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燎原の覇者  作者: さかもと希夢
冀求の種子
24/179

<3>

「うわぁ……おっきい街だなぁ……」

 リッツは王都の大通りを馬に乗って歩きながら小さく呟いていた。

「グレインよりもでっかいや」

 本当は田舎物のお上りさんであるリッツは、あちこちをきょろきょろと見て歩きたいのだが、今は金の髪でエドワード・セロシアを演じならなければならない身だから、そんなことをしていられない。

「田舎者丸出しだな」

 聞こえていたらしく、隣のエドワードが肩をすくめて笑う。

 この笑い方は絶対にリッツをからかっているか馬鹿にしている。

「ふ~んだ。どうせ田舎者だよ」

 ふてくされて呟くと、エドワードはまた笑った。

 小声で呟いているのに、どうもエドワードには聞こえてしまうらしい。

「いじけるな。事が済んだら少しぐらい街を案内してやる」

「本当か?」

「ああ。だからしっかりと表情を消していてくれよ、エドワード君」

「ぐっ……」

 エドワードにわざとらしく、からかい気味に言われて、リッツは言葉に詰まった。

 この街に入った段階から、エドワードはリッツの方なのだ。

 思わず睨み付けたエドワードの前髪はわざとまっすぐに整えられていて長く、髪の隙間から見える水色の瞳がいつもよりも一段と冷たく冴え冴えと光っている。

 黒髪に鋭く輝く水色の光は、いつもにましてすごみがある。

 視線の鋭い時のエドワードは金髪の方が、まだ幾分かましな気がする。

「どうかしたか、エドワード?」

 エドワードに冷静にそう言われて、リッツは再びむくれた。

「へいへい。分かってますよ、リッツ君」

 演じきるしかないのは分かっているが、リッツにはエドワードのように、人前で完璧な人間を演じることなんて出来そうにない。

 だからジェラルドとエドワードには、リッツがオフェリル領主クロヴィス卿と相対した時と同じように『イエス』か『ノー』もしくは『はい』『御意にございます』『申し訳ございません』『ありがとうございます』としか答えないようにと、移動の馬車の中で徹底的にたたき込まれた。

