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五月十日の朝、ファルディナに潜ませていた密偵が、早馬でグレイン騎士団のキャンプに現れた。
「スティーヴンス侯爵、本日早朝にブルガンへ向けて出兵いたしました。その数三百。うち七十名ほどが我が隊の遊撃隊です。ファルディナに残る王都防衛部ファルディナ駐留部隊は約三百。今後街道を閉鎖する恐れがあります」
中央の椅子に座って報告を聞いたエドワードは小さく息をつく。始まったのだ。ここからは王太子然として振る舞わねばならない。
その目には見えない重荷を両肩に載せたままゆっくりと立ち上がり、居並ぶグレイン騎士団の隊長たちの前に立つ。隊長は全部で七人いる。そしてこの騎士団を統べる団長は元騎士団第一隊長だったエリクソンだ。副団長として元第二隊長オドネルが付いている。新たに隊長となったものたちはみな、エドワードの顔見知りだ。
グレイン騎士団は全十隊で約千名。そのうちの二隊は現在ここにおらず、総勢八百名弱の騎兵が顔をそろえている。そのほぼ全員がグレイン出身で、内の二百人ほどは騎士団時代のエドワードのことを知っている、元々の騎士団員たちだ。
作戦はもう全員に伝えている。今後はそれを実行するのみだ。かすかに緊張感を漂わせる隊長たちを眺めながら、エドワードは静かに命じた。
「ファルディナ攻略作戦の行動開始時間は一時間後、十一時から行動開始とする。総員準備にかかれ」
「は!」
全員がエドワードに向かって王族に対するように右手を胸に当てて頭を下げる。そんな挨拶にさえ未だ違和感を感じてしまうが、王太子宣言をした今、自分は王族なのだと納得するしかない。深々と礼をした後で騎士団の面々は静かにエドワードの前を去っていく。みな戦闘の準備を始めるのだ。
団長であるエリクソンと、エドワードの補佐を努める総指揮官ジェラルドだけになったところで、エドワードは小さくため息をついて椅子に腰を下ろした。妙に体が重い気がするのは気のせいだろうか。
「どうした、エド?」
今まで通りの口調でジェラルドに問いかけられて、肩をすくめながら軽く笑う。
「妙な気分だ」
「何がだね?」
「俺は何も変わっていないのに、勝手に周りが変わっていく」
王太子を宣言して以来、数少ない例外を除いて、親しかった者でもエドワードに対する言葉遣いや呼び名が変わった。
ジェラルドはこうして二人でいるときや気心の知れた人々とともにいる時は、今までのように接してくれるが、全員を前にすると、エドワードを前に膝を折り、かしずくことも厭わない。エドワードの中では未だジェラルドは尊敬する指揮官であり、領主だというのにもかかわらずだ。
自分の立場を理解しつつも、ジェラルドの前に膝を折るのにふさわしいのは、自分の方だという想いも未だにある。
「人であれば何事も変わらずにはいられないんだ。お前はそれが極端にやってきた。そう思い納得するしかないだろう。それともその荷、重すぎるか?」
穏やかに問われて苦笑する。重いといって投げ出してしまえるものではない。
「重いのは分かっていたよ。その上で納得して背負ったんだから」
エドワードは自分が国家を、しいては人々を助ける権力に近いところにいることを感謝している。人を憂い、時代を憂いてゆるゆると生き、死んでいくのは自分の生き方ではない。おそらく自分が王太子ではなくとも、きっと同じように行動を起こしたであろうことは明白だ。
だが王太子ではなかったなら、きっとこの背負うべきものの重さは変わってきただろう。背負わせるべき人がいれば、その人のために戦えるからだ。
だが自分がどう考えどう動いたところで生まれ持った運命はどうしようもない。
「苦しいか、エド?」
「何が?」
「王太子でいることだ。今から苦しんでいたならば、この先更に苦しむことになりかねんぞ。これから本当に内戦が始まるのだからな」
ジェラルドの目が、まっすぐにこちらに向いている。試されているのだろうか、それとも心配されているんだろうか。黙ったまま見つめ返すと、ジェラルドは口元に笑みを浮かべつつも真摯な瞳で見返してきた。
「これから王位に就くまでは連戦となるだろう。お前の目の前でたくさんの人々が命を落としていく。それは自軍であるし、王国軍であるかもしれん。だがみなユリスラの民だ」
「ああ」
「民の屍の上に理想を築かねばならない。その覚悟はちゃんとできているか」
ジェラルドの問いかけに、フッと息が漏れ唇が緩む。その言葉はエドワードが初めて自分が国王の子だと知り、将来はこの国のために戦うのだと決めたときから幾度も繰り返し繰り返し聞いてきた言葉だった。それが自分の運命で役割であると聞かされてきた。
だが覚悟を問われたのは、初めてだった。事はもうそこまできているのだ。
「エド?」
「覚悟はできている。綺麗事を言っても俺は結局人殺しだ。だが人殺しだからこそ、より多くの人々を幸福に導く国家を作らねばならないんだ。たとえ今、戦争を引き起こした罪人として非難されようと、俺は戦いに赴くよ」
