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燎原の覇者  作者: さかもと希夢
一対の英雄
58/179

<18>

 国王崩御の報は、すぐにグレインにももたらされた。春が始まろうという気配を、あちこちに感じられる三月中旬のことだった。

 いつものようにギルバートと傭兵部隊に稽古を付けて貰っていたリッツも、ジェラルドに呼ばれてモーガン邸の中にある会議室へとやってきた。未だ何事が起こったのかも知らされて居らず、居並ぶ人々を見渡すしかない。

 会議室で楕円形の円卓を囲むのは、パトリシア、エドワード、リッツ、シャスタ、カークランド、マディラ、ギルバート、ソフィア、コネル、チャック、そしてグレイン騎士団長エリクソン、エドワードやジェラルドの護衛のための特別部隊を組織しているマルヴィルの合計十四人だった。

 使用人たちに交じって、シャスタがお茶を配っている。まだ何も知らされていないが、リッツの直感は何かがあるのだと告げている。ほかの面々も何らかの事態が起きた事に気がついているのか、緊張した面持ちで、周りの人々と話をしている。

 ここにいる全員がその緊張感を分け合っているに違いない。ざわめきの中でリッツは小さく息をついた。これほどの緊張感は初めてだ。

「エド」

 隣のエドワードに声を掛けると、エドワードも緊張した表情のままリッツを見返してきた。

「何だ?」

「何が起こったのかな」

 小声で尋ねるとエドワードは小さく首を振る。

「さあな。だがこの面々が集められたんだ。いつものように活動報告というわけではないんだろう」

「……だよな」

 リッツは未だ空いたままのエドワードの隣の席を見る。そこにはジェラルドと、アルバートの席があった。空いた二席の向こうにパトリシアが座っている。

 その姿はいつものごとく騎士団の制服だ。となりのギルバートとソフィアを歓談しているその姿に、リッツは思わず見とれた。出会った時に比べるとその亜麻色の髪はだいぶ髪が伸びてきている。まだエドワードと同じぐらいの短さではあるが、この長さならもう彼女はどう見ても女性にしか見えない、

 つい数週間前にリッツは、彼女が好きなんじゃないのかと問われたことを思い出して、パトリシアを凝視してしまった。

 いまだ自分の感情が、どうなっているのかよく分かっていない。それにパトリシアはダグラス隊との稽古に関わることがないからあの時のまま、一度も面と向かって顔を合わせていないのである。

 リッツの視線を感じたのか、パトリシアがふとこちらを向いた。慌てて思い切り視線を逸らす。自然に振る舞おうとしているのに、こんな事をしたら思い切り不自然だ。

 でもやってしまったことを取り消すことは出来ない。恐る恐るまたパトリシアを伺うと、思い切り目があった。また逸らそうとした瞬間、パトリシアの方からすっと目線を逸らした。

 その仕草が妙にわざとらしくて、リッツは首をかしげる。

「何をしてるんだ、お前は。子供の恋愛ごっこか?」

 小声でエドワードに言われて、リッツは焦った。

「ち、違うっ!」

「シアーズでさんざん高級娼婦を相手にしてきたんだろう? それなのに何の恋愛手段も身につかなかったのか?」

「……だって……」

 娼婦はあくまでも寂しい時のぬくもりを与えてくれる人であり、割り切った体の付き合いだった。心の繋がりを求めるようなことは一度もなかったのだ。

「困った奴だ」

 エドワードが苦笑した時、正面にある扉が開かれた。扉の向こうには、ジェラルドとアルバートの姿がある。

「随分ごゆっくりな登場じゃねえか」

 ギルバートの声に、ジェラルドは微かに口元を綻ばせた。

「すまなかったな。少々情報の確認に手間取った」

 言いながらもジェラルドは自分の席に座り、一同を見渡した。

「早速で済まないが、各隊の現在状況を知らせて欲しい。ギル」

「ダグラス隊と、そこの馬鹿ガキは、いつも通りいつでも戦える状況だ。連携を取っているマルヴィルの護衛部隊も同じように動ける。これをまとめて遊撃隊とし、一隊するってことだったが、もう統合はほぼ完成していると言っていい」

