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反逆の後処理のため、エドワードはリッツの後を追えなかった。しばし呆然と立ち尽くしたのち、ようやく自分が何をすべきかに気がついて、足が勝手に元来た廊下を辿っていた。
リッツを追いたかったが、メイソンの死を無駄にしないために、状況を変えねばならない。リッツが慕っていたメイソンの死を無碍にすることは、エドワードにはできなかった。
暗く沈んだ気分で調印式場に戻ると、扉を開ける前に大きく深呼吸をする。
ここに居るのはエドワード王太子だ。友を傷つけて、半ば見捨てられたエドワード・バルディアじゃない。自分に言い聞かせることでようやく王太子としての面目を保てる精神状況に持ってくる。これで大丈夫だ。演じることには、慣れている。
扉を開くと、人々によって恭しく迎え入れられた。床の片隅には死んだ人々の死体が積み上げられており、その中にはハーマンの死体もあった。
全員がエドワードとリッツが、メイソンを追っていったことを知っている。そしてみながメイソンが反逆者だと考えていて、メイソン本人もそうありたいと思っていた。
だからエドワードにできることは一つだった。
「ガルシア侯は無事である。彼に危害を加えたメイソン男爵と、ガルシア侯に毒を盛っていた偽医者も討ち取った」
堂々と大きく宣言すると、人々がみなエドワードの前に跪き、最敬礼をとった。人々の頭を垂れる姿を見ながら、エドワードは嫌と言うほど自分の立場を目の当たりにした。
これほどの後悔に胸を痛めてもなお、エドワードは胸を張り、自分の正義を貫かねばならない。
「ハーマンは自らの権力を望みこの反乱を起こした故、同情の余地はない。我が名をもって、ハーマンを罪人として断罪する。彼はセクアナ自治領主ガルシアへの叛逆の罪を、死してもなお背負い続けるだろう」
エドワードが王位を得て歴史が描かれる場合、ハーマンは王太子をも弑逆しようとした大罪人となる。それを宣言したのである。それからエドワードは口調を柔らかく改めた。
「だがメイソンはこの自治領区を深く思い、それ故に反逆の片棒を担いだようだ。反逆という重い罪ながら、故郷を思う彼には同情の余地はあろう」
同じ犯罪者でありながらも、エドワードは心より故郷を愛して反乱を起こしたメイソンを許して見せた。罪は許されぬし、そのまま犯罪者として記録されるも、これでハーマンとの印象は大きく変わるだろう。
エドワードにできるメイソンへのただ一つのことは、こうして彼の故郷への愛情を、人々に知らしめることだけだった。
リッツは許してくれないかもしれないが。
友をこんな形で裏切ってしまったのは初めてだ。だが幾度話してもきっと、エドワードは同じようにしかリッツに答えてやれない。どうしてもメイソンを救えなかった。
自治領主として、その補佐官として負うべき責任を彼は果たしただけだ。責任とは自らの背負う重さを理解し、裏切った時はそれを背負うことに他ならない。
だからメイソンを救うのは間違いだ。人々の上に立つ者として、それだけは譲れない。悪いと思っているのは、リッツにメイソンのことを黙っていたこと、その一点だけだ。
もしこれがリッツに取って、絶対に許されないことだったなら、どうなるのだろう。共に過ごすことができなくなるのか。
それを思うと鉛を飲み込んだように、胃の腑が重くなる。だが言葉だけは威勢良く、王太子として紡ぐ自分がいた。
「だがガルシア侯への反逆は罪である。そしてその企み全てが、実を結ぶことなく失敗に終わった。正義は我らにあり、反逆は精霊王の意に逆らった結果だったからだ」
言葉を切り、全員を一通り見渡した、顔を上げた人々の表情は、希望に満ちて明るい。そんな彼らに堂々と、王太子として宣言する。
「我々はこの混乱を超え、セクアナを民衆のために変えていかねばならない。まず私の名をもって、セクアナの北部同盟加入を内外へと公表せよ。セクアナに王太子ありと、セクアナを搾取してきたルーイビルに知らしめるのだ」
セクアナの人々が頭を垂れる。
「トラヴァース」
名を呼ぶと男がひとり転げるように歩み出て、足下に跪いた。
「はっ!」
「ガルシア侯の臣下として、領主の片腕となり、自らの故郷だけではなく、セクアナを豊かな自治領区に復帰させてみせよ。私はそれを見守っている。もし卿に、身体の弱いガルシア侯をないがしろにするようなことがあれば、その時は革命軍の力を、おぬしの故郷によって知るだろう」
笑みを浮かべ、微かに脅しを掛けると、目の前でハーマンが除かれたことを思い出したのか、血の気が引いた顔で床に突っ伏した。
「力を尽くさせて頂きます」
「期待している。ガルシア侯の執事はいるか?」
「はい。ここにおります」
