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燎原の覇者  作者: さかもと希夢
邂逅の光明
85/179

<10>

 朝戦場を経ち、本営に着いたのは午後になってからだった。馬で早駆けすれば、ほんの一時間といったところだが、歩兵と騎兵の入り交じった部隊では、このぐらいかかる。

 先頭を行くのはジェラルドとコネルを中心とした

歩兵部隊である。彼らがこの部隊の主力だ。その後を、エドワード、リッツが騎馬で並んで歩き、周りを元グレイン騎士団の騎兵隊が固めている。

 その後ろに補給・救護部隊が続き、最後尾はギルバートの指揮する遊撃隊が守っている。本来リッツはそちらにいるはずなのだが、遊撃隊に精霊魔法部隊がいて、そこにパトリシアがいるだろうから遊撃隊に居づらかった。

 それを察してくれたのはエドワードで、リッツの非を責めるでもなく『退屈だから、俺の話し相手にでもなってろ』と隣に置いてくれていた。現に王太子であるエドワードには、対等に話が出来る相手が騎兵隊内にはおらず、リッツがいれば気が楽なようだった。

「シャスタさ、今頃絞られてるかな」

 隣のエドワードに話しかけると、エドワードは苦笑した。

「絞られてるだろうな。先週は『毎日毎日計算ばかりさせられてる』と半泣きだったし」

「だよな。俺じゃなくて、本当に良かった」

 一度はシャスタの代わりにグラントに弟子入りしてやるといったものの、こうして実際にシャスタがグラントに絞られているところを見ると、自分には絶対に無理だと実感する。

 本営の入り口に差し掛かると、中が妙に慌ただしい。先に本営に入った歩兵部隊が、慌てた様子で走り回っているのが見えたのだ。それなのに、ここ本営を守っているはずの、アデルフィー護衛団の姿がまるでない。

「……何かあったな」

 エドワードの呟きに頷く。

「気をつけた方がいいみたいだ」

 リッツは馬を軽く飛び降りた。馬上にいるよりも、地面に足が着いていた方が、エドワードを守りやすい。馬上だと、どうしても動きが鈍る。剣を持つのに邪魔だから、手綱をエリクソンに投げる。慌ててエリクソンがそれを掴んだ。

「リッツ」

 溜息交じりに注意するエリクソンに、軽く詫びる。

「ごめんエリクソン。何か本営が変なんだ」

 目を見るとエリクソンは静かに頷き、本営から視線を部下へと移した。

「……了解した。騎兵部隊、気を緩めるな」

 全員に言い渡すエリクソンから、馬上のエドワードへ目をやる。

「何が起きてんのかな?」

「さあな。凱旋してきた部隊に、何の出迎えもないんだ。ただ事ではないだろうよ」

「そうだよな」

 警戒しながらエドワードの前を歩き、本営に向かう。本営は街道から柵が作られている。リッツの身長ほどの格子状の柵は、木組みの入り口まで続き、そこを通らねば、街道から本営に入るのは無理だ。

 一行が目指しているのは、その本営の入り口である。

 本営の両側は森に囲まれていて、両側には柵はない。だが森は少々深く、馬で奇襲を行うのには不利だ。その上、森から本営に出る場所には、音の出る罠が張り巡らされている。

 唯一何の仕組みもないのは、本営の一番奥だが、そちらは川に面しており、簡単に攻め入ることなど出来ないはずだ。

 本営入り口には、いつも通りアデルフィー護衛団の制服を着た見張りが立っていた。一人は大きくて帽子をかぶっていて、もう一人は小柄だ。

 珍しい取り合わせだが、いつものように軽く片手を上げて通ろうとした瞬間、殺気がかすめた。

 反射的に剣を抜いてそれを受け止める。

 思い金属音が響き渡った。

「あらら。受け止められちゃった。迂闊な子だと思ってたのに」

 目の前でアデルフィー護衛団の制服を着た女が、剣を手に笑っていた。

「あんた……?」

「初めまして。といいたいところだけど、会うのは三回目よ。前にティルスで、次はシアーズで会ってるわね。もっともティルスでは、相手をしてくれたのはダグラス中将だったけど」