 ダグラス隊は現在、元騎士団第三隊と共に一隊を築いている。合計五十人のこの部隊は、エドワードの護衛部隊として機能する予定だ。ここの指揮権は、現在ギルバートが持っている。おそらく護衛部隊とは名ばかりで、危険な任務を受け持つことになるだろう事ぐらい、ここにいる全員が知っている。

 リッツも本来はこの中に入るのだろうけれど、まだ何も言われていない。リッツはまだ自分の部隊が何処か知らされていないのだ。

「コネル、そちらはどうだ?」

「王国軍千六百は、いつも通りの訓練を続けています。元々ほとんどが平民の軍ですからね、士気は高いままですよ。ただ家がシアーズという者がかなりの数いるものですから、休暇でも家に戻れないのが困ったところだそうで」

 笑みを浮かべてコネルがいう。

「でもまあ、みな貴族の支配にうんざりしている連中です。何かが変わるなら共にと、張り切っておりますな」

 ジェラルドはコネルに、静かに頷き返す。

「そうか。シアーズに帰すわけにはいかないが、休暇はみな取らせてやってくれ」

「了解。適当に交代制を作って休暇を頂きます」

「カークランド、そちらはどうか?」

「私は相変わらず、オフェリルの民の帰郷と、今後貴族の力亡き後の政治的な信頼回復で手一杯だ。マディラ」

「はい。アデルフィー護衛団は、その後益々人数を増やしております。現在は義勇兵も共に取り込み、オフェリル軍として再結成し、約二千の軍勢となっております。みな軍人としての経験がほとんど無いので、サウスフォード様にご協力頂き、軍事訓練を積んでおります」

「それは頼もしい」

 アデルフィー護衛団と、義勇兵の集まりは、みな自らの故郷を守りたいという意志を持って参加した人々で結成されていると聞く。その人数は、益々増えていくのだろう。

「エリクソン」

「はっ。グレイン騎士団は現在第十隊まで組織されております。一から九隊までは総て約百人の騎兵、第十隊は二十人の医療班となります。合計して約千名であります。他にも従軍希望者が多数おりましたので、こちらは総て歩兵部隊として訓練を積んでおります」

「歩兵部隊は何人集まった?」

「はい。こちらは二千人ほどです」

「なるほど……」

 ジェラルドは深々と頷く。何かを考えているようだが、リッツには何を考えているか全く分からない。だからただじっと報告に耳を傾けているだけだ。

 それにしてもすごい人数になったものだ。

 遊撃隊、五十名

 サウスフォード隊、千六百名

 オフェリル軍、二千名

 グレイン騎士団、千名

 グレイン歩兵部隊 二千名

 合計で六千六百五十。

 この間のオフェリル高原の戦いから考えると、六倍以上になっている。

 きっとみんな戦いに敗れると、自分たちがどうなるのか知っているのだ。これまで以上に自由を奪われ、貴族たちに命を踏みにじられることを、人々は誰もよしとしていない。

 なるほど、こうして革命の心って言うのは広がっていくようだ。実際に何も知らなかったリッツは、目の前でどんどん大きくなっていく人々の希望を前に何が出来るのか、自分に問いかけることしかできない。

