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エドワードは戦場に立ち、馬上から草原を微かに見下ろしている。足下には街道の整えられた道があり、それは真っ直ぐ敵陣へと続いている。敵陣までは目立った坂道というわけではないが、緩やかな傾斜が付いていて、ここからよく見渡せるのだ。
視界には、混乱に混乱を重ねる王国軍の姿と、必死の形相でこちらに駆け戻ってくる革命軍弓兵たちの姿があった。
「減った戦力は一万といったところだろう。少なくとも先陣の一部隊の大半は、使い物になりそうにない。無事であっても大半は負傷兵だ」
遠眼鏡越しに戦況を見守っていたジェラルドが、的確に確認した。 エドワードは小さく頷き返しつつ、戦場に目を向ける。
「それでもまだ倍以上か?」
「そうだ」
「だがジェラルド、目的は数を減らすことだけじゃないんだ。これでいいだろう?」
無意味な虐殺は避けたい。ソフィアの巨大な灼熱球は、一日打てて三度ほどだと聞いているから、今日はこれ以上の一方的な虐殺をしなくて済む。
もし無限に灼熱球を打つ事が出来れば圧倒的に大勝利を手にできるだろうが、それでは革命軍は、恐怖を民衆に与える存在になってしまう。
人対人において、精霊使いは最も有力な武器だった。千人の兵士も一人の精霊使いに敵わずと、昔から称されてきたほどだ。ソフィアの技を見る限り、それは的を得た表現だろう。
だが精霊使いとて人である以上限界がある。結局相手の数が相当数上回る場合には、最後にものを言うのは人の手だであり、兵士の命だった。
兵士の命を如何に有効に使うかで、戦況がまるで変わる。その使い方は、ジェラルドの、ひいてはエドワードの手にかかっていた。
命のために命を使う。これが戦争だ。
エドワードは一つ息をつく。分かっていることにいちいち思い悩んでいる場合ではない。だがそのことに麻痺してしまえば、それは上に立つものとして問題だ。その微妙な均衡の上に、指揮官という存在はあるのかもしれない。
腕を組みつつ気を引き締めて、軽く右手で顎をつねった。
この戦いを終わらせるために、革命軍に速やかな勝利をもたらさねばならない。未だ倍以上の戦力を敵に維持されている以上、ここでのんびりと敵軍の陣形が整うのを待つ必要は全くない。
リッツの奇襲、ギルバートの陽動、ソフィアの灼熱球。これは全て一つの作戦の前哨戦に過ぎない。大部隊を混乱させ、その混乱に乗じて勝利を手にする。これが小部隊に出来る作戦だ。
「リッツは戻ったか?」
ジェラルドの問いかけに小さく首を振る。敵軍の後方から森を通って帰るから、時間はかかることぐらい覚悟の上だ。
「そのうち帰るさ。あいつは死なないから」
敢えて軽い口調でいうと、軍議の時の事を思い出したのかジェラルドに笑われた。
「そうだな。お前たちは心中するまで死なないのだったか?」
「心中って言わないで欲しいんだけどな」
「一緒に死ぬしか死なないなど、心中以外の何物でもあるまい?」
確かに自分とリッツ以外の人間が口にしたら、エドワードだってそう考えるだろう。そう考えるとおかしくなる。やれやれ。どうやら幹部連中には、かなりリッツとの誓いは奇異に映っていたようだ。
「いいことだろう? 二人揃わねば死なないなら、俺たちが一人でいる時は絶対に安全だ」
苦笑しつつ、周りを見渡す。ジェラルドも楽しげに顎をなで回して頷いた。
「確かにその通りだな」
陣営前方から騎兵連隊、重歩兵、歩兵部隊が並ぶ。予算の都合もあり、揃いの軍服はない。元王国軍の兵士は王国軍の軍服を着ているし、騎兵連隊はグレイン騎士団だから、騎士団の制服のままだ。だが全員の腕には、水色の布が結ばれていた。それが軍の象徴だった。
リッツとパトリシアが主張した、一番好きなエドワードの目の色だそうだ。この目の事をそんなに気に掛けたことはなかったが、この二人に綺麗だと言われて初めて、そんなものかと気がついた。
南から吹く暖かな風に髪が舞い、それを片手で軽く押さえる。中途半端に長くなったから、まとまりが悪くて仕方ない。もう少し伸びれば後ろでくくることも出来るのだがろうが、この長さではいかんともしがたい。
実は一度何とかならないかとパトリシアに相談したのだが、至極真面目に『両側で結んでリボンを付けるしか手はないわ』といわれて閉口した。王太子を名乗っているのに、まさかティルスの幼子のように両側で結ぶわけにもいかない。
光の精霊王から力を得るために、伝統として国王はみな髪が長い。精霊族に似せているという話もあるが、当の精霊族であるリッツは、いつも一定の長さになると『うっとうしい』と髪を切ってしまうから本当のところは分からない。
それでも髪一つとっても、王位を目指す上で重要なことだ。確かに見た目は重要なのかもしれない。
そういえば容姿をもう少し宣伝に利用したらと、パトリシアにも笑われてしまった。容姿は上に立つことで立派な偶像になり得る。だがエドワードは、自分の姿を偶像に出来るなど、考えたこともない。そもそも容姿について言われたのも初めてだったから、パトリシアの考えに感心した。
使えるものは全て使うのならば、そのことを政治を学んでいたカークランドに提案してみてもいいだろう。きっと上手いこと民衆に向けて、何らかの手を打ってくれそうだ。
