<7>
その瞬間を狙ったかのように、男たちが一斉にリッツめがけて押し寄せる。
ギリギリまで男たちを引きつけ、一瞬の隙を突いて床に手を付いたリッツは、攻め込んできた男たちに回し蹴りを食らわせる。
直撃を食らった二人だけがその場に倒れ伏した。
「二人……か」
もっといくと思っていたのに、ちょっと不本意だ。
だがぼんやりとしていられない。
その崩れた囲みから男たちの包囲を脱し、まだ体勢の整っていない男の後ろにまわった。
「何っ?」
焦る男に構わず、無言のまま剣を持つ腕を固めて剣を落とさせた。高い音を立てて落ちた剣を壁際に蹴り飛ばし、焦る男の腕を取って投げ飛ばす。
次の瞬間に他の男の剣が、髪をかすめた。
伸ばされた腕の付け根を手に取りその手を捻ると、男が悲鳴を上げて昏倒する。
「四人目っと」
いいながらももうリッツの体は、次の男の正面に入っている。
正面からの剣を軽く避けると、身をかがめて思い切り足払いを掛けて昏倒させる。
次々に迫り来る男たちを、素手のまま固い大理石の床に沈めていく。
正面からの強い力を逆手に取り、同じ方向に力を使う事で、自分の力を最小限にして最大のダメージを与える。
それがファンやソフィアに教わった、タルニエン流体術だ。リュシアナ出身のソフィアもタルニエン流体術を使うのである。
あっという間に全員を床に沈めて、リッツはあっけにとられた表情のまま階段の上に佇むイライザに向かって膝を折った。
「すみません。俺、ちょっと礼儀とか分かんなくて……あ、一応、誰も殺してないっす」
他に何と言ったらいいのか分からなくて、おずおずとそう言うと、イライザの肩が小刻みに震えているのが分かった。
間違っていたのかとハラハラしていると、やがてイライザが吹き出した。
「え……?」
何が起こっているのか分からなくて、リッツは周りを見渡してしまった。するとファンとソフィアも必死で笑いをこらえているのが分かった。
「え? 何? 何だよこれ」
状況が飲み込めずにリッツは、この場で一番の権力者であるはずのギルバートを振り返った。
「何か企んでたんだろ? なぁ、ギルってば!」
ギルバートはニヤニヤと笑いながらリッツを見返してきた。
何だか本気で腹が立ってきた。
「何だよ何だよ! 俺がガキだってからかってんのかよ!」
思わず怒鳴ると、ギルバートが大声で笑い出した。
「もう幹部じゃねえと、てめえには敵わねえな」
「へ?」
「剣も抜かずにダグラス隊の連中をこの場に沈めるとはなぁ。どうだ?」
ギルバートがそういうと、先ほどソフィアが整えながら掛けたドレスの影から、見覚えのある小柄な男が出てきた。コネルとの会見の際に会った偵察任務担当のチノだ。
「へぇ。参りましたね。これでも傭兵経験三年以上の奴らを揃えてきたんですがね」
チノの言葉にリッツは目を見張る。それでは今リッツが伸してしまったこの十人は、シアーズに潜んでいたという、ダグラス隊の傭兵たちと言うことになるらしい。
男たちは銘々に起き上がり、打ったところを撫でながら苦笑している。
確かにその雰囲気は傭兵たちの醸し出すものに間違いない。つまりリッツはこれから手助けして貰う傭兵たちを、素手で打ちのめしてしまったと言うことになる。
「あ、あの、ごめん……」
近くにいた見た目もリッツに近い傭兵にいうと、その傭兵は肩をすくめた。
「謝らないでくれ。俺たちの実力のなさが悪い」
「え、だけど……」
「謝られちまうと、余計いたたまれねえ」
「え、え、そうなの?」
焦っていると、ギルバートが豪快に笑った。
「その通りだ。三年程度じゃまだまだひよっこだ。死なねえようにしっかり鍛えておけよ。せめてそいつに剣を抜かせるようになれ」
「はい、隊長」
傭兵たちは笑いながら立ち上がり、リッツの肩を叩いて壁際に下がった。残されたリッツはどうしていいのか分からない。
そんなリッツを置き去りにして話が進んでいる。
「こいつはまだ本格的に剣技を学んで一年八ヶ月、体術はたったの六ヶ月だ。それでこの実力の上、傭兵たちと違って、しっかりと飼い主の鎖が付いてる」
「飼い主の鎖って……また犬扱いだ……」
ぶつぶつと呟いてみたのだが、ギルバートの耳には入っていないらしい。ギルバートは口元に笑みを浮かべながら、真っ直ぐにイライザを見上げている。