「報告感謝する。これで我々が置かれた現状が、はっきり分かった。戦いからまだほんの二ヶ月ほどだというのに、みんなよくやってくれている。ありがとう」

 笑みを浮かべてジェラルドは一同を見渡した。

「報告を聞くためだけに集めたのか、ジェリー?」

 冷静にギルバートが口を挟むと、ジェラルドは口を閉じた。

 会議室は痛いほどの静寂に包まれる。何かが起こったのだと、全員が全員実感した。黙ったまま全員の視線がジェラルドに注がれる中、やがてジェラルドが口を開いた。

「落ち着いて聞いてくれ……ハロルド陛下が崩御された」

 場が水を打ったように静まりかえる。リッツは息を呑んだ。確かハロルド陛下とは、あの肖像画の人物だ。

 つまり国王であり、エドワードの父親のことだ。憎んでいるかも知れないけれど、これでエドワードの本当の両親は、二人とも死んだことになる。

「ついにか。ずいぶん持ったじゃないか。ルイーズが殺されたから、すぐにでも殺されると思ったが」

 小さく首を振って、ギルバートは息をつく。

「やはり国王に直接手を下すことは出来なかったって事だな」

「そういうことになる。毒を盛られていたとしても、少量ずつ、本当に気をつけて飲ませていたのだろう。お陰で何の不審な死に方もしていないそうだ」

「死因も公表されているのか?」

 ギルバートの質問に、ジェラルドは小さく首を振る。

「いや。長く煩っていた病により、逝去とだけしか、王宮にいるものにも知らされてはいないらしい。だが……」

 ため息混じりに言葉を切ったジェラルドは、小さく息をついて言葉を続ける。

「長く陛下を診ていた、御典医と助手は、殺されたようだ」

「口封じか?」

「おそらくはな」

 沈痛な口調でそういったジェラルドに、ギルバートがわざとらしく大きなため息をついた。

「真っ黒じゃねえか」

「ああ」

「毒殺か?」

「おそらくな」

 短くそういったジェラルドは、小さく首を振る。

「陛下とは色々あったが、こうなると哀れだという思いしかないな。自らの行状は総て自らに帰ってくるということか……」

 呟いたジェラルドに、コネルが頷く。

「我々も気をつけましょう。今はまだ特権を持った貴族なのですから」

「そうだな」

 国王のことを知らないリッツは、国王の死に何の感慨も浮かばない。国王はエドワードの母を連れ去り、エドワードに人格の変貌という恐怖を植え付けただけの人物だ。そんな人物が死のうと、どうといったことはない。

 だがちゃんと分かっていることもある。国王が死んだなら、エドワードはその王位を奪いに王都へ行かねばならないのだ。

 エドワードを見ていると、硬い表情で唇を噛みしめていることに気がついた。エドワードの中で色々な思いが渦巻いているのだろうと思うと、どう声を掛けていいのか分からない。

 誰も口を開けない中で、ギルバートが長い吐息を漏らして口を開いた。

「ではいよいよ始まるわけか」

「ああ。いよいよ始まる」

 ジェラルドはテーブルに置いた指を、静かに組んだ。それから重々しく口を開く。

「おそらくこれから一月の間、国家の総てが喪に服すことになる。これよりグレインもそれに倣い、一月の喪に服すこととする。半旗を掲げてハロルド国王陛下への弔いを行う。オフェリルはどうするね?」

 聞かれたカークランドが肩をすくめた。

「私たちも陛下のために喪に服すこととするさ。死者は死者であり、いくら含むところがあったとしても、死してしまえばそれで終わりだからな」

 そういうとカークランドはエドワードを見た。その視線はそのままジェラルドへと横滑りする。

「その方が、我々にとても都合がいいだろう?」

「ああ。そうだな」

 苦笑をしたジェラルドが、全員を見渡す。

「国葬は四月十二日、十八日に新王の即位式となるようだ。政務部ではその日程で準備を進めているらしい」

 ジェラルドはいったん言葉を切って目を閉じる。重苦しい空気が立ちこめる中、ジェラルドは静かに目を開けて、覚悟を決めたように言葉を発した。

「時が満ちた。もう我々に後戻りは出来ない」

 ジェラルドの言葉は、それほど大きい者ではなかった。だが誰もが打たれたように動くことも言葉を発することも出来ない。

「新国王の即位式と同日同時刻に、グレインではエドワードの王太子宣言を行う。ついてはここ一月でその準備を行う事とする」

 リッツは息を呑んだ。ついにその時が来てしまうのだ。

「表面上は国王の喪に服す事を忘れるな。我々は決して反乱軍ではない。ハロルド国王の意志を受け継ぎ、陛下を誅殺したイーディスとその息子たちを討ち、王位を取り戻すのだ、という大前提を忘れてはならない」

 そう言うとジェラルドは言葉を切り一同を見回した。ジェラルドの瞳にも緊張感がある。リッツは唾を飲み込む。

 これから始まるのは、王位を巡る戦いだ。その戦いはどれだけ時間がかかるのか、それは誰にも分からない。

 ただ分かることは、エドワードがイーディスと新王を倒すか、エドワードが彼女たちに倒されるまで、戦いが続くのだという、それただ一つだ。

 リッツは自分の手を見た。剣を握り続けていたから、手に沢山のタコができている。この固くなったタコこそが、エドワードを守るべく努力してきた証だ。

 大丈夫だ。絶対にエドワードを守り、この国に平和をもたらせてやるんだ。エドワードとローレンの望むままに。

「新王スチュワートが即位したら、当然このグレインに攻め入ってくるだろう。だがこちらも今後は黙って見ていることはしない。待つ時期は終わりだ。今後は軍を率いて王都を目指す。街を攻略して進む度に、貴族への不平不満をため込んだ民衆を取り込み、最終的には人民でシアーズを取り囲む。それが最終目的だ」

