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燎原の覇者  作者: さかもと希夢
莫逆の誓い
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呑気な冒険者たちシリーズ読者さんのための莫逆の誓いエピローグ

 キリのいいところまで話し終えたエドワードは、小さな吐息と共に言葉を切った。

「そしてファルディナが我々の本営となったわけだ」

 暖炉の火がはぜて、小さく炭が転がった。誰も口を開こうとしない。

 さすがに今日の話は重すぎたのかもしれない。戦争の話がではない。リッツという一人の人物に関する話がだ。

 エドワードが死にかけたこと、そして意識を取り戻したとき、死ぬ前にリッツを殺すという約束をしたこと。それは今までリッツとエドワードの間にあった暗黙の了解だった。だがエドワードはあえてそれを包み隠さずに話した。

 咎めるような顔でエドワードを見たリッツだったが、自分の恋人アンナのあまりに真剣な瞳を見て、何も言えずにワインをあおっただけだった。リッツが拒絶すれば当然この話をやめようとは思っていたが、当のリッツはそうしなかった。

 おそらくリッツが最後まで拒絶したり、話すことを止めなかったのには理由がある。

 そう。もうリッツにとっては、それは過去のことなのだ。

 リッツはもうエドワードと共に死のうとは思っていない。そしてエドワードに殺して欲しいとも思っていないのだ。

 彼はアンナと共に、永遠ともいえる時を生きていこうと心を決めている。だからこそ過去の自分を明かされることを止めなかったのだろう。

 そのことを知っているし、リッツが生きることを決めたことを知っているからこそ、エドワードはこのことを話した。先に死にゆくリッツの仲間フランツに、愛弟子ジョーに、そしてリッツと共に永遠を歩むアンナに。

 だがやはりあまりにも重かったようだ。アンナは俯いたまま言葉を発しないし、フランツはじっと考え込むように片膝を抱えている。いつもは寝ているジョーも、頬杖を付いて手にしているペンを意味もなくくるくると手の中でもてあそんでいる。

 ふとリッツを見ると、目があった。リッツは無言で『そらみろ。みんな黙っちゃったじゃないか』と文句を言っているようだ。

 エドワードは笑みを浮かべてワインをリッツのグラスに注ぎ、自分のグラスにも注いだ。何を話し出したらいいか分からないリッツに変わり、ワインを一口味わうと口を開く。

「ここからだな、お前とパティの喧嘩が一段と激しさを増すのは」

「な……そこか!?」

 意表を突かれた顔をして、リッツがおののく。過剰反応を狙ってのことだから、してやったりとほくそ笑む。

「私としてはそこだな」

「お前がパティの気持ちに全く気がついてないからだろうが! もっと早く気がついてれば、俺とパティが不毛な喧嘩をしなくてもよかったんだぞ!」

「お前に言われたくないな。お前だってアンナの気持ちに気がつくのに、相当かかってるだろう?」

「だって、それは……」

「誰が見てもお前が好きだと分かったろうに、相手を追い詰めたお前に、私を責める資格があるとは到底思えんが?」

「がぁぁぁぁっ! ったく、ああ言えばこう言うんだからエドは! どうしてお前は昔っからこう俺を追い詰めるんだよ!」

「追い詰められる要素がありすぎだリッツ。だいたい『自分で自分を守らないと、代わりに刺されてやる』なんていうことで追い込まれるのは、お前ぐらいだ」

「うっ……」

「普通なら『勝手に刺されろ』と言うところだろうに」

「仕方ねえだろうが! あの頃はお前が全てだったんだから! あ……」

 言い切ってからリッツは、額を押さえてため息をついた。そんなリッツについつい吹き出してしまう。

「ほほう。私はどうやら相当愛されていたらしいな。今のアンナと同等か?」

 先ほどアンナに聞いた『お前がいないと俺は生きられないんだぞ』と言う言葉を暗ににおわせて、にやにやと笑いながら言うと、リッツは両手で顔を覆って嘆く。

「俺の馬鹿……。エドにまたからかい要素を提供しちまって……」

「相変わらず迂闊な奴だ。また注意力散漫を怒られそうだな」

「うるせぇよ、エド!」

 真っ赤になって言い返してきたリッツに再び吹き出す。時折こうして傭兵の仮面をかぶっていたことすら忘れてしまい、昔のままの表情を見せるリッツに、かなりホッとしたり癒されているのだが、それはエドワードの中の永遠の秘密だ。