視界の端で弓兵が所定の位置に戻り、ギルバート率いる遊撃部隊が帰投したのを確認し、エドワードは隣に馬を並べるジェラルドを見た。こちらを眺めていたジェラルドも笑みを浮かべて頷く。
今までの戦いと違い、最初に降伏勧告はしない。圧倒的有利に自軍を導ければ、降伏勧告をして自軍の兵力を増やすこともできるだろうが、今回の目的はあくまでもこちらの兵力が整ったことを偽王に知らしめ、リチャードを追い返すことだ。
「行こう、ジェラルド」
決意を持って告げると、ジェラルドが右手を胸に当てた。
「御心のままに、王太子殿下」
分かっているくせに、つい力を込めて拳を握りしめる。変わるもの、変わらないもの。それも全てこの国のためだ。
馬首を兵士へと向け、エドワードは言葉を発した。
「王国の未来を担う、真の勇士たる革命軍の諸君、今こそ、希望への扉を開け放つための戦いの時だ」
戦とリチャード親王の名を前に浮き足立っていた人々の声が収まり、しんと草原が静まる。革命軍の人々の顔は、ここより始まる希望に溢れ頬を上気させている。
強い南風が草を揺らし、草のさざめきが、人々の中を駆け抜けてゆく。
「絵空事ではなく、手を伸ばせば掴める希望こそが、人々の生きる糧となる。ユリスラの未来を輝く希望で満たすため、諸君の力を借りたい。共に道を切り拓くのだ!」
人々を順にゆっくりと眺め、力を込めて言葉を発する。
「ユリスラの未来のために!」
宣言したエドワードの声に、二万の軍勢の声が重なっていく。その全てが一つの言葉を紡ぐ。
「ユリスラの未来のために!」
エドワードは熱い人々の歓声を受けつつ、敵に向かって立つ。
彼らはまだ混乱のさなかにある。大軍に勝つには、今しか勝機はない。隣に立つジェラルドに目を向けると、そこにギルバートの姿もあった。
二人に頷くと、ギルバートは笑い、ジェラルドは頷く。信頼する二人の将を両翼に置き、エドワードは、その手を真っ直ぐに上げた。
ふと未だ姿を見せない親友を思う。
リッツ、無事でいろよ。
視線を正面に向け、高まった緊張感と共に、掲げたその手を振り下ろす。
「出撃!」
自らの声と同時に馬の腹を蹴り、戦場へと駆ける。
革命軍に偶像を作れと、ジェラルドとギルバートから求められている。リッツはシアーズで英雄を演じたあの時から、偶像という点では立派に英雄になっている。
だがエドワードは未だ、王太子として目立った活躍をしたわけではない。ファルディナの戦闘はあくまでも小規模であり、人々の口の端に上ることでもない。一人歩きしているのは、名前と存在のみだ。
現在の革命軍では、王太子エドワードよりも、王国軍司令官にして元帥だったジェラルドと、隻眼の中将ギルバートの方が、王国軍の知名度が高いことは百も承知だ。
だから死なない覚悟を抱えながらも、先陣を切り、英雄然として敵にも味方にも圧倒的な印象を残すのが、もう一つの役目だった。
後ろに二万の軍勢の鬨の声を聞きながら、エドワードは馬を駆る。風に髪が激しくはためく。高原の風は緑の気配を含んで冷たく吹き付けてきた。
混乱し、街道から草原へと追われるように逃げてくる敵に対し、革命軍は簡単に三軍へと分かれていた。先陣は当然エドワードだ。
共に駆け抜けるのは、元々エドワードが所属していた騎兵蓮隊だ。
向かって右翼側の歩兵と重歩兵の指揮を執るのはジェラルドで、わずか後方から騎兵隊が戦っている間に徐々に敵に迫り、壊滅を図る。
左翼側の指揮を執るのは、コネルの歩兵と重歩兵だ。コネルの下には五つの部隊があり、それぞれにコネルの部下が指揮を執っているのだが、そのうちの三部隊をジェラルドが預かり、残り二部隊がコネルと共に戦っている。
一部隊少ない左翼部隊には、代わりにギルバート指揮下の遊撃隊員と、弓兵、精霊部隊が配備されている。
騎兵で混乱を更に誘い、逃げ散る間もなく左右から徐々に数を減らして、敵を退却に陥らせるという作戦だ。
この際に中央に配置されたエドワードは、できる限り総指揮官であるリチャードの部隊に肉薄し、リチャードに打撃を与え、軍全体を撤退させる役割を負っている。
つまり最も派手に戦い、そして大きく手柄を立てる必要があると言うことだ。ジェラルドやギルバートは、それほど気を負う必要はないといってくれるが、エドワード自身がそれを成し遂げなければと言う強い思いがある。
焦りとは違う。それは一緒に戦ってくれる義勇兵への責任のような気持ちだ。
微かに目をやると、そこにエリクソンの姿があった。エリクソンは王太子になる前と同じように、エドワードに笑いかけて頷く。
『落ち着け、エドワード。指揮官はいかなる時も自信を持って前を向けばいい』
エドワードの立場を知っていたエリクソンは、よくそう言って励ましてくれていた。騎士団員であった昔も、王太子である今も、きっとやっていることは変わらない。
安堵しながら敵を見据える。立場が変わったとしても、敵を倒し、未来を拓く事に何の変わりがあるのか。きっと戦う戦士である以上、基本は同じだ。
勝つしか道はない。
みるみる迫る敵が、右往左往しているのが分かった。突出している部隊には騎兵はいないようだ。
「精霊部隊は! 精霊部隊はおらぬのか!」
指揮官の一人の金切り声が、風に乗って途切れ途切れに届く。精霊部隊どころか、その部隊には騎兵すらいない。
