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六月に入り、安定した気候の続くファルディナでは、本営の建設がほぼ終わり、作られたばかりの司令部が機能を始めていた。
当然のことながら本格的な建物が建ち並ぶ街とは違い、天幕や木組みの砦など、簡易な建物ばかりだが、今後シアーズへ向けて戦う準備をする場としてはちょうどいいのだという。
その中でも木材と帆布を使った少々大きな天幕が、幹部たちが集まり会議を行う場所になっていて、会議がないときでも誰かが何かをしている事務所のような場所にもなっている。そこに行けばシャスタがいるし、エドワードやジェラルド、ギルバート、カークランドもいるのだが、彼らは皆今後の戦略を練る以上に、今後の街の統治や政治について頭を悩ませており、リッツがいてもあまり役には立たないのだ。
元々カークランドは確かに政治を得意とはしていたが、専門家ではない。だが貴族によってかなり適当に管理されていた住民管理や土地の管理、河川や税の管理をどうするのが適当なのかという細かいことを初めて手がけることになった。
ジェラルドは自治領主としてその方法が分かってはいるが、それはグレインという土地に限られる。ファルディナにはファルディナの問題や税があり、その全ての管理が難しい。
ギルバートは問題外とばかりに、ファルディナの特色を聞かれて説明はするが、基本的に地図を睨んで今後の戦闘を考えているようだった。
ギルバートに託されている一番大きな仕事は、増えた義勇兵と今までいた革命軍の部隊を再構成することだった。そのため、ギルバートの横には日々義勇兵の書類が増えていく。当然ながらこの作業を共に行っているのはコネルだった。コネルとコネルの副官チャックは、ギルバートと共に、軍の再構成に頭をひねっている。
エドワードはジェラルドとカークランドの間に挟まって、一緒に色々と意見を出し合って検討しているらしい。最初は何気なくこの場にいたのだが、頭の上を飛び交う『現在の税の方式を、割合式にしてはどうか』とか『平均値を図るための基本の農場を一カ所決めて、それを基本に税収を決めるべきだ』などという議論を聞いて、参加を諦めた。
前にエドワードが言ったように、リッツにはリッツのやることがあって、全部を精通していなくてもいいのだ。
それにシャスタのように気を配ってお茶を出したり、書類を整えたり、細かい計算をするのは得意ではない。自然とリッツに割り振られる仕事は外に向けての仕事となった。
主な仕事は、エリクソンやマディラに頼まれて剣技の稽古の手伝いをすることだった。
ファルディナに本営を構えてからずっと義勇兵は増える一方で、そのほとんどに剣技や槍術の経験がない。実戦経験や稽古を何らかの形で積んだものが全体のたった三分の一しかいないのだ。
そんな新兵に剣技と槍術の基本を教えているのは、各隊の隊長クラスと、元ユリスラ軍の兵士たちなのだが、今や二万人という規模にまでふくれあがった義勇兵たちを前に、とてもじゃないが手が足りないのである。
リッツが頼まれたのは、多少自分の剣技に自身があるアマチュアの自信を打ち崩して剣技の稽古に励ませるという、はなはだ面白くないものだったが、腕に自信があって志願してきた難民たちにはそれが何より重要だという。
五、六人の男たちを相手に、大怪我を負わせぬよう剣を振るって倒していくのは、ある意味気を遣う。戦場で殺してしまった方が楽だ。だがこれも必要な仕事だと割り切って剣を振るう。
リッツを愛してくれる大切な人たちが幸せになれるように頑張ると決めたのだから、多少のことで文句を言っていられない。
この状況で思わぬ事になっているのはダグラス隊の面々だった。幹部として会議に携わることの無い彼らだが、腕は超一流なのである。
ヴェラは『やることなくてつまらな~い』とダグラス隊の天幕に寝転がってぼやいていたが、それ以外の面々は寝る間もないようだった。