 それから挨拶も覚え込まされた。

 もしシュヴァリエ夫人に直接声を掛けられた時、最低限の自己紹介を出来るようにと、台詞を覚えさせられたのだ。

 そしてこれが一番重要なのだが、エドワードをとっさの時にも『リッツ』と自分の名で呼べるようにも特訓された。

 何しろ王宮内で何があるか分からないのだ。

 同じようにエドワードもリッツを『エド』と呼んだりする。

 お陰で騎士団第一隊の人々にまでからかい気味に『でかい方のエド』と呼ばれるようになってしまった。

 なのに騎士団の面々はエドワードの方を『エド』と今まで通りに呼ぶ。

 エドワードは普段通りにしていても絶対大丈夫だという信頼があるのだ。

 残念ながら軽はずみな行動にでがちなリッツには、騎士団からの信頼がいまいちない。

 背ばかり大きくて落ち着きのないリッツを、彼らは仲間として認めてくれているし、年下として可愛がっては貰っている。

 だがエドワードと違って、リッツは子供扱いされているのである。

 たまにそれが面白くないことだってあるが、リッツには彼らに反抗することも出来ない。

 何しろリッツ自身だって、ちゃんとエドワードを出来る自信なんてこれっぽっちもない。

 出来れば誰かに変わって欲しいぐらいだ。

 でもここまで来てそんなことは出来ないことぐらい、自分でも分かっている。

 リッツは軽く痛む耳に手を触れた。

 リッツの特徴的な長い耳は、小さな細い糸で編まれた小さな耳カバーの中に二つ折りにしてしまわれている。

 髪を下ろしてしまえば、リッツの耳に細工がしてあることなど見えなくなる。

 これが結構痛いのだが、今から敵の本拠地へ殴り込むのだから仕方のないことだ。

 リッツはため息を付くと、金に染まった少し長めの髪を軽く掻き上げた。

 さらさらと指の間から零れる金色の髪には、まだまだ違和感があって馴染めない。

 最近髪を切るのをサボっていたから伸び放題だったが、耳や目を隠すのには都合が良かった。

 何がラッキーに繋がるのかなんて、本当に分からない。

 リッツは小さくため息をつくと前を向き、馬車の後ろに付いた。

 ぼんやりと街を眺めていたら、置いてきぼりになってしまいそうだ。

 今馬車の中にいるのはジェラルドだけだ。

 ここへ来る途中は、エドワードを演じる特訓のためにリッツもエドワードも馬車に乗せられたのだが、ジェラルド付きの騎士を演じるなら、こうして馬上にいなければおかしい。

 なるべくいつものエドワードのように毅然として見えるように、リッツは背筋を伸ばした。

 背を丸めて視線を彷徨わせるエドワードはあり得ない。

 賑やかな大通りだが、この馬車の一団が通ると、とたんに水を打ったような静けさに包まれる。

 喪章を付けた見慣れぬ制服の男たち、馬車を覆おう黒い喪の装飾。

 街の人々はみな、それが誰のために用意された馬車なのかを一目見て理解する。

 そして国王の寵愛を二十年以上の間一身に受け続けた寵姫の死を思い出し暗澹とした気分になるのだという。

 この国の崩壊は、その寵姫によって守られていたと街では噂されていると、来る時に馬車の中でジェラルドに聞いた。

 だからルイーズ・バルディア夫人の人気は、イーディス・シュヴァリエ夫人に対して格段に高い。

 イーディスに関しては、悪口と嫌味しか聞かないらしい。

 実際にリッツもエドワードの元に身を寄せる前に、その噂は聞いている。

 そしてその息子の話も。

 彼らによって、国は更に悪くなるといわれているのだ。

 エドワードも同じように思っていることも知っている。

 国王が死んだら、本当にこの国は崩壊してしまうんだろうか。

 シアーズの街に目を配りながら、リッツはそんなことを思った。

 たった一人の人の死で、国自体が傾いてしまうなんて事、あるんだろうか。

 今まで狭い世界でしか生きてこなかったリッツには、それがよく分からない。

 やがて馬車は街の中心と思われる巨大な十字路にさしかかった。

 正面の道は今までの道と同様に、大きな道が海までまっすぐに続いていて、大きな店が続いている。

 やってきた進行方向から右手の道には、沢山の人々が溢れ、カフェや大きな店がガラス越しの景色の中で仕事しているのが分かる。

 この街の中心にある大きな商業エリアなのだろう。

 反対に左へと伸びる道は、綺麗の舗装されている幅の広い道だ。

 その道は右手の道と違って、緩やかな坂道になっていて、徐々に上っているのが分かる。

 大通りに面した建物と、角のいくつかの店は商店のようだが、商業エリアとは違って人はまばらで、まっすぐに見通せる先には、家々が立ち並んでいるのが分かった。

 馬車の隊列は迷うことなく静かな左の道に入っていく。

 馬車が並んで三台ぐらいは通れるのではないかという石畳の道は綺麗に保たれていて、ほとんどゴミも落ちていない。

 歩く人は、上の方へ行けば行くほど減っていく。

 そして出会う人のほとんどが、軍服を身につけているか、軍服よりはスーツに近い制服を身につけているのが分かった。

 女性は圧倒的に少ない。

 軍服はリッツが見たことのある辺境警備隊のものとは少し違う形と色をしているから、きっとこれがユリスラ王国の正規軍なのだろう。

 周りを見回しているとあまりに不審だから、リッツは視線だけをあちこちに配った。

 坂を上るにつれて、門構えはますます立派になり庭も家も広くなっていく。

「金持ち街?」

 思わず呟くと、隣を行くエドワードが小さく答えてくれた。

「貴族の邸宅さ。シアーズは最も貴族が多く住む街だからな」

「そうなの?」

「そうだ。王城に近く、大きな家を構えている貴族ほど、特権をたっぷり抱えた大貴族だ。つまり伯爵以上だな」

「……貴族の階級って全くわかんねえんだけど」

 今まで知りたいとも思わなかったから、尋ねたこともなかった。

 エドワードは微かに笑って説明してくれる。

「簡単に言えば、王族に血を連ねる家が公爵で、各自治領主に任じられるほど有力な大貴族が侯爵だ。その下が伯爵、そのまた下の上級貴族を子爵、そして侯爵を補佐するべく自治領区に任じられる名家が、男爵だ。まあ、男爵と子爵は、国王が軍歴を上げてかなりの活躍をした者にも与える地位でもある」

「はぁ……」

「その下にも王国騎士の称号もある。上にいくほど人数は少なく、階級が下がるほど人数が多い」

 ややこしい。やっぱり覚えたくない。リッツには全く興味がないものだ。

 貴族になりたいとはみじんたりとも思わない。

 でも知っておかないと、いざというときエドワードやジェラルドに情報を伝えられなくなるかも知れない。

 これはもう少し付き合って貰おう。

「ええっと、じゃあ、おっさんは侯爵?」

「ああ。正式にはジェラルド・モーガン侯爵ということになるな。モーガン家は代々侯爵だからな。パティは侯爵令嬢だ」

「令嬢って……もっとお淑やかなんじゃねえの?」

「まぁ、それはそれだ」

 エドワードは肩をすくめた。

 世間一般の令嬢のイメージといえば、長い髪に緩やかに揺れるドレスをまとって、優雅に時を過ごしている姿だ。

 だがパトリシアは髪をリッツやエドワードと同じぐらいか、それより短くして、軍服を身につけてレイピアを振るい、白銀の杖を振りかざす。

 まかり間違っても令嬢という言葉は似合わない。

「オフェリルのクロヴィスも侯爵?」

「ああ。もともと自治領区は、王国中期に大きな戦乱が起こった際、めざましい活躍をした軍人たちが爵位と共に国王より賜った土地だ。だからその頃から貴族はいるということさ」