もし街道で先陣を切っていたのが騎兵隊であれば、この部隊の騎兵隊は壊滅しているだろう。ならば立ち向かうは歩兵部隊のみ。
混乱の上に、恐怖の幕が下りていく。恐慌状態になった部隊に、エドワードは微かに微笑む。
「遅い! 弓兵、撃て!」
騎兵隊に紛れていた王国軍の元弓兵が、騎兵隊を超え、敵歩兵部隊に矢を打ち込む。右往左往する人々が、何も出来ずにその場に倒れ伏せていった。弓兵が速度を落とし、後方に下がるのを確認しつつ、エドワードは剣を抜く。
「抜刀! 突撃!」
騎兵連隊の剣を抜く音が草原に響き渡り、鬨の声が上がった。剣を正面に向け、馬は敵へと見る間に近づいていく。
目の前にいるのは歩兵部隊だ。陣形を整えることも敵わず、ばらばらに散らばったまま、騎兵連隊を見て恐怖におののいている。
後方から人が溢れ、前方にしか逃げ道がない彼らは、恐怖に支配されながらも、よろめき、こちらへと歩み寄りながら剣を抜いた。
その中で怪我をしつつも、無駄に立ち騒ぎ、至近の兵士を誰彼構わず掴んで回る男の姿がある。
「弓兵はおらぬのか! 何故誰もおらぬか!」
叫ぶ男にエドワードは目をこらした。男の軍服は丈が多少長く、階級章の他に沢山の勲章をぶら下げていた。
階級章の読み方はちゃんと分かっている。この男は中将、革命軍に来た時のコネルと同じだ。どうやらこの部隊の指揮官らしい。
哀れなことに慌てふためき、一人右往左往するだけで、指揮官である彼を守ろうとする者は一人もいない。
敵陣に真っ先に飛び込んだエドワードは、そんな男を、何の呵責もなく切り捨てた。貴族であろう事は明らかだったからだ。
男の首はまるで玩具のように、軽くこの空を飛んでゆく。
しんと、一瞬にして戦場が静まりかえった。
男の副官だったのだろう男が、引きつったようにエドワードを見上げた。
「何者だっ!」
「革命軍総指揮官、エドワード・バルディアだ」
笑顔でそういうと、エドワードは正面の男の首も斬り上げた。
「次は誰が私の相手をしてくれるのかな?」
剣を構えて見渡すと、人々が後ずさった。それと同時に、騎兵連隊が突入し、戦闘が始まった。
だが戦闘らしい戦闘にはならない。混乱して王国軍の兵士がちりぢりに、逃げ道のある前方へと逃げ始めたのだ。
前方、つまり革命軍のただ中だ。
指揮官と副官の首は、誰も拾わず味方の歩兵部隊のただ中に落ちた。人々はその上をも逃げ惑う。きっと首も土塊も、見分けもつかぬ事になっているだろう。
勢いのまま騎乗で歩兵部隊に突入する。
戦う態勢も出来ていない歩兵たちは、逃げられぬと理解して混乱しつつも剣を抜いた。
部隊の総指揮官を失っても中隊クラスの指揮官は、ちゃんと機能しているようで、いつの間にか小部隊での反撃が始まる。
さすが王国軍。今までとは違うか。
そう思いつつも、エドワードは馬上で剣を振るう。歩兵隊騎兵では、圧倒的に騎兵であるエドワードが有利だ。
斬り上げたエドワードの目の前で血飛沫が舞う。間髪入れずに剣を振るい、また一人を切り伏せた。
一人が倒れたのを確認もせず、次々に歩兵を突き倒し、斬り上げていく。
戦場はあっという間に血に染まりつつあった。
「偽王太子がいるぞ! 首を取って名を上げろ!」
指揮官の一人が叫んでいる。気がつくとあっという間に、周りを取り巻く人々が、じりじりとこちらに輪を狭めてきている。
王国軍は素人ではない。民衆の寄せ集めである革命軍が何を失えば瓦解するかなど、分かりきっているのだ。だから多少の犠牲を出してもエドワードを殺してしまえば戦争は終わる。
気がつけば十重二十重と取り囲まれていた。ほぼ孤立した乱戦状態では、一人で切り抜けるしかなさそうだ。
こんな時、相棒がいたらきっと『人気者は大変だな、エド』などというのだろう。
相棒を思い口元を緩めると、この小隊の指揮官らしい男が、じりじりと後ずさりながら叫ぶ。
「強いぞ。皆でかかれ!」
「はっ!」
だが乱戦の焦りが綻びを招いた。気が急いたのか、若い兵士が逸って襲いかかってのだ。その隙を見逃すほど甘いエドワードではない。
躊躇することなく切り伏せると、その兵士が守っていた場所に斬り込む。わずかにほつれた包囲網を大きくほどいてゆく。
間合いを取るかのように少しづつ下がる兵士たちの中にいた小隊長に立ち向かう。エドワードを見つめつつも動じない小隊長に血塗られた剣を構えたまま、悠々と笑って見せた。
「済まないが、私は偽王太子ではない」
「何!? まさか影武者か?」
驚愕する人々に向かって、エドワードは悠然と微笑んで見せた。
「私が、唯一の正統な王太子だ」
言葉と同時に、馬の腹を蹴り、正面の兵士を弾きとばした。悲鳴を上げる兵士に目をくれず、一瞬気を呑まれて動けなくなった兵士たちに、間髪を入れずに、刃を向ける。
見る間に目の前に、兵士たちの死体の山が積み上げられた。
「強い……なんて強いんだ……」
小隊長らしき男が、恐怖に顔を引きつらせて呻く。
「誰が奴は田舎剣士に過ぎぬと言ったのだ……これではまるでジェラルド・モーガンが二人いるようではないか!」
「ありがとう、最高の賛辞だ」
笑いかけつつ、男に斬りかかった。剣と剣がぶつかり合い火花を散らす。そこに若い兵士たちが現れた。でも容赦は出来ない。