笑顔でジェラルドを見上げると、ジェラルドは穏やかに微笑んでいた。すべてを許容するような笑みだ。自分の父親が国王であると知った時、エドワードは何故このジェラルドが父では無かったのかと、自分の生まれを恨むこともあった。
今はそれも昔のことだ。与えられた運命も恨む気はまるでない。決意だけなら幾度も問われてきたからだ。迷うことなど無い。
「今更何故そんなことを聞くんだ、ジェラルド?」
「お前が何か遠くを見ている気がしてな」
どうやら試されていたのではなく、心配を掛けているらしい。仕方無く苦笑しながら正直に話す。
「リッツがいないから、愚痴と不安をぶつける対象もいないんだ。多少感情だって外に出るさ」
「なるほどな。ではお前がため息をつくときは、ストレスが溜まったときだと理解しておこう」
「そうしてくれ」
苦笑すると、ジェラルドも共に笑ったが、すぐに表情を引き締めた。
「もう一つ。エド、お前はすべてを犠牲にしても生き残る覚悟は出来たか?」
その問いかけには答えることができずに、エドワードは黙り込んだ。どんな非難を受けようと闘い抜く覚悟、そして国民の思いを背負う覚悟はできている。でも未だその覚悟だけができずにいた。
「俺は……」
口ごもると、まるでその感情を見透かしたかのようにジェラルドに見つめられていた。
「エド。この戦いではお前がキングだ。お前が取られたらすべてが終わる。だから守られて生き残る覚悟をしておくんだぞ。簡単には難しいかもしれないがな」
「……分かってる」
小さく頷くが、それが難しいことをエドワードは理解している。目の前でジェラルドが、パトリシアが、ギルバートが、シャスタが……そしてリッツが自分のために命を落としても前を向けるのか。
そう問われたら、否と答えてしまいそうな自分がいる。何を失ってでも革命軍の頂点に立つ者として俯かずにいられるだけの覚悟が、まだ決まらない。そんなエドワードの迷いなど、ジェラルドはとうに分かっているのだ。分かっていて問いかけられている。きちんと自覚をさせるために。
「頭の片隅にちゃんと置いておけ。いざとなれば覚悟が決まるようにな」
「ああ」
小さく頷くと、ジェラルドは今までのようにエドワードの肩を軽く叩いてグレインの作戦会議の場にあったファルディナの街の市街地図を広げた。
「作戦をもう一度見直しておこう。エリクソン」
「はい」
呼ばれたエリクソンがやってきて、三人でテーブルに置かれた地図を再び覗き込む。実際に攻め込むまでに、これが最後の打ち合わせとなるのだ。
「今朝、ファルディナ自治領主スティーヴンス侯爵が謀反の疑いがあるとの噂を受けて、ファルディナからシアーズ街道を北に向かった」
ジェラルドの指揮棒がファルディナ中央を走る街道上をなぞる。
「これから一時間後に我々が攻め込んだ段階で、すでに彼らがファルディナを離れてから三時間以上はたっている。彼らが攻撃されているファルディナにとって返してくる可能性を考えれば、最悪でも三時間以内にファルディナ駐留部隊を制圧せねばならないだろう」
頷きながらエドワードは街の地図を眺めた。ファルディナ駐留部隊の隊舎は街の中心街にある。だが革命軍が隣区にいて、街を守る主力である私兵集団がいない以上、守りを固めていると考えた方が自然だろう。
「駐留部隊の数は、五百ほどだったな。やはり守りは固められていると思っていいんだろう?」
問いかけると、ジェラルドがこちらを穏やかに見ながら答えた。
「ああそうだ。領主が噂を信じ込んで動いたなら、デラノ伯を気にして南部の守りを強固に堅めているだろう。彼らが入り込んでくるのも恐れているはずだ。そして我々革命軍の奇襲を恐れて東側も封鎖しているに違いない。北部はスティーヴンス侯爵が兵を率いていったから、警戒は薄いはずだ。何しろ戦いに出た侯爵は負ける気は無いからな」
今エドワードたちがいるのは、ファルディナの街にほど近い、小さなファルディナ自治領区の村だ。この村の住民たちは、ありがたいことにファルディナ自治領主よりも、王太子となったばかりのエドワードを信頼して密かに騎士団に陣を張らせてくれている。ここからならファルディナの街まで、馬を走らせればほんの一時間ほどなのだ。
「つまり我々は、ファルディナ東を駐留部隊が守っていることを知った上で奇襲をかけることになる。エリクソン、出来そうか?」
「我々は勇猛なグレイン騎士団です。新兵といえども士気は高い」
自信に満ちた笑みを浮かべて、エリクソンが頷いた。内戦前には剣士が多かったこの部隊だが、千人にふくれあがった今は槍術使いや弓使いもいて、グレインでは最強の戦闘部隊といえる。
「それに我々の方が数の上では有利だし、騎兵集団であると考えれば機動性も上回る。一つファルディナ駐留部隊に利があるとしたら、それは地の利でしょう。彼らの方が街の地理に詳しい」
「つまり街に彼らが逃げ込まないよう、誘い出して戦うのが最も望ましいと言うことになる、と」
問いかけると、エリクソンは頷いた。
「御意に。ありがたいことにファルディナの街には門がない。門を閉じられて籠城されることはありません。駐留部隊は戦わざるを得ないのですから」
「そして駐留部隊に所属する軍人を、こちらに取り込むというわけだ。これはお前の役割だ、エド」
「ああ分かっている。今後の王太子の役割はいつもそこになるな」
