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燎原の覇者  作者: さかもと希夢
樹下の盟約
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<5>

 するとその時、視界の端に小さく人影がよぎった。ここから少し先、グレイン街道の上だ。

 そこに馬に乗った人影がある。

 こんな時間にグレイン街道から人が通ることはあまりないから、珍しくてリッツは目をこらす。

森育ちで自慢できるほど格段に目がいいのだ。

 数は七騎。全員服装からみて男性だろう。

 もしかしたらエドワードたちだろうかと目をこらしてみるが、彼らの行動を見てそうではないことがわかった。

 街道を進んでいた彼らは、目の前を行くロバの括り付けられたティルスの住民の馬車に追いつき、足を止めている。荷馬車の上には子供と女性が乗っている。

 リッツにはティルスの農民が、騎馬の男たちに何らかの言いがかりをつけられているのが分かった。雰囲気を見ても、友好的な感じではまるでない。

 張り詰めたような緊張感がその場に満ちていた。

 目をこらしていると何となく状況が見えてきた。

 馬に乗ってやってきた人々は、武器を持ち、麦の刈り取り作業をしていた人に絡んでいるようなのだ。

 対する農民の男は何も手にしていない。

 多勢に無勢。しかも農民は背後の荷馬車で妻と子供を守っている。

 どう考えても農民が不利だ。

「おじさん、なんかヤバイ」

 リッツがそう言って振り返ると、マルヴィルも鋭い視線でそちらを見て目をこらした。

「あいつら、何?」

 呟きつつマルヴィルをみると、彼は素早く麦の束が大量に積まれた荷馬車に駆け寄ったところだった。

「え?」

 意表を突かれて目を見張ると、マルヴィルは鎌を荷馬車の上に投げ出し、麦束の下から一振りの剣を掴みだした。

 使い込まれた剣であることなど、見れば一目で分かる一振りだった。

「おじさん?」

 マルヴィルが鎌や鍬以外を持ったのを初めて見たリッツは困惑しつつ尋ねたが、マルヴィルは微かに手を上げてリッツを制してから妻に向き合った。

「ミーシャ、子供たちをつれて村へ。早馬を閣下の元へ」

「はい」

「救急箱は置いていってくれ」

「分かりました」

 今までのんびりとしていたロバの手綱を持ち、男の妻ミーシャはきびきびと姉妹に命じた。

「マリー、メリー荷馬車に乗って」

「はい!」

 子供たちがただならぬ母親の様子に気圧されて慌てて荷馬車に乗り込む。

「シャスタ、応急処置の知識があったわね?」

「……あります」

「じゃあ、サリーと一緒にこれを持って残って」

 ミーシャが手渡したのは救急箱だった。

 麦の刈り取りで怪我をしたときのためにと持ってきていたのをリッツも覚えていた。

「これ……?」

 戸惑うシャスタとサリーに、ミーシャは命じた。

「あの男たちがいる間は、麦畑に隠れなさい。彼らが去って怪我人がいたら治療するの」

 困惑しつつ頷いた二人を確認してから、ミーシャは馬車を走らせて、二人の娘と共に走り去っていく。

 それを確認したマルヴィルは鎌の代わりに剣を腰に差した。一瞬にして農民から戦士の顔へと変わるマルヴィルにリッツは戸惑いを隠せない。

