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燎原の覇者  作者: さかもと希夢
一対の英雄
48/179

<8>

 十二月も終わる三十日の夕刻、エドワードはファルディナとオフェリルの境界上にある高原にいた。

 数キロ後方には小さな村と、グレイン・オフェリル連合の大小様々な天幕がある。現在、連合軍はこの場所に陣を張り、討伐隊との戦いに備えているのである。

 吹き付ける風に、騎士団の制服の上にまとった防寒具の襟を留める。高原の空気は冬ともなると凍り付いたように冷たい。今も馬上にいるエドワードの頬を、身を切るように冷たい風が撫でてゆく。

 空はかき曇り、今にも雪が降り出しそうだ。グレインの最北部、湖水地方はとうに雪に閉ざされている。だがファルディナに近いここでは雪が降ることはあっても、深く降り積もることはない。

「エド」

 隣にいたジェラルドに呼ばれて振り返る。

「これをお前に。先ほど私宛にギルバートから書状が届いた」

「ありがとうジェラルド」

 差し出された書状を取り出すと、それを開く。

 書状に目を通し、エドワードは口元を綻ばせた。作戦の日程、現在の進行状況や、問題点、こちらで行うべき事などが書かれている書状のはずなのに、ギルバートはいつもそれを書く前にリッツの事を書いてよこす。

 それはいつも短い文章でしかない。それでもシアーズの状況が知れて、エドワードには楽しい。

『リッツは、もうダグラス隊の幹部ぐらいしか相手になる奴がいない。この間は十人ものダグラス隊の傭兵を剣も使わず伸しちまった。幹部連中はみな、泣き言を言わなくなったリッツに可愛げがないと文句を言う有様だ。

 おそらくジェリーやエドワードでは、こいつに全く刃が立たないだろう。基本的な体力やバランスがずば抜けていいだけでなく、戦闘のセンスがある。おそらく喧嘩をしまくっていたというのは嘘ではないな。俺は残念ながらあいつにまだ一度も負けてはいない。俺に比べりゃまだまだあいつもひよっこだ。

 でもおそらくリッツは、エドワードに負けるのだろう。犬は所詮犬。飼い主相手では実力を発揮できんということだ。エドワードも飼い犬に手を噛まれることだけは、絶対になさそうだな。

 だが実力もさることながら、リッツの女遊びはひどすぎる。もし金を使って遊んでいたなら、とっくに破産しているだろう。あの若さで高級娼婦を毎晩代わる代わるなんぞ、聞いたことがない。俺ぐらいの男なら分からんでもないがな。まあジェリーならば、俺にリッツを非難する資格はないとでも言うのだろう。

 そのくせ飼い主であるエドワードの話になると、目を輝かせてグレインに帰りたい、自分がいるのはエドワードの隣だなんぞと言い出す始末だ。困ったものさ。

 エドワード、お前さんはマリーの館の高級娼婦全員よりも別格でリッツに愛されているようだ。飼い主として気持ちを決めておけよ』

「……相変わらずだな」

 つい笑みがこぼれる。呟きながらエドワードは書状を捲る。お遊び半分の手紙は一枚だけで、それ以降には、現在までの作戦の進行状況と、現在の敵軍の状況が事細かに記されている。

 敵軍の中にギルバートの傭兵が交じっているらしく、人数、現状、そして実行中の作戦までが記されたそれは、戦わずして待つという戦法でいるグレイン・オフェリル連合からすればありがたい。

 ジェラルド宛に送られてくる書状は、いつの間にかジェラルドとエドワード、二人に向けたものになっている。徐々にジェラルドがエドワードにその権力を移行しようとしているのが分かっているから、少々この荷が重い。

 だがエドワードは、子供の頃からそれを受け入れるための心の準備をしてきた。今更それが重いなどとは、ジェラルドの手前口を裂けても言えない。

 来るべき時が来たら、その荷を総て背負い、自らの意志で受け入れて立つ。それはずっと心に決めてきたことだ。誰に強制されたわけでもない。自分で決めた道なのだから、弱音は吐けない。

 でもエドワードはリッツに対して、つい愚痴をこぼしてしまう。リッツはいつも何も考えずに笑顔でエドワードにくっついてくるのだが、エドワードに気がかりがある時には、敏感にそれを察する。

 どうやらリッツ自身が色々と心を隠すことを心得ているから、エドワードの心の動きを見透かすことが出来るようだ。

 真剣な顔をして、他人との距離感が上手く計れていないリッツに率直に尋ねられ、じっと見つめられて心配されると、つい愚痴をこぼしてしまう。そのことでかなり気が楽になっているのは事実だ。