進み出てきたのは、晩餐の際に彼らを案内してくれた人物だ。
「明日、腕のいい医者が屋敷へ来る。彼を主治医とし、ガルシア侯の健康に留意せよ」
「御意にございます、殿下」
深々と頭を下げた執事の目は、微かな悲しみを讃えていた。きっと彼も全てを知っているのだろう。それでも彼は領主と補佐官を止めることなどできなかったのだ。
執事の静かな眼差しに頷き返すと、エドワードはジェラルドを見た。ジェラルドは気遣わしげな目でこちらを見た。隣にリッツがいない状況で、何があったのかを察したのだろう。
「モーガン侯」
「は」
「今後の段取りを付ける。共に私の部屋へ来てくれ」
「御意に」
「みな、屋敷の現状復帰に励むがいい。身体の弱いガルシア侯に、このような部屋を見せること忍びない。北部同盟加盟式典は、ガルシア侯の回復を待って行う。以上だ」
人々が再び頭を低く垂れた。それを確認しつつも、エドワードは颯爽と調印式場を後にする。扉が閉ざされ、廊下を自室に向かって歩く。後ろに二人分の気配が感じられた。
振り返らずにエドワードは小さく呻いた。
「リッツを怒らせた。あいつはもう、帰ってこないかもしれない」
ジェラルド相手に弱音が漏れる。
メイソンの死後、リッツが駆けだしていき、しばらくしてからようやく呪縛を解かれたように身動きをしたエドワードは、どうしたらいいのか混乱していた。
リッツが飛び出したのは、扉ではなく窓だった。二階だったから無事に地面に飛び降り、街へ行ったのだろうと推測出来るが、それ以上追えなかった。
だからエドワードは、混乱に陥っているだろう調印式場に戻ってくるしかなかったのである。そこにはまだ、エドワードの仕事があったからだ。
でもそれが終わると、あの絶望したようなリッツの顔ばかりが目に浮かぶ。
暗く沈むエドワードに反して、ジェラルドは軽く肩をすくめて苦笑しただけだった。
「だから言っただろう。リッツに秘密を持つなと」
「反省している。全面的に俺が悪い。もし取り返しが付かなかったら……俺はどうしたら……」
半ば溜息交じりにいうと、ジェラルドが笑った。
「リッツがエドを捨てるわけないだろう」
「だけど俺はあいつを裏切った。許してくれないさ。エリクソンはそう思うだろう?」
もう一人の気配、元騎士団長のエリクソンに言うと、エリクソンは柔らかな笑みを浮かべた。
「恐れながら殿下、正直に言わせて頂きます」
「ああ、頼む」
「リッツが離れるわけないだろう。あれだけ懐かれておいて、何を心配しているんだエドは。とっとと迎えに行ってこい……と昔の私なら殿下に発破を掛けたでしょうな」
そういえば騎士団員だった頃、リッツと殴り合いの喧嘩になった後、散々エリクソンにそんなことを言われたと思い出す。
「だけど、あの頃とは違うよ隊長」
昔の呼び名で呼ぶと、エリクソンが吹き出した。
「同じですよ。たった一度でリッツがあなたを見限ったりしますか、殿下」
「だが俺はあいつに隠し立てをして、あいつが信頼した人を信頼できない男に内偵させたんだぞ」
「かもしれません。ですが殿下はリッツに告げていないでしょう? メイソンが罪を犯さぬ道はないかと、ずっと悩み続けたことを」
リッツがメイソンと笑い合っているのを見て、何とかせねばと焦った。どうにかしてメイソンの気持ちを変えるきっかけを作りたいと悩んだ。
でも全ての手がメイソンの心と反していて、結局何もできなかったのだ。
「いう間がなかったというか、リッツの前なのに何故か格好付けたというか……。ちゃんと説明をしたかったのに、リッツが何だか急に俺から離れたいようなことを言い出して……それで……衝撃を受けて気がついたら逃げられていたというか……」
落ち込みながらの、半ば愚痴に、ジェラルドは小さく笑う。
「何がおかしいんだ、ジェラルド?」
「お前が私相手に感情を出してくれるのが嬉しいのさ。私もお前も、リッツに大きい物を貰っているんだな」
「大きい物?」
「互いへ素直な感情を表現する気持ちだ。必要以上に高くなっていたその壁を壊すハンマーを、リッツはお前に渡したんだ、エド。おかげで私はお前の愚痴を聞ける」
そういえばジェラルド相手にこんな風に感情を吐露することなど、昔は無かったかもしれない。リッツはいつも、エドワードがいたから生きてるんだと口にする。でもリッツがいたから今のエドワードがある。
「ジェラルド」
「なんだね、エド」
「俺に時間をくれ。あいつに謝って、連れてくる」
あの時の絶望の表情も含めて、リッツと話し合わねばならない。メイソンのこと、セクアナのことを。
「今すぐにか?」
「ああ。あいつをひとりにしておくと、ろくなことにならないから」
気がつくと自分の部屋の前にいた。部屋の中まで着いてきた二人を置き去りにして、エドワードは自分の荷物をかき回し、ティルスでよく着ていた吊りズボンを引っ張り出した。
