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燎原の覇者  作者: さかもと希夢
邂逅の光明
82/179

<7>

 戦闘が勝利に終わり、敵兵がシアーズへ完全撤退をしたことを確認した戦闘翌日の夕刻、革命軍はアーケル草原で祝杯を挙げた。

 とはいえ全員での宴会というのは、この数になると無理なため、千人からなる各連隊ごとに酒と食料がねぎらいの品として支給されたのだ。

 哨戒に当たる兵は勿論置きつつも、各連隊、その下の大隊や中隊規模で、あちらこちら宴が催されている。

 司令部の幹部たちも、この日ばかりは指揮した自分の部隊に戻っているし、ジェラルドやギルバート、支給品を運んできたカークランドの三人は、士官学校同期で盛り上がり、遊撃隊も今回一緒に戦った歩兵部隊と飲んでいる。

 リッツも当然ながら遊撃隊と飲もうとしたのだが、マルヴィルに『殿下は義勇兵の中に王族が混じっていると気が抜けないと、気を遣っているだろう』と聞いてエドワードの立場が、もう一兵士では無い事を思い出した。

 王族の立場は本当に不便きわまりない。酒場で飲むのが好きなエドワードだというのに。リッツは即座に遊撃隊から離れて、酒と料理を持ってエドワードの所にやってきた。

 すると、リッツとは違ってエドワードが一人であると察して、ここを訪れていた人物とかち合う。

 パトリシアだった。

 一人より二人、二人より三人の方が絶対に賑やかだと、リッツはパトリシアと申し合わせて、馬鹿みたいに明るくエドワードのいる天幕に入った。

 一人酒を飲みながら書類を書いていたエドワードは、かなり驚きつつも、こちらをみて満面の笑みを浮かべて手招きしてくれた。

 そんなわけで、あちらこちらから兵士たちの酔った歌声が聞こえる中、三人の酒盛りが始まったのだ。

「改めてかんぱーい!」

 上機嫌にリッツはグラスを掲げた。同じように機嫌良くエドワードとパトリシアもグラスを掲げる。

 グラスと言っても割れやすい陶器やガラス製ではなく、無骨な銅製のカップだ。これは戦闘が始まる前に、アイゼンヴァレーのカルから大量に革命軍に贈られた物の一つで、兵士全員に支給されている。カルによると、金の最初の採掘で出た利益を、物資の形でまず収める、ということだった。

 そしてそのグラスの中に、なみなみと濯がれて注がれているのは、オフェリル産のワインだ。こちらはカークランドから軍への差し入れで、昨年から生産復帰した分のワインと、貴族が倉にため込んでいたワインなのだという。

「それにしてもよく燃えたわね、あのロープ」

 折りたたみの簡易椅子に座って、干しトマトをつまみながらのパトリシアが、感心したようにこちらを見た。いつも怒られてばかりのパトリシアに、感心されるのが嬉しくて胸を張る。

「だろ? 中の芯が火が付く素材、外側が煙ばかり上がる素材だから、びっくりするほど真っ白になったよな。俺も予想以上の煙でびっくりだった。もう、煙くってさ」

 あの目に染みる煙を思い出して顔をしかめる。知っていてもあれだけ辛かったのだから、敵は更にきつかっただろう。

「街道の出口周辺まで煙で溢れたもの。本当にびっくりよ」

「じゃあ煙かっただろ?」

「全然。今聞いてこっちに流れてこなくて良かったって、改めて思ったし」

「ちぇっ。煙かったのは、俺たちと敵だけか」

「……私たちも巻き込みたかったの?」

「違うけどさぁ~」

 何となくその煙をみんなに味あわせて、自分の苦労を自慢したかったのだが、それはあまりに子供っぽいから口にしない。そんなリッツの気持ちなど知るでもなく、パトリシアは肩をすくめた。

「私は巻き込まれなくて良かったけど、あれのおかげで街道出口の戦いは、本当にスムーズだったわ」

 街道出口では、煙に慌てた兵士たちが逃れるように出てきて、驚くほど大量の人々が矢の餌食になったのだとベネットに聞いた。そのことで最初から王国軍の指揮が低かったのだそうだ。

