脱出
街は戦火に包まれた。
そこら中から断末魔が、金属音が、奮起する叫び声が聞こえる。
お互いが自分の為、小競り合い、蹴落とし合う。
中には人など殺めたことの無い善良な市民もいた事だろう。
人を脅かす事に何の抵抗もない悪人もいるだろう。
善と悪、混ざりあって黒。
敗者に等しく与えられるモノは死のみ。
勝者には栄光を。
戦いの歴史において、それは不動である。
街人と傭兵団は、自分らが勝者となる為に、お互いを喰らい続ける。
街を争いに誘った男、ウェンは独り戦いに参加せず、リリアノとアリアの待つ馬小屋へ向かっていた。
運良く、傭兵団はこちら側には来ておらず、交戦せずに目的地まで着こうとしている。
「待て」
「......そうは行かないか」
息を切らしながら目の前に現れたのは、ザビ。
疑念を顔に出して立ちはだかる。
「何処に行く? 正反対じゃないか。これじゃまるで......」
「逃げているようだ、か?」
ザビの言葉が途中で止まった。
思考を言い当てられ、一瞬目体が硬直した。
「......そうだ。共に街を救うんじゃなかったのか。俺達と共に......」
「救う? そんなつもりは毛頭無い。こんな街に興味など無い。さっきも言ったろ、滅ぶなら勝手に滅べってな」
ウェンは剣を引き抜いた。
自身の目に映る正義感に溢れた男は、あからさまに恐怖する。
味方だと考えていた男が、自分の目の前で敵意を剥き出しにしている。
四、五歩先に居るにも関わらず、その威圧感で寸に感じる。
「なぁ、今ならまだ間に合う。一緒に戦おう」
命乞いに等しいその言葉に、ウェンは反応を示さない。
ウェンが一歩近付くにつれ、ザビは一歩下がる。
「お前は賢いみたいだな。狂乱に呑まれない、他のクズ共とは少しばかり違う」
「話を、聞いてくれ......」
一歩。
「......賢さが裏目に出たな」
「......くそっ」
一歩。
ザビは剣を抜いた。
持ち手は震え、剣先は定まっていない。
実力に差がある事は理解している。説得も通じそうにない。目の前の男は、知ってしまった者を逃がす程甘くは無い。
ザビの心中には家族の事、仲間の事、街の事、思いが走馬灯のように巡り、思考回路はどうすれば助かるかを重点に回った。
「ここには、お前一人か?」
「......あぁそうだ。だが、呼べばすぐに--」
一足。
まだ余裕があったのだが、八艘飛びと見違える程の一歩。
一瞬にして間合いを詰め、『呼ぶ』前にザビの首を飛ばした。
一般人に毛が生えた程度の彼は、ウェンの件に反応すら出来なかった。
胴と切り離された首は地面に落ちるまで事態を把握出来ず、瞳孔を開いて眼球を動かし、ウェンを見た。
「やはり、信じるべきでは」そう聞こえた後、土を転がって汚れた生首は物申さぬ死体となる。
ゆらりゆらりと身体を揺らし、糸の切れたマリオネットのように地面に倒れると、切り口から壊れた蛇口見たく血を流し、動かなくなった。
「......急がなきゃな」
振り向かない。彼は敵には一切の興味が無い。命乞いをしようと、逃走しようと、恩があろうと、関係無い。
殺されるくらいなら殺す。
彼とっては至極当たり前で、付け入る隙など無くて、無情。
ウェンは剣を仕舞って再び走り出す。
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「遅いっ!」
馬小屋に戻るなり、アリアの怒号が鼓膜を貫いた。
「悪い悪い。野暮用で」
誘導して帰って来るだけの筈だったのだが、思わぬイベントで時間を喰った。
アリアは本を読み漁り、リリアノは馬の挙動に怯えながらたどたどしい手付きでウェンの愛馬を撫でていた。
