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燎原の覇者  作者: さかもと希夢
背徳の功罪
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呑気な冒険者たちシリーズ読者さんのための背徳の功罪プロローグ

背徳の功罪始まるよ~(^^)


の、呑気な冒険者たちシリーズキャストによるプロローグです。

今回はの語り手は久しぶりにフランツくんです!

それでは始まり始まり~ヽ(^0^)ノ

 いつもの分厚い内戦の歴史書を手に談話室に入ろうと扉を開けたフランツは、その場で硬直した。

 談話室の中心にあるソファーセットに、国家の重鎮が幾人も顔を揃えていたからだ。

 高等政務学院に入る前は、別に違和感なく馴染んでいた人々だが、政務官の端くれとして勉学にいそしむ今の立場のフランツからすると、これだけ集まられると近づくのに躊躇う。

「おう、フランツ。寒いからとっとと入れよ」

 いつもの調子で気楽に声を掛けてきたリッツに、フランツは眉をしかめながら尋ねる。

「……今日は、何らかの会議?」

「ま、そんなところだな」

 ソファーにいるのは、大公エドワード、王国軍特別士官学校学長アルトマン、王国軍査察部副総監ケニー、そして元大臣にして、軍学校講師のリッツだ。

 全員が全員とも、軍部関係であり、フランツの歩む政務畑ではない。

 大公を軍関係者と言ってしまうのは多少乱暴かもしれないが、エドワードの場合明らかに政務畑の人間ではないからいいだろう。

 この面々が、一堂に会しているところを見るのは珍しい。

 リッツとエドワードはともかく、査察部総監であるケニーと、憲兵隊出身のアルトマンが一緒に居ることが不思議だ。

 そもそもこの二つの組織は犬猿の仲である。

 ただ一つ分かることは、いつもの土の曜日の雰囲気とは明らかに違うと言うことだ。

 いつもならここで仲間たちとジョーが、だらだらしているはずなのだから。

「じゃあ今日の談話会はなしだね」

 そういうことならば来週提出の課題を、いち早く片付けた方がいいだろう。

 そう考えてきびすを返しかけたのだが、それを引き留めたのはいつもの如く何の状況にも動じないほのぼのした声だった。

「もう終わりだから待ってろって。フランツもこっちおいでよ」

 声の主に視線を向けると、いつものように寝間着の上に暖かそうなモコモコのガウンを羽織ったアンナだった。

 いつもはエドワードとリッツの二人が座っている二人掛けのカードテーブルの向かいには、色違いの同じ格好をしたジョーの姿もある。

 ジョーは、ほとんど押しつぶす勢いで自分の頬を挟み、頬杖を付いていて、眉はしかめられたままだ。

 何事かと手元を見ると、フランツが談話室に置きっ放しにしているテリトリアルがあった。

 盤面を見ると、かなり前から試合をしているのだと分かる。

 目の悪いフランツからはよく見えないが、色からみて、いつもの如く圧倒的にアンナの優勢だ。

 アンナはとにかく、こういうゲームにも滅法強い。

 普段はのんびり世間知らずなアンナなのに、知識を得れば得るほど天才的なひらめきを見せるようになってきている。

 誰も口にしないが、やはり彼女は女神エネノアと同一の存在なのだ。

 そういえば女神エネノアの専攻は医学だったそうだ。

 ただ、アンナの目指す医学とは違い、人間を作り出してしまう医学だが。

 最近ではリッツまでもが、テリトリアルでアンナに勝てないと言う状況になっている。

 アンナを負かせるのはエドワードと、昔からやりなれたフランツぐらいのものだ。

 怖いことにアンナは軍学校で、戦略・戦術の授業においても上位に入っているそうだ。

 戦略については、本人曰く『お腹が空いたら戦えないって考えたら、自然に考えつくよぉ?』ということだ。

 戦術に至っては『牛追いと同じだと思うの』である。

 まさに才能としか言いようがない。

 エドワードはアンナに『本気になったら軍の作戦参謀になれるぞ』などと、冗談ともつかない褒め言葉を掛けているが、アンナにその気は全くないようだ。

 ただリッツが一言『アンナが作戦を立てて俺が実行したら、最強じゃねえか』とのろけた時には、嬉しそうにはしゃいでいたから、結局アンナはリッツと一緒に居られれば、なんでもいいのだろう。

