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燎原の覇者  作者: さかもと希夢
背徳の功罪
99/179

<9>

 王国歴一五三五年九月十一日の夕方。

 まだ西の空が十分に明るい時間に一行はファルディナに着いた。

 セクアナで大々的に自分たちの存在を明かしてしまったからファルディナとの境界線の川を越えるまでは何かと騒々しかったが、ファルディナの街に入る頃には、大体落ち着きを取り戻していた。

 だがファルディナにはエドワードが訪れているとの報告が成されている。ジェラルドがエドワードはお忍びで来ている事を説明してくれたものの、後日ルサーンとシグレット、それにグローヴァーとの会談を持つことになってしまった。

 だがそれも一日だけ。滞在するのは三日間。

 つまりエドワードとリッツは、ファルディナの街で思いがけない休日を手にしたのである。 

 街に入って宿に落ち着いたリッツは、自分にあてがわれた部屋のベットに寝転がって、ぼんやりと天井を見上げていた。

 いくらお忍びだろうと安宿に泊まるわけには行かなかったらしく、宿泊するのは、あのギルバートが泊まっていた高級なホテルだった。

 しかもあの時と同じ高級な部屋だ。三つあったベットルームの内の一つがリッツにあてがわれ、もう一つをエドワード、もうひとつをジェラルドが使うことになった。

 エリクソンは同じ階に副官と共に泊まっているが、他の面々は近くに宿を取って泊まっている。王太子の護衛として離れてていいのかとも思ったが、自分がいるからいいだろうとも思う。

 いい加減なものだが、リッツには自分の剣技に対して少々の自負がある。

 いつもならば高価な部屋の中を歩き回ったり、はしゃぎ回るリッツだが今日はそんな気がしなかった。

 体力は人並み以上と自負しているリッツがこれぐらいの道程で疲れるはずなどないのだが、妙に疲れを感じていたのだ。

 原因は分かっている。精神的な疲れだ。

 エドワードと和解したし、エドワードの信じる道を共に行くのだと決めているが、やはり心のどこかがもやもやしている。

 それはエドワードへの不信ではなく、自分の中に芽生えてしまった、仲間たちと自分の年の差のことだ。

 エドワードは歳を重ねても今まで通りに友として付き合うといってくれた。確かにエドワードならばそうしてくれるだろうし、そうできるだろう。エドワードがそういう男であることを知っているし、疑う気は全くない。

何があろうと、リッツはやはりエドワードを無条件に全て信じている。

 でもリッツは自分自身が彼らの優しさに甘えられないことにも気がついてしまった。

 自分だけ年を取らない事で、一番戸惑い、一番孤独感を味わってしまうのは、きっと精神的に弱いリッツ自身だからだ。

 現にリッツは、未だに自分が大人になりきれていないことを身に染みて分かっている。あの事件があった後でも、やはりメイソンよりもハウエルを信用できないし、メイソンを調べたハウエルに対して、腹立たしい思いも感じている。

 大人ならば情報は必要で、諜報部は重要なのだと割り切るべきだろうに、リッツがこうしてわだかまって苛立つのは、やはり子供だからではないのだろうか。

 自分に対しての疑惑ばかり浮かんでくると、必然的に正直に話してれたエドワードの事まで疑いそうになる。

 自分が子供なのに、聡いエドワードがリッツを同等として認めてくれるのか。リッツの馬鹿さ加減を、いつか疎ましく思わないのか。

 そんな想いを抱いてしまうと、まるでリッツの方がエドワードを信じ切っていないように感じて嫌だ。

 そんな堂々巡りの考えでいると、せっかくの休日なのにエドワードを『遊びに行こう!』と誘うことすら躊躇ってしまう。セクアナに行く前は、こんを詰めすぎているエドワードを息抜きさせなくてはと思っていたのに。

 呼んでくれればついて行くけれど。

 そんな風に消極的になっている自分が情けなく、寝返りを打ち、壁に向かって身体を丸める。

 エドワードの信頼を疑うのは、嫌で仕方ない。だったら自分の弱さに打ちのめされる方がましだ。こうして丸まっていれば、多少の胸の痛みはやり過ごせる。子供の頃からリッツはそうしてきた。

