<6>
事件の後半日ほど眠っていたリッツが、目を覚ましたのは馬車の中だった。
何度も何度も見ていた人を殺すという悪夢から解放されてほっとしたのもつかの間、そこはリッツが見たことのない場所だった。
戸惑いつつも周りを見渡すと、リッツの隣にはマルヴィルがおり、その周辺には村で見たことがある男が数人乗り込んでいる。
村人だと思い込んでいた彼らはリッツに、グレイン騎士団第三部隊であると名乗ったが、それが何であるのか詳しくは話してくれなかった。
それにリッツはそれを聞くだけの余裕もなかった。心の中に澱のように、エドワードたちの不利になるという言葉が降り積もっていく。
エドワードやジェラルドが困るようなことをしてしまった自分が情けなく、どうやって自分の過ちを二人に謝ればいいのかが分からなかったのだ。
グレイン騎士団の男たちは、訳が分からずまるで夢の中にいるように足取りがおぼつかないリッツを、グレインの街にあるモーガンの館に連れてきた。
戸惑いながらも召使いたちに案内されて一部屋を宛がわれたものの、部屋から出ることは認められず、軽い軟禁状態になっている。
食事は日に三回雇い人によって運ばれてくるし、ベットメイクや部屋の掃除にも女中がやってきているから見ようによっては快適な生活かも知れないが、リッツは日がな一日ベットの上で膝を抱えて座っていることしかできなかった。
あの事件から一度も、エドワードやジェラルドはおろか、シャスタやローレンとさえ会えない。この屋敷に勤めているはずのシャスタの父、アルバートにすら会うことができていないのだ。
この状況はまるで罪人だ。
だがマルヴィルが言ったことが本当ならばリッツはグレイン自治領区とジェラルドに不利なことをしてしまったのだから、罪人となっても仕方がないだろう。
役に立ちたいと願っていたのに、どうしてこんなことになったのだろう。
あの時どうして自分を制御できなかったのだろう。
どうしてみんな……殺してしまったのだろう。
そう思うと何も考えられなくなり、また膝に頭を落とす。
そうした軟禁状態からまるまる一週間が経った日の朝、ノックも何も無しに扉が勢いよく開け放たれた。
突然破られた静けさにビクリと身をすくませると、開け放った主をのろのろと顔を上げて見遣る。
そこにあった顔に安心し、それと同時に申し訳なくてどういう顔をしたらいいのか分からず、ティルスの小屋にいるときのようにポツリとつぶやく。
「お帰り、エド」
「リッツ……お前、大丈夫か?」
息を切らせながらエドワードがそう尋ねてくる。金の髪は風に乱れ、服も多少汚れている。まるで遠乗りから急いで駆けつけたみたいだ。
「どこか遠くに行ってた?」
何を話したらいいか分からないから、そう関係ないことを話しかけてみると、エドワードは乱れていた髪に気がついたのか手で無造作に整える。
「ああ。ジェラルドのお供でシアーズにな」
「シアーズ?」
「ああ」
「王都の?」
「そうだ。急いでも三日はかかる。遅くなったな」
さらりとそう言われて分かった。
ここから早馬でジェラルドの元へ駆けつけた人がシアーズまで三日かかるなら、エドワードは知らせを受けてすぐにシアーズを出たことになる。
その間、一週間。
エドワードはリッツの状況を考えて大急ぎで戻ってきてくれたようだ。
それが嬉しくて、同時に心苦しかった。
「ごめんエド。俺、お前とおっさんに迷惑掛けることしちゃったみたいだ」
「迷惑?」
「うん。俺がやったこと聞いてるんだろ?」
「聞いてる」
軽く返事をしながらエドワードはベットの横に置かれていた書き物机の椅子にどっかりと腰を下ろした。
「聞いてるが、それが俺やジェラルドの迷惑になるのか?」
ここ最近軽口をたたき合ってばかりだったエドワードが、出会ったときと同じように真剣なまなざしでこちらを見つめている。
この真剣で言い逃れを許さない力強い瞳には、親しくなったはずのリッツでもまだ緊張してしまう。
目をそらすことも出来ず、綺麗な水色の瞳を見つめたまましどろもどろに答える。
「だっておじさんが、グレインの不利になっておっさんやエドの不利になるって」
「まあ不利にはなるが、それをひっくり返せないジェラルドだと思うのか?」
笑みを浮かべてそういったエドワードを穴の空くほど見つめると、エドワードは自信に満ちた表情を見せた。
「ジェラルドは今の王国の中で、もっとも有能な領主だぞ?」
「……わかんねえけど」
「不利はひっくり返せばいい。ジェラルドもそういうはずだし、もう算段は付いてるさ」
「そうなのか?」
意外な言葉に目を丸くすると、エドワードは頷き表情を引き締めた。
