表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
燎原の覇者  作者: さかもと希夢
冀求の種子
26/179

<5>

「あれは、来ているのだろう?」

 不意にジェラルドの言葉が耳に入った。

「来てるわよ。あなたの愛おしい人が」

「……やめてくれ。本人が聞いたら、爆笑したあげくに、冗談で襲われかねん」

「あらあら。そんなあなたも見てみたいわ」

「いいものか。あいつはいつも冗談が過ぎる」

 珍しく渋い顔をして、ジェラルドが額を押さえた。

 見たこともない光景に、リッツの後ろ向きな思考回路が途切れ、代わりに好奇心が首をもたげてきた。

「おっさんの恋人?」

「……お前……何を言い出すんだ」

「え? 違うの?」

「私にはアリシアがいるだろう」

「あ、そっか。じゃあ二股?」

「お前という奴は……」

 深々とため息をついたジェラルドは、ゆっくりと立ち上がった。

「マリー。今日の連れはこういう奴でな。こっちもあれとは違う意味で冗談が通じん」

「あらホント。可愛い子じゃない」

 マレーネに額を指でつつかれて、リッツはむくれてマレーネを見上げる。

「子供扱いしないでくれよ」

「まぁ、生意気いうわね。可愛い。話の間私が預かりましょうか?」

「嫌だ」

「あら、なんで?」

「だって俺を絶対に子供扱いするもん」

「まあ」

 マレーネはクスクスと笑った。

「おばさんだからって言わないのね?」

「うん。マリーさん綺麗だもん」

 リッツの本心だ。

 こんな姿形をしているけれど、リッツだってもう百歳を超えている。

 そのせいかこの年の人間の青年のようには、人々の年齢を見ることが出来ない。

 だから見た目はリッツよりもかなり上であろうマレーネでも、相手をしてくれるならば全然構わない。

 たぶん違った意味で甘えられて、ちょっと楽しいかも知れないな、とも思う。

 素直にそういったリッツに、マレーネは一瞬目を見開いてから、嬉しそうにジェラルドの肩を叩いた。

「まあまあ! 聞いた? こんなに若い男の子が、私を綺麗ですって」

「そうだな。君は綺麗さ」

「あらあら、こちらはお世辞見え見え」

「そんなこともないさ」

 笑みを浮かべたジェラルドがマレーネの頬に唇を寄せた。

「そろそろあれが待ちくたびれてるはずだ。案内してくれるかな?」

「ふふ。了解。さ、こちらよ」

 マレーネは極上の微笑みを浮かべて、優美に裾を翻した。

 ジェラルドがリッツとエドワードに言葉を掛ける。

「さ、行くぞ、エド、リッツ」

「はい」

 リッツは立ち上がってエドワードを見た。

 エドワードも音もなく立ち上がる。

 さっさと先を行くマレーネの隣に並んだジェラルドを見ながら、リッツはため息をつく。

 ふとイーディスを思い出したのだ。

 年をとっても綺麗な人は綺麗だ。

 なのにどうしてあんな風に苦しい年の取り方をしたのだろう。

 人を貶め、自分の息子たちを王位に就かせ、この国の金を自由にすれば、イーディスは綺麗で幸福にいられるというのだろうか。

 ならば望みは半分以上片づいたはず。

 それなのにイーディスは、ルイーズに比べると醜い印象を受ける。

 ルイーズやマレーネと同じぐらい、綺麗な作りの顔をしているのに。

「リッツ」

 エドワードに小声で呼ばれて我に返った。

「どうした?」

 問われたが、まさかイーディスのことを考えているとは言えなかった。

 イーディスはエドワードにとって母の敵なのだ。

 それなのにリッツの考えは、きっとエドワードから見ればイーディスに同情的に見えるだろう。