 頭の中で炎の中で剣を手に、こちらを見ていた姿が浮かんだ。

「! あんたは、仮面の男の!」

「そうよ。そしてマレーネの店に忍び込んで、あなたと交わった女よ。あの時も良かったけど、やっぱりこうして、命のやりとりを交わす方が好みだわ」

「!」

 言葉にならずに女を見据える。沢山の娼婦たちと関係を持ったが、一人一人を意識したことなどなかった。その中にあの時の女がいたなどと、考えるはずがない。

「嘘だ!」

「嘘なものですか。何なら、あなたが女とする時の癖を教えてあげましょうか?」

 ローレンを殺した一味が、娼婦たちの中にいた?気がついていればその場で始末を付けられていたのに、何も気がつかずに抱いたというのか。

 呆然とした次の瞬間だった。再び殺気を感じた。自分の思考をかなぐり捨て、殺気が襲ってきた方向に剣を向けた。

 正面に女、そしてそこには本営前に立っていた、もう一人の護衛がいる。帽子をかぶり、顔がよく見えなかった男が顔を上げた。

「……ほう。確かに迂闊さは半減しているようだ」

 男の顔を覆う、硬質な仮面が太陽の光を反射する。

「……仮面の男!」

 リッツの言葉と同時に、男がエドワードに襲いかかった。無言でリッツはエドワードの前に立ち、その槍を受け止めた。

 相変わらず、その槍は重い。だがもう受け止められないほどの重さではない。

 ラヴィの槍の重さに比べれば、軽いものだ。

 槍の先は、エドワードから数十センチのところで止まっている。だがエドワードは、一瞬たりとも動じない。

「ほう。動じないとはさすがだな、エドワード・バルディア」

 関心ともからかいとも着かぬ声で、仮面の男が笑うと、槍の先を目の前に突きつけられたままエドワードが笑った。

「俺にはリッツ・アルスターがいる。何故、動じる必要がある?」

 信頼に満ちた言葉に、リッツは自信を持って仮面の男を見据えた。もう動じない。エドワードを守るため、彼の命のために、ここに自分はいる。

「その通りだ。エドワード・バルディアの首が欲しけりゃ、この俺を倒してからにしてもらおうか!」

 俺がいる限り、絶対に守る。

「……なるほど」

 呟くと男は槍を払った。男は微かに後方に下がり、女と共に目の前に立った。目の前の二人に注意を払いつつ、後ろに庇ったエドワードに話しかける。

「本営に駆け込むか、エド?」

「いや。本営でも異変が起きてる。俺とお前で片を付けた方が良さそうだ」

 その言葉の直後に、エドワードが馬から下りたのが分かった。

「殿下!」

 騎兵隊が叫んだ。そんな彼らにリッツは、大声を上げた。

「動くなエリクソン! どこかにこいつらの仲間が隠れているかもしれない。土の竜使いがいる! 精霊部隊に連絡してくれ」

 リッツの叫びに、水を打ったように場が静まりかえる。下手に動くと、エドワードとリッツの二人の方が危ないと察したのだろう。

 後方の騎兵隊は、竜使いがいるというリッツの警告に、動くことすら出来ない。だが伝令は精霊部隊を呼ぶべく後方へ走り去る。

「騎兵部隊はそこに留め置くか、エドワード、リッツ?」

 まるで旧知の仲のように、仮面の男が名を呼んだ。そのことに微かに苛立ち、リッツは不機嫌に言葉を返す。

「土の竜使いがどこかにいるんじゃ、圧倒的に騎兵隊が不利じゃん!」

「いい判断だ。確かに乱戦に持ち込まれたらそうしたところだ。命を投げ出して立ち向かってきた昔とは違うじゃないか」

「うるせぇ! 馴れ馴れしくするな!」

「リッツ、相手に乗せられるな」

 エドワードにたしなめられて、唇を噛む。どうやらまた考えなしのことをしていたようだ。

「ちょっとアノニマス。黒髪の子は私がもらうっていったじゃない。あなたは金髪の子でしょう?」

 じれたように言った女に、アノニマスと呼ばれた男は、楽しげに笑う。

「仕方あるまい。黒髪の坊やが俺に用があるらしい」

「納得いかないわ。アノニマス、仕留めた者勝ちってどう?」

「先に仕留めた方は、もう一人を高みの見物だな」

「ええ」

「面白い」

 言うが早いか、同時に二人が斬り込んできた。男の槍が音を立てて空を切り、目の前に迫る。

 剣を構え、リッツは男の槍を全身で受け止めた。

「ほう」

 男が感心したように口元を綻ばせる。

「力業だけではないか」

「当たり前だ! 力業だけじゃ、強くなれない!」

 力を力で押し返せば、それだけ消耗する。だが柔らかく力を受け止めれば、それだけ消耗を押さえ、反撃に出やすくなる。 

 腕だけで受け止めようと思うな、全身を使ってその威力を半減させろ。

 ギルバートが、ラヴィと戦うリッツにそういった。それは槍と戦う上で重要だ。

 受け止めた槍先を、滑らせると、懐へと反撃に入る。素早く剣を煌めかせ、男に致命傷を負わせるべく斬りつけたが、男の動きは素早く、まだ剣先が届かない。

「くそっ!」

