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燎原の覇者  作者: さかもと希夢
遼遠の彼方
172/179

<14>

 パレードの音が聞こえる。

 シアーズ中央通りに、人々が溢れかえっている。その人々は口々にパレードの中心に向かって歓声を上げ続ける。

 騎馬隊、近衛兵、王国軍、文官たち、皆が幸福そうに笑顔で群衆に手を振っている。

『エドワード王、万歳』

『パトリシア王妃に祝福を!』

 若い二人の結婚を祝福するために、人々は口々に祝福の言葉を叫ぶ。

 昨夜ちらついた雪は止んだが、空は薄暗くこんなに寒いのに、冬の最中だというのに熱狂が熱を呼び、まるで一足先に春が来たみたいだ。

 まだ春までは数ヶ月あるというのに、人々の心の冬は通り過ぎていったようだ。

 その熱狂を、リッツはじっと屋上から見つめていた。

 吐く息は白く、手にしている望遠鏡は氷のように冷たい。

 あの熱狂の熱さと正反対に、この場所は冴え冴えと冷たい。同じ空間にいるというのに、どうしようもなく寒い。

 花びらが舞う、人々の喜びに満ちた笑顔が溢れる。

 ここにはもう、虐げる者と虐げられる者という区別がなかった。殺されることを恐れて周囲を伺ってからでなくては声を出せなかったあの頃とは違う。

 全てが変わり、全てが始まった。

 まだまだ始まったばかりだ。これからもっとユリスラは発展していくだろう。

 前王政が壊した国を、エドワードが、パトリシアが、グラントが、コネルが、シャスタが素晴らしい国家にしていくのだろう。

 ひときわ歓声が高くなり、馬に曳かれた馬車が現れた。屋根のない馬車とそれを取り巻く人々は、群衆の視線を一身に集めている。

 シャスタ、コネル、グラント、カークランド、エリクソン、オドネル、グレタ。

 他にも見知った顔が沢山この馬車の回りを固める。そして馬車には、リッツの大切な二人がいた。

 ユリスラ王エドワード。

 ユリスラ王妃パトリシア。

「エド、パティ。おめでとう。ようやく夫婦だな。たく、人に気を遣いすぎだ。もっと早くくっつけばよかったのによ」

 口の中で小さく呟く。

 幸せそうだな。

 いや、幸せになってくれ。

 二人ともリッツがこんな所にいるなんて知らないだろう。

 こうして二人を見守っているなんて、知ることはないだろう。

 このパレードの後、二人の婚儀を祝してエドモンドの(ふね)は久しぶりの航海に出る。その艦にギルバート率いるダグラス隊は誰にも知らせることなく乗り込む事になっていた。