 そんなリッツにマルヴィルは鋭い視線を向けた

「リッツ、どうする?」

「え……?」

 問われた意味が分からず眉をしかめると、マルヴィルは剣を片手で叩いた。

 一瞬で理解した。彼は何かあった時、戦えるのかとリッツに聞いているのだ。

 ジェラルドに鍛えられているから剣は使える。

 ただ実戦の経験はない。それが突然実戦と言われても、心の準備が出来ていないのだが、そんなことはマルヴィルだって承知しているだろう。

 動揺しながら自分の剣に手を掛けると、マルヴィルは穏やかに言った。

「無理ならやめておけ」

 優しい心遣いなのは分かったが、それでは、と逃げるのは性に合わない。

 それにジェラルドがどんな時も剣を持っておけと言っていたのはこういうことのためなのかも知れない。

「行く」

 リッツは決意を持って小さく頷いて、放り投げてあった自分の剣をマルヴィルと同じように腰に差した。

 今考えられる中では、それが一番最善のような気がしたのだ。

 リッツの返事に頷き返して、マルヴィルは未だ立ち尽くすシャスタとサリーに目をやった。

「隠れていなさい。応急処置ができる道具を持っているのは我々だけだからね」

 その言葉は、これから何か血なまぐさいことが起こることを予感させたが、状況が分からないリッツには何が起こるのか見当が付かない。

「はい」 

 緊張した面持ちで頷いたシャスタとサリーを残して、マルヴィルは早足で歩き出した。

 リッツも慌てて後を追う。

 視線を前に向け、早足で男たちの元へと歩きながら、マルヴィルは丁寧にリッツに説明をしてくれた。

「あの男たちは隣のオフェリル自治領区の奴らだ。ここ数年は毎年この時期にここへやってきては悪さをする。収穫間際の麦をなぎ払ったり、ひどい時には火を着けることもあってな」

「なんで?」

「……小麦の価格が上がってるんだよ。だがオフェリルの土地は痩せていて、小麦を他の自治領区から買っている。つまり小麦をグレインから買っているんだ」

「だから、なんでそうなんの?」

 交易や取引といったことは、まだリッツに理解できてはいない。

 マルヴィルと同じように早足で歩きながら尋ねるとマルヴィルは律儀に答えてくれた。

「もともとオフェリルは葡萄の産地でワインをグレインに売って利を出していたんだが、ワインの値をつり上げてきたのさ。だからワイン作りも我が自治領区で始めてしまって収益が落ちている。なのにグレインの麦は高いままだ」

「ってことはつまり、ワインは売れないけど高騰してる小麦は買わなきゃいけないから、オフェリルは面白くないってこと?」

「そういうことだ」

 リッツは首を振った。そのことで麦畑にいたずらするなんて、大人げないことこの上ない。

「そんなの勝手じゃねえか」

「ああ勝手だ。だがオフェリルの自治領主閣下はモーガン様と同じように幾代も続く貴族でな。気位ばかりが高くて、その息子はそれ以上に気が荒いと来ている」

「その息子って?」

「あそこにいる男たちの首領だ。父親も手を焼いてると聞く」

「へぇ……」

「面白くなくてもオフェリルの領主は一応交易のための分はわきまえているが、息子は駄目だな。感情以外では動けん男だ。父親もそれを知りつつ隣地には黙っているようだしな」