「ああそうだリッツ、忘れないうちにいっておこう」

「何だよ?」

「グレインでは一五三五年に貴腐ワインの製造が始まってな。その年に初めて仕込まれた貴腐ワインには、目が飛び出るほどすごい値段が付いているぞ。ちなみにラベルはその年のグレインを象徴する私の肖像画だった。これがかなり旨いらしくてな。だがかなりのヴィンテージ物だ。最低でも五十ギルツはするそうだぞ」

「ふうん。で?」

 まだ赤い顔で不機嫌そうにワインを口にしているリッツに、満面の笑顔で話しかける。

「お前はアンナが軍学校を卒業したら結婚するんだったな?」

「ああ。もちろん」

「では賭は私の勝ちだ。貰おうか、一五三五年産のヴィンテージ、グレイン湖水地方産の貴腐ワインを」

 リッツが音を立てて立ち上がった。思い切り血の気が引いている。

「よもや忘れていたわけではあるまい?」

「ちょ、ちょっと待て、今いくらっていったっけ?」

「最低で五十ギルツだ。一般市場では七十から百ギルツ以上と聞いたな」

「! 俺の給料の三ヶ月分じゃんか!!」

 大臣としての給与なら一月以内に手に入る金額だが、現在のリッツの職業は、軍学校の剣技主任で、階級は少佐でしかない。思い切り青ざめるリッツを肴に、ワイングラスを傾ける。

「お前の結婚まであと四年か。楽しみにしてるぞ、ヴィンテージ貴腐ワイン」

「あ、俺、今日まだ風呂に入ってないんだった。よ~し、寝る前に入ってこよう。じゃあな、お休みエド」

 リッツがあたふたと部屋を出て行った。

「……逃げたなリッツ」

 ぼそっと呟くと、ワインを傾ける。いってみただけでエドワードだって本当にヴィンテージワインを貰おうと思っているわけではない。リッツの給与のほとんどが、アンナとフランツの学費と生活費に消えていることも、大臣時代の給与をこっそり貯めていて、今は少しずつ切り崩しているのも知っている。

 ただエドワードがこのワインを知っているのにはもう一つ理由があるのだ。その理由でそのワインをリッツに見せてやりたかったのである。

 このワインのラベルに描かれているのは、エドワードだけではない。リッツも描かれている。グレインでエドワードが王太子宣言を行ったことを記念して付けられたこのワインの名は、『誠の王(Legitimate king)』というのである。

 エドワードはそれを五十歳の誕生日祝いにと、あの時まだアリシアの腹の中にいた現在のグレイン自治領主ウィリアム・モーガンに贈られたのだ。いつかリッツが帰ってきたら一緒に飲めるといいのだがと、王宮のワインセラーに保管してもう十六年になる。

 リッツが本当にアンナと結婚した後、二人で飲みたいものだ。リッツを殺さずにすむ事を祝うために。

「あの……エドさん」

 遠慮がちに呼びかけられて見ると、アンナが近くに立っていた。笑顔でリッツの座っていた席を勧めると、アンナはちょこんとそこに座る。エドワードをじっと見つめるその美しいエメラルドの澄んだ瞳が、不安そうに揺れている。 

「どうしたんだね、アンナ?」

「もし死ぬ時にエドさんは……リッツが死にたいと望んだら……やっぱりリッツを殺して死ぬんですか?」

 真剣な問いかけだった。

「あの時の約束は、まだ生きているんですか?」

 そんなアンナの瞳を真っ直ぐに見つめる。彼女に嘘や偽りは言うまい。アンナだけがリッツを幸せにしてくれる唯一の女性だ。寿命だけのことではない。アンナは心に太陽を持っている。どんなことがあっても、常に前を向く勇気を持っている。リッツにとって彼女は凍った心を暖かく溶かしてくれる、彼だけの女神だ。

「アンナ」

「はい」

「あいつはもう、それを望んでいない。望んでいないと分かっているリッツを、私が道連れにするわけがないだろう?」

「でも……」

「今リッツの心を支えているのは君だろう? 何故そんな不安そうな顔をするんだね?」

 アンナに微笑みかけると、アンナはかすかに俯いた。

「時々心配になるんです。リッツがちゃんと私を愛してくれているのかって。私と共に生きることを、ずっとちゃんと選んでくれるのかなって。内戦の話を聞いていたら、もしエドさんが死んでしまったら、リッツも後を追ってしまいそうで怖くなって……」