 そんな二人の前には、暖かそうな湯気を立てている紅茶が置かれていた。紅茶だけは新しそうだ。

 気がつくと背後の気配が、暖かな紅茶の香りを漂わせながら笑っている。

『そうよ。紅茶も入れたから』

 どうやらいつもはこの時間には、エヴァンスと共に自分たちの小屋に帰ってしまうアニーも、この軍上層部会議に付き合っているようだ。

「ですが……」

 なおも渋ると、これもまたいつもの笑顔でエドワードが手招きした。

「いいから座っていなさい」

 この笑顔がくせ者で、リッツでなくても逆らうことができない。

 昔話を聞く限り、エドワード・バルディアという人物は、もっと精神的に危うい部分を持っていそうな雰囲気なのだが、このエドワードからそんな雰囲気を感じ取ったことはない。

 よく言えば知恵者、悪く言えば狸だ。

 まさに最強と呼ぶのにふさわしいだろう。

「では……」

 遠慮がちに頷いてはみたものの、座るところは壁際の椅子か、会議中の面々のソファーの片隅しかない。

 暖炉から離れた椅子は寒いのだが覚悟を決めて座ろうとすると、エドワードに手招きされた。

 指し示されたのはもちろんソファーだ。

 首を振って拒絶したものの、なおも手招きしてくるエドワードに根負けした。

 所詮、若輩者のフランツに逆らえるわけがない。言われるままにケニーの横に腰を下ろす。

「さてフランツ」

 座って早々エドワードが切り出してきた。

「はい」

「理論と実践、本物を育てるに、どちらが有効だと思うね?」

「は?」

「君の忌憚ない意見を聞きたい」

「……唐突ですね」

「気にするな。それで、どうだね?」

 全員の目が一斉にこちらを向く。

 仲間たちならまだいい、アルトマンとケニーにまで見つめられたら居心地が悪い。

 だが何も答えずにいることは、エドワードという人を知っているから許されないだろう。

 渋々フランツは口を開いた。

「それは精霊使いとしての経験でいいんですか?」

「構わない」

 それならば答えは簡単だ。

 何しろフランツには絶対の経験がある。

「実戦です。理論はもちろん実戦の元となるもので、絶対に必要ですが、実戦によって身につけた物の方が、自分の力として得ることができます」

 精霊使いとして修行していた頃には分からなかったことが、旅の中で色々な物事を経験していく毎に自然に身についた。

 たぶん戦いの中で本当に身の危険を感じ、使う必要に迫られたからこそ、成長できたのである。

「ありがとう。そういうことだアルトマン」

 エドワードは笑顔で、その長い腕を伸ばしてアルトマンの肩を叩いた。

 叩かれたアルトマンは苦笑に近い表情で肩をすくめた。

「……了解しました陛下。ですが……一週間とは大変ことになりそうですなあ」

「なに、死者が出ることはあるまいよ。何しろ現場には最高の癒し手がいることだしな」

 そういいながらエドワードが、綺麗にアンナに向かって片目をつぶって見せた。

 アンナは満面の笑みで頷く。

「はい! 任せてください!」

 アンナと対照的に、リッツは深々と溜息をついた。

「あのなぁ、俺のアンナを軍の付属物みたいに使うのやめろよな」

「プライベートではお前のアンナだろうが、軍学校では医学専攻部の生徒で、おまえは教官にすぎんだろう」

「う……まあ……」

「しかもお前は剣技主任だ。アンナとは最も接点がない」

 返す言葉も無いリッツだったが、やがてめったやたらに黒髪をかき回すと、大きく息を吐き出した。

「わーった。俺が下調べをして、計画書を作ればいいんだろ。エド、来週一緒に山登りに行こうぜ」

「ああ。山ごもりか。久しぶりだな」

「山ごもりじゃない! 山登り!」