 呻くと同時に、隣からの殺気に剣を斬り上げる。微かな手応えがあったが、たいしたことがない。

「やだぁ。髪を切られたわ」

 女が笑みを浮かべたままリッツを見据える。

 とたんに女の剣の動きが変わった。今までの敵では見た事がないような華麗な剣捌きだ。

 ヒラヒラと舞うごとに、長い髪が一個の生き物のように揺れ動く。

 怒りに燃えた目は、笑っているが本気でリッツを殺そうとしていた。

 剣がぶつかり合い、間近で見つめ合う。

「髪は女の命なのに。失礼ね」

「髪が女の命なもんか」

「じゃあ、何が女の命だと思うのよ?」

「暖かくて、とってもでかい包容力」

 関係が空しいと分かっていても、暖かく微笑んで受け入れてくれる彼女たちは、とっても優しい。

「ふうん。子供ね」

 女はそう言うと、着ていたアデルフィー護衛団の制服を脱ぎ捨てた。そこにはかなり露出度の高い防具を身につけた、魅惑的な肉体があった。

「あー動きづらかった」

「……やっぱりあの時の……」

 燃えさかる炎の中で、ギルバートに負けながらも、もう一人の精霊使いを警戒して、とどめを刺せなかった女だ。

 リッツは奥歯を噛みしめた。

 どれだけぼんやりと気を抜いていた、シアーズの自分は。ローレンを殺した奴を抱いたなんて、あり得ないじゃないか。

 不意に背後に殺気を感じて振り返ろうとした時、背中に誰かの背が触れた。何も言わずとも、その信頼感を感じて、少し冷静さを取り戻す。

「エド」

「考えるのは後にしろ。俺たちはもう、あの時の弱い俺たちじゃない。とっとと片付けて、本営の様子を見に行くぞ」

 そうだ。たった一人、この仮面の男に二人で翻弄されていたあの頃とは違うのだ。

「了解。んじゃ俺は仮面の男をもらう。せっかくラヴィに練習を付き合ってもらったからさ」

 答えたと同時に、仮面の男へと剣を振り上げて猛然と斬りかかる。背中でエドワードが笑った。

「じゃあ俺はお前の迂闊さの始末をしてやる」

「反対にやられるなよな、エド」

「それは俺の台詞だ、リッツ」

 エドワードの言葉と同時に、リッツは目の前の男に斬りかかっていた。長い距離を保つ槍を如何に避け、懐に入るか、それだけが重要だ。

 男の持つ重い槍が、音を立ててしなり、目の前をかすめる。少し伸びてきた黒髪が、微かに刃にかすった。

「っと!」

 紙一重でそれを避け、身をかがめて詰め寄った男へと斬りつける。だが簡単にそれを許す男ではない。刃をすんでの所で逸らさざるを得なかった。

 思った以上に素早く槍の鈍い輝きが、目の前をよぎったのだ。

 軽く身をひねって間合いから飛び退き、再び態勢を整える。

 一瞬でも気を抜くと間合いに入りそうだ。

「なるほど、当たらないな」

「当てるさ。俺がな!」

 言いざまリッツは跳躍した。


 エドワードの剣が女の剣を捕らえた。目の前に女の顔がある。剣を押し返す力は、女だからと言って決して軽くはない。

「私、黒髪の子が好みなのに」

 女は笑みを浮かべながらそう呟く。手を緩めることなくエドワードは笑みを浮かべて返した。

「俺で悪いけど、付き合ってもらうさ」

 女が微かに力を抜いたと思ったら、次の瞬間には微かに後ろに飛び退いている。ギルバートをも相手にしていた女だ、油断は出来ない。

「本当にやるの? 私あなたの油断がないところ、そんなに好きじゃないわよ?」

「戦う相手に好みがいるかい?」

「ええもちろん。殿下だって戦う相手を選びたいでしょ?」

「そうだな。剣技の稽古で相手をするなら、君と同じ趣味だ」

 明るく言いながら、じりじりと相手との距離を測る。口数が多いのに、この女にはまるで隙がない。

「黒髪に長身の男の子が好き?」

「好きだね。相棒との稽古が一番しっくりくる」

「ふふ。でも今は練習じゃないわよ」

 仕掛けてきた女を、冷静に受け止める。

「そうだな。だから話して油断させようとしても、無駄だ」

「……つまらないの。だから黒髪の子がいいのに」

 みるみる女の顔が引き締まった。

「悪いけど、本気になるわよ」

「喜んで」

 瞬間に、女の動きが変わった。激しく舞うように剣を扱う。その動きは、まるで何かの競技のように洗練されていて無駄がない。

 圧倒的なスピードだが、重さはそれほどでもない。やはり速度と重さが比例する者は、そうそういないのだろう。

 リッツ以外は。

 リッツの剣は早い上にとてつもなく重い。だから相手の素早さにを見極めることは可能だ。

 まるで素早い猛禽類のくちばしのように繰り出される剣を受け止めつつ、エドワードは相手の出方を探る。

 この速度でいつ仕掛けてくるのか、冷静に見極めた。そこにきっと隙が出来る。

 リッツと違い、エドワードの剣は速度や特異的な動きで相手を圧倒する者ではなく、冷静さで繰り出す剣だ。

 女の剣は、幾度もエドワードの剣とぶつかり、激しく火花を散らす。微かに女が息を整える瞬間を見計らって、エドワードは反撃に出た。