苦笑しながらジェラルドに承諾すると、エリクソンも笑った。エリクソンは今までエドワードを騎士団の一員として扱っていたが、王太子宣言以降はエドワードを殿下と呼び、一貫して臣下の態度を貫いている。
だが何かの弾みでエドワードの上官だったときの笑みが覗くこともあり、それにエドワードはかすかに安堵する。軽く目を閉じて自分の感情を追い出すと、エドワードは地図上に指を走らせる。
「それから約半数は街を通り、シアーズ街道から北に抜けて北部ブルガンへ向かい、自治領主と共に出た遊撃隊と合流して自治領主をこの手で討つ。これは騎士団第三隊から第六隊が担当し、指揮はエリクソンに任せる」
「御意にございます、殿下」
「残り半数は俺と、ジェラルドと共に南へ向かい、街の中からの戦闘で相手を動揺させて街の外へと落ち延びさせ、南部アーケルに向かわせる。これで作戦の第二部が終了と言うことだな」
「そうだ。後は本隊との連動だ」
「ああ。あちらにはコネルとマディラとパティがいる。安心しているさ」
かすかに笑みを浮かべてエドワードはジェラルドを見遣る。
「パティが心配じゃないかい、ジェラルド」
「あいつはあいつで何とかするだろう。私が口を出せば『娘を信頼しないのか』とおかんむりだ」
肩をすくめて父親の笑みを浮かべるジェラルドに吹き出してしまった。
目の中に入れても痛くない娘を戦いに出すことを、ジェラルドは本当はよしとしていないのをエドワードは知っている。パトリシアはジェラルドの病弱だった妻が、唯一の宝としてジェラルドの元に残しだ、愛すべき宝物である。だから自治領主代理としてパトリシアにグレインを託そうとしたのだが断られているのだ。だがジェラルドの中でパトリシアの行動は織り込み済みだったらしく、あっさりと配属を割り振っていた。
現在グレインの邸宅は、この戦いに臨む前にジェラルドの正妻となった、アリシアが守っている。エドワードが自分を見直すためにティルスに行ったのと同じように、あの一月でジェラルドは身辺の様々な雑事を片付けてきたのだ。ファルディナを攻略した後、一度はグレインに戻る予定だというジェラルドだが、万が一を考えて色々と方策を打ったのだという。
その一つがアリシアだった。今のアリシアはパトリシアの義母であり、ジェラルドの妻だ。そのアリシアの執事として、アルバート・セロシアがついているのだ。
「エドワード様、ジェラルド様、エリクソン団長、早めの昼食をお持ちしました。オドネル副団長は外で食べるそうです」
話も終わりタイミングよくやってきたのは、大きなトレーを持ったシャスタだった。シャスタは騎士団見習いとして、こうしてエドワードやジェラルドの身の回りの世話を焼いているのだ。
「あの、僕もご一緒してもいいですか?」
ちゃっかりとトレーには四人前の食事がのっている。パンと煮込みシチューがのった豪華とはいえない食事だが、これからの行動を考えてボリュームだけはある。
「もちろんだ。お前は俺の弟だろ?」
明るく言うと、シャスタは気むずかしい顔をした。
「そりゃあもちろん、僕は気持ちだけならエドワード様の弟のつもりでいますよ。ですけど、ちゃんとわきまえないと、規律とか軍の士気に関わるじゃないですか。僕は戦場にいる間は、エドワード様の臣下でいいんです」
「……堅苦しいな、シャスタ。いつからそんなに堅苦しくなったんだ?」
つい苦笑すると、ごく真面目にシャスタがエドワードを見返してきた。
「昔っから真面目ですよ、僕は。エドワード様とリッツさんが不真面目すぎるんです」
「……」
ローレンとよく似ているのに、ローレンよりも真面目な瞳に思わずたじろぐと、ジェラルドが本当に楽しげに大笑した。
「確かにお前だけならまだしも、お前とリッツを合わせると何をし出すか分からんからな!」
それは心外だ。
「……俺とリッツは一緒くたか。俺は少なくともあいつよりは百倍以上はまともだぞ?」
真面目にそう言ったのだが、自分のトレイを横に置いたシャスタは深々とため息をつく。
「どうでしょう。リッツさんが来てからは、一緒にいると悪ガキみたいなことしてたじゃないですか」
「それは……」
「酒場で喧嘩になると率先して手を出すのは、どちらでしたっけ?」
「……」
皆がリッツだと思うだろうが、実はエドワードの方だ。リッツも止めたりせずに加勢するから、同罪だろうとエドワードは思っているのだが、どうやらリッツは色々シャスタに話したようだ。
「パティ様に二人揃って殴られてばかりだったし、あの品性方向なエドワード様は、いったいどこに行かれたのでしょうね」
「シャスタ……」
軽く眉間を揉みながら呻くと、何事もなかったかのように淡々とシャスタはテーブルの上の地図を丸めて、手際よく料理を並べていく。
「さあ、出発まであと四十分でしょう? 早く食べてくださいね。僕ら見習いと騎士団第十隊は、後で追いかけますから」
騎士団第十隊は医療班である。今のところ見習いはこの周辺に集まり、雑用をこなしていた。
あくまでもしっかりしたシャスタに苦笑して、エドワードは匙を手に取った。シャスタに逆らうと、ろくな事にならないのは、兄弟として育ってきたからよく分かっている。