「領主の一族でも駄目な奴はいるんだな」

 みんな領主はジェラルドのようなのかと思っていたが、よくよく考えてみればサラディオもファルディナも荒れていたのだ。

そこの領主はジェラルドのようにはいかないのかもしれない。

 領主の人柄なんて考えてもいなかったから、それは新鮮な驚きだ。

「毎年嫌がらせ程度で、命を取るようなことまではしてこんからこちらとしてはどうしようもなくて困っているというところだ」

「ふう~ん」

 頷きつつもリッツは釈然としなかった。

 農夫マルヴィルは何故そんなことに詳しいのだろうと考えていたのだ。この村ではみんながこういう風に物知りなのだろうか。

 考えても仕方ないことだと、リッツは自分が向かっている七人の男たちの方へと目をやった。

 未だ馬上にある人物は三人で、四人は既に馬を下りている。

 近づくに従って、馬上の人々はマルヴィルに聞いたように、確かに貴族の子息らしくずいぶんと高価に見える服装をしていることに気がつく。

 つやつやな生地の服に、輝く金の飾りボタン、斜めにかぶった帽子には羽の飾りがついているのだが、それがこの国では見ないような派手な羽根だ。

 金持ちがごたごた着飾ったらこうなりますという見本のようだ。

 馬に乗せられた鞍さえもきらびやかな宝石で飾られているが、残念なことにこの男たちにそれを着こなすだけのセンスはないようだ。

「うへぇ……派手」

 ポツリと小さく呟くと、マルヴィルが苦笑した。

「あれがすべてオフェリルの民の税金から出ていると思うと……」

「うん。気の毒だ」

 税金とは確か貴族ではない人が働いて納めるお金だった気がする。

 それをこんな風に使われたら確かに気の毒だろう。

 話しながらも決して歩みを止めなかった二人の耳に甲高い悲鳴が響いた。

 悲鳴は高く低く、幾度も上がり続ける。

 それは女性の上げるたがが外れたような恐怖と悲しみの悲鳴だった。

「やつら……」

 ギリっとマルヴィルが奥歯をかみしめた。リッツも息をのむ。

 目の前で男たちに剣で貫かれた農民の男が地に倒れ伏したのだ。

「なんてことを!」

 噴き出した血が、荷馬車の上にいる家族と刺した男たちの元に降りかかる。

 ゾクゾクと寒気が背中に這い上ってきた。

 膝が震える。

 こんな光景を見るのは初めてだ。

 農民を斬り殺した男たちは、次の獲物を見つけたかのように、血しぶきを浴びたその顔に残忍な笑みを浮かべる。

 その視線の先には怯えて震えている男の妻と思われる身重の女性がおり、女性の腕にはまだ年端のいかない男の子が抱かれていた。

 彼女たちが危ない。

「おじさん!」

「分かっている」

 隣をゆくマルヴィルは、奥歯を噛みしめてはいるが恐ろしいほどに落ち着いた視線を彼らへ向けたまま、リッツに頷いた。

 いつもの農夫マルヴィルとは全く違った雰囲気に圧倒されつつ小走りに後へと続く。

 七人の男たちは自らの行為に酔っているのか、リッツたち二人に全く気がついていない。

 このまま近づいてどうするのか、どうやってあの親子を救出するのか。

 全く見当が付かずに、しかも初めて見る光景に動揺しながらマルヴィルの後ろを歩いていると、リッツの耳に下卑た貴族たちの言葉が飛び込んできた。

「こんな男には勿体ないほどいい女ではないか。難を言えばこの腹が邪魔だがな」

 そういうと貴族たちはどっと笑った。

 震えながらも女性は必死で腹をかばい、もう片方の手で息子をかばう。

「どうだ女、我々のものになれ。大事に飼ってやるぞ」

「お断りします!」

 女性が声を振り絞った。

「私には夫と子供たちがおります。どうぞお許しを」

「夫? それはお前の足下に転がっている男のことか?」

 首領の男が地に倒れ伏していた男を蹴り上げると、男の体が仰向けになった。開いたまま動かない瞳が完全に死んでいることを示している。

「これはもうお前の夫ではなく、ただの死体だ」

「何をするの!」

 女性が悲鳴に近い声を上げたが、それすらもおもしろがっているように男は笑う。

「貴族にたてついた者の末期、よく分かったであろう? 下卑の者が貴族に逆らうは罪だ」

「そんな……そんな……なんてことを……」

 女性の声が恐怖と怒りで震えている。

「子供は捨てておけばいい。子が欲しければ俺の子を産ませてやる」

 あまりの下劣さに、リッツの顔が引きつった。

 貴族という生き物の愚かしさは他の街で味わってきたはずだったのだが、この男たちはなおひどい。

 しかもここはジェラルドの自治領区だ。エドワードやローレンやシャスタが大事に思っているこのティルスの人々に、自治領区外から来た、しかも貴族の馬鹿息子たちなどに手を出されてたまるものか。