小隊長を一刀のもとに斬り捨て、エドワードは身体をひねって若い兵士たちに斬り込んでゆく。エドワードの剣越しに、若者たちが、地に伏せていく。
恐怖と、微かな安堵を浮かべながら死にゆく若い兵士に、エドワードは小さく頷く。
期待しているのだろう、未来に。
ならばその死は無駄ではない。
王国の未来はここにある。
人々一人一人の死を覚えておくのは無理だ。でも人々の血が流れて、その上に自分が立っていることだけは忘れないようにしなければならない。
「この首を取れる者なら取るがいい。勿論易々とやるつもりはない」
馬上で背を伸ばして告げると、男たちはざわめいた。晴天の空の下、輝く剣の光が、人々の命を次々に奪っていく。
ふと気がつくと、ジェラルドの右翼、コネルの左翼ともに、混乱する敵軍を取り囲むかのように両側から敵を挟み込んでいた。
戦場は更に、加速度的に血に染まっていく。
悲鳴と怒号、光のきらめきと血飛沫。
青々と茂り、風にやわらかく揺れていた草は、見る間に赤く染まっていく。
戦いの手を休めることなく、だが冷静に戦場を見渡す。少し離れた左翼の最も中央よりに、ギルバート率いる遊撃隊員と精霊部隊がいるのが分かった。ギルバートの怒号がこちらにまで微かに届く。
「弓兵と精霊使いを戦場に出すな! 街道の出口で葬れ! 騎兵が出たなら土の精霊で対抗しろ!」
ありがたい戦術だ。騎兵は弓兵に弱い。馬を射られてはおしまいだ。街道の出口で草原の入り口は、すでに赤く染まっているだろう。
遊撃隊に守られつつ、精霊部隊は果敢に精霊魔法を繰り出して、騎兵隊の足をことごとく奪っていく。抜けられる騎兵隊は少数のようだ。小規模に幾度も繰り出される蟻地獄は、街道東側に逃れた部隊をも追い詰めている。
数が少ない部隊に出来ることは、奇襲と、指揮官を消すことだ。これが一番早い戦闘終了方法だ。
精霊魔法で倒される者も多かったが、精霊魔法により負傷し、戦えずに逃げ散る者も圧倒的に多かった。殺さずとも兵士の数を減らし、勝利すればそれでいい。
両翼だけではなく、後方からも味方歩兵部隊が戦場になだれ込んできた気配を感じた。これで突出した敵軍を、三方向から絡め取る陣が完成したことになる。
だが敵兵が立ち直り、有能な指揮官の下各個撃破を図れば、革命軍が瓦解する。そうなる前に、騎兵部隊は更に敵の中に分け入り、リチャードの首を取りに行かねばならない。
崩れた輪から脱して、未だ混乱状態にある敵本隊を見据える。街道からあふれ出してきている中に、馬車とその上に翻る旗が見えた。
王国旗。あの下にリチャードがいる。あそこがエドワードを含めた、騎兵連隊の目的だ。
まだ少し遠い。だが戦場が混乱状態にある今なら、狙えるか? 親王の首を取れば、この戦が終わる。
「エリクソン! リチャードの馬車だ!」
叫び、態勢を整えようとした時、目の前に騎兵の集団が立ちふさがった。
「親王殿下の元には行かせぬ!」
数は少ないが、あの混乱状態からいち早く抜け出た集団らしかった。正面に立ち、こちらを見据える男は無傷ではなく、あちらこちらに痛々しいやけどが残っているが、士気は落ちていない。
「ならば倒して通る!」
男を見据えたまま告げると、男は満足そうに頷いた。
「望むところだ」
指揮官同士の言葉が終わると共に、革命軍騎兵蓮隊と王国軍騎兵隊がぶつかり合った。双方共に戦いを知り得ている玄人だ。そう簡単に決着は付かない。
エドワードも間髪入れずに剣を振るう。歩兵を相手にしている時とは違い、騎兵同士の戦いは苛烈を極めた。
その中でもやはりグレイン騎士団は、圧倒的に有利だった。軍に入ってから馬を操った軍人たちと違い、グレイン騎士団のほとんどの人々が子供の頃から馬に乗り慣れている。片手どころか両手を放したまま馬を操ることに全くの苦がない。
それは子供時代をティルスで過ごしたエドワードも例外ではなかった。犠牲を出さぬのは無理でも、戦いはこちらの優位になっていく。
最初から奇襲と陽動で振り回された王国軍には覇気が欠け、戦いは士気の高い革命軍の圧倒的有利で運んでいる。敵はみるみる数を減らしつつあった。
いつの間にか革命軍精霊部隊も後退し、その場所を精霊部隊と入れ替えに重歩兵部隊と歩兵部隊が埋めている。
戦場は今や草原に完全に移りつつあった。
歩兵と歩兵がぶつかり合い、乗馬した指揮官、コネルが、各部隊長たちに指示を飛ばしている。さすがはコネルだ。彼はいとも簡単に、少ない人数でありつつも敵を圧倒し、包囲網を強いて中央へと押しとどめていく。
じりじりと後退しつつ中央に逃げる敵はやがて精霊使いたちに翻弄されて、混乱に乗じた歩兵たちに倒されていく。
薄い包囲網を破られそうになれば、あっさりと後退し、深追いした敵の一団を、薄布で包み込むように包囲しつつ、絡め取る。経験浅いエドワードにはできそうにない芸当だった。天才的な用兵の才能を持っているのかもしれない。
自分は本当に人に恵まれている。
そう思わずにはいられない。
だからこそ、リチャードを一刻も早く討ち取らねばならない。
その時、戦場と不釣り合いなラッパのが音が、高々と鳴り響いた。そのとたん、王国軍は活気づき、革命軍の歩兵部隊の一部が動揺する。
そのラッパの意味を知っていたエドワードは、小さく舌打ちした。
親王が戦場に出た。