 その不安げな様子が妙にリッツと重なって、エドワードはアンナの頭に手を置いた。そして昔リッツにしたように、ゆっくりと優しく撫でる。

「エドさん」

「安心しなさいアンナ。リッツは君と生きることを選ぶ。あいつだって本当は死にたいわけじゃないんだ。生きたいんだよ、愛する人と共に。私はあいつにとって生きる象徴だった。そして今は死の象徴だ。だから君を選んだ以上、リッツに死ぬ気はないんだ」

 顔を上げたアンナに、穏やかに微笑む。

「君の恋人は弱い。だが肝心なところは強い男だ。君が信じてやればやるだけ、自分を信じられるようになる。だからアンナがあいつを信じてやれば、絶対にあいつは死にはしないさ」

「……はい。なんだかエドさんの手、リッツみたい。同じように撫でてくれるんですね」

 アンナの言葉に黙って微笑む。当然だ。おそらくリッツはエドワードに頭を撫でられた経験を元にアンナに触れているのだから。エドワード以外にこんな風にリッツを撫でたり出来たのは、おそらくリッツの母シエラだけだったはずだ。

「えへへ。ちょっと落ち着きました」

 かすかに笑ったアンナに、片目をつぶる。

「それはよかった。そもそもだ、アンナ。よく考えてごらん」

「何ですか?」

「死にかけた私がリッツを殺したとなれば、王国の歴史において、かなりのスキャンダルだぞ? 翌日の新聞記事が目に浮かぶようだ。『英雄王、自らの片腕である精霊族の青年と無理心中』とな」

「無理心中!? それってええっと、カマラさんとか、あの、悲しい恋の物語の結末とかによくある……あの?」

 大きな目を更に大きく見開いたアンナに、もっともらしい顔をして頷いてみせる。

「そうだ。となると私とリッツはどれだけ怪しい関係だ? 輝かしい私の経歴が、それ一つで全部書き換わるぞ。片腕と語られたリッツ・アルスターは、本当は英雄王とどんな関係だったのかとな。もしかしたら悲しい悲恋の物語かもしれないと書き立てられたら、パティに死後も怒鳴られかねん」

 大げさにため息をつくと、アンナが吹き出した。

「それはパティ様も怒りますよぉ~」

「そうだろう? 当然私も願い下げだ。英雄らしく語られた方がまだましだな」

「昔はそれを考えなかったんですか?」

「……実はそんな約束をしてから数日後に考えたな」

「そんなに早く!?」

「しまった、そんなことをしたら、死後に他の人間に奪われないよう、リッツを殺していくようだ。これではまるで嫉妬深い男の無理心中じゃないか、とな」

 そう言いながら扉の方へ目を向ける。扉が少しだけ閉まらずに開いていることにはとうに気がついている。アンナの様子が気にかかったのだろう。

「なあ、リッツ?」

 呼びかけると、乱暴に扉が開いた。

「俺はそんなこと考えもしなかったぞ! 今の今まで!」

「私は考えたぞ。かといってお前に『あの約束はなかったことで』といえるわけもないし。私がどれほどアンナとお前が出逢い、恋に落ちたことを喜んだか分かるか?」

「分からねえよ!」

「これでスキャンダラスな国王にならずにすんだ」

「この馬鹿エド!」

「どちらが馬鹿だ、馬鹿リッツ」

 二人で睨み合っていると、アンナがのんびりと口を開いた。

「よかったぁ。じゃあリッツ、四年掛けて一生懸命、お金貯めようね。エドさんにちゃんとワインを買わなくちゃ」

「……え?」

「約束は約束だもん」

「だってお前……七十ギルツ以上だぞ?」

 恐る恐るリッツがいうと、アンナはにっこりと満面の笑みを浮かべた。

「分かってるよ。だけど私、リッツと結婚して永遠に幸せにしてあげるもん。だからこの賭はエドさんの勝ちで決定でしょ?」

 リッツが言葉を失って黙る。

「それともリッツ、賭はリッツの勝ちなの?」

 アンナの言葉が『私と生きることを選んだんでしょう?』と聞こえた気がした。同様に聞こえたのだろう。リッツは無言でアンナの座っている所にやってきて、そのままアンナを頭上から抱きしめた。

「リッツ?」

 全員が見ているのも構わずに、目を丸くしたアンナを上に向かせて、リッツは優しく唇を重ねる。驚いたように目を見開いたアンナもリッツの感情を理解したのか、目を閉じてリッツの首筋を抱いた。

