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セクアナからの使者が来てから三日後に、エドワード、ジェラルド、リッツを中心とした、五十人あまりの小部隊がセクアナへと旅立った。当然セクアナの使者一行十人も共にある。
五十人の部隊の大半が、いつも通りグレイン騎士団出身の騎兵隊員である。今回はパトリシアは同行していない。ジェラルド曰く、現自治領主と、次期自治領主が共に活動して、共に命を落としたら大事だからとのことだった。
正直パトリシアが共に来ないことに、リッツはホッとしたような寂しいような、そんな複雑な気持ちを噛みしめていた。彼女を傷つけておきながら、未だハッキリと正面切って彼女に告白をしたわけではなく、かといって目を見て謝ったわけでもない。
彼女を傷つけたフォローをエドワードに押しつけたまま、放置しっぱなしになってから一月経ってしまい、余計彼女を関わることに緊張してしまうのだ。
だからエドワードにセクアナへ出向く、といわれた時は、正直気が楽になった。パトリシアに気を使うし、たまに尋ねてくるハウエルには、嫌がらせを受けていて、本営を離れたいとのが本音だった。
そんなことなど、エドワードはお見通しなのだろうなと思う。それ故に彼を守ることに全力を尽くし、自分のやるべき事を完璧にこなそうと、力も入っているのである。
元本営を旅立ってから三日後、一行はセクアナの街へとたどり着いた。騎兵隊と、馬車二つで構成された一団はとにかく足が速い。エドワードとジェラルドは立場上馬車の中にいるが、いざという時に身動きが取れないからと、リッツは同乗を辞退した。
当然ながら今回の王太子の自治領区訪問は隠密行動だ。表向きに喧伝すれば危険であり、騎馬隊だけの守りでは不安だ。
それでも最悪を考えねばならないのが、エドワードの身分である。だからリッツが耳篭を付けて、騎馬隊に紛れて護衛をしているのだ。
馬車の横を進みながら、リッツは街を眺める。
セクアナ自治領区セクアナ。この自治領区の中心の街だ。中心に行くほど整備された街は、石畳が敷かれて、少し高い五、六階建ての石造りの建物がひしめき合っていた。
ただファルディナよりも少々規模が小さく感じる。それはやはり、王国中央部の街道ほど大通りが通っているわけではなく、旅人の数も多くないからだろう。
だが小さいながらも街の形式はファルディナの街に限りなく近い。
ファルディナからルーイビルへと抜ける旅人の街道を中心に通していることも、街の中心にある馬車のターミナルからサラディオ・ファルディナ・ルーイビルへと四方に道が分かれていくところも同じだ。
ただサラディオへと向かう道のりは、森に囲まれていて細く、ルーイビルやファルディナほど、整備されていない。隣区であるのに交流があまりないことが明らかだった。おそらく農産物のほとんどは、サラディオ方面ではなくルーイビルと、シアーズに流れてしまうのだろう。
エドワードに聞かずとも、リッツもそれぐらいは分かるようになった。難しく考えずとも、食料の動きを考えれば、色々なことが明白になる。
理由は主食であった。サラディオと境を接しているというのに、サラディオの主食は主に小麦で、米はほとんど食さない。父親に連れられて幼い頃からサラディオに来ていたリッツだが、一度も米料理を口にしたことがなかった。
つまりセクアナの隣区であるサラディオでは、米を手に入れることが難しいのだ。それは交易がそれほどないことを意味する。
街の各所に目をやると、やはり難民が多い。難民ではなくても、うつろな目をして路上にいる人間が少なくない。今が昼時だからか、何が入っているか分からない薄汚れた椀と、木の匙を持っている者もいた。
馬上から眺めていると、地面に座り込んだ母親と少年をみつけた。彼らもまた、他の難民と同じように椀と匙を手にしている。
