<11>
ローレンがマルヴィルの家の扉を押し開けた。家の中まで火の海であることを覚悟していたが、幸いなことに、一階まで炎が及んでいない。
だが煙は充満しつつあった。
扉を開け放したまま濡れた服で口元と鼻を覆ったローレンに続いてリッツも煙の上がる家に飛び込む。ローレンの半歩後ろに立ちリッツは周りを見渡した。
煙の中で霞む視界の中で見た家の中は荒れ果てていた。家具は総て倒れ、色々な物が散らばっていて足の踏み場もない。
岩盤破壊で起きた地震のせいだろう。
目を凝らしたが一階には人の気配はなかった。
「二階だったわね?」
「うん。道に面した正面の窓」
言葉少なに、ローレンの後につき二階への階段を上る。この家に入ることのなかったリッツは、部屋の配置を知らない。ローレンがたよりだ。
階段の途中から、煙は激しさを増してきた。
やはり炎は茅葺きの屋根を伝って延焼しているのだ。
煙と同時に炎が熱く迫ってくる。
無言のまま手探りで扉を探すローレンの後に続くと、リッツは反対の扉にも耳をそばだてた。
もしかしたら子供たちは一緒にいないかも知れない。バラバラにいたとしたら、反対側も見なければ手遅れになる。
「俺反対側も見てく」
短く告げると、ローレンも頷いた。
「お願い」
ローレンと離れて、反対側の壁に手を触れた。熱くなってきている。煙に巻かれて視界はほぼ無い。
だが逃げ出すわけにはいかなかった。
ローレンが子供たちの名前を呼びながら、扉に体当たりを繰り返している。地震で扉が歪んでいるようだ。
幸い道路側の部屋は炎に捲かれることもなく、無事らしい。
この分なら子供たちも無事だろう。
少し安堵しながら、リッツの手がドアノブに触れた。ドアノブは既に焼けているのか熱い。開けて炎が吹き込んでくる可能性だってある。
一瞬だけ逡巡したが、リッツはローレンに声を掛けた。
「反対側の扉、開けるよ! もしかしたら炎が出るかもしんない」
「分かった。そしたら一瞬で閉めて」
「やってみる」
熱いドアノブに手を掛けて、リッツは扉を押し開けた。その瞬間にやはり激しい炎が吹き出してくる。
一瞬で中の様子を確認してからリッツは扉を素早く閉めた。
扉の中は熱く焼けていた。この中に人がいたとしても助からない。
「駄目だ。こっち側は全滅だよ」
「……この部屋しかないか」
ローレンに呼ばれてリッツは煙をかき分けて隣に立った。扉の目の前に立つとドアノブに手を掛けた。
このドアノブも熱い。
だが先ほどのドアノブほどではない。きっと中はまだ無事だ。
だが扉は固く閉ざされている。体当たりして開けるしかなさそうだ。
「行くよ!」
「ええ」
先ほどの光景が目の前をよぎる。
もしもここがあの部屋のように燃え上がっていたら、子供たちの命はない。転がり込めばリッツだって危ない。
でもやるしかない。
リッツは小さく息を吸うと、力の限り扉に体当たりをした。微かに開いた扉から薄く煙が吐き出されている。
まだ火は回っていない。
もう一度体当たりをして、ひと思いに扉を押し開けた。
「シャスタ!」
開いた隙間からローレンが部屋に飛び込む。
リッツも叫びながら部屋に飛び込む。
「シャスタ! サリー!」
炎がはぜる音に混じって、微かな声が聞こえた。
その声の方角に目をこらすと、床に倒れ伏す小さな少女のたちの体があった。充満する煙を吸い込んだのか、激しく咳き込みながら体を震わせている。
「大丈夫か、マリー、メリー!」
軽く揺すったが、二人とも意識がもうろうとしていて、自力で立つ事が出来ない。
彼女たちの周りには大量の家具が倒れて散乱していた。地震で家具が倒れたのだろう。もしかするとマリーとメリーもこの家具に当たったのかも知れない。
「いるの、シャスタ!」
なおもシャスタの名を呼ぶローレンの声に応えるように、微かな声が聞こえた。耳を凝らすと、確かに聞こえる。
「……お母さん……リッツさん」
小さな声が聞こえた。
「シャスタ!」
声の元に駆け寄ると、そこにシャスタがいた。どっしりと重たい本棚に挟まれて、動けなくなっているのだ。