 エドワードと食事に行きたいな。

 ダグラス隊と馬鹿話したいな。

 みんなと一緒に……年を取りたいな。

 エドワードと並んだ時、今は友、しばらくしたら親子、もっと経てば祖父と孫に見えるようになるのだろうか。

 エドワードが変わらなくても、リッツ自身がそれを受け入れられるんだろうか。

 エドワードがやがて年を取り、自分を殺してくれるまで、年老いていく仲間を見守る強さを持てるんだろうか。

 それはとても怖い想像だ。どうして自分が年を取らない事がこんなにきついんだろう。

 今の自分が幸福であればあるほど、失う痛みは恐怖に変わる。恐怖を感じるとめちゃくちゃに叫びだしてベットの上で転がりたくなる。

 だからそんな自分を抑えて、リッツは更に自分の身体を丸める。子供みたいに暴れるよりも、人並みはずれてでかいのだから小さくなりたい。

 そんなふうに悶々と思い悩んでいたリッツの部屋の扉が、前触れもなく突然開け放たれた。

「わぁ!」

 思い切り間抜けな声を出した自分が恥ずかしくなり、侵入者へ身構える。だが緊張感は一気に困惑へと変わった。

「……へ?」

 そこには見た事のない妙な青年がいた。青年は遠慮なしにリッツの寝転がるベットへと近づき、リッツの目の前に立つ。

 金の髪はクルクルと巻くカーリーヘアだ。目の下にはそばかすがちりばめられていて、それが硬質になりがちな青年に妙な愛嬌を与えている。

 着ている服はどう見ても街の商人の子といった風で、いたって一般庶民だ。

 だがいたずらっぽく細められた目は、見慣れた輝きを放つ水色だった。しばらくまじまじと青年を見つめた後、リッツはようやく問いただした。

「……エドだよね?」

「当たり前だ。俺以外に誰がいる?」

「え……だって……その髪、っていうか、そばかす……っていうか……」

 あまりにいつもと違いすぎる。

「髪は、パティに教えて貰った」

「パティに?」

「ああ。短くする手段として教えて貰ったんだ。貴族の女性がよく髪を巻いているだろう? あの応用だ。結構短くなるから、うっとうしくなくていいな」

「そばかすは?」

「化粧好きの夫人が目の上を書く染料があるだろ? それを点々とちらしてみた」

 言われてからまじまじともう一度エドワードの顔を見直す。あまりに完璧な変装で、言葉も出ない。

 エドワードと言えばサラサラと真っ直ぐな金の髪と、威厳に満ち溢れ、知性と指導者としての眩い輝きを放つ表情だ。

 だが完全にこのエドワードは、茶目っ気たっぷりの一般庶民だ。

「うわぁ……よくできてるなぁ」

 感心しつつその巻いた髪を引っ張る。髪は一定の弾力を備えていて、手を放すとくるりと元の位置に納まった。何でこんな風に固まるのか疑問だ。

 本気で関心するリッツの目の前に、エドワードが包みを差し出した。

「ほら、お前の分」

「え?」

「さっさと着替えろ。行くぞ」

「ええっ!?」

 慌ててそれを広げると、エドワードと似たような服と、冴えない眼鏡、それからあごひげの付けひげが出てきた。

「……俺が着るの?」

「当たり前だ。耳篭も忘れるなよ。支度ができたら出てこい」

 リッツがエドワードの誘いを断ることなどないのを知りつつ、当然のようにそういって、エドワードは部屋を出て行く。

 残されたリッツは、しばらく呆然としたものの、エドワードに命じられた通りに着替えて部屋を出る。

 髭の付け方がどうしても分からず、手に持ったままだ。

「付けひげとか分かんねぇよ」

 文句を言いながら出て行くと、苦笑交じりにエドワードが鏡を持ってきてくれた。どうやら付けひげをしない限り許してくれないようだ。

 渋々言われる通りの方法で鏡に向かって付けひげを付け、眼鏡を掛けると、かなり人相が変わった。

「エドは頭の軽い馬鹿息子で、俺はむさいおっさんって感じだ」

 ボソッと呟くと、エドワードが楽しげに頷いた。

「俺より年上に見られたいんだろう? 今日のお前は、俺の保護者ということにしよう」

「え……?」

「一度そういう関係を味わってみたいと思わないか?」

 エドワードが片眼を瞑った。エドワードはリッツが自分だけが子供で年下でと落ち込んでいるのに気付いていて、こうして見た目だけでも気分転換に変えてやろうと気を使ってくれたのが分かった。

「……エド」

 申し訳なくてうなだれると、エドワードに力強く肩を叩かれた。

「お前に気を遣っただけが理由じゃない。そんな顔をするな。いつもと関係が逆の方が、この街では気付かれにくい」

「どうして?」

「前にこの街で王太子が死にかけた時、精霊族は泣いて縋って大変だったらしい。この街ではすでにそれを噂の形でみんな知っている」

「げ……」

「当然、街の人々の印象では、王太子エドワードが年上で、少し甘えたな精霊族リッツが年下だ。だから立場逆転の方が、気付かれないだろう?」

 そう言われると言葉も無い。実際に大勢の人々の前でやらかしたのは、間違いなくリッツなのだから。

「うん。納得した」

「では行こう。俺たちはグレイン貴族ということにしよう。それなら少々ファルディナに疎くても問題ない」

 てきぱきと段取りを組んでいくエドワードにリッツができることと言ったら、素直に頷くことぐらいだ。

「……うん」

「数少ない休暇を大切にしないとな」

「うん」

 誘われるがままに、リッツはエドワードの後を追った。

 高級なホテルから出て坂を下り街の中に進むに連れ、ファルディナの街は活気に溢れていった。

 妙に気にかかる髭を撫でながら、リッツは回りを見渡した。左一歩手前にエドワードが歩いている。いつもは肩くらいの長さで揺れている金の髪がクルクルと巻かれて、歩く度に柔らかく動く姿は、何だか不思議だった。