 自分でもイーディスに同情する気はない。

 沢山の人を苦しめ、ルイーズを殺した張本人だからだ。

 なのにイーディスを見ると、何だか息苦しい。

 同情とかそんなものではなく、意味も分からない息苦しさに襲われる。

 そう、先ほどエドワードにパトリシアのことを言われた時の熱く火照るような感情とは正反対に、冷たく重くて、苦い物を噛みつぶしてしまった時のように。

「リッツ?」

「あ、悪い。いやマリーさんってどんぐらいの年かと思ってさ」

 適当に誤魔化すと、エドワードは苦笑した。

 おそらくリッツが別のことを考えていたと気がついたのだろう。

 でもエドワードはそれに触れず、代わりに口元を緩めるとリッツを見た。

「驚くなよ」

「何?」

「ジェラルドよりも十近く上だぞ」

「へ? おっさんって五十歳になるぐらいだよな?」

「ああ。だからマレーネは六十になるところさ」

「ろっ……」

 思わず絶句する。四十代ぐらいにしか見えなかった。あの美貌で六十はなしだろう。

「……精霊族?」

「それはお前だろ、馬鹿。人間だ。人間」

 そんな会話をしながら、階段を上り三階へと上がった。三

 階の廊下は静まりかえっている。

 扉の間隔から一部屋一部屋が結構広いのだろうと推測できる。

「ここよ。ごゆっくり」

 マレーネはそういうと、さっさと扉を離れてしまった。

 擦れ違いざまにマレーネのウインクを受け取ってリッツは笑い返してしまったが、六十になるというのを思い出して、どぎまぎした。

 本当にマレーネと関係を持ったらどうしよう。

 頬をポリポリと掻いていたリッツの目の前で、ジェラルドが遠慮もノックもなく扉を開けた。

 とたんに賑やかな嬌声と、男の太い声が飛び込んでくる。

 男が何かを歌っているのだ。

 その圧倒的な声の迫力に、リッツの足が止まってしまった。

「な……」

「入れ、リッツ。廊下にいたら目立つ」

 小声でジェラルドに促されて、リッツは部屋の中に足を踏み入れた。

 先に入ったエドワードが戸惑ったようにその場で足を止めている。

 リッツも部屋の中の光景を見て、動けなくなってしまった。

 部屋の中央にはかなり大きなベットが置かれていて、そこにほぼ全裸の男があぐらを掻いて座っていたのだ。

 歌声はその男の物だった。

 男の歌声は、陽気で明るく、でも決して上品ではない歌詞だ。

 そしてベットには数人の裸の女性がいる。

 女性の一人は気怠げに煙草をふかしながらベッドサイドで酒を飲んでいる。

 彼女だけが他の女性たちと少し違う印象を受ける。

 それ以外の女性たちは男の体に触れていて、男はそんな女性たちを歌いながらもてあそぶ。

 そのたびに女たちは身を捩って、ふざけたような嬌声を上げていたのだ。

 呆然としながらリッツはベットの男を見つめてしまった。

 初めて見るタイプの男に、視線が釘付けだ。

 とにかくリッツも見たことがない異相の男だった。

 身長はきっとかなり高いだろう。

 もしかしたらリッツよりも大きいかも知れない。

 その身長なのに、体つきもかなりいい。

 筋肉が隆々と盛り上がった体は傷跡だらけで、シャンデリアの揺れる炎の明かりに、汗で光を照り返していた。

 髪は落ち着いた煉瓦色をしているが、今までの情事のせいか乱れている。

 そしてこれが一番の特徴なのだが、片方の目が無かった。目のあった場所には、切りつけられたとおぼしき、深い傷跡だけが残っている。残された片方の瞳は、金に近い琥珀のような色をしていて、油断がならない危険な印象を受ける。