そのシャスタに庇われるように、一緒に本棚の下敷きになっていたのは、サリーだった。苦痛の表情を浮かべているサリーだったが、意識はあるようだった。
「しっかりしろ! いま引っ張り出してやる」
声を掛けながらリッツは本棚に手を掛けた。
かなり重たい。だが倒れた拍子に本のほとんどが落ちていたせいか、少しづつだが本棚が持ち上がっていく。
隙間が出来たところで、ローレンがサリーを引き出した。本棚が軽くかしぐが、リッツは必死で押さえる。
シャスタを助けるまで踏ん張らねば、シャスタが下敷きになってしまう。
痺れるような痛みに耐えつつ本棚を押さえていると、煙が直接喉を襲ってきた。
呼吸が苦しく、喉を痛みが襲う。煙が徐々にこの部屋も浸食しつつあるのだ。
渾身の力を込めてローレンがシャスタを救い出した。その瞬間に本棚がバランスを崩して倒れた。
危機一髪の状況に、リッツは冷や汗を掻く。
だが一息入れている間など無い。
「逃げるわよ、シャスタ。サリー。歩けるわね?」
確認したローレンに、シャスタが首を振った。
「サリーの足が折れてて、歩けない。僕は歩ける」
「……困ったわね。マリーとメリーもいるし……」
呟くローレンは視線を巡らせ、思いついたように道路に面した窓を開けた。
大きな出窓に身を乗り出して、道路で待つエドワードとギルバードに向かって叫んだ。
「ギル、エド! 子供たちを二人投げ下ろすわ。受け取って!」
その手があった。リッツは一番下のメリーを抱え上げた。迷っている時間なんてない。
「ギル! 一人目!」
大声で呼ぶと、下で待ち構えるギルバートに向かってメリーを投げ落とす。
それほどの高さはないから、ギルバートは危うげ無くしっかりとメリーを受け止め、それをエドワードが抱えた。
確認してからリッツは部屋に戻り、マリーを抱え上げた。
「二人目!」
声を掛けてからギルバートの元に投げ下ろすと、ギルバートがわずかも動じることなくしっかりと受け取ったのが分かった。
さすがはギルバートだ。大剣を振り回す力があればこれぐらい造作もないだろう。
「サリー、どうする?」
振り返って尋ねた時だった。窓の外をひときわ大きな炎が覆った。屋根にのっていた茅が焼け落ち、風に煽られて吹き込んできたのだ。
とっさに窓を閉めたのだが、炎は窓の木枠を徐々に浸食していく。
「窓は駄目だ! ローレン!」
「階下まで駆け下りるしかないわ。シャス、走れる?」
「……やってみる」
「リッツ、サリーを抱えて」
「了解!」
短く答えると、足を引きずるシャスタに肩を貸すローレンを先頭に廊下に出た。
既に廊下は充満した煙で何も見えない。壁伝いに手探りで階段を探すしかない。
パラパラと頭上に何かが落ちてきて、リッツは焦った。煙の中にあっても、それが火の粉であると分かったからだ。
屋根の崩壊が近い。なのに階段のなんて遠いことだろう。
焦りと熱さで、汗が噴き出てくる。腕に抱いたサリーも痛みと恐怖で必死にリッツにしがみついている。
だがこの恐怖はリッツも同じだ。
あと少しで階段だ、という時、ついに家は最後の時を迎えた。
屋根が崩落し始めたのだ。
天井が炎の塊となって、道路と反対の部屋の方から崩壊していく。火の粉ではなく、火の塊が降り注いできた。
抱きかかえていたサリーのスカートにも炎の塊が落ち、炎が燃え上がった。
「熱い! 熱い! 助けて!」
腕の中のサリーが炎に捲かれて叫ぶ。
慌ててサリーの炎を消しながら、階段に向かう。だが目の前に炎の塊が落ちてきた。
その熱さに一瞬立ちすくむ。
その一瞬がローレンとシャスタの親子と、リッツとサリーの間に壁を作った。
リッツの目の前に炎の壁が出来たのだ。
炎に捲かれつつあるサリーは悲鳴を上げて、リッツにしがみつく。
ほんの数メートルが、遙か彼方に感じる。
後ろでは屋根の崩壊が徐々に進んでいくのが分かった。
降り注ぐ炎の塊が、不気味な物音を伴って迫ってくる。
目の前の炎は見る間に壁を飲み込んでいく。
死ぬんだな。
