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燎原の覇者  作者: さかもと希夢
遼遠の彼方
174/179

<16>

「ギルーっ!」

 丘の上で岩に座って風に吹かれるギルバートに向かって、リッツは手を振った。振り返ったギルバードが軽く片手を上げる。

 煉瓦色の髪はすっかり白くなり、あごひげもいつの間にか白く代わっている。代わらないのは琥珀色をした、その鋭い目つきだけだ。

 悠々と歩いてギルバートへ歩み寄り、その隣に腰を下ろし、ギルバートが向ける視線の方角へと、目を向けた。

 そこには剣術の稽古をする、沢山の若者の姿がある。

 六十を超えた頃に傭兵を引退した後、ギルバートはタルニエン共和国スイエンの少々ひなびた田舎の村に引きこもっていた。

 そこにあった大きな屋敷を買い取り、沢山の若者を剣術を通して育てているのだ。

 その屋敷から旅立つ若者の中には、傭兵だけでなく、タルニエン軍の軍人になる者も多いのだと聞いた。

 ギルバートはリッツを剣術でも作戦面でも、そして謀略を巡らすという点でも育ててくれた師にあたる人だ。

 そのギルバートはリッツを育てたことで、若者を育て、可能性を広げることを自らの目標と定めたそうだ。

 もともとダグラス家は教育を司る男爵家だったから、引退後のこの選択は、当然の結末だったのかもしれない。

「また来たのか、リッツ」

「別に、歓迎してくれとはいわねえよ」

 小さく息をついて膝に両肘を付くと、ギルバートに笑われた。

「何をむくれているんだ。歓迎して欲しかったならそういえ」

 昔から変わらない子供扱いに、リッツは肩をすくめて苦笑する。

「むくれてなんぞいねえさ」

「本当はむくれているくせに、お前も感情を隠すのが上手くなったじゃねえか」

「そうか?」

 小さく答えて頭を掻く。

「ああ。その大剣もすっかり板に付いてる。今じゃ化け物じみた大剣を持っているといえば、俺ではなくお前の方らしいじゃないか」

 リッツは小さく笑う。

「まだギルには及ばねえよ」

 今のリッツの得物は、出会った頃から内戦の間もずっとギルバートが手にしていた、あの大剣だ。

 ギルバートと出会った頃は、こんな物を扱うなんて化け物だと思ったが、今は自分がその化け物になってしまった。

「そういえばお前がすっかり傭兵になっちまったから、明るい絵が描けないとラヴィが嘆いていたぜ」

「どういう意味だ?」

「お前を見ていると、血の色しか思い浮かばねえらしい」

「へぇ。さすがラヴィ、見抜いてる」

「本来のお前とはかけ離れているとさ」

「はっ、そうかねぇ……」

 自嘲の笑みを浮かべつつ、リッツは空を仰いだ。

 戦場に立ち、数年した頃から世界から色が消えた。

 世界は荒野の荒れた灰色と、うすらぼんやりとした黒と白、そして血の赤だけで成り立っているのだ。

 昔はもっと世界に色があったような気がするが、戦場に身を置けばきっと、こんな風に褪せた色だけで自分が成り立っていくのだろう。

「ギル、ラヴィに会ったのか?」

「ああ。旅の途中で立ち寄った。放浪の画家ラヴィと言えば、サーニアでは名の知れた存在らしい。羽振りがいいとは言えないが、もう立派な画家だ」

「ふうん。元気で何よりだ」

 大きく伸びをしてから、両手を後ろに付く。頭上に広がるのはタルニエンの高く青い秋の空だ。

 リッツがエドワードの元を去り、傭兵になってからもう十五年になる。

 ダグラス隊の一員として戦場に赴いた頃は、まだリッツは子供扱いされたが、一年、二年と時が過ぎ、人を殺すことに完全に麻痺した頃から、誰もリッツを子供扱いすることはなくなっていった。

 血飛沫舞う戦場で生活していると、無邪気さはかき消え、底抜けの明るさは、陰をまとった陽気さに変わり、酒場の馬鹿騒ぎのネタは、戦場で殺した敵の数で競われるようになっていく。

 そんな中にいて昔のように子供ではいられない。

 自然とリッツは、表情を装うことを覚えた。泣きたいときに笑い飛ばし、悲しみも悔しさも全て自嘲と嘲笑の中に収められるようになっている。

 エドワードの隣にいた頃は『分かりやすい性格』とか『隠し事の出来ない性格』といわれたリッツだが、シュジュンでは人々に『笑っているが、何を考えているのか分からない奴』と恐れられている。