 かくいうリッツも、目の前に眼鏡というガラスの板が一枚あるだけで少々気に掛かって仕方ない。

 ずり落ちそうになる眼鏡を幾度も直しながら、リッツは前を歩いているエドワードに追いついた。

「エド、どこ行くのさ」

「まず散歩、という名の状況観察」

「うん。それで?」

「流通の公正さを調査するという名目の……」

「酒場」

「正解だ」

 それならいつもと変わらない。エドワードにとって街を歩き回ることは、自分の戦いの方向が間違っていないかという確認作業だ。

 それならばリッツもいつものようにエドワードの周囲に気を配りつつ、散歩を楽しんでもいいだろう。

 見渡すとファルディナの街は、たった数ヶ月しか経っていないというのに以前滞在した時とはまるで違っていた。活気に満ちていて、何よりも人々の表情が明るい。

 誘われるように足を踏み入れた市場では、まだ種類は少ないのだが豊富な食材が売られていた。そのほとんどが北部同盟に関係する自治領区から流れてきたものだそうだ。

 もちろんエドワードの受け売りだ。

 街から駆逐された貴族のものだったのか、高価な貴金属や、銀製食器、高級な服などを扱っている雑貨屋まである。もちろんリッツに手の届く金額ではないが、シアーズで見た同じような物の値段に比べれば、格段に安い。

 人々の顔を見ながら、リッツは安堵した。革命軍のしたことは決して間違いではなかった。この街はこれ以降もこうして栄えていくのだろう。

 そう思った時やはり頭に浮かんだのはセクアナのことだった。メイソンの犠牲の上に成り立った平和であっても、この街のように幸せになって欲しいと願わずにはいられない。

 市場を抜け、飲食店が軒を連ねる場所を通り抜けると、そこからは歓楽街となる。まさか遊びに行くつもりかと歩む速度を緩めてエドワードを伺うと、躊躇うことなくエドワードは楽しげに振り返った。

「高級娼館に行こう」

 きっぱりと言い切ったエドワードに、リッツは力なく首を振る。

「……俺、金無い」

 セクアナで自分の財布ごと幼い娼婦の少女に押しつけてしまったから、実を言えば今のリッツは無一文だ。

 肩書きの上では精霊族の戦士なんて大層な身分だが、その実、次の給料日を指折り数えているしがない給料取りだなんて、情けないが仕方ない。

「ああ、幼い少女に全額貢いだんだったな」

 からかうような表情で言われたから、口を尖らせて抗議する。

「俺の人格を疑うようなこと言うなよな! 俺が少女趣味みたいじゃないか!」

「冗談だ、冗談。もちろん驕るさ。何しろ偵察だからな」

「へぇ……娼館で女遊びが何の偵察だよ?」

「決まっているだろう。農地に帰れる農民を、無理に働かせているところはないか捜査するのさ」

 ごく当たり前のようにそういったエドワードだったが、きっと彼以外の人がそう言ったなら言葉の本心を疑うだろう。

 でもリッツはエドワードが言うともっともだと思ってしまう。この辺がギルバートに犬扱いされる由縁なのだろう。

「久々に女に触れたいだろ、遊び人」

 軽く言われてリッツも笑みを浮かべた。

「うん。年上の成熟した姐さんに、可愛がりまくって疲れを癒して欲しい」

「……本当にお前の女遊びは、癒し重視なんだな」

 呆れられたようだ。でも本心なんだから仕方ない。

「年下に見られて甘えさせて貰うのは好きだよ。本心は隠せるし。それに純真を装って、攻勢に転じてからの、姐さんたちの慌てっぷりを見るのがたまんないんだよな」

「それじゃただの、女慣れした遊び人だろうが」

 溜息交じりに肩をすくめられてしまった。リッツのこの性癖は、シアーズで身についてしまった悪癖である。

 毎晩毎晩色々な娼婦と遊んでいたから、自然と色々な手管が身についている。

「だって俺、娼館の姐さんたち、好きだもん」

 シアーズのマリーの館にいた頃は、毎晩代わる代わる可愛がってくれた娼婦たちと時を過ごすのを楽しんだ。

 それはひとえに、娼婦たちの中には何か埋めがたい孤独のようなものがあって、それを隠すためにああして強がっていると知っていたからだ。

 リッツはそんな彼女たちと、時にふざけながら、時に真面目に身体を重ねつつ、孤独を重ねていたのである。

 でもいくら身体を重ねても、その孤独は癒えることはない。リッツも、そして娼婦たちも。

 お互いの中に探すのは、自らの求める愛情の形で、でもそれをお互いから得られないなんて百も承知で自分を騙している。

 彼女たちと過ごすことは、相手の身体の中に、何かを探し、それを貪る行為にすぎない。だからリッツは真摯に孤独と向き合う彼女たちを尊敬し、みんなが好きだった。

 性欲のはけ口としてだけしか彼女たちを扱わない男性を見ることは、少々腹立たしかったりするのだが、それは口にしない。彼女たちは自分たちの仕事をしっかり理解しているからだ。

 感情的になるのはリッツがまだ子供だからだと、自分で理解している。

 彼女たちへの感情は、エドワードやパトリシアを好きな感情とは正反対の愛情だった。

 リッツにとって仲間たちへの愛情は、自らを無くし、全てを与え尽くしても悔いはない特別なものだ。

 それは必死で相手を求めて縋り付くのではなく、暖かく、優しく、共にあることで幸せを感じることができる愛情だ。

 それ故に失うことが大前提となってしまうこの関係が、怖くて仕方なくもあるのだが。

 そんなわけでリッツは娼婦たちに最初に感じたような心の空虚感を感じることは、少なくなりつつある。互いに過ごすそれだけの時間は、楽しんだ方が勝ちだと分かってきたからだ。