ベネットは狩猟でしか弓を射たことがない人々に本格的な弓の指導をして、弓兵を育てることに余念がない。クロスボウと呼ばれる弓を改良した連続で放てる連弩を設計して、ブルガン攻略後すぐにブルガンの家具職人たち制作を依頼しているから、それを使う人材を育成しているのだという。
元々貴族の子息であるベネットは、高い教育を受けてきたから、人を教えるのが得意のようだった。ただ教わっている人からすれば、女の格好ではなくジェイムズ・ガヴァンに戻ってほしいだろうなとは思う。
中身が男だと分かっているのに、『いや~ん、上手になったじゃなぁ~い』とベネットに言われて鳥肌を立てている義勇兵の姿は何度も目撃している。
ラヴィは剣よりも槍を使うことが出来そうな大柄な男たちと、グレイン騎士団の新兵を前に、槍術を懇切丁寧に教えている。その性格故に強さを感じられないのか、最初はそんな男たちに強さを疑われていたようだが、槍を振るって実践となると一転、ラヴィは尊敬を集めるようになったらしい。
ジェイも珍しく普通の剣を一本振るって剣術を教えている。タガー二刀使いではないジェイを見るのは面白くて、一度リッツも挑んでみたら、ものの見事に勝った。普通の人からすれば見事な剣技も、本来の得物に比べれば格段、実力が落ちるらしい。
『タガー二刀使いでもお前と同等かお前に劣るのに、こんな剣で勝てるか』と苦情を言われてしまった。
ソフィアは数少ない精霊使いを数人指導していた。指導される側に何故かパトリシアがいたのが不思議だ。だが両親とも精霊使いだというのに、精霊使いはリッツの全くの専門外だ。
そしてエンは、酒を飲みながらだが医療班に医術を教えていた。軍の人数が増えたから、医療班の人数も増えており、知識のある者が少なくなっているのだ。そんな彼らに、精霊魔法を使わずに施術を教えるエンの姿は、立派な医者に見えた。
あちらこちらで剣技の稽古をしているから、医療班が実践を試せる機会はいくらでもあり、彼らの実力を磨く役に立っている。
教えられるような技術ではないと豪語して、何かの指導をさせられるでもなく、ダグラス隊をフォローしているのはファンだ。ナイフ投げは子供の頃からの指の特訓あってこその代物だそうで、一朝一夕に教えられるものではないらしい。
そんな日々が続いている六月半ば。リッツは地図に従って、ギルバートに頼まれた場所へと様子を見に行く事を命じられた。
リチャード親王軍が、六月の終わりに王都を発つという情報が耳に入り始めてきたからだ。
街道に散らばり、王国軍の様子を調べる部隊はもうあちらこちらにいるが、戦場となりそうな場所を確認してくる役目を負っている部隊はまだ無い。
ギルバートに命じられたリッツは、忙しいダグラス隊ではなく、遊撃隊第二隊と共に、本営を発った。指揮官として行くというよりも、リッツ一人にふらふらと偵察させるわけにはいかないという、マルヴィルたちの意見が通ったからだ。
リッツは天幕が立ち並び、あちらこちらで鍛錬の声が響く賑やかな本営を馬上から眺めながらシアーズ街道に入る。ほんの数分馬を走らせただけで、すでに人々の声は聞こえなくなり、森からの鳥の声が聞こえ出す。左右の森は道に差し迫ったり、少し草原を挟んで遠くなったりしながらも、延々と続いていく。
もうすぐ夏を迎える風は、心地よく伸びたままの耳を揺らしていく。グレインから本営に戻ってからは耳篭を付けてはいない。これから共に戦う人々に自分の正体を隠しても無駄だからだ。
王国では一番早く、長く駆けるとといわれるグレイン馬は、心地よく街道を駆けてゆく。グレイン馬は背がそれほど高い馬ではないが、足が太く丈夫で戦闘むきなのだそうだ。先頭をゆくリッツの後ろには、マルヴィルたち遊撃隊第二隊がいる。
ティルスの村からお世話になっている彼らと未だ共に行動していることはリッツにとって嬉しい事だった。マルヴィルを含めてみんな、ティルスで一緒に農作業をしたり、畑を手伝ったり、買い物をした先の主人だったりと顔見知りだからだ。
本営の狭い場所にばかりいたから、こうして離れるのは気持ちがいい。
一時の休憩とりつつも三時間ほど走ったところで、突然両側の森が開けて明るくなった。
「わぁ……綺麗だなぁ……」