「王国中期って?」

「今からざっと、七〇〇年から六〇〇年ぐらい前じゃないか?」

「そんなもんかぁ……」

 そんなに昔から貴族はいたらしい。

 でもよくよく考えてみれば、それ以前には貴族はいなかったのだ。

 リッツたちの一族の寿命は千年ある。

 つまり一族の寿命よりも遙かに短い期間しか、貴族という存在はいない。

 そう考えるとそんなに短い期間しか存在していない身分の彼らが、何を威張ってるんだ、という気にもなる。

 だがきっと人間の七百年は、ものすごく長い時間なのだろう。

「少し黙ってろ。ここからは軍人が更に多くなる」

 後ろを歩いていた騎士団員に言われて、リッツは首をすくめて口を閉じた。

 確かにここでしゃべっていて色々ばれてしまえば元も子もない。

 ちらりとエドワードに目をやると、何事もなかったかのように前を向いている。

 要領がいいんだか、変わり身が早いのだか分からない。

 そうこうしているあいだにも馬車は緩やかな坂道をゆっくりと上っていく。

 すると坂道の先に、巨大な壁と門が見えてきた。

 ここにある貴族の屋敷がまるで子供のおもちゃかと思うほど、その偉容なたたずまいは見る人々を圧倒する。

 近づくに連れて、ますます王城の大きさに圧倒された。

 白を基調とした石造りの壁の上には、幾つもの見張り台が作られていて、そこに人々が弓を抱えて立っているのが見える。

 その数もかなりなものだ。

 更に上っていくと巨大な門の中心に、開かれた大きな扉が見えてきた。

 真っ黒な鉄に縁を飾られた巨大な木製両開きの扉はリッツの二倍以上はあるだろう。

 その前には完全武装をした軍服の男たちが左右に数人づつ、槍を構えて立っている。

 これもまた正規軍とは少し違う軍服を身にまとっている。どちらかというと、辺境警備隊の軍服に近いだろう。

 貴族の住宅街を抜け、門の前の開かれた広場の中心で馬車が止まった。

「……これが……王城……」

 リッツは思わず呟いていた。

 圧倒的な存在感だ。

 今まで城なんて想像上のものでしか無かったが、目の前にあるこの王城の頑丈そうなたたずまいに言葉も出ない。

 ここに、ユリスラ王国を支配する、絶対の権力者国王がいるのだと思うと、緊張感が増す。

 何しろリッツはその国王の名目上の伴侶となった王妃と面会しなければならないのだ。

 ただ王城を眺めているだけのリッツの眼前で、騎士団第一隊長エリクソンが門番に書類を見せて話をしている。

 やがてエリクソンが隊列に戻り、再び馬車の隊列は動き出した。

 隊列は吸い込まれるようにして、巨大な王城の門をくぐっていく。

 見た目からして強固なこの城壁はかなり厚かったらしく、門の下のトンネル状の通路は数メートル以上あった。

 門を抜けると、まばゆい空間が広がっていた。巨大な芝生の空間が現れたのだ。

 中央には巨大な噴水があり、芝の空間を取り囲むように、馬車や馬が行き交っている。

 広場の左右には、五階建てぐらいの建物が左右対称に建っているし、その先にもまた同じぐらいの高さの建物がそびえ立っている。

 そしてそのずっと奧の正面に、また巨大な門が見えている。とにかくとてつもなく広い。

「……城、だよな?」

 呟くと、エドワードは微かに笑った。

「確かに城の中だ。でもリッツ、ユリスラの王城は、かなり広いぞ」

「どのくらい?」

「規模としては、ティルスの村ぐらいあると考えていい」

「げ……」

 ティルスは小さな村だが、人は少なくても小麦畑を含めるとかなりの広さがある。

 それを同等とは……想像も付かない。

「なんで?」

「何しろ王国軍部、政務部、騎兵隊、近衛部隊、貴族の子息が通う士官学校、そして王がおわす王城に、王族が暮らす王宮がすべてあるんだからな。この広場は学校と騎兵隊のエリアで、政務部と軍務部はあの奧の建物だ」

