表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
燎原の覇者  作者: さかもと希夢
遼遠の彼方
175/179

<17>

『エドワード。久しぶりだな。俺はシュジュンで剣術学校を経営しながら暮らしている。

 といってもこの手紙がお前に届く頃には、俺はもう死んでいるはずだ。この手紙は俺が死んだらお前に届けるようにと、ソフィアに託した物だからだ。

 俺の死んだ後は、俺が託した弟子が俺の剣術学校を引き継ぎ、俺の剣術を広めていくんだろう。

 結局俺は、教育に人生を捧げることが最も似合う男だったようだ。その点はお前やリッツを育てたジェリーの奴と同じだったのかもしれない。

 あいつが生きていたならば、おそらく俺はジェリーと共にグレインで剣術学校をしていたのかもしれんが、内戦も終わらぬままにジェリーが死んだときから、妙に俺の道は逸れたようだ。

 不思議な物だな。ジェリーが死んだときから、俺はお前に反旗を翻して、ユリスラを出ることを考えた始めていた。

 救国の三将と呼ばれたせいか、ジェリーを失った軍に俺がいればユリスラに、妙な歪みを残すことが分かっていたからだ。

 エドワード。もしかしたら俺は、ジェリーが死んだあの国から逃げたのかもしれない。

 お前とリッツほどの関係ではないが、俺はジェリーを心の底から大切に思っていた。内戦に手を貸したのも、初めはジェリーが頼んできたからだったしな。

 だからお前の足下が徐々に固められ、今後の憂いがなくなった時、俺はもうユリスラを出ようと決意した。

 ユリスラから遠く離れたこの国にいると、ユリスラの豊かさが伝わってくる。俺がユリスラを離れたのは正解だったとしみじみと思う。

 タルニエン共和国は、農業地が狭いから、ユリスラ産の小麦が多数輸入されている。俺はここにいながら故郷の小麦粉を食べているのさ。

 故国の小麦で焼いたパンを食べていると、他国に輸出をしても成り立つぐらいにユリスラが豊かなのだと実感するんだ。

 お前は立派だエドワード。

 一対の英雄と呼ばれたお前だったが、今はもう、一人で十分に救国の英雄に見える。

 両肩にユリスラを背負いつつ、前を向くお前を、俺は死んだ友ジェラルド・モーガンに変わって誇りに思う。

 だがなエドワード。俺はお前の本心を知っているつもりだ。

 お前ももう五十を超えた。もう完全に大人なのだから、惑いや悲しみを超えたところに立っていると、人は思うだろう。

 でもお前は求めているのだろう? 隣に立つ、もう一人の存在を。

 エドワード。俺は死ぬ前にお前に伝えたいことがあった。馬鹿ガキ、リッツのことだ。

 あいつは俺の引退後、俺の大剣と肩書きを背負って、シュジュン最強の少数精鋭傭兵部隊アルスター隊を率い、戦場では『血塗られた悪夢』と呼ばれ、何人も及ばない強さを誇っている。

 お前はあいつのそんな姿を見たら、笑うかもしれないな。あいつの姿は、俺、そのものだからだ。

 俺にはあいつが自分自身に見えて仕方が無い。

 リッツは強くなるためにリッツ・アルスターでいる事をやめ、ギルバート・ダグラスになったようだ。

 女癖も悪いし、煙草の量は多い。浴びるように酒を飲むわ、喧嘩にも負けやしねえ。

 そのくせ昔のように泣きわめくことも、ギャアギャアやかましいぐらいに騒ぐことも全くなくなった。皮肉な笑みと、嘲笑の中に、綺麗に感情を隠している。

 その大胆不敵さと豪快さに、あいつの周りに人が集い毎晩のように浮かれ騒ぐ。シュジュンでのあいつはすでに傭兵の顔役だ。

 でもあいつには、一人も友人がいない。

 あいつは未だにエドワード、お前以外の友を必要としていない。自らの弱さに打ちのめされ、人を愛することも出来ないでいる。

 リッツは数年に一度俺の所に顔を出しては、俺の所を中継して大陸各地を回っている。だがそれもあいつには苦しいようだ。

 お前に言われたから大陸を回っているのであって、あいつには目標がない。

 だから放浪することも苦しい。

 難儀なのは、そのことにあいつ自身が気付いていないことだ。その苦しさを、自分が強くなれないせいだと、自分を責めてしまう。

 でもな、エドワード。あいつが表情を取り戻すことが一瞬だけある。それはお前の手紙を読んでいる時だ。

 年に一度のお前の手紙を、リッツは毎年心待ちにしている。受け取ると、馬鹿みたいに毎晩毎晩それに目を通す。

 しばらくすると手紙全てを一字一句違うことなく暗誦してしまうようだ。そうやってお前のことをずっと考えている。

 自分の弱さに思い悩んでも、そうしてお前を思い出す時間があればこそ、リッツの心は死なずに済む。

 エドワード。

 リッツはちゃんと生きている。だから返事がないからと言って手紙を書かなくなったりしないでくれ。

 俺はあいつの心を生きたままユリスラに返してやりたい。

 あいつはここに来て少し生きることに迷いを生じているようだ。もう死んでもいいのではないかと思い始めている節がある。

 この間合った時、妙に言葉が空虚で、全てが投げやりになっていた。

 冗談であっても、戦場で死んだら楽だなどという言葉を聞いたのは初めてだった。

 でもあいつには死ねない呪縛があるようだ。それが何か俺は知らないが、お前なら心当たりがあるだろう?