「リッツ」

 呼びかけられたエドワードの声が、微かに沈んでいることに気がついた。どうやらリッツはまた一人物思いにふけってしまったらしい。

 エドワードの顔を見ると、心配そうな目をしていた。だから慌てて首を振る。

「大丈夫だよ、ちゃんと楽しみだって!」

「なあリッツ」

「うん?」

「いい女がいればいいな。お前が本当に愛せて、お前を本当に愛してくれる人が」

 エドワードはリッツが将来伴侶をみつけて幸せになると信じている。だからいつもこんなことを言うのだ。

 でもリッツはそんな伴侶はできないと分かっている。エドワードや仲間たちが年を取ることさえ怖いのに、愛した相手が年を取って目の前で死んでいくのは絶対に嫌だ。

「俺はいいんだって。娼館の姐さんに構って貰うの好きだもん」

「そうか? お前好みの美少女が、いつか現れるかもしれないぞ」

「何故少女限定だ!」

「お前、子供好きじゃないか」

「誤解を招くような言動は辞めろ!」

 からかわれてばかりでは面白くない。リッツはすぐさま反撃に出た。

「そういうお前の趣味はどうなんだよ、エド」

「俺は知的な女性が好みだな。その上で深窓の令嬢よりも、野山を駆けまわる健康な女性がいい」

「それパティじゃん」

「ち、違う! パティは妹のようなもので……」

「なに照れてんだよ。いいじゃんパティ、可愛いし、スタイルいいし、最近胸もばば~んって成長したと思わねえ?」

「お前な!」

「この間水浴びから帰ってきたパティの身体をみて、固まってたのエドじゃん。『男ばかりなんだから、露出したら駄目だ』なんてもっともらしく言ってたけど、ぜってぇ胸見てた! どうだった? 余すところなく全部見たんだろ? あの角度なら全部見えるよな?」

「見てない!」

 アーケルでの訓練の後、水浴びをしてきたパトリシアは、エドワードとリッツが寝泊まりしている天幕にさらりと心地よさそうな袖の付いていないシルクのワンピースで現れたのだ。

 髪は濡れていて、まだタオルで拭いている状態だった。微かに滴るしずくが、肩を濡らすところに、リッツは目の前が霞む思いをした。

『天幕にお父様のお客様が見えているの。悪いけどしばらくここに居させて』

 そう言って笑ったパトリシアは、とてつもなく綺麗で、胸元の開いたワンピースから微かに覗く豊かな胸と、遠慮無くリッツのベットに腰掛けているから形まで分かる太ももに、生唾を飲み込んだのはリッツだけではない。

 何だかんだと言いつつも、エドワードが最近パトリシアを意識していることは確実だからだ。

「それとも太もも見てた? 筋肉質だけど、ちょっと美味そうだったよね?」

「見るか!」

「エド一人だったらやばかったんじゃん? 遊びに行けてなかったし、欲求不満だったろうし。絶対にパティを押し倒してただろ?」

「ば、馬鹿言うな!」

「『こんなことされたら、エディと結婚するしかないじゃない……』『もちろん責任は取るさ』『嬉しいわエディ』と二人は幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし。あれ、そうなるとパティの作戦勝ちっぽい。エド、お前きっとパティ相手だと押し切られるな」