新しいハンチングは、あの少女にあげてしまったから、その前にかぶっていた洒落た麦わら帽をかぶる。鏡に映る落ち込み気味の覇気の無い自分は、どう見ても農民だった。
リッツが言う通り、血筋が意味を持たぬなら、農民が王を目指す日が来るのかもしれない。今はまだ夢物語だが。
「セクアナの今後は、以前話し合った通りだ。ルーイビルに対する牽制は、書状にして直接俺が書いてルーイビルへ送る」
振り向きざまに一息に言い切ると、ジェラルドが小さく溜息をついた。
「護衛もなくひとりで行くのか?」
「ああ。農民に護衛が付いていたら変だろう?」
「リッツが見つかったら戻るな?」
「ああ。あいつが見つかるまで、街をうろうろしてみるよ」
いいながら肩から古びた鞄を斜めに掛け、太いベルトを巻いた反対側に剣を帯びる。これぞティルスの農民スタイルだ。と言うよりも第三騎士団時代の自分の正しい姿かもしれない。
自分の姿を確認してから、ジェラルドを振り返る。
「本営に異常は?」
「今の所なし。王都にも動きはない」
「分かった。早く帰ってくるよ。後は頼んだ」
エドワードはそのまま、振り返りもせずにガルシアの屋敷を出た。
そして時間は流れ、もう丸二日もの時間が経っている。一日中足を棒にして街を歩き回り、疲れ切れば領主の館に戻って眠るだけの生活を、エドワードは苦もなく繰り返し続ける。
簡単に見つかるような気でいたのに、リッツは見つからなかったのだ。今までの経験から、リッツがいる場所は飲み屋か娼館と決まっていたが、そのどこにもリッツの姿はなかった。
もしや本営に戻ってしまったのか、それともティルスまで戻っているかもしれない。そんなことを考えもした。
もしもシーデナまで戻っていたら追えないと思いついた時には、正直、心の底から冷たいものが上がってきた。リッツはシーデナに嫌悪感を感じているというのに、自分がそこに彼を戻したとなると、恐怖に近い申し訳なさが溢れてしまう。
色々考え、暗い考えに沈みそうになりもしたが、ようやくの思いで三日目の夜、リッツをみつけた。
薄暗い裏路地の片隅で、リッツは地面に座り込んで顔を膝に伏せ、うずくまっていたのだ。
隣には難民に与えられる食事の椀がある。その椀はちゃんと使われた形跡があった。そういえばリッツは財布を丸ごと少女にあげてしまって、無一文だったはずだ。つまりこの三日間、彼は難民として過ごしていたのだと分かった。
道理で店を見ても無駄だったわけだ。そんな単純なことに気がつかぬほど、エドワードも動揺していたようだ。
出て行った時に着ていたのは、上着はなくとも騎士団の正装だったはずだが、白いシャツ姿は灰色に薄汚れていた。黒のズボンに至っては、泥に汚れ、見る影もない。
いつもは剣士として帯剣しているリッツだが、剣はメイソンが死んだ時に落としたきりだ。乱れた白いシャツだけしか着ていないから、おそらく短剣すらも、手にしていないだろう。
そっと近寄って正面に立つも、リッツは反応を示さない。黒髪は薄汚れて埃にまみれていた。どう言葉を掛けていいのかと立ち尽くすエドワードに、顔を上げぬままにリッツが呻いた。
「俺は売りもんじゃないよ。そういうの期待してんなら、どっかいってくれ」
裏路地に若い男がうずくまっていれば、あの少女のように身体を売る者と間違えられるのだろう。リッツの口調はそれを追い払うのに慣れていた。
リッツは長身で、しなやかな筋肉に覆われた武人ではあるが、こうして傍目に見れば、線が細く、少年と青年の境目を揺れる危うい魅力を持っている。
それが年上の娼婦たちに可愛がられる一つの要素だ。それなのにひとりでこんな所にいたら、男娼に間違われて声を掛けられて当然だ。
その上彼は武器を携帯していない。リッツの実力を考えたならばあり得ないだろうが、危険な目にも遭っているかもしれない。今の彼は抵抗することすらできぬぐらいに無気力そうに見えたからだ。
エドワードはリッツの前に膝を突く。人の気配にもリッツは顔を上げなかった。
「構うなよ。ひとりにしてくれ」
気怠げにそういったリッツの頭に手を乗せ、かぶっていた埃を払ってやる。
「触るなって言ってるんだ。放っておいてくれ」
そう言いながらも、手を払う気力も無いリッツの埃を払ってから、その手で頭を軽く叩く。
「そういうわけにはいかない。悪いが俺にはお前が必要なんだ、リッツ」
弾かれたようにリッツが顔を上げた。目が合った瞬間、リッツが顔を歪めた。嬉しいような煩わしいような、そんな微妙な表情だった。
「エド……」
「心配した。三日も帰ってこないからな」
淡々とそう言うと、リッツの隣に座り込む。
「……迎えに来たの?」
「違う。謝りに来たんだ。今回の喧嘩は一方的に俺が悪かったからな。それで……願わくば、一緒に帰って欲しいんだが……」