 豊かだといわれた感情は限りなく薄められ、作った表情ばかりが一人歩きしていく。

 ため息をくわえ煙草の煙に紛れてはき出して、皮肉の笑みを浮かべて女をからかえば、女達の嬌声がそれに答えた。

 戦いに明け暮れ、酒を飲み、女を買い、そしてまた戦いに身を置く。

 それが傭兵としてのリッツの姿だった。

 世界は常に、光の射さない灰色の世界。

 これがエドワードの元から逃げたリッツに与えられた、世界の全てだ。

 当然のことながら、感情の全てが死んでしまったわけではない。

 心の中はまだ、自分ではどうしようもないほどに子供で、エドワードのことを考えると帰りたくて泣き出しそうになる事もある。

 ラヴィに貰ったエドワードの肖像画を、夜の薄暗いランプの下で何度眺めたかしれない。

 エドワードがくれた手紙を読みながら、エドワードの肖像画を見つめる。

 一人宿にいるときはそれが日課だった。

 あれから過ぎ去った時間を数えて、今のエドワードの年齢を思い、肖像画に年齢を重ねてみるのだが、上手くはいかない。

 それでも一人きりの部屋を一歩出ると、全てが遠くに封印され、浮かぶ表情は大胆不敵な笑みだけだ。

 自分で選んだ道だ、後悔なんてしていない。

 リッツが望んだ方向にではないが、強くはなった。

 今やシュジュンの戦場でリッツ・アルスターの名は、狂気を纏う『血塗れの悪夢』と、恐怖と憧れをもって呼ばれるようになった。

 戦場で並ぶ事なき傭兵の名誉も手に入れた。そしてそれに見合うだけの金も手に入れた。

 金がまとまった額になると、リッツはエドワードと約束したとおり、世界を見るためにエネノア大陸中を放浪して回った。

 目的など無い。何を目的としたらいいのか分からない旅だ。

 何を探しているのかを探しているような、あてどない旅だった。充所がないからこそ、自分がどうして放浪しているのか分からずに、余計心が塞いでいく。

 沢山の景色、沢山の人々を見ているはずなのに、世界は傭兵の時と同じ灰色のままだ。

 それでもまだ亜人種の特別自治区を訪れるような勇気は無い。自身のもつ亜人種への拒絶感が特別自治区に足を運ばせることを躊躇わせているのだ。

 ダグラス隊の面々も、一人、また一人と引退し、今はもう誰もいない。

 入れ替わりの激しい傭兵部隊だが、ダグラス隊を母体とした傭兵部隊は今も残っていて、総勢五十人にも満たないその少数精鋭の傭兵部隊は今、アルスター隊と呼ばれている。

 リッツは戦場において、昔憧れていたギルバートと肩を並べる立場にまで上り詰めたのだ。

 でも、それで何が変わったのか。

 強くなることって何なのか、エドワードの隣で時を過ごしても、自らの永遠と続く時間への恐怖で怯えないための強さはどうすれば身につくのか、リッツには分からない。

 分からないからこそ、帰ることが出来ないでいる。

「リッツ、ラヴィからお前にだ」

 不意に折りたたまれた紙をギルバートが差し出した。何気なく受け取る。

「なんだこれ?」

「今のお前に必要じゃないかってさ」

「……俺に?」

 呟きながら紙を広げた瞬間、水色の瞳が飛び込んできた。

 感情があふれ出して、手が震え出す。

 そこに髪の短い頃のエドワードの姿があった。エドワードの肩に腕を回して、無邪気に笑う自分の姿もある。

 その絵に見覚えがあった。内戦が始まる前、リッツとエドワード、シャスタ、ラヴィ、ファンの五人でアイゼンヴァレーに赴く途中、ラヴィが描いてくれた絵だ。

『俺たちは一対で英雄なんだそうだ。一人ではまだ英雄にはなれない』

 思い出の中のエドワードがそう言って笑った。エドワードは、リッツを自分の半身だと言ってくれた。

 そして寿命の長さを実感して、徐々に心が塞ぎ気味になったリッツを、笑顔で送り出してくれた。

『お前の幸せを見つけ出してこい』

 本当はエドワードも辛かっただろうに、それでもリッツの為に笑ってくれた。

 そんな風に互いを追いつめるようになる前の、ただ共にいられることが嬉しくて仕方なかった無邪気な頃の自分たちがそこにいた。