リッツの脳裏にそんな言葉がよぎる。
生きていても仕方ないと、いつも考えてきたのに、どうしてこんな時に死が目の前にあるのだろう。
いつ死んでも良かった。ずっとそう思っていた。
でも今は……まだ死にたくない。
燃え上がる炎に、髪が焼かれて、頬にも痛みが走る。
吸い込む空気が熱くて、徐々に呼吸が出来なくなっていく。
もう少し、もう少しだけエドワードといたかった。
そうすれば何かが掴めるような気がしていたのに。
それにパトリシア。
もう少し色々話したかった。まだ彼女の何もリッツは知らない。
しがみついてくるサリーをきつく抱きしめてリッツは唇を噛んだ。サリーのスカートには炎がなめるように這い上がりつつあった。
「ごめんな、サリー。俺……力がない」
「リッツさん……」
サリーも自らの死を悟ったのか、小さく息をのんでからしゃくり上げた。
「ごめんなさい。私のためにリッツさんまで……」
「……いいって。俺の力がないんだから」
「でも……リッツさんは、希望だって。エドワードと共にある希望だって……お父さんが言ってたのに」
サリーの目から涙が零れる。
「ごめんなさい。私のせいで希望が潰える……」
その時だった。目の前が突然拓けた。
「リッツ! 逃げなさい!」
叫んだのはローレンだった。ローレンが濡れている自分の服を脱ぎ捨てて、炎を叩き消しているのだ。
「早く!」
炎が消えるのは一瞬でまたすぐに炎に捲かれてしまう。だがリッツは我に返った。そうだ、まだ諦めるわけにはいかない。
リッツはサリーを抱く手に力を込めた。
リッツには盟約がある。
エドワードに預けた命を、諦めるわけにはいかない。
エドワードが覇道を実現するまで、リッツは生きなければならない。
エドワードの命が未来のためにあるのならば、リッツの命はそれをかなえるエドワードのためにある。
リッツは覚悟を決めた。
一か八かの賭ならば、万に一つでも生き残れる可能性があるのならば……賭けてみるしかないだろう。
「サリー、ちょっと我慢してろよ」
サリーをきつく抱きしめると、微かに弱まった炎の中に飛び込んだ。
ものすごい熱さにサリーがリッツの服にしがみついて悲鳴を上げる。
リッツも耐え難い熱さの中で必死で階段に向かって駆けた。
止まると燃える。
燃えれば全身が焼けて死ぬだけだ。
目を開けていることも出来ず、がむしゃらに駆けると、不意に手首を力強く掴まれて思い切り前に引っ張られた。
次の瞬間には前のめりに体がかしぎ、足下の床が消え失せた。
「え……?」
必死で目を開けた時、自分の腕を掴んだのがローレンだと分かった。そして火に包まれながら自分がゆっくりと階段を落ちていくことも分かる。
とっさにサリーを腕の中に庇い、衝撃に備えて体を丸めた。
「ぐっ!」
背中から床にたたきつけられて、息が詰まる。
痛みにのたうつ間もなく、次の瞬間には、リッツは水を掛けられていた。
床に這いつくばると、床の近くに流れている新鮮な空気を感じ取って、必死で呼吸を整える。大丈夫だ。生きている。
無事とは言えないが、同じように水を掛けられたサリーも床に横たわっていた。隣には座り込んでいるシャスタがいる。リッツは水を掛けてくれた人物を見上げて絶句した。
「エド……」
「ふざけるな! お前に死なれてたまるか!」
「エド……」
「ローレン! どこだ! どこにいるんだ!」
エドワードは叫びながら、辺りを見渡す。だが煙が立ちこめてきたこの一階にローレンの姿はない。
リッツはローレンがどこにいるのか、どうしてここにいないかに気がついて呻いた。
「エド、ローレンは二階にいる!」
「何だと!?」
リッツは自分の手首を握った、あの熱いローレンの手を思い出して自分の片手を握りしめた。
「俺とサリーを階段から突き落として、その反動で二階に倒れた。まだ二階にいる!」
そう告げると、リッツは激しくむせながら立ち上がり、エドワードから桶をひったくった。
「待てリッツ!」
「お前は来るなエド!」
ローレンが守ろうとした未来を消すことは許さない。リッツはそのまま猛然と階段を駆け上がる。