 リッツはあの煙を仕掛けたあと、戦場に出てくるために森の中を必死で馬を走らせていたから、実際にどうなったのか伝聞でしか知りようがない。だから実際の感覚を、エドワードやパトリシアから聞きたかった。

「ソフィアはどうだったの? 凄かったんだろ?」

 興味本位でつまみを口に放り込みながら尋ねると、エドワードとパトリシアが同時に頷いた。

「あれは凄かったわよね、エディ」

「ああ。ソフィアが敵じゃなくて、本当に良かったと、心から思ったな」

「どんだけすごいのさ」

 ソフィアのすご技に、最近お目にかかっていないから気にかかる。

「だからものすごいのよリッツ。ソフィアの腕で一抱えぐらいの灼熱球が飛んで敵陣に着弾したら、百メートル四方が炎に包まれるのよ? 爆風の半端な物じゃなかったわ」

「……百メートル四方……」

「ええっと街道から出てきたほとんどの兵士が、それで火傷を負ったってこと?」

 何となくの想像でそう言うと、エドワードが真面目な顔で首を振る。

「火傷なんて生やさしいもんじゃない。焼き尽くされて骨まで黒焦げだ」

「うわぁ……」

「しかもそれが三発よ? 普通死体に埋め尽くされそうだけど、それで死んだ人は綺麗に燃え尽きて、骨すらも炭化してたわ」

「こわっ!」

 百メートル四方が、黒焦げの死体で埋まった光景を想像してぞっとする。そういえばティルスでの戦闘のあと、オフェリル貴族の死体を穴に集めて焼いてくれたのはソフィアだったと聞いている。

「でもソフィアが言ってたわ。その技以上に凄い力を持つ最高位の精霊使いがいるんですってね。竜使いって人たち」

「ああ。一族の長老みたいな人たちだな。あの人たちはみんな竜使いのはずだし」

 納得しながら頷くと、エドワードとパトリシアは目を瞠った。何か変なことでも言っただろうか。

「やはり亜人種の長は凄い力を持っているんだな」

 感心したようなエドワードに、リッツは首を傾げる。リッツからすればそれは当然のことだからだ。

「当たり前じゃん。精霊力の強さも、みんなから尊敬を集めて長に選ばれる要因だもん。何の取り柄もないのに貴族が威張っている方が俺には不思議だけどね」

「そうだな」

「そうさ。ま、俺以外精霊力ゼロって奴は精霊族にはいないから、俺の方がかえって特殊かもね」

 淡々と言ったつもりが、エドワードの顔が曇る。リッツに嫌な過去を思い出させたと、思っているのかもしれない。それ何となく申し訳なくて、リッツは明るく尋ねる。

「ユリスラでは、どういう扱いになってるの、精霊使い?」

 話を変えようとしていることに気がついたのだろう、今までのことに何の感想も挟まずにエドワードはリッツの話に乗ってきた。

「精霊使いは、基本的に軍の分け方で国民に周知されてる」

 エドワードが話したのは、現在の軍の精霊使い階級の事だった。

 精霊使いには、その力により位が分かれていた。

 まず精霊を見ることは出来るが、実戦にはほとんど扱えない者、これを下級精霊使い。軍においては精霊使いであるということだけで少しだけ、階級が上がるらしいが、特になんの特別な手当はないそうだ。世間的にもこの階級の人が多いらしい。革命軍にも数名はいて、その中の一人がコネルの副官、チャックだそうだ。

 次は中級。精霊を見ることが出来、その上で攻撃もしくは防御に有効な技を持っている者をいう。炎の精霊使いならば火球、水ならば水球、土ならば蟻地獄など、基本的な技が備わっている人たちだ。今回の戦いで地面を陥没させて混乱させた二人の土の精霊使いはこの階級に属する。

 それから上級。言うまでもない、ソフィアやパトリシアなど、一人で何十倍もの敵と渡り合える精霊使いたちだ。途中で口を挟んだパトリシアによると、上級にはかなり実力にばらつきがあるのだという。

 ちなみに攻撃要素から考えれば下級であっても、エンのような強い治癒能力を持つ水の精霊使いや、人々の心を快癒させる力を持つ光の精霊使いは上級に所属するそうだ。

 そして最上級。彼らは竜使いと呼ばれる。精霊の中で最も高位だと言われる竜を呼び出して自分の手足のように操り、一人で何千の敵を撃破することが出来る恐るべき存在だ。現在の王国軍には竜使いは存在していないと、エドワードが断言した。それだけこの高位の精霊使いは貴重だ。