そこには草原が広がっていた。夏の草の勢いをそのままに真っ直ぐ茂った青草が、風に波のように揺れている。草のふれあう音は、まるで水のせせらぎのように涼しい。街道の踏み固められた地面から離れ、馬を草原の乗り入れると地面が柔らかな感触に変わったのが分かった。馬は嬉しそうに足下の草を食む。
周りを見渡しながら、リッツは地図を広げた。
「ここだよな、マルヴィル?」
同じように足を止めてリッツの差し出した地図を覗き込んだマルヴィルも頷く。
「そうだな。確かにこれだけの広さがあれば、革命軍を展開することが出来る」
「そうなんだ」
草原は地図によると、シアーズ街道を中心として三角形に広がっている草原のようだった。南部シアーズ側の方が三角形の頭に当たり、ファルディナ方向に行くほど広くなる。その上、ファルディナ側から見れば、シアーズ方面に下っているのだ。
「こういう草原っていくつかあるの?」
地図を手にしているマルヴィルに尋ねる。
「あるようだな。ファルディナは森と草原が交互にあるような場所だからね。この草原を抜ける前に小さな村があるらしいぞ」
「村?」
「そうだ。その彼らがこの草原を利用して、羊の放牧をしているらしい」
「へえ……地図ってそんなことまで書いてあるの?」
感心して言うと、マルヴィルが笑って指を指したその先を見ると、そこには羊が群れをなしてのんびりと草を食んでいる。羊の周りには警戒しているのか耳をピンと立てた犬の姿があった。その近くにはこちらを見ている農家の男性の姿がある。
リッツはそちらに向かっていき、農家の男性の前でひょいっと身軽に馬を下りた。そのとたんに犬に吠えかかられた。
「何にもしねえって! ちょっと話を聞くだけだろ! んなに吠えんなよ!」
思わず犬に説明すると、男が笑い出して犬を引っ込めてくれた。
「普通は飼い主にまず文句を言うものだが、先に動物に文句を言うものを初めて見たよ」
「そうだね。うん、そうだ」
森の中で人以外の生き物といることが多かったリッツには、その辺りの区別があまりなかった。頭を掻いて誤魔化すと、男に向かい合う。
「こんにちは。ちょっと聞きたいんだけどいい?」
笑顔で話しかけると、男も笑顔で頷いた。
「なんだい?」
「この草原って、湿地とか沼地ってある?」
率直に聞くと、男は首を振った。
「いや。特にないね」
「じゃあさ、ここ、おじさんの持ち物?」
「そんなわけ無いだろう。近いから利用しているだけさ」
あっさりとそういった男にリッツは頭を下げた。
「ありがとう。助かるよ」
「どういたしまして」
リッツはすぐ後ろにいた、馬上のマルヴィルを振り返る。
「他に何かある?」
「特にはないな」
静かに頷いたマルヴィルに、男が話しかける。
「すみませんが、革命軍の方ですか?」
男の視線からすでにリッツは外れているから、リッツは黙って男と一緒に下からマルヴィルを見上げる。マルヴィルは穏やかに頷いた。
「そうですが?」
「もしかして、戦争になりますか? 我々の村ではそんな話で持ちきりなんです。若い者が何人も革命軍に参加していますし」
なんと答えるのだろうとマルヴィルを見ていると、マルヴィルは全く変わらぬ穏やかさで男に微笑みかけた。
「近いうちにとだけしか分かりません。大切なものをいつでも持ち出せるように、心の準備だけはなさってください。もし危険を感じたら、ファルディナの街まで逃げてくださいね」
「……やはり危険ですか?」
心配そうにマルヴィルを見た男に、マルヴィルは穏やかに笑って見せた。
「我々は決して負けることはありませんが」
自信に満ちた笑顔だった。マルヴィルは本当にエドワードやジェラルドを信じているのだ。
「分かりました。私たちも革命軍を応援していますから、負けないでください」
男は笑顔でマルヴィルに手を差し出す。どうやらマルヴィルがこの隊の隊長だと思っているらしい。マルヴィルが本当の指揮官であるリッツにちらりと視線を向けてきたから、笑みを浮かべて黙ったまま小さく頷く。その意図を読み取ってくれたのか、マルヴィルは穏やかに微笑みながら男と握手をした。