 そしてベットの横には、見たこともないぐらい大きな剣があった。

 大剣とはこういうのをいうのだろう。

 その長さは優に一五〇センチはあるだろう。しかも小型の盾に匹敵するぐらいの幅がある。

 おそらく重量は十キロを軽く超えているに違いない。

 あんな物を扱えるとしたら、きっと人間業じゃない。

 ただただ男を見ることしかできないリッツの横を通ったジェラルドが、ベットの男に声を掛けた。

「この時間に待ち合わせたはずだぞ」

「ああ。すまねえな。なにせ女が俺を離さねえから、時間がかかっちまってな。俺は博愛主義者なんだ。お前と違ってなジェリー」

 ニヤニヤと笑いながら、男は近くにいた女性の胸に唇を寄せると女性が喘いだ。

 あまりに堂々たるその態度に、リッツは呆れる。

 一体この男は何者なのか、全く想像が付かない。

「お前も、そこの坊主どもも混ざるか? たまには大多数ってのも楽しいぞ」

「結構だ。若者を間違った道に進めるな」

 ため息混じりにジェラルドは答えると、軽く男を睨んだ。

「……どこに行っても変わらないな、お前は」

「それはこっちの台詞だ。いつまで経っても堅苦しいな、お前は」

「堅苦しいわけではない。普通だ」

 ジェラルドはそう言うと、ソファーに腰を下ろした。

 呆然と立ち尽くすリッツとエドワードも、ジェラルドに呼ばれてソファーに腰を下ろした。

 一体何が何だか、全く分からない。

 困惑する二人をよそに、ジェラルドは肩をすくめて男に命じた。

「身支度をしてくれ。話をしに来た」

「分かってるさ」

 明るく頷くと、男は女たちをまとめて抱きしめ、一人一人に派手な口づけをする。

「お前ら、また今度来た時にな」

「はーい」

 楽しげにベットから降りた女性たちは、薄物を手早くまとって、男に手を振って出て行く。

 するとベットには男と、もう一人の煙草をくゆらせる女性だけになる。

「ソフィア、なんとかならんかこいつは」

 ジェラルドが当たり前のように裸で煙草をくゆらせる女性に声を掛けると、長くて美しい白銀に近い金の髪をした女性は肩をすくめた。

「無理。あたし一人じゃ満足できないの、こいつは」

 振り向いたソフィアの瞳は、綺麗な薄紫をしている。

 妙に冷めた目をした、冷静沈着な女性のようだ。

「こいつに言うな、俺の文句は俺に言え」

 当たり前の事をいいながら、男はガウンをまとって立ち上がった。

 やはりかなりでかい。

 リッツは自分よりも背も体格も大きな人物に出会ったことなど無かったから、圧倒された。

 鍛えられたその体は鋼のようで、まるで壁だ。

「そうだな。ギル、お前は節度がない」

「正面切って言うのかよ、ジェリー。友達がいのない奴だな」

「友だからいうんだ。少しは自嘲しろ。また出入り禁止を食らうぞ」

「最近はおとなしいぞ。食らうもんか」

 喧嘩のような応酬をしながらも、ベットから降りてソファーに歩み寄った男とジェラルドは、がっちりと手を取り合った。

「久しぶりだな、ギル。あちらはどうだった?」

「相変わらずさ。都合良く膠着してやがる」

「そうか。稼ぎ時に呼び出して悪かったな」

「いいさ。金よりも友だからな」

 そう言って満面の笑みを浮かべた男は、リッツとエドワードをじっと見据えた。

 威圧感と圧倒的な存在感を放つその瞳に、リッツは動けない。

 しばらくして男はゆっくりと頷いた。

「なるほどこっちがエドワードで、こっちがリッツだな」

 髪の色を変えているというのに、迷うことなく男はそれぞれを指さしてそういった。

 それにはさすがにジェラルドも驚いたようだった。

「何故分かった?」

「分かるさ。こっちは人を従える天性の力を備えた目をしてる、つまりこっちがエドワードだ」

 指さされてエドワードは、黙ったまま頷きもせずに相手を見つめている。

 きっとエドワードはこの男を自分でどういう男なのか分析しているのだろう。

 そんなエドワードに何かを感じた様子もなく、男は言葉を続ける。

「そしてどことなく不安定さが残っているガキがリッツ、とこういうわけだろう?」

