を竦めて手をヒラヒラと動かす。
「この通り手ぶらな訳で。見逃してくれないか」
「何だと? ......ちょっと待ってろ」
ミハイルは少し考えた後、人混みへ消えて行く。
「よし、今の内だ。行くぞ」
「スタコラサッサだね」
鬼の居ぬ間に洗濯。
三人は面倒臭そうな騎士の相手を拒み、来た道を戻って逃げようと足を踏み出す。
「待て! 卑怯者が!」
「うおぉ、はえぇ......」
あっという間に戻って来る。
そして手にはハニア戦でも目にした木剣が一振り握られている。
最早説明を受ける必要すら無い。
それと、目の前で正義を振りかざす男が間違い無くハニアの同僚だと言う事は、その行動を見れば火を見るより明らか。
「僕と勝負だ。僕の騎士道を小馬鹿にした罪、此処で償って貰おう」
乱暴に投げ渡された木剣を反射的に受け取り、心底嫌そうな顔をした後、心底嫌そうに構え、心底嫌そうに溜め息を吐いた。
妙に律儀で、そこはかとない馬鹿さ加減を感じるが、流石にこうなっては逃げられなさそうだ。
「......飯食いに行くだけなのに......どうしてこうなった......」
チラリとアリアを見ると、『私の所為じゃ無い』と言いた気に口笛を吹いて誤魔化している。
「......騎士道、ね」
そんなもの感じた事は無かった。
生きるか死ぬかが戦いの全てで、綺麗な剣技をするよりは、泥臭くどんな物でも利用して生き残って来た彼にとって、掛け離れた言葉だろう。
人間は何処でも同じようで、辺りの国民達は四人を囲むように野次馬となり、口々に意見を述べる。
が、橋の上での戦いと明らかに違う所は、全ての人間がウェンの敵、ミハイルの味方だという事だ。
観衆の言葉に励まされ、まるで正義の味方のように真っ直ぐな瞳をした騎士は、一瞬目を瞑り、見開いて気合を入れ直した。
「......僕の騎士道は重いぞ」
「もう何言っても無駄か」
ミハイルはウェンに斬り込んだ。
ある程度空いた間合いから、一足で切り込むその技術。
そして、速さと重さを兼ね備えた攻撃に、ウェンも受けるのではなく、流した。
ハニアとは違い速いだけの攻撃では無い。
魔法は使っていないにしろ、これだけの剣技を持ち合わせているのは、かなりの脅威になり得るだろう。
今度はウェンが後退する。
元々やる気など無いに等しく、頭にあるのはどうやってこの囲まれた中から逃げようかと言う事だけであった。
「逃げているだけでは勝てないぞ!」
「鞘で戦うとは、器用だな」
「うおぉ! 行けー、良く分からない騎士の人! ボッコボコにして!」
「アリアぁ! てめぇ覚えとけよ!」
恨みはらさでおくべきか、アリアの怒涛の応援は味方のウェンではなく、相対する騎士へ送られた。
その隣ではハラハラと見ているリリアノ。
今度は心配の眼差しではなく、彼を信頼し切っているようにも見える。
ミハイルの攻撃をウェンが弾き、流し、受け、止める。
威力を殺す絶妙なタイミングで先止めしている為、思うような攻撃が出来ないでいる。
正義感に溢れた騎士にも、徐々に苛立ちが見え始める。
「っ......貴様っ!」
しかしやってる事と言えば、のらりくらりと躱すだけ。要は時間稼ぎ。彼の言う騎士道には反していることだろう。
元より減った腹で戦う気など無い。
「......お前の言う、騎士道ってのはこれの事なのか?」
「何だと?」
再び距離を開ける。
今にも突っ込んで来そうなミハイルを止めるように、ウェンは言葉を投げた。
「僕の騎士道は弱き者を守り、悪を除く事。悪とはつまり、君の事だ」
腕を国民に広げ、自身の騎士道を前面に押し出す。
それに呼応して国民は彼を支持する。
「確かに、俺は悪人かもな。けど、やってる事はお前もさほど変わり無い」
「......何が言いたい?」
額に青筋を滲ませて、更にウェンへ敵意を向けた。
「今の状況を見ろ。守ると宣言した女の子の前で、悪人を打ち据える......か弱い子供の前で血みどろの戦いを見せる事が、お前の騎士道か?」
「っ!」
驚きに剣先が震えた。
ミハイルの目はリリアノへ向き、彼女の表情を見て顔を伏せた。
動揺は身体全体を伝い、顔色は青となって表に出る。
冷や汗が垂れ、行き場の失った思考は処理出来ずに頭の中を巡遊する。
「......ぼ、僕は」
目を伏せ、地面を見詰めた。
「あ、隙」
「えっ......? ゴフォ!」
ウェンの不意を突いた一撃はミハイルの顎を捉え、横一閃に入った攻撃で脳が揺れてそのまま倒れた。
「げふ」と呻き声を上げ、白い鎧を汚しながら横たわると、力無く動かなくなった。
「どんな状況でも相手の言葉に惑わされるな、敵から目を背けるな。ぬるいな、騎士」
倒した相手を見下して捨て台詞を吐くと、味方である筈のアリアから「流石に最低だよ......」と苦言が聞こえた。
それに次いで周りの人間からも野次が飛ぶ飛ぶ。
それはもう烈火の如く、批判というより罵倒に近い。
「ちっ、あーもうめんどくせぇ。退けぇ!」
今にも押し潰さんと囲む人々に向かって木剣を振るうと、人混みが割れて道が開ける。
「逃げるぞ」と木剣を投げ出し、リリアノとアリアの手を掴んで走り出す。
背中からは耳が痛くなる程の罵倒と、倒されたミハイルを心配する声が交互に聞こえる。
最早夕食等と言っている場合では無い。
二人の手を掴んだまま強引に先導し、一泊予定の宿屋に駆け込んだ。
足早に階段を登り、店主に怪訝な顔をされながらも部屋に入って息を吐いた。
「はぁー......散々だ。幸先悪ぃ」
つい後ろのペースも見ずに走ってしまい、背後で息を切らす二人を見た。
リリアノは汗を拭い、アリアは顔を耳まで真っ赤にして、俯いている。
アリアは消え入りそうな小さな声で、
「その......手、そろそろ、離して......」
「あ、わり」
握り締めた手を解き、自由になった途端後ろを向き、両手で頬を抑えて再び俯いてしまった。
こうなっては怒る気すら起きない。
ウェンは息を落ち着けた後マイペースに椅子に座って本を読み出すリリアノを見て真似するように椅子へ腰掛けた。
「あぁー......騎士ってのはロクな奴が居ねぇな......」
思い込みが激しいのか、人の話を聞かない。
自信があるのか、すぐに戦いに持ち込む。
そして癖が強すぎる。
彼は二人目にしてすっかり嫌気が差していた。
同調しているらしく、リリアノも彼の言葉を聞いて頷いた。
最早空腹すら忘れた三回目の溜め息の後、部屋の扉がノックされる。
機嫌の悪いウェンは苛立ちを顕にしながら椅子から立ち、扉へ向かう。
「追手か......?」
唾をごくりと飲み込み、覚悟を決めて扉を開いた。