「はぁ……」

「正面の門を入って、もう一つの広場を抜けたところに、王城と近衛兵の隊舎がある。そしてそのずっと奧から山裾までが、国王の住んでいる王宮さ」

「……すっげぇ……」

 聞くだけでもその広さに驚く。

 感嘆の声を上げると、後ろの騎士に再び咳払いをされてしまった。

 確かに敵の本拠地とも言うべき王城で軽はずみな行動をすべきじゃない。

 リッツは必死で表情を消しながら前方を睨んだ。

 馬車の隊列は正面の道を離れて、王城の奧へと進む。

 二つ目の門も先ほどと同じように通過し、一つ目の空間よりも少々小ぶりな芝の空間にたどり着いた。

 第一の門をくぐった時とは違い、正面に王城が見えた。アーチ状の柱と壁が見事な王城からは、人々が忙しく出入りしているのが見える。

 見回すとこの場所でも左右に建物が並んでいる。

 向かって左が政務部、右が軍務部だと、エドワードが小声で説明してくれた。

 おそらくここがこの国の中心部だ。

 だが馬車はその中心部へは向かわなかった。

 馬車は軍務部の方へとゆっくり進んでいく。

 だがその建物に寄るでもなく、静かに王城の裏へと向かった。

 やがて馬車は、軍務部を通り過ぎて更に奧にあった厩舎で止まった。

「ここは?」

 小声でエドワードに聞くと、エドワードは身軽に馬から下りながら答えてくれた。

「国王への謁見が許されている一部貴族のための厩舎さ。ジェラルドはここを使える」

「へぇ……」

 頷いて馬車を降りつつ、リッツは感慨にふけった。

 あのジェラルドがこんなに偉い人だなんて知らなかった。

 かといってジェラルドの立場を知っていたら態度を改めたのかと聞かれれば、それはないと答えられる。

 リッツは本当に階級や役職に全く興味がない。

 人を見る基準なんていつも単純で、信頼できるか出来ないかだけだ。

 だからどんなにジェラルドが偉い人だと分かっても、リッツの中ではおっさんなのである。

 馬車はグレインから共に来た馬丁たちと、騎士たちの更に三分の二に任せた。

 何があるか分からないから、馬車の近くに騎士の大半を残すというのは最後の宿営地でエドワードから聞いている。

 馬車を守りきれば、何かあった時に逃げられるからというのがジェラルドの提案だ。

 なるほどもし追っ手がかかったりしたら、この人数で走って逃げたって逃げ切れない。

 リッツは目の前にそびえる王城を見上げた。

 これから何が起こるのか、どんなことになるのか、全く見当が付かない。

 ちらりとエドワードの視線を投げかけたが、エドワードは黙って正面を向いて何かをじっと見つめていた。

 その視線は険しい。

 もしかしたらこの建物の中にいる誰かを睨み付けているのかも知れない。

 この城で彼らを待っているのは、エドワードの母を毒殺したであろう、シュヴァリエ夫人だ。

 それを思い出すと、思わず唾を飲み込んだ。

 ここからは敵の本拠地だ。

 もしリッツがしくじったならエドワードやジェラルドにも危険が及ぶかも知れないと思うと、否が応でも緊張感が増す。

 だが緊張しまくるリッツには、心のゆとりを取り戻す余裕はなかった。

 厩舎には案内の者が来ていて、休む間もなく王城の中へ誘われたのだ。

 ジェラルドを先頭に、王城の中を歩いて行く。

 ジェラルドのすぐ後ろにはリッツとエドワードが付き、その後ろには、たった五人の騎士団員が続いていた。

 たった五人だが、この五人は選りすぐりの手練れだ。

 たまにリッツに稽古を付けてくれるから、彼らの実力は知っている。

 だがリッツはもう彼らに負けることが無くなってきていた。

 リッツの独特な動きは、騎士たちにとってやりにくいのだそうだ。

 それにリッツが自分で考えていた以上には、どうやら剣技の才能があったらしい。

 未だ勝てないが、ジェラルドともいい勝負に持ち込める時もたまにある。