 二人がお互いにどれほど相手を求め、相手を愛しているのかを一番知っているのはエドワードだろう。リッツの愚痴を聞き、アンナの相談に乗ってきたのだから。

 だからこそ、あえてあの話をしたのだ。

 エドワードは静かにグラスを傾け、窓の外へと目を向ける。

 薄暗がりの中で、エドワードにしがみつくように泣いていたリッツを思い出す。殺して欲しいと願ったリッツを思うと、息が詰まるほど苦しかった。

 大切なたった一人の友を手に掛けるなど、エドワードに出来るはずなど元から無かったのだ。

 ただ生きて欲しかった。自死を選んで欲しくはなかった。

 だからこそ生きていく時間稼ぎにあの提案をした。すんなりと受け入れたリッツは、エドワードが死ぬまで生きることを誓ってくれた。

 そしてエドワードが生きているうちに、こうして永遠の伴侶を見つけてくれた。エドワードにとってこれほどの喜びはない。

 ふと視線を感じて見ると、フランツとジョーがこちらを見ていた。二人に向かってにっこりと微笑みかけて立ち上がる。

「フランツ、ジョー。一つだけ覚えておくといい。心からの願いは、諦めず永遠に願い続けるんだ。そうすればきっと叶う。私はそれで四つも願いを叶えた」

 いいながらコート掛けに掛けられていた自分の防寒着をまとう。そういえばこの防寒着を脱いだ覚えがないと思ったら、首元が濡れていた。水の球の直撃を食らって意識を失ったときに脱がされたのだろう。

「陛下」

「なんだね?」

「四つの願いって……何ですか?」

 遠慮がちなフランツに微笑む。

「秘密だ。ではまた来週」

 戸惑うばかりのフランツと、ジョー、それから黙ったままアンナを抱きしめてじっとしているリッツと、その腕の中で優しく気遣うようにリッツの体を撫でるアンナに軽く手を上げると、エドワードは来たときのように案内もなく勝手に玄関に向かう。玄関にはやはりアニーがいて、笑顔で見送ってくれた。

 外に出たエドワードは空を見上げた。寒い空気が空を澄ませるのか、満天の星空だ。

「心からの願いは叶う……か」

 白く曇る息と共に、小さく呟いた。

 エドワードの四つの願い……。

 一つ目は心からわかり合える友に出会うこと。二つ目は国王になり、ユリスラを救うこと。

 三つ目はいつか友と再会し、共に旅をすること。四つ目は大切な友が、幸せになること。

「リッツのことばかりだ」

 自分の置かれた立場とその運命を知ったときから、親しく人を近付けることをやめた。人は変わることを誰よりもよく知っていたし、本気で信用した人が将来自分の立場を利用したら、後悔するだけでは済まず、相手を罰せなければならない立場だったからだ。

 グレインで学校に通いもした。その時も優等生であり、穏やかに様々な人の問題を間に立って解決する生徒であった。当然周りからも一目置かれた存在だったが、誰も必要以上に近くに寄せたりはしなかった。将来の自分の立場を考えると、常に壁を作り続けて、特別に親しい人は作らなかった。

 その苦しさ、その切なさ、その孤独。

 十二歳から二十四歳までの自分の、内面と外面の差は激しかったと自分でも思う。孤独を押し隠し、穏やかに微笑み、常に公平で公正に人の間に立つ。それがエドワードという人物だった。エドワード自身がそうあらねばと思っていた。

 そこに現れたのが、リッツだった。

 人間の階級を知らず、人の欲しがる利益も名誉も求めず、たった一つ求めていたのは、生きる場所であり自分を受け入れてくれる人だった。エドワードはそんなリッツの手を取った。

 もしかしたら孤独と未来への不安に潰されそうなエドワードの手を取ってくれたのが、リッツだったのかもしれない。

「馬鹿だなリッツ。あの頃は俺も、そうお前と変わらんよ」

 苦笑しながら手をこすり合わせる。寒いと思ったら皮手袋を忘れてきたようだ。だがあの部屋に戻るのも気が引ける。来週も来るのだから、その時に受け取ればいいだろう。手をこすりながら歩き出すと、後ろから呼ばれた。