薄汚れた髪をしているのに、どこか澄んだ瞳で行き交う馬車を眺めていた少年と一瞬目が合った。
少年の瞳は美しかった。
こんな生活をしていても、こちらを見る瞳は希望に満ちていた。この馬車に乗るのが誰か、彼は知らない。それでもルーイビルの人々と異なる身なりで、人々を蹴散らさないこの一行に、何らかの状況の変化が起こるのではと、期待をしているのだろう。
リッツは隣の馬車を見る。
大丈夫。エドワードがこの国を救う。この自治領区を救うための、何らかの算段を付けている。そう彼らを励ましてやりたかったが、それはできない相談だ。
だがきっと、これからセクアナがルーイビルから離れ、北部同盟に属するようになれば、状況は変わる。きっとそれは人々の心に希望の明かりを灯せる。
思えばエドワードは凄い。国民の希望を一身に集め、それを背負っているのだ。やはりかなりの重圧を受けているのだなと、こんな時にしみじみ実感してしまう。
だからこそ、リッツがしっかりと、エドワードを守らねばならないのだ。このちっぽけな命に替えても。
馬車がやがて入っていったのは、街の中心から少し離れた小高い場所にある大きな館だった。堀のように館を囲む水の流れは、まだユリスラが他国と戦っていた折に作られた、人口の堀らしい。
小高い場所を進み、手の入った木立を抜けたところに、その館はあった。
幾つもの尖った濃いグレイの屋根と、四階建てのなだらかな同色の屋根を持つ建物が組み合わされ、その姿は歴史を感じさせられる重厚さだった。クリーム色の壁は焼煉瓦造りだろうか、模様のように規則正しい美しさがある。
敷地に入ったリッツは、広々とした芝生の向こうに立つ大邸宅を見た。
「これがセクアナ領主の館かぁ……」
呟きつつリッツは視線を辺りに巡らせた。馬車が通る石畳の両脇には、夏を彩る可憐な百合が咲いていた。だが手入れされたというよりも、自発的に生えたたくましさがある。
近づくにつれて、遠目に見た物とはほど遠い、館の現状に気がついた。それはあまりに古ぼけており、自治領主が住む館とは思えないほど荒れていたのだ。屋根はあちらこちらが抜け落ち、焼煉瓦はところどころが欠けている。
手入れされている芝生には、種々の雑草が混じっているようだ。庭園の木々の大半も、ほとんど手入れをされておらず、思い思いにその腕を伸ばし放題である。申し訳程度に誰かが苅ったようだが、それがかえって不格好だ。
ふと気配を感じて振り返ると、馬車の窓を開け、エドワードが同じようにこの光景を見ていた。じっと細められたその瞳が何か言いたげだから、リッツは馬を寄せて声をかける。
「寂れてんな」
「ああ」
「手が足りないのかな?」
「金銭的にも、人的にも余裕がないという方が正解だろうな。金銭がなければ人も雇えないだろう?」
言われて見渡すと、芝生を刈る人の姿が目に入った。だがその姿は庭師ではなく、くたびれた制服を着た男たちだ。腰にはリッツ同様帯剣している。
「セクアナ駐留部隊かな?」
「いや。駐留部隊は国軍から給料が出るし、領主の館を管理する義務もない。おそらくセクアナ自治領主の持つ、自治領主軍だろう」
「……グレイン騎士団と同じ立場ってこと?」
「そうだ」
沈んだようなエドワードの言葉に、リッツの気分も落ち込む。これが自治領主を守る軍だったりしたら、ルーイビルに逆らえるはずもない。ところがエドワードは、リッツとは全く違う考えを口にした。
「これを見ると、ガルシア侯爵は信頼できる男らしいな」
「何でさ? 自分を守る軍に出すお金もないのに」
「分からないかリッツ?」
薄い水色の瞳を微かに目を細めて、リッツを見たその表情は、ローレンとよく似た教育者の顔だった。血が繋がっていないのに、エドワードはたまにこんな風にローレンと同じような表情をする。この表情の時は、リッツが自分で考えることを要求しているのだ。