「ああ。それにオフェリルと同レベルである一自治領区として、領民が危害を加えられた場合、相手がどんな身分であっても、どんな状況であろうとも、自治領主たるもの領民を守る義務があり、そのために戦う権利がある」
厳しく真剣な瞳がフッと和らいだ。
「だから俺やジェラルドは、お前が殺された領民のために戦い、その家族を守ったことを罪とは思わないし、迷惑だとも思わない。お前は俺の代わりに当然の権利を実行したまでだ。だから……」
立ち上がったエドワードが、まだベットに座り込んだままのリッツの肩を両手で力強く掴んでから、強く叩いた。
「そんな捨てられた犬みたいな顔をしてるんじゃない」
「す、捨てられた犬?」
思わず顔を触ってしまった。
「俺そんなひどい顔してた?」
「ああ。だが安心しろ。俺は拾った生き物の面倒はちゃんと見る」
「……ひでえな。俺その辺の野良犬と一緒かよ」
「遠からずといったところだろう? 見ていろリッツ、俺とジェラルドが状況をひっくり返してやる」
自信に満ちた一言につられるように、何も分からないままだがリッツは頷いた。
今まで思い悩んでいたように迷惑じゃなかったことに安心して力が抜ける。
「良かった。大変なことをしちまったんだって、眠れなかったんだぜ」
ため息混じりに正直にそう言うと、エドワードは笑って悠々と腕を組んだ。
「馬鹿だなお前は。俺やジェラルドが領民を守ろうとしたお前を責めると思ったのか? 迷惑だと突き放すと思ったのか?」
そういわれると一言もない。口を開きかけたものの、何を言ったらいいのか分からずに口ごもるリッツに、エドワードはさらにたたみかけた。
「俺はともかく、ジェラルドが領民よりもオフェリルとの関係を重視するような領主だったら、領民に慕われる領主にはなり得ないだろう? それともなにか? お前は俺たちを見くびっていたわけだな」
「ち、違うって!」
「違わないだろ」
「違うって! だって俺、二人の役に立ちたかったんだ。迷惑になるのが嫌なんだよ。なのに迷惑だって言われて落ち込んじまって……」
うつむき気味にしどろもどろ答えていると、唐突におでこに猛烈な痛みが来た。
「いって~っ! なにすんだよエド!」
人差し指で弾かれたと気がついて立ったままのエドワードを見上げて睨むと、エドワードは涼しい顔で答えた。
「ようやく顔を上げたな」
「……は?」
「そうやって顔を上げていろ。お前は三人の領民を守ったんだ」
「……三人?」
「母親と息子と、腹の中の赤子だ。子供はグレインの未来を背負って立つ希望の存在だ。非道な行いをする者を断罪して当然だろう?」
当たり前のようにいったエドワードに思わず聞いていた。
「それが、人殺しでも?」
「そうだ」
断言したエドワードの瞳を見つめる。恐ろしいぐらい真剣で、そこに何の嘘や躊躇いはなかった。黙ったまま見つめていると、エドワードはさらに言葉を紡いだ。
「お前が殺さねば、子供と赤子は確実にオフェリルの馬鹿貴族に殺されていた。剣があり守れる力があり、そこに守るべき命があるのなら躊躇うな」
「……俺には……守れる力があるのかな」
「ある」
きっぱりとそういったエドワードの言葉を受けて、リッツは自分の両手のひらを顔の前に出して眺めた。
守れる命があるなら躊躇うな。
それは今の少し荒んだ社会において、最も重要なことなのかも知れない。
だけどやっぱり少しだけ殺人の痛みが、心の中に残る。
「なぁエド」
「何だ?」
「人って簡単に死んじまうんだな」
「そうだな。だから俺たちはこれの使い方を誤ってはいけないんだ」
そういったエドワードが軽く叩いたのは、自分の剣だった。黙ってみていると、エドワードは言葉を続ける。
「お前は人を殺した。それは紛れもない事実だ。だが奴らも人を殺している。自らの快不快のためにな」
「うん」
「お前もあの貴族も武器を持ち、力を持っている。だからこそ正しいことを成さねばならないんだ。あの男は力の使い方を間違えた。そしてお前は人を救った。お前は正しかった」
エドワードに断言された、リッツの心の迷いが少しづつ消えてゆく。
躊躇って、恐れた一瞬の隙に、大切な人たちが命を落とすかも知れない。
その一瞬の躊躇いを一生の後悔にしたくない。
「分かった」
小さく頷くとエドワードも黙って頷き返してくれた。リッツの思いを読み取ってくれたのだろう。
二人ともしばらく黙ったままいたが、エドワードが思い出したように口を開いた。
「ジェラルドから伝言だ。『ありがとう。よくやった』と伝えてくれだそうだ」
「な、何だよおっさん、照れるじゃんか」
「そうか? 俺からも言わせて貰おう。ティルスは俺の故郷だ。故郷の村人を救ってくれてありがとう」
まっすぐ見詰められたまま、見たことがないような柔らかな表情でふわりと微笑まれて、リッツの方がうろたえた。