ラッパはそれを表しているのだ。馬車から出たならば親王は脅威になり得る。その前に馬車の中で葬れればと思っていたが、それはやはり無理だったようだ。
親王の馬車の周りを守っていた騎兵隊は、おそらく革命軍の騎兵隊の三倍近くいただろう。その彼らが、エドワードたちが如何に戦いを仕掛けようとも、いかなる犠牲を出そうとも、全く動かずにその場を死守していたのだから無理はない。
スチュワート偽王と違い、リチャードはかなりの剣の腕前の持ち主だった。
そして彼は、殺すことを楽しむ。
「騎兵隊、気をつけろ! 奴は強い。決して一人で当たるな!」
目の前の騎兵を退けつつ、エドワードは部隊に大声で告げる。リチャードを知らない革命軍の中にも緊張が走った。
戦場での戦いはまだ激しく続いていたというのに、馬車の周りだけ別世界のように人々が集まりつつあった。
焦げ茶色の王国軍服ではなく、きらびやかな肩章のある黒の軍服……近衛部隊だ。
「くっ……」
態勢を整えようと思っても、敵にはまだ騎兵が多い。近衛部隊も騎兵だ。革命軍騎兵連隊は未だ交戦中であり、騎士団を母体とする騎兵連隊は、少数精鋭であり、これ以上の敵兵と当たる余力はない。
「皆の者、恐るるな!」
銅鑼が鳴るように低く荒い声が、混戦状態の戦場に響き渡った。その瞬間に王国軍の士気がわずかに上がっていくのが分かった。
これが軍に絶大な影響力を持っている、リチャード親王の力か。
「反乱軍がいかなるものであれ、我が軍に敵うわけがあるまい。我らは輝かしき光の精霊王に守られしユリスラの軍隊だ! 必ず勝ち、我が兄スチュワート王に栄光をもたらすのだ!」
近衛兵が鬨の声を上げ、そして押され気味だった歩兵部隊が応じた。
激しい反撃に遭い、革命軍が一瞬怯む、その隙を王国軍が突いている。コネルの堂々たる自信に満ちた声が響く。
「動じるな! 我が軍は圧倒的に優位に立っている! エドワード殿下と共に、未来を拓くのだ!」
コネルは剣を突き上げた。
「エドワード王太子殿下と共に、希望の未来を!」
後方での歩兵対歩兵の戦いは、激しさを増した。
「新王とリチャード親王に勝利を!」
「王国の未来に希望を!」
二つの思いが激しくぶつかり合っている。それを知りつつも、エドワードは彼らを見ることも出来ずにいた。
戦場にありつつ、馬車の周りだけが奇妙な静寂と、著しい緊張感の中にあった。
やがて革命軍騎兵隊とエドワードの前に、リチャードは堂々とその姿を現した。近衛部隊がさざ波のように二つに分かれ、その中央を立派な体格の黒い馬に乗ったリチャードが進み来る。
短い薄茶の髪、らんらんと輝く好戦的な瞳、そしてエドワードよりも背は低くとも、倍以上の太さを持つであろう筋肉に覆われた逞しい身体。
その腰に差すのは、ギルバートの大剣よりも小さいが、幅広の大剣で、隣国フォルヌより停戦の折りに贈られたという最高級の鋼、黄銀で作られていた。
彼がフォルヌへ更なる黄銀を要求して拒まれ、黄銀の採掘地であるロシューズにまで押しかけて追い払われたことは、ジェラルドに聞いた。
それほど黄銀で出来た武器は、素晴らしい出来だという。軽い上にとてつもなく丈夫で、恐ろしく殺傷力が高い。
緊張感を打ち破るように、革命軍の騎兵隊が果敢にリチャードに襲いかかった。十騎以上に取り囲まれたというのに、リチャードは余裕の笑みを浮かべた。
「その程度の戦力で、王国の親王を討ち取れると思ったか!」
怒声の直後、騎兵隊人々の身体から血飛沫が上がった。騎兵隊が王族の前に萎縮したとはいえ、リチャードの力はとてつもない。そもそも王族であっても、力がなければ貴族たちを押さえつけていられないだろう。
スチュワートには権力を維持するための知恵が、リチャードには力があるというが、その通りだったようだ。
次々に襲いかかってくる騎兵隊に、近衛兵と、敵騎兵隊が加わり、その場が乱闘になりかけた。エドワードも近衛兵との戦闘を余儀なくされた。
「俺が親王を!」
じれて呻いたエドワードに、エリクソンが首を振る。エドワードは唇を噛んだ。
目標はリチャードなのに……そこまでの距離が遠い。騎兵隊はエドワードの突出を望まず、エドワードがリチャードに向かおうとすれば、その場にとどめようとする。
彼らの第一の目的は、エドワードを守ることなのだ。きっとそれは、ジェラルドにすり込まれているに違いない。
だがそれが歯がゆい。
乱戦になるかと思われたその時、リチャードが幾人もの騎士団員の命を吸い取った剣を振り、それを鞘に収めた。眉をしかめると、リチャードは堂々と戦場を見渡す。
「一同、剣を納めろ! 俺は弟の顔が見たいのだ!」
それでも戦いの手を緩めない革命軍騎兵連隊と味方をリチャードは見据え、近くにいた敵味方双方を、何の呵責もなく共に切り捨てた。
「俺は辞めろといっている。貴様らは誰の臣か!」
恐れをなしたように、敵騎兵隊が下がり、近衛兵が下がった。じりじりと革命軍も、下がらざるを得ない。
戦場に妙な空白地帯が生まれた。
ここより後方では戦乱の声は、まだ激しく聞こえ続けているというのに、たった数十メートル四方から人々の声と音が消え去る。
「エドワード・バルディアはどこにいるか!」
戦場に響き渡った声に、騎士団員が数名エドワードを守るように周りを固める。エドワードは生まれて初めて、血を分けた自分の兄の顔を見つめた。
「ここにおります、兄上」