「ええっと……」
呟きながら考えを巡らす。
「まず、ガルシア侯はお金がない」
「そうだ」
「だから屋敷は寂れてるし、軍に金をかけない」
「その通りだ」
「えっと、ええっと……」
だからどうだというのか、リッツにはあまり考えが結びつかない。金がない、戦力がない、ルーイビルに逆らえない。だから助けを求めに来た。これだけではエドワードに問われた質問の答えが出ない。どうしてガルシアが信頼できる男なのか、理由付けができていない。
「ヒントをくれよ、エド」
降参していうと、エドワードが頷いた。
「分かった。ではヒントをやろう。リッツ、お前は街を歩いてきただろう? その中で何かに気がつくことはなかったか?」
「何か?」
「そうだ。そういえばお前、腹が減っていないか?」
「へ? あ、うん。お腹すいたよ。もう昼飯の時間だし。難民もみんな飯食ってたしなぁ」
自分で口にしてから気がついた。他の自治領区の難民とセクアナの難民の大きな違いだ。彼らは皆、昼食時に食事を取っていた。難民は食べる物すらなくて飢え、それ故に死者も出ているというのに。
しかもみな揃いの椀と匙を手にしていた。となれば、難民皆を飢えさせないよう、心を砕いている人が存在していると言うことだ。
顔を上げると、目の前に薄汚れた自治領主の館が迫っていた。最低限の手を入れられただけという様子で、だが清潔に保たれた入口が目に入った。そこにはやはり、掃除用具を手にした制服姿の男たちが数人いる。
「もしかして、自治領主が難民に昼食を配ってる?」
「正解だ。ルーイビルから巻き上げられたとはいえ、同じ貴族同士、自治領主に払われる金も多少はあるだろう。国王から自治領主に払われる給料もある。しようとおもえば、ガルシア侯爵はその金を使って人を雇い、屋敷の手入れをさせることも、私兵を揃えることもできるはずだ。だが屋敷はこの有様であり、そして難民は食事を取っている」
「……自治領区の民衆のために、自分の報酬を使ってるんだ、ガルシア侯って人は……」
「その通りだ。だから彼を慕って私兵がこうして屋敷の手入れをしているのだろうな」
「……そうか……」
彼らがグレイン騎士団と同じだというのなら、無理矢理徴兵されたわけではなく、自ら望んでガルシア侯に使えている人々と言うことになる。その彼らが屋敷の整備をしているのは、領主を信頼しているからだろう。
「本当に金がなくて、何もできない可能性だって捨てきれないが」
苦笑しつつの言葉だったが、エドワードが本当はそんな風に考えていないと分かる。明らかにエドワードは、自治領主への信頼を強めているからだ。
同じ景色を見て、同じように世界に目を向けているのに、エドワードとリッツでは、見ている物がこれほど違う。これがきっと、人としての格が上だと言うことなのだろう。
館に着き、エントランスホールで馬車を降りた一行を出迎えたのは、やせ衰えた車椅子の男だった。年の頃はコネルと同じぐらいではないかと思われた。だが顔色は青白く、とても年を取っているようにも、漂う儚さで若いようにも見えた。その痩せた頬には悲しげな微笑が漂っていた。
だがその細い腕は胸に当てられ、車椅子の上にありつつも、王族への最敬礼を取っている。正面に並ぶくたびれた制服の人々が、車椅子の後ろで膝を突いていた。全員が最敬礼の姿勢で、王太子一行を出迎えたのである。
一行と共に来た使者は急ぎ領主の元に戻り、最敬礼をし続ける人々の中に加わった。
微妙な居心地の悪さと、かしずかれることに違和感を感じたリッツは、一歩前にいるエドワードの後ろ頭を見つめていた。伸びてきた金の髪が肩に届きつつあり、呼吸に合わせて微かに揺れている。
本当はエドワードもこんな状況は嫌なのだろうなと思うが、リッツにはこの状況を変える手段などない。ただ見守るのみだ。
やがて車椅子の男が、面を上げぬまま言葉を発した。