 ジェラルドが言葉を切った。リッツはその視線の先にエドワードがいることに気がついた。エドワードを見ると、エドワードは黙ったまま組んだ自分の手を見つめている。

 覚悟は出来ているのだろう。でもその覚悟がどれだけ重いのか、どれだけの重圧なのか、それがリッツには何となく分かった。

 リッツ自身も自分が英雄に仕立て上げられる中で、その覚悟をギルバートに問われた。その覚悟ですら、とてつもなく重たかった。

 でもエドワードの覚悟は、自分一人の物ではない。その宣言をしたら最後、エドワードの肩にはユリスラの民の命がのしかかってくるのである。

 じっと見つめていると、エドワードの組んだ拳が微かに震えていることに気がついた。リッツはそっと手を伸ばすと、エドワードの手に自分の手を重ねた。

「リッツ……」

 するとリッツとエドワードの手の両方を、両手でしっかりと暖めてくれる人物がいた。

 顔を上げると、それはパトリシアだった。

「パティ?」

 パトリシアはいつもの自信に満ちた笑顔でリッツとエドワードを見る。

「エディ、リッツ。私はあなたたちの力になるわ」

 その言葉に戸惑う。エドワードも同様らしく、パトリシアを見つめている。

「私も男だったらよかったわ。そうしたらリッツみたいにエディのために何かをしてあげられる。女だからこの体を役立てたくても、それには及ばない」

 そういうとパトリシアは晴れ晴れと笑った。

「私は前に、あなたたち二人を守れるように努力するって約束したわね? それが今よ。エディ、その重圧を少し引き受けてあげる。自治領主の娘として、あなたのために忠誠を誓うわ。私の望むユリスラの王は、あなただけよ、エディ」

「パティ……」

 エドワードが、複雑な顔でパトリシアの名を呼んだ。エドワードとリッツの拳から手を離したパトリシアは、穏やかに微笑む。

「何かしら?」

「君が重圧を背負う必要は無いんだ。君は普通に幸せになって欲しい」

 エドワードはパトリシアを妹のように大切に思っているのだ。リッツはそれを知っている。だがパトリシアは笑顔で首を振る。

「あら私の幸せが何かなんて、エディが決めることじゃないわ」

「パティ」

「私、家事は苦手よ。刺繍も出来ないわ。編み物なんて絶対無理ね。でも馬を駆ることも、精霊魔法を使うことも出来る。共に戦う事が出来る。そんな自分に十分満足だわ」

 パトリシアは全く引く気が無いようだった。ジェラルドも何も言わない。もしかすると、ジェラルドはこうなることを知っていたのかも知れない。パトリシアは決して自治領区で、戦いの終わりを待つような女ではなかったのだ。

「それからリッツ。あなたも英雄になったのよね。だから私は二人を出来る限り守るの。それがこの国が平和になる事だと思うから」

 そういうと、パトリシアは軍服の間からネックレスを引っ張り出した。それは前にリッツがパトリシアに買った、あのネックレスだった。

「覚えてる? このスカイブルーの宝石がエディ、そしてブラウンの宝石がリッツ。前に言ったでしょう?」

 少し恥ずかしそうに微笑むと、パトリシアはそれを弄びながら話始めた。

「正直に言うとね、私は口惜しかったわ。エディとずっと一緒にいたのは私だったのに、エディと共に未来を作れるのはリッツだったって。それは前に話したわよね?」

「うん……」

 正直に頷くと、パトリシアは笑った。

「そしてやっぱりエディのためにシアーズで体を張り、英雄になったのはリッツだった。だからごめんなさい、リッツが帰ってきた時、ちょっと焼きもちで冷たくしたわ」

「あ……」

 そういえばパトリシアはグレインでの祝賀パーティの時、リッツに妙に冷たかった。それを思い出してパトリシアを見つめると、パトリシアは軽くそっぽを向いた。

「だけどね、私、この間ちゃんと納得したのよ。何故私じゃなくてリッツなのかって。リッツの中に、エディは未来を見ているのね。貴族の社会に縛られない新しい社会を。だから貴族の慣習に縛られる私ではなく、リッツなんだわ」