 リッツは竜使いを幾度か見た事がある。幼い頃に精霊族に近づくことなく、こっそり隠れて遠目にみた、長老の風竜と、光竜だ。それからティルスで土の竜をみた。あの槍の男は竜使いが操る竜に載って逃げたのだ。

「つまりさ、炎の竜使いとかがいたら、炎使いのソフィアでも敵わないって事?」

「ええ。ソフィアが自分でそう言ってたわ」

「……へぇ……」

 何だかこんな風に貴族優性の世になっても、精霊族が絶対の安全を保っていられる理由が分かったような気がする。

 人の侵入を阻む迷いの森はもちろんだが、それ以上に竜使いがぞろぞろいる人々に、人間が関わるのは危険すぎる賭だろう。亜人種の自衛はどうやらそうやって成り立っているのかもしれない。

 光の一族の長老会議がずらりと並び、おのおのが竜を操ったりしたら、ユリスラは壊滅するしかない。

「俺、精霊使いじゃなくてよかったかもしんない」

 ついついぽつりと呟いていた。

「何故だ?」

「もし大量に人を殺せる立場でエドの近くにいたら、今まで以上に殺しまくっちまいそうだもん」

 命じられるまま、ではない。自分でエドワードや仲間たちの役に立ちたくて、王国軍を惨殺してしまいそうだ。

「この手で命を奪うから、俺はきっと殺した人の分までエドを早く国王にして、この国を幸せにしてやんなきゃって思うんだ。きっとこの手を汚さずにいたら、俺、止まれないかもしんない」

 つまみを掴もうとした手を止めて、目の前で広げてみる。剣だこが出来て、ごつごつとした印象を受ける手だ。人を倒すため、理想のために、この戦いで何人の命を奪ったかなんて、もう覚えていない。

「リッツ……」

 ハッとして見ると、エドワードが憂色を浮かべてこちらを見ていた。慌てて笑い返す。

「や、あの、精霊使いじゃなくて良かったよな、うん。そもそも俺が精霊使いだったら変だもん」

「それはそうだが……」

 更に気遣わしげな表情を浮かべたエドワードに、慌てた。こんな顔をさせようと思ったわけじゃない。エドワードのために、共に手を汚す事なんて、もうとっくに覚悟を決めているから、エドワードが後悔することも、気に掛けることもないのだ。

 話を変えなくては、話を……。

「えと、えと、あ、そうだ、エドはさ、何でジョゼフ・ウォルターをあっさり逃がしたの?」

 気にかかっていたことが、ついつい口を突いて出た。エドワードがパトリシアを見て焦ったように黙れと手で合図したが、時すでに遅かった。パトリシアが心底驚いた顔で声を上げたのだ。

「ウォルター侯爵を逃がしたですって!?」

「え、あ、知らなかったっけ?」

 パトリシアに迫られてたじたじと後ずさると、隣にいたエドワードの呟きが耳に入ってきた。

「この馬鹿」

 ため息交じりの言葉だが、どうやらリッツは大きなミスをしたようだ。ジェラルドにあの後すぐあったから、てっきりパトリシアは知っているものだと思ったのだ。

「知らないわよ! 一体どういうこと? ウォルター侯爵は軍の指揮官になりうる人なんでしょう? 捕虜にするならまだしも、あっさり逃がすなんてどういうことよ!」

 パトリシアに勢いに任せて迫られて、簡易椅子から転げ落ちそうになりながら激しく首を振る。

「知らないよ、俺はエドじゃない!」

「エディ!」

 矛先がエドワードに向いたから、ホッとして一息つくと、エドワードがどんよりと冷たい目でこちらを見ていた。何も言わないがその目は『余計なことを言ってくれたな、馬鹿リッツ』とリッツを非難していた。