「遠路はるばる足をお運び頂き、多大なる喜びを感じております、王太子殿下。セクアナ自治領区へようこそおいで頂きました。私が自治領主ジェレミー・ガルシアでございます。病弱故、車椅子の上から失礼いたします」
革命軍への使者だったメイソンが、ガルシアの車椅子を押して一歩前に進み出た。エドワードは全てを包み込むような懐深い笑みを浮かべてガルシアへと歩み寄り、ガルシアに手を差し出した。
「私はエドワード・バルディアだ。このたびの申し出をありがたく思う」
ガルシアは面食らったようにエドワードを見上げる。王族が侯爵と握手を交わすなど、今までの慣習ではあまりないことだからだ。でもエドワードの顔を見て、ガルシアはその病み衰えた顔をほころばせ、エドワードの手を握った。
「ありがたきお言葉です。私はこのように病弱の身。もどかしくも我が領民を守ることができず、ただひたすらに祈るばかりでございました。我々セクアナは、殿下のために差し出せる全てを差し出します。どうぞ、我々をお救いください」
握ったままのエドワードの手のひらを、最後の命綱のように握りしめ、ガルシアはその甲に口づけをした。リッツはその意味を、ハウエルによって知らされて知っている。
跪き、手の甲を取ってそこに口づける。もちろんそれが男女のことであれば、永遠の愛を示すことにも成るが、こと王族と貴族であれば、それは永遠の忠誠を意味する。
「王太子殿下に永劫なる忠誠を」
かすれた声でそういったガルシアに、エドワードは頷いた。
「ガルシア侯、今後北部同盟に加盟し、グレイン自治領主モーガン侯、オフェリル自治領主カークランド伯、サラディオ自治領主レオポルド・ルシナ、アイゼンヴァレー自治領主カルヴァン・ストーンと共に、我が軍の後方支援と、難民支援を勤めよ」
「は! 微弱ながら、ユリスラ王国平穏のため、力を尽くさせて頂きます」
感に堪えぬといったように、ガルシアは言葉を詰まらせた。まなじりには微かに涙がにじむ。
苦労の多い人なんだろうなとリッツは思った。身体が健康で動くことができることは、やはり生きることにおいて重要な要素なのかもしれない。
ぼんやりと見ていたリッツの横から、ジェラルドが一歩前に踏み出した。ジェラルドはエドワードに変わり、ガルシア侯の前に立つ。
「私はジェラルド・モーガン。グレイン自治領主にして、北部同盟の盟主を務めている」
「よろしくお願いいたします、モーガン侯」
深々と頭を下げたガルシアに、いたわるようにジェラルドが笑みを向けた。
「これより同盟加入の書類作成に入ろう。一刻も早く加盟をし、それを内外に示した方が良かろう」
「ですがルーイビルは攻めてこないでしょうか?」
不安げなガルシアに、ジェラルドは首を振る。
「今王都では、自治領主に全軍を率いてシアーズを守るようにとの通達が出ている。後方に不安を抱えているからと言う理由で兵を出さなかったとしても、スチュワートという男は許さぬだろう。罰せられ攻撃される可能性がある限り、ルーイビルはスチュワート偽王に従うより他にない」
「では我々は……?」
「北部同盟加盟を喧伝し、その上でルーイビルに革命軍と共に攻め込む意思のないことを宣言する。だがもしもルーイビルがセクアナを攻撃した場合は、ガルシア侯と北部同盟盟主である私の名で、革命軍と共に攻撃に転じると宣言するのだ」
自信に満ちたジェラルドに、ようやくガルシアは安堵の息を漏らした。使者を務めたメイソンも、安堵の息をつくと、ガルシアの車椅子に手をかけたまま問いかけた。
「ではジェレミー様、調印のお部屋へ……」
だがメイソンが最後まで言い切る前に、ガルシアは激しく咳き込んだ。細い身体を折るようにかがめ、身体を小さく丸める。
「ジェレミー様!」
「ガルシア侯!」
メイソンとジェラルドがその場に近づくと、ガルシアは激しく血を吐き出した。古めかしくも磨かれた床に、飛沫のように血が舞い散る。