 そんなリッツの成長を見守ってきてくれた騎士たちは、自分たちと同じように、形通りの剣技を学んだ正規軍の軍人になら、絶対に勝てると太鼓判を押してくれていた。

 だがそうはいわれても実際に戦ったことがないリッツには想像も付かない。

 緊張のあまり小さく息をついた。思ったよりも大きく聞こえたため息に焦る。

 だがエドワードに、黙ったまま肩を叩かれて、今度は深呼吸する。

 とにかく落ち着かなければ。

 慌てる奴は長生きできないと、ジェラルドは冗談交じりにいつもリッツに言うのだが、きっとそれは真理だ。

 磨き上げられた廊下では、足音ばかりが響く。

 時折すれ違う人々はみな軍服か制服で、喪章を付けた彼らを見ると一様に顔を背ける。

 その姿はまるで彼らと関わり合ってはいけないと思っているようで不思議だった。

 どうやら街とこことでは、ルイーズの身内に対する感情が全く違うようなのだ。

 疑問に思ったが、静まりかえった王城でそれを口に出して聞くことなど出来るはずもない。

 ちらりとエドワードを見たのだが、エドワードも少し緊張した顔でまっすぐに前を見ていて、こちらの視線に気がついた様子はなかった。

 緊張感に満ちた気の重い時間は永遠に続くような気がしていたのだが、やがて一行は、大きな扉の前にたどり着いた。

 足を止めたリッツは目の前の扉を見上げた。

 これもまた大きな扉だ。リッツ二人分ぐらいだろうか。

 王城は何もかもが無駄に大きい。

 何だか少し不便そうだと、装飾に興味がないリッツは思う。

 案内係が静かに頭を下げると、扉に付いていた二人の軍人が、ゆっくりと扉を開く。

 徐々に開かれた扉の間から、暗い廊下に光が漏れだしてきた。

 やがて扉が大きく開け放たれ、薄暗い廊下に慣れていた目を微かに細めながら、リッツは扉のその先を見つめた。

 扉の向こうは、光に満ちていた。

 左右の壁には大きな窓が作られていて、そこから日の光が燦々と降り注いでいるのだ。扉の前から敷かれた紅い絨毯は、まっすぐに正面にある数段高い椅子の前まで続いていた。

 その絨毯に、特徴的な窓枠の形が影となって落ちていて、まるでステンドグラスかモザイクガラスのようで、芸術など何も分からないリッツから見ても綺麗だった。

 あまりに印象的な光景に、リッツの視線は美しい影を目で追いながら絨毯をたどり、やがて正面にある椅子と、そこに座る人物の前で止まった。

 そこには肘掛けに片肘を掛けた体勢の女性がまっすぐにこちらを見据えて座っていた。

 金に近い薄茶色の髪をまとめ、ティアラを飾った女性の目つきは鋭い。

 リッツは息をのんだ。

 五十代も半ばだろうか。

 細身の体だが年齢に似合わず、大きく開いたドレスの胸元からは豊満な胸がのぞいている。

 想像していた女性とは違う。

 綺麗な女性だった。だがその綺麗さには険がある。

 触れたくなるような、アリシアような輝く美しさではない。

 冷たく、暗い何かを秘め、出来れば近くに行きたくない、そんな美しさだ。

 イーディス・シュヴァリエ夫人……。

 いや、今はイーディス王妃らしい。

 国王の許し無く王妃に即位した大貴族出身の女だ。

 その隣には王妃よりもかなり若い男が一人、直立不動で立っている。

「モーガン侯爵がお着きでございます」

 ここまで彼らを案内してきた男がそう言って恭しく頭を下げると、イーディスはゆっくりと肘掛けからもたれていた体を浮かせて姿勢を正した。

「ご苦労でした」

「はっ! 失礼いたします」

 案内の男に促されて、一行は謁見の間に足を踏み入れた。

 後ろで重々しく扉が閉じられる。

 何だか閉じ込められたような気がして、息が苦しい。

 周りをちらりと見渡すと、扉から見ただけでは気がつかなかったが、紅い絨毯から離れた壁際に、ずらりと身辺警護らしい軍人が立っているのに気がついた。

 軽くこちらの倍はいるだろう。

 もし万が一のことがあったら……逃げられるだろうか?

