<15>
『リッツへ。
リッツ、元気で暮らしているか?
お前が俺から離れて、もう五年経つ。
お前と俺が一緒にいた時間も五年で、お前の不在と同じ長さになった。
俺は相変わらず元気に暮らしている。ユリスラはようやく王城の金庫に蓄えを溜め始められるぐらいになってきた。
たった五年でこの復興は、やはりグラントの力だ。俺一人ではどうしようもなかっただろう。コマネズミのように働くって、ああいうことをいうんだろうな。
なのに動かないから太ったと、グラントはシャスタに文句を言うらしい。シャスタはそんなグラントに苦笑しながら甘いものを出すのだと言っていた。
知っていたか? 実はグラントは甘いものが大好きなんだそうだ。意外だろう?
勿論シャスタも死にものぐるいで修行中だ。幾人かの宰相秘書官に混じり書類を処理する姿は、まるで小さなグラントだ。
国王の俺の方が気楽なのは、少し申し訳がない気もしている。だから俺はとりあえず大臣を代行してやっているんだ。感謝しておけよ。
大臣職だが空位のままだ。お前、欲しかったらいつでもやるから連絡をくれ。とりあえず俺がそれまで大臣職も兼ねておいてやる。
そうだ。この手紙を書いたいきさつだったな。
実はこの間タルニエンにいるユリスラ駐留官が尋ねてきて、世間話のようにシャスタにお前のことを知らせてくれた。
偶然タルニエンのスイエンの飲み屋で一緒になって、我が国の英雄と同じ名の傭兵に驕られたといっていたぞ。
あの駐留官はユリスラ出身の傭兵が、本当にお前だと知ったらさぞ驚くだろう。驚きのあまり心臓でも止まられたら困るから黙っておく。
お前は戦場が暇な時、スイエンの方に時々滞在しているそうだな。駐留官事務所はスイエンにあるんだ。知っていたか?
主に交易を司っている部署で、タルニエンに米や小麦を輸出している我々ユリスラ王国にとって、大事な部署だ。
そんなことはまあ、お前には興味がないかもしれないな。なにせ事務仕事には手を付けたくないと言い張るお前だから。
でも俺にとってはとてもありがたいことなんだ。
リッツ、これで俺はお前に手紙を書けるようになった。年に数回の船便に、お前への手紙をのせられるようになったんだ。
だから俺のこの手紙に付き合え。王都から出て好きに暮らしているお前なんだから、俺の愚痴を聞くぐらい義務だろう?
本当のところ、お前がこれを受け取って読んでいるか俺には確認しようがない。もしかしたら俺の一人ごとみたいなものかもしれないな。
でも駐留官がスイエンにあるタルニエン軍の海軍基地に運んでくれると言っているから、お前の近くにはあるのだろう。
ああそうだ、一応この手紙では、俺はグレインの農民エドワード・セロシア名義にしておく。
こうしてお前に手紙を書くのは初めてで少し気恥ずかしいな。ともあれ、お前が字を読めるようになっていることをローレンに感謝だ。
お前も感謝しろ。
お前がいなくなってから一年経って、俺たちに子供が生まれた。前々から決めていたように、ジェラルドと名付けたよ。
金の髪にアメジストの瞳をしている。もう四歳になるわけだが、どういうわけか俺にもパティにもジェラルドにも似ておらず、とっても大人しい男の子だ。
パティの母親によく似ているんだそうだ。
シャスタの所の娘とままごとをしてにこにこしているぞ。これで王位を継いで、国を治められるんだろうか。疑問だ。
そうそう書き忘れてた。シャスタとサリーの所にも子供が生まれたんだった。これがマリーにそっくりだ。
サリーは滅多に王宮に来てくれないから、パティや俺はお忍びで顔を見に行くことが多い。
子供は可愛いぞ。お前にも見せてやりたいよ。
お前は前に言ってただろう? 俺とパティの子なら自分の子のように可愛がれるって。
きっとお前がいたら、ジェラルドを離さなかっただろうな。そうなったらお前に養育を任せられて、パティが楽をできたものを。
まあなんにしろ、俺たちは結構楽しくやっていると思う。
だからリッツ、ユリスラのことは心配するな。俺たちはうまくやっている。
だからお前はお前の世界を旅して欲しい。お前の望む幸福を、お前の望む強さを身につけて欲しい。
また手紙を書くから、お前も気が向いたら返事をくれ。