全員の食事と準備を終え、予定通りに陣をでたグレイン騎士団は、十二時半過ぎに、ファルディナの街を視界に捕らえた。時間が少々かかったのは、ファルディナの駐留部隊をおびき寄せるべく、わざと速度を落として行軍していたからだ。
大人数での戦闘は広いところで行われるのが理想であるが、街を知り尽くしているファルディナの駐留部隊が、地の利を利用してグレイン騎士団を街中に引き込もうとすれば、戦いは不利だ。事前の情報から鑑みると、駐留部隊が民衆に気を配るとは思えない。その可能性は十分にあるのだ。
騎士団の先頭の馬上から、エドワードは長い遠眼鏡を使ってファルディナの街を眺めた。ファルディナの駐留部隊の動きがよく見える。
「どうやら彼らも市街戦をする気はないようだな」
徐々に街から出てくる駐留部隊を確認して、エドワードは遠眼鏡を隣に立つジェラルドに渡す。ジェラルドもそれを覗き込んで頷いた。
「御意に。街の人々を巻き込みたくないという、軍人の正義感に基づいた行動であるならば、降伏勧告をする意味がありそうですな」
「でも戦わずして即勧告という雰囲気でもないようだな。彼らは戦う気だ」
「少々ぶつかるしか無いでしょう。いかがいたしますか、殿下」
静かにジェラルドに問われて、エドワードは笑みを浮かべて頷く。
「やるしかないだろう、ジェラルド」
「では。号令を、王太子殿下」
今まで絶対な父親代わりとしてエドワードの上に立ち続けたジェラルドが、胸に手を当ててエドワードの前に頭を垂れる。その姿にかすかに拳を握り、自分の立場と、変わらざるを得ない関係に耐え、それでもエドワードは笑みを浮かべて顔を上げ、グレイン騎士団へと向き合う。
「始めよう。我が王国に民のための平穏をもたらす戦いを。目標はファルディナ自治領区の解放だ。庶民をいたずらに傷つけることなく、戦いに勝利し、この地を我が革命軍によって、ユリスラ解放の始まりの地とするのだ」
宣言をすると、馬上で騎士団員たちがみな、胸に拳を当てた。
「はっ!」
エドワードは胸の前で拳を握りしめた。そして心の中で姿の見えぬ遠き友に語りかける。
ついに始まるぞ。相棒。俺たち未熟な一対の英雄の戦いが。
そしてエドワードはその手を力強くファルディナに向けて振りかざした。
「突撃!」
号令と共にエドワードも先頭を切って馬を駆る。今まで徐々に狭まっていたファルディナとの距離が一気に縮まり、街が目の前に迫ってきた。
過去に王都へと赴く際、幾度も見たファルディナの街が、いつもとは違って見える。それはファルディナが戦場であるからだろうか。
街道の入り口を塞いでいる駐留部隊兵の姿は二百人ほどだろう。一気に攻め落とせば全滅してしまう数だ。何しろこちらの方が断然数が多い。
どうするかと一瞬迷う。
だがまだファルディナまで少し距離があるというところで、地面が音を立てて割れた。怯えたように馬が立ち止まり、大きく嘶く。突然出来た割れ目に馬が止まれず、足を取られて転倒するものもいる。
「地割れ……精霊使いか!」
舌打ちして、エドワードは馬の速度を緩めて、馬上から飛び降りる。馬が転倒してしまえば馬上の人などひとたまりもない。騎馬の有利なところは速度だが、地面を荒らす土の精霊の前では騎馬の役割はほぼ無効だ。
だが自分の足ならば、転ぶことで命を落とすことはない。
「土の精霊使いがいるぞ。足下に細心の注意を払え!」
後ろに怒鳴りながらエドワードは剣を抜いた。隣で同じようにジェラルドが剣を抜いたのが分かった。続々と騎士団たちが馬を下りて、思い思いに武器を構える。
「機動性を封じられたな。なるほど下級の精霊使いであっても騎馬には絶大なダメージだ。これは一本取られたな」
ジェラルドが楽しそうにそういった。困った様子は全くない。それどころか嬉しそうだ。やはりジェラルドは武人なのだ。エドワードは苦笑しながら頷く。
「どうやら駐留部隊には、まともに指揮が執れる人間がいるようだね」
「そうらしいな。王国軍がまともに機能していて、元総司令官としては嬉しい限りだ」
ジェラルドは肩をすくめて騎士団を振り返り、楽しげな笑みを浮かべたまま怒鳴った。
「第九隊は馬の管理に残れ。それ以外は殿下に続け。ファルディナを解放する!」
騎士団員たちの気合いのこもった返事を聞くと、ジェラルドは笑みを浮かべて前方を見遣った。エドワードもそちらを見る。剣を抜き身で構えたファルディナ駐留部隊が、抜刀して必死の形相でこちらに迫りつつある。
戦いは避けて通れない。降伏勧告をするなら、多少の犠牲を払った後だ。
「行こう、ジェラルド」
告げて一歩踏み出そうとしたとき、隣に立つジェラルドに肩を叩かれた。
「何?」
かすかに振り返ると、耳元で囁かれた。
「忘れるなエド。お前は何を犠牲にしても生き残れ」
やはりその覚悟を求められるのか。軽く肩をすくめてため息混じりに笑う。
「分かっている。それに俺はまだ死ねないんだ」
前方を見据えて告げると、ジェラルドが眉をしかめてこちらを見た。エドワードは前方を見たまま言い切った。
「俺が死んだら、あいつが死にかねない」
軽く目を見開いたジェラルドに笑いかける。
「俺はあいつの命を預かってる。預かったまま死ねば後追いされる。そんなのはごめんだからな」