 女の素早さと相対するように、正確で重たい剣を、女相手に繰り出す。

 少々細身の剣で、女が必死に防戦している。剣が触れあう度に、女の顔が微かに歪むのを、エドワードはしっかりと見ていた。

 時間との勝負だ。この女は相手を瞬殺するような、そんな剣技を使う。通常の剣技は得意ではないようだ。

 女を押し返し、剣を振るうと、微かに女が後退していく。ちらりと女が眺めたのは、仮面の男の顔だった。

 気が逸れた一瞬を狙い、強く女の剣を叩くとその剣が高々と飛んでいく。

「よそ見をしている場合じゃないだろう?」

 両手で構えて、エドワードは女を見つめた。


「何?」

 男が戸惑った一瞬に、リッツはその完全な間合いに入った。このまま槍を振るわれれば、圧倒的に不利だ。だが計算がある。

 案の定、男の槍がリッツを突き出しに来た。一瞬男が槍を引いたタイミングに、リッツは駆けた。

 突き出される瞬間、ほんのわずかに身体を反らす。騎士団の制服を刃がかすめた。だがお構いなしに剣を両手で振り上げる。

 男ではなく、槍に向かって。

「どうだぁぁぁぁぁっ!」

 渾身の一撃を受けた槍が、激しくしなる。その衝撃を男がまともに受けた。ほんの一瞬、槍を取り落としそうになる。

 その一瞬を待っていたのだ。

 リッツは剣を槍に沿わせて一気に、男の元に走り寄った。そしてそのまま槍を握っている、その腕に剣を両手で構えたまま突き立てた。

 肉を断ち切る感触とは違い、堅く肉に剣が付き立つ感触にリッツは唇を噛む。だが躊躇いはもうない。

 男の肩に深々と突き刺さった剣は、男の身体を貫通していた。肩を突き抜けたのだ。

 槍が音を立てて転がる。

「何っ!」

 意表を突かれた男が、突き立った剣を引き抜こうとした。だがもう遅い。男の利き手をリッツは完全に封じた。

「腕の健を切った! もう戦えねえぜ、仮面の男!」

 抜き取れない剣の代わりに、リッツはその手に短剣を持ち替える。これでとどめだ。

 構えた短剣で、首筋を断ち切るべく、素早く振るった。だがそれはまた阻まれる。

 男が構えた剣だった。

「……あの時と同じ?」

 短剣を構えたまま尋ねたリッツに、仮面の男は痛みに顔を歪めながらも笑った。

「そうだ。お前の足に突き立てた、あの剣だ」

「んじゃ、それは俺のはずかしい過去ごと没収」

 冗談交じりの口調で返しつつ、本気で男に斬りかかる。剣とは違い、利き手一本で逆手に握った短剣が、短く高い音を上げて風を切る。

 男の剣は、利き手ではない手で操られていて、まるで動きが遅い。

 これなら勝てる。

 リッツは短剣を振り上げた。


 女は揺らめきながら、素手で立ち上がった。

「降伏しろ。勝負は付いた」

「……いいえ。王太子殿下。まだよ」

 女はそう言うと顔を上げた。その手には、女が今まで持っていた細身の剣ではなく、アデルフィー護衛団が使っている普通の剣がある。

「仕方ないわね」

 そういうと、女は剣を構えた。その構えは、コネルやジェラルドとよく似ている。二人の共通項は、士官学校出身者ということだ。

「……士官学校にいたのか?」

「構えだけで分かった? さすが、モーガン元帥の弟子ね」

 女はにっこりと笑う。

「じゃあ貴族?」

「ふふ。どうかしら?」

 女は剣を振るった。攻勢に出た女の剣を受け止めつつ、エドワードは戸惑う。

 この剣の使い方、完全に今までと違う。ジェラルドたちと稽古しているような気分だ。しかも女の表情は、からかうような今までの物と違い、真摯な光を帯びている。

 何だ。何が変わった? 

 斬りかかると、女は軽く態勢を崩す。最近この剣技を使っていない。それがよく分かった。

 でもどうしても普通の剣では、今までの戦い方が出来ない、それがよく分かる。

 ならば、今ここで切り捨てるまでだ。

 一気に攻勢を強めると、女は額に汗をして、防戦一方となる。幾度もきわどいところまで剣が彼女を追い詰める。

 いつの間にか傷だらけになった女は、それでも剣を握り、歯を食いしばって立ち向かってくる。

「降参しろ!」

 呼びかけつつ、エドワードは妙な気分になっていた。

 何故だ。この女は……本当にエドワードと戦いたくなかったようだ。本当に好みで戦う相手を選んでいるのか。

 まさかそんな馬鹿なことはない。命を賭けても相手を選ぶことはあり得ない。

 だが女は戦いを辞めることが出来ない。

 エドワードは戸惑った。この女には事情がある。それは何だ。リッツは殺せてもエドワードを殺したくない事情って何だ。

 何故に彼女は……?

 

 激しく暴れた男に、手元が狂った。

 リッツの持つ短剣が、男の仮面と帽子をはじきとばす。それは放物線を描いて、地面に落ちた。まだ十分に明るい光が、男の金の髪を眩しく輝かせる。今まで男に会った時、いつも夜で髪色までは分からなかった。こんなに綺麗な金の髪をしているなんて思わなかった。