 リッツに言わせれば、エドワードの方がリッツが何を考えているのか丸わかりだというのだが、そんなことはないとエドワードは考えている。

 やはり死んだローレンが言っていた通り、リッツには王国の未来がある。一人でいればエドワードは自滅する。考えたくはないが、現国王のように自らの欲望のために、権力を振りかざすようになるのかも知れない。

 もっと強く一人で立てる人間になりたかったが、二人の母に助けられ、ギルバートに助けられ、ジェラルドに育てられて、沢山の人々の愛情を受けてきたエドワードの道はきっと、一人で成し遂げることではない。

 手助けしてくれる仲間がいて、どんな時も隣に佇む友がいて始めて成し遂げられる道だ。

「読んだかエド」

 ジェラルドに尋ねられて頷きながら書状を返す。

「ああ。これほど戦日和の日に何もしてこない理由がよく分かったよ」

 今は空が曇っているが、先ほどまでは晴れていた。寒くても冬に陣を張ったのであれば出てくるのが普通なのだが、グレイン討伐隊と呼ばれる二千人もの部隊は、全く動かなかったのだ。

 それどころか最後尾の指揮官クレメンス伯爵は、いまだ高原の街に滞在し、館からも出てこないのである。

 足止めをしてやると、ギルバートからは聞いていたのだが、方法までは聞いていなかったからこの状況が疑問だった。でも今回の書状でよく分かった。

 ギルバートは敵陣に毒使いの傭兵を侵入させていたのだ。しかもその傭兵は女性であり、女好きなクレメンス親子に慰み者にされているふりをして、少しずつ毒を盛り、クレメンス親子を重い病気に見せかけているらしい。

 指揮官を欠く討伐部隊は動くことが出来ずに沈黙を守っている。クレメンス伯爵の下に付いた貴族たちは、みなクレメンスの顔色を窺っている男爵や子爵たちである。伯爵であるクレメンスの許可が無ければ何も出来ないのだ。 

「ありがたいことだ。兵士たちを無事なまま説得できれば、こちらの戦力がかなり増える」

 ジェラルドが小さく息をつく。ジェラルドは百戦錬磨の武人だが、指揮すべき兵がいなくてはその実力を発揮する統べもない。グレイン騎士団は、現王太子率いる王国軍と戦うにはあまりに少なすぎる。

 一般人を革命軍として募るにしても、軍人が少なければ鍛錬するのに時間がかかりすぎる。職業軍人がいる必要がどうしても必要だった。

「ファルディナの人々からすればいい迷惑だろうな」

 独り言のようにエドワードは呟いていた。二千の軍人がいるだけで、食料は飛ぶように無くなるだろう。ジェラルドも苦笑して頷いた。

「もっともだ。ファルディナの民のことを考えるとすぐに追い出してやりたいが、そうも行くまい」

「難しいな」

 呟きながらエドワードは遠眼鏡を覗いた。高原の端から薄く煙が立ちのぼっている。もうすぐ食事時だ。食事の支度をしているのだろう。兵士たちの食料が尽きてしまえば、ファルディナから物資を補給させるのだろうが、ファルディナでは今小麦が高騰しているはずだ。

 元々ファルディナは森林の中に切り開かれた街だ。広大な農地を使った小麦栽培などに適していない。その為、王国の東西南北を結ぶ交通の要所として、交易と観光に力を入れていた自治領区だ。

 街を通り抜ける馬車、荷物に通行量を乗せて、収益にしたり、市場を自由市場にして税を稼いでいるはずだ。

 だがサラディオで聞いたとおり、自由貿易がままならない状況ならば、おそらく人々は苦しい生活を強いられているのだろう。

 現にファルディナからの難民は多く、オフェリルは最近その受け入れをしている。軍備の再整備に平行して難民受け入れ事業を展開するカークランドのやつれた笑みを思い出して少しおかしくなった。温厚で穏やかなカークランドだが、疲労の濃い顔で笑うせいで何ともいえずすごみが顔に出てしまうのである。

 パトリシアとジェラルドは本気で、毛質の柔らかな彼の髪が薄くなっているのではと心配している。

「今日は動かずということでいいかな?」

 遠眼鏡から目を話してジェラルドを振り向くと、ジェラルドが穏やかに笑みを浮かべた。

「いいだろうな。明日から新祭月だ。貴族が新祭月に動くことはあるまいよ。シアーズに住む貴族にとって新祭月は好きなことをするためにある。食事も、趣味も、女も、国民もだ」