「……リッツか」
呟くジェラルドを置いたまま、エドワードは前方に迫るファルディナ駐留部隊に向かって剣を構えた。風が、地面が、戦いの気配で揺れ動いている。
鬨の声を上げ、迫り来るファルディナ駐留部隊に向かって、エドワードは大声で告げた。
「我が名はエドワード・バルディア。この首を取り、ユリスラの未来を闇に包みたい者は、遠慮無くこの首を取りに来い!」
駐留部隊の人々の顔が、一瞬にして凍り付く。
だがその怯んだ隙を、エドワードは見逃さず、単身彼らの中に斬り込んだ。
目の前を血しぶきが舞い、目の前に立つ男の体が地面に音を立てて崩れ落ちた。ゆっくりと再び剣を構え直して駐留部隊を見据えると、彼らは一瞬身を引いた。
敵が我に返るより早く、静かな笑みを浮かべながら、悠々とジェラルドが斬り込む。
「殿下お一人、危険な目に合わせられませんぞ」
数人をなぎ倒したジェラルドが穏やかに微笑むと、ようやく金縛りが解けたように、ファルディナ駐留部隊が叫びながら剣を構える。半ば恐慌状態に陥ったといっていいだろう。
「モーガン元帥だ! モーガン元帥がいるぞ!」
うわずった声で叫びながら後ずさりを始めた駐留部隊に、ジェラルドの号令が浴びせられた。
「王太子殿下の前に、革命の勝利を捧げよ! かかれ!」
鬨の声を上げて、グレイン騎士団が猛然とファルディナ駐留部隊に襲いかかる。
戸惑うばかりのファルディナ駐留部隊と士気の高いグレイン騎士団の間に、混戦状態が生まれた。
次々に襲いかかる敵を斬り、斬撃の間をすり抜けていく。見る間に柔らかな新緑で覆われていた地面に無数の赤い小川が出来ていく。
乾いていたはずの地面が、時折濡れて柔らかく沈む感触に、エドワードは唇を噛む。いったいどれほどの命がこの地に吸われるのだろう。
先陣を切りつつも、敵のただ中に入り込まぬよう剣を振るうエドワードの足下を、時折低い唸りを上げて地割れが走る。土の精霊使いの攻撃は、乱戦になりつつある今、ほとんど無差別だった。
地を走る亀裂に上体を崩さぬよう、体のバランスを取りながら、剣を手に血飛沫舞う戦場を駆ける。
縦横無尽に走る地割れに、騎士団数名が倒れるのが分かった。だが立ち止まることなどできない。
襲い来るファルディナ駐留部隊に、足を取られ、倒れつつも騎士団員が立ち向かう。
気配だけを背で感じつつ、エドワードは戦場を進む。構えた剣を振りかざし、鈍い輝きを閃かせながらファルディナへの道を切り開いてゆくのがエドワードの使命だ。
平和な緑あふれる原野が、たちまちに争いの舞台へと変わっていく。人々の血の上に平和があるというのなら、これもまた平和の礎となるのだろう。
エドワードは間髪入れずに剣を振るい続けた。すでに手は返り血で赤く染まっている。
今まで幾度か剣を振るったことがあり、戦場経験もあるエドワードではあるが、今までの相手と正式な軍人はやはり違った。
一番違うのは、指揮官がいることだった。しかもちゃんとその組織は機能している。この状況の敵と戦うのは初めてだ。
今までの敵は、貴族にけしかけられた戦いを好まない人々だった。だから少しのことで彼らはすぐに逃げ散った。だが駐留部隊は違う。
突然目の前の地面がすり鉢状に砕かれた。
低い唸りと共に、小石をまき散らしながら地面がずぶずぶと沈んでいく。斜めになった表土は、すり鉢の中を、人と共に滑り落ちていく。
人々の叫びがその唸りに重なった。
「蟻地獄……!」
小声で呟きながら、後ろに飛び退る。足を取られた騎士団員と、巻き込まれた駐留部隊がすり鉢の中に落ち、地面を転がっていった。
すんでの所で逃れたエドワードは、小さく息をつき、剣を構えて周りを警戒しつつその中を覗き込む。突然の事に受け身がとれなかったのか、どちらも身動きできないようだ。
一瞬助けるべきか迷ったが、すぐ後ろに迫った気配に振り向きざま剣を振るう。この状況で人に構っている場合ではなかった。
生き残ることが何より必要だと言われているのだ。自衛がエドワードにとって最大の目的でもあるのだから。
続けざまに地面が落ちくぼみ、その度に蟻地獄へと人々が落ちていく。唇を噛みながら、エドワードは目標を探す。
この戦いを終えるには、指揮官を討ち取るか、説得するしかない。もしこの駐留部隊が事前に聞いているような、民衆を取り締まる人狩り部隊だったなら、切り捨てるしかないかもしれないが、それでも戦いを終わらせねばならない。
がむしゃらに剣を振るっている敵と冷静に向き合い、隙を見て切り伏せる。斬られた瞬間に敵は何故か安堵したようにその場に倒れ伏した。
何かがおかしい。
エドワードの勘がそう告げる。
士気の高い騎士団に対して、駐留部隊は怯えた表情をしながらも必死の形相を浮かべている。
周りに敵がいなくなった状況で、剣を振るって血しぶきを切ったエドワードは、静かにファルディナ駐留部隊を見つめた。
彼らは皆、何かに怯えているような顔をしている。戦場が怖いのか? 戦い慣れていない故だろうか?
そう思ったのだが、彼らの怯えは目の前の敵にないような気がしてならない。
そんな彼らに違和感を感じた。
戦っているというのに、何を恐れている?
