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燎原の覇者  作者: さかもと希夢
遼遠の彼方
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<18>

「く~っ!」

 ずっと背負ってきた荷物を置いて大きく伸びをした。背負った荷物があまりにも重い。

 大体において四十年ぶりに故郷シーデナに帰ってからの旅は、野菜を背負うことが多すぎる。

 しかも傭兵隊長として、金に困ったことがほとんど無かったのに、金はないわ、馬もないわ、馬車にも乗れないわ、高い宿にもとまれないわ、女遊びも出来ないわ、これは何の拷問だ?

 近くに年若い仲間二人がいないのを確認してから、こっそりと文句を言う。

「俺は荷物持ちじゃなくて傭兵だぞ、傭兵。わかってんのかよ、ガキ共……」

 すると遙かに先を歩いていた見事な一本の赤毛のお下げがぴょこんと揺れて、見た目十四、五歳の少女が振り返る。

「何か言った、リッツ?」

 きらきらと輝く瞳はエメラルド色をしていて、まるで森の木漏れ日が光に輝いているようだ。

「別に何も言ってないぜ、アンナ」

「そうなの? 何か聞こえた気がしたんだけど」

 まったく、妙に地獄耳だ。しかも正確無比の腹時計を持つ、根っからの食いしん坊と来た。

 天然のくせに、何で時々こんなに鋭いんだか。

 微かに視線を後ろに向けると、そこにはアンナと正反対に、今にも死にそうによろよろと歩く金髪碧眼の少年の姿がある。

 少年と言ってもユリスラではもう成人している十八だから、青年といった方がいいんだろうか。

「フランツ、生きてるか?」

「……当たり前だ」

「そりゃあよかった」

 リッツは再び前を向いて荷物を背負い直した。

「あと数日でファルディナの街だ。今日も楽しい野宿だな」

「……」

 からかい口調で言うと、青年はむっつりと黙り込んだ。無表情、無感情がこの青年フランツの特長だ。

 リッツは大きく息をついて森の間に伸びた一本道から空を見上げた。

 両側の森に囲まれて、明るく一直線に伸びる青空は、まるでトンネルみたいだとは、確かアンナの言葉だっただろうか。

 不意に強い風が吹き、後ろに小さく一房だけ伸ばして無造作に縛った長い黒髪が風に舞う。

 後ろ髪を伸ばし始めたのは、ギルバートが死んだ直後ぐらいからだ。

 ギルバートの死で本当に居場所を失ったリッツが思い出したのは、闇の一族で居場所を失った母のことだった。

 母もこんな風に心許ない気分だったのだろうか。

 そう思うと、凄腕精霊使いである母親譲りの真っ黒な髪を伸ばしてみようかと思ったのだ。

 とはいえリッツの性格上、長髪はどうしても面倒くさい。考えた末、このように後ろ髪を一房だけ長く伸ばしている。

 トレードマークと誤魔化してはいるが、この一房の髪は、自分のコンプレックスの象徴でもある。

 母は父と会い、居場所を得た。リッツはエドワードと会い、居場所を得た。

 でもリッツはその場所から逃げ出した愚かな存在だ。

 そんな風に母親を思い出したからだろうか。髪が大分伸びた王国歴一五七二年秋、リッツは四十年ぶりに故郷に帰った。

 ギルバートが死んで、帰る場所がギルバートの墓の前だけとなってからもう十二年、あまりの孤独に震えるリッツを故郷に導いたのは、ギルバートの墓に転がっていた不思議な宝玉の存在だった。

 ギルバートの少々朽ちかけてきた墓の上で、宝玉は静かにリッツに語りかけたのだ。

『お前の答えを探せ』と。

 孤独のあまりに聞いた幻聴だったのかもしれない。それでもリッツの心が微かに動いた。

 答えを探そうか。自分の存在の答えを。

 そうすれば何か強くなるための答えが、そこに見いだせないろうか。

 だとしたら俺は、どこまで自分の存在をさかのぼれるんだ?