 不機嫌そうに頬杖を付いたリッツが、上目遣いにアルトマンを睨む。

「期限はいつまでだ、アルトマン」

「五月までにお願いしますよ、閣下」

 おどけて髭を摘まみながらいったアルトマンに、リッツは恨みがましい顔を向けた。

「……こういう時だけ上官扱いかよ。いつもは少佐、少佐とこき使うくせに」

「仕方ないだろう、リッツくん。軍学校では私が少将で、君が少佐だ。軍は階級社会だよ」

「儀式の時と、面倒事を押しつける時だけ元帥扱いなわけね」

「その通りだ」

「くっそー。いつか権力を笠に着て、威張り散らしてやる」

「やってみるといいが、軍学校でそれをやったら、色々まずいのは君の方じゃないのかね?」

 余裕のアルトマンに、リッツは完全に敗北し、言葉を失う。

 確かに正体を知られたくないのは、リッツの方だ。

 話は終わったとみたのか、ケニーが立ち上がった。

「それでは査察部のほうでは、私とゴードンが立ち会いましょう。士官学校と合同でしたら、その方がいいでしょう」

 相変わらずの堅苦しい口調に、エドワードが気楽に頷く。

「頼んだ」

「士官学校への伝達は、アルトマン学長にお願いします」

「了解した。定期連絡会議で話を付ける。君も参加したまえ、少佐」

 再びのアルトマンのからかいに、リッツは小さく溜息をついてから、立ち上がって背筋を伸ばして敬礼した。

「了解しました閣下」

 わざとらしいリッツに、エドワードが吹き出す。

「お前が軍で敬語を使うなど、昔は想像もできなかったな。なにせ革命軍の将たるジェラルドをおっさんよばわりしていたし」

「うるせぇな。おっさんがおっさんでいいっていったんだよ」

 言い合う二人に、感慨深げにアルトマンとケニーが吐息を漏らす。

「ジェラルド・モーガン元帥閣下ですか……」

「お会いしたかったですね……」

 二人の感覚をフランツは理解できる。

 リッツとエドワードは、実際の所、自分たちもまた伝説の中の人物なのだ。

 だから同じく伝説のように語られるジェラルド・モーガンを同等に扱う。

 だが内戦からこれだけの時間が経ち、過去を歴史としてしか知ることのできない身としてみれば、あまりにもジェラルドという人物の功績は目映い。

 リッツとエドワードは、そんな二人を眺めて微かに目を合わせて、一瞬、微笑み合った。

 いつものふざけ合ってばかりの二人とは明らかに違い、確実な心の絆を感じさせる穏やかな笑みに、今まで聞いてきた過去の二人の姿が重なる。

 やはり、物語の中の二人がこの二人なのだ。

 そんなことが妙に心に残り、不思議と心が痛む。

 自分はこんな風に、信頼し合う人と笑い会えるようになるだろうか。

「おっさんも普通のおっさんだったよな? 二十近くも年下の奥さんに鼻の下伸ばして、子供ができた時はもう、見てらんないぐらいにデレデレだったし」

「パティに『お父様なんて大嫌いよ』っていわれて、おろおろしたりな」

「してたしてた!」

「その時にお前は、パティが初恋だと告白するし」

「エド!」

 慌てて遮ったリッツに、エドワードが吹き出した。

「今更それを聞いたからと、ケニーやアルトマンが、お前がパティに近づくことを警戒せんだろうよ」

「そういう意味じゃない! 仲間はともかく、この二人にばらすな!」

 いつものように、騒ぎ始めた二人に、アルトマンとケニーは顔を見合わせた。

 やがてケニーは小さく溜息をつく。

 やれやれ、また始まったかというところだろう。

 この二人もすっかり、リッツとエドワードの子供の喧嘩に慣れている。 

「陛下、お帰りになるのならば、道中お供いたしますが?」

 至極真面目なケニーに、リッツが笑った。