「エド!」

 振り返ると皮手袋を持ったリッツがいる。リッツはゆっくりと歩み寄って来ると、かじかんだ手に皮手袋を載せてくれた。

「どうした? アンナと一緒にいたんだろう?」

「アンナに、行けって言われたんだ。まだエドにちゃんと言ってないことがあるだろうって」

 やはりアンナは察していたのだ。未だ二人の間に、あの約束が完全に消えたわけではなかったことを。そしてお互いにそれを話すことが、再会してからの二年にも及ぶ時間の中ではできなかったことを。

 アンナは本当に……聡い女性だ。

「それで何を言いに来たんだ?」

 分かっていつつも、ちゃんとその口から聞きたくて尋ねると、リッツは拳をぎゅっと握っり、決意したように顔を上げた。

「もう俺は死なないから。お前に殺して貰わなくても生きていけるから、だから……」

 リッツは言葉を切り俯いたが、しばらくして顔を上げた。

「あの時、親友であるお前に、俺を殺す約束なんてさせて……ごめん」

 またアンナの光が見える。アンナの光がリッツを照らす限り、リッツの中に希望が灯り続けるのだ。その光はエドワードの中にある、過去へのわだかまりさえも明るく照らす。

「その約束は、とっくに反故にしたんじゃなかったのか?」

「違うんだ。再会してからもずっと俺は、お前と死ぬんだって思ってたんだ。だから俺はウォルター事件の時も死に満足しそうになった」

 だがその時にはリッツの傍らにアンナがいた。アンナは生きろとリッツに言い、リッツはアンナと共に生きることを考え始めた。それを知った時、エドワードがどれだけ嬉しかったか、どれだけ安堵したか、リッツはきっと分からないだろう。

「本当にごめん、エド。お前、きつかったよな……。俺はそれに気がつけなかった」

 エドワードは俯くリッツの胸に拳を当てた。

「馬鹿だなリッツ。俺があんな約束を本当にできたと思うのか?」

「え……?」

「嘘も方便と言うだろう。使い方で人を生かすことも殺すこともできる」

 苦笑しながら言うと、リッツは昔のように目を丸くした。

「じゃあ、全部嘘だったのかよ?」

 まるでエドワードの苦痛などなかったかのような物言いに、脳天気な顔をしているリッツの頭を思い切り殴る。

「いてえよ、エドっ!」 

「馬鹿が。嘘でも苦しかったさ」

「ご、ごめん……」

「あのなあリッツ。俺にお前が殺せるわけ無いだろう?」

「そうなのか?」

「ああそうだ。お前は……俺の光だったんだから」

 リッツの目がみるみる見開かれていく。今までリッツはそんな風に二人の関係を捉えたことなどなかっただろう。おそらく自分ばかりがエドワードに依存していると、思い込んでいたはずだ。

 だが、それは違う。

 孤独と重圧にもがくエドワードにとって、共に生きるといってくれたリッツは光だった。リッツ同様に光を得たのはエドワードも同じだったのだ。

 お互いに闇を抱えていたからこそ、一対の英雄と呼ばれたリッツとエドワードは、お互いの存在にかすかな希望という名の光を感じ合っていたのだ。お互いの存在があったから、あの時代を共に乗り越え、笑い合い、生きられた。お互いがお互いを照らす、たった一つの希望の明かりだったのだ。

 でも今は違う。お互いにお互いの存在を大切に抱えながらも、自分だけの光をきちんと自分の腕に抱えているのだから。

「エド……」

「アンナを大事にしろよ。あの子はお前の導きの光だ」

「分かってるさ」

 神妙なリッツに背を向け、エドワードはまたもう一つの家に帰る。少々息苦しい、だが自分が望んで得た王宮という場所に。そこにはジェラルドとグレイグがいる。

 そして……パトリシアがいる。

 パトリシアにもこの話をしてみよう。馬鹿だと笑うだろうか、それともそんな約束をしたリッツとエドワードの二人に激怒するだろうか。もしかしたらリッツと二人そろってパトリシアの前に立つことがあったら、思い切り昔のように殴り飛ばされるかもしれない。 

 それでも別に構わない。もうあの頃の自分ではないのだ。だから全てを受け入れようとするリッツに倣って、パトリシアにきちんと告げねばならないだろう。

『君はいつも俺に、私なんてあなたにとってのリッツに劣る存在だしね、というが、君の存在は俺にとっては暖かな光だったんだ』と。

 なにしろ、幼い頃からエドワードを、たった一人親愛を込めた愛称『エディ』と呼び続けてくれた、ただ一人の人なのだから。

 空に浮かぶ月を見ながら、エドワードは一人静かに微笑んだ。

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