 そう思ったとき、ふと故郷の父を思い出した。故郷の父も、人間と共に長い時間を過ごしている人物だったからだ。

 あの父だったから、闇の一族の母を受け入れて、そしてこのリッツの人格ができあがったのだ。

 故郷に帰ってみてもいいかな。

 そう思ったら、ギルバートの墓から、真っ直ぐユリスラに帰ってきていた。

 サーニア、フォルヌを経由して、旅人の街道を通り、久々に陸路でユリスラ王国を通った。

 懐かしい第二の故郷グレインを通り抜け、トゥシルの前を通り、サラディオを抜けて、故郷シーデナの森に帰った。

 故郷で過ごした数日で、灰色と赤に塗りつぶされていた世界に微かに色が戻ってきた。森の緑は、柔らかく無数の色に輝く木漏れ日で溢れていた。

 そしてリッツは、親に頼まれた使いで、赤毛の少女、アンナと出会った。

 アンナの瞳は故郷の森と同じ、木漏れ日が踊るような、美しいエメラルドをしていた。

 自分の存在の理由を探すという、あてどない旅をしようとしていたリッツは、成り行きから親を探したいという孤児の彼女を預かる羽目に陥った。

 最初は面倒なことになったと思ったのだが、何故だか分からないが、アンナという存在を見ているうちに、柄にもなくリッツはアンナを連れて旅をすることを、自分で受け入れてしまったのだ。