目の前の敵ではなく、何かを恐れてこちらに斬りかかる様子は、奇妙としか言いようがない。
立ち止まったエドワードの目の前に敵が現れ、力を込めて剣を振るう。その剣を受け流し、目の前の敵を切り伏せる。倒れた敵越しに、混乱を極める戦場が見えた。
最初に懸念したように、騎士団による圧倒的な有利で相手を全滅させるには至っていない。敵に精霊使いがいるからだろう。だが敵は数を減らしてきているのは確かだ。
しかも彼らには士気が感じられない。それなのに戦いをやめない。
どこか様子のおかしい駐留部隊と、このまま戦い続けて全滅させるのは避けたい。この奇妙ともいえる駐留部隊の様子であればなおさらだ。
油断することなく剣を構えたまま、エドワードは戦場を見渡す。見たところ死者はさして多くない。元々騎士団は動けなくなった敵にまでとどめを刺すような訓練をしてはいない。
しかし駐留部隊は、動けなくなった時点で力が抜けたように座り込んでいるのだ。彼らは明らかに戦う意志を欠いている。
突然目の前に男性が躍り出た。剣を構えて見据えると、男の目が揺らいだ。
「エ、エドワード……バルディア……?」
男の震える唇がエドワードの名を紡ぎ出した。剣を構えたままゆっくりと顔を上げ男を見据える。
「そうだ」
「う、うう、うわぁぁぁ!」
剣を振りかざした男の目の端に涙がにじんだ。その瞬間に理解する。
この男は……いや、駐留部隊は皆、エドワードを傷つけたくないと思っている……。
相手の剣を受け止めて、男に問いかける。
「戦いたくないのか!?」
男が顔を引きつらせ、それでも剣を引かずにエドワードを押し返す。溜まっていた涙が一筋流れる。
「では何故私と戦うのか! 何故そこまでして……!」
「守るためだ! 街を……家族を!」
「家族だと!?」
眉をしかめると、その一瞬の隙を突き、男が剣を向けてきた。慌てずに避けて男を斬る。目の前で男が崩れ落ちた。
「……駐留部隊が……何故?」
足下に倒れた男を見下ろしながらエドワードは呟く。致命傷を与えてはいないはずだが、男は立ち上がろうとしない。
周りを見渡し、エドワードは攻撃を仕掛けてくる人々の中に悲痛な表情を浮かべる者が多々いることに気がついた。
「ジェラルド!」
近くで戦っていたジェラルドに大声で呼びかけながら駆け寄った。
「この戦いはおかしい。止めるが構わないな?」
剣を振るう手を止めたジェラルドは、エドワードを見つめて微笑み頷いた。
「殿下の思うように」
「ああ」
頷きながらエドワードは剣を納めた。戦場で剣を納めたその様子を見て、騎士団ではなく、駐留部隊の方が動揺している。
この戦い、やはり何かが間違っている。
未だ戦いの続く戦場を見据えて大きく息を吸うと、エドワードは大きく人々に語りかけた。
「双方、聞け! 我々、革命軍はファルディナに圧政を敷くスティーヴンス侯爵から解放するために来た。この街を戦渦に巻き込むつもりはない」
思った以上に響いた声に、人々が静まりかえった。
「お前たちがこの街を、ひいてはこの国を守りたいと願うものであるならば、我々革命軍との戦いは無益である」
剣を構えたままであるが、じりじりと後ずさりする人々も出てきた。中には剣を取り落とすものもいる。明らかに動揺を隠せない駐留部隊に対し、まっすぐ思いを込めて語りかける。
「共にこの国を憂い、この国のために戦うのであれば、我々は敵ではない。敵は他にあり、この場で無駄な犠牲を払いたくはない。人の命は得難い。諸君らもユリスラの民だ。私はユリスラの民に無意味な戦いで価値ある命を失ってほしくはない」
エドワードの言葉でファルディナ駐留部隊の人々の手が徐々に力を失い、下がっていくのが見えた。騎士団はいつでも抜けるようにと警戒しながらも、剣を納める。
いつの間にか、エドワードの両隣にはジェラルドとエリクソンが立ち、中央のエドワードを守るようにその場で辺りを警戒している。
「このまま戦えば、意味の無く血が流れるだけだ。皆が何に怯え、何を抱えているのか私は知らない。だが街の平穏を願う心は同じはずだ」
ファルディナ駐留部隊の兵士たちをゆっくりと見渡しながら語りかけるように告げると、一人、また一人と剣をしまい、中には座り込む者も現れる。やはり彼らは戦いたくて戦っていたのではない。
いったいファルディナで何が起きているのか、その事情を知りたい。
「降伏せよ。降伏するのならばこれ以上の戦いは無意味だ。駐留部隊長と話がしたい。駐留部隊長はどこにいるか!」
エドワードの声に答えるように、少し後方から男が現れた。血にまみれたその姿から、今まで他の兵士たちと同じように戦場に身を置いて戦っていたことが分かる。
男はゆっくりとエドワードたちの前に進み出て、片膝をつき、右手の拳を地面に付けて頭を垂れた。階級章から、この部隊の副長であることが分かる。
すべての自治領区に存在している駐留部隊の軍服と階級章は基本的に同じだ。それは彼らが、同じユリスラ王国軍王都防衛部隊に所属する部隊だからである。
エドワードはたまに騎士団と合同で演習に当たるグレイン駐留部隊とも親しくしており、階級章を見て知っていたのだ。
「……貴官は……副長だな。隊長はどうしたのだ?戦死したのか?」