階段の途中からは、既に火の海だった。
「ローレーーン!!」
炎の中に、微かにローレンの姿が見えた。
ローレンは倒れて動かない。
無我夢中でリッツは炎の中に見えるローレンに水をぶちまけた。一瞬弱まった炎の中からローレンを引きずり出す。
髪に、服に炎が燃え移り、肌を焼く。
だがリッツは諦めなかった。
死なせるわけにはいかない。
リッツと身代わりになっていいわけが無い。
リッツは根無し草で、さすらう者で、エドワードの拾い者でそうでなければどこにも居場所がない生き物だ。
でもローレンはみんなに愛されている。
子供たちには学校の先生として、村人からは医者として、そしてアルバートの妻として、シャスタの母として、リッツとエドワードの母親代わりとして。
そんなローレンを死なせるわけにはいかないのだ。
リッツの身代わりに死ぬなんて、絶対に駄目だ。
「ローレン! ローレン!」
必死で身動き一つしないローレンを引きずり出すと、リッツはローレンを抱えて階段を駆け下りた。
煙の苦しさも火傷の痛みも、もうリッツには気にならなかった。ただただローレンを助けたい。
ローレンは生きる価値があり、生きる必要がある人だ。
リッツのようにいつ死んでもいい人ではない。
エドワードはサリーを抱え、シャスタに肩を貸している。ローレンをみたエドワードは息をのんだ。
ローレンは全身に火傷を負っていたのだ。
マルヴィルの家を飛び出すと、子供二人を背負ったギルバートが大剣を抜いて立っていた。
村に延焼した炎は、マルヴィルの家に飛び込んだ時よりも一団と激しさを増していた。
全員の姿を確認したギルバートは、村の奧を指し示す。その方向は、セロシア家の方角だった。
「炎に捲かれていない村の奧に廻って裏から逃れるしかない。走れるか?」
「走れる」
「ぐずぐずしている暇はねえ。道は切り開く、命がけで走れ!」
ギルバートに命じられて、無我夢中で炎の村を駆け抜けた。
腕の中のローレンが微かに身動きをしたから、リッツは安心した。
まだ大丈夫だ、助かる。
どうか助かるように……助けてください。
心の中で何度もリッツは祈った。
女神や精霊王になど祈ったことなど無いが、祈るしかできないこともあるのだと、生まれて初めて知った。
ようやく炎の来ないところまで来て、全員が地面に座り込んだ。
そこは村の中心からかなり離れた、セロシア家の畑の近くだった。ここまではさすがに炎が廻ってこない。
そっとローレンを地面に下ろすと、ふとローレンが目を開いた。
微かに震える口元に、ギルバートがそっと水を含ませた。ギルバートは応急処置を心得ているらしい。
ほぼ全身を覆っている痛々しい火傷を見て、ギルバートは小さく息をついた。その意味を感じ取って、リッツは動けなくなる。
微かにローレンが何かを呟く。そっと耳を寄せたのはシャスタだった。
「お母さん、何か言いたいの?」
尋ねるシャスタの目には、涙がにじんでいる。
シャスタには分かっているのだ。これだけの火傷を負えば助からないと。
「良かった……話せる……」
ローレンはそう呟いた。炎の中で伏せて倒れていたから、喉を焼かれるのを免れた。
それをローレンは小さく笑うと告げる。彼女はこの村でただ一人の医者だ。
静かだった。
炎の燃えさかる音と、建物が崩れ落ちる音が遠くから聞こえる以外は、本当に静かだ。
ローレンの顔が微かに動き、エドワードを見た。
エドワードはローレンの隣に座る。
「何、ローレン?」
「エディ……ごめんね」
ローレンの呟きに、エドワードは目を見開いた。だが何も無かったようにエドワードは静かにローレンに微笑む。
「何、母さん」
リッツはじっとエドワードを見つめた。エドワードがローレンを母と呼ぶのを初めて見た。
「……エディ好きよ……シャスと同じぐらい。なのに区別して……ごめん。辛かったね……」
かすれた微かな声でローレンはそういった。
「ルイーズの子だからじゃない……息子としてちゃんと愛してた、エディ」