ここでリッツがしゃしゃり出たら、相手も混乱するだけだ。リッツは片足を掛けてひょいっと馬に飛び乗った。実際に一周してみた方がいいと思ったからだ。
持っていていた敷物に座り直し、羊をのんびりと監視し始めた男から離れて、草原を確認に回る。
「時間がもったいないから、隊を半分にして、草原をぐるっと回ろう。それで、シアーズ側の街道入り口集合で」
「了解した」
手短にマルヴィルは隊を半分に分けた。二手に分かれて草原を一周するのである。
二時間ほど掛けて馬に草を食べさせつつ、地形を調べて回ったが、沼地や湿地は発見できなかった。これなら革命軍を配置しても足を取られる場所は無いだろう。当然相手方を罠にはめることも出来ないが。
合流してから、再びシアーズ街道を南下する。再び街道は森に挟まれて薄暗い。街道の両脇の森はまた少しずつ深くなっていくようだ。十分ほど進んだところで、リッツは足を止めた。
「マルヴィルたちはそっち歩いてて」
そう言い残すと、リッツは思い立って森の中に入ってみた。馬は最初慣れない足場にいやがったが、しばらくするとかなり遅い歩みではあるが、歩くようになった。
手を入れていない森は薄暗く、今はまだ明るい街道がよく見える。
「お~いマルヴィル、俺が見える?」
少し奥まったところで馬を止めて街道に呼びかけると、マルヴィルの声が聞こえた。
「全く見えないぞ」
その声に応えて、ほんの数メートル前に出た。
「マルヴィル~ここでは?」
「いると分かっているから確認できるが、知らねば確認するのは難しいな」
「そっか。じゃあここは?」
再び数メートル前に出ると、マルヴィルと目があった。
「完全に分かるな」
「そっか。あそこが限度か。肉屋のおっさ~ん」
遊撃隊に向かって呼びかけると、男が一人歩み出てきた。
「もうその呼び方はやめてくれないかリッツ」
「だって肉屋のおっさんは肉屋のおっさんじゃん」
彼はティルスで肉屋をしていたのだ。狩りの名人で、丸々したウサギ肉、しっかりとしまった鴨肉、山で取ったイノシシ肉などの肉を店先にぶら下げて売っていたのである。
買い物に行くとリッツにおまけをしてくれたので、リッツは彼を親しみを込めてそう呼んでいたのだ。
「それはともかく、肉屋のおっさん、ちょっと来てくれよ」
手招きすると、肩をすくめた男が入ってきた。
「リッツ、俺にはニールという名があるんだがな」
「んじゃあ、肉屋のニール」
「……肉屋は肉屋なんだな」
「だって肉、好きだもん。おばちゃんの作る鴨の燻製とか、豚の腸詰めとか……」
食べ物を思い出してうっとりしていると、マルヴィルが苦笑しながら街道から呼びかけて来る。
「早く仕事を済ませるんだリッツ。そうすれば夕食までに本営に戻れるぞ」
「そうだね。じゃあさ、肉屋のおっさん」
「ニールだ」
「ん、ニール。どこまでだったら街道に矢を放てる?」
真面目に尋ねると、ニールは腕を組み街道を見つめたまま数歩ずつ下がっていく。ニールの背には変わった弓矢があった。じりじりと下がったニールは、ある場所で止まる。
「隊長、下がってください」
大声でマルヴィルに呼びかけたニールは、狩猟に使うのとは違う、独特な形状の弓矢を垂直ではなく横倒しにして平行に構え、引き金に指をかけた。
ベネットが改良型を作らせているというこの弓は、クロスボウという小型の弓で、長さも一メートルそこそこしかない。ユリスラではあまり見ないが、慢性的な戦場であるシュジュンではこれが基本なのだという。専門家のベネットによると、素人でも訓練次第ですぐに使える使い勝手の良い弓なのだそうだ。
真っ直ぐに背筋を伸ばして、ニールは正面に向けて矢を放った。
ひゅんと小気味いい音を立てて弓矢が飛び、街道に飛び出した。黙っているとすぐにもう一撃弓矢が飛び出す。三射終わったところで、先ほどの場所から見ていたリッツの目には、その弓矢が十分な殺傷力を持ったまま街道に飛び出したのが分かった。
「ニール、そこから街道まで何メートルぐらいだか分かる?」
「そうだな……リッツが立っているところが二メートルほどだったから、ここは七、八メートルといったところだろう」