 緊張するリッツとは反対に、ジェラルドはゆっくりとイーディスに向かって歩を進める。

 どれだけ近づいていい物なのか、どうしたらいいのか分からないリッツは、隣を歩くエドワードに合わせて歩くしかない。

 やがてジェラルドは、後方に控えるリッツ、エドワードを含む騎士団を制止し、一人歩いてイーディスの座る玉座の数メートル手前に膝を付いた。

 騎士団員もそれに倣って膝を付く。

 ここまではちゃんと聞いていたことだから、慌てることなくリッツも倣うことが出来た。

「モーガン侯爵。遠いところをご苦労であった」

 イーディスが口を開いた。

 見た目よりもかなりかすれた声だ、声だけを聞くと、まるで老人のようでリッツは驚く。

「たいしたことではございませぬ。イーディス様におかれましては、王妃へのご即位、誠におめでとうございます」

 淡々と、何の感情もこもらない声でそういったジェラルドに、イーディスは小さくかすれ越えで笑った。

「どこまでが本心であるやら。侯爵はバルディア夫人派であろうに」

 嫌味な口調にもジェラルドはまったく動じることなく言葉を紡ぐ。

「バルディア夫人は我が自治領区出身でおられました。それだけのことです」

「ほう……では、妾へ派閥替えをしてもよいか?」

「派閥になど興味はございません。私の忠誠は王国と国王陛下にあります」

「……ひいては妾にも忠誠はあるのかえ?」

「御意に」

「心にもないことを。本当は苦々しく思っておるのだろう?」

「おりません。国王陛下がお決めになられたのであれば、それに従うが臣下の務めでございます」

「そうであれば、よいのだが」

 探るような言葉に、ジェラルドは応えない。

 リッツは内心ハラハラしていた。

 俯いて平伏しているから、この二人がどんな表情でやりとりしているのか全く分からず、それが返って怖い。

 ジェラルドを信頼しているし、リッツのようなへまをやることは万が一にもないだろう。

 だがそれでもこの状況には緊張せずにはいられない。

 このままあっさりと会見を終えてグレインに帰れるのだろうか。

 やがて沈黙に耐えられなくなったのか、イーディスが口を開いた。

「まあよい。モーガン侯爵、今後も王国に忠誠を持って仕えよ」

「はい」

 ジェラルドの穏やかな返事に、苛立ったようにため息をついたイーディスだったが、小さく吐息を漏らすと再び口を開いた。

「本日、ここにご足労願ったのは、バルディア夫人の遺品のことじゃ」

 当たり前の事を告げ、イーディスは笑う。

「侍女に荷物をまとめさせて送り返す事も考えたが、陛下のご寵愛を長年受け続けてきたバルディア夫人に失礼かと思うてな。総ての荷を残しておるぞ」

 親切ごかして語るイーディスの言葉に、リッツは腹立たしい思いを抱いた。

 だがこの場にいて一番腹立たしい思いと辛い思いを抱えているのは、エドワードのはずだ。

 平伏したままだが、そっとエドワードの方を盗み見ると、エドワードはまっすぐに垂らした黒髪の中から、じっとイーディスを見つめているのが分かった。

 髪に隠れて向こうからでは見えないだろう。

 だがリッツから見えたその瞳は、いつも以上に冷たいアイスブルーに鋭く光っている。

 リッツもこっそり一瞬だけイーディスを盗み見た。

 そして母親を殺した相手の前に膝を突くエドワードの気持ちを思う。

 苦痛どころじゃないだろう。

 リッツなら自分の母親を殺されたりしたら、絶対に斬りかかりそうだ。

 なにしろ子供の頃のリッツはかなりの母親っ子で、おそらく母親がいなければ体も、そして心も死んでいただろう。

 切ない気持ちで見ていると、エドワードはリッツの視線に気がついたのか、こちらに一瞬だけ視線を向けて口元を緩めた。

 それだけでリッツに大丈夫だから、と伝えているのだと分かる。

 エドワードは感情を一瞬にして心の中に押し込めることが出来る。

 リッツにはそれがまだ上手くできない。

 やはりエドワードは大人だ。

 年齢だけを見れば、リッツの方が八十年近く長く生きているのに、感情を抑えきれないリッツは、やはり見た目通りの子供なのだろう。

「バルディア夫人の遺品は、侍女と侍従たちによってまとめられておる。本日中に侯爵の馬車に積み込む手はずじゃ」

 リッツが気がつくと、ルイーズの荷物の受け取りの話は済んでいるようだった。

「は。お手数をおかけし、申し訳ございませぬ」

 恭しく頭を下げるジェラルドに、イーディスはことさら声を潜め、さも悲しげに告げた。

「陛下を共にお慰みした身、バルディア夫人は大変残念なことであった。せめて穏やかに眠れるよう、妾も光の精霊王に祈りを捧げさせて貰うこととしようと思うておる」

「心遣い、ありがとうございます。バルディア夫人も天の国でお喜びになるでしょう」

 静かなやりとりの中に、目には見えない棘が沢山飛び交っているのを感じながら、リッツは冷や汗を掻く。

 もしも隠している言葉が目に見えるとしたら、この場は戦場と同じく、ひどい事態になっているだろう。この戦場にいてもリッツは自分が何の役にも立たないだろう事ぐらい、よく分かっている。