「メイソン卿、医者は?」
「おります。申し訳ございませぬ、殿下、モーガン侯。調印の義は、ガルシア侯が落ち着いてから……」
激しく咳き込むガルシアの背をさすり、吐き出した血に塗れながらメイソンがジェラルドを、ついでエドワードを見上げた。ジェラルドもエドワードを見ている。エドワードは小さく頷き、優しげな瞳で、涙を流して血を吐き、見上げるガルシアを見た。
「構わぬ。ガルシア侯には身体をいたわって貰わねばならぬからな」
「ありがとうございます」
床にこすりつけぬばかりに頭を下げたメイソンは、駆けつけてきた医師と共にガルシアの車椅子を押してゆく。後に残されたのは兵士たちと革命軍だった。
これからどうなるんだろうと溜息をついて見ていると、男がひとり歩み出た。この屋敷の執事だろう。ジェラルドで言う、アルバート・セロシアだ。
「殿下、モーガン侯。歓迎の晩餐の支度が調っております。領主は席を外させて頂いておりますが、長い旅路の疲れを癒し、本日はごゆっくりお休み頂ければと思うのですが」
執事の言葉にエドワードが頷く。
「ありがたく頂こう」
この日の晩餐ほど奇妙な物はなかっただろう。
晩餐の席に着いたのは、セクアナ側からたったの二人だった。四人分の席が用意されていたことから考えると、この席にガルシアとメイソンが座るはずだったのだろう。
参加したのはどちらもセクアナに支配権を持つ街がある伯爵だった。
口数が多く、一方的な話し方をする方は、ハーマン伯爵といった。自信家の彼はルーイビルに最も近いサンタスの街を管理している。
もう一人のトラヴァース伯は、ハーマンに対しては口数少なく皮肉を言うくせに、エドワードとジェラルドに、しつこく様々な意見を求めていた。彼は、ティアーナという王国直轄地に近い中州の街を管理している。
そして革命軍サイドからも出席者はたったの四名だった。エドワード、ジェラルド、リッツ、そして騎馬隊長のエリクソンだ。護衛に来た騎馬隊は、兵士たちの食堂に招かれている。数名の護衛が晩餐の場にいたが、それにしても広くて長いテーブルにたった六人はわびしい。
リッツはこの古めかしくも、由緒正しき重厚さに、何となく身の置き場がない。堅苦しい雰囲気は元々苦手だ。
ハーマンとトラヴァースの仲は良くないようで、二人の会話にはどこか棘があった。それを聞くエドワードとジェラルドは、かなりの神経を使ったに違いない。
リッツとエリクソンは、彼らの会話を聞き流しながら豪勢な食事に舌鼓を打った。
あの難民の椀と木匙を思い出すと申し訳なさもあったが、この最低限の晩餐もこの館の質素さと同じなのだろうと思い当たった。もし沢山の人々を招いた晩餐会を開いたとしたら、必要な経費は膨大だ。だからこうして小規模に抑えたのだろう。
気の休まらぬ晩餐会を終えた後、指定された部屋は広い個室だった。大人三人は余裕で眠れるのではないかという大きなベットに、古いが磨かれたチェスト。新しくも豪勢でもないが、手入れは丁寧で清潔感があった。
給仕をする使用人も極端に少なかったから、もしかしたら部屋の掃除もガルシアの兵士が行っているかもしれないと思うと、何だか妙にもの悲しかった。
最初はそのベットに身体を投げ出してくつろいだリッツだったが、元々こういう状況に慣れておらず、次第に落ち着かなくなってしまった。
そこでリッツはこっそり荷物をまとめて、エドワードの部屋にお邪魔することにした。何が起こるか分からない状況で、エドワードと別室は、やはり気がかりだ。
革命軍ならいいが、セクアナの人々に見つからないように、こっそりエドワードの部屋を目指す。何か夜這いしているみたいで嫌だが、王太子の部屋にいないと落ち着かない姿を知られるのも嫌だ。
リッツが扉をそっと開けると、中のエドワードに笑顔で出迎えられた。
「遅かったなリッツ。支度しろ」