「その使い心地、どう?」
「確かに腕はいらないが……殺傷力は高いだろうな」
「うん。そうだね」
この弓は鳥を狙ったり、ウサギを狙うものではない。人を狙うものなのだ。だがそんなことで感慨にふけっている場合ではない。
「素人だったら、七メートルが限度っていうことでいいかな?」
「いいだろうな」
ニールの言葉を聞いて頷いてから、もう片方の森でも同じ事を試す。街道から見つかることなく、森の中からクロスボウを打てる限度は十メートルだ。でも遠すぎると、素人は矢を木に当ててしまって、とても街道までは届かないだろう。そして森から逃げ出すのに、馬を使うことは出来ない。
地図に報告書代わりに調べたことを書き込む。忙しいギルバートに変わって、戦術的な意味があるこの場所を調べてこいというのが、リッツに与えられた使命だったのだ。
「よし。ギルに報告すること、完了。本営に帰ろうか?」
そう言った時だった。街道の向こうから、馬がやってくるのが見えた。馬上には頭からすっぽりとマントをかぶった人物が乗っている。
馬の足取りは重く、かなりの長い距離を走ったのか疲れ切っているようだ。そしてその馬上にいる人物も、上体が定まっていないのか、小さく揺れている。
「……誰だろう」
剣の柄に手をかけて、リッツはその人物を伺った。たった一人だが、用心するに超したことはない。相手が精霊使いだったら、間違いなく危険だ。
遊撃隊全員が自分の武器がいつでも抜けるように構えているのが見えたのか、馬上の人物は頭からかぶっていたマントを取った。
「うわ……」
その顔を見てリッツは息をのんだ。あちこちが血にまみれ、顔中殴られたように腫らせていたのである。だが警戒だけは怠らず、リッツは遊撃隊を庇うように一歩前に出た。男の赤く充血した目がじっとリッツを見た。
「……君は……何者かね?」
「革命軍遊撃隊、隊長の副官を務める、フェイだ。あなたは?」
「遊撃隊? 隊長はどなたか?」
「隊長はここにはいない」
「隊長の名前だけ聞かせてくれないか?」
真摯な瞳に嘘はなさそうだし、悪意も感じられない。リッツは真っ直ぐに相手の目を見たまま答えた。
「我々の隊の隊長は、ギルバート・ダグラスだ」
「……ギルバート! そうかギルバートの隊か。そうか……ではここは……ファルディナか」
明らかにほっとした顔でそういった男が、ぐらりと上体を揺らした。このままでは落ちそうで、そちらが気にかかるが、役割上聞くことは聞かねばならない。
「……あんたは誰だ?」
多少乱暴な口調になったが、男はそんなリッツを見返してきた。白髪交じりの濃茶の髪、榛色の瞳……。誰かにとても似ているような気がする。
「私はグラント・サウスフォードだ」
それを聞いて頭の中でようやく似ている二人の顔が出てきた。思わずぽんと手を打ってしまった。
「! イライザさんの超堅物の兄ちゃんだ! そっかイライザさんとコネルに似てるんだ! 二人とも喜ぶな~!」
うきうきとそう言ってからふと思い出した。
「あれ? イライザさんの堅物兄ちゃんは、王城の牢屋に繋がれてるんじゃなかったっけ? コネルがそんなこといってたけど?」
くるりとグラントを見つめると、グラントが呆れかえった顔をしているのに気がついた。
「あれ?」
また落ち着きのない事をしてしまったようだ。案の定グラントは深々とため息をつく。
「……ギルバートの副官にしては、ずいぶんとこう……言動が幼いが?」
「お、幼いかな?」
焦るリッツの肩をマルヴィルが軽く叩く。代われという意味だとすぐに理解し、マルヴィルに任せて口を閉じた。
「王国宰相グラント・サウスフォード閣下でいらっしゃいますか?」
「そうだ。この姿ではそうは見えないだろうが、勘弁して貰いたい」
暗く疲れた顔で、グラントがいった。困惑してこちらを見るマルヴィルに、頷いてみせる。
「大丈夫さマルヴィル。確かにこの人は、イライザさんの堅物兄ちゃんだ。イライザさんが持っていた細密画に描かれてた顔と同じだよ」
「そうか。リッツが言うならそうなのだろう」
マルヴィルがそう頷くと、グラントが眉をしかめた。
