遊歩する怪奇
「ねぇねぇ、まだ? お腹空いたよ。ねぇねぇねぇ」
「うるせぇ! 釣りってのはこういうもんなんだよ、文句言うな」
座れそうな岩場に腰を下ろし、釣り糸を垂らしてひたすら待つ。
釣竿と言っても簡素なもので、リールも無ければ上等なルアーも無い。
アリアが大騒ぎしながら見付けた虫をウェンが取り付け、川に放り込んだだけ。
釣れるかどうかすらも不明。
初めのうちは横で目を輝かせて見ていたアリアも、次第に飽き始めて弓の練習をしているリリアノの方へ行ってしまった。
終いには「もう行こうよ」と言い出しそうで、ウェンはアリアの口から諦めの言葉が出れば、川へ投げ飛ばすと腹に決めていた。
チラリとリリアノの方を見る。
危険の無い程度に離れて三角座りして見ているアリアが、狙った木に矢が刺さると拙い拍手をしている。
「......脳天気なもんだ」
基本、日の出ている内は魔物の心配は無い。
寧ろ、盗賊などの人的なものの方が脅威になり得るであろう。
突然矢が飛んで来てお陀仏、なんてことも十分に有り得る。
「おい、昼間とは言え外は危険だからな。危なくなったら『キャー』って叫べよ」
「は? 叫ばないし、自分の身は自分で守るよ?」
「どの口が言う......」
魔法の程は知らないが、強面の男に強く当たられた程度で腰を抜かす少女が、修羅場に対応出来るとは思えない。
これ以上何を言っても無駄だと思い、ウェンは垂らした釣り糸を凝視し、うつらうつらと船を漕ぐ。
丁度よく温もりを持った岩場と、変哲の無い暇な時間。
気を抜くと川に落ちてしまいそうになってしまう。
「んぎゃぁぁぁぁぁ!」
「ッ!」
そんな眠気を吹き飛ばす大声。
竿を手放し、二人が遊んでいる場所を向き、剣に手を掛ける。
珍しく目を見開き、口を開けて驚愕が溢れているリリアノと、幽霊でも見たかのように尻餅をついて青い顔をしているアリア。
倒れながらも、アリアの指はリリアノが的にしていた木の先にある森を指している。
取り敢えず、何も無かった事に安堵して二人に駆け寄った。
「すげぇ声だったな、どっから出てんの?」
「あっ、ああああっ、あっ、あれっ!」
「あれ?」
震えながらも指した場所は、少し離れた木々の間。
ウェンは目を凝らして見てみるが、蝿のような虫が大軍を率いて乱舞している事しか認識出来ない。
「ひ、人!」
「人間がいたのか、でもその程度で......」
人間恐怖症でもあるまいし、と鷹を括る。
比較的落ち着いた風に見えるリリアノを見ると、アリア程では無いが、動揺を隠しきれないようだ。
「違うよ! 人の、骨が歩いてたんだよ!」
「骨が歩く......そんな腹減ってたとは」
「幻覚じゃないよ!」
感情をコロコロ変えるアリアに、一抹の嗜虐心が芽生える。
感情的に話す人間とは話し合いが出来ない。
声が出ないとは言えリリアノは見た目より落ち着いている。ウェンはリリアノへ目を移した。
会心のアイコンタクトに意図を理解し、リリアノは首を縦に振った。
「......本当みたいだな」
「......なんで私そんな信用ないの?」
しかめっ面のアリアを見ずに、ウェンは件の方向へ目を向ける。
とは言え、何も見えない。
ウェンは興奮が収まった頃を見計らい、アリアに話を聞くと、その人骨は千鳥足で木々の間を通り過ぎて行ったらしい。
「まぁ、距離もある、その人骨はこっちに危害を加えるつもりでもないんだろ。確かに不気味な話だが、問題は無い」
「うぅ、でも......」
ウェンと話しながらもチラチラとさっきの場所を見る。
「そんなに心配なら釣りは中止だな。馬の休憩も済んだろ。引き上げて行くぞ」
「む......分かった」
ウェンの判断は最もだ。その人骨が何かの魔物、何かのトリガーであった場合、危険を産むからだ。
当然だが、長い旅に消耗は避けたい。
ウェンは岩場に戻る。
相変わらず温もりを持った岩場には既に何も無く、場所を間違えたかと思ったが、そうでも無い。
釣竿が流されていた。どうやら目を離した隙に魚がかかり、竿ごと餌を持って行ったらしい。
人骨に対し「問題は無い」と言ったが、どうやら問題も消耗もあったらしい。
ウェンは今まで貧困を支えてくれた釣竿に別れを告げ、やり場の無い怒りと共に川辺を去ろうとする。
「あー......この世の終わりかと思った」
大袈裟過ぎる、ウェンは呆れた。
アリアは先程宣った自信満々な一言など忘れてしまったようで、荷台に蹲って顔を伏せている。
リリアノはアリアの隣で、彼女から借りた魔法の本を真剣な眼差しで読んでいる。
余計な知識とは思わないが、そもそも読めるのか疑問に思う。
傾き始めた太陽に、少しばかりの苛立ちを覚えた。
馬も生き物だ。少しは休憩も必要だと考えていたが、予想外の出来事で時間を食ってしまった。
「少し飛ばすぞ、舌噛むなよ」
手綱を握るウェンは背後に声を投げるが、返事は無い。
返答を待たずして馬を走らせ、降りてきた砂利道を登る。
少し登ったところだろうか、
「おい、どういう事だこれ......」
ウェン達の前には行きには存在していなかった人骨が、まるで今その場に倒れたかのように横たわっていた。
思わず馬を止める。
二人の言う通り動いていたのだとすれば、これだけ近距離なら何かが起こる可能性がある。
ウェンは後方二人に出て来るなと言付けし、馬車を降りた。
剣を抜き、最大限の注意を払って人骨に近付く。
至近距離で見ても、これが動いていたと言うのはなまじ信じられない。どう見ても肉が腐り落ち、風化寸前の白骨死体。
警戒は解かず、剣先で頭蓋を小突く。
「......何も無い、よな」
そりゃそうだ、と息を吐き、剣を収めた。
「ねー、どうし......ぎゃあああああああ!」
事付を破って、荷台から顔を出したアリアが人骨を目にし、腹の底からひり出した絶叫を響かせ、後方に倒れた。