 意味が分からずにパトリシアを見つめていると、パトリシアは微かに俯いて、視線をジェラルドに向ける。

「家族をよそにやることで保たれる平和なんて間違っているっていうリッツの言葉を聞いた時、悟ったのよ。私の考えはやはり貴族なのだって。お父様もそう思ったのではなくて?」

 パトリシアに答えるように、ジェラルドは苦笑した。

「盗み聞きはレディのする事じゃない」

「あら。私に関係あることですもの、自室に戻ろうと思っても耳に入ってしまいますわ」

「……仕方のない子だ」

 ため息混じりのジェラルドだったが、先ほどから黙ったままいるエドワードに目を向けた。エドワードは相変わらず身動き一つしていない。その姿にリッツは不安を感じてしまう。

 エドワードは例え嫌だとしても、自らが背負った運命を嫌だとは言えない。だからきっと、自らの望む未来のために先頭を切って茨の道を歩むのだろう。

 でもエドワードはまだ二十六才だ。その重圧に苦しむなと言う方が無理だろう。

「エド、大丈夫か?」

 顔を覗き込みながら声を掛けると、エドワードは顔を上げた。

「大丈夫だ。少し突然すぎて驚いただけだ」

「だけど……」

「母が死んでから、覚悟を決めていた。いつかこの日が来ることを知っていた。でも実際にそうなると、こんなにも未来が重いとは思わなかったな」

 いいながらエドワードはゆっくりと立ち上がり、この場に集まっている人々をゆっくりと見渡す。今はシャスタも総ての事情を知っている。だからこの場にいるのはみな、エドワードの本当の名を知る人々ばかりだ。

「ジェラルド」

「何だ?」

「一月と一週間後、王太子宣言の日に向けての準備をお願いしたい。俺は立派な王太子として人々の前に立つために、努力をする。もう後戻りできないし、する気もない」

「エド……」

 何となく心配で声を掛けたがエドワードは動じなかった。先ほどまでの不安げな手の震えはすっかり落ち着き、いつものようにその水色の瞳には叡智の輝きが宿っている。

「俺は元々農民の子だ。だが何の因果か王の血を引いてしまった。だがこの運命を恨む気はない。自らの手でこの愛する国を救える運命に感謝したい」

 リッツが惹かれて止まない、生命と信念の輝きだ。

「俺はまだ力不足だ。ジェラルドの助けを借り、ギル、フレイ、コネル、みんなの力を借りねば、王位への道を歩むことが出来ない。だが俺は絶対に諦めない。ユリスラの人々のために全力を尽くす。だからここにいるみなに頼む。共にユリスラの未来を救って欲しい」

 エドワードはゆっくりと全員を見渡した。全員の目がエドワードを見つめているその視線には、確かな信頼があった。

「私に力を貸してくれ」

 堂々とそういったエドワードに、全員が自然に立ち上がって、頭を垂れた。リッツは全身を鳥肌が立つのを感じていた。エドワードの決意に、体が震えるようだった。

 そこには王者の風格が確かにあった。何者をも従えてしまうような、その特殊な感覚があった。

 その中でリッツだけが、エドワードを見つめていた。いつかリッツはエドワードの前に跪かねばならなくなるだろう。そうなればエドワードの前に膝をつけるのだろうかと、リッツは不安だった。

 そしてやはり、こうして恭しく頭を下げることなど出来ないと気がつく。

 エドワードは尊敬出来る人で、リッツの唯一無二の命以上に大切な人ではあるが、リッツに取ってはやはり友であり、親友である。だからエドワードの前にひれ伏すのは違う気がするし、エドワードもそれを望まないことを何となく感じている。

 どうするか自分の態度を決めかねているリッツに、笑みを浮かべてエドワードが話しかけてきた。

「俺が王太子宣言をするのだから、お前もきちんと人前に立つ覚悟を決めろよ、リッツ」

 不意に言われてリッツは焦った。

「え? 何でさ?」

「精霊族の戦士、リッツ・アルスターは、誠の王として俺を選んでくれるんだろう?」

 真っ直ぐに見つめられたリッツは、その瞳をじっと見つめ返した。その瞳には、エドワードが自分の出自を打ち明けた時と同じような迷う色がある。エドワードはきっとまた迷っているのだ。リッツを戦いの中に連れてきたことを。