「そうか」

 エドワードは肩をすくめた。その話は、幾度かジェラルドに聞いている。貴族は新祭月の騒ぎに乗じて、倫理観もなく身勝手に楽しむのだろう。

 馬鹿げているな、とエドワードは思う。

 新祭月は光の精霊王と女神のための休日だ。その偉大な存在に感謝をするためにと定められた、長い休日のはずだ。

 それなのに貴族たちはいつの間にかこの新祭月を、自らの権力を笠にきて民衆を苦しめるようになった。支払いを無視して飲み食いし、一人歩きをする女性を集団で襲うことだってあるのだという。

 その恐怖を知りつつも、シアーズの民はみな、新祭月を浮かれ騒ぐ。馬鹿騒ぎをすることで暗い影を見ないように目を閉じてしまう。

 そして闇は益々深くなる。

 今そこに……リッツがいる。

「敵が動かないなら、ジェラルドはグレインに戻るのかい?」

「遠慮しておくさ。私も貴族だ。ずる休みをする権利を行使することにしよう」

 そう言うとジェラルドはわざとらしく肩をすくめて笑った。

 グレインの自治領主であり、貴族であるジェラルドたちは王都に住む貴族とは違って、新祭月初日には大忙しなのだ。

 領民への祝いの挨拶に始まり、各村々の代表者の挨拶、その後の晩餐会、それから舞踏会だ。今年はこの状況だから、ジェラルドの名代をパトリシアが務めている。さすがにジェラルドも戦場を娘に任せるわけにはいかなかった。

 ジェラルドが現役の指揮官だった頃、幾度か隣国のフォルヌとの小競り合いを経験している。その度にジェラルドはユリスラを勝利に導いてきたのだ。それに対してパトリシアは戦場と言えばこの間のティルス襲撃事件が初めてだからだ。

 つまりジェラルドはずる休みをするといいながら、パトリシアに自治領主の仕事を覚えさせようとしているのである。ジェラルドの中にも、確固たる覚悟があるのだ。

「お前こそ、新祭月をどう過ごすつもりだ?」

「……俺は別に。アルバートはパティの仕事をしてるし、シャスタもグレインにいるしな。貴族のように遊ぼうと思っても、相方のリッツもいない。一人で浮かれ騒いでも面白くもない」

「それはそうだな」

 静かな微笑みを浮かべて、ジェラルドが空を見上げた。エドワードも何となくそれに倣う。二人ともあえてローレンの名前を出さなかった。

 曇り空の中に、ふわりと例年の新祭月の光景が浮かんだ。

 忙しいモーガン家の人々とは違って爵位を持たないエドワードだから、現在は新祭月の騒ぎの当事者になることはない。だが形式上は騎士団員であるから護衛の任務があり、新祭月も三日まではジェラルドやパトリシアのお供で忙しい。

 アルバートも同じで忙しく、エドワードとアルバートがセロシア家に戻るのは、いつも新祭月三日の深夜だった。

 疲れて帰った二人を少し酒を飲んで上機嫌のローレンが、玄関まで出迎えてくれる。ワインで赤くなった頬のまま玄関口に出てきて、エドワードの頬に愛情をたっぷり込めて口づけしお祝いをくれる。そして最愛の夫であるアルバートと、新祭月の祝福と共に唇を重ねる。