正直に告げると、リッツは俯いた。
「エドが謝ることない。だってエドには理由があったんだ。俺は感情的に物を言ってるだけで、結局エドがいつも正しい」
リッツは再び膝に顔を伏せる。
「どうして俺が正しいと言い切れる?」
「俺が一番エドを分かっているからだよ。違う?」
「……その通りだ」
全てを打ち明けて共に笑い、泣き、ぶつかり合った人など、お互い他にいなかった。
「感情のまま飛び出して、それで色々考えて考えて、苦しくて、しんどくて。それで……思ったんだ。きっとエドは、メイソンについて色々考えてくれたはずだって。俺が知らないところでも力を尽くしてくれてたはずなんだって。それでもエドの力でもどうしようもなくて、だからエドはどうすることもできなかったって俺に言ったんだって」
「ああ。そうだ」
「エドが考え抜いてくれたなら、俺が一緒にいても結果は同じだったって」
それはリッツが買いかぶりすぎている。エドワードには不可能なことだって多い。完全な人間などでは決してない。
「……リッツ」
呼びかけた声はリッツの耳には届かなかったようだった。リッツは独り言のように、言葉を吐き出し続ける。
「だけどどうしてそれが、俺と一緒じゃ駄目だったんだろう。一緒に悩んでメイソンを救う手立てを考えちゃいけなかったんだろう」
リッツはおずおずと顔を上げた。汚れた顔に疲れがくっきりと浮き上がっていた。
「なぁエド。俺は今、お前にとって何だろう?」
ダークブラウンの瞳が、寂しそうに遠くを見つめている。あまりに当たり前のことを聞かれて、エドワードは戸惑うしかない。
「友だ。それ以上も以下もない」
「本当に? 年を取らない俺に、エドは何らかの煩わしさを感じてない?」
「煩わしさだと?」
「エドは大人になってく。俺は出会った頃のまま、年を取らない。だからエドは俺を信用できなくなっていく。俺が子供だから、どんどん年の差が開いていくから……」
リッツは途方に暮れているようだった。自分ではどうすることもできない寿命の差を、また感じ始めているのだ。
エドワードは女神でも精霊王でもないから、リッツとの寿命差を縮めることはできない。だから強くリッツに言い聞かせることしかできない。
「そんなわけないだろう」
「本当に? 本当にない?」
「本当だ」
「じゃあ何で、俺が傷つくから黙ってようって考えになったの? 俺が幼くて、ジェラルドやエリクソンのように相談できる相手じゃないと思ったからじゃないの?」
本当に子供のような、ただ不安を抱えた目でリッツに見つめられた。吸い込まれそうなその瞳を見つめつつ、エドワードは自らの思いの底を覗き込んだ。
何故リッツに隠したのだろう。確かに今考えればその理由が分からない。
リッツがメイソンを気に入っていて、信頼し始めていた。だが明らかにメイソンは、エドワードに警告を送っていた。エドワードはリッツやジェラルド、エリクソンに騎兵隊を守るために、裏を探ることを決めた。
今までならばこの時点でエドワードは、こうリッツに警告をしていたはずだ。
『完全に気を許すなよ、リッツ。メイソンには裏がありそうだ。少し調べてみる必要がある』
そうなればリッツは、素直に頷くだろう。
『分かった。ちょっと注意してみるよ』
何故今回に限ってそれができなかった? 何故リッツに秘する必要があった?
考えの底から浮かんできたのは、ピーター・ハウエルの存在だった。リッツはハウエルを嫌っている。信用できないとして、疑い、倦厭している。だがエドワードはハウエルを使うことに決めた。
人の少ない革命軍に、諜報活動は必要不可欠であったし、それをギルバートの傭兵と、ジェラルドに頼るのは限界だった。
ハウエルは王国全土に情報網を持ち、工作活動をすることも可能だったのだ。それ故にハウエルを配下に治めると決めた。
リッツの意向を無視して。
だからどこかに、リッツに対する引け目があった。ハウエルで不快な目に遭わせておきつつ、この街で今度はリッツが信頼している人間をハウエルに内偵させるなど、もってのほかだと思ったのだ。
でもそれは結局エドワードの身勝手な思いだった。色々理由を付けて、リッツのためだと思い込んで、結局裏切るような真似をしていた。
それに初めて気がついた。
「お前が幼いと思ったわけじゃない。どちらかというと子供じみた考えで動いたのは俺の方だ」
正直に認めると、リッツへと微笑みかけた。
「ハウエルを臣下として認めたとき、お前、俺の後ろで小さくなってただろう。それにコネルに会議の席からつまみ出されたときも、お前は悲しそうな顔をしていたし、最近立つ瀬が無いような顔でいることが多かっただろ?」
「……実際に立つ瀬が無かったんだ……」
ボソッと呟くリッツの声には、やり場のない思いが溢れていた。