 出航は間もなくだ。パレードが港を折り返し、王城に着く頃に船は港を出る。

 二人の婚儀を祝う祝砲と共に。

 リッツがここに居られる時間はもう僅かだった。

 ふとリッツは思う。

 このまま飛び降りて二人の前に現れたら驚くだろう。もしかしたらエドワードは考え直してくれるかもしれない。

 ずっと傍にいろと、死ぬまで隣にいろと言ってくれるかもしれない。

 未だ胸にくすぶる苦しさに、リッツは首を振る。

 駄目だ。エドワードは世界を見てこいと言ったのだ。エドワードが望むなら、リッツに取ってそれは絶対だ。

 世界を見ることはきっと、エドワードがリッツに与えてくれた逃げ道だ。

 それは分かっている。分かりすぎていて、痛いほどだ。

 エドワードに今すぐ殺して欲しいと望んでしまった。それを知られてしまった。だからリッツはもうエドワードの隣にいられない。

 エドワードを苦しめることなど出来ない。

 互いの苦しみを知りながら、共に過ごす事なんてできるわけがない。

 だから目の前の現実から顔を背け、生を投げ出そうとするリッツに、エドワードが静かに逃げ道を作ってくれたのだ。

 そうだ。

 リッツは自分の気持ちに気がついた。

 俺は逃げるんだ。大切な人たちから。

 傍にいたいといいながら殺して欲しいなんてあまりに身勝手だ。

 殺される、死ぬ。

 それは自分の抱える苦しみからの逃げに過ぎない。そんなことに今更気がついたのだ。

 年を取り死に向かっていく仲間たちが怖いから。自分が年を取らない事を認められないから……。

 心の底から一緒に笑えなくなってしまったから。

 世界を見て全てを知り、リッツは強くなれるだろうか。逃げ出した果てに強さを見付けられるだろうか。

 エドワードが望んでくれた幸福ではなく、リッツは強さを見付けたい。

 エドワードと共にいても、先に死にゆく唯一の友に心痛を起こさせぬよう、笑顔でいられるぐらい強くなりたい。

 もしも強くなれたなら、ただいまっていえるかな。

 エドって、抱きついて笑えるかな。

 それでも死にたいと思ったら、帰ってきてもいいんだよな。

 殺してくれるんだよな。

 それだけは約束だ。

 だけど……。

「リッツ」

 声に振り返ると、屋上の入口からギルバートがゆっくりと近づいてきた。座り込んだリッツの隣に立つと共にパレードの行方を見守る。

「賑やかだな」

「……うん。こんなに楽しそうな国民を見るの初めてじゃねえかな」

「そうだな」

 眼下に広がる世界は今迄リッツが立っていた世界だ。なのに今居るここは別の世界のようで遠い。

「何か安心したよ、ギル」

 これで皆が幸せになるのだろう。

 そう……皆が……。

「もう行くぞ。このパレードが終わったら、祝砲を挙げて出発だそうだ」

「……うん」

 リッツは立ち上がった。

 腰には剣が、脇にあるのは真新しい丈夫な鞄だった。荷物は極端に少ない。まるで初めて旅に出た時のようだ。

 名残惜しくてギルバートと二人並んだまま、パレードを見下ろす。

「本当にいいのか? まだ時間はあるぞ」

「……いいんだ」

「だがお前は……」

 ギルバートの気遣いが分かった。だから言葉を遮るように押し戻す。

「俺、エドのことが大好きなんだ」

「分かっているさ。だから……」

「だから……あいつが辛い顔をするのは嫌だ。俺が自分の寿命とか、あいつが年を取ることに苦しむ度に、エドは顔を曇らせる。あいつ、自分を責めるんだ。可笑しいだろ? 年を取らないのは俺で、エドには何の責任もないのに」

 最初から覚悟していたのに。なのに年を重ねていくエドワードをいつからか真っ直ぐに見られなくなっていた。

 昔のように抱きついて、無邪気に抱きしめることができなくなっていた。

 死に向かうエドワードの存在に、怯えていたのだ。

 挙げ句の果ては今すぐ殺してくれと望んでしまった。共に過ごすことを何より大切にしてくれた友に。

「これからあいつに死ぬまでずっとそんな顔をさせ続けるなんて、俺は嫌だ。あいつの重荷になるのは嫌だ」

「リッツ」

「弱いから俺は逃げるしかないんだ」

 冷たい寒風が強く吹き、舞い散る花びらがここまで巻き上がってきた。

 それはあの熱狂の中からはぐれた自分自身のようだった。

「なあギル、俺さ、逃げ出すんだよ。大好きなのに逃げ出すんだ。年を取るあいつが怖いから、先に死なれたら生きられないから、それを覚悟して笑う勇気がないから」

 丁度真下をエドワードを乗せた馬車が通り過ぎてゆく。一瞬だけ交錯したリッツとエドワードの運命のように再び馬車は遠ざかっていく。

「だから俺は……エドから逃げるんだ。一緒にいる資格がないんだ」

 遠ざかっていく。

 パレードが、そしてエドワードが。

 誰よりも大切なたったひとりの親友が。

 あんなにも信じ、あんなにも近くにいた人から、逃げようとしている。

「ギル、俺……強くなりたいよ」

 俯きながら呟く。

「俺、エドがどんな風に年を取っても、あいつと笑っていられるように強くなりたい。ずっと隣で笑えるように、俺は何かをみつけたい」

 言葉が続かない。感情が消えてしまったみたいに、心が追いつかない。

 分からない。どうしたらいいのか分からない。

 何もかもが霧の中だ。迷いの中だ。

 自分の心さえも、迷子になったままだ。

 どうしたかったのか、本当はどうしたいのか。それすらも全く思いつかない。

 不意にギルバードに頭を掴まれた。その手が乱暴に頭をかき回す。

「あいつらは先に行ったぞ」

「……そっか」

「だからリッツ、もう無理しないでいい」

 その言葉が胸にすとんと落ちた。

「我慢しなくていい。ここにいるのは俺とお前だけだ」

 心にかかった鍵がはずれたように、感情の波が押し寄せてくる。

 こみ上げてきた涙と同時に、しゃくり上げるようにして泣き声が漏れた。

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 身体の奥から、こみ上げてきた感情が迸る。押さえようのない感情に翻弄される。