 間近で男と顔が合った。半分は火傷でただれている。でももう半分は綺麗に整った顔をしていた。その整った顔に、微かな見覚えを感じて戸惑う。 

「え……?」

 一瞬短剣を持つ手が止まった。とたんに男に思い切り突き飛ばされていた。転がりつつ受け身を取って、短剣を構えて態勢を立て直す。

 男は仮面を拾おうとしたが、それはもうリッツによってたたき割られていて、全く用をなさない。舌打ちをした男は、肩に突き立ったリッツの剣を力任せに引き抜いた。

 地面に血が飛び散り、その場を赤く染めていく。すでに男に戦う余力がないのか、男は片膝を地面に着いた。 

「……あんな手に破れるとはな……」

 血だまりに膝を付いた男が、苦笑した。その顔にますます見覚えがある。

 油断なく構えながら、リッツは男に問いかけていた。

「なああんた」

「何だ?」

「……何でそんなに……エドに似てるんだ?」


「アノニマス!」

 叫んだ女が、エドワードを無視して膝を付いた男の元に駆け寄った。剣すらも捨てて、女が男の元に膝を付く。

「しっかり、アノニマス!」

 その時、地面が揺れた。本営からだ。

 エドワードは騎兵隊を振り返る。

「エリクソン、騎兵隊で二人を拘束しろ。全員馬を下りるんだ。おそらく土の竜使いが中にいる!」

「はっ!」

 エリクソンの返事を待つより先に、エドワードはリッツに駆け寄った。

「リッツ、本営の中だ! ジェラルドたちと竜使いが中にいる!」

「な……」

「行くぞ!」

「あ……ああ」

 何故か仮面の男を気にするリッツの肩を軽く叩いて、エドワードは本営への入り口をくぐった。


 エドワードとリッツの戦いから、少しだけ時間を巻き戻す。

 コネル、ジェラルドと共に、パトリシアは先頭の歩兵集団の指揮官たちに、騎兵として紛れていた。彼らは、現場で目立って指揮を執れるよう、大体騎乗している。

「パトリシア」

「何です、お父様」

「エドとリッツと何かあったのかい?」

「!」

 思わぬ事を父ジェラルドに問われて、パトリシアは焦った。

「な、な、何でです、お父様?」

「遊撃隊にも、騎兵隊にも行かずに、私やコネルの所に来るなんて珍しいからね」

「……気分よ。だって歩兵部隊にいたら、一番にマディラに再会できるじゃない」

 ふいと横を向いていいわけをはき出す。

「マディラはよくしてくれるかい?」

「ええお父様。同じ女性として、尊敬してますわ」

「そうか。私はてっきり、リッツやエドワードと何かもめているんじゃないかと心配したよ。君はいつも、彼らとべったりだからね」

「べったりしてません!」

 つんとパトリシアはそっぽを向いた。ジェラルドが考えているように、本当のところパトリシアは彼らと一緒に過ごすことが、ちょっと苦しい。

 遊撃隊にはリッツがいて、騎兵隊にはエドワードがいる。今はこの二人のどちらとも、顔を合わせづらい。

『今後、妹として見るのは辞める。一人の女性として見てみることにしようと思うんだ』

 エドワードの優しく気を配ってくれた言葉を思い出すと、自分の大胆な提案が身をよじるほどに恥ずかしくて、エドワードの前で普通にいられる自信がまるでない。

 エドワードは今から二人の関係を構築し直してみようといってくれたのに、自分はどうだ?

 直接的なことを言ったわけではない。でも直訳したら、子供が欲しかったら産んであげるから抱いて、なんて言ってしまったことになる。

 エドワードが手を振って夜の闇に消えてから、パトリシアは冷静に自分が何を言ったかを思い出して、今更ながらに恥ずかしさで身もだえし、自分の馬鹿加減に頭を何度も膝に打ち付けた。

 きっと私、リッツ以上の馬鹿な子だわ。って、こうなったのはみんなリッツのせいじゃない。

 そう思ったら、今度は自分の苛立ちをリッツにぶつけてしまいそうで、リッツの近くにも行きがたい。何だか八方塞がりだ。二人をちゃんと守りたいし、近くにいたいのに、何でこんな事になっているのだろう。