「お前な!」

 怒っているのに、顔がかなり赤い。妹だと言いつつしっかりと胸を見ていたくせに、何を今更恥ずかしがるんだか。

「パティを好きなのはお前の方だろうが!」

「でもパティが好きなのはエドだもんね~。完全に片思いだもん」

「全くお前はどこまで自虐趣味だ!」

 幾度も繰り返された話を、飽くことなく怒鳴りながらふざけて歩いていても、街は賑やかでそれほど目立ちはしない。

 ともすると大声で怒鳴り合っていないと、お互いの声も聞こえないぐらい、街は喧騒に溢れている。

 本当に活気ある街になったのだ。それが嬉しくて、ちょっと誇らしい。

 見ろ、エドワードが治めた街は平和になっていくんだぜと叫びたいぐらいだ。

 歓楽街へと差し掛かった、丁度その時だった。歓楽街の方からか細い叫び声が上がった。

 まだ若い女性の叫び声だ。それに混じって男たちの怒鳴り声も聞こえてくる。

 馬鹿話を辞めて一瞬視線を交わし合い、リッツはおもむろにエドワードを覗き込んだ。

「エド、どっちを助ける?」

 小さく聞くと、エドワードはにんまりと何かを企んでいるような笑みを浮かべた。

「俺は常に、力なき者の味方さ」

「んじゃ、決まりな」

 申し合わせたわけでもないのに、走り出したリッツの真横にエドワードがいる。いつでも剣を抜けるように身構えながら夜の歓楽街を、声の方向に走る。

 わくわくする。

 まるでグレイン騎士団第三隊に二人で所属していた時みたいだ。

 すると突然、暗がりから息を切らせた女性が飛び出してきた。十七、八といったところだろうか。この国の成人は十八歳だから、成人ぎりぎりだろう。

 小柄な身体にふわふわと柔らかそうな栗色の髪、汚れてはいるが、高価そうなドレスに身を包んでいる。

 いったいどういう子なのかさっぱり見当が付かない出で立ちだ。

「追われてたの、君?」  

 真っ正直に問うと、女性は緊張感に張り詰めた表情のまま、荒い息の中で頷いた。

「追っ手は捲いた?」

 本日の風体に似合いの軽い口調で聞いたエドワードに、今度は首を振る。なるほど早く逃げないと追いつかれると言うことか。

「逃げたいなら手伝うよ?」

 女性を安心させるようにエドワード間満面の笑みを浮かべた。そばかすにカーリーヘアのエドワードは、何だか無邪気で少々馬鹿っぽい。

 そんな警戒感を感じられないエドワードに対して、女性は表情一つ変えることもなく小さく頷いた。

「ありがとう。気持ちだけ貰っておきます」

 感謝の気持ちを述べているはずなのに、どことなく冷たい印象で女性は立ち上がった。少し小柄な女性は、やせこけていてとても軽そうだった。

 でもその言葉遣いは、平民ではあり得ないことに気がつく。

 そしてようやくリッツは、女性の怪我を知った。彼女の頬はあちこちがすり切れていて、膝小僧も転んですりむいた後もあるのだ。

「いたぞ! あそこだ!」

 声の集団が曲がり角を曲がって姿を現した。その姿に絶句する。男の集団が着ている服に見覚えがあったからだ。エドワードを伺うと、エドワードも気がついたようで小さく笑う。