「準備は整った。上手く行くとは思うが、お前らの手も借りるかもな」
馬車に乗り込み、ウェンは手綱を握った。
「やっとこのごみ溜めともおさらばだ。感慨深いな」
「怖い事ばっかだったけどね......」
アリアは思い出して身震いした。そして、自身の身体を抱いて青ざめているリリアノの手を握り、励ます。
「どっか掴まってろよ。舌噛むぞ」
背後で行われている事に興味を示さず、ウェンは馬を走らせる。
目指すは入口の大門。街人と傭兵団が交戦中の今しかチャンスは無い。
そもそも、仲間の一人であったザビを殺めている。失敗して出戻りなど出来る筈も無い。
ある意味、一か八かのギャンブル染みた行動になってしまうが、四面楚歌の中脱出の手段は限られている。
これは、最も可能性の高い方法を選んだ結果になる。
馬小屋を出て、街を走る。
迷いなど無い。傭兵団達も、街人らも、戦いなんぞは勝手にやっていればいい。
馬が激しく駆けると、荷台も激しく揺れる。
軽い二人はウェンの背後で紙吹雪のように舞い、落ちないようにするのがやっとに見える。
「ちょっ、ちょっ。もっと、ゆっくりぃ!」
「黙れ! 舌噛むつってんだろ!」
叫び声を上げて跳ねるアリアに、命からがら目を回して荷台に掴まるリリアノ。
アンティークとも言える木製タイヤが地面と空を行き来する。
広い街を走り、仰々しい大門へ近付く。
本来外敵を拒む壁の役割であった筈だが、今はこの街を蠱毒へと追いやった木造りの門。
意味を失った門には、二人の番兵が居た。
傭兵団では無い。彼等もウェンの指示で二人門を守っている街人に過ぎない。
徐々に速度を落とし、外開きの門の前で馬車を止めると、ウェンは荷台の二人に、
「ちょっと此処で待ってろ。アリア、誰か来たら叫んで呼べ」
「な、何しに行くのぉ......?」
フラフラで目の焦点が合っていないアリアは、疑問をウェンへ投げた。
四つん這いになり、「うぷ」と喉から不審な音を上げるながら口元を抑えるアリアに振り向いて、
「門を開けてくれるよう、『お願い』しに行く」
ニヤリと笑うウェンに引き笑いをし、リリアノとアリアは彼を見送った。
『お願い』に向かうウェンは門の階段を登り、警護している二人の所へ向かった。
馬車に残った二人は、彼が頭を下げて頼み込んでいるような人間に思えない。
かと言って、理由も告げずに開門を要求すれば怪しまれる。
最悪の場合、裏切りに気付かれる可能性もある。
懸念する問題事項は山ほど存在している。
彼は戦術はまだしも戦略は苦手なのだ。
門兵の二人はウェンの接近に気付いていた。
が、作戦の変更か情報伝達程度だと決め付け、死神の接近を許した。
彼が仲間を殺し、裏切り、我先に街から逃げ出そうとする咎人だとは夢にも思っていない。
それどころか、門兵の一人は『強さ』具現化したような、彼の戦いぶりに尊敬の念すら抱いていた。
早足で近付くウェンに、その一人は無防備に身体を向けた。
「どうしまし--」
軽い衝撃だった。
トン、と軽く胸を小突かれる程度の衝撃があり、じわりと生暖かい液体が広がっていくのを感じた。
「え? あぁ? えぇ......?」
研ぎ澄まされた刃が胸に深々と突き刺さり、肉を切って肋骨をすり抜けて肺まで到達する。
剣先、柄、握り、それらを見ると、まるで十字架が刺さっているようだ。
遅れて痛み。灼熱の傷跡。
「かひゅ」と空気が抜けて萎んだ肺から最後の空気を吐き出す。
ウェンは短剣を引き抜いた。胸部には血が広がって行く。
深い傷に、夥しい血液は留まるところを知らない。
「エ、リク......」
最後の力を振り絞り、ここからでは姿が確認出来ないが、振り向いてはもう一人の門兵エリクへ手を向ける。
逃げろ? それとも仇を討ってくれ?