想像していた以上に自分は冷静だった。前に出てエドワードを庇おうとする騎兵隊をそっと手で制し、エドワードは一歩前へと馬の足を進める。
そんなエドワードに、リチャードが満足げに頷いた。真っ直ぐにその顔を見つめると、リチャードはしげしげとエドワードを見つめる。
「お前がエドワードか。あのルイーズ・バルディアの子だな?」
「そうです」
きっぱりと言い放つと、リチャードは大声で笑い出した。
「母上も欺かれたものだな。これほどにルイーズに似ているというのに、気がつかないとは。母上も意外と間が抜けている」
どうやらエドワードがリッツを名乗り、リッツがエドワードを名乗って王宮に入ったことを、彼は知っているようだ。やはりあれが知られたから、ティルスの焼き討ちが起きたのだろう。
「ルイーズ譲りの綺麗な顔をしているではないか。貴様から父上の王位継承の証を奪い取り、一平民として飼い慣らすというのも面白い」
エドワードを見下すように笑みを浮かべつつも、その目は決して、それが冗談では無い事を語っていた。リチャードを見据えつつ、エドワードは微かに唇を綻ばせた。
「山ほど飼っているという、裸の女性たちと同じようにですか。兄上」
「そうだ。お前が男だろうと弟だろうと、平民たちと全く変わらず、恐怖に狂い、死ぬまで可愛がってやろう。俺は博愛主義者だからな」
「平民と同じく……ですか?」
「そうだ。ありがたいだろう? このように戦場で血を流さずとも、王族の暮らす王宮で暮らせるのだぞ、エドワード。ただし、裸の鎖付きでだが」
自信に満ちて笑みを浮かべるリチャードに、微かに吐息を漏らす。なるほどコネルの言った通りだ。平民を人とは認めず、性の奴隷として絶望と恐怖の中に引きずり込み、処理をジョゼフ・ウォルターに押しつけているのだろう。
心の底から憤りつつ、エドワードは柔らかく笑いかける。穏やかな表情のままで鋭く睨み付けるも、リチャードがそれに気がついた様子はない。
「残念ながら兄上。私にそのような趣味はありません。私も博愛主義者ですが、方向性が違うようだ」
「方向性だと?」
「私はユリスラ国民全てを、平等に愛したい。義により、法により、全ての者が階級などに縛られず、幸福を感じられるようにだ。兄上のように、人を恥辱の中に貶める悪辣なことに手を染める気はありません」
「何だと、エドワード?」
「私はこの国の王太子であり、貴方のようなケダモノではないと申し上げた、兄上」
みるみるリチャードの顔が憤怒に覆われていく。
「俺をケダモノだと言うのか、エドワード」
「ケダモノ以外に言葉があれば教えて欲しいものですな、兄上。いや、リチャード・シュバリエ」
エドワードは静かにリチャードを見据えてゆっくりと言葉を紡ぐ。
「なんだと?」
「父上はお前たちの王位継承権を抹消し、王族の籍を抜いている。平民はお前の方だ」
リチャードを見つめたまま断罪するかのように言い放つと、見る間にリチャードの顔が憤怒に染まった。歯ぎしりしながらリチャードは、その顔をエドワードに向ける。
「……貴様、エドワード。二度とそのようなことをこの俺に言えぬよう、縛り上げてさらしてやる」
怒りに燃える目でリチャードは叫んだ。
「鎖の冷たさに泣き叫んでも、貴様を許しはせん!死んだ方がましだったと、泣きわめくがよいわ!」
「許しを請うのはどちらになりましょうな、兄上」
エドワードは敢えて薄く笑う。
こんな醜悪な趣味を持つこの男と、自分は半分同じ血を引いている。心の中で友に問いかけた。
リッツ、俺は王になっても、本当に正常でいられるのかな。こうはならないだろうか?
答えはないはずだった。だがそう思った瞬間に、クロスボウの激しい連射がリチャードたちに向かって浴びせられた。
矢はリチャード周辺の近衛兵たちに当たり、見る間に馬たちが恐慌状態に陥る。
凍り付いたような中で、再びクロスボウの矢が敵陣営を襲う。浮き足だった近衛兵とその場を守っていた王国軍騎兵隊が剣を抜き、クロスボウの放たれた方角に向き直った。
そこには王国軍服を着た騎兵の一団がいた。
「何奴か!」
敵兵の誰何に、一団の中央にいて、王国軍の軍服をマントのように羽織っただけの男が、ひらりと身軽に馬を下りた。
たった一人。
それが敵の油断を誘った。
一瞬の迷いから、敵の誰もが、味方の誰もが、その男をただ見ていることしか出来ない。それに敵兵はみな、リチャードが動くことを許可していないから動くことも出来ずにいる。
そんな緊迫感の中で、エドワードだけが頬を緩めた。
「悪いけど、王太子殿下を鎖で飼わせるわけにはいかないなぁ」
黒髪に長身の男は、悠々と人々の前を進み、馬上にあるリチャードを、満面の笑みを浮かべて見上げた。
「だって言いたくないけど、エドワード・バルディアは俺の飼い主だもん」
笑いながら男は小さく、わん、と鳴き、革命軍に向かって片目を閉じた。革命軍の中から安堵の息が漏れる。
だが馬鹿にされたと思ったのか、リチャードの頬にみるみる血が上っていく。でも男は全くそれを気にせず、いつものヘラヘラした笑顔で言葉を続けた。
「俺が選んだ男だからさ、人の命を何とも思わないようなケダモノに飼われていいはずないじゃん」
「お前、何者だ?」
「俺? 俺はね」