 途端に女性は身体を硬直させて膝を震わせた。本気で怯えている。あの集団は女性をこのように怯えさせる存在ではないはずなのに。

 どうするか次の指示を貰いたくてエドワードを見ると、エドワードは女性を確認してからリッツに片眼をつぶった。

「訳ありの方が退屈しないと思わないか?」

 つまり女性と一緒に逃げよう。何かあったら捕まえて届け出よう、そういうことだ。 

「りょ~か~い」

 軽く頷いてリッツは剣を抜いた。後ろではエドワードが女性に手を差し伸べて軽く膝を折り、明らかに脳天気な口調で告げていた。

「レディ、この私にお任せを」

「え?」

「これでも俺は、騎士なものですから。騎士とはレディを守るのが役目。レディ、貴方を守るお役目をお与えください」

「え? え?」

「では失礼、レディ」

 問答無用にエドワードは小柄な女性を持ち上げた。慌てふためき、声を荒げる女性の文句などまるで無視し、リッツを振り返る。

「前にお前が泊まってた宿な」

「分かった」

 短く確認し合うと、エドワードは女性を抱えて駆けだしていた。リッツは目の前に迫る集団に向かって剣を構える。

 その中に見知った顔をみつけて、リッツは剣を繰り出した。

 剣と剣がぶつかり合い、鈍い色の輝きと、鋭い金属音をたたき出す。

 相手の剣の実力は分かっている。半分以上の本気を出さないと、やられてぼろが出る。

 それではここを任された以上、エドワードに顔向けできない。

 素早く剣を繰り出し、相手の重い剣を翻弄するように素早い動きで交わしながら、跳ね返した。

 得体の知れない剣舞のような剣捌き。これがリッツの最大の特徴で、持ち味だ。

 幾合かを打ち合った後、男は息を乱して怒鳴った。

「何者だ!」

「何があったか知らないが、女性を大人数で追い回すなど、男としてどう?」

「何だと!?」

 男の顔にさっと朱が走る。矜持の高い男からすればそんな物言い許せないだろう。だが時間を引き延ばすために舌戦は有効だ。

「むさい男よりも可愛い女子を守るのが男じゃんか」

「その女性が何者かを知っているのか?」

「知らない。けどこれから聞けばいい」

「どこまで適当か!」

「どこまでも。いい加減だっていっつも怒られてる」

 多少真面目に言ったのだが、男が苛立たしげに部下たちに怒鳴った。

「ここは私が引き受ける! お前たちは彼女を追え!」

「はっ!」

 一瞬できた男の隙を見逃さず、リッツは空中で一回転して男から離れた。

「な、何!?」

「だから、通さないってば!」

 着地と同時に、回転するが如く剣を振るう。この狭い路地なら、リッツ一人が塞げばかなりの時間を稼げる。

 かすかに視線をエドワードへやると、もう女性を抱えた背が人々の間に見え隠れしている。もう少しで彼らは追えなくなるだろう。

「貴様!」

 いきり立つ男の部下たちを、剣ではなく蹴りと剣の柄の打撃で沈めていく。剣を使って怪我をさせてしまうのは、リッツの本意では無い。

 彼らはリッツとエドワードに取っても重要な人たちなのだから。

 やがて男の数人の部下は全て地面にうずくまり、いるのは男とリッツだけとなった。

「事情も知らぬのに、余計な邪魔立てを!」

 本気で怒って斬りかかってきた男の剣を、自分のかなり至近距離で止める。

 男が力を込めてこちらに一歩踏み込んだ。

 二本の剣越しに男と顔が数十センチにまで近づく。ぎりぎりと近づく距離に、男の手が微かに押されて震えている。

 男は離れて、間合いを取り直そうとしている。

 でもリッツは、この瞬間を待っていたのだ。

 力を緩めず、剣を押し返しながら、部下の男たちに聞こえぬよう小さく声を掛ける。

「ルイス、ルイスってば」

「! 何故私の名を……」

「俺だよ、俺。フェイ」

「!!!」

 見る見る間に男の目が見開かれた。

「!!!」

 その口が幾度も開いては閉じるが、言葉が出てこないようだ。

 そう、そこにいたのはファルディナ駐留部隊長ルイス・グローヴァーだったのだ。つまりリッツが全て地面に沈めた相手は、駐留部隊の面々だ。

「あ、あ、アル……」

 自分の名を口にされそうになって、リッツはたたみ掛けるように笑顔を浮かべる。

「ごめん。訳ありで何か面白そうだから、あの子借りるって。何かあれば返すから心配するなってさ」

「! ではあの青年は……」

「うん。俺の飼い主」

「そ、そんな……っ!」

「追いつけなくなると困るから……んじゃ……」

 言いながら剣を振り切った。

「ごめんな!」

 不意を突かれてたたらを踏んだルイスをその場に置き去りに、リッツはエドワードが向かった先にと走り出した。



 エドワードの足は速いが、人一人抱えているから身軽なリッツはすぐに追いついた。物陰に隠れてようやく足を止めると、リッツはエドワードと向かい合う。

「大変そうだね」

 腕の中で暴れる女性に苦戦中のエドワードに声を掛けると、エドワードはリッツに向かって顎をしゃくった。近寄ると女性を押しつけられてしまう。

「俺が持つの?」

「ああ。下ろすと逃げそうだし。それに……」

 エドワードは言葉を切ると、いつもは絶対にしない行為に出た。無言のまま女性のスカートの中に手を入れたのだ。

「な、何をしますの! やめなさい! 辱めは受けませんわ!」

 叫ぶ女性に軽く蹴りを入れられつつも動じず、エドワードはスカートの中を手探りで撫で回している。

「や、嫌っ! やめてっ!」

 女性が顔を赤らめ、必死にエドワードの手を止めようとするのだが、エドワードは更に手を深くまでスカートの奥に突っ込むと、問答無用とばかりに女性の下半身を撫で回している。

「いや……いやっ……」

 抗う女性を抱えているリッツも、何だか妙な気分になってきた。これじゃあ女性に対する性的犯罪の片棒を担いでいる気分だ。

「……なにしてんのさ? 変態にでもなったの?」

 少々躊躇い気味に問いかけたリッツを、一瞬睨んでから、エドワードはようやく目当ての物を探り出したのか、スカートの中をなで回すのを辞めた。

 スカートから引き抜かれたエドワードのその手には、物騒にもかなり大型のナイフが握られている。

 飾りではない。戦闘用のものだ。

「……刃物……?」

 小さく呟くと、エドワードも声を潜めた。

「ああ。抱いて走っている時、腕に当たって痛かったんだ。かなり大きなものだから出しやすいだろうと思ってたけど、以外とスカートの中の布が多くて」

「布が多いの?」

 リッツは何気なく抱いている女性のスカートを捲り上げた。その中にはまだ数枚のスカートがある。どうやら何枚ものスカートを重ねて、ふんわりとスカートを膨らませているようだ。

「本当だ。面倒くさそうな服装だなぁ」

 感心してもう一枚めくり上げたところで、腕の中の女性に頬を張られた。

「無礼者! 離しなさい!」

「いってぇなぁ……」

 張られた頬を撫でることもできない状態でむくれると、エドワードが吹き出した。

「女に殴られるの似合うな」

「うっさいよ!」

 ふてくされると、エドワードはリッツに向かって肩をすくめてから、軽く頷いたので女性を下ろす。きっと逃げられないから大丈夫とエドワードが判断したのだろう。

「ともあれ、レディ。追われているところを助けたのですからそんなに突っかからず、僕らに事情をお話しくださるというのはいかがでしょう?」

「私を辱めようとしたのにですの?」

「とんでもありません、レディ。あなたのような美しい方に、あのような刃物は似合わないので頂いたまでです。レディ、あれでは歩き方が美しくありませんよ。美しき方には美しくいていただくのが、男としての努めでしょう?」