「そ、そんなの当然じゃんか! お前に感謝されると、何だか居心地が悪いだろ。俺が我慢できねえからやったことで、感謝される筋合いはねえし……っつうか、なんていうか」
「何を困っているんだ、お前は?」
肩をすくめて苦笑したエドワードに、自分でもみっともない気分になったリッツはふてくされた顔を作ってそっぽを向く。
表面上の感謝の言葉は幾度も受け取ったことがあるが、こうして心からの言葉だと分かると、自分にそんな風に感謝される価値があるのだろうかと、考えてしまい混乱してしまった。
感謝されて微笑まれると、ものすごく認められた気分になることを、初めて知った。
それは今まで感じたことのない、深い幸福感だ。
だがエドワードを前にして、エドワードに認められた気がしてとても幸せで嬉しい……と素直にいえるわけもない。
「だってよぉ……。親以外の人にエドみたいに感謝されたことってねえもん」
ボソッと呟いてしまってから、思わず口にした本音に慌ててエドワードを見上げた。
一瞬痛ましげに眉を寄せたエドワードにハッとする。
このまま聞かれてシーデナのことを話してしまったら、まだ確実ではない信頼感に微妙な溝が出来てしまうのではないかと思うと怖かった。
その理由を聞こうとしたのか口を開き掛けたエドワードだったが、リッツの様子を見て気がついてくれたらしく苦笑すると息をついた。
「これからはそんな機会が増える。いちいち狼狽えないように修行しとけ」
「修行って?」
「フッと笑って『なに、たいしたことじゃないさ』と背中越しに手を振るのさ」
「……本気でいってんのか、エド」
「当然だ。お前ほどの上背があればさぞかし映えるだろうよ」
そう言っているエドワードの口角が上がっている。絶対にこれはからかわれている。ぶすっと黙り込むと、リッツに背を向け肩を振るわせてひとしきり笑った後で、エドワードは振り向いた。
「さてここからは必要な打ち合わせに入るぞ」
唐突にエドワードがそう言い出した。
「打ち合わせ?」
「そうだ。明日ジェラルドが戻ってくる。それと同時にオフェリルから、あの馬鹿息子を連れて領主が今年の小麦の取引についての話し合いにやってくることになっている」
「げ……」
あの下劣な貴族の顔が浮かんで思わず呻いてしまった。そういえばあの男、どこに行ったんだろう。
「そう嫌な顔をするな。確かに悪いタイミングではあるが、まあ毎年のことだ。だが今年はおそらく死んだ四人の話も出るだろう」
「四人?」
「ああ。お前が手を落とした奴も助からなかった」
淡々と言われて、リッツは俯いた。
「大事になっちまって……ごめん」
「だから謝る必要はない。ただリッツ、お前に頼みがある」
「頼み?」
「ジェラルドが言うように動いてくれ。だが自分からは決して話したり動いたりするな」
「意味が……?」
「つまり、口を開くな。ただでさえお前は世間知らずすぎる上、口が悪い」
わざとらしいため息をついてエドワードが首を振った。エドワードだって口の悪さだけなら似たようなもんじゃないか、という言葉をぐっと飲み込んでから、リッツはエドワードを見上げた。
「分かった。しゃべんない」
「そうしろ。でもジェラルドが聞くことには必ずイエスかノーを正直に答えるんだ」
「答えていいのか?」
「イエスかノーのみだ。余計な補足は禁止だ」
「うん。分かった」
聞かれるまで黙っていて、質問されたら、はいか、いいえで答えればいいだけなら、まだ世の中がちょっと掴み切れていないリッツにだって出来る。
「おっさんは何しようとしてんの?」
「ジェラルドは立派で公正な領主の姿をオフェリルに見せつけるだけさ」
「ふうん。よくわかんねぇなぁ」
まだまだ社会を知り始めたばかりのリッツには、それがどうしてどうなるのか全く分からない。
ベットの上にあぐらを掻いて座ると、リッツは話に全く出てこないエドワードが気になって見上げた。
「で、エドはなにすんの?」
「ん? 俺か? 俺はとりあえず……」
そういうとエドワードは上着を脱いで座っていた椅子に掛け、シャツの袖を肩近くまでまくり上げた。
「これだな」
「エド?」
予想外のエドワードの行動に困惑しているとエドワードは、楽しげに笑った。
「リッツ、脱げ」
「へ? 何で?」
唐突な言葉に目を見開くと、腕をまくり終えたエドワードは目の前で軽く数度、殴りかかるときのように腕を突き出した。まるでこれは喧嘩の前の準備運動だ。
「いいから上半身を脱げ」
「どうして?」
「罪人にはその方が似合うだろう?」
「え? だから、何で?」
「上半身は裸になれといっている」
エドワードの半分笑いの混じった口調に、リッツはますます混乱する。
先ほどまで明日の受け答えの話をしていただろうに、何故ここで服を脱げという話になるのだ?