 不安定なガキ扱いされたことに少し小腹が立ってリッツは口を開いた。

「ガキじゃねえよ」

「十分にガキだろうよ。それとも何か、一人前のつもりか?」

 リッツは言葉に詰まった。

 確かに自分でも自分を一人前とは言えない。

 でも黙るのも癪だから、男に突っかかった。

「そういうあんたは誰だよ」

「ん? 俺か? 俺はギルバート・ダグラス。シュジュンで傭兵隊を指揮してるごろつきさ」

 聞き覚えのない地名に、思わずリッツは苛立ちを忘れて問い返していた。

「シュジュンって?」

「ここからずっと北東にあるタルニエンって国の更に北にある闇の国との国境さ。ユリスラと違って、実力者しか生き残れない自由平等の戦場だ」

「……戦場……」

 そういえば今のエネノア大陸で戦闘状態にあるのは、二カ所だと聞いた。

 一カ所はたまに小競り合いがある程度でほぼ停戦に近いが緊張感があり、もう一つは戦いが勃発しているのに、国軍があまり関わらないせいで緊張感がないとローレンに聞いた覚えがある。

 ということはこの男、ギルバートは戦場からきたのだということになる。

 戦場を知らないリッツは、目の前の男をじっと見つめた。

 この国はもうすぐ内戦状態になる。つまり戦場になる。

 そのためにジェラルドがギルバートを呼び寄せたのだと初めて気がついた。

「それでこっちが俺の相棒、ソフィア。同じく傭兵で精霊使いだ。キレると俺の比じゃねえぐらい怖い」

 小声でそういったギルバートの首に腕が廻った。

 ギルバートと同じガウンを羽織ったソフィアだった。

「よくいうよ。あんたほどじゃないさ」

 相棒だという割には、ギルバートと正反対だ。

 熱いという印象を受けるギルバートとは違い、冷静で冷たく聞こえるほどに落ち着き払っている。

 そのソフィアの薄い紫の瞳がリッツを捕らえた。

「君、精霊使い?」

 唐突な言葉に、リッツは目を見開いた。

「え?」

「君からは精霊の気配がする。気がついてないの?」

「うん。俺、精霊見えないし」

「不思議。精霊は君が好きみたいなのに」

 言われてリッツは母を思い出した。

 母はかなり高位の精霊使いで、精霊たちは母が望んだわけでもないのに常に近くにまとわりついているといっていた。

 もしかしたら彼女の精霊が、リッツを気に掛ける母に同調して、いつの間にかまとわりついていたのかも知れない。

「俺の両親が精霊使いだからかな」

「……へぇ。両親が精霊使いなんて珍しいね。精霊使いになれなくて残念」

 そのままの流れで出身を聞かれるかと思ったが、ソフィアはあっさりと話を打ち切り、テーブルの上に置かれていた水差しからコップに水を注いで飲み干した。

 それからもう一杯をギルバートの前に置く。

 当たり前のようにギルバートがそれを飲み干す。

 何となく口を開くことも出来なくて、ソフィアが何の精霊を使うのを聞くのも忘れた。

 困惑してジェラルドを見ると、ジェラルドは静かに笑った。

「リッツがもう聞いてしまったが改めて紹介すると、こちらのギルが、私の士官学校からの友だ。こう見えて元は貴族だった」

「貴族!? 全然見えねぇよ!」

 思わず声を上げると、ギルバートが豪快に笑った。

「面白いなこいつ。黙ってられねえのかよ」

「黙ってられるさ! だけど貴族って、普通こうじゃないじゃんか。おっさんみたいなんじゃねえの?」

「おっさん? ああジェリーのことか。おっさんか、そりゃいいや」

 さもおかしそうにギルバートは爆笑をする。

 何故笑われているのか分からずに戸惑うリッツの肩を、ギルバートが叩いた。

「ユリスラ王国軍の元総司令官を捕まえておっさんとは、こりゃまた剛毅だな!」

「総司令官……?」

 それがどれだけの地位なのかよく分からずにリッツは小さく繰り返した。

 隣のエドワードを見ると、エドワードは苦笑して肩をすくめる。

 今まで聞いたこともなかったが、エドワードもリッツがジェラルドをおっさんと呼ぶことに疑問を感じていたのだろうか?