「どうだ、イライザ。これでもまだこいつが部隊の指揮を執ることが不安か?」
「いいえ。十分です。夫にもこうして彼の実力を見せてくださればよかったのに」
「そうしたいのも山々だったが、必要以上に接触できねえからな」
「それもそうですわね。ではこちらの条件を一つ呑んで頂いた上で、作戦を総て受け入れると約束しましょう。ダグラス様。そちらの方を連れて応接室へどうぞ」
イライザが微笑む。こうしてみると、貴族の夫人と言うよりも、上品な普通の奥さんのようだ。
「ファンさん、ソフィアさん、この館の夫人たちを呼びますから、ドレスを見繕ってくださいます? 何も知らない夫人がほとんどですから、素敵なドレスを見繕って頂きたいわ」
穏やかな微笑みを浮かべていったイライザに、ファンはいつもとは違った、調子のいい洋装屋の顔をしておどけて胸に手を当てる。
「はい奥様。心より務めさせて頂きます」
「お任せくださいませ」
笑顔で頷いた二人に、凄腕傭兵の気配など微塵もない。本当に気のいい洋装屋だ。
二人の殺気を知っているリッツはその姿に舌を巻く。
せめて作戦の時ぐらい、彼らに習ってすんなりと精霊族を演じなければと、肝に銘じる。
失敗したら殺されそうだし。
「何をぼんやりしている。行くぞフェイ」
「うん」
どうやらここでのリッツは、ファンの弟のフェイらしい。
先ほどのイライザの言葉を思い出せば、その意味が少し分かる。何も知らない夫人がほとんどと言うことは、リッツの事が知られたらまずいのだ。
イライザの後ろにいた数人の女性が下におり、洋装屋で華やいだ声を上げた。突然、今までの静けさとは打って変わった華やいだ雰囲気を醸し出す女性たちに驚いていると、その声に吊られるように扉が開き、女性たちが降りてきた。
どうやらわざとこうして女性たちの興味をホールに集めているようだ。楽しげな声を上げながら階下に降りていく女性と、その子供たちの姿を横目に見ながら、リッツはギルバートの後ろに続く。
廊下を歩きながらもリッツは館の中を観察した。グレインの館ほどもある巨大な館だが、そこは古ぼけていて、お世辞にも心地よい作りではない。王族によって無理矢理に収容されている状態であるから仕方がないのだろう。
ギルバートとリッツが通されたのは、やはり古ぼけた応接間だった。部屋に敷かれている絨毯は、昔は高級だったのかも知れないが、もう古ぼけてしまって、固くしまっている。
ソファーもかなり古い物だったが、ここには誰かが編んだらしい暖かみのあるカバーが掛けられていて、家庭的な温かさがあった。
部屋を暖めている暖炉の上には、狩猟で狩ったのか大きな鹿の剥製があり、暖炉の隣にかかっているのは巨大な肖像画だった。
長い金の髪をして、ローブを着ていて、王冠を頭上に頂いている。
首をかしげながら見ていると、後ろからイライザに声を掛けられた。
「国王の肖像画がそんなに珍しい? 貴族の家にはどこにでも国王の肖像画があるのよ」
「国王……これが……」
「ええ。ユリスラ王ハロルド陛下」
リッツはじっとその肖像画を見つめた。グレインでこの肖像画を見た記憶は無かった。やはりジェラルドは国王を許しては居ないのだろう。
「初めて見た」
呟きながら肖像画に歩み寄る。見上げたその人物は、武人らしく体格のいい貫禄ある男だ。瞳の色はエドワードと違って金に近い薄茶で、髭を蓄えた口元は、どことなく不機嫌なような薄ら笑いをしているような雰囲気を受ける。
「……似てねえや」
思わず呟いてしまう。
これが国王であるというならば、この人物がエドワードの父親なのだ。
エドワードには溢れるように満ちている威厳や、叡智の輝きがある。だがこの男からは何も感じられない。絵が悪いのか、本人がそうなのか、それとも今まで聞いてきた非道な行いからリッツ自身が色眼鏡を掛けて見ているせいかよく分からない。
でも同時に思い出した。この男はあの美しいルイーズ・バルディアを強姦し、無理矢理王宮に連れ去った男なのだ。
エドワードはそれを知っているから、心の奥底で自分が国王と同じように、権力を間違った方向に使う人間に変わらないかと恐れている。
でもエドワードがこんな風になるわけがないことを、リッツが一番よく知っている。エドワードはリッツに誤ったときは自分を正せと言ったが、リッツが正すことなんて何も無い。