その先を紡ぐ事無く、男は倒れようとのめり込む。
「まだ仕事はしてもらう。喩え死体でもな」
男の首根っこを掴み、地との接触を拒ませる。
腕は力無くぶらんと垂れ下がり、口は開いて舌が垂れ下がっている。
「......こっちか」
ウェンは男を引き摺りながら、もう一人の門兵を探す。
微かな足音、息遣いから察知し、歩を進めた。
男の胸部から流れる血が足まで垂れ、道筋を作る。
細かに探さずとも、最期の一人は真面目に仕事をしていた。
片割れの帰りを待ち、開門装置の調子を見ている。
「よう。門を開けろ」
「何を......? っ!? アルマン!?」
「こいつアルマンって言うのか。『お願い』だから、門を開けろ」
『お願い』と言う程優しい口調ではない。
脅しと言うのがどんな鈍い者でも解るだろう。
「アルマンに何をした! 場合によっては......」
「よっては?」
エリクは護身用の短刀を抜くと、不器用に構えた。
ザビと同じく、恐怖心に心を奪われているが、その奥底には憤怒が紛れている。
「まぁ何だ。取り敢えず門を開けろ。二度言わすなよ」
「誰が開けるか! よくもアルマンを......」
彼の目には涙が浮かんでいる。
二人の間には深い友情があった。友達、親友とも呼べるべき深い友情が。
親友を殺された恨み。表情を特別変化させず理不尽な要求を続けるウェンに、憎悪を募らせる。
しかし、すぐさまに飛び掛って行かないのは、相手の力量を理解しているからであろう。
「何か勘違いしてるみたいだが......こいつ、まだ生きてるぜ?」
自分の手先でぐったりとなすがままの男を一瞥し、再び前を見る。
「......こっちに渡せ」
「門を開けろ」
「......それは出来ない」
彼にも漸く理解出来た。裏切り者の存在と、ウェンを外に出せば勝利の確率が著しく下がる事を。
彼もまた、勝利の為、街の為、苦渋を決断をしている。
そんな事は予想通りだ、と形容するようにウェンは邪悪に笑う。
「あーあ。こいつ、このままだと確実に死ぬ。今処置すれば助かるかもなぁ」
「ッ! お前!」
ウェンは知っていた。二人の中に深い友情がある事を。
何を隠そう、門兵として二人を配置したのはウェン自身だからだ。
「コイツを助けて門を開けるか、見捨てて街の防衛に務めるか......お前が決めろ」
二つに一つだ。究極の二者択一を迫る。
エリクの顔は苦痛に歪み、文字通り胃に穴が開きそうな苦しみが襲う。
最早寸分の猶予も無い。目の前でヘラヘラ笑っている男を倒す力も無い。
「早くしろよ、親友が死ぬぞ。お前の鈍い判断が友を殺すんだ。非情だなぁ、冷酷だなぁ、聞こえないか? 『死にたくない』ってさぁ。ほら、早くしないと......」
人間とは思えない、人間すら交渉の道具とするウェンに、エリクは人成らざるモノを感じ取った。
短刀を落とし、血が出るほど拳を握り締め、涙を溢れさせて向かい合った。
「分かった......! 開けるから、助けてくれ......!」
「あぁ、思い通りだ」、心中で大笑いし、開門の準備をするエリクを蔑んだ目で見る。
エリクは優しい人間だ。
他者を見捨てきれず、大義より感情を優先してしまう愚かな人間でもある。
優しさとは素晴らしいものでは無い。
少なくとも、ウェンはそう考えていた。
優しいだけでは大義は果たせない、感情は無為で、判断を鈍らせる麻薬でしかない。
感情とは、人間の特性であり、弱点であり、欠点である。
捨てきれない存在に、翻弄され続けるのだ。
「さぁ開いたぞ! 早くこっちに......」
「ご苦労さん」
手から離した男の死体が地に叩き付けられ、ごとんと鈍い音をあげる。
それと同時に、瞬歩で間合いを詰めたウェンの剣がエリクの喉元に突き刺さり、喉から口から血液を吐き出す。
「がぁ、ごほっ。えぇぇっ」
言葉にならない声を出しながら、血走った目で剣を抜いたウェンを睨み、千鳥足で手を伸ばす。
重要な血管を傷付けたのか、滝のように流れる血は足元へ湖みたく広がっている。
青ざめる顔、確実に生気が抜けて、絶命に近付く。
ウェンは無力化した『敵』に振り返る事無く、来た道を戻り出す。
エリクは出血で意識の殆どを失い、前のめりに倒れた。