 だがリッツの心配をよそに、ギルバートは楽しげにジェラルドを見た。

「だけどお前、総司令官よりそっちの方が好きだろう?」

「ああ。悪くない」

「だよな。あの王室に仕えるなら、田舎のおっさんやってたほうが、数千倍もましってもんだ」

「そうかもしれん」

 大変なことをさらりと口にして、二人は楽しげに笑い合った。

 貴族と言えば王室に従い、特権を振りかざす物だと思っていたのに、少々違う人たちもいるらしい。

 おかしそうに笑っていたギルバートが、視線をリッツに戻してリッツを見据えた。

「ああ、お前の疑問に答えてなかったな。俺は元々男爵様さ。ま、今は家も取りつぶしになっちまってねえし、俺も無官だがな」

「取りつぶし?」

「そ。俺は男爵家に属していながら、王族にたてついた馬鹿なのさ。お陰で馬鹿王子に目玉を一つ持って行かれちまったあげくに、家は取りつぶしさ」

「……どうしてって、聞いてもいい?」

 遠慮しようかと考えたものの、知らないことを聞かずにはいられずに尋ねると、ギルバートは笑った。

「いいぞ。俺は女好きの凶状持ちでな。好みの女を王太子スチュワートと取り合って、不興を買っちまったのさ」

「へ……?」

 思い切り予想外の答えに、リッツはまじまじとギルバートを見返すしかない。

 そんなことで爵位を追われた男とジェラルドが何故友となっているのか分からなかったのだ。

 何も言わずにギルバートはニヤニヤとリッツを見返す。

 やがてため息混じりに口を開いたのは、ジェラルドだった。

「お前はまたそうやってわざと偽悪的に自分を語る」

「違うな。正直なところを話しているさ」

「それが偽悪的だと言ってるんだ」

 ため息混じりにそういったジェラルドはリッツとエドワードを交互に見た。

「お前たちもこの男が何者か気に掛かるだろうし、今後のこともあるから、私から話そう」

 そう前置いてジェラルドはリッツとエドワードに話し始めた。

 元々ジェラルドとギルバートは、同じ男爵の爵位を持っており、親しい付き合いをしていたそうだ。だがある時から、ジェラルドは親類のモーガン家を継ぎ侯爵になる。

 若くして侯爵家の主となったジェラルドだったが、爵位を超えたギルバートとの関係は続いていく。

 友である二人は競い合って軍で昇進を重ねた。

 元々貴族であり、士官学校出身の二人は昇進が早い。

 当時の軍は平和に慣れすぎており、実力よりも出世のための工作をして昇進することが多くなっていた。

 そんな軍を変えるべく、階級を上げる度に二人は改革を推し進めていった。

 軍の中に巣くう貴族の老兵たちには煙たがられたが、二人の改革は貴族ではなく一般の兵士に支持されることで更に加速した。

 自然と軍の中に、旧体制派と改革派の派閥ができていくこととなった。

 そんな中でルイーズの事件が起き、ジェラルドには予期せぬ形で国王との間の目通りが出来るようになる。

 そうなれば更に軍での昇進は早く、地位は揺るぎなくなっていく。

 ジェラルドはそれに疑問を感じつつも、淡々と職務を続け、ユリスラ王国軍を育て上げた。

 気がつけば史上最年少で、軍の総司令官にまで上り詰めていたのだ。

 その時のジェラルドは、まだ四十になったばかりだった。

 ギルバートもジェラルドと共に改革派として昇進していく。

 女癖が悪く、娼館に入り浸りのおおらかなギルバートと、遅くなってから迎えた病弱な妻を失ってから、たった一人の愛人と過ごす生真面目なジェラルド。

 正反対なところはたくさんあったが、基本的なところで二人は似ていた。

 貴族でありながらも、二人に家族は少ない。

 侯爵家に養子に貰われたジェラルドは元々あまり裕福ではなかった。