エドワードはきっと、ずっとリッツが絶対の信頼をおくエドワードのままだ。
「どうしたリッツ?」
ギルバートに尋ねられて、リッツはギルバートを振り返り、肖像画を指さした。
「俺、こいつ嫌いだ」
きっぱりと言い放つと、ギルバートはため息混じりに額を押さえた。
「てめえは貴族の夫人が集まっているところでよくそんなことが言えるな」
「……あ……」
「だから馬鹿ガキだってんだよ」
うっかりしていた。そういえばこの場にはイライザや一緒に付き添ってきた女性がまだ三名もいるのだった。王妃を僭称するイーディスに反感を持っていても、国王には敬意を払っている人がいるかも知れない。コネルも五年前までは国王が、まともな政治をしていたと言っていたし。
「あ、ごめん。聞かなかったことにしてくれる?」
目を丸くして立ち尽くしているイライザにそういうと、おかしそうにくすりと笑われてしまった。
「実力と性格が合わない子ですのね、ダグラス様」
「まあな。だがこれでも少しは常識が分かるようになったらしい。少なくとも今の立場を考えて謝れるようにはなっている。こいつを教育したジェリーの苦労が忍ばれるな」
「まぁ、モーガン様が」
再びイライザは笑うと、一緒にいた女性にお茶の支度を頼んで、ギルバートとリッツに座るように進めた。何となく気まずい気分だったリッツだが、ギルバートに促されてソファーに腰を下ろした。
同じようにイライザの後ろにいた女性たちも、音を立てずに静かにソファーに腰掛ける。
この館に来てから、何だか調子が狂うことばかりだ。
衣装のことといい、ダグラス隊を伸してしまったことといい、貴族がいるのに国王を嫌いだと言ってしまったり。国王のことは本当にどうしようもない失態だろう。
お茶が運ばれてくるまでの間、リッツは今日の自分を反省していた。
ギルバートはイライザと楽しげに世間話をしていたが、いつもとは違ってどう見ても貴族であるギルバートの仕草や言葉に、口を挟むことが出来ない。黙ったまま反省しているしかないだろう。
やがてお茶が運ばれてきて話は本題に入った。
「条件の一つは、こうして目の前で見せた。二つ目を聞こうか、イライザ」
ギルバートはそう言いながら紅茶をすすった。条件の一つとは、リッツの実力をこの目で見たいということだったらしい。ならばリッツがここにいる意味はもう無いのではと思ったのだが、出て行くことも出来ずにリッツも熱い紅茶に口を付ける。
いい香りがする。きっと高いのだろう。
「ダグラス様。貴族の夫人は一枚岩ではございませんの」
唐突な言葉に、リッツは紅茶を傾ける手を止めた。リッツには全く意味が分からないのだが、ギルバートは穏やかに頷く。
「だろうな。つまりここにいる貴族の夫人たちも、同じということだろう?」
「ええ。夫が軍の中で改革派にいて、この国のありように疑問を持っていようとも、それは夫側の勝手な考えに過ぎないと考える夫人も多いのです」
リッツはゆっくりと紅茶を置いた。そんなことを考えたこともなかった。改革派の人々は家族もろともみんな改革派なのだと思っていたのだ。
「わたしくたちは皆、女です。女は理想よりも現実を捕らえる生き物なのです。だから今の平穏な生活を守ることを最優先とする者も少なくありません」
リッツの中に自分の母親、ローレン、パトリシアの姿が浮かんだ。イライザの言うのが本当なら、この三人は三人とも規格外なのかも知れない。リッツが首をかしげたのには気がつかなかったようで、イライザは言葉を続けた。
「そしてわたくしたちは貴族なのです。わたくしたちの手は、刺繍をし、編み物をし、本のページを捲り、書き物をする手。そして子を慈しみ、夫をねぎらうだけの手。水仕事をしたことのない者、料理を作ったことのない者もおります。なのに王都を離れれば私たちはそれを総て、自分でしなくてはならなくなる。場合によっては土を耕すこともするでしょう。それに耐えられない者もいるのです。それは分かっておいででしょう?」
「分かっている。母もそうだった。俺は母をそれでも陥れたがな」
独り言のようにギルバートは呟き、苦笑しながら顔を上げた。
「それで何が言いたいのかな? イライザ」