 静かな怒りを燃やしつつ、飛び出すチャンスを狙っていたリッツの耳に、ふいに男の言葉が飛び込んできた。 

「腹の中の赤子など、この場で始末してしまえばいい」

 一瞬リッツの頭が真っ白になった。頭の中でぐるぐるとその言葉が回る。

 リッツの両親は何故リッツを始末しなかったのかと同族の者たちに責め立てられていた。

 子供の頃はそれを聞いてがくがくと震えていた自分がいた。

 その光景が目の前をよぎる。

 女の腕の中で震えている小さな男の子が過去の自分とかぶった。

 リッツもああして震える母親の腕の中で自分へのあざけりを聞いていたのだ。

 貴族の言葉はさらにリッツの心に亀裂を入れた。

「生まれてきても生きる価値もないではないか。貴族にたてついたは罪。所詮、罪人の子だ」

 生きる価値のない罪の子…。

 同じような言葉をリッツは常に同族から囁かれ、蔑まれて生きてきた。

 純血を重んじる光の一族の中にあり、忌み嫌われる混血児。

 それももっとも忌避される闇との間に生まれた生きる価値がない、存在する意味のない命。

 生きていても仕方ない。

 生きる価値がない。

 それはどれだけの差別だ。

 次の瞬間、怒りと絶望感で頭に血が上っていた。

「んなこと、お前らが決めるな」

 口をついてそんな言葉が漏れていた。 

「こいつらも、奴らと同じか」

 無意識のうちにリッツは剣を引き抜いていた。

 マルヴィルが何か制止をするような言葉を口にしたが耳に入ってこない。

 ただただ目の前の奴が憎かった。

 こいつらはティルスの村人を殺した。

 それだけでも許し難い。

 自分を蔑み、苦しめた同族と同じく痛みを知らぬ者たちが、エドワードやジェラルドが大切に思っているこのティルスの村人の命を蔑み、あざ笑っている。

 大切な人の大切な者を嘲るとは到底許せることではない。

 自分が断罪して悪いわけがない。

「リッツ!」

 マルヴィルの制止の声は耳に入らない。

 ただ目の前の男への憎しみのみで飛び出していた。

「何者だ!」

 気がついた男が振り返りざまに剣を抜いたが、リッツは目の前で跳躍した。

「な、なに!?」

 愕然と呻いた男の背後に着地し、ひらりと回転しながら男の背を切り裂いた。

 血しぶきが舞い生暖かい血が顔にかかるが、何の感慨もなく振り返って立ち上がる。

 あの首領を道に倒れるティルスの村人と同じ目に遭わせる以外、自ら犯したその罪を償わせることはできない。

 リッツが立ち上がったのと同時に、斬られた男は何も言うことが出来ぬまま恐怖を顔に貼り付けて地面に叩きつけられるように倒れ、そのまま動かなくなった。

 恐ろしいほどの沈黙の中で、麦の穂が風に揺れる音だけが聞こえている。

「お、お前は何だ? 俺たちが貴族だと知っての狼藉か!?」

 先ほど身重の女性を下卑た言葉で責め立てていた男がわめいた。

 だが無言のままリッツは男に突進する。

 こいつを殺すのも容易い。

 妙に確信めいてそう思ったが、他の五人がリッツの前に立ちはだかった。

 あれほど下卑たつまらぬ男をそれでも守りたいのかと思うとくだらない。

 だがこうしてあの男を守ろうとするなら同罪だ。

「どけ」

「うわぁぁぁっ!」

 悲鳴に近い声を上げて飛び込んできた男の目の前で姿勢を下げて剣の下に滑り込み、下から斬り上げる。

 先ほどとは違った、たがが外れたような悲鳴を上げる男の両腕が、鮮血をまき散らして小麦畑へと飛んでいく。

 返す刀でもう一人の男の腹を一刀両断にした。

 奇妙な声を上げながら地面に倒れ伏した男を見ることもなく、リッツは正面の男を見据えた。

 先ほど赤子を殺すと豪語していた貴族だ。

 こいつを殺してしまえと、リッツの中の何かが叫んでいる。

 こいつはリッツを苦しめ続けるあいつらと同じなのだと。