呼吸が出来ず、口から出るのは血と泡と僅かな空気だけ。
ウェンの背中が見えなくなる頃、抵抗していた手足は止まり、いつしか呼吸も止まった。
門の中には死体が二つ。
ここまでする程では無かったのでは、まともな人間であればそう感じるほどに、ウェンの行動は邪悪であった。
追手が来る前にと急いで馬車に戻る。
心配は杞憂に終わり、馬車の周りには人っ子一人見当たらない。
直ぐに街を出ようと駆け足で馬車に近付く。
様子見にと覗いた荷台では、リリアノがアリアの背中を摩っている。
アリアは行動こそ元気そのものであるが、意外と体力は無いらしい。
それこそ、引き篭もりのリリアノより酷いかも知れない。
青い顔に酔いによる吐き気が多少あるみたいたが、深刻な症状ではない。
ウェンはアリアの介抱をリリアノへ振る。
「ほら行くぞ。やっと街からおさらばだ」
馬車に乗り込みながら、街へ振り向く。
所々から煙が上がり、遠巻きに負の感情が籠った声が聞こえる。
こうなったのも、全てウェンの所為なのだが、彼に罪悪感や特別な感情は一切無かった。
感情が削ぎ落ちてしまっているように、彼の瞳は暗く、悲しく、憂いているようだ。
「行け、ヘラクレス」
鞭打しながら馬の名前を呼び、門から自由な外へ出る。
ただ単に外へ出ただけなのに、不思議と開放感に包まれた。まるで迷宮から脱した時ように、呪縛から解き放たれる。
速度を上げ、本調子の愛馬は野を駆ける。
街が離れる。額には傷まで負い、命の危険まであった、あれほど疲労を貯めたウェストの街は意外な程呆気なく小さくなって行く。
街に残り、未だ火花を散らす両陣営の事はもう頭に無かった。
あるのは、王国への生き道だけ。
もう少し行った場所に大瀑布に掛かる巨大な石橋がある。
そこを超えれば帝国領を脱し、本格的に王国への道程となる。
太陽は天へ登り、時は昼過ぎを伝え、ウェンとリリアノ、二人の頭に即時で対策すべき非常事態が鳴らされる。
「腹減った......」
そう言えば朝から何も食べてないのを思い出す。
傭兵達の襲撃があった所為で、宿屋店主自慢の朝食セットを食い逃した。
想起して舌打ちすると、
「リリアノ、地図取ってくれ」
土気色した顔色のアリアは、リリアノ介抱で幾分か元気を取り戻したようだ。
指示されたリリアノは荷台に放置してあった情報屋産のガイド付き地図をウェンに手渡した。
器用に手綱を握りながらそれを広げると、リリアノはウェンの背中から地図を覗き込んだ。
「流石に追手が来る危険があるからな、この辺は無理だ。王国領へ入ったなら、魚でも釣るか」
リリアノは何の反応も示さなかった。
不思議に思い、背後のリリアノへ目を向けると、上目遣いで深く何かを考えるようウェンを見詰めていた。
その目線に気付き、時々目を逸らして、やっぱり合わせて、逸らしてを繰り返す。
そして、視線を落として暫く考えると荷台に戻り、筆談用の筆記用具を取り出す。
文字を書く度に赤面し、微かに手が震えているように見える。
彼女なりに何かを伝えたいのだと感じ、ウェンは一時的に馬を止めた。
『あの時、ありがとう』
右肩下がりに徐々に小さく、彼女の性格がよく現れた一文を見て、ウェンは目を見開いて硬直した。
あの時。恐らく二人を助けた時であろう。
今までに無い程リリアノを暖かく受け入れ、慈愛と親しみを込めて優しく抱き締めた。
あの時ウェンは、自分が自分でないような、浮いた感覚を覚えている。
恋慕でも家族愛とも違う、降って湧いた感情に、彼は区別出来ないでいた。
「......あぁ」
ぶっきらぼうに返す。その後は何も言わず、前を向いて再び馬を走らせる。
リリアノもその後は荷台に戻り、復活を果たしたアリアのマシンガントークに撃たれ続けている。
二人には決して見せないが、手綱を引くウェンの表情は彼からは考えられない程抜けていて、上の空。
まるで異性から告白を受けたような惚けた顔をしている。
が、それも数分でハッと気付き、髪の毛をぐしゃぐしゃと引っ掻いて元に戻った。
帝国製の冷酷な兵士では無い『何か』が、彼に生まれつつあった。
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