「俺は役立たずで、お前の役に立っているのか不安で、だから何か役に立ちたいと思ってた」
「役立たずなわけがない」
「でも何もしてない」
「お前はそれでいいんだ。お前は俺の護衛だし、俺の友だ。どうして臣下のように役割を与えられないと不安なんだ? 俺の友ではいやか?」
「違うよ! 不安なんだ。俺は必要とされたいんだ。お前にも、仲間にも」
「必要としてる。だから俺はお前に隠し立てをしたんだ」
語らずにおきたかった。でも語らねば自分がリッツに伏せたことを理解させられない。覚悟を決めて自分をさらけ出す決意をした。
「俺は忙しさにかまけて、お前をフォローしてやれなかった。いつか暇ができたら、いつか時間ができたら、お前のその孤立感を消してやりたいと思ってたんだ。それが妙な方向に俺の中で固まったらしい」
「妙な方向って?」
「俺はどうやら、お前に嫌われたくなかったようだ」
真っ正直にそう言うと、リッツは目を瞠った。
「は?」
「お前が俺から一歩引いているような状態が続いている中で、メイソンをハウエルに内偵させる。そんなことを言ったらお前に軽蔑されそうで怖かった。だからお前を傷つけたくないと理由を付けて、それを隠したんだ」
疲れたとき、本当に苦痛に陥ったとき、救ってくれるのはリッツだ。馬鹿なことをして、喧嘩をして、笑い合うことにどれだけ救われるか。
だがリッツの世界観と、エドワードの世界観が違うのもまた事実だ。世界観が異なったとき、今までリッツはエドワードの王を目指すという道のために、彼の世界観をエドワードに合わせてくれていた。
エドワードはそれに慣れ過ぎていたから、リッツなら分かってくれると、高をくくって真実を歪めた。友を失いたくないという、自分の欲を優先したばかりに、友を傷つける羽目に陥った。
「いい年して馬鹿らしいだろう? だがよくよく考えればそういうことになる。まあ二十四になって初めて友を得たんだから、仕方ないだろう?」
努めて明るく告げたが、リッツの苦悩は薄れない。エドワードはリッツを見つめた。
「すまなかった。相棒のお前に、もうこんな隠し事はしない。身勝手に選択せず、一緒に取捨択一をしよう」
「……本当に?」
「もちろんだ。だから戻ろう。お前が戻らないと、セクアナの北部同盟加盟宣言もできないし、それができないと本営に帰れない」
リッツの肩を、軽く叩いてから立ち上がった。仲間が待っているから、帰ろうという合図だ。だがリッツは立ち上がらなかった。座ったままのリッツに見上げられる。
その目は暗い闇を宿しつつも、真剣だった。
「エド、正直に答えて欲しい」
「何だ?」
「お前が壮年の大人になって、でも俺はこのままだったとしたら、俺たちの友情は成り立つのかな?」
エドワードにとってはあまりに当たり前の問いかけに、首をひねるしかない。
「何故だ?」
「怖いんだよ。俺は今はお前の友、やがてお前の息子、いずれはお前の孫に見えるようになってくと思う。俺はずっとお前を友だと思うだろうけど、お前は見た目が変わらない俺を、ずっと友だと思ってくれるのか? ずっと友として、俺と接してくれるのか?」
見上げる真剣な眼差しに、エドワードは確信を持って頷いた。
「当たり前だ。年を取れば、接し方は変わるだろう。でもそれは俺の気持ちが変わったのではなく、俺が年老いただけのことだ。年老いて口調が変わったことまで、お前は俺を責めるか?」
「責めないよ。それは仕方ないじゃんか。エドは人間で、俺は……精霊族なんだ」
「それはありがたい。たとえ年老いても、お前と大げんかをして殴り合うことがなくなったとしても、俺はお前をずっと友として接する。お前の見た目でお前との関係を見直すことなど決してない」
「本当に?」
「本当だ。その覚悟がなければ、お前の命など預かるものか」
エドワードが断言すると、リッツは大きく長い溜息をついた。それから汚れた頭を掻いた。
「俺をガキだって軽んじた訳じゃなかったんだ……」
「軽んじるわけないだろう。どちらかと言えば俺が子供っぽい我が儘を言っただけだ」
認めてしまえばすっきりする。エドワードは自分の肩の荷が軽くなったのを感じ取った。やれやれだ。まだまだ自分は精神修養が足りていないらしい。
「デューイのこと考えた、エド?」
ぽつりと聞かれて、隣に再び座り込んで頷いた。
「……眠れなくなるほど考えた。トラヴァースよりもメイソンがいてこそ、セクアナは潤うと分かっていたからな」
「本当に?」
「ああ。ソファーで馬鹿みたいに寝こけるお前の横でな」
「……相談してくれれば良かったのに」
「今にして思えばそうだな。作戦の脇を固めていきつつも、やはりメイソンを生かす術はないのか悩んだ。だが当の本人の決意が固すぎた」
「うん。デューイは頑固だ」