 何だか考えれば考えるほどに、頭が焼け付きそうで、パトリシアはできる限り頭を空にすることにした。

 本営にはマディラがいるから相談してみようかな。それともこんな相談事は、遊撃隊のベネットにした方がいいのかしら。そんなことを考えた。

 ソフィアよりもヴェラよりも、ベネットが一番相談しやすいのだ。外見は完璧な美女でも、中身は男なのに。

 開け放たれたままの門を通り抜け、本営に足を踏み入れる。しばらく歩兵部隊が進んだところで、パトリシアは違和感に気がつき、隣にいたジェラルドを見上げた。

「お父様」

 呼びかけると、ジェラルドはとうに異変に気がついていたらしく、当たりを窺っている。

「迎えがいませんな」

 ぽつりとコネルが呟いた。

「そうだな。二千人もの人がいるとは、信じられない静けさだ」

「……ええ。凱旋ですもの、出迎えがありそうだけれど」

 歩兵たちはいぶかしがりながらも、自らの天幕へと戻っていく。十人ほどに一つという数がある天幕だけで、本営はほとんど小さな村のような様相だ。

 馬を下りた父親に倣い、パトリシアも馬を下りる。隣でコネルを含む、歩兵部隊の幹部たちも馬を下りた。

 その時、本部天幕が開き、マディラが現れた。慌てたようにこちらに向かって駆けてくる。

「モーガン閣下!」

 駆けつけたマディラに、残った幹部たちが注目した。マディラは青ざめた顔でジェラルドの前に頭を垂れる。

「どうした?」

「露天商人に睡眠薬を盛られ、後方支援部隊二千人がほぼ壊滅しています。現在、遊撃隊のヴェラとシャスタが毒物の解明に当たっていますが、未だ確認できておりません」

「……なんということだ」

 ジェラルドが呻く。

「露天商人はどうした?」

「はっ。四人いたそうですが、全員見当たりません。おそらくどこかに身を潜めているかと思われます。ご注意を」

 緊張したように当たりを見渡したマディラに、ジェラルドは静かに頷いた。

「分かった。パティ」

「はい。お父様」

「殿下とリッツに本営内の安全が確保されるまで、外で待つよう言ってくれ」

 静かな口調に、パトリシアは頷いた。この状況で二人と話しづらいなんて言っている場合じゃない。再び馬に跨がろうとした瞬間、ふわりと気配が動いた。

 この気配……精霊だ。しかも大きい。

 その気配の方向に向かって、振り返ったのと、それが現れたの、はほぼ同時となった。地面から突き立った石のくさびが、ジェラルドの脇腹を切り裂いたのだ。

「お父様!」

 叫びながらジェラルドの元に駆け寄り、再び動いた気配に向かって、風の精霊を放つ。

「吹き荒れろ、風の渦!」

 激しい突風が精霊の方へと吹き抜ける。だがそのとたんに、石のくさびは地面の中に消えた。その隙にパトリシアはジェラルドの元に膝を付いた。

「お父様!」

「……やられたな。だが私は運がいい。急所をずれているようだ」

 脇腹から血を流しながらも、ジェラルドが笑う。父の手を傷から放して確認してみると、内臓に達している怪我ではなくてホッとした。

「お父様、精霊使いがいます」

「……やはりな。あれは土の精霊か?」

「ええ、おそらく」

 神妙に頷くと、ジェラルドが小さく溜息をついた。

「ティルスを襲った一味は、土竜で逃げたそうだ」

 その言葉が意味するところを知り、パトリシアは青ざめた。つまり……敵は竜使いなのか?

「コネル様、土の竜使いがいるかもしれません!」

 コネルに怒鳴ると、コネルは青ざめた。

「竜使いだと?」

「はい! この辺りに精霊の気配が満ちています。どこから来るか分かりません。地面に気をつけて!」

「……気をつけるったって……どうやって……?」

 確かに地面に気をつけてと言われても、精霊を見られない人々からすれば、想像しようのない状況だろう。

「とにかく、気をつけてください!」 

 そういった時、くさびの消えた穴から、地面を揺るがすような低い地響きが聞こえてきた。それは徐々に、身体全体を揺するような低いうねりに変わっていく。

「これは……何!?」

 立てないほどの振動に、片膝を突いた瞬間、地面が大きくひび割れた。突如避けたひび割れは、一気にいくつもの天幕を飲み込み、人々の悲鳴がこだまする。

 その地面の裂け目から、精霊の強い気配を感じ取った。

「……竜が来る!」

 パトリシアの呟きと同時に、地面から咆吼が上がった。同時に巨大な竜が鎌首をもたげる。蛇のように長く、小さな手足を持っている、土で出来た巨大な竜だ。その大きさは遙かに十メートルを超す。

「土竜……っ!」

 パトリシアは唇を噛む。風の精霊と土の精霊の相性は悪い。風の精霊では、土の精霊に太刀打ちできない。

 でも精霊使いは、今この場にパトリシアしかいない。周りを見ると、裂け目から人々の呻き声が聞こえた。今は助けられない。早く敵を倒さねば、犠牲が増える。

 ジェラルドは腹から血を流しつつ、膝を付いている。コネルと指揮官たちも、竜を前に手出しのしようがない。

「……ジェラルドさん?」

 不意に低くくぐもった声がそう尋ねてきた。声の方を見ると、土竜の上に男が一人座っていた。小柄な男だ。真っ直ぐに片膝をつくジェラルドを見ている。

「そうだ」

「じゃあ、潰していい?」

 こともなげに男はそういった。パトリシアは自分から血の気が引いていくのを感じた。ジェラルドがかすれた声で笑う。

「それは困るな。まだ潰れたくない」

「でも潰さないと、イーディスに怒られる」

 イーディス……。前王の偽妃だ。これはティルスの時の暗殺者たちだ。それをパトリシアは悟った。つまりどこかに、あの仮面の男がいる。

 エドワードとリッツは無事だろうか。

 地鳴りがして、ゆっくりと土竜がジェラルドへと距離を詰める。パトリシアはとっさに、ジェラルドの前に立ち、土竜に立ち向かっていた。

「パティ!」

「お父様! 逃げて!」

「駄目だ。お前の技では勝てない」

「でも私は精霊使いです! それにお父様はもう少しでもう一人の父親におなりです。ちゃんと私の弟か妹に、お父様を会わせなくては、このパトリシア、弟妹に顔向けできません!」 