「リッツ?」
「うん。俺はリッツ・アルスター」
「……精霊族の戦士か?」
「うん。そういうことになってる。それで堅物兄ちゃんは、どうしてここに?」
じっと見つめるとグラントは俯いた。しばらく待っていると、ようやく口を開く。
「ジェラルド・モーガン元帥にお目にかかりたい。全てはそれから話したいのだが」
その真剣なまなざしに嘘はなさそうだった。でも用心には用心をというのが、ギルバートやジェラルドに課されたリッツの宿題だから、一応確認をする。
「分かった。本営に連れて行く。その前に、身体検査は受けて貰うよ。武器のたぐいは申し訳ないけど、遊撃隊で預かる」
「……本営には王太子殿下がおられるのだから当然だろう」
「悪いね、堅物兄ちゃん」
軽く頭を下げると、グラントが真っ直ぐに見つめてきた。
「何?」
「……君には言いたいことがもう一つあるリッツ・アルスター」
「……何?」
「超堅物兄ちゃんはやめて貰おう。グラントという名がある」
その言い方があまりにもコネルに似ていて吹き出してしまった。
「何がおかしい?」
「ごめんごめん。コネルもあんた扱いしたらコネルと呼べって同じ口調で怒ったのを思い出してさ。従兄弟って似てるんだなぁって」
思い出すと何だか早くコネルとイライザにグラントを合わせてあげたくなった。
それにグラントには何か事情があるだろうし、彼はシアーズだけではなく、現在の王城の様子も知っているかもしれない。
「応急処置も出来ませんが、大丈夫ですか?」
尋ねたマルヴィルにグラントは首を振る。
「問題ない」
二人のやりとりを聞いてリッツは本営に戻るために指示を出した。遊撃隊員を数名先に帰し、馬車を用意してくるように命じたのである。
怪我人を連れて歩くよりも、早駆けで本営に戻って馬車を用意してきた方が早いからだ。
その間もこの場に止まることをせず、少しずつでも進む。グラントは何も言わなかったが、何者かに襲われたのは確かで、その何者かが襲ってこないとは限らないからだ。
三時間ほどグラントの馬に合わせてのんびりと街道を半ばまで進んだところで、街道の土を蹴立てて迎えの馬車がやってきた。
二頭立て四人乗りの四輪馬車が遊撃隊の前に止まり、そこから転がりだしてきたのは、コネルだった。
「グラント!」
「……コネル」
コネルの顔を見たら安心したのか、グラントの体がぐらりと揺れた。馬から落ちたグラントを、リッツとコネル二人がかりで受け止める。小柄な方ではないというのに、グラントの体は骨張っていて軽い。
「グラント! しっかりしろよ! すぐに本営に着くからな!」
二人がかりで馬車にグラントを寝かせると、コネルに先を急がせて馬車を出した。遠くなっていく馬車を見送りながらリッツは自分の馬を走らせた。
結局大怪我を負っている上に、牢獄生活が長かったせいで体の衰えていたグラントが目を覚ましたのは、三日後だった。
エンの治療で怪我は治っていたが、やせ細った体が体力を回復するまでには、まだかかりそうだという。
だが休養が必要だというエンの忠告を無視して、グラントはよろめきながらも、司令部へやってきた。
リッツの報告から作戦の立案のための会議に、幹部のほぼ全員が集まっていた司令部で、グラントがようやくファルディナへとやってきた経緯を説明する。
「シアーズでは現在、スチュワートが王となり、自らの権力がどこまで及ぶものかと、権力を玩具のようにもてあそんでいる。酷い有様だ。シアーズの住民たちはみな続々とシアーズの街を出ている。王国直轄地には街や村が多いから、シアーズに住むよりも、周囲の村に隠れて住む者も多い」
骨張った細い手で軽く、伸びてしまった髪をかき上げると、グラントは言葉を続ける。
「今まではシュヴァリエ夫人と現在宰相の位にあるジェイド・グリーンがその手綱を引いていたが、今のスチュワートは、その二人さえも邪険に扱っていて、王宮は混乱に混乱を招いている。リチャード軍がシアーズから来ないのもこれが一因だ。まあ革命軍からすれば不幸中の幸いだろう」
「だがリチャード軍は今月終わり頃にシアーズを発つとのことだが?」