「だろう? いっそ気絶させて本営にとまで思ったが、それでは意味が無い。ガルシア侯は彼が生きていることを望んだが、それはハーマンを除いた後のことだったからな」
「そっか……」
「今は裏切り者として世間に知られるだろう。でもなリッツ、いつかきっと真実が語られる日が来る。俺たちが国を正しい方向に導けば、正しい歴史を研究する人々が必ず現れる。だから俺は今、俺たちの全力を尽くしたいと思う」
リッツが押し黙ってしまった。エドワードも黙ったまま、二人並んで路地裏で空を見上げる。建物の合間から見上げた空は狭いが、星が綺麗に瞬いていた。
不意に目の前に立った男が、リッツの隣に置かれていた空の椀に一枚の銅貨を投げ込んだ。銅貨は一枚一サーデル。銀貨のおよそ十分の一だ。
「若い二人じゃ足しにもならんだろうが、取っとけ」
「え、あ……」
「あんたたちは若いんだ。前向きに生きろよな。これからセクアナは変わる、そんな流れが来てるんだ」
リッツが答える前に、男は姿を消していた。困ったように椀を覗いたリッツの目の前で、エドワードは銅貨を取り出した。
使い込まれ、真っ黒になったサーデル銅貨。まるでセクアナの人々の、苦悩の歴史を秘めているようだ。
「さて、セクアナの民に施しを受けてしまったからには、働かねばならないようだ」
「たった一サーデルで?」
「そうだ」
デューイ・メイソンのために最後にできることは、セクアナを幸福にすること。
それができるのは王太子であるエドワードであり、精霊族の戦士であるリッツだった。他の誰も、偽王を倒し、世界を変える正当な理由を持てない。
リッツの手のひらに、銅貨を押しつける。これはメイソンと親しく交わったリッツが持つべき物だ。セクアナの未来へ馳せられた、彼の思いを込めて。
「帰るぞリッツ」
エドワードは立ち上がると、後ろを見ずに前だけを見て歩き出す。
リッツは必ず半歩後ろを付いてくると信じて。
ほんの少し遅れたが、後ろで立ち上がる気配がした。小走りに歩み寄ってきた足音は、エドワードの半歩後ろを付いてきた。
そのことに心から安堵して、エドワードはガルシアの屋敷への帰路を辿った。
ハーマン伯爵とメイソン男爵の反逆から五日後、ガルシアとジェラルド、そしてエドワードによって、セクアナの北部同盟加盟が華々しく自治領区の民に伝えられた。
これよりセクアナは義勇兵によるセクアナ護衛団を結成し、ルーイビルの脅威から身を守りつつ、荒れ果てた農地の復興を行うと、ガルシアによって宣言されたのだ。
各村、街に支給される補助金、家族の数によって割り振られる農地、その全ては、すでにメイソンによって書類とされていた。
それはメイソンの死後、ガルシアの元に届いており、後はガルシアがサインをするだけで執行される手はずになっていたのである。それをみつけたときから、ガルシアは生きる気力を取り戻していった。
その後、ガルシアはたった四日で、車椅子から立ち上がることができるぐらいに回復を遂げている。メイソンが必死でみつけた医者が出した薬が、思いの外効いているのだという。
メイソンの死を知ったガルシアは、ジェラルドの前で泣き崩れたのだと聞いた。ガルシアにとってメイソンは、彼の半身だったのだ。
身体の弱いガルシアが他の街を治める貴族たちから孤立しがちとなり、自治領主としての権限を行使できずにいた頃も、メイソンはずっとガルシアの隣にいた。
難民たちのために自らの資産を投げ打って始めた炊き出しを、表向き陣頭指揮したのはガルシアの娘だったが、それを裏で全て手配したのは、やはりメイソンだった。
ガルシアの家族が惨めな思いをせぬように、メイソンはいつも彼らに気を配った。ガルシアの娘はメイソンを父のように慕っており、ガルシアはどちらが本当の父か分からないと言っていたのだそうだ。
エドワードの元から逃げ出して、三日後に戻って来たリッツは、直後にガルシアと面会している。ガルシアはメイソンとリッツが親しくしていたことを知っていて、メイソンの最後を聞きたがったのだ。
その際にガルシアが言った一言が、リッツには忘れられなかった。
『メイソンがいなくなったら、やけに屋敷が広く感じる。人の存在は、ただそこにあるだけで誰かを照らす光となるんだ。メイソンは平凡だったかもしれない。だが我々家族にとっては、無くてはならない、暖かなたった一つの光だった』
リッツは街の中央広場に設えられた広い儀式用の演台の上に立ち、目の前のジェラルド、ガルシアを後ろから眺めていた。
エドワードは演台の中央に置かれた豪奢な椅子に腰掛け、悠然と民衆を見下ろしている。その姿は王族の正装であり、ゆったりとしたローブ状の服は、いつもの動きやすさとはかけ離れている。
正装のエドワードと違い、制服を使い物にならなくしてしまったリッツは、急遽ジェラルドが仕立ててくれた騎士団の制服に身を包み、いつも通りその隣に立っていた。