そう言うと男は、羽織っていた王国軍の軍服を脱ぎ捨てた。軍服が強い風に乗り宙を舞う。その下に着ているのは間違いなく、グレイン騎士団の制服だった。
「精霊族のリッツ・アルスターだ」
「何だと!!」
目を瞠るリチャードだったが、次の瞬間、リチャードの乗った馬が、激しく嘶いた。
「何をした!」
「将を射んと欲すれば先ず馬を射よ、だって。マルヴィルが言ってたんだ」
軍服に一同が気を取られた瞬間に、リッツはリチャードの馬を狙ったようだ。馬の片腹から、血が激しく噴き出している。
「き、貴様!」
暴れ出した馬に、リチャードは慌てて態勢を整えようとしたものの、腹を割かれた馬が人に従うなどあり得ぬ事だった。
「静まれ、静まれ!」
それでもリチャードは叫ぶ。
「誰か、馬を止めぬか!」
馬を止めようとした近衛数人は、馬に激しく蹴られて血を吐いた。
「誰か!」
リチャードの悲鳴と重なるように、最後の悲鳴とばかりに黒馬は大きく嘶き、激しく前足を掲げた。
「うわぁぁぁぁっ!」
ひび割れた悲鳴と共に、リチャードは勢いよく思いも寄らぬ高さから振り落とされた。
「殿下!」
近衛兵たちの悲鳴の中、宙を飛び、地面に叩き付けられたリチャードは、一瞬だけ手足をびくつかせて、完全に動きを止める。
瞳は半開きで白目を剥き、その両鼻から鼻血が流れ出した。
王国軍の兵士たちが、凍り付いたように動きを止める。何が起きたのか理解できないという顔で、彼らはじっと倒れ伏したままの親王を見つめている。
リッツが、悠々と血塗られた剣を振って、余裕に満ちた笑みを浮かべて構えていた。
誰の目から見ても、この状況で親王を倒したのが誰であるか明らかだった。
「ニール!」
リッツが短く呼んだ次の瞬間、クロスボウの矢が、王国旗をはためかせていた馬車の竿をへし折った。王国旗は倒れたリチャードと同じように、地面に落ちた。
「これの由来、知らないのかなぁ。これはエドのもんだと思うけど?」
呆然とする人々の中にいて、リッツが平然とこちらを向いて、大きく手を振り、いつものように満面の笑みを浮かべた。
「エド!」
笑いながら頷き返した。人の油断を誘って、機会を作れ。これが傭兵部隊の基本らしいぞ、とリッツは飲みながら、ダグラス隊について語っていた事がある。それを実行したらしい。
たった一人、しかも敵が動くことを躊躇う中で、飄々と乗り込み、警戒心を持たれる前にリチャードを仕留める。ダグラス隊と共にいたリッツだからこそ思いついた作戦なのだろう。
どう、上手くいっただろ?
リッツの笑みが、エドワードにはそんな言葉に聞こえる。
素早くリチャードを仕留めようとしたリッツだったが、予想外に激しく飛ばされたリチャードとの間に開きが出来てしまったようで、近づくことも出来ず、騎兵と近衛兵に包囲されてしまう。
「ちっ、遠いか……」
残念そうに、リッツが呟く。
「貴様、よくも殿下を!」
敵兵がセオリー通りにリッツを斬り上げようと剣を振るうも、もうすでにリッツはそこにおらず、空を切った敵兵の剣が、腕ごと宙を舞った。
「なっ……!」
悲鳴を上げる間もなく落馬した敵兵の後ろで、リッツを取り囲んでいた馬が数匹、前足を高く上げて嘶いた。全ての馬が剣の一撃を受けて倒れてゆく。地面に叩き付けられた兵士の誰もが、その衝撃で怪我をして立ち上がれない。
我に返った騎兵部隊が次々に襲いかかるが、まるで蝶のようにひらりひらりと躱しては、敵を仕留めてゆくその姿は、剣舞に近い。
だが圧倒的な力と実力、そして速度は、敵の度肝を抜いた。その動揺を利用しながら、リッツは敵陣を軽やかに越えてくる。
「……強い……っ!」
リッツの圧倒的とも言える強さに、敵兵が怯えたように突入していく。このままでは危ないと思った瞬間に、再びクロスボウの矢が放たれ、馬が地響きを立てて倒れた。
「サンキュー、ニール」
子供のようににんまり笑って返したリッツに、ニールが笑い返す。
「どういたしまして小隊長殿」
「隊長ってがらじゃないんだけどな、俺」
たった一人の男にこの場が混乱に陥っている。
強さはギルバートに及ばないかもしれない。けれどリッツには独特な素早い動作があった。
馬上から騎兵隊が一瞬見逃した隙に、リッツは死角から騎兵隊を切り崩していく。それは騎兵たちにとって、まさに悪夢の光景だろう。
騎兵隊の中心に躍り込んだと思ったら、逃げ場を失う彼らの馬を次々に仕留めていく。振り落とされた人間たちは、はね飛ばされて無様に骨を折り、中には首が折れる者もいた。そして馬の下敷きになりもがく者もいる。
混乱の中でリッツはただ一人、何十人という騎兵隊を仕留めていく。そのあまりの強さと圧倒的な速度に、敵が恐慌状態に陥る。
その混乱状態を利用し、エドワードはこの場の人々に呼びかける。
「見ての通り、リチャード親王は、もはや指揮は執れない。軍もほぼ壊滅だろう。それでもなお戦うのか!」
凍り付いた時が流れ出す。
敵には恐怖を持って、味方には希望を持ってそのことがさざ波のように広がっていく。
「リチャード親王殿下が……」
「親王殿下が……」
小さな囁きがあっという間に恐怖へと姿を変える。歩兵最後部が後ずさりを初め、前線の兵士たちが怯えたように剣を引く。
「親王が、落ちたぞ!」
「王太子殿下が、勝った!」
一斉に革命軍が歓喜の声を上げた。その声に怯えるように逃げ出そうとする王国軍に、士気の高い革命軍が襲いかかる。一方的な展開になった。