「分かってたよ。母さん。ちゃんと分かってる」
穏やかに微笑みながら頷くエドワードの姿に安心したのか、ローレンは小さく息をついた。
「良かった……」
「休んだ方がいいよ、母さん」
「ありがとう。でもいい。時間がない」
かすれ声でそういったローレンは、微かに視線を向けてシャスタを見た。
「シャスタ」
「はい」
エドワードと向かい合うようにローレンの隣にいたシャスタは静かに頷く。
「愛してる。立場に縛られず、あなたの思うまま……幸せに生きて」
「僕は幸せだよ、お母さん。大丈夫だよ。だから、元気になってよ。お父さんも待ってる」
「……アルバート……にも……愛してるって伝えて」
ローレンは自分が死ぬことを分かっている。だからこうして心を残そうとしているのだ。
それが分かっているから、リッツはその場に座り込んでしまった。
もう少しリッツが素早く動けていれば、生きることを諦めなければ、あんな風に遅れなければローレンは助かったのだ。
自分のせいだ。
自分のせいでローレンが命を落とすのだ。
エドワードに、シャスタに、そしてアルバートに申し訳なくて、ローレンに申し訳なくて、顔が上げられない。
膝を抱えると、微かな声がリッツを呼んだ。顔を上げるとローレンだった。
ローレンは静かにリッツを見ていた。
「リッツ……」
「ごめん、ローレン……。俺が遅れたから、俺のせいで……」
言葉にならなくて、這うようにローレンのそばに歩み寄ると、ローレンは静かに微笑んだ。
「……自分を責めないで。私は……やるべき事をしただけ」
「だけど!」
いい縋るリッツに、ローレンは微かに手を差し伸べた。
その手を握るとローレンは微笑んだ。
「リッツ……あなたに生きて欲しかった」
「ローレン……」
「生きなさいリッツ……あなたとエディはきっと……ユリスラを変える。私には分かる。どちらが欠けても駄目よ」
「……やだよ、ローレンこそ生きてくれよ! 俺の寿命やるからさ、だから生きてよ!」
長く生きることになんて、何の意味もない。
今差し出せるなら、長い寿命を総てローレンに差し出しても構わない。
地面の土を握りしめて、リッツは絞り出すように呻いた。
「ローレン!」
「エディを、未来をお願い……もう一人の運命の子。あなたの兄弟を支えてね……そして……」
耐え難い痛みと苦しさが彼女を襲っているだろうに、どうしようもなく辛いだろうに、ローレンはいつものように穏やかな瞳でリッツを見つめた。
「幸せになりなさいね、約束よ、リッツ」
胸を突かれた。
だが穏やかにそういうと、ローレンは瞳を閉じた。
幸せになる?
どうして……ローレンを死なせて幸せになんて……なれない。
「ローレン! ローレンってば!」
ギルバートが静かにローレンの元に歩み寄り、口元に触れた。
「……意識を失っている。もう長くないだろう」
「嘘だよ、ギル」
リッツはよろめきながら後ずさる。
「俺は嘘などつかない」
シャスタとエドワードが静かにローレンの元に座り込んだ。
シャスタの目から、涙がボロボロとこぼれ落ちる。
エドワードは大切そうにローレンの手に触れていた。
しゃくり上げて号泣する声が聞こえる。サリーの声だった。
火傷の痛みよりも骨折の痛みよりも、サリーは押しつぶされそうな心の痛みに耐えられず慟哭している。
リッツはその場にへたり込んだ。
喪失感に、そして自らのふがいなさに、体中の力が抜け、言葉が出てこなかった。
泣くことすら出来なかった。
エドワードとギルバートによって、無事だったセロシア家に静かに運ばれていくローレンを見送り、三姉妹も運び込まれても、リッツは立つ事が出来ずにいた。
強い風に煽られながら、燃えさかる村を見続けているリッツの頬に、雨粒が落ちた。
雨が降り出したのだ。
雨は見る間に強くなり、リッツは激しい雨の中でただ一人空を仰いで座り続けていた。
全身を叩く雨粒に撃たれながら、ただただその場に座り続けていることしかできなかった。
雨は一晩の間休みなく降り続け、翌朝にはティルスの炎を総て消して降り止んだ。