 言わなくてもエドワードの言いたいことが大体分かるが、こういう時は分からない方がいいかなという気もする。ヘラヘラっと笑うと、エドワードに深々とため息をつかれた。

「パティ、落ち着いてくれ。俺だってちゃんと考えてる」

「でもウォルター侯はコネルと双翼と呼ばれたのよ? 確実に今後の憂いになるわ」

「分かってる。分かっているが、俺は彼を討ち取れなかったんだ」

「どうして!?」

「彼がいなくなったら、リチャードに弄ばれた女性たちはどうなるんだ? 殺されることになるんじゃないのか?」

「あ……」

 そういえばそうだ。動きを止めたパトリシア同様に、リッツは深々と頷く。

 コネルはウォルターが弱った女性を逃がしているのだと言っていた。つまりあそこでウォルターの命を奪ったならば、その女性たちは誰にも逃がされることなく、リチャードに鎖で繋がれたまま死んでいくということになるのだ。

「戦乱で命を落とす数に比べたら、リチャードに殺される人数なんて微々たるものかもしれない。でもリチャードに弄ばれる彼女たちはどうだ? 望んで惨い扱いを受け、望んで死んでいくのか?」

「いいえ。誰もそんなこと望みはしないはずよ」

「そうだろう? 俺たち革命軍は、覚悟を決めて戦い、命を落としても後悔しないと志願して戦っているはずだ。でも彼女たちは逃げられないんだ」

 エドワードの母、ルイーズ・バルディアのように。逃げることで周りにも危害が加えられるかもしれない。だから陵辱の果てに殺されるしかない。

「だからウォルターを逃がした。きっと彼はシアーズに帰ったら、その女性たちを救うための何らかの手段を考え出すだろう。再びに戦場に立つために、自分が死ぬことを前提として」

『私が勝ち、再び侯と顔を合わせた時、貴方は親王ではなく、自分の幸福のために本当に望む選択をするんだ。それが条件だ』

 エドワードはウォルターにそういった。きっとエドワードはもう一度相まみえる時、全ての片を付けて敵として目の前に立つウォルターを全力で倒し、配下にしたいのだろうなと思う。きっとウォルターにもその気持ちは通じている。

 あの瞬間にでも、敵軍の勢力を削ぐより、庶民の女性を救う方を選んだエドワードは凄い。

 リッツはウォルターに剣を向けている時、そんなことなど頭の片端にもなかった。ただ逃げてゆくリチャードを庇う、目障りな敵だとしか思っていなかったのだ。

 感心してエドワードを見ると、エドワードはリッツの視線を受けつつ、微かに俯き、自嘲した。

「それだけじゃない。だからそんなに感心した顔をするな、リッツ」

「え?」

「俺はウォルターを斬れなかった理由がもう一つあるんだ。侯と親王の関係が、俺とリッツと酷似してたから」

「え……?」

 思いも寄らぬ言葉に目を瞠る。パトリシアも気を呑まれたように黙り込み、リッツとエドワードを交互に見た。戸惑ったまま、エドワードに問いかける。

「俺とウォルター侯が?」

「そうだ」

 微かに瞳に迷いを浮かべながらエドワードが真っ直ぐにこちらを見た。

「なあリッツ、正直に答えてくれるか? 俺がもし、リチャードのように、平民や周りの人々を性の奴隷にするような非情なことを始めたらどうする?」

 前にもそんな風に問われたことがある。その時も答えたはずで、今もリッツの気持ちは全く変わっていない。

「だから、エドはそうならないって。俺はそう信じてるってば」

「仮定だ。もし俺が国王になって権力を手にし、ああなったらお前、どうする? 俺はあのリチャードと、半分同じ血を引いている」

「仮定と言われても……」

 このエドワードが平気で人間を、性の奴隷として飼うような男には絶対ならないと分かっているのに、その前提で答えろなんて難しすぎる。だがエドワードの視線は真剣で、リッツは仕方なく想像してみた。

 エドワードが何かに狂い、リチャードと同じようなことを始めたら。その時近くにリッツがいたら。

「とりあえず殴るかな。それでも目が覚めなかったら、酷いことを止めない取り巻きをぶっ殺して、エドを攫って逃げるよ」

「……一国の国王を?」

「王だろうと王太子だろうと関係ないだろ? 親友がおかしくなったら、俺が何とか目を覚まさせなきゃじゃん。とりあえず逃げられないようにシーデナの迷いの森に監禁して、元のお前を取り戻すまでひたすら付き合うよ、俺。だって俺なら、迷いの森で生きてけるけど、エドは絶対に出られないもん」