問いかけると、男は頭を垂れたまま首を振る。
「いえ。健在です。ですが現在、この迎撃部隊の指揮を執っているのは小官であります」
「そうか。名は何という?」
「王国軍王都防衛部ファルディナ駐留部隊副長ルイス・グローヴァーであります」
「隊長はどこにいる?」
「……それは……」
「答えられぬか?」
穏やかに尋ねると、グローヴァーはかすかに呻いた。いえないことがあるのは明らかなようだ。だがここでそれを聞き出さねば仕方ない。
「何を隠している?」
再び尋ねると、グローヴァーは全身の力が抜けたように地面に両手をつき、エドワードの前に平伏した。その必死の姿に戸惑いながら呼びかける。
「グローヴァー?」
「申し訳ありませぬ、殿下。どうか部下を罰せ無きようお願い申し上げます。全ての責任は小官にあります。部下たちに落ち度はございませぬ!」
血を吐くような叫びに、ファルディナ駐留部隊の人々が悲痛な顔をした。口々に彼を庇うように声を上げるファルディナ駐留部隊員をエドワードは手で制する。
再び静まりかえった中で、グローヴァーは苦痛に満ちた声で告げた。
「我々、ファルディナ駐留部隊、第四、第五隊は……エドワード王太子殿下のお越しを、心よりお待ち申し上げていたのです」
エドワードは目を見開いた。
「私を?」
「はい。この我らの暗闇に光を当ててくださる一条の希望として……」
地に這いつくばるようにしてグローヴァーは呻いた。その拳が地面を掴み、握りしめられる。
「顔を上げよ」
「はっ!」
まっすぐに顔を上げ、エドワードの顔を見つめるグローヴァーをじっと見つめ返す。人の悪意や思惑を見抜くことを得意とするエドワードの目には、相手に二心があるようには見えない。
だが待っていたと言いつつも、攻撃を仕掛けてきたことは事実だ。
「では何故攻撃を仕掛けてきた?」
責める口調をやめて穏やかに問いかけると、グローヴァーの先ほどからのかすかな震えが少しずつ収まっていく。しばらくしてから落ち着いたのか、ファルディナ駐留部隊副長は、エドワードの顔を見上げて、淡々と話し出した。
「我々は常に第一隊から三隊に監視されております。ここファルディナでは自治領主に逆らうものは皆、死を賜られるのです」
エドワードは静かに頷く。そのことはギルバートからの報告書で知っている。
ファルディナでは現在自治領主スティーヴンス侯爵による恐怖政治が行われており、自治領主もしくはそれに類する貴族たちを悪く言っただけで厳罰に処される。しかもその罪は年齢性別を問わず、すべての領民に適用される。人々は生きるために、密告することを余儀なくされているのだ。
そしてそれを取り締まり、人々を厳罰に処し、時に処刑をするのがファルディナ駐留部隊なのだと聞いた。
だがここにいるグローヴァーから、そんな残忍な感情は伝わってこない。
「そのことは知っている。だがそれを取り締まっているのは、貴官ら駐留部隊ではないのか?」
淡々と尋ねる言葉に、グローバーは地に着いていた拳を握りしめる。固い地面にグローヴァーの爪痕が描かれる。
「……そうです。我々駐留部隊です」
「ならば何故貴官らが監視を恐れる? 取り締まるものが取り締まるものを恐れるなど、妙な話ではないか」
じっと動かないグローヴァーを見つめていると、グローヴァーはやがて決意したかのように顔を上げ、言葉を絞り出した。
「小官の至らなさが原因です。あの時、軍人として抵抗したなら、我らの誇りのため戦えたなら、違った結果が出ていたかもしれません」
苦渋に満ちた言葉を吐き出したグローヴァーを、ただじっと見つめる。グローヴァーは黙っているエドワードの前で逡巡していたが、やがて意を決したのか話し始めた。
「第一隊はファルディナ貴族の子息が集められており、正式に王国軍より定められた部隊ではないのです。ですがここでは彼ら第一隊がすべてを取り仕切っております。隊長ももちろん第一隊におります」
「存在するはずのない第一隊に、何故隊長が所属している?」
穏やかに尋ねると、グローヴァーは唇を噛む。その悔しげな様子に、エドワードは何が起こっているのかを理解した。同じくジェラルドも理解したようだった。あまりの事態に、エドワードは零れるため息を言葉に紛れ込ませながら尋ねた。
「もしや今隊長を名乗る者は、本来の資格を持たぬ者ではないのか?」
「それは……」
「ファルディナ駐留部隊の本来の隊長は貴官か、グローヴァー?」
静かな問いかけに、グローヴァーはがっくりと肩を落とした。
「……軍から拝命した自らの階級や立場すら守れず、お恥ずかしい限りです。どうか軍紀に従って罰してください」
うなだれたグローヴァーを前に、ジェラルドは膝を折り、グローバーの肩を叩いた。顔を上げたグローヴァーは、笑いかけた元総司令官ジェラルドに心底ほっとしたように、この街で数年来起きている悲惨な状況をぽつりぽつりと話し出す。
本来、ファルディナ駐留部隊には、第一から第三隊が存在し、全部で三百人ほどの部隊だという。だが数年前、軍からの命が正確に届かなくなり始めた頃、自治領主スティーヴンス侯爵によって、第二の私兵部隊に仕立て上げるべく駐留部隊に働きかけがあった。
