呑気な冒険者たちシリーズ読者さんのための冀求の種子エピローグ
暖炉の薪が崩れて小さな音を立てた。
エドワードは空になったワインのボトルを立てる。
最後に残ったワインはグラスに半分ぐらいだ。
「それが内戦の始まりだったんですね」
ダネル・クロヴィスの謎が解けた。
彼があそこで仮面の男のいいなりになって戦いを挑まなければ、内戦はもう少し先だったはずだ。
でもあれがきっかけで内戦が始まった。
「そうだな。あれ以後、王国軍は我々をモーガン・カークランド反乱軍として完全に敵視した。貴族と平民の争いが気がつけば王国と反乱軍の戦いになっていたのだから、歴史の流れというのは分からないものだ」
静かにそういったエドワードは、小さな音を立ててワイングラスを置いた。
リッツはといえば今日は妙に静かだ。
フランツが何気なくリッツに目をやると、リッツはアンナの太ももに頭を乗せてだらしなく眠りこけていた。
弟子のジョーなどはいびきを掻いて床に落ちて寝ている。
こんな話をしているのによく寝ていられるな、と内心であきれかえってリッツを見据えると、フランツの視線に気がついたのはアンナだった。
「疲れてるんだよ、リッツ」
「でも……」
なおも批判の眼差しを向けると、アンナが微笑みながらリッツの黒髪を愛おしそうに撫でて小さく呟いた。
「それにね、たぶんリッツ、苦しかったんだよ。だってリッツは一度守ると決めたら絶対に守りたい人だもん。なのに大切な人を目の前で失ったんだよ?」
優しく思いやるように、アンナはリッツの頭を優しく撫でながらフランツに微笑みかける。
「きっとね、リッツはずっとローレンさんのことを忘れてないと思う。覚えてるフランツ。フランツが炎の精霊を暴走させた時、リッツは炎に何も恐れずに立ち向かったよね?」
「……ああ」
フランツの目の前に、まるで昨日のことのようにその光景が浮かび上がる。
自分の暴走させた炎の竜を目の前にしてもリッツは決してその場から逃れることを諦めず、フランツを殴って正気を取り戻させ、人死にを出すことなく炎から全員を救った。
それはリッツが自らの心と腕を磨き上げてきたからに他ならない。
辛く苦しい体験をしたから、その先へと進むことが出来たのだ。
「でも強くなっても、やっぱり辛い話は辛いと思う。リッツって意外と思い詰めるタイプだから、寝ちゃったんだと思うよ。ほら、エドさんとは違って子供っぽいところもあるし」
思い切り年下のアンナは、そういうと照れくさそうに笑った。
「な~んて、私が言ってたら、リッツに悪いよね」
アンナの言葉にフランツも頷いた。
「確かにリッツは陛下に比べて人間が出来てない」
「うわ~、フランツ容赦なさすぎだよぉ~」
「僕も似たような物だから、人のことは言えないけど」
フランツは肩をすくめると、目の前の書物にまた目を落とした。
今までエドワードによって語られた数時間の歴史は、この本の数ページに過ぎない。
でもきっと歴史学者が語らない些末なことこそ、その時代を生きた人々にとって一番重要なことなのだ。
重要なことはきっと、書かれていない中に存在する。
時計を見ると、針は十時を回るところだった。
「陛下、時間は大丈夫ですか?」
「……堅苦しいなフランツ。エドワードでいいといっただろうに」
苦笑しながらエドワードに言われて、フランツは思わず口ごもる。
旅路ではそう呼べることもあったが、やはり王都に帰ってくるとエドワード・バルディアという人物は、フランツにとって尊敬すべき、元国王なのだ。
「君から見ると、私はどう見える?」
「……偉大な王に」
正直に答えると、エドワードが口元を緩めた。
「リッツと喧嘩をしていたりふざけ合ったりしている姿を見ているのに、かな?」
「……ああ、まあ……」
確かにそういう時は、いい年した大人がと思うこともある。
でも話を聞いていると、リッツとエドワードのじゃれ合いは、お互いが自由に自分でいられる時間を共有するためのスキンシップ以外の、何物でもないような気がしてくる。
自分の目で見たわけではないけれど、フランツにとって若かりし日のリッツとエドワードの言葉のやりとり、喧嘩、信頼は、まばゆく強烈な印象となって心の中に形作られてゆく。
その二人がフランツの仲間として存在することが嬉しいと同時に不思議だった。
いつかこの二人のように揺るぎない信頼で結ばれる絆を、誰かとつなげることが来るのだろうか?
……誰と?