 迷いの森はリッツに取っては遊び場だが、人間にとっては、案内がいなければ決して抜けられない迷いの森だ。

「そこでならじっくりと話せるし、綺麗なところだから疲れも癒えるし。そんな感じでどう、エド?」

 真面目に言ったのに、何故かパトリシアにため息をつかれた。

「国王誘拐したら、国家転覆罪で重罪よ? ユリスラが滅びるわ」

 確かに。王座を手に入れても、あっさりユリスラ崩壊では意味がない。少し考え込んで思いついた。

「そっか。じゃエド、おかしくなるまでに結婚して跡取り作って置いてくれよな。王太子がいればジェラルドとか、シャスタやグラントやコネルが何とかしてくれるよ。お前がおかしくなったらお前を廃位にしてもらえるもんな。そしたら一緒に旅しようよ。そうだ、迷いの森に監禁するよりぜんぜんいいや。大陸をぐるっと回ろう!」

 きっぱりと言い切ると、エドワードが吹き出した。

「何で笑うんだよ?」

「ああ悪い。お前からそんな魅力的な誘いを受けたら、俺はあえて足を踏み外しそうだ」

 笑いが止まらないエドワードに、リッツは思い出す。そうだ、エドワードの夢は本当は王座ではなく、大陸を旅することだった。確かに足を踏み外したら、跡取りに国を任せて一緒に旅をしようなんて、とんでもないことだ。

「エドがおかしくなっちゃったら、っていう前提の話だよ! お前はおかしくならないって」

 立ち上がって真面目にエドワードを覗き込んで断言すると、止まらない笑いに目の端に涙を溜めつつ、エドワードは、手を振る。

「いやいやいや、分からないぞ。では俺は国王になって早々、跡取りを作ろう」

「やめろ! 本気で道を踏み外そうとしたら怒るからな!」

「前言撤回かリッツ、冷たいな。一緒に旅をしてくれるんだろ?」

 からかうように、正面からリッツの肩を叩いたエドワードに、リッツは思い切りむくれる。

「べっつにエドと一緒なら、俺、どこにでも行くけどさ。でもそれは最後の手段で、まずボッコボコにぶん殴ってからだからな」

「お前にぼこぼこにされるのは痛そうだな。よし、できる限り品性方向に生きよう」

「当たり前だ!」

 リチャードのようなエドワードなんて、見たくない。エドワードはこうして、今のままのエドワードでいてくれないと、リッツだってリッツでいられなくなってしまう。

 そう思った時、胸の奥が微かに痛んだ。

 そうだ。もしエドワードが本当にそうなった時、リッツはエドワードを大切に思うあまり、ウォルターになりかねないのだ。

 王になったエドワードがさらされる重圧がどれだけか分からないが、エドワードが壊れるか、非情な男になるかの瀬戸際に来た時、リッツはエドワードが非情になっても、生きていて欲しいと望んでしまうかもしれない。

 だからエドワードは、ウォルターを斬れなかったのだ。あれはリッツの、遠い未来の姿かもしれないから。

「どうした、リッツ?」

「リッツ、ちょっと?」

 エドワードとパトリシア二人に見つめられて、我に返った。

「あ、いや」

 誤魔化すように頭を掻くと、エドワードは何かに気がついたようで、リッツに小さく笑いかけた。きっとリッツが理解したような事も、ウォルターを逃がした理由なのだろう。

 暗くなりそうな雰囲気を元に戻すべく、エドワードが明るく話を続ける。

「そもそも俺は王になっても、戦乱と革命の王だ。危険は絶えず付きまとうだろうし、世界が変わる段階の混乱も覚悟してる。暗殺、反乱、混乱も俺を放さないだろうよ。跡取りを求めるなら、命の危険を知りつつ、嫁にくる物好きを探すところから始めないとな。俺の代で国が滅びるのも嫌だし」

「そうか? エド、いい男だから、それでもいいって女がいっぱいいそうだよな」

「馬鹿だな。俺がいい男だろうとそうでなかろうと、命あっての物種だろう」

「自分をいい男だって認めてるんだ?」

「当たり前だ。親友と妹がそう言ってくれたんだから信じないでどうする? それでも、結婚だの跡取りだのという話は気が滅入るな」

 冗談で言っているのかと思っていたが、本気でエドワードはそう思っているらしい。そういえばエドワードは、オフェリル貴族のダネル・クロヴィスの時も、跡取りの重要性を語っていた。きっと跡取り問題って、人間にとっては大切なことなのだろう。