隊長であるグローヴァーは、多数の人々からの暴力によって領主の意向だけで階級を取り上げられて、副長とされた。そして新たに設けた貴族の子息で構成された第一隊、貴族に従い乱暴の限りを尽くす無法者で構成された第二、第三隊が組織された。
結果として、王国を守るべく組織された駐留部隊は、無法な集団と化してしまう。その第一隊におり、駐留部隊の隊長を僭称しているのは自治領主の息子であるというのだ。
そして貴族の意向に従わぬ、もともとの駐留部隊員は第四隊、第五隊に否応なく振り分けられ、閑職に回されることになった。その際にファルディナの一般民衆と同じように、領主への苦情をいえば厳罰に処される厳格な決まりを作られて、監視されているのだという。
小さくため息をつくと、エドワードはグローヴァーの名を呼んだ。
「グローヴァー」
「はっ!」
「第一隊はどこにいる?」
「自治領主と共に、ブルガンに向かいました。我々を監視していた者も、この状況を見て早馬で知らせに行ったものと思われます」
「なるほど。では二隊、三隊はどうだ?」
「二隊、三隊は現在、ファルディナ南のシアーズ街道を守っています。お話しした通り、彼らは、元は酒場などで貴族が金で買ってきた乱暴者です。彼らはファルディナの民を守りません。我々はファルディナ駐留部隊だというのに……!」
悔しげに唇を噛むグローヴァーに、嘘はないのがよく分かった。自分の人を見抜く目は何より自分が信じられる。
「事情は分かった。いかがなさいますか、殿下」
ジェラルドに問いかけられる前に、すでに心は決まっている。エドワードはまっすぐに目の前で跪くグローヴァーを見つめた。
「これより我が革命軍は、エドワード・バルディアの名においてこの街を開放する。グローヴァー」
「はっ!」
「私の名において、貴官を新たにファルディナ駐留部隊長に任じる。私の期待に応えられるよう、ファルディナの治安を守れ」
「……よ、よろしいのでしょうか?」
戸惑うグローヴァーの目を見て微笑み返す。
「貴官はこの街を守りたいのだろう? 私の命が不服か?」
冗談めかして尋ねると、グローヴァーは平伏した。
「謹んで拝命いたします!」
「我々は今から二手に分かれる。半数は第二、第三隊を打ち破り南下、もう半数は北上する。貴官らも思うところがあるのではないか?」
尋ねるとグローヴァーは顔を上げた。
「我々が共に戦ってもよろしいのでしょうか?」
「ファルディナの治安を守るためならば、貴官に禁じることはない。貴官がファルディナ駐留部隊長だ」
その言葉にしばらく考え込んでいたグローヴァーは、やがて決意を持って顔を上げた。
「我らは、駐留部隊を騙った偽の部隊をこの手で倒さねばなりません。是非北上する部隊に加えていただきたい」
真摯なまなざしに、エドワードは頷く。
「では直ちに怪我人の手当をし、重傷者は病院に運び込め。少しでも多くの者の命を救うがいい。その後すぐに北上する部隊と合流せよ」
「はっ! ありがとうございます!」
深々と平伏したグローヴァーは、やがて先ほどの苦渋に満ちた表情から一変、まっすぐに部下たちを見つめた。彼の部下たちも、先ほどの覇気のなさとほど遠い、明るい笑顔をしていた。
彼らを横目で見ながらも、エドワードは隣に立つ騎士団長エリクソンに命じる。
「エリクソン、駐留部隊を預ける。第三隊から第五隊と共に領主を討て」
「はっ!」
「オドネル。第六隊から第九隊で南下部隊を構成し直し、直ちに南へ向かえ」
「はっ!」
騎士団を集合させるべく駆けだしていったオドネルとは反対に、騎士団長エリクソンは前に出て、グローヴァーに手を差し出した。
「共に戦いましょう部隊長」
俯いたグローヴァーは、震える手でエリクソンの手を取った。
「ありがとうございます……」
「構いませぬ。王国のため殿下と共に戦うものは、我らの同志です」
言葉のでないグローヴァーを促すように、エリクソンがその肩を叩き、怪我を負った駐留部隊を指し示す。彼らは皆信頼に満ちた瞳で、再び部隊長となったグローヴァーを見つめていた。
万感の思いで瞳を閉じ、再び開いたとき、グローヴァーの中の迷いが消えていた。
「直ちに怪我人を運べ。応急処置急げ! 無事な者は怪我人に手を貸すんだ!」
グローヴァーの言葉で、駐留部隊は再び生き生きと動き出す。エリクソンも持ち場に戻り、部下たちの手当を始めた。
ファルディナ駐留部隊に目を向けていたエドワードは、自分への注目が薄れたのに気がつき、小さくため息をついた。そのため息の重さは誰にも分からないだろう。
空を見上げると、五月のさわやかな風が、高い雲を静かにゆっくりと流している。
去年の今頃は……何をしていただろう。
ふとそんなことを思った。
そういえばリッツとシャスタと一緒に、豆をまいていた。リッツがなんだか色々と悩んでいるのが分かって、相談してくれないのだろうかと、それを伺いながら少し不満に思ったりしたものだった。
その直後に母が死に、シアーズへ赴くこととなったのだった。
そして今はここに、王太子として立っている。自分が望んだとはいえ、重たい責任を背負い潰されそうな重圧を肩に受けながら。
「……疲れる立場だ」
小さなつぶやきは、賑やかな音に紛れて誰の耳にも聞こえなかった。