見渡してみても、どこにもあの誠実なメイソンの姿はない。分かっているのに、本当はそこにメイソンの姿がなくてはならない、と思ってしまう。
演台のすぐ下でガルシアを見守っているのは、メイソンではなくトラヴァースだった。トラヴァースはあの事件以来、自らの利益を追求するよりも、セクアナを守ることに力を入れ始めてた。
エドワードが何かを言ったからだと聞いたが、エドワード本人に聞くと『ちょっと脅してやっただけだ』と笑っていた。エドワードの脅しはしゃれにならないほど怖いことを、エドワード自身は知らない。
人々の歓声でふと我に返る。人々の声はみな、一つの言葉を叫んでいることに気がついた。
「殿下!」
「エドワード王太子殿下!」
友を、エドワードを讃える声が響く中、エドワードは椅子から優雅に立ち上がり、演台の先へ歩を進めた。その姿を見た民衆から歓喜の声が上がる。エドワードの半歩後ろに影のように立ち、リッツも民衆を見下ろした。
その顔に溢れるのは、希望だった。人々はこれから先へと伸ばされる未来への希望で輝いていた。
デューイ、ほら見ろよ。
あんたが望んだ光景が、ここにあるよ。
心の中で死んだメイソンに語りかける。
でもさ、やっぱり悲しむ人はいっぱいいたよ。ガルシア侯の家族は、みんな泣いて悲しんでた。屋敷は静まりかえって、屋敷までがあんたの死を悼んでいるみたいだったんだ。
ハーマンとメイソンの死は、衝撃を持って民衆に公表された。それ以後、本当につかの間の時間でセクアナの街にあった、メイソンの評価が変わってしまった。
叛逆罪でエドワードに討たれたメイソンは、実はガルシアを殺そうと医者に毒を盛らせていたとか、街の人々を取り込むために、セクアナの街の人々にこびを売っていたのだ、と言う噂がまことしやかに流れたのだ。
前にリッツとエドワードがメイソンに連れられていった酒場の主人は、リッツを見るなりに顔を伏せ、迷惑そうな表情をした。きっと反逆者のメイソンの関係者に近寄りたくなかったのだろう。
こうなると分かっていつつも、その罪を背負ったメイソンは、どれほど強い男であっただろう。それとも彼は家族を失ったときに、他者からの評価を全て必要としなくなっていたのだろうか。
物思いにふけっていたリッツの耳に歓声が聞こえてきた。エドワードの演説が終わり、人々が歓喜しているのだとすぐに分かった。
エドワードの後ろ頭を見ながら、エドワードの言葉を思い出す。
リッツに嫌われたくなかった、エドワードはそういった。子供じみていてそれを恥じている風でもあった。だから内々で処理をし、リッツが気付かぬうちに何事もなかったようにしたかったらしい。
あまりに意外で、あまりに信じられなくて驚いた。あのエドワードがそんなことを言うなんて、考えられなかったのだ。てっきりリッツでは何の解決策も持つまいと、軽んじられたのだと思った。
エドワードは友だ。
でも彼は自分の光で、希望で、前に立つ人だ。落ち込んだり悩んだりと、微かに光が揺らぐも、いつも最後は輝きを放つ。
だからエドワードが自分と同じ所まで下りてきて、共に同じように馬鹿馬鹿しい悩みを抱えていると知ると、不思議な気分になる。
それは決して嫌ではなく、少し安堵している自分もいた。リッツ自身が彼らの役に立ちたいともがくことも、きっと必要とされたくて、嫌いにならないで欲しいからに相違ないからだ。
結局自分は子供なのだ。まだ家を出てから、社会を少し知っただけの。
そしてエドワードも、王太子としては年期がいっているのかもしれないが、友を持って、周りの人々と深く接するようになってから、僅か三年の付き合い初心者だ。
お互いに、馬鹿みたいなことで馬鹿みたいにぶつかっている。書類を吹き飛ばしただの、隠し事をしただのと、本当に子供のようだ。
でも、もっと喧嘩をして、もっと馬鹿らしいことでぶつかってもいいのだろう。自分たちは。それが自分たちを成長させていくのだから。
メイソンは確かにエドワードとリッツの立場を利用した。でもリッツたちに、更にぶつかり合い、お互いを高めていくきっかけを作ってくれた。
そう、きっとこれでおあいこだ。
リッツの記憶の中のメイソンが苦笑している。そんな彼に、言葉に出さず語りかける。
あんたのことを、これからは責めたりしない。どうしてだって問い詰めたりもしない。だからちゃんと見守っていてくれ。この自治領区を。
エドワードがガルシアを隣に呼び、ガルシアから民衆へと言葉を促す。
エドワードに肩を抱かれたガルシアを見る民衆の目には、セクアナが王太子によって大切な自治領区なのだと実感するだろう。
それが彼らに自信を与え、ルーイビルに圧力を掛ける。それがエドワードをここに呼んだ、メイソンの最後の置き土産だった。