イライザは頷くと、同じようにソファーに座った女性たちを順繰りに眺めた。
「それに改革派の夫であっても、私たち妻には、自分の理想を話したりなさらない方もおられます。私たちを社会と切り離し、愛でるだけの殿方も多いのです。何も分からぬまま、夫が改革派として戦いたいから王都を脱出せよとは、あまりのことですわ。今まで何も申してこなかったのに、夫への愛と忠義だけで総てを捨てられる女は多くはございません」
きっぱりと突き放したイライザの物言いに、ギルバートが笑う。
「君はどうだ、イライザ」
「コネル・サウスフォードは、ありがたいことに世間とは正反対で、私に愚痴を言うのを日課にしておりましたので、わたくしもすっかり改革派の人間です。現に先ほど国王を批判された彼を見ていても、不敬罪だと責める気は毛頭ございません」
そういうとイライザが柔らかくリッツを見て微笑んだ。穏やかな微笑みに、リッツは小さく頷く。最近傭兵と娼婦しか相手にしていなかったから、普通の夫人がどことなく眩しい。
「わたくしとコネルには、二人の子がおります。これから子供たちは世界を知るでしょう。その時に彼らが同じ国に住む同じ年頃の子供たちが飢えて死に、その上を土足で踏みにじり生きている貴族であることを誇れるでしょうか?」
穏やかながら信念に満ちた言葉に、リッツは何も言えずにその顔を見つめる。
「わたくしはそうは思えません。貴族であることを誇ることは、自らのやるべき事、すべきことを成し遂げたことを誇ると言うこと。わたくしはそう信じます。この自らは何も生み出さない手を、何かを生み出す手に変えられるのでしたら、わたくしは戦うことを恐れません」
イライザにコネルの顔が重なった。コネルは『国を救おうとしない人間に、人は救えない』といった。イライザも同じように国を救おうとしている。
国家のため、民のためではなく、未来を託す自分の子供たちのために。
「君の覚悟は分かった。ここにいる夫人も同じ意見かな?」
「ええ。わたくしたちと、先ほど下に他の夫人を呼び寄せに行った二人、この六人だけが今回の作戦を心得ております。あとの面々は何も知りません。出来れば沢山の皆様が賛同してくださるといいのですけれど、それは旦那様方の普段の愛情が物を言いますわね」
楽しげにイライザが笑った。確かに普段から夫と妻の仲が良好な人ほど、脱出行に参加する率は高くなるだろう。
「コネルは幸福者だな。君のような人に愛されて」
ギルバートがからかうような口調で言うと、イライザが顔をほころばせた。
「あらダグラス様。わたくしの方が幸せですのよ。わたくしみたいに口うるさくて賢しい女は敬遠されがちですのに、コネルは従姉で年上のわたくしを愛して、貰ってくれたんですもの」
「君はとてもグラントに似ているからな」
「ええ。そっくりの偏屈兄妹といわれてますの」
笑い会う二人を、リッツはぼんやりと眺めていた。言われてみればイライザの方がコネルよりもしっかりしていそうだし、とっても冷静だ。リッツのような若造が出てきても、コネルのように頭ごなしに否定したりしなかったし。
人間の年齢ってよく分からないな、と今更ながら思う。何しろリッツからすればここにいる人々はみな何十才も年下なのだ。
でもエドワードによれば、リッツの社会との繋がりが始まったのは家を出た時だから、まだ成人したての子供と同じだという。
つまり年齢ばかり重ねた子供がリッツで、年相応に生きている人々が大人だと言うことだ。きっとこの状況はずっと続くのだろうなと密かに思う。リッツは年を重ねてもこのままで、扱いも今と変わらないだろう。
もし自分が経験を重ね、年を重ねた上で、自分と同じような年の取り方をする人と出会えば、この複雑な気持ちを理解し合えるだろうけれど、そんなことは不可能だとリッツには分かっている。
考えても仕方ないことを思考から振り落として、リッツは再び、ギルバートとイライザの会話に集中した。
「私たちは、戦場にいる夫の無事を光の精霊王と女神に祈るために、新祭月のカーニバルに派手な演出と、食物の施しを行うことにしているのです。決してそのまま王都を脱出するなどと皆には話しておりません。きっとその選択をさせるのは、当日の朝になりましょう。今問えばきっとこの計画は外に漏れ、わたくしどもは処刑されてしまうでしょうから」