 さらりとエドワードの口をついて出るのは、までで貴族のように洗練しつつも、甘さたっぷりで少々抜けた明るい言葉だった。

 これもまた、カーリーヘアにそばかすと偽装している自分に合わせているのだろう。

 それなら髭眼鏡の大男というリッツは、あまり口を開かない方が得策とみた。今までむくれているのは幸いなことに女性には見られていないようだ。

「とりあえずお名前と追われていた理由だけでもお聞かせくだされば、力になれるかもしれませんよ?」

 なおも穏やかに微笑むエドワードに、女は多少警戒心を解いた。それから俯いたまましばらく考え込む。

 ここで急かしたら余計悪い事を知っているから、リッツもじっと黙る。

 やがて女性はエドワードをまるで見据えるかのように、真っ直ぐに見て口を開いた。

「助けられたのならば名乗るのが礼儀ですわね」

「ええ、レディ。美しきあなたのお名前を是非とも我らにお聞かせくださいませ」

 完全に貴族の子息を演じ始めたエドワードが丁寧にいうと、礼儀正しく軽く膝を折る。

 その仕草に安心したように、彼女は口を開いた。

「わたくしはスザンナ・ジョエル」

 その瞬間、リッツの中にぞくりと寒気が走った。その名字には聞き覚えがある。

「……ジョエル……?」

 小さく呟いたエドワードに、女性は頷く。

「そうです。私はあの偽王太子の片腕、リッツ・アルスターに父を討たれた、ジョエル伯の娘です」

 そういうと女性……スザンナはエドワードとリッツを交互に見た。

「あなた方は貴族ですの? でしたらわたくしのこの悔しさ、分かってくださいますわよね?」

「ええ、まあ」

 曖昧に頷いたエドワードに、スザンナは目を輝かせた。

「それでしたら共に偽王太子に一矢報いりませんこと?」

「それはどういう?」

「わたくしの父の仇、精霊族リッツ・アルスターを、暗殺したいと思っておりますの」

 リッツは急にスザンナが気持ち悪くなって数歩退いた。まさか助けた相手が自分の暗殺を考えていたなんて夢にも思わなかったのだ。

 戸惑いながらエドワードを見ると、エドワードも困り顔で軽やかに丸まった髪を引っ張っていた。そんな二人の困惑に気がつかぬまま、スザンヌは力説を続ける。

「王太子一行がこの街に入ったのは知ってますわ。わたくし、彼らの宿に入ろうとしたところを、あの憎らしいファルディナ駐留部隊に阻まれましたのよ。貴族ならば手を貸してくださらない?」