「そんなこと言ったら、お前の帰りも真夜中になるぞ?」

「は?」

「これからエドは、若い世代に昔語りをするのさ。何しろ老人の昔語りは長くて……いててててて」

 最後まで言い切ることができずにリッツは悶絶している。

「年齢から言ったら、どちらが年寄りだ?」

「見た目の年齢以上には、精神年齢の成長はないっていったのは、お前だろうが!」

 溜息一つ付きながら、フランツはリッツの頬を遠慮なくつまみ上げるエドワードに呆れる。

 いつまで経ってもこの二人は、どうしてコミュニケーション手段が子供だ?

「昔語りですか?」

 珍しく目を丸くしたケニーの横で、座ったままのアルトマンが笑った。

「ああ、例の内戦を事細かに語るというものですな? 史学の講師が『内戦前を妙に事細かくレポートに書いてきた子が二人もいた』と戸惑いながら私の元に来ましてな」

 レポート提出日に、話がファルディナ攻略戦までしか行かなかったから、そこまでを二人とも書いたのだろう。

 案の定、アンナとジョーが照れ笑いをしている。そんな二人に向かって、アルトマンは言葉を続けた。

「そのレポートを見たんだが、名前がアンナくんと、ジョセフィンくんだったから笑ってしまったよ。あれは英雄王と精霊族の戦士に聞かねば分からない話ばかりだ」

「本当に聞いて書いたんですよ、校長先生」

「そうだね。でも私以外はそう思わないから度肝を抜かれたんだろう。何しろ『英雄と言われる精霊族リッツ・アルスターは、ダグラス隊に英雄王の子犬だとからかわれていて、それぐらいに英雄王に懐いていたようだ』だの『英雄と持ち上げられたリッツ・アルスターだが、実際は泣き虫で甘えっ子だったと、英雄王は幸せそうに語っている』と書かれるとね」

 アルトマンはにんまりとリッツに笑いかけた。

 幸せそうにリッツを語ったとされたエドワードは、顔を引きつらせ、リッツは頬を紅潮させて拳を握った。

「お前ら、そんなこと書いたのかよ!」

「? 書いたよ? 本当のことだもん」

「だってそうとしか聞こえないし」

 アンナとジョーが口を揃えた。

 全く悪びれない二人に、リッツは額を抑えて溜息をつく。

「お前らなぁ……。今の俺はともかく、英雄の片割れだった俺を貶めるのはやめてくれ」

「貶めてないよ。だってリッツは、今もとっても可愛いもん。私、リッツのそういう所、大好きだよ?」

 あっさりとそう告げたアンナにリッツは溜息をつき、アルトマンは苦笑しながら立ち上がって、ケニーに並んだ。

「我が校の生徒に手を出すのは控えてくれよ、アルスター少佐」

「わーってるよ! 世間一般で十四歳の子に手を出したら犯罪だろうが!」

 真っ赤になって怒鳴ったリッツを、あっさりと躱したアルトマンはケニーに笑いかけた。

「では我々は帰るとしようか」

「ええ。では陛下、閣下。失礼させて頂きます」

 最敬礼の二人に向かい合ったエドワードは、鷹揚に手を上げた。

 だが扉を出て行く際に、何かに気がついたように彼らを見上げた。

「……そういえばケニー、君はグレタ・ジレットを知っているかね?」

 唐突に投げかけられた言葉に、フランツは弾かれたように顔を上げた。

 グレタ・ジレット。

 グレイグ・バルディアと共にいた、希代の査察官だ。

「? ええ。もちろん。総監の叔母上で、伝説の査察官です」

「現総監の叔母……?」

 ぽつりと呟くと、その言葉を拾ってくれたケニーが穏やかに笑った。

「現在の総監は女性で、同じジレット姓なんだ。叔母であるグレタに憧れて、必死の努力で査察官になったと聞いているよ。血脈故に採用されたと思われぬように査察官を目指すのは、大変な苦労だったろうね」