 どうかこのやりとりの中に自分が入るような事態になることは、絶対に避けて欲しい。

 いや、絶対にやめて欲しい。

「バルディア夫人の遺体は王宮地下の霊廟に安置されておる。王宮に上がる前は親しき者であったのだろう?」

 探るようにそう聞いたイーディスに、やはりジェラルドは感情を感じられないような、穏やかな声で答えた。

「我が騎士団の身内でございました故」

 そのせいで、連れ去られたのだ。

 騎士団員に身内を連れてこないよう、徹底していなかったのはジェラルドだった。

 だからきっとルイーズとグレイグの兄妹のことは、ジェラルドの中で後悔と締め付けられるような心に痛みへと変わっているだろう。

 だがジェラルドはあくまでも穏やかで、そしてただただ静かだった。

 感情をあおるイーディスの言葉に、決してのったりはしない。

 そんなジェラルドの事を知っているのか知らないのか、イーディスはせせら笑うように言葉を重ねた。

「聞いておる。身分無き農民の身でありながら、陛下のおそばに長年お仕えできたことを、陛下に感謝するのだな」

 そういうと、イーディスはクスクスと愉快そうに笑った。

「そうでもなければ、庶民が王宮にいるなどありえないことじゃ。こんな幸福もあるまい?」

 イーディスの言葉に、リッツはカチンと来た。

 だがジェラルドは動じない。

「名誉なことでございます」

 ジェラルドは穏やかに感謝の気持ちを述べる。

 ジェラルドだって腹が立っているだろうに、全くそれが言葉に出ない。

 クロヴィスの件といい、この状況といい、本当にジェラルドは役者だ。

 やがてどんなに嫌味を言ってもジェラルドが気にしないことに気がついたのか、イーディスはつまらなそうに言った。

「許可を出したから、バルディア夫人に会っていくがよい。霊廟にて管理人に言えば、通る」

「は。ご配慮、感謝いたします」

 それが合図になったかのようにジェラルドが立ち上がる気配がした。

 ようやくこの重苦しい空間から逃れられるとリッツが小さく息をついた時、イーディスが口調を変えてジェラルドに声を掛けた。

「侯爵には子がおるそうだな」

 リッツは固まった。

 それだけは言わないでくれと願ってきたのに、やはり呼び出された以上そうはいかないようだ。

「娘がおりますが?」

「そうではない。侯爵には立派な跡取りの男子がおるそうではないか。妾はそう聞いておるぞ?」

 何かを探るようなイーディスの言葉に、冷や汗が出てくる。

 ジェラルドに何とか誤魔化してくれと願うしかない。

 だがジェラルドは、リッツの願いと反して穏やかに笑った。

「ご存じでしたか。ご慧眼、誠に恐れ入ります」

「ほほう。やはり子息がおったのか。何故黙っておったのじゃ?」

 楽しむような嫌味を込めた言葉だった。

 明らかに探りを入れてきている。

 やはりエドワードをルイーズの子ではないかと疑っているようだ。

「若気の至りで子をなした自分を恥じ、今まで申し上げることかないませんでした」

 本気でそんなことを思ってもいないだろうに、しおらしく、しかも少し照れくさそうにジェラルドが答えた。

 声だけを聞いていると、エドワードは本当にジェラルドの息子のような気がしてくるほどだ。

 だがエドワードをルイーズの子だと疑っているイーディスもそんなことに欺されたりしない。

 恐ろしい光景だ。

 その中に自分が取り込まれると思うとなお恐ろしい。

「恥じることもなかろう? 貴族であれば、よくあることじゃ」

 ジェラルドもいつまでも欺しきれないと分かっていながら、二人はそんなやりとりをしている。

 この場は逃れることが出来ても、イーディスはおそらくグレインへの監視を強める。

 そしてエドワードの正体を探ろうとするに違いない。

 その時期を少しでも遅らせるために、リッツが身代わりとしてここにいるのだ。

 とにかくこの場を誤魔化しきって、そしてエドワードを死んでしまった母親と対面させる。

 そのために、リッツは心を決めてエドワードを演じなければならない。

「本日はこの場に連れてきておるのだろう? 是非そなたの子息に会ってみとうて、妾が呼んだのだからな」

「は。来ております」

 そういうとジェラルドが振り返った。その気配に、体が一気に緊張した。いよいよ始まるのだ。

「エドワード」

 穏やかな声でジェラルドがリッツの方を呼ぶ。

 打ち合わせ通りに静かに平伏したまま返事をする。

「はい」

「こちらに来なさい」

「はい」

 顔を上げると、立ったままいるジェラルドに手招きされて立ち上がり、ジェラルドの隣で、イーディスの前に膝を付いた。

 こうなった時に言う言葉……言う言葉……。

 馬車の中で練習した言葉を思い出して、リッツはようやく口を開いた。

「初めて御意を得ます。イーディス王妃」

「名は、なんと申す?」

「はっ。エドワード・セロシアと申します」

 平伏しながら、打ち合わせ通りにそういった。

「セロシアとな?」

「育ての親の名字を名乗っております」

「今は何をしておるのだ?」

「我が自治領区を守るべく、騎士団にて騎士の修行を積んでおります」

 幾度もシミュレーションした内容だ。

「ほう。立派な若者ではないか。エドワード、顔をあげい」

「はい」

 ゆっくりと顔を上げてイーディスを見ると、イーディスの青い瞳がまっすぐにリッツを見据えているのが分かった。

 確実にリッツの中に、ルイーズや国王との共通点を探している。

 その事に少しほっとした。

 リッツの中にルイーズの面影なんて見つかるわけがないし、国王の面影なんて、絶対にない。

 なにしろ本物のエドワードとリッツは似ても似つかないのだから。

 やがてイーディスはそれに気がつき、興味を失ったらしく、リッツではなくジェラルドを見た。

「モーガン家は彼に継がせるのかえ?」

「はい。近いうちに養子としてモーガン家に迎える予定にしております」

「ふむ。正式に嫡男となったら、社交界にも連れてくるがよい」

「ありがとうございます」

 ようやく本当にこの謁見が終わりそうだ。

 ジェラルドと並んで深々とお辞儀をすると、ジェラルドは後ろでずっと平伏したままの部下の前に立ち、立つように命じた。

 ゆっくりと騎士たちの間を通って後ろに回ったジェラルドに倣い、騎士団が一斉に扉の方へと向きを変える。リッツはそのまま先ほどまでいた場所に立ち止まり、エドワードと並んだ。