情報を手にしているジェラルドの問いかけに、グラントは重々しく頷く。
「邪険にされてもなお、シュヴァリエ夫人とグリーンの権力は残っている。グリーンが動いて整えさせたのだという話だが、私は地下の牢獄にいてよくは知らない。ただ革命軍とエドワード王太子殿下の存在は、シュヴァリエ夫人だけではなく、スチュワートにとっても見過ごすことの出来ない問題だから、戦うことは必要だと分かっているのだろう」
そう言うとグラントは咳き込んだ。シャスタがさっとグラスに入った水を差し出すと、それを受け取ったグラントは小さく礼を言った。礼儀正しい人なのだろう。あのイライザの兄だというのが何となく分かる。
「リチャード軍の人数は分かるか、グラント?」
ジェラルドの問いかけに、グラントは静かに頷いた。
「五万だ」
「……我が軍の二倍半か……」
二人のやりとりに、リッツは息をのむ。そんなに大軍とやり合うなんて初めてだ。しかも相手はすべて、ユリスラ王国軍の正規兵なのである。対するこちらは、義勇兵だ。
「まあ予想通りだなジェリー。相手も一度で片を付けようと思ってるんだろうよ」
明るく笑いながらいったギルバートに、ホッとした。おそらくこの人数は、ギルバートの想像の予想内だったのだろう。
「では作戦は先ほど立てたものから変更なしでいいな、ギル?」
ジェラルドの問いかけに、ギルバートは悠々と煙草を吹かして頷く。
「問題ないさ。お前もそう思っているのだろう?」
「ああ」
ジェラルドも静かに頷く。この二人は敵の多さなど織り込み済みだったらしい。
「ではグラント、どうして地下牢から逃げられたんだ?」
ジェラルドの問いかけに答えたグラントの説明は奇妙なものだった。
スチュワートが国王に即位してから、一月ほど経った頃、取り巻きを引き連れて、地下牢にスチュワートが現れたのだという。スチュワートは最初、グラントを懐柔し、宰相として便利に金を引き出せる存在に仕立て上げようとしたらしい。
ジェイドが宰相として存在していると、スチュワートは全財産を自由にすることなど出来なかったのだ。邪険にしていてもやはり母親とその愛人には歯が立たなかったのである。
だがグラントは決して首を縦に振らなかった。命を惜しむよりは、王国のため、国民のために沈黙することを選んだのである。
それから始まったのが暴力と、食事を気まぐれに数日抜いたり、水を取らせなかったりという、囚人に対する虐待行動だった。
それまではジェイドによって、ある程度の書き物、読み物を許されていたグラントは、その全てを禁じられ、日に一度は暴行されるようになる。そんな生活が続き、日付の感覚もなくなりかけた頃のことだったという。
「珍しく牢獄にグリーンがやってきた。グリーンは私の牢を開け、ここから出て行くようにと私に告げたのだ」
「グリーンが助けたのか? 何故?」
コネルもジェイドを知っているらしく、眉を寄せて尋ねる。
「分からん。だが奴が言うには、ここに私を閉じ込めたのは自分であるから、解放する権利も自分にあるという。現に追っ手はかからなかったし、馬も荷も揃えて置かれていたが、誰も咎めなかった」
何だか訳が分からなくて、リッツは口を挟んだ。
「そいつ、いい奴なの? 味方だったりするわけ?」
するとやせ細ったグラントがものすごい目つきで睨んできた。
「国王陛下を暗殺し、国を傾けるものが何故味方か!」
「……ご、ごめん」
あまりの剣幕におずおずと身を縮める。リッツにとってのハロルドは敬愛すべき人物ではなく、どちらかと言えば嫌悪の対象なのだが、グラントからすればそうではないらしい。
「分かればいい。奴が私を逃がしたのにも何か企みがあることは事実だろう。現に私の傷や怪我を、楽しげに見ていたのだから」
憎々しげにそういったグラントだったが、ふと考え込むように視線をさまよわせた。
「ただ、妙なことはいっていた。私があのまま牢獄で殺されると、ユリスラのパワーバランスが崩されてしまうと」
聞き慣れない言葉だった。
「パワーバランスって、何?」
話を続けているグラントを横目で見ながら、隣のエドワードにこっそり尋ねると、エドワードが小声で答えてくれた。