「は?」
わけが分からずエドワードを見ると、エドワードは王太子を名乗る前によく着ていた、着古した綿シャツにサスペンダーで吊った農作業用のズボン、膝までの編み上げブーツという姿をしていた。
そして頭に、ひょいとハンチング帽をかぶる。剣は田舎騎士よろしく、太いベルトに付けられて腰にある。
「何してんの、エド?」
「晩餐会、楽しかったか?」
質問に答えてくれないのはいつものことだ。
「美味しかったけど、楽しくないよ」
正直に答えると、エドワードはもっともらしい顔で頷く。
「俺なんて味すらも分からない。殿下殿下と持ち上げて置いて、結局やってるのは自分の自慢だ」
「まぁ、そうだね」
「だからだ。セクアナの街で飲み直そう」
一瞬自分の耳を疑った。だが顔をまじまじと見ると、どうやらエドワードは本気らしい。
「エドは王太子だろ?」
「隠密行動だ。街の人間は誰も知らないさ」
「でも危ないよ?」
「お前が守るんだろ? それに俺も剣士だってことを知らないお前じゃないはずだ。俺もお前も自分を守れぬ実力ではない。だから英雄なんだろ?」
きっぱりと告げられた正論に、リッツは言葉も無い。でもそれは、こんな風に使っていい言葉なのだろうか。
「でもでも、俺、普段着持ってきてないもん」
子供じみた反論をしてみたが、エドワードにあっさりと封じられた。
「俺が持ってきた」
笑顔でエドワードが指さしたのは、ベットの上だった。確かにティルスで着ていたリッツの見慣れた服が広げて置かれている。
「騎士団の制服の下は、ブーツだよな?」
「あ、うん」
「じゃ問題ない」
「でもおっさんには?」
「晩餐が終わった時に、飲みに行くと伝えた」
「おっさん、止めねぇの?」
「気をつけて行けよだとさ」
革命軍指揮官ならば、止めて欲しい。
ここまで来るとエドワードの気持ちを変えさせるのは不可能だ。エドワードの頑固は今に始まったことじゃない。
それにリッツも少しだけ、セクアナを自分の目と肌で感じたいと思っていたのだ。エドワードの身はリッツが身体を張ってでも守ればいいだけで、ガルシアがいつ復活するか分からない状況ならば、出かけても構わないだろう。
急いで着替えるリッツの背に、エドワードの楽しげな声がかけられた。
「いいか、俺はファルディナから物見遊山に来た、農家のせがれだ。お前はその友ということにしよう」
「ばれたらどうすんだよ?」
「ばれるわけないだろう。王太子は今、ファルディナとシアーズの中間におられる」
「……」
言葉の出ないリッツを無視して、エドワードはいつもの威厳に満ちたあの表情をあっさりと隠し、田舎の好奇心旺盛な若者の顔をした。
「俺が王太子殿下を見たのは、ファルディナの街が解放された時さ。いやいや、立派なもんだったね」
すっかり農家のせがれになりきったエドワードは、着替え終わったリッツに向かって指さした。
「さて館から出られる緊急避難路は、エリクソンから確認済みだ。行こうか」
「……うん」
きっとエリクソンは、万が一に備えて緊急避難路を教えたのであって、こっそり抜け出すために部下に調べさせたのではないだろうなと、溜息をついた。
「不満なら、ひとりで行くからいいぞ、リッツ」
微かに声に滲んだ不機嫌さに、リッツは首を振る。
「不満じゃないよ。心配してんの」
「大丈夫だ。お前がいるだろ」
再びの言葉に、リッツの不安は和らいだ。そうだ。守るのは自分なんだから、ちゃんと守ればいいんだ。それ以外は楽しめばいい。今まで通りだ。
腰の剣、懐の短剣を確認し、頷く。
「だよな。なあなあエド」
「何だ?」
「エドのおごり?」
「ああ。最近堪る一方で使い道がない」
「よしっ! じゃあ、飯食って、酒飲んで、姐さんたちと遊ぼうぜ」
「人の金で女と遊ぶ気か。困った奴だ」
軽口を叩きながら、リッツはエドワードと共に、久々に夜の街へと繰り出した。