「パトリシア!」

 ジェラルドが呻く。だがパトリシアは震える手で真っ直ぐに土竜を見つめて白銀の杖を構えた。

「コネル様、お父様をお願いします。まだ革命軍にお父様は必要だわ」

「……分かった」

「あ、あの女の子だ」

 土竜の上の男は、いびつに唇を歪めた。笑っているようだ。

「ティルスで、潰したかった女の子。先にぺちゃんこに潰すよ」

「出来る者ならやるがいいわ!」

 震えるな、膝、震えるな、私の手。叶いっこないと分かっていても、やれることをやらないと、絶対に死んでも後悔する。

 自分に言い聞かせて前を向くと、土竜が目の前に迫っていた。

「吹き荒れろ、風の渦!」

 竜に向かって幾度も技を放つも、土竜の上に積もった土を散らすだけで、土竜には何の変わりもない。足を止めることすら出来ない。

「ぱくんと食べて、潰しちゃおう」

 男がそう言って舌なめずりをした。

「……食べられるものですか!」

 土竜の口が目の前で大きく開いた。ごつごつと洞窟のような口の中には、闇が広がっている。ふわりと漂ったのは、しめった土の香り……。

 土葬の香り……。

 そう思ったとたん、体中が恐怖を感じて震えだした。このまま潰されたら、土と一緒に永遠に地の底だ。

「風の渦! 風の盾!」

 立て続けに風の精霊を繰り出した。でも相手には全く聞かない。せめて術者にと思うも、そこまで届く前に、土竜に防がれてしまう。

 これが最上級者、竜使いの実力。

 自分との格の違いに、膝が震える。ソフィアですら竜使いに敵わないと言った。だったら上級でも限りなく中級に近いパトリシアなど、敵うわけがない。

 絶望が心の中に広がった。それでもあがくが、抵抗にすら意味がない。

 繰り出す技が大きく広がった口の中に吸い込まれていく。目の前に土がボロボロと落ちてきた。

 ああ、エディ、リッツ……。

 先走って、変なこと言って傷つけてごめんなさいって、エディに謝れないの、私?

 ちゃんとリッツに、友達としては大好きなのよ、も言えないの……? 

 ここで死ぬの……? 

 そう思った時だった。目の前を影がよぎったのだ。次の瞬間に逞しい男の腕に、しっかりと抱きすくめられていた。そして今までパトリシアが立っていたところに、槍を構えた黒髪の後ろ姿が見える。

「パティは喰わせねぇ!」

「リッツ……」

 槍を手にしたリッツは、思い切り槍を土竜の額に突き立てた。土竜は甲高く咆吼を上げると、痛みに暴れ身を激しくよじった。

「無茶をするな、寿命が縮む」

 パトリシアを抱いた男が、心から安堵したようにそういった。その声の暖かさに、全身の力が抜けそうになった。

「エディ……」

「あと少し持たせろ!」

 リッツに向かって怒鳴ったエドワードに、リッツが怒鳴り返す。

「分かってるって!」

「何で……?」

 危険なのに来てくれたの? 怒ってないの? そんなことを聞いている場合じゃないだろうに、そんな言葉ばかりが思い浮かぶ。

 それを察してくれたのか、エドワードは笑みを浮かべ、パトリシアの目をしっかりと見つめた。

「革命軍に精霊使いは君だけじゃないさ」

「だけど……」

「相手は土竜だが、俺たちには策がある」

 自信に満ちた声でそう言って、エドワードは軽く片目をつぶった。エドワードがそう言うのなら、本当に大丈夫だ。

 安堵して息をつくと、膝が崩れた。かなり緊張していたせいだろう。思わず縋り付いたのは、エドワードの胸だった。どうしよう、こんな事しちゃ駄目だと思ったのだが、エドワードは優しく腕を回してくれた。

「大丈夫か、パティ?」

「ごめんなさい。足が……」

「構わないよ。支えているから縋ってなさい」

 いつもの兄貴としての言葉だったが、何だかそれが頼もしくて嬉しかった。

「やっぱりエディ兄様には敵わないわ……」

 小さく呟いた声は、おそらくエドワードには聞こえていないだろう。

 目の前で今度は兵士の剣を拾って、リッツが土竜に無茶苦茶に挑んでいる。暴れ回る土竜をわずかの差で交わし、力任せに土竜に剣を突き立てる。あれは剣技ではない。ほとんど農家の鍬を使うような動きだ。