「簡単に言えば、力の割合だな。パワーバランスがとれているというのは、対する勢力同志の力が拮抗しているということになるわけだ」
「つまりグラントが死んだら革命軍の力が減って、王国軍が増えるって事? グラント、革命軍にいなかったのに?」
「その辺が分からないな。グラントがこちらにくれば、ますます革命軍が強化され、王国軍が弱体化する事は考えられる。でもそうなれば革命軍と王国軍のパワーバランスは一気に崩れるぞ。グリーンはいったい、何のバランスを取ろうとしているんだろう」
エドワードにも分からないことがあるようだ。
話を終えたグラントは、力尽きたようにぐっしょりと汗を掻いて押し黙っている。相当に体がきついのだろう。
「事情は分かった。ありがとうグラント。回復するまでゆっくり休んでくれ」
優しく掛けられたジェラルドの言葉に、グラントは頷かず、じっとエドワードを見つめた。エドワードもすぐにその視線に気がつき、静かにその目を見つめ返している。その真剣な無言の見つめ合いに、リッツはエドワードの隣で視線をさまよわわせる。
喧嘩をしそうに険悪な雰囲気でもなければ、友好的で暖かい感じでもない。ただ静かにグラントはエドワードを見つめ、エドワードは黙ってその目を見返している。
誰一人一言も発することなくその二人を見ていると、やがてグラントがゆるゆると立ち上がった。エドワードの隣にいるリッツだけが、この間の騒動を思い出して身構える。だがグラントの行動はリッツの想像外だった。グラントは厳かにエドワードに向かって胸に手を当てて跪き、最敬礼して口を開いた。
「エドワード王太子殿下。初めて御意を得ます、グラント・サウスフォードでございます。今後は微弱ながら私のこの身を全て捧げて、お仕えさせていただきます」
静かだが断固たる臣下としての意思表明に、その場の空気が張り詰めたように静まりかえった。ここにいる幹部全員がエドワードが王太子である前から知り合っていて、このような態度をエドワードに対して取ったものは誰もいなかったのだ。
そんな初めての態度を取る者にエドワードはどんな態度を取るのだろうと、固唾をのんで見ていると、エドワードは静かに微笑んだ。
「私は王太子としては駆け出しで、実力も力も何も身についてはいない。だからグラントのように実力ある政務官と共に未来を描くことが出来るのを嬉しく思う。これからは私ではなく、現在苦しい立場にあるユリスラの民のために仕え、その力を発揮してほしい」
笑みを絶やさずにそういったエドワードの目が、グラントをじっと見ている。グラントはやがてゆっくりと頭を下げた。
「御意にございます。殿下」
それからグラントはジェラルドを見た。
「ジェラルド、素晴らしい未来を育ててくれた」
「私はなにもしていない」
ジェラルドが笑うと、グラントもようやく微笑みを見せた。だがエドワードの隣に座っているリッツを見て気むずかしげに眉を寄せて呟く。
「ただこちらはいささか……配慮が足らん。新聞ではまともに見えたが、まるで幼い」
言い返すことも出来ずに押し黙ると、コネルが吹き出した。黙ったまま睨むと、グラントもコネルをじっと見る。
「まるでコネルの若い頃を見ているようだ。こやつも人への口の利き方を知らず……」
「グラント!」
過去を暴露されそうになったコネルが、慌てふためく。
「言われて困るような態度を取るから、後々に遺恨を残す。一人前の男ならば、自身に責任を持てるように歩くのだな」
「相変わらずだな、グラント」
コネルのため息にギルバートが大笑し、ジェラルドが笑う。グラントは彼らよりも年上のようだが、どうやら知り合いのようだ。
和やかに終わった会議の後に、ファルディナの館に静養にという全員の心遣いを拒否し、グラントは本営の中にあるコネルの部隊の天幕に転がり込んでしまった。
一応怪我人と言うことで、騎士団見習いの中では一番気が利くシャスタがグラントの身の回りの世話と看病に回されることになった。
結果として、それはシャスタの運命を変えていくことになるのだった。