「エドだ……」

 泣かないと決めているのに、目頭が熱くなった。

「お前楽しそうじゃん」

 戦場で作り上げてきた大胆不敵で皮肉な笑みが、ボロボロと崩れて行く。

 気がつくと、その絵を撫でながらあの頃のようにそっとエドワードに呼びかけていた。

「エド……」

 あふれ出す感情に言葉が出ない。

「お前はまだ、毎晩エドワードの手紙を読み直しているんだろう?」

 静かな問いかけに、涙が零れないように目頭をぐっと押さえて素直に頷く。

 エドワードの手紙は、律儀に一年に一度、ユリスラ王国歴で一月頃に、ここシュジュンに届くようになった。

 それは毎年とても長い手紙で、今エドワードがどうしているのか、この一年に何があったのか、そしてユリスラはどうなったのか、仲間達はどうしているのかが詳細に書かれている。

 手紙と言うよりも年間報告かもしれない。

 そして最後には必ず『俺は相変わらず元気でやっている。だから安心して、お前はお前の望むようにやっていけ』と書かれていた。

 だからリッツは、そんなエドワードに帰りたいとか、強くなれそうにないからもう旅を終えたいなんて、本音は語れない。

 エドワードは強い。

 そんなエドワードの隣で笑っていられるように強くならねば帰れない。

 でも強くなれない。

 毎晩毎晩、次の手紙が来るまでボロボロになっても、ベットの中でエドワードの手紙を読み返す。

 手紙の文字は頭の中でエドワードの声となって、ずっと流れている。

 そうすることでエドワードと繋がっているような気がして少しだけ安らぐのだ。

 だからほんの数ヶ月であの長い手紙を暗記できるほどになってしまう。今も諳んじろと言われれば、今年来た手紙の内容を、すらすらと読み上げることが出来る。

「シアーズに戻らないのか?」

 ギルバートの声が染みこんできて、昔のように正直に、子供のように頷いていた。

 捨て去ったはずの幼さがこれほどまでに自分の中に残っていたなんて驚きだ。

「……たまに戻ることもあるよ。リュシアナに行くときは中継地だからシアーズに泊まるし。でも駄目なんだ。長くはいられない」

「王宮には?」

「……戻らない。俺はまだ、年を取っていく仲間と一緒に笑えるぐらい強くないから」

「エドワードに会いたいだろう?」

 心配そうに聞かれて、微かに微笑む。

 ギルバートは最近妙にリッツを気に掛けるようになっている。おそらくリッツが進歩しないことを心配しているのだろう。

「会いたいよ。会いたくて会いたくてたまんなくて。俺、一度だけエドを見に行ったよ」

「見に行った?」

「ああ。五年前かな。王位就任十周年の記念パレードがあったんだ。それを遠くから見た。顔なんて見えるわけ無いのに、でもすぐにあれがエドだって分かった。あんなに離れていたのに、はっきりエドの顔が見えた」

「……エドワードももう……四十五になるのか?」

「ああ。でもパティと二人、妙に若々しくてさ、時でも止めてんのか、お前らはって、ちょっとおかしくて……それで……安心した」

 リッツは両手で顔を覆う。

「年を取ったエドを、俺はちゃんと認められてる。どれだけ年を取ったって、外見が変わったって、それがエドなら俺は、エドをちゃんと大切な親友として認められるんだ」

 どんなに時が過ぎたって、どれだけ年を取ったってエドワードはエドワード。それは変わらない。そのことでエドワードを拒絶することなんて、絶対にない。

「だけど俺は、自分が年を取らないことを受け入れられない。あいつと一緒に年を取って死ねないことを受け入れられないんだ」

『一緒に生きたいよ。それで一緒に死にたい』

 心の中の過去の自分が、今も苦しみ、あの頃と変わらずに泣いている。

 変われない。変わることができない。

「どうしたら強くなれるのかな、ギル。どうすれば俺はエドが年を重ねていくこととか、俺よりも先に死んでいくことを認められるのかな。認められてその上あいつの隣で笑えるのかな」