「そうですか。総監とグレタは似ているんですか」

「若い頃のグレタを知らないから、私には何とも言えないんだが……」

 言葉に詰まるケニーに代わり、フランツの近くからぽつりと呟きが漏れた。

「眼鏡を取って髪を下ろしたら、そっくりだ」

 呟きの主は、リッツだった。

 確かにリッツは近くでグレタを見ている。何しろ娼婦に混じっていた彼女を抱いた男だ。

「そっくりですか。グレタと面識が?」

「ああ。一度抱いて、何度か戦った」

 アンナに聞こえないように、ぼそぼそとしたリッツの、あまりの言葉に、ケニーが絶句する。

 そんなケニーにお構いなしに、リッツは小さく溜息をつく。

「恨んだらいいのか、好意を持っていいのか、微妙だよ。あの女は」

 溜息交じりの言葉は、小さく夜の中に沈んでいくようだった。

 だがリッツは顔を上げて、ケニーとアルトマンを見上げた。

「ま、色々あんだよ、俺も」

「長く生きていらっしゃいますからね、閣下は」

 微笑みながらそう言って、ケニーはエドワードに向き直る。

「それでは我々はこれで」

「ああ。ご苦労だった」

 二人の敬礼に、エドワードとリッツが軽く答える。

 二人が出て行くと、急にこの空間が広くなったような気がする。

 いつの間にかテリトリアルを片付けたアンナとジョーが、いつものソファーに移動してきた。

 フランツもいつもの場所に移動して腰を落ち着ける。

 その間アニーは、今までアンナたちがいた場所を、手早く片付け、ワインボトルとつまみを並べていく。

 今までのことがなかったように、いつもの談話室のいつもの光景に変わった。

「査察官かぁ……」

 リッツがいつもの席に座り、だらしなくテーブルに頬杖を付いて呟いた。

「潜入捜査だの、間者だの、諜報だの、俺はそういうのが苦手だなぁ……」

「確かに。あれだけはお前はお手上げで、出る幕がなかったな」

「でもセクアナ以後、少しましになったろ?」

「ああ。表情を少し隠せるようになったな。あれも成長だ。もっとも、私は成長する前のお前でいさせてやりたかったが」

 苦笑しながらエドワードは目の前に置かれていたワインのグラスに、深紅の液体を注ぎ込む。今日のワインも、綺麗な色をしている。

 またエドワードの持ち込みだろう。

 そんなエドワードのグラスに触れる指先を、リッツがぼんやりと眺めていた。

 何か昔を思い出しているのだろう。

 それにしても意外だ。

 黙ったままリッツを見ていると、視線に気がついたのかリッツが顔を上げた。

「……考えてもみなかったって顔だな」

「ああ。今のリッツは、潜入捜査や諜報活動は、むしろ得意分野だなと思って」

「得意なわけじゃねえけど……そうだなあ……」

 しばし視線をさ迷わせた後、リッツは苦笑した。

「傭兵やってると、情報が生命線だからな。諜報の手段を持っていないと、生き残れない」

 リッツの言葉に、フランツはあのゼウムの荒野を思い出していた。

 何が潜んでいるか分からない、灰色の荒野。

 あちらこちらに点在する、岩場と草むら。

 戦場ともなればいくつかの集落や、隠れた砦などもあるのだと聞く。

 あの時のように一気に駆け抜けるだけでも大変だが、傭兵として命を賭けてあの地に立っているのならば、敵の位置情報は確かに生命線だ。

「生き残るため……」

「俺自身は自分が死んでも何ら惜しくなかったんだが、さすがに部下をあれだけ抱えると、何も知らずに死地に飛び込むような真似はできなくなる。そうなれば手段としての諜報活動だって使うさ。ジンはその一人だった」