 男爵家といっても、裕福な暮らしを遅れる貴族はそんなに多くない。

 爵位があるから特権は多々あるが、それは金銭に結びつかないこともあるのだ。

 そんな慎ましい男爵家の爵位は兄が継ぎ、グレインの更に北東の湖水地方でのんびりと暮らしを楽しんでいる。

 元々体の丈夫ではない兄にとって、読書と絵画のある静かな生活は何にもまして捨てがたい物らしく、弟であるジェラルドに口を出すことは決してなかった。

 ギルバートの家もまた、そんなに裕福な貴族ではなかった。

 彼はグレインにほど近い自治領区ファルディナを支配する侯爵家の支援をすることを生業にした男爵家に生まれていたのだ。

 ダグラス家に与えられる仕事は、侯爵家から命じられた仕事の下請けだった。

 それは侯爵家の人間が避けて通りがちな、領民との対話を重視する仕事である。

 ギルバートの父は、いつも街中を走り回っていたという。

 そんな父を見てギルバートは軍人になり、出世しなければ状況の打開は出来ないと考えて軍に身を投じた。

 そんな二人だったから、貴族としての考えを知りつつも、平民層に近い考えを持つことが出来た。

 それが特権的な軍の組織を、実務的な組織へと変えていくのに大いに役立ったのである。

 だが五年ほど前に、事件が起きた。

 王太子スチュワートが、とある貴族専門の高級娼館で彼の意のままにならなかった娼婦に斬りつける、という出来事が起こったのである。

 スチュワートは冷たい美貌を持った男だ。

 その身分と姿形からも、女性に不自由はしないはずだった。

 だが彼は女性を足下にひれ伏させ、暴力によって服従させることを好んだ。

 それは当然ながらスチュワートの部下や、周りの人間にも適用される。

 スチュワートは総てを王族という権力で押さえつけようとしていたのである。

 当然ながら娼館だからといって、そんな無法なことが許されるはずもない。

 だがスチュワートはその権力で店側を押さえ込もうとしたのだ。

 その時店に居合わせたのが、ギルバートだった。

「ま、俺は娼館のルールにも従えないようなガキは大嫌いでね。大暴れしてる馬鹿王子を、一発殴りつけて安らかな眠りに誘ってやったってわけさ」

 こともなげにギルバートはそう言ったが、それは今のユリスラ王国では、死刑になってもおかしくない事だ。

 当然ギルバートはそれを知っていた。

 知っていたが、我慢できる状況ではなかったのだという。

 女好きなギルバードではあるが、貴族として紳士的ではない態度を女性にとることは、許し難いと思っているのだそうだ。

 スチュワートは目を覚ました後、犯人捜しを初め、隠すつもりが全くないギルバートはあっさりとお縄になった。

 そして王城の謁見の間に引きずり出されて、怒り狂うスチュワートに、感情にまかせて斬りつけられることとなる。

 その時にギルバートの片目は失われたのだ。

 そのままギルバートは牢獄に放り込まれた。

 その騒ぎを知ったジェラルドは、ギルバートを救うべく裏工作をした。

 ルイーズを通して、国王に許しを求めたのだ。

 その結果、ダグラス男爵家は断絶。

 ギルバートは軍での職を追われたものの、ギルバートと家族の命は救われた。

 だがユリスラ王国に嫌気が差したギルバートは、国を離れて傭兵として生きる道を選んだのである。

 だがこうして二年に一度ほど、ユリスラ王国に顔を出している。それに合わせてジェラルドはギルバートとさらなる親交を深めてきたのだという。

 長い話が終わると、ギルバートは煙草に火を付けて、そして煙を吹き出した。

「あの時俺はバルディア夫人に命を助けられたんだ。俺はしがない傭兵だが、男としての恩義は忘れねえ」

 そういうと、ギルバートはまっすぐにエドワードに向き直った。