 だからお前の手紙であいつを死ではなく、生きることに繋ぎ止めて置いて欲しい。

 ユリスラを捨てた俺が言うのもおこがましいかもしれないが、俺の死に免じて許して欲しい。

 エドワード、あの馬鹿ガキにもう少し時間をくれ。あいつは必ずお前の元に戻る。それを信じてやってくれ。

 それからこの手紙のことは、あいつには絶対に告げないでくれないか。知られるときっと、余計なお節介をしたと怒るに違いないからな。

 あいつに告げたことはないが、子供がいない俺にとって、あいつはたった一人の大切な息子のような存在だった。

 お前には悪いが、俺はあいつと死の間際まで一緒に過ごせて幸福だった。

 エドワード、お前もリッツ同様、俺の息子のようなものだ。

 お前達を英雄として祭り上げておいて卑怯かもしれないが、俺にとってお前達二人は、自分の感情に不器用な、手のかかる息子達だ。

 だからお前達の幸せを、遠い国にいても祈っていた。

 面倒なことばかり頼むようで悪いな。

 その礼と言ってはなんだが、これはお前にやろう。ラヴィがリッツにと下書きを置いていったんだが、それを見て大胆不敵な傭兵隊長として表情を無くしていたはずのリッツは涙を堪えられなかった。

 手元に置いていたら表情が作れないと、旅立つときに置いていった。それを聞いて、ラヴィがその絵を元に、熱心に仕上げた代物だ。だがこれは俺が持つ物ではない。

 ラヴィは俺に、こう言い残していった。

「親友同士の二人に」と。

 お前が持っていて、馬鹿が戻ったとき二人で眺めてくれ。その日が来ることを、俺とラヴィは心から願っている。

 俺は一対の英雄がいつの日か共に肩を並べ、笑い会える日が来ることを、遠く死者の国からジェリーと共に待っていることにしよう。


王国歴一五六〇年八月 ギルバート・ダグラス』



 エドワードは手紙をそっと置いた。海から吹き荒れる冬の風が、窓を小さく叩く。だが部屋は暖かく、暖炉の炎がゆらゆらと揺らめいている。

 まるでギルバートに心を見透かされているみたいだ。

 リッツが傍らから去って二十二年になる。

 そろそろ手紙を書くことも無駄かもしれないと、自分の毎年の事に諦め気味になってきていたのだ。

 そのエドワードの諦めに近い心に、釘を刺された気分だ。

「生きていたか……。そうか……」

 呟きながら、手紙をそっとテーブルに伏せた。

「ギルは逝ったのか……」

 呟きは小さく一人の空間に響いた。グラントが死んでからもう十年になる。すでにコネルも病床にあり、それほど長くないと聞く。

 フレイも足を悪くしており、アデルフィーに引きこもって余生を送っているはずだ。

 変わらずに傍にいるのは、妻のパトリシアと、弟のシャスタ、近衛兵を率いているジェイムズぐらいだった。

 あの頃の仲間達は少しずつ数を減らしている。もう年若かった自分たち以外に、元気でいる者は少ない。

 エドワードは大きい封書に共に同封されていた油紙に包まれた包みを広げた。

「ああ……」

 ため息が漏れた。

 同じ絵の下書きを見た事がある。アイゼンヴァレーに行く途中にラヴィが書いてくれた絵だ。

 それがちゃんとキャンバスに油絵として仕上がっている。端にはラヴィのサインが入れられていた。

 ゆっくりと指先で懐かしいその笑顔をなぞった。心から楽しそうに、嬉しそうに若かりし頃のエドワードの肩を抱く、その姿があまりにも遠い。

 振り返ればあの笑顔があったのは、もう二十年以上前なのだ。

『何? 絵を描いてくれんの? じゃあさ、楽しい絵にしてくれよ。で、俺をちゃんと格好良く描いてくれよな! だってエドと並んだら俺を数割増しに描いて貰わないと、格好つかないじゃん!』

『馬鹿だなリッツ、どう描いたって俺の方が男前だろう?』

『何だよエド! 俺だってそれなりにあれじゃん!』

『どういう意味だそれは』

 思わず吹き出したエドワードにむくれたリッツだったが、やがて堪えきれずにリッツも吹き出した。それからエドワードは気がつくと、遠慮無くリッツに腕を回して肩を抱き寄せられていた。

『ま、俺たちのどっちもいい男って事で。それで文句ないよな、ラヴィ?』

 目の前が不意ににじんで、ぽつりと涙が落ちる。

「帰ってこいよ、馬鹿。いつまで待たせるんだ。俺はもう……五十を超えたんだぞ」

 言葉は一人の部屋に静かに流れて、そして消えていった。

 エドワードは静かにため息をつき、涙をぬぐってギルバートからの手紙を机にしまい、真新しい紙を数枚取り出した。それを広げてペンを手にし、インク壺にペン先を浸す。

『リッツへ

 元気でいるか? 俺は毎年変わらずに元気でいる。今年のユリスラも、ありがたいことに豊作だ。まあ不作であっても、この俺が蓄えを切らせることなど無いから大丈夫だがな……』

 エドワードは、たった一つの友のと繋がりである手紙に、今年の出来事を一つ一つ丁寧に記していく。

 自らの本心は隠したまま、ただただ楽しく、明るいユリスラの現在と仲間の状況を。

 いつかお前に……本心をぶつけてやる。

 手紙の自信に満ちた俺なんて嘘だ。

 帰ってこい、帰ってこいよ、リッツ。

 待っているんだ。

 手紙じゃなくて俺の口からユリスラのことを聞け。

 待ってるから……。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