「そうだな。用心超したことはない」
「ええ。ですからカーニバルには子供たちも皆連れて出ます。子供のドレスは我々で手配しますから、お気になさいませんように」
「分かった。全員の数を算定してくれ。全員が付いてくることになった計算でそれに見合った馬車を用意しよう」
二人の間で話が進んでいく。何も分からないリッツは、ただただ黙って紅茶を飲んでいるしかない。それでも重要な話であることは分かっているから、人よりいい耳をきちんと話に傾ける。
「こちらが肝心なのですけれど、改革派として脱出を望まない夫人たちを、殺されたくはないのです。考えを異にしたとしても、わたくしたちは、今までこうして苦しみに耐えてきた仲ですもの。このまま王都に残れば、脱走罪で殺されてしまうでしょう?」
「そうなるだろうな」
「ですから当日の朝、脱出か残るかの選択をさせた後、彼女たちに我々を密告させようと思うのです」
「密告!?」
思わずカップを音を立って置いてしまった。
「そんなことしたら大変なことになるじゃん!」
「黙れ、馬鹿ガキ」
「だって秘密裏の作戦なんだろ?」
「だから朝だって言ってるだろうが。実行日はな、王都で一番国軍が動きにくい日だ」
「……え? 何で?」
「馬鹿が。耳をかっぽじってよく聞け。秘密裏の作戦なら国軍が動ける日よりも、動けない日を狙うに決まってるだろうが」
「だから、なんで動けないの?」
わけが分からずに尋ねるリッツに、ギルバートが楽しげに笑った。
「その日はな、このシアーズで一番大きな闘技場で、国王と貴族、それから金持ちや一般人総てを招いた新祭月のお祝いと、大々的な武芸大会が開かれる。武芸なんざ、大抵は貴族と軍の対抗戦みたいなものさ。つまり、軍と貴族たちはそちらに集っちまって、ただでさえ警備の薄い新祭月に、ぽっかりと大きな警備上の空白が生まれるんだ」
「……武芸大会……」
リッツはため息をついた。そんなものがあることすら知らなかった。
「でもさ、集まっちゃってるとこに密告に行っちゃったら、大変じゃん?」
「酒飲んで、はしゃいで、指揮官が誰かも分からないところにか?」
「え?」
「部隊ごとでまとまってるはずがねえだろ。隊を集めるのにも一苦労さ。なにせここ数年、新祭月にきちんと軍が整えられていたことはねえ」
「……へぇ……」
それを知っていたから、ギルバートはグレインを発つ時、新祭月に脱出作戦を行うからリッツを半年貸せと言ったのだろう。
つまりこの日に脱出を行う日程は、六ヶ月も前からギルバートの中で決定していたのだ。
「朝に密告に行ったとしても、軍は混乱するだけさ。ようやく統率がとれても、俺たちはもう出発しているという算段だ。ようやく事の事態に気がついたとて、奴らは大混乱のカーニバル会場から大勢で脱出部隊を追うことなんざ出来ねえ。それにもし俺たちが追いつかれても、俺やてめえ、ソフィア、ファン、ラヴィ、ジェイがいて、逃げ切れねえ事があるか?」
リッツはふるふると首を横に振った。全員の力を借りなくても、ソフィア一人でシアーズを滅ぼせそうな気がする。ソフィアは強力な精霊使いだ。
「問題は門を守っている守備隊の兵士たちさ。こいつらとは戦うしかねえ。それにもしかしたら少しは俺たちの作戦に感づく奴らもいるかも知れねえな。戦う覚悟はしておけ」
リッツは小さく頷いた。この作戦で戦うのは、ユリスラ王国軍だ。今までの貴族たちとは違う。
「脱出に邪魔な奴は、生きるために躊躇わず切れ。それにお前には堂々と精霊族の使いを演じる必要があるからな」
「堂々って……」
「せめてカリスマ性のあるお前の飼い主に、ふさわしい英雄を演じろよ」
それが一番、嫌なのだ。
精霊族のはみ出し者が、許されざる混血の嫌われ者が、どうして堂々と精霊族の使いを演じられるのだろう。
唯一の救いは、精霊族の誰もが普通の社会に興味など持っていないことだ。きっとリッツがどんなに偉そうに精霊族を演じても、誰も精霊族はそれを知ることなく時間が過ぎる。
……もしリッツの偽証に気がつく人がいるとしたら、人間と唯一関わり合う自分の両親のみだろう。
リッツは呻いてシルクハットを取り、頭をかき回した。短い髪の中から、目立つ耳がひょこっと起き上がって揺れた。