 仲のよい夫婦の邪魔をしないように部屋に入ったエドワードを迎えてくれるのは、料理を忙しく仕上げるシャスタと、それを運んだり並べたりするリッツだ。

 嬉しそうなのはシャスタもリッツも同じだが、特にリッツはエドワードが帰ってくると嬉しそうに、何かを話し出す。

 新祭月の頃までは、リッツに秘していたことも多くて、数日、数週間と留守にする事もあったから、当時のリッツはエドワードがしばらく一緒にいるのが嬉しかったのだろう。

 エドワードよりも身長が大きいリッツなのにシャスタと同レベルの弟のようで、エドワードは二人並んだ弟たちに、いつも嬉しいが苦笑してしまう。

 特にリッツがおかしい。これだからリッツはエドワードの飼い犬だと言われてしまうのだ。

 そして仲良く玄関で新祭月のお祝いを交わし合っていた夫婦が部屋に入ってきて、セロシア家の新祭月のお祝いが始まるのである。

 今までも暖かな雰囲気があった新祭月の食卓も、他人であるリッツを家族に迎えてから更に賑やかになった。

 血のつながりがない事を知らされてから、家族に対してほんの微かな遠慮があったエドワードだったが、全くの他人なのに妙になじんだリッツのお陰でそれを忘れる事が出来た。

 それがここ二年のエドワードの新祭月だった。リッツはティルスに来てから二回の新祭月とも騎士団に所属していなかったから、ほとんどセロシア家にいたのである。

 なのに今年はシアーズにいる。しかもエドワードと対をなす英雄となるために。

 エドワードは小さくため息をついた。

 ここ最近は時の流れが速すぎる。もっとゆっくりと、普通の青年をしていたかったと思うこともあるぐらいだ。

 でも動き出した時計はもはや止まらない。

「エド」

 不意に呼ばれて、エドワードは我に返った。ジェラルドに視線を向けて尋ねる。

「何?」

「サリーのこと、シャスタから聞いているか?」

 心持ち小声で尋ねられて、エドワードは頷いた。

「状態はどうだ?」

「……シャスタがついているけど、よくはない」

 エドワードの口からも深いため息が漏れる。

 ローレンが死んでからずっと、サリーは口を利かない。最低限しか食事も取らないからやせ細ってしまった。シャスタが面倒を見ているのだが、シャスタとは目も会わせてくれないのだという。

 農家であるマルヴィルの家では面倒を見きれないため、現在サリーはシャスタと同じようにグレインのモーガン邸で暮らしている。

 カーテンを引いたままの部屋で一日中ベットに座っているサリーは、ほぼ病人である。エドワードも一日に一度は顔を出すのだが、サリーはエドワードの顔を見ると、黙って顔を背けてしまう。

「一言も話さないのか?」

「全く話さないよ。マリーとエリーはサリーを見ると泣くから会いに来ていない。ミーシャはやつれきってるよ。娘がああなってしまったら、言葉も出ないだろうな。マルヴィルも顔を出してるけど、手がないらしい」

「そうか。半年になるのだがな」

「ああ。まるであの時のリッツだよ」

 エドワードは空を仰いだ。

 ローレンの墓の前で膝を抱え、表情を無くしたリッツの事を思い出す。

 あの時エドワードは押さえきれない悲しみに涙を流し、リッツを殴った。エドワードの涙、守れなかった悔しさ、失った者の大きさ。それを実感した瞬間に、声を上げて泣くことでリッツはようやく自分を立ち直らせた。

 守るべき者を守りたいと願うことで、リッツは自分を奮い立たせた。その事が更に深くエドワードへの依存を深めはしないかと少々心配ではあるが、でももうリッツは一度もローレンの事で泣いたり、死のうとしたりはしなかった。

 ローレンの思いに報いるために、そしてローレンが望んだ未来のために生きようとしている。

 だがサリーはあれから六ヶ月もの間、ずっとあのままの状態だった。

「リッツなら、サリーの気持ちが分かるかもしれないな」

 何となく呟いていた。同じ状況になっていたリッツだから分かることもあるかも知れない。

 リッツはサリーが未だにこの状態であることを知らない。リッツがグレインを発ってからしばらくして、サリーはモーガン邸に預けられたのだ。

「あの炎の中で、リッツとサリーの二人だけが死を覚悟して残されたのだったか」

「ああ」

 焼け落ちていく家の前で、恐怖に震えたことを不意に思い出し、エドワードは身震いをした。

 あの中でローレンが、シャスタが、リッツが、そして子供たちが焼かれているのを見ているしかなかった恐怖は、計り知れなかった。

 結局エドワードはギルバートの制止を聞かずに、井戸の水を被ると、手近な桶に水を入れて両手に持ち、炎に呑まれつつある家の中に飛び込んでいた。

 これからの戦いではエドワードの存在が重要になるから失えないのは分かっていた。でもエドワードには、その為に母も弟も友も失うなんて耐え難かった。

 生き残る覚悟はある。だが見捨てる覚悟はない。

 何を見捨てても生き残る覚悟を、まだエドワードは決められない。

「エド、見ろ。雪だ」

 しばしの沈黙の後、ジェラルドが呟いた。曇った空から雪が降り始めていた。雪は後から後から舞い落ち、視界を白く遮っていく。

「……積もりそうだな」

「ああ。積もるだろうな。これで貴族の士気は益々薄れただろう。偵察隊を残して戻るとしよう」

 馬首を巡らしたジェラルドに、一歩遅れて続く。このまま何事もなく戦わずして勝つことになるのだろうか。

 振り返った視界の先はもう雪で閉ざされて見えなかった。

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