「まだ自治領区はまだ貧しく、財政は傾いたままだ。だがこのどん底の時代は今幕を閉じたのだ。これから我々は、自らで作り、自らを潤すために田を耕し、畑を掘り起こそう」
ガルシアが痩せた頬を紅潮させて民衆に向かってそう語りかけた。民衆が口々にガルシアの名を呼び、それを讃える。難民も商人も街人も、全てがみな、誇りを持って自分の所属する自治領区の長であるガルシアを見つめている。
きっとガルシアは、民衆と一致団結し、セクアナを豊かにしていくのだろう。その幸福な未来図が見えた気がする。
その民衆の前で、エドワードはガルシアに向かって片手を差し出した。ガルシアはそれを力強く握り返す。固い握手に、再び歓声が沸き上がる。エドワードはガルシアに微笑み、希望に燃える人々に、その澄んだ眼差しを向ける。
その場に朗々たるエドワードの声が響いた。
「セクアナはこれから更に栄え、幸福な自治領区となって行くであろう。今の貧しき状態は、まだ続くやもしれぬが、もう二度と後戻りすることはない。自らの幸福のために、みなの懸命な努力に期待している」
締めくくったエドワードの言葉に、地をとどろかせるような、わき上がる民衆の歓喜の声が響き渡った。
これがセクアナを全て変える。初めの一歩になる。だがエドワードの役割はここまでだ。後はセクアナの民が自分自身で努力をせねばならない。
エドワードは民衆へと穏やかな笑みを浮かべて手を振り、演台を静かに下りていく。リッツもその後に続いた。
演台の下で、護衛を務めるエリクソンの部隊が、押し寄せる民衆から、エドワードの通る道を確保してくれていた。彼らと合流し、もっと近くでエドワードを見ようと押し寄せる人々を、笑顔で押しとどめて館への道を進む。
その時、リッツの耳にかすかな声が飛び込んできた。その声は確かにこちら向かって投げかけられていた。
「リッツさん! エドワードさん!」
リッツは民衆の歓喜に消えそうな、微かな声の方に視線を向けて声の主を探す。少し離れた場所で、声の主をみつけた。
「エド、エドってば!」
前をゆくエドワードのローブを引っ張ると、エドワードが振り返った。
「何だ?」
「あそこ! ほら!」
エドワードの視線がリッツの指さす先に向かい、その姿をみつけて微笑んだ。
エドワードのハンチングをかぶった少女が、ちぎれんばかりに大きく手を振っていたのである。エドワードは少女に向かって穏やかに手を振り、リッツは両手を振り回した。
少女は民衆の中に埋もれそうになりながらも、ぴょんぴょんとその場で跳ね、身体全体を使ってこちらに感謝を伝えている。本当に嬉しそうな声が、こちらにまで届いていた。
きっとリッツのずば抜けてよく聞こえる耳でなければ、その声は拾えなかっただろう。
「エドワードさん、帽子ありがとう! リッツさん、優しくしてくれてありがとう!」
あの夜と違い、古着だろうが娘らしい服に身を包んだ少女の胸には、リッツの財布が抱きかかえられていた。
大切な大切な、宝物を抱いているかのように。
「幸せになれよな!」
民衆など忘れて、リッツは大声で少女に向かって怒鳴り返す。唐突なリッツの行動に、回りの民がぎょっとした顔をしたが、そんなことはどうでも良かった。
「絶対に絶対だぞ!」
この思いを、メイソンが願った幸福を、セクアナの民みなの幸せを、あの少女に感じて欲しかった。
リッツの声はちゃんと少女に届いた。少女のかすかな声を再びリッツの耳は拾った。
「二人はずっと、私の正義の味方だよ!」
「そうだ! 俺たちはずっと祈ってるからな!」
もう二度とあの子のように、悲しい時代を過ごす子がいなくなるように。
メイソンが自らを犠牲にして手にした幸福を、子供たちがみな甘受できる世界になるように。
少女の言葉の痛みは、まだリッツの胸にある。
でもこの痛みを、リッツは一生抱えて生きていくしかない。友が年を取ることが恐怖にならないように成れるのか、今のリッツには分からない。
でもあの少女のような痛みに比べれば、そんな者はきっと後回しにしてもいいことだ。
リッツは前を見据える。
自分をぐちぐち悩む前に、やるべき事をやれる男になろう。それしかリッツに道はない。
徐々に人波に揉まれて消えていった少女を、見えなくなるまで見送ってから、リッツとエドワードは並んで歩き出した。
目的に向かって、前を向く。それが今、二人に最も必要なことだ。
「セクアナの次は、ユリスラ全部だ。民衆を救うのは、俺たちだ」
決意に満ちた口調でエドワードはそう宣言した。横を歩くリッツに向かって、満面の笑みを浮かべる。
「俺に付いてこいよ、リッツ」
「当たり前だ」
二人は同じ方向を見つめた。
まだ遠くにあり、霞んで見えないが、先にある目的地を、改めて心に刻みつけた。
王都シアーズ。
そここそが二人の目指す地だった。