「だからこうして帰ってきたのさ。俺の傭兵部隊を連れてな。だから俺を失望させてくれるなよ、エドワード殿下」

「……俺の事を知ってるのか?」

 エドワードの身分は、一部の身内しか知らない極秘事項のはずだ。

 それを見知らぬ男が知っていたことに、エドワードは眉を寄せる。

 見つめ合うというよりもエドワードの目は、鋭くギルバートを見据えている。

 怖いぐらいの緊張感が満ちていた。

 ギルバートは決して目をそらさないし、エドワードもギルバートから目を背けることはない。

 横にいるリッツの方が一触即発に近い緊張感に、手に汗を握る。

 やがてギルバートはゆっくりと手を持ち上げた。

 エドワードだけではなく、リッツも思わず剣に手をかけ、立ち上がりかけた。

 だがギルバートの手は思いも寄らない方向に動いた。

 ぽんとエドワードの頭に乗ったのだ。

 あまりに意外な行動にエドワードだけではなく、リッツもまた半分腰を浮かせたまま動けない。

 そんな完全に硬直したエドワードの頭を、ギルバートはわしわしと子供にするように撫でたのだ。

「な……っ!」

 思わず絶句するエドワードに、ギルバートは破顔した。

「そうかそうか。あの時のふにゃふにゃの赤ん坊が、こんなに大きくなったのか。俺はお前が俺の指を握ってニコニコしてたのをちゃんと覚えているぞ。あの時思ったもんさ。赤ん坊ってのはこんなに可愛くてたまらんもんかってな」

「!」

 目を見開いてエドワードがすごい勢いでジェラルドを見た。

 ジェラルドは肩をすくめて苦笑する。

「ローレンとお前をグレインまで逃したのはギルだ。ファルディナに里帰りするという名目で馬車を仕立てて、お前とローレンを一月近くかけてティルスまで連れ帰った」

「……!」

「ギルは女好きでどうしようもない男だが、こう見えて子供も好きでな。ローレンの話では、その間ギルは赤ん坊だったお前に夢中だったようだな。お陰で女と来たら手を出すと言われたギルは、ローレンに手を出すことすら忘れたらしい」

「そりゃそうさ。子供には俺たちの知らない世界がある。その世界は時に俺ら駄目な大人の目を開かせてくれるんだ。そう考えりゃ、子供は財産だ。違うか、ジェリー」

「違わない。子供の幸福なき世界に未来はない」

「そうさ。俺たち大人はさっさと先に死ぬ。だからガキどもには世界をまっすぐに見てほしいのさ。そのために俺は、奴らに対抗できる面白いおっさんでいたいってわけだ」

「……こういう奴だ。ダグラス家の元々の仕事は、教育だったしな」

 思わぬ事に、エドワードが滅多に見られないぐらい驚いた顔で固まっている。

 相変わらずギルバートは楽しそうにエドワードの頭を撫でている。

「そんなこと……今まで一度も……」

「仕方なかろう。ギルが傭兵になって消えたんだからな。それに謀反の疑いを掛けられたギルとお前を会わせることも出来ないさ」

 エドワードの存在を隠していたのだから、当然の措置なのだろう。

「ジェラルドが連れて帰ってくれたとばかり……」

「私は疑われかねんから、とてもグレインまでお前たちを連れて帰れなかった」

 ジェラルドの口調が柔らかく、笑みを含んだ物に変わっていく。

 リッツも笑いをこらえていた。

 頭を撫でられるエドワードも前代未聞なら、愕然とした顔で、満面の笑みを浮かべる異相の男を見つめるエドワードも初めて見る。

 やがてギルバートは、満足したのかエドワードから手をのけた。

「ま、そういうわけだ。俺は面倒を見た奴は、手助けしたくなるたちでな。お前がそれに値する大人に育ってくれていて、安心した。お前までどうしようない馬鹿王子になっていたら、俺はお前を生かした自分に責任をとらねばならないところだったさ」