戦いの決着が付きつつあった。エドワードは大きく息を吸い、堂々たる言葉で人々に呼びかける。
「革命軍に下る者は武器を捨て、降伏せよ! 我々は圧政から人々を解放し、ユリスラを平穏へと導く。平民も貴族もなく、みな法の下で平等に暮らせる国へとこの国を作り直す。共に来る者は来て欲しい。我々は決して人々を階級で分けたりはしない!」
エドワードの言葉も、じわりじわりと広がっていく。その言葉をジェラルドが、ギルバートが、コネルが、そしてそれぞれの部隊長たちが伝えていく。
多くの兵士たちが疲れ切ったように武器を取り落として座り込み、逃げ去ろうとする者を追う者はいない。
未だ戦いをがむしゃらに続けようとする者たちは、革命軍に撃たれて戦場へとその屍をさらした。
戦場が徐々に静まっていく。戦いはもうこれで終わる。
だがまだエドワードにはやることがあった。エドワードは倒れ伏したリチャードを見つめた。
圧倒的に不利な状況にあり、もはや軍は壊滅したというのに、近衛兵たちは、必死で妙な方向に腰をねじ曲げたまま鼻血を吹いて身動きしないリチャードを抱え上げて馬車に戻ろうとしていた。
「リッツ! 親王が逃げるぞ!」
反射的にそう告げながら馬を走らせる。すぐに気がついてリッツが剣を振るった。
「親王は置いてけよな!」
崩れ落ちる騎兵の中から、リッツが走り出たその瞬間、一人の男が立ちはだかった。騎兵ではない、馬を下りて正面からリッツの剣を受けたのだ。リッツの勢いを受け、剣と剣が火花を散らす。リッツに立ちふさがったのは、先ほど親王の姿を見て、いち早く親王に駆け寄った男だった。
四十代半ばから後半だろうか、軍服から大将であることが分かる。男は静かな闘志を瞳に燃え上がらせ、リッツを見据えた。
「親王殿下にシアーズへお戻り頂く! おぬしらに手出しさせぬ!」
「帰ってもらっちゃ困るんだよ!」
幾たびもの打ち合いに気がついたのか、残っていた近衛や敵騎兵隊の男たちが、気合いを上げて斬り込んでくる。エドワードを守るように周りを固めていた騎兵隊が剣を抜き、再び敵に立ち向かう。
敵兵の必死さに歯がみする。
これではリチャードの元にたどり着けない。
「王太子殿下、お下がりください! 後は我々が……」
エリクソンの言葉にエドワードは笑った。
「親王は俺の兄なんだ。俺が捕らえずしてどうする?」
「ですが……」
「援護を頼む、エリクソン」
「はっ!」
エドワードも再び、敵騎兵隊相手に剣を振るった。馬上で騎兵と打ち合い、歩兵を刺し貫く。この状態はもう乱戦状態だろう。
息つく間もなく、倒れた兵士の後を次の兵士が埋める。親王を逃そうと、命すら惜しまず死にものぐるいで立ち向かってくる兵士たちは、今までの相手とは違ってやっかいだった。
十人以上を血に沈めて、エドワードは呻いた。
「きりがない……っ!」
この場を更なる血に染めながら、エドワードは歯を食いしばる。
「邪魔するな!」
リッツの叫びが耳に付いた。リッツの戦っているのはあの男だ。リッツの技が上回っているのか、相手の身体は傷だらけだった。
それでも男は戦うことを辞めない。その死をも見据えた戦い方に、リッツは決定的な一歩を踏み込めずにいるようだった。
「それは聞けぬな!」
「何でだよ!」
「私が、殿下の臣下だからだ!」
視界の端に、走り出す馬車の姿が入った。あれは親王を乗せた馬車だ。
「しまった!」
歯がみして追おうとしても、目の前には必死な人々の壁が立ちはだかる。大量の死体を前に、エドワードは逃げ行くリチャードに手も足も出ない。
エドワードと同じように確認したのか、満足そうにリッツと打ち合っていた男が声を上げた。
「総員、退却!」
声と同時に、今までひしめき合っていた人々が、さっと騎馬のまま逃げ去っていく。その数はかなり減っているが、馬車を護衛するのには十分な数となるだろう。
「殿下、追いますか?」
エリクソンの問いかけに、エドワードは小さく首を振った。
「無駄だ。追ったところで逃げ延びた敵の数には敵わない」
「はっ……」
「逃がしたか……」
ため息交じりに呟き、相棒のリッツに目を向けると、先ほど退却の命令を出した男が、まだリッツと戦っていた。
敵の中にたった一人残り、それでも彼は手を緩めない。
「あんた、何で逃げねえんだよ」
リッツがじりじりと間を詰めながら問いかける。剣を納めたエドワードも、堂々たる態度と一歩も引かぬ態勢に、その男の前で足を止めた。
「親王殿下を無事シアーズに連れ帰るのが、私の役目だ」
「でもあんたは……帰れねえじゃんか」
「殿下がご無事なら構わぬ」
その言葉にリッツが目を瞠り、戸惑うように動きを止めた。リッツはリチャードという男がどういう人物で、どれだけ非道なことをしてきたかを知っている。それなのにその男を、彼は命がけで庇おうとしているのだ。
「何で……?」
リッツが口を開き欠けたその時、後方から一頭の馬が駆けつけた。馬上の男が、立ちはだかった男に向かって叫ぶ。
「ジョゼフ!」
剣を構えたまま、目の前の男は苦痛に耐えるように顔を歪めた。
「ジョゼフ、もう……もうやめろ!」
駆けつけたのはコネルだった。
この男がジョゼフ・ウォルター。コネルと共に、王国軍の双翼と恐れられた男……。