「跡取りとか面倒くさそう。人間は大変だな」

 呟きながらワインを飲み干す。結構美味しいワインだ。やはり農民がみな、オフェリルに戻ったから質が上がったのかもしれない。

「ま、お前には好きな女がいるし、そんな跡取り目当ての結婚に興味もないか」

 さらりと言われて、思い切りワインを吹き出した。

「な、なんだそれ!」

 動揺して叫ぶと、エドワードにいつもの余裕に満ちた顔で、にっこりと笑われた。

「何なら俺は外してやろうか、リッツ」

 暗にパトリシアと、二人きりにしてやろうというのだろう。パトリシアもそれに気がついて動揺している。

「別にいいわよ! 私、今日はエディとリッツと飲みに来たんですもの。何でリッツだけと……」

「だ、だよな。俺もパティに賛成!」

「そうでしょ。だってリッツったら、私と二人だと本当に口が悪いったらないものね!」

「悪くねえよ!」

 言い返して舌を出してから気がついた。パトリシアが普通にしてくれているから、すっかり忘れていたが、グレインに戻った時にリッツはエドワードとのことをからかい、彼女を泣かせたのだ。

 その後、アリシアのことでばたばたして、謝ることを忘れていた。彼女も弟か妹が出来ることに感激して、その話を持ち出してはこなかった。

 頭の中が真っ白になりかけ、胸の鼓動が跳ね上がる。どうしよう、二人きりにされても、リッツの片思いが確定しているのに困る。

 だって彼女が好きなのは、エドワードなのだ。

 あの時、リッツはしっかりと、彼女がエドワードを意識していて、好きなのだと実感している。そんな彼女と二人にされたら、また泣かせてしまうかもしれない。

 リッツが彼女に愛される事なんて、あり得ないのに。何となく小さな棘が喉にいつも刺さったように、彼女に嫌みを言ってしまいそうだ。

 そんなふうに彼女はエドワードを想っているのに、いつも鋭いエドワードがそのことに、全く気がついていない。

「まったく、初々しいなお前たちは。俺の跡取りのことを心配するよりも、自分たちのことを何とかしろ。それから俺に誰か紹介してくれ」

 何も知らないから、親友と妹の恋路を応援するような口調のエドワードにふてくされ、唇を尖らせる。

「エドに女なんか、紹介するもんか」

「どうして?」

「パティに跡取りを産んでもらえよ。パティはエドなら拒まないで受け入れるさ」

 心の中の声のはずが、それは口を突いてこぼれ落ちていた。時が止まったように静まりかえる。

「リッツ……お前何を……?」

 問いかけられて顔を上げ、エドワードが困惑しているのに気がつく。ハッとしたがすでに遅い。焦って見つめたパトリシアの目が、丸く見開かれている。

「パティ? 何の話だ?」

 戸惑いながらリッツからパトリシアへと視線を移したエドワードは、真っ赤になりながら目の端に涙がみるみる堪ってくる彼女を見て固まった。

 初めてパトリシアの気持ちに気がついて、呆然としているのだろう。パトリシアの顔を見たまま、動きを止めてしまったエドワードと、涙が零れ出すパトリシアにリッツはどうしていいか分からず、身動き一つ取れずにいた。

 夜風に乗って、兵士たちの陽気な歌声が聞こえてくる。どこからともなく聞こえてくるそれは、アリシアの歌ったジェラルドへの愛の歌のようだった。

 三人が三人とも動くことも出来ずにいたが、リッツは意を決してようやく言葉を発した。

「ごめん、パティ……。俺……エドに言うつもりなかったのに……」

 どうしたらいいか分からずに、しどろもどろなリッツの目の前に、パトリシアが立った。

「パティ……?」

 次の瞬間、思い切り拳で頬を殴りつけられていた。かなり痛いが、呻くだけで堪える。

「最低よ! 最低な男ね!」

「パティ……俺……」

「自分の動揺を、人の気持ちで隠そうとするなんて、最低だわ! そもそも貴方は私に一度でも気持ちを伝えてないじゃない! それなのに勝手に落ち込んで、勝手に私の気持ちをエディに投げ出して」