「どうしたフランツ?」
「リッツが寝てるから正直に言いますが、僕はリッツと陛下が羨ましいと思うことがあります」
「ほう……?」
「何にも代え難い絆ほど、まばゆい物はありません。僕には手が届かないかも知れない」
正直な気持ちを吐露すると、何故かアンナが吹き出した。
「何かおかしい?」
「おかしくないよぉ。確かにリッツとエドさんの絆ってすっごく固いよね。私と二人っきりですごくべたべたしてても、リッツって時々嬉しそうにエドさんの話をするの。あれれ、私エドさんに負けてる? って思うことあるもん」
「あ、そう」
「でもね、リッツはフランツも仲間としてちゃんと大事に思ってるよ。フランツもこれから築いていけばいいよ、信頼の絆。リッツとでも、グレイグとでもいいけど、きっと羨ましがらなくてもいいぐらいの絆を結べると思う」
アンナは迷い無い瞳でフランツを見つめて微笑んだ。
そのまっすぐな瞳を見ていると、自分も何かを掴める気になる。
「そうかな」
「そうだよ。私はリッツの事を一番に愛してるけど、フランツのことも、ジョーの事も、エドさんのことも、とっても大切だもん。みんなを守りたい思いはきっと昔のリッツに負けない」
輝くエメラルドの瞳はいつものように明るく、それでいて固い決意に彩られていた。
きっとアンナはこうしてずっとみんなを守っていくのだろう。
そう思った。
「絆を結ぶって事は、大切な人を大切に出来るって事だもん」
きっぱりと言い切ったアンナは、エドワードをじっと見つめた。
「私、ローレンさんの残したかった未来って、そうやって普通に大切な人を大切に出来る未来じゃないのかなって思うんです。ローレンさんはリッツにそんな未来を生きて、自分の心で感じて欲しかったんじゃないかなぁ。未来を頼んだって、リッツ自身の未来を幸せにして欲しかったのかもしれないなって」
それを聞いたエドワードが一瞬息を飲んだのが分かった。
アンナは気がつかないのか、ゆっくりとリッツの頬を撫でる。
「リッツもエドさんも男の人だから気付いてないかも知れないけれど、そう思えるのって本当に暖かいお母さんの気持ちですよね。ローレンさんは大切な息子たちに、生きる場所を求めて彷徨ったり、重たい荷を背負って辛い思いをするんじゃなくて、大好きな人たちに大好きって言える幸せを感じて欲しかったんじゃないかなぁって」
あったこともないローレンという人物が、何故だかアンナの中に見えた気がしてハッとした。
誰もが口を開けない中で、アンナは当然のように穏やかに、膝で眠る恋人に言い聞かせるように言葉を続ける。
「だからエドさんのためにリッツを、リッツのためにエドさんが必要だったんですよ。だって何があっても二人は一緒に乗り越えていけると思うもの」
柔らかな沈黙が部屋に満ちた。
暖炉の中で薪がはぜて音を立てる。その音に混じってジョーのいびきが聞こえている。
穏やかで静かないつもの夜の光景だ。
微かに顔を伏せたままいたエドワードは、ワイングラスを口元に持ってきて飲み干して立ち上がった。
「さて、そろそろおいとましよう。あまり遅くなるとパティにしかられる」
「あ、そうですよね。パティ様もきっと待てますよ」
見送りに立ち上がろうとリッツを起こしかけたアンナをエドワードは笑顔で制して、壁際のコート掛けから防寒具を取って身にまとった。
フランツも見送るべく立ち上がる。
「それでは、また来週」
「はい! お待ちしています」
満面の笑みでそういったアンナに、笑顔で背を向けたエドワードがポツリとつぶやいた。
「大好きな人たちに大好きと言える幸せか……」
「陛下?」
「アンナ」
アンナに背を向けたままエドワードがアンナに声を掛けた。
「はい?」
「私もね、妻を一番に愛しているが、リッツが大好きだ」
冗談めかした言葉だったが、穏やかな微笑みに満ちた言葉にフランツはエドワードを見上げる。
「陛下?」
「私は今、母が望んだ平穏の世を生きているからな」
そういいながら、エドワードは扉を開けて出て行った。フランツは慌ててエドワードを見送るべくエドワードの後を追った。
リッツはそっと目を開ける。
そんなリッツに気がついていないらしいアンナが笑いながら呟いた。
「そんなこと気がついてますよぉ、エドさん」
アンナの手が心地よく頭を撫でてくれる。
「時々、本気で嫉妬しちゃうくらい、分かってますよぉ……」
リッツだけではなく、エドワードさえも包み込むような優しい言葉だった。
リッツはアンナを見上げる。
さっきアンナが言った言葉に、リッツはハッとした。
そこにローレンがいるようだった。
あの頃はローレンが掛けてくれる愛情の形をちゃんと理解していなかった。
でもアンナは話を聞いただけでローレンと同じように優しくローレンの心を語った。
かなわないなぁと思う。
ローレンにも、アンナにも。
「アンナ」
「起きてたの?」
「ああ。なあアンナ」
「なあに?」
「俺もお前を一番に愛してるけど、エドも大好きなんだ」
「そんなの知ってるよ」
「でも嫉妬してくれるなよ?」
静かに告げると、アンナはくすりと笑った。
「分かってるよ。大好きがたくさんあった方が幸せだもの。リッツがたくさんの大好きを持ってくれると、私も幸せなの」
半身を起こして、微笑むアンナを抱き寄せ優しく唇を重ねる。
アンナの暖かさと重さを感じながら目を閉じた。
ふと火傷を負ったあの時の、ローレンの声が聞こえた気がした。
『幸せになりなさい。約束よ、リッツ』
あの時は無理だと思った。
絶対に幸せになんてなれないと、そう思った。
そんな資格すらないと、自分を責めることしかできなかった。
だけど、今は違う。
唇を重ねたままリッツは目を開けて、うっとりと幸せそうに瞳を閉じたままのアンナを見た。
優しくて、まっすぐな愛おしい恋人。
今のリッツの未来を示す羅針盤は彼女だ。
まだまだ未だにへたれだし、出来た男とは言い難い自分だけれど、それでも彼女と共に未来を歩めばきっともっと成長できるだろう。
俺、今、ちゃんと幸せだよ、ローレン。
大丈夫だ。
悩んで、迷って彷徨って、ローレンとの約束を果たせるまで四十年もかかったけど。
でも……ちゃんと生きてる。
リッツは柔らかなアンナの髪を撫で、その体を引き寄せた。