エドワードの意図が全く分からない。
「何で俺が服を脱ぐんだ?」
「服を汚すと洗濯係に悪いだろう」
にやりと笑いながらエドワードは再び軽く腕を突き出しては引っ込める。何かをされる、それだけは分かったが、それが何だかさっぱり分からない。
「エド、わけわかんねえぞ!」
思わず叫んだリッツに、笑みを浮かべたままエドワードが目をすっと細めた。
「ちょっと襲ってやろうかと思ってな」
「お、襲う!?」
過激な言葉と自分のいる場所が結びついて、リッツは思わず自分の服を死守してベットを壁際まで後ずさった。
「襲うって、何だよ!?」
パニックに陥ったリッツに、エドワードはついに耐えられなくなったのかゲラゲラと笑い出す。
「な、何だよ! 俺、本気でビビってんだぞ!」
「お前、その図体で何をビビってんだ。俺より遙かにでかいだろうが」
「笑うな! お前が妙なこと言うからだろ!」
本気で叫んだリッツにエドワードはますます笑って、ベットに突っ伏してベッドをたたき出す始末だ。
「確かに、お前のいる場所が、場所だが……お前、何を考えたんだ」
笑いすぎて息が出来ないらしく、エドワードは途切れ途切れにそう言うと息を切らせて笑っている。そうなると本気で焦ったリッツは思い切り自分の妙な勘違いが恥ずかしくて、怒鳴り散らす。
「何だよ、何だよ! お前が妙なふりを噛ますからだろ! ジェラルドとお前だけで納得してねえで何をするのかぐらい説明してくれたっていいじゃんか!」
まだ笑いを残しながら、エドワードは笑いすぎた目の端の涙をぬぐった。
「泣くほど笑うなよ!」
「悪い悪い。だが、襲うのは本気だぞ」
そう言うとエドワードは唇に笑いを残したまま、両手を組んでボキボキと鳴らした。
「へ?」
「とりあえず、騎士団から制裁を受けたという状況を作るからな」
「どういう意味?」
「これからお前をボコボコにしてやるという意味だ。明日、オフェリルの領主に制裁を受けたお前を見せて、あちらが出してくるだろう交換条件を奴らの口から引っ込めさせる」
笑いを納めたエドワードが真面目な顔でそういった。自分が何らかの取引を行うために必要な手札になっているようだ。
それならばリッツには抵抗するつもりなどない。
「……分かった。ボコボコにしてくれ」
ベットから降りて上半身裸になると、リッツは覚悟を決めてエドワードの前に立った。
「すまないな。事前に殴っておかないと、本当らしくならないんだ」
「そうだよな。喧嘩で怪我した次の日の方が腫れてひでえもん」
元はといえばリッツが暴走して起こしてしまった事件の後始末だ。エドワードに殴られてそれでうまくいくのなら全然構わない。
「明日、オフェリルの領主が帰ったら、俺を殴っていいからな」
拳を固めながらエドワードが軽い口調でそういった。エドワードの目を見ると本気で言っているのが分かったから、リッツもあえて軽い調子で返す。
「エド殴ったって、俺に得なんてないじゃん。それよかグレインの美味いもん食べたいな」
自分の責任だからエドワードに非はないということを暗に匂わせたのだが、それに気がついたらしいエドワードが小さく息をついてから微笑んでリッツを見上げた。
「明日の夕食はグレイン一美味い料理を出す酒場で、麗しの歌姫の歌声を聞きながら酒を飲ませてやる」
「そいつは楽しみだな! よし、こい!」
「反撃するなよ。俺がボロボロだと怪しまれる」
「分かってるって!」
目を開けて無抵抗で殴られていたらエドワードがやりにくいだろうなと、リッツは目を閉じた。
「悪いな、リッツ」
その言葉の直後に、顔面に重い一撃を食らって、リッツは呻いた。