 アンナは世間知らずだった。

 文字が書けず、金銭価値の分からなかった昔のリッツよりは全然まともだったが、社会の仕組みや、人間の裏の感情など、全く知ることのない純粋無垢な少女だったのだ。

 その上、多少天然気味で、どこか世間の一般常識とずれているところがある。

 そしてアンナはリッツと同じく、人間よりも長い時間を生きる存在だった。見た目は幼いけれど、もう三十年も生きているのだ。

 初めて会った時には、子供のくせに、妙に歳を経たような口をきくと思ったのだが、こういう理由だったらしい。

 亜人種と人間の合いの子らしいと自分を分析するアンナだったが、リッツとは違い、前向きで、明るく、決して折れることのない強さを持っていた。

 その信念に満ちた、真っ直ぐで眩しい瞳の力に、リッツは圧倒された。

 何だか、エドといるみたいだ。

 エドとアンナじゃ全く違うのに。

 ふと気がつくと、リッツの周りには色が溢れていた。

 ああ、世界はこんな風に鮮やかだったのだなと思うと、それは穏やかな感情に変わっていく。

 傭兵の世界が少しずつ色褪せていくのを感じた。

 そんなアンナと一緒にいたから、行き場を無くしていた、精霊使いの青年フランツも共に連れて行くことに全く疑問を抱かなくなっていた。

 気がつくとリッツは、二人の被保護者を抱えて旅をしているというわけだ。

 だがそのことが妙に楽しく、大陸を放浪していたときと比べて心が落ち着いていた。

 目的のない旅ばかりしてきたリッツだから、目的を持った二人と共に旅をし、この二人が目的を達するまで付き合うことも悪くないと思い始めていたのである。

 時間は売るほどある。だからこうして希望ある二人と共にいる間だけでも、明るく陽気な保護者でいようという気になったのだ。

「リッツ、リッツ、リッツ!」

 突然アンナに呼ばれて前を見ると、アンナは立て札の前に立っていた。

「人の名前を犬か猫みてえに連呼するな」

「だってだって、見て欲しかったんだもん!」

「何をだよ」

 満面の笑みで必死に手招きをするアンナをみて、思わず吹き出しそうになる。

 なるほど、昔エドワードが言っていた、子犬のようにコロコロと懐くというのはこういうことなのかもしれない。

 アンナはいつもリッツに全幅の信頼を寄せていて、完全に打ち解けた満面の笑みを見せるのだ。

 だがアンナの場合、リッツと違って全てを保護者たるリッツに託したりはしていない。

 彼女は彼女の信念と強さを持っている。そこはエドワード並みに目映い。

「リッツってば!」

「分かったって」

 歩み寄って荷物を下ろすと、アンナが指さした立て札を見る。地面に突き刺さった一本の長い杭に、上から数枚の板が打ち付けられている。

 一番上は今来た方向を指し『トゥシル・サラディオ』と書かれている。

 二番目はそこから伸びる横道を指し、『ブルガン』、最後はこれから先、南を真っ直ぐに指している『ファルディナ・シアーズ』だ。

 そして杭の一番下には、この街道の正式名と通称が書かれている。

『旅人の街道・シアーズ街道』

 リッツは目を閉じた。

 三十八年前、リッツはこの街道を馬に乗り、剣を片手にシアーズへと攻め上った。

 隣にはいつも……エドワードがいた。

 ユリスラを旅するのが怖かった。エドワードの元に戻る勇気が無かった。

 エドワードに会いたくて、会いたくて、でも会うのが怖くてユリスラにいられなかった。

 なのに何故だろう。

 アンナとフランツと一緒に旅をしている今、ここから逃げ出さずにいられる。しかも目的地は、エドワードのいる王都シアーズだというのに。

 やっぱりギルバートの言っていたように、リッツに戦場は合っていないかもしれない。

 強くなりたいともがいていたくせに、傭兵として毎日を送っていた時は、ユリスラに常に怯えていた。

 なのに今はユリスラにいることが怖くない。それどころか、この道の先にいるエドワードを想っても、怯えたりはしない。

 もしかしたらこうして誰かと共に旅をすることで、しかもこうして馬鹿みたいに笑える奴と一緒にいることが、自分を強くしてくれるんだろうか。

「次に行く街はここでしょ?」

 アンナが立て札を指さした。

「ファルディナかぁ……どんな街かなぁ~」

 田舎者のアンナがうっとりと目を細める。

「どんな美味しい物があるのかなぁ~」

 いつものアンナの言葉に、いつの間にか追いついてきていたフランツがぼやく。

「……また食べ物?」

「うん! ねぇねえリッツ、ファルディナって大きな街なんでしょ?」

「ああ。大きな街だぞ。サラディオよりも遙かにでかいんだ。観光名所もてんこ盛りで、食い物も旨い。食べ歩き出来たら最高だな」

「うわぁ……」

 よだれを垂らしそうな食いしん坊のアンナに、フランツが眉をしかめた。

「金がないことを忘れないでくれ」

「あ~、そうだったぁ……」

 がっくりと肩を落とす小柄なアンナの頭を、上から押さえつけるようにぐりぐりとなで回す。

「ま、見るだけならたださ。どうしてもの時には、多少俺の隠し財産もある」

「本当?」

「ああ。フランツには内緒だぞ?」

「……聞こえてるんだけど?」

 不機嫌に眉をしかめるフランツに、アンナと同時ににんまりと笑いかける。

「さ、先進もうぜ」

「十分休憩したもんね」

 遅れ気味のフランツは、気を遣われていたことに初めて気がついて言葉に詰まっている。

 リッツは再び荷物を背負った。

 ファルディナは王太子エドワードが初めて攻め落とした街。

 リッツに取っても馴染みの街だ。

 ユリスラを離れてから三十五年が経っているからかなり変わっているだろうけれど、懐かしさで微かに胸が痛む。

 エド、なあエド。

 俺、結構お前の近くにいる。こんなにもお前の住む場所に自分から歩み寄るのは、初めてかもしれない。

 まだ決意が出来ないけれど、シアーズに着いた時、俺は王宮に顔を出せるぐらい強くなっているかな。

 傭兵でいる時よりも、こうしてこいつらの保護者をしている方が、何かが強く心を揺さぶってる。

 俺はここ一月ぐらい、こいつらといると、何かが変わりそうな気がしてるんだ。

 特にこいつ……アンナといると。

 リッツは自分の一歩前を歩く、アンナの頭を見つめた。

 根っからのお人好しのアンナ。

 困っている人がいると、全身全霊の力を持って救おうとする信念の人、アンナ。

 何があっても、逸らすことなく真っ直ぐにリッツを見つめてくるその瞳の力強さは、いつもリッツを圧倒する。

 アンナはさ、全然似てないけど、時折お前を思い出させるよ、エド。

 いや、もしかしたらお前よりも遙かにアンナの方が強いかもしれない。

 なにしろアンナには、エドワードとリッツを結びつけた心の闇が全く存在しない。

 いつも彼女はエメラルドの瞳をきらきらと輝かせて、光に満ちた笑みを浮かべている。

「今日の夜ご飯の当番は私だったよね?」

「おう。早めの休憩にしような」

 リッツは、心の中にくすぶるエドワードへの思いをしまい込んで、現在の被保護者達に笑いかけた。

「さ、いけるところまで歩こうぜ」

「は~い」

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