 荒れ狂う嵐のように、止まらぬ激情が身体を駆け抜ける。

「エド、エドっ! 俺は……俺はっ!」

 死にかけたエドワードがファルディナのベッドサイドの闇の中で、リッツを抱きしめて強く命じた言葉が甦る。

『お前は生きろ。俺と共に』

 あのぬくもり、あの力強さ、そしてあの瞳。

 幾度あの瞳に魅入られたことだろう。

 幾度助けられただろう。

「お前と一緒に生きたかったっ!」

 初めて出会ってから、一緒に色々なことをした。いいことも悪いことも、馬鹿なことも辛いことも。全部ふたりで乗り越えてきた。

 お互いがいれば無敵だと思った。

 その全てがリッツの大切な宝だった。

 生きるための命そのものだった。

「ずっと、ずっと一緒にいたかったっ!」

 心の底から溢れる感情が、叫び声に変わる。

 涙が、泣き声が慟哭に変わっていく。

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 どうしようもない自分の弱さに、どうすることもできない自分の闇に、悲しみと怒りがとまらない。

 涙が止めどなく溢れ、獣じみた慟哭と共に頬を濡らしてゆく。

 こんなにもこんなにも、出会ってから五年の時間が大切だった。

 生きていた。

 この五年間だけ、リッツは生きた。

 全力で生きて、全身で愛した。

 仲間を、そして友を。

「リッツ……」

 振り返ると、また心配そうに眉を寄せるギルバートの顔があった。

 ギルバートに心配されるのは二回目だ。そういえば前にエドワードが死にかけた時もこんな顔をさせた。

 あの時も、沢山の人がリッツに手を差し伸べてくれた。

「大丈夫か?」

「うん……」

「落ち着いたか?」

 穏やかだ。まるでジェラルドのようだ。

 もしかしたら正反対に見えていたギルバートとジェラルドは似ていたのかもしれない。

 そしてギルバートは友を死という形で失った。

 これ以上、ギルバートに甘えてはいけない。

 リッツは涙を乱暴に拳でぬぐった。

「うん……俺……もう……泣かない」

 鼻水をすすりながら、リッツはギルバートを見上げる。

「リッツ」

「俺はもう、泣かないんだ。……強くなりたい。ギル。俺は強くなりたい」

 何があっても笑っていられるように。エドワードが遠慮無く頼ってくれるように。

「……行くぞ。タルニエンへ」

「うん」

 リッツは少しずつ遠ざかっていくパレードを見つめた。

 いつかきっと、隣で笑えるぐらいに強くなる。

 だから……それまで絶対に……生きてて。

 リッツは先に立って歩き出したギルバートのあとを小走りに追いかけた。


「……リッツ?」

 群衆の歓喜の声を聞きながら、エドワードは微かに視線を巡らせた。

「どうしたの?」

「今、あいつの声がした」

 口にしてから自嘲する。

 そんなはずがない。もうリッツはこの国にいない。今頃はどこかの船の中にいるだろう。

 いつまでも悔い続けるな。心を決めろ。

 リッツはいつか戻る。そう信じろ。

 エドワードはパトリシアに笑いかけた。

「何? 聞こえないわ」

 歓声にかき消されたエドワードの言葉を、パトリシアが聞き返した。

 もう一度言葉を繰り返そうとして、エドワードは顔を上げた。

 もうリッツへの後悔は口にしない。これは自分で抱えていく。そう決めた。

 だからもう二度とパトリシアの前で醜態をさらさない。

「なんでもない」

「そう」

 心を決め、信じて待つ。それしかできることがないのならば、待ち続けるのみだ。

 歓声と舞い散る花びらの中に、白いものが混じる。

 エドワードは空を見上げた。薄曇りの空から、雪が舞い始めていた。

 王都に攻め上がる前、一緒に新祭月を過ごした去年のあの日、やはり雪が降っていた。

 リッツは雪を眺めながら、少しだけシーデナの森のこと、自分のことを話してくれた。

『雪のシーデナは静かなんだ。何も音がしない。雪が全部音を吸い込むのかな。だから俺も、息を潜めて雪を見上げてた。寒くて震えてきて、だけど綺麗すぎて目を離すことができなくなる。夢を見ているように綺麗なんだ。エドにも見せたいよ』

 思えばあの日が、屈託のないリッツを見た最後だったのかもしれない。

 降ってきた雪を手で受け止めると、それは幻の如く一瞬にして熔けて消える。

 まるで長い夢を見ていたようだ。

 五年もの間、何事にも代えがたい幸せな夢を。

「エディ?」

 心配そうに声を潜めたパトリシアに微笑みかけると、エドワードはゆっくりと立ち上がった。

 王として、ここに居る。

 ずっとここに。

 だからここに戻ってこい。

 ここが……俺の隣がお前の場所だ。

 どよめく観衆に向かって悠々と手を振ると、人々の熱狂がその場を支配した。


 王国歴一五三八年新祭月一日。

 ここにユリスラ王国の最も平穏な時代が始まる。

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