 口調は死ぬほど怒っているのに、パトリシアは悲痛な表情でリッツを見据えている。

「悔しかったら私にちゃんと告白してみなさいよ!ここぞとばかりに、思い切り手酷く振ってやるから! 告白されないと振ることも出来ないでしょう。とどめも刺せないわよ! なのに諦め顔で私の気持ちをぶちまけないで!」

 その通りだ。どうせ好きにはなって貰えないからと、パトリシアに愛おしい気持ちを持ちながらもそれを必死で押さえているだけだった。やがてそれがエドワードを好きだから、しかたないさという諦めに変わっていた。

 リッツの中だけで、全てを片付けてしまっていた。

「ごめん」

 他に言葉が出てこなくて、また口ごもる。うなだれ、じっと足下を見ているしかない。

「だから貴方が嫌いだわ! 大嫌いよ!」

 パトリシアはリッツの横を駆け抜けて、天幕を出て行く。エドワードが制止の声を掛けたが、パトリシアの足音は、リッツの背中越しにあっという間に遠ざかった。

 言われてみればそうだ。パトリシアはリッツの気持ちを知っている。でもそれはリッツが告白したからじゃない。パトリシアが盗み聞きしていたからだ。

 そしてパトリシアがエドワードを好きだと気がついたのも、パトリシアから聞いたからじゃない。エドワードが死にかけた時のパトリシアの態度で察しただけだ。

 でもそれが本当にエドワードを想っていたのだと、今、当のエドワードの前で暴露させてしまった。

 パトリシアの事がとても好きなのに。

 大切なのに、何をしているんだろう。

 彼女がエドワードを好きだから、彼女は人間で、精霊族である自分には手の届かない人だから、傷つけてもいいわけなんて、どこにもないのに。

 ふと、視界にエドワードの姿が映った。エドワードはパトリシアの後を追おうとしているのだ。

「エド……俺……」

「お前はパティの気持ちを知っていたんだな」

 微かに非難するように、それ以上に苦渋の表情で見られて、俯きながら頷く。

「前にパティには好きな奴がいるといっていたが、それが俺だったのか。お前ではなく」

「うん。だから言ったじゃん、俺の完全な片思いだって。でもパティを裏切りそうで、エドには隠してた。こんな風に動揺して言っちゃったら、隠してた意味ないのに」

「お前は好きな女が、俺を好きだと知って、憎く思わなかったのか? 嫉妬したりしなかったのか?」

 エドワードの顔は、苦しげだった。そうか、エドワードが責めているのはリッツじゃない。自分自身なのだ。パトリシアの気持ちに気がつかず、リッツが恋する相手を諦めざるを得なかったと思って、苦しんでいるのだ。

 そうではない。苦しい時も胸痛む時もあるけれど、リッツは決してエドワードを恨むことなどない。

 だから本心を隠さずに告げる。

「憎むことも嫉妬もしてないよ。エドの方がいい男だし、パティとお似合いだ」

「リッツ……」

「それに俺、とってもエドが好きだよ。パティとの恋に嫉妬する以上に、エドと一緒に笑ってたい。恋よりも嫉妬よりも、大切なもんが俺にはあって、俺はエドもパティも大好きなんだ。二人が幸せになったら、恋が成就するよりも、よっぽどその方が嬉しいよ」

「お前って奴は本当に……」

 エドワードは小さく呟いてから、深々とため息をついた。

「パティの様子を見てくるよ。お前は先に寝ててもいいからな」

 エドワードとリッツは、相変わらず一緒の場所で寝起きしている。ここがエドワードの場所であり、リッツの場所でもあるのだ。

「……うん」

 起きていたら邪魔だろうか。二人がどんな話をするか分からないが、リッツはここにいてはいけないのかもしれない。

 俯いたままいると、頭の上に手が乗った。その手が頭を優しく叩いてくれる。

「分かった。俺が帰ってくるまで寝ないで待ってろ」

 ちゃんと話を聞いてやるから。

 エドワードの声がそう聞こえたような気がする。

 エドワードが出て行き、一人天幕に残される。

「俺、馬鹿だ……」

 一人取り残されたリッツは、両手で顔を覆って呻いた。 

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