 だが気持ちも覚悟ももう決まっている。リッツ自身はもう決して、エドワードの王道を共に歩むことに迷うことはない。

 リッツはエドワード・バルディアを、誠の王にする。ユリスラの未来のため、そして何よりもエドワードの決意のために。

「俺が選んだ誠の王は、エドワード・バルディアただ一人だ。俺はエドを王にする」

 宣言すると、エドワードが拳を突き出した。リッツはそれを拳で打ち返す。

「俺たちは一対の英雄だそうだ。お互い足りないところはあるが、共にあればきっと道は開ける」

「うん」

 頷いて、横に立つパトリシアを見つめた。パトリシアの瞳が、心なしか寂しそうに見えて、リッツはパトリシアにも拳を突き出した。

「パティ!」

「何よ?」

「いいから!」

 拳を掲げたままのリッツに、パトリシアは少し恥ずかしげに拳をぶつける。

「パティは、俺たちを助けてくれる大切な仲間だ」

「……大げさね。でも、ありがとう」

 微かに頬を染めて、パトリシアはリッツとエドワードを見た。エドワードは柔らかく微笑みながら頷き、リッツは笑いながら鼻をこする。そんな三人に目を細めていたジェラルドが口を開いた。

「即位式後、こちらを攻めに来るのは、リチャード親王率いる大部隊だ。これから一月の間、喪に服しつつも、人員の鍛錬と、人員収集は続けるように」

 言いながらジェラルドは立ち上がった。

「ギル、エドワードの王太子宣言の後、部隊の総てを統合し、革命軍として組織する。その総指揮官を私が務めることとする。ギルは私の副官に、コネルとマディラとエリクソンは、私と共に軍の指揮を執って欲しい」

「了解した」

「かしこまりました」

「フレイは支配地の政治的立て直しの計画を立ててくれ。難民がすぐに土地に戻れるようにしてほしい」

「これは大仕事だな。ジェリー。喜んで」

 指示を与え終わったジェラルドは、再び一同を見回した。

「今度出てくるのは、ユリスラ軍の本隊だ。今までのように密約があったわけではなく、体のなまった貴族でもない。訓練した職業軍人だ。それを忘れずに当たってくれ」

「了解した。で、エドワードはどうするんだ?」

 不意にギルバートに振られたが、エドワードは穏やかに微笑む。

「王太子のスピーチを考えておくさ。威厳を保つように努力しつつね」

「そりゃあ立派な心構えだ。リッツ、お前も尊敬しろよ」

「へへんだ。俺の演技力はシアーズで全部使い切りました。もう使わないよーっと」

「馬鹿が。これからエドワードと一緒にいる限り、お前は英雄扱いだ。お前は人からよく見えるように、エドワードの後ろに常に付き従っとけ」

「げ……」

「エドワードだけが英雄じゃないんだ。てめえも英雄だと忘れるな。馬鹿ガキ一人じゃ何にも出来ねえが、お前らは一対で英雄なんだからな」

「……どうせ馬鹿ガキですよぉ~」

 思わず呻くと、緊張感が漂っていた部屋の中から、微かな笑い声が漏れた。

 会議が和やかな雰囲気に包まれた時、エドワードが言葉を発した。

「悪いけどジェラルド、俺に一週間ほど休みをくれないか?」

 唐突な言葉だったが、ジェラルドは何かを察したのか、笑みを浮かべて頷く。

「それぐらいは構わないだろう。お前一人で休暇を取るのか?」

「リッツを連れて行く」

 エドワードはそういうと、リッツを見た。当然エドワードが何処かに行くなら、付いて行く方が楽しい。リッツはエドワードに頷く。

「うん。一緒に行く」

「差し支えなければ、行く場所を聞いてもいいか?」

 穏やかにジェラルドが尋ねた。聞かれたエドワードは静かに、でも寂しげに微笑んだ。

「家に帰るんだ。俺の家に。春だから」

 エドワードの言葉に、リッツの胸は詰まった。

 春……それはティルスの、若葉が芽吹く、一番綺麗な季節だった。 

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