 そういって相変わらずの笑みを浮かべてギルバートが見たのは、あの大剣だった。

 エドワードがもしもギルバートの目を傷つけた王太子のようになっていたら、問答無用に切り捨てていたというのだ。

 リッツは息をのむ。

 子供好きかも知れないが、もしかしたらそれは、とても厳しい条件の付いた子供好きなのかも知れない。

「俺は合格だと?」

「ああ。いい目をしている。だから俺はお前に賭けることにした。俺の力をお前に貸してやる」

 すごみのある微笑みに、リッツは引きつけられるようにギルバートを見つめる。

 ギルバートはソファーにもたれかかり、ゆっくりと腕を組んだ。

「お前も気がついているんだろう?」

 ギルバートの笑みは相変わらずだが、琥珀の瞳が不敵に輝いた。

「……時代が動くと」

 リッツはその表情に息をのんだ。

 今までに出会った誰にもなかった、怖いほどの戦いへの欲求。

 ギルバートは本気で、今この国を傾けようとしている王族と戦うためにこの国に戻ってきたのだ。

「バルディア夫人は亡くなられたが、時が来たなら命を賭けてこの恩義を返そう。どうするね、殿下」

 厳しい視線を向けられたエドワードは、その視線をまっすぐに受け止めた。

 痛いぐらいの静けさに、リッツは唾を飲み込んだ。

 やがてエドワードが静かに息をつく。

「ユリスラの平穏のために、その力を貸して欲しい。時が来たなら共に戦ってくれ」

 力強い言葉だった。

 リッツはエドワードを見つめる。あの時の、リッツを拾ってくれた時と同じ、力ある光が瞳に満ちていた。

 思わず見とれたリッツをよそに、ギルバートが胸に手を当てて静かに頭を下げた。

「御意にございます。殿下」

「ああ」

 頷いたエドワードは大きく息をついた。

「……この立場は大変だな」

 そんな軽く愚痴の混じったエドワードに、明るく言葉を掛けたのは、ギルバートだった。

「愚痴を言うな、エドワード。今後は俺の比じゃないぐらい大勢がお前に跪くだろう。だがお前は見失うなよ。お前はスチュワートやリチャードになるな」

「分かっている」

 小さく答えたエドワードの重圧を思うと、辛くなる。

 少しでもエドワードの役に立ちたい。

 だが今は何をすべきなのかが分からない。

「で、俺はとりあえずこの、うるせえガキを鍛え上げればいいわけだな?」

 唐突にギルバートにそう言われて、リッツは弾かれたように顔を上げた。

「へ? 俺?」

 思わずジェラルドを見ると、ジェラルドは苦笑して、ギルバートを見た。

「そうだ。おそらく私をもう追い越す。お前ぐらいでなければこれ以上強くはならない」

「了解だ。おい、リッツ」

「なに?」

「グレインに着いてから、俺がたんまりと遊んでやるからな」

 あまりのことにジェラルドを見ると、ジェラルドは笑顔で頷き返してきた。

 どうやら事が起こるまでは、リッツがギルバートに師事することが決まっているようだった。

「そんなぁ……」

「そう嘆くな。俺はガキが嫌いじゃねえからな。特に鍛え甲斐のある馬鹿ガキは大好きだ」

「うげっ……」

 リッツの嘆きは誰にも受け入れられなかった。

 翌朝、グレイン騎士団に化けた数人の傭兵たちと共に、一行はグレインへの帰路についた。  

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