「リッツ」

「エドに殺してもらえれば、楽になるののに……」

 淡々というと、ギルバートは深々とため息をついた。

「エドワードに殺して貰うにしろ、生かして貰うにしろ、エドワードに会わねばどうにもならないぞ」

「……分かってるよ」

 俯きながらもう一度手の中にあるエドワードと自分の絵を眺める。

 もう一度こうやって二人で笑いあえるだろうか。一緒に時間を過ごせるだろうか。

 エドワードの元に戻ったら、エドワードに自分を殺す約束を履行しろと迫ってしまうかもしれない。

 エドワードの寿命がまだあるのにそんなことを言うのは、契約違反だ。

「リッツ」

「ん?」

「お前に命を繋ぎ止める足枷が出来ればいいな。願わくば金色に輝く、太陽のような足枷が」

「何だよ、それ」

「今のお前にきっと一番必要な物さ。その足枷が出来ればお前はきっと、世界を曇りのない目で見られるようになる。地に足を付けて生きられるだろうよ」

 意味の分からない言葉に眉を寄せる。

「ギルは持ってんのかよ、その足枷?」

「近い物はな。今頃俺の足枷は、家の中で馬鹿弟子共に喰わせる料理を作っているだろうさ」

 足枷の意味に気がついて、リッツは苦笑した。

「俺に結婚しろって事? ソフィアみたいな嫁を貰えって?」

「馬鹿いえ。お前にソフィアみたいな嫁は不釣り合いだ」

 ソフィアは現在もギルバートと一緒にいる。傭兵を引退し、リッツに大剣を譲ったギルバートと共に引退をして一緒に暮らしているのだ。

 ヴェラはもういない。体中に毒がしみこんだ彼女は、あれから十年も経たないうちに死んだ。元々長く生きられないことを、本人も知っていたのだ。

 ジェイは戦闘の最中命を落としたし、エンは酒の飲み過ぎで死んだ。ファンは怪我を負って飛刀が投げられなくなった時にあっさりと現役を退き、噂ではあくどい商売をしているようだ。

「お前に似合いなのは、昔のお前みたいにどこまでも明るく、どこまでも正直な上、お前とは反対に心に闇を持たない奴だな」

「昔の俺みたいなねぇ……。ありゃただの馬鹿だろ」

「かもしれねえな。でもま、お前のそのぐちゃぐちゃと重たい性格まで背負っても笑ってるぐらい、肝の据わった、究極のお人好しがこの世界にも一人ぐらいはいるだろうよ」

 親のように穏やかで優しい言葉だった。でもリッツはそれを信じることができない。

「そんな奴いるもんか」

「探す前から何を抜かすんだ、このガキが。ま、自分が戦場と平和の、どちらにいるのが似合いかも分からないガキにゃあ、そんな上等の女を探すのも無理ってもんか」

「……うるせえ」

 言葉も無くついついぼやくと、ギルバートは何事もなかったように笑った。

「せっかく来たんだ、しばらく泊まっていくだろう?」

「ああ。何せまたしばらく放浪の旅に出るって言ってきたからな」

「困った傭兵隊長だ」

「ギルに言われたくない」

 リッツは煙草を取り出して、ギルバートに一本差し出し、自分も煙草をくわえた。

 シュジュンでは主流になりつつある小さな火打ち石が使われた片手で使えるライターだ。

 澄んた金属音を立てて火を付け、ギルバートの煙草の先に差し出した。

 旨そうに煙を吐き出したギルバートに続いて、自分の煙草に火を付けて空に煙を吹き出す。

 やはりしばらく我慢していたから煙草が旨い。

 煙草の煙と共に、自分の中の押し殺した子供っぽい感情が身体からゆっくりと抜けていく。

 エドワードの友であるリッツ・アルスターから、傭兵隊長リッツ・アルスターへと戻っていく。

「今度はどこに行くつもりだ?」

 ギルバートに尋ねられて、リッツは煙を吐き出しながら答える。

「サーニア。ラヴィを探してお礼を言わねえと」

 リッツは再び絵を見つめる。苦しいぐらいの望郷の念に、胸が潰れそうに痛い。

「これ……置いてくよ。ギルが持っててくれ」

 リッツはまばゆく輝く自分とエドワードの笑顔をそっとギルバートに差し出した。

「いいのか?」

「ああ。こんなの持ってたら、戦場で生きていけない。人殺ししか能がない、俺の手には余るさ」

 もう一度、絵を見つめる。

 何か、何かちょっとのきっかけがあれば……エドワードに会ってもいいという、何かの理由付けがあれば……。

 一度でいい、もう一度エドワードに会って、話をしたい。

 帰りたいよ、会いたいよ、エド。

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