 エドワードやジェラルドの大切な者を傷つける犯罪者だ。

 仲間が三人斬られてもなお、その男のために立ちはだかる男のうち一人を舞うように剣を閃かせて後ろ向きに肩から下へと切り裂く。

 地響きをたてて男は地に倒れ伏した。

 残った男たち二人は悲鳴を上げて、主であろう貴族を見捨て馬に飛び乗り逃げ出してしまった。

 こんな男に義理立てする必要などないのだろう。

 これで残ったのは首領の貴族ただ一人だ。

 リッツはじっと男を見据えた。

「ひ、ひぃ……化け物……」

 化け物……存在することが異常な光と闇の合いの子。

「……やっぱりそう言うんだな……」

 一族の者たちと同じように。

「あ、あ……あ……」

「生きる価値なんてなくたって、俺、生きてんのに」

 口をついてボソッと言葉がこぼれた。

「生まれちまったのに」

 そんな言葉の意味など知らぬ男は、気が狂ったように口から泡を吹いて後ずさりしている。

「や、やめ……そうだ、俺の部下にしてやる。贅沢できるぞ、女も選び放題だ! どうだ、貴族の仲間入りが出来るのだぞ!? 庶民の分際で贅沢なことではないか!」

 甲高く叫びながらよだれをまき散らして男がわめき散らす。

 だがリッツはそんなことに価値を見いだすことなど出来ない。

 金も女もいらない。

 自分に生きる場所と、生きたいと思える場所を与えてくれる友がいればいい。


 ――お前の命など、俺には何の価値もない。 


 無言のままリッツは男の元に飛び込んだ。

 貴族の男がリッツの一撃で倒れゆく姿は自分のなかでイメージできていた。

 だが意外な光景にリッツは目を見張った。

「落ち着け!」

 リッツの剣を受け止めたのは、マルヴィルだった。

 マルヴィルの後ろで貴族の男が白目をむいて気絶し、ヘナヘナと倒れ込むのが分かった。

「おじさん! どいてくれ!」

「駄目だ!」

「どうして! そいつはティルスの村人を殺したんだぞ! それに、俺を馬鹿にした!」

「落ち着け! この男はお前には関係ない」

「だけど!」

 どうして邪魔をするのかと、マルヴィルのことさえ憎みかけた瞬間だった。

「お前がこの男を斬り殺せば、モーガン閣下の、しいてはエドの……エドワード様の不利になる!」

「!?」

「お前はエドワード様の友なのだろう!」

 思わぬ言葉にリッツは目を見開いた。

「エドの不利になる?」

「そうだ」

「どうして? エドの大切にしてる村人を守ろうとしただけなのに?」

「どうしてもだ。頼むリッツ」

「でも、でも!」

「頼む!」

「だけどおじさん!」

「グレイン自治領区を守護するグレイン騎士団第三部隊長としてお願いする。これ以上我がグレインが不利になる状況を作らないでほしい」

「グレイン騎士団? グレインが不利になる?」

 理解が出来なくてオウム返しにしたリッツを、マルヴィルは痛ましいものを見るように慈愛に満ちた目で見つめた。

「分かってくれ。まだ時期が早すぎる」

 穏やかながらきっぱりとした口調とリッツを見つめるその真剣なまなざしに、全身の力が抜けてリッツの手から剣が滑り落ちた。

 立っていることも出来ずに、その場にがっくりと座り込む。

「怪我は?」

 農夫の時と同じような声色に戻ったマルヴィルに聞かれて、リッツはのろのろと顔を上げた。

「ない」

 なんだかよく分からない焦燥感と怒りが心の中で冷たい恐怖に変わっていく。

 自分はいったい何をしたのか。

 怒りにまかせてどうしたのか……。

 自分で自分のことが分からない。

「おじさん……俺……何した?」

 額を押さえながら呟くと、マルヴィルは辛そうに顔を歪めた。

「リッツ……」

「なんだかさ、昔のこととか色々考えて訳が分かんなくなってた。夢、見てたみたいだ」

「お前……」

 言葉を失うマルヴィルを見上げる。