 これで今自分がその仇なのだと打ち明けたらどうなるんだろう。そう思うと変な汗がじっとりとわき出てきた。

 面白そうだから助けようなんて、エドワードの気まぐれに付き合うんじゃなかった。

 多少恨みがましくエドワードを見たのだが、エドワードはリッツのような顔をせず、微かに楽しげな笑みを浮かべていた。

 何らかの考えがあるのかもしれない。

「貴方たちの名前をまだ伺っておりませんでしたわ。お名前をお聞きしてもよろしいかしら?」

 当然のように聞かれて、リッツは慌てる。だがエドワードは落ち着いて答えた。

「アルバートと申します。お忍びで来ていますので、家名は申せませぬがお許しください」

 けろりとした顔で、自分の育ての父親の名を名乗ったエドワードに、舌を巻く。当然の顔であっさり嘘をつくエドワードは、やはり策士なのだろう。

 自分も名乗るしか無くなったリッツは、考える暇もなくエドワードに倣った。

「俺はカール」

 カールはリッツの実の父親の名だ。

「アルバートにカール。二人とも貴族ですの?」

「似たようなものです」

 軽くはぐらかしながらも、エドワードは極上の笑みを浮かべてスザンナの手を取った。

「スザンナ、ファルディナへ来るのは初めてですか?」

「いいえ。この街に住んでいましてよ。でも街へ一人で出たのは初めてですわ。いつも馬車で通るだけでしたから」

「そうですか。それではまず憎きリッツ・アルスターを倒すために、作戦会議をいたしましょう。ご案内いたしますよ、さあこちらへ」

 エドワードはスザンナの手を優しくとった。洗練された動作に、スザンナが微かに頬を染める。

 多少馬鹿っぽくても、元々エドワードは美丈夫という言葉がふさわしい整った容姿の持ち主だ。

 この容姿にこの演技力、エドワードは王太子にならねば最高の役者になれたかもしれない。

 さっさと歩き出したエドワードを追うと、エドワードはある宿の一階にある扉の前に立つ。

 見知ったその扉に身構えたのはリッツだけで、エドワードはスザンナをエスコートし、平然と中に入っていった。

 リッツはしばらく扉の前に佇んでいたが、意を決して扉をくぐった。

 そこはリッツの暗殺をもくろみ、失敗してエドワードに怪我を負わせたリックの父親が経営する酒場だったのである。


 店の中は相変わらず雰囲気の良い心地よさが漂っていた。

 柔らかく、微かに薄暗い雰囲気ある店に、先に入ったスザンナが戸惑っているのが分かった。でもエドワードはいっこうに気にせずに、空いている席に腰を落ち着ける。

 戸惑いつつもエドワードの隣に落ち着いたスザンナの隣にリッツは腰を落ち着けた。何となく落ち着かないが、動揺して自分がスザンナの仇だとしれても嫌だ。

 しばらくすると、リックの父親が席にやってきた。以前に比べて多少やつれたように見える。やはり息子の行動が色々と尾を引いているのだろう。

 そういえばリックがあの後どうなったのか、リッツは知らなかった。

 正体もばれずに注文を聞かれて、エドワードは手際よくチキンソテーと、ベーコンポテトグラタンと、サーモンマリネを頼み、リッツと二人分の酒を注文した。

 もちろん好みのバーボンのボトルである。

 それに水の瓶を一本付ける。

「スザンナは何がお好きですか?」

「え?」

「ワイン? 蒸留酒? 麦酒? それともジュースにしましょうか?」

「……で、では、ワインを」

 戸惑いつつもそう答えたスザンナに頷き、エドワードはリックの父を見る。

「甘めの白ワインを一つ。チーズを適当に選んでくれ。それから食事と一緒に焼いたバケットを」

「かしこまりました」

「それから、リックは元気かい?」

 エドワードの問いかけに、店主が身を縮める。

「お客さん、リックと知り合いで?」

「ああ。何か事件を起こしたらしいな? 王太子を刺したって?」

 エドワードはスザンナに聞こえるようにわざとそう問いかけた。案の定スザンナは席を立ち上がり、店主に詰め寄った。

「偽王太子を刺した子がいるですって?」

 スザンナがそう言葉を発した途端、店内が水を打ったように静まりかえった。その状況の変化にはスザンナも気がついたようで、不思議そうな顔をしている。

「……なんですの?」

 戸惑うスザンナに、店主が声を荒げた。

「あの方は本当の王太子であられらます! 失礼なことをおっしゃいますな!」

「え……?」

 怒鳴られたことなど無いのだろう。スザンナはそのまま固まってしまった。

「あれほどご立派で、あれほど素晴らしい方を私は知りません。その殿下に対してなんてことを!」

 店主の怒りに触れ、貴族の娘らしく言い返すことすらできず、スザンナは立ち尽くしている。

 そんな彼女の耳に、ざわめく店内の声も聞こえただろう。

 声は小さくも憎しみを持って『あの子、貴族だぞ』『王太子殿下を偽扱いしたぜ』『俺たちを散々苦しめたくせに』と全てが例外なく彼女を非難していた。

「何ですの……貴族ではいけませんのっ!」

 スザンナは震える声で言い返した。すると店内の数人が、怒りをあらわに腰を上げる音が響いた。

「散々我々をなぶり殺した貴族が、何を偉そうに」

「な、なぶり殺すなんて。私たち貴族は、綱紀粛正のために街を守っていたのですわ!」

「綱紀粛正? 自分たちの好きに街を支配するためだろう。女子供も容赦なく、あれだけ残忍に殺しておきながら、何も知らないのか貴族の馬鹿女が」

「……貴族の馬鹿女……」

「ああそうだ。何も知らないのか? お前ら貴族がやってきたことを!」

「え……え……? 何をしたと言うんです? 私は街を守っているとしか聞いていませんわ」

「ふん、何も知らない深窓の令嬢だとでもいいたいのか?」

「そんなこと……」

「知らないと言えば許されると思ってるのか?」

「だって、知りませんもの!」

「無知が街人を惨殺した言い訳になるか?」

 ますます険悪になる人々に、リッツはオロオロとうろたえる。だがエドワードは落ち着き払って店主に微笑みかけた。

「お腹が空いてるんだ。チキンソテーはなるべく早めに出してくれないか?」

 あまりにこの状況にそぐわない言葉に、相棒のリッツですら困惑する。眉を微かにひそめた店主に、エドワードは無邪気なまでの笑みを浮かべた。

「いい店だって聞いてきたんだけど、この店は貴族禁止かい? それとも貴族を憎んでいる人限定の店なのかな?」

 エドワードの言葉に、人々の怒りが更にかき立てられたのを感じた。だがエドワードは平然と店を見渡し、いきり立つ人々に無邪気で明るい表情で微笑みかける。

「残念だなぁ。ファルディナは王太子殿下が解放したことから、貴族平民関係なく人格によってのみ評価される街だって聞いてグレインから観光にきたのに、深窓の令嬢の発言で乱闘になるのかい?」

「……」

「アーケルでは、パトリシア様が宣言したじゃないか。貴族平民の区別無く、共に未来を築こうって。この街は違うのかい?」

 へらへらと明るく、少々脳天気に聞こえるエドワードの言葉に、人々の怒りが、徐々に収まりつつあるのをリッツは感じた。

 本気でくってかかっても、この呑気な青年には通じないと本能的に感じたのだろう。

 それにグレインは王太子とモーガン侯の出身地であると誰もが知っている。その上、彼の地で貴族が特権を持っていないことも承知しているのだ。

 だからグレイン貴族に対して、人々は敵意を持たない。持ちようがないのだ。

 人々が三々五々席に戻り始めたのを見て、エドワードは全く表情を崩すことなくスザンナを促した。

「スザンナ、立っていても疲れますよ」

 あっさりと席を勧められて、今にも店を飛び出しそうだったスザンナは渋々座った。笑顔のエドワードには、何とも言いがたい独特な雰囲気があって逆らいづらい。

「お客さん……」

 戸惑った店主に、エドワードがにっこりと笑う。

「いや、リックが元気にしているかなと思ってね。ほら、王太子殿下を思っての行動だったろう? 王太子殿下には許されたらしいって聞いたから」

 全く悪びれないエドワードに観念したのか店主は口を開いた。

「店の奥で料理人と共に料理を作っております。後悔で自殺を図ったこともありましたが、今はもう大分落ち着いてきてはおりまして……」

「そうか。じゃあ是非励ましたいんだが、リックに会ってきてもいいかな?」

 これもまた有無を言わせぬ口調でエドワードは、にっこりと無敵な笑みを浮かべた。エドワードはあの鋭い眼差しで人をひれ伏せさせることもできるが、笑顔で操ることもできる。

 これが王太子の器だろうか。

「……どうぞ、こちらへ」

 渋っていたものの、結局店主は折れて、エドワードを奥へと連れて行った。消える直前にリッツに向かって片目をつぶって見せたのは、後はよろしくという意味だろう。

 いったい何を考えているのやら。たまにリッツはエドワードのあまりに回転の速い頭に、全く着いていけない。 

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