お前が元気でいる事を、心の底から願っている。
お前の友 エドワード・セロシア』
「あれ? リッツ何持ってるのよ?」
「うおぁっ! ヴェラ!」
慌てて隠そうとしたが、後ろからスッとファンに取られてしまった。
「ほう、これはこれは」
「わぁ、ファン! やめろって!」
「何々? ラブレター?」
「違うって!」
興味津々のヴェラは、ファンの手元を覗き込む。
「あらあら、ラブレターじゃない」
「違うよ!」
「だってリッツにとって、エドワードからのお手紙なら、ラブレターよね?」
「確かにそうだな」
ヴェラとファンが、納得したような顔で頷いている。
「違うってば!」
あたふたと手紙を取り返そうとするも、歴戦の傭兵たちの手にあるそれは、なかなかリッツの手元に返ってこない。
「へぇ~パトリシアに子供が生まれたんだな」
気がつくとソフィアまで手紙争奪戦に参加していた。
「きっと可愛いでしょうねぇ~。私子供大好き」
うっとりと目を細めるヴェラを見ていると、子供を取って食いそうで怖い。
「返せよ!」
ようやくの思いで手紙を取り返し、ダグラス隊の面々に舌を出す。
「これは俺のだ。誰にも渡すもんか!」
「エドワードにもそう言ったらよかったのに」
「は?」
「エドは俺のだ、パティなんかに渡すもんかって」
思い切りあり得ない言葉に、リッツはヴェラに叫び返す。
「何でだよ!?」
「子供産めればよかったのにねぇ。そしたら王都に残れたじゃない?」
「なんで俺がエドの子を産むんだよ!」
「だってねぇ~」
ヴェラが妙に艶めかしい顔で全員を眺め回す。
「リッツ、エドワードが好きすぎだもの」
ヴェラが言うと、リッツのエドワードへの友情がものすごく穢される気がする。
ついつい昔のように頬を膨らませてしまった。
「うるせぇよ!」
「久しぶりのお子様リッツね! 傭兵リッツは面白くないもの。虐めがい満載!」
「だぁっ! うるせぇ!」
最近世界が徐々に色を失っている。
ああ、これが傭兵になると言うことで、人を殺すことに麻痺することなのだと、心の底から理解してきた。
だからエドワードのこの文字を見た時、突然世界が色鮮やかに変化して驚いた。
まだ俺は、そんな世界が見られるんだ。この手紙の中にある、エドワードの見ている光景だけが綺麗に色づいている。
「世界で一番愛しているエドワード。ずっと君の隣にいたい、って返事書いたら?」
「馬鹿だろヴェラ! 違うっていってるじゃん!」
ずっと隣にいたい。
それだけは本当だが、但し書きが付く。
強くなって、笑顔で隣にいたい。
どんな苦痛でも、引き受けて笑えるぐらいに強くなれたなら、ずっと隣にいたい。
死が二人を分かつまで。
でも全然強くなっていない。
ようやく取り返した手紙を胸ポケットにしまうと、リッツはからかう傭兵たちを後に、宿を飛び出した。
潮風が吹き付けるスイエンの街は、シアーズと同じ港町だ。
ゼウムとの戦場と接するシュジュンの街は、ここスイエンから軍艦で行く場所にあった。
だから休息を取るためにダグラス隊はこうして年に数度スイエンに戻る。
この五年で、この街はリッツの馴染みの街になっていた。シアーズの街より、スイエンの方が詳しいだろう。
リッツは街を駆け抜け、海軍基地の近くにある高台の公園を駆け上がった。海を眼下に見下ろせる、人気のないその場所はリッツのお気に入りだ。
そこで改めてエドワードの手紙を開く。
「エドの字だ」
泣きそうだ。
まさかここに来てエドワードから手紙が来るなんて思わなかった。大切に大切に幾度読み返したか分からない。
それでも字を見ただけで泣きそうになる。
どれだけ自分は弱いのだろう。
返事は書いた。でも出す勇気がない。
リッツは胸ポケットからこちらももう手垢だらけになってしまたものを取り出す。折りたたまれた紙だ。
それはエドワードの肖像画だった。ラヴィがくれたもので、唯一友の姿を忍べるそれを、リッツはお守り代わりに常に身につけていた。
五年経った。
自分はまだ何も変わらない。
どうしたら変われる?
煌めく海面を見ながら、リッツは胸にしまった手紙と肖像画を抱きしめるように、膝を抱えた。
会いたい。
でも会えない。
いつになったらエドワードに会えるのだろう。