 淡々とした厳しい口調に、傭兵隊長アルスターと、精霊族の英雄リッツの面影が重なる。

 アンナといちゃついていたり、エドワードにつねり上げられたりというリッツを見慣れていたから、そんなリッツの表情に、妙に落ち着かない気分になる。

 まるで自分たちが知っているリッツじゃないようだ。

 言葉を失ったフランツの代わりに、世間話でもするかのようにエドワードが問いかける。

「アルスター隊は、どれだけの規模があるんだ?」

「戦死者多いから入れ替わり立ち替わりだけど、まあ、多くても五十人前後だ。俺の名を冠している以上、俺には、なるべく死なせない義務がある」

 静かながらも決意を込めて、リッツがそう言い切った。

 だがすぐにいつもの苦笑に似た笑みで、微かに口元を緩める。

「ギルは常にそうしてた。俺は隊長としてのギルに倣ったまでだがな」

 すると座っているリッツの首に、華奢な腕が巻き付く。

 腕の主アンナは、リッツの首をぎゅっと抱き、嬉しそうに目を細めた。

「じゃあ、部下の人たちに感謝だね。リッツが一人で戦ってなくて良かった~。その人たちの存在がリッツを守ったんだもん」

 心底アンナは、それを感謝しているようだ。

 リッツが幸せになるための色々な物が、アンナにとって大切なものなのだ。

 リッツはアンナの頬に手を当てて、いつもの如く甘く唇を重ねた。

 うっとりと目を閉じて、それを受け入れるアンナに、小さく溜息をつく。

 やれやれ、アンナはこの状況に完全に慣れているようだが、本当に軍学校では隠し通しているのだろうか。

 グラスを軽く揺すって、ワインの香りを楽しんでいたエドワードが、思い出したように微かに笑った。

「そういえばお前は、ピーター・ハウエルが大嫌いだったな」

 名残惜しげにアンナから唇を離したリッツが、嫌な名前を聞いたというように眉を軽くしかめる。

「当たり前だ。男にも女にも白い歯見せて魅力的だろって、訴えかけてきてさ。うっとうしいったらありゃしない」

「それが仕事だからな」

「ちぇっ。諜報活動なんて、俺には未だ無理だし、指揮とかしたくもねえよ」

「いつもしてるのは、諜報活動じゃ?」

「違う。情報収集だ。諜報ってのは、誰にも知られないように、だが確実に相手の首を絞めるための手段だ。俺は情報を取るのに、自分の名前を使うだろ?」

「使うね」

 はったりと、出任せ。それがリッツの情報収集方法だ。

「諜報活動は、本名すら知られちゃいけねえし、自分が諜報活動をしていることを知られても駄目だ。それでも人を動かすんだ。噂や、疑惑でな」

「あ……」

 思い出してフランツは声を漏らした。

 ファルディナの貴族たちを動かした手段。

 あれは噂をばらまくことと、間違った情報を流すことだった。

 つまり、あれが諜報活動……。

「だから俺は諜報が苦手だ。噂で人を動かしてじわじわと結論を待つぐらいなら、実力行使に出る」

 確かにその方がリッツらしい。

 なるほど、リッツは昔からそんなに変わっていないのかもしれない。

 ことにこの本人の向き不向きに関しては。

 フランツの納得がいったのを確認したのか、エドワードがのんびりと切り出した。

「では話を始めよう」

 暖炉で薪がカランと音を立てて崩れた。

 それが合図だったかのように、室内の空気がピンと張り詰める。

「アーケル草原の戦いが終わり、我々はつかの間の休息を、混乱の中で楽しんでいた」

「楽しんだっていうか、とにかく忙しかったさ」

 ようやく本題が始まった。フランツはまだ暖かい紅茶を一口すすって、過去の時の中に身を浸した。  

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