 あれではあまり土竜に効果はないだろうが、土竜は不快に違いない。

「リッツは何をしてるの?」

「待ってるんだ」

「待つ?」

 その時だった。リッツが本営入り口へ顔を向け、満面の笑みを浮かべて、叫んだのだ。

「ソフィア!」

 返事の代わりに炎の球が立て続けに飛び込んでくる。土竜にぶつかっては、炎の球は激しく破裂した。「うわぁぁぁぁぁっ! 火が、火が!」

 男の叫び声が響く。術者が死ねば竜は消える。だが男は竜の背から転げ落ち、まだ生きている。それでも近くには寄れない。炎の勢いが強すぎる。

 みるみるうちに、土竜は熱い炎を纏っていく。

「でも土竜は火にも強いわ!」

「大丈夫だ」

 炎から逃れるように、リッツがこちらに駆け寄ってきた。

「大丈夫か、パティ?」

「え、ええ」

「あ、足立たねえの? じゃ、俺が負ぶってやる」

 この間の事がなかったように、リッツはあっさりとパトリシアの前に膝を付き、その広い背中を向けた。

「ほら。エドが抱いてちゃ、走れないから」

 意味が分からないが、どうやらこの場から離れる必要があるようだ。エドワードを見上げると、軽く片目をつぶられた。そうしなさいといっているのだろう。

 パトリシアはおずおずと、リッツの背中に抱きつく。リッツはあっさりとパトリシアを背負って、立ち上がった。

「お、重くない?」

「ん? 軽いよ。それにパティ柔らかい。俺、役得!」

 嬉しそうなリッツに、一気に顔が赤くなってしまう。背中にぎゅうぎゅう胸を押しつけていたことに気がついたからだ。

「リッツ! お、下ろして!」

「やだ。もっとぎゅってしてもいいよ」

「ぎゅ、ぎゅって……!」

 口ごもったパトリシアをしっかりと無視して、リッツはエドワードを見た。

「エド、そろそろだ」

「そうか」

 リッツとエドワードが、土竜から駆け足で離れる。何が起こるか分からずに、困惑していると、燃えさかる炎の竜の近くに、小柄な老人がやってきた。

「え……?」

 一瞬誰か分からなかったが、老人が両手を行儀良く揃えたところで誰だか気がついた。

「……エン?」

「癒やしと恵の水の精霊よ、我に力を与えたまえ」

 エンの祈りに呼応するように、水の球がゆっくりと浮かんでいく。全く派手ではない。ただの普通の水の球だ。

 治癒魔法がなければ、エンは中級の精霊使いなのだ。だが水の球は炎に包まれ、燃えさかる土竜の真上に止まった。それをエンは臆することもなく、二つ、三つと浮かべていく。

 そしてエンは空を仰いだ。

「はじけ飛べ水の球!」

 叫んだ瞬間、いくつもの水の球は、激しい雨のように土竜の上に降り注ぐ。

 その時、土竜に異変が起きた。

 土竜が苦しげに激しく暴れ出したのだ。見る見る間に炎が消え、それなのに土竜は暴れ回っている。降り注ぐ水が、土竜を濡らし、その水に冷やされたところが急激にひびを走らせる。

「あ……」

 納得したように声を漏らしたパトリシアに、ちょうど同じぐらいの高さにあった、エドワードの顔が振り返る。リッツに背負われると、エドワードと同じ目の高さだ。

「分かったかい?」

「熱膨張の原理ね?」

「ああ。思い切り熱した後、水を掛けて急激に冷やすと、土竜はひとたまりもない」

「……凄い」

「ソフィアとエンがいたからこその技だな」

 目の前で土竜が粉々に砕けていく。身体を維持できなくなったのか、暴れる度に土塊へと還って行くのだ。

 それがある瞬間を超えた時、崩壊は一気に起こった。砕けて落ちていく土塊が、まるで突然崩壊したように一気に山のような土に変わった。

 術者の男の悲鳴が響き渡る。

「……自分の竜の下敷きか……」

 リッツがそう呟いた。全てが崩れ落ち、再び本営に静けさが戻った。目の前の巨大な土砂の山が、今まで動いて自分を狙っていたなんて、信じられない。

「コネルよ、ちょいとモーガン元帥を見せてみな」

 いつもの調子でエンがコネルへと歩み寄り、他の指揮官たちは、歩兵部隊に亀裂に落ちた者たちを支給救出するように命令を飛ばしている。大丈夫。もう土竜は復帰しない。

 そう思ったとたん、力が抜けた。リッツの広い背中に、小さく息をついて顔を埋める。汗の香りに混じって、煙のにおいがする。しばらく戦闘がないなら、この制服の手入れをしてあげなくてはいけないだろう。

 リッツの背に頬を付けたまま、パトリシアはエドワードに尋ねた。 

「終わったの?」

「……ああ。仮面の男も、その仲間の女も捕まえた。でもティルスではもう一人いたはずだし、マディラもそう言ってた」

「もうひとり……」

 その人物はどこに潜んでいるのだろう。リッツの背で考え込むと、リッツが不意に話しかけてきた。

「パティ」

「何?」

「あの、俺、人間出来てないからさ、エドみたいにこう、大きく構えて微笑んでるとか無理なんだ。たぶん結構パティに色々言うと思うんだよな。文句言うし、そりゃあ、嫌みだって言うし、絡むと思う」

 それだけ一気に言うと、リッツは小さく息をついた。心を落ち着かせているのだと言うことが、背負われているとよく分かる。小さく深呼吸をしているのが服を通しても丸わかりだ。

「だけど俺はパティが……その、好き……なんだ」

「リッツ……」

「あ、いや、その、俺を好きになってとか思わないから! エドを好きでいて欲しいし、二人で幸せになって欲しいし! ……でも、あの……」

 本当にしどろもどろにリッツが言葉を綴っていく。聞いているパトリシアの方が緊張して手に汗を握ってしまいそうだ。もしかしなくても今、告白されているはずなのに、何故自分がリッツに『頑張れ』と思っているのか不思議だ。

「だから、あの……俺を嫌わないで欲しいなとか……思ってたりして……」

 そういうと、リッツはゆっくりと膝を折った。支えられていた両手を放されて、ゆっくりとその場に下ろされる。

「リッツ?」

「この間はごめん! んじゃ、そういうことで!」

 呆気にとられるパトリシアを残して、リッツは振り返りもせずにソフィアとエンの所に駆けていく。

「……言い逃げ?」

 リッツの背を見ながらぽつりと呟くと、まだ隣にいたエドワードが爆笑した。

「言い逃げだな、完全に」

「……これじゃ振れないじゃない」

「またの機会に派手に振ってやれ。とりあえずリッツとしては、これでこの間の気まずいのをなしにして欲しいんだろう」

「困った人。エディが通訳してくれないと伝わらないわ」

 嫌いじゃないわ。だけど恋愛は出来ないの。この気持ちをちゃんと伝えられるだろうか。

 逃げていったリッツに、エドワードは優しい視線を向けて微笑むと、振り返った。エドワードは本当にリッツが大切で心配で仕方ないのだなと思う。

 本当に敵わないわ、私。

「さあ、もう一人を探索しよう」

「了解」 

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