「おなかの大きな人と子供は? 俺、その人たちのことも見えてなかったんだ」

「俺が助けた。仲間が来たから安全な場所に逃がしたよ。そこでシャスタとサリーが治療しているはずだ」

「……よかった」

「男は……助からなかった」

「そっか……」

「大丈夫か。リッツ?」

「うん。俺は全く怪我とかしてないし」

「そうか」

「でも……血の匂いがする」

 そう呟くとリッツはゆっくりと後ろを振り返った。

 街道中に血が飛び散り、街道をまだらに染めていた。

 その中には赤黒い血で出来た大きな水たまりもあった。

 そこに骸が三つ転がっていた。

 一つは背中がぱっくりと割れ、もう一人は腹から大量の血と内臓が流れ出して絶命している。

 もう一人は背中が斜めに切り裂かれ、白い骨が覗いていた。

 そして狂ったようになくなった両腕をくっつけようともがく男の姿が目に入る。

「俺がやったんだよね」

 呟きながらゆっくりと両手を広げてみると、剣から流れ落ちてきた血で赤く染まっていた。

 髪からしたたるのも汗ではなくて斬り殺した男たちの血だった。

 人を殺したのだ。

 ようやくそれが実感を伴ってじわじわと自分の胸にわき上がってきた。

 鼓動が跳ね上がったというのに、何故か手足が痺れたように冷たい。

「俺、人を……」

 呻きながら死体を見つめていると、死体の見開いた目に小さな虫が止まった。

 瞬きすらしないその瞳を見て死んでいるのだと実感する。

 そう、自分が殺したのだ。彼らを。

 とたんに急に吐き気がこみ上げてきてその場で吐いた。

 苦しさから咳き込み、吐きながらも苦しくて涙がこぼれる。

 息が吸えない。

「リッツ……」

 マルヴィルが優しく背中をさすってくれているが、どうにも収まらない吐き気にリッツは吐きながら涙を流す。

 エドワードやジェラルドが口にした茨の道を歩むということ、そして死なないように鍛錬することは、すべてここにつながっているのだと初めて知った。

 ジェラルドがいうエドワードと共に歩むと言うことが、人を殺す、もしくは殺されるということに繋がっているのなら、リッツは自らの手を汚してもエドワードをそして自分のいるべき場所を守れるだろうか。

 徐々に酸欠になりつつある頭でそう考えていた。

 こんな苦しみを抱えても?

 こうして人を殺すことを続けても?

 エドワードの顔が浮かんだ。

 命を貸せといった。

 共に生きろと言った。

 父母の他自分を受け入れてくれる者などいないこの国で、たった一人で生きねばならぬ特殊な生まれのこの自分に、生きる場所を与えてくれた。

 エドワードには友がいないとジェラルドは言った。

 リッツにも友はいなかった。

 ……エドワード以外は。

 そしてそこに生きる場所がある。

 リッツは共に生きると、茨の道を行くとエドワードの手を取ったのだ。

 そうだ、と心の中で強く思う。

 自分勝手でも自分本位でもいい。

 人を殺す恐怖を抱えながらも、リッツはエドワードやジェラルドと共にありたい。

 こんなに辛くても、幾度血反吐を吐こうとも、決意は揺るがない。

 エドワードとジェラルドを守るために人を殺すなら、人殺しになろうではないか。

 彼らは絶対にこの貴族の男のような無益な人殺しなどしないに決まっている。

 それならばまだ知らぬ目的のために、命をかけてエドワードやジェラルドを守る。

 決めた。

 今決めた。

 彼らが望むなら、人殺しになろう。

  

 だけど今は少し……疲れた。


 不意に目の前がかすんで消えた。体がぐらりとかしぎ、地面に叩きつけられる。

 マルヴィルが自分を呼ぶ声は聞こえていたものの、起き上がることはおろか答えることも出来ずにリッツは意識を失った。

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