 つまり一番後方に付いたのだ。

 大きな扉はいつの間にか開け放たれている。

 あの扉をくぐれば、この息が詰まるような空間から、ようやく逃れられる。

 扉を出て行きかけた時、静まった部屋にイーディスの声が響いた。

「エドワード。そなた、バルディア夫人に会いたいであろう?」

 足が止まってしまった。

 会いたいといえば、ルイーズと関係があるのか怪しまれる。

 会いたくないといえば、本物のエドワードがジェラルドと共にルイーズの顔を見ることがかなわなくなってしまう。

 これは、『はい』『御意にございます』『申し訳ございません』『ありがとうございます』では答えられない。

 でも答えないとおかしいだろう。

 一瞬の躊躇の末、リッツは必死で言葉を考える。

 そしてゆっくりと振り返り、しっかりとイーディスを正面に捕らえながら、軽く頭を下げてイーディスを見つめた。

「はい」

 正直に答えると、イーディスは目を輝かせた。

「そうであろうな」

 やはりまだまだ、リッツをルイーズの隠し子だと疑っているのだろう。

 なのにイーディスは心とは別なことを言う。

「王の寵姫は美女と決まっておる。そなたも国王の寵姫に興味がおありか?」

 顔は『お前の母親だからか?』と聞いているのにそんなことを言うなんて、やっぱり怖い。

 この女が正直に心と言葉を一致させる事など、出来るのだろうか。

 常にこうして怪しみ、訝しみ、猜疑して生きていくのだろうか。

 今までも、これからも。

 そう思うと、階級や権力にしがみつくこの女が、怖いと言うよりも哀れで、少し落ち着いた。

 リッツは小さく息を吐く。

 信頼で繋がった仲間のために、リッツは答えなければならない。

「我が領地グレインから国王陛下にお仕えした事は、何よりの誇りでございます」

「……誇り……か」

「はい。自らを省みず、陛下に尽くした事を、グレインの領民として尊敬しております」

 イーディスの目が探るようにじっとリッツを見つめている。

 リッツも目をそらすことなく、じっとイーディスを見つめ返した。

 リッツの言葉に嘘はない。

 故郷グレインの人々が重税に苦しむことがないように、自分を犯した男の元に嫁いだ、悲劇の女性ルイーズ。

 そんな風に攫われたというのに、国家のために国王を影ながら支え続け、国民を苦しめるであろうイーディスの魔の手から国王を守り続けたルイーズ。

 そして愛する息子の成長をその目で見ることも出来ず、それでも息子を愛し続けたルイーズと、その母を尊敬するエドワード。

 グレインの誇りであり、そして親友エドワードの誇る母ルイーズだ。

 彼女がいなければ、彼女が決意を持ってグレインを守るために国王の元に行かなければ。

 そして命を張って、息子・エドワードを生み、守らなければ……。

 居場所が無く、ただ路傍で死んでいくだけだったリッツを生かしてくれたエドワードが、この世に存在しなかった。

 命を預けられるほど信用する親友の母を、リッツが心から誇れずに、どうするのだ。

「国王陛下のため、そして国民や我々グレインの民のために尽力された尊敬すべきバルディア夫人のご尊顔を、一グレインの民として、拝見したいと思っております」

「……」

「お許しいただけますでしょうか?」

 リッツはイーディスの青い瞳をじっと見つめた。

 リッツの言葉に迷いも、嘘もない。 

 やがて目をそらしたのはイーディスだった。

 小さく息をついたイーディスは、先ほど扉を開けた時に見たように肘掛けにゆっくりと片肘を掛けた。

 そして言葉もなくため息をつき、手だけでリッツに向かって出て行くようにと命じる。

 リッツは素直に深々と一礼すると、イーディスに背を向けた。

 扉が閉まる直前に微かに振り向くと、傍らに控えていた男の元に手を伸ばしたのが見えたのだが、すぐにリッツの目の前で扉が閉じられた。

 何故だろう。

 イーディスが、少しだけ哀れに感じた。

 黙ったまま一行は元のように廊下を静かに歩いて行く。

 今更になって汗が噴き出してきた。

 これは冷や汗だ。

 最後に言いたいことを言ってしまったのだが、大丈夫だったろうかと不安になったのだ。

 黙ったまま一行は案内されるままに、元の厩舎のあるところまで戻った。

 そこにいるのは、身内であるグレイン騎士団員と馬丁だけだ。

 何しろ厩舎に来られるのは侯爵や伯爵に関係する人々だけなのだ。

 今日はジェラルドの他に大貴族が来ていない。

 荷物の積み込みに時間がかかると、係の者が考えたからだろう。

 その事に安心してリッツは大きく息をつきながら、膝に手を突いた。

 一生分の緊張感を使ってしまったような気分だ。

「エド」

 呼ばれてハッと顔を上げる。

 呼んだのはエドワードだった。

 そうだ。ここはまだ王城だ。まだ気を抜いてはいけない。

 だがリッツが予期した言葉とは裏腹に、エドワードは穏やかにリッツの肩を叩いた。

「よくやったよ」

「そうかな? 大丈夫だったか?」

「ああ。上々だ」

 エドワードに笑顔で言われてまた肩を叩かれ、リッツは全身の力が抜けそうになった。

「き、緊張した……」

「はは。ガチガチだったのを見て、俺も肝が冷えた」

「だってさ、俺がミスして、兵士たちが一斉にかかってきて、みんなが攻撃されたら俺、絶対に自分が許せねえもん。俺一人が斬られるって方がまだましだぜ」

「お前らしい」

 そういって、エドワードは微笑した。

「ありがとう」

 唐突にそう言われて、リッツはエドワードを見つめた。

「何が?」

「誇りに感じてくれてありがとう」

「え?」

 困惑しながら見つめると、エドワードは静かにリッツの肩を叩いた。

「彼女に親友を会わせることは出来なかったけど、きっとお前のような友がいることを、あの人は喜んでくれる」

 エドワードはそう言って笑った。

「例え始まりがどんな状況であったとしても、あの人はこの国を支えた。お前がその事を知り、そして誇りに思ってくれて、俺は嬉しかった。これで俺はあの人に正直な気持ちで感謝できる気がする」

 その言葉に、リッツは胸が詰まった。

 おそらく母の存在を知った頃は、会えない母に複雑な感情を抱いたりもしたのだろう。

 自分の立場を知り、その事を恨んだりもしたのだろう。

 エドワードのことだ、それはきっと誰にも明かされず、胸の中にしまい込まれているに違いない。

 それでも、例えどんな状況であろうとも、エドワードはどんなにルイーズに会いたかっただろう。

 どんなに話がしたかっただろう。

 そして今生きて会えたならば、難しい立場で生きてきた自分に、喧嘩も出来るような友がいるのだといいたいだろう。

 そして安心させたかっただろう。

 どんな風に生まれても、あなたの息子は幸せにしていますと。

 グレインのために我が身を犠牲にし、それでも国王に背いてでも産み落とした息子を、きっとルイーズは生涯気に掛けていたのだろうから。

 でももうルイーズはいない。

 エドワードはルイーズの笑顔を見ることも、声を聞くことも出来ない。

 泣きそうになって、鼻をすする。

「……エド……」

 思わず小さく名前を呼んでしまったリッツの頭を、エドワードが軽く叩いた。

「エドはお前だろ」

「……うん」

「泣くな、リッツ」

「お前こそ、俺の名前呼ぶなよ」

「悪い」

 エドワードは小さく息をつく。

「お陰で落ち着いて対面できそうだ」

 独り言のように小さく呟いたエドワードは、静かに笑った。 

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