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燎原の覇者  作者: さかもと希夢
遼遠の彼方
171/179

<13>

 風に揺れたカーテンの向こうにかき消されるように、その後ろ姿が視界から消えた。

 一度も振り返らなかったその背中を見ただけで分かる。

 あいつは、きっとずっと泣きたかったのだろうと。それでもエドワードのために泣けなかったのだと。

 もう二度と……会えないかもしれない。

 ギルバートに問われたその決意が心の奥で重しのようにエドワードの心に沈み込んだ。

 もとより覚悟の上だ。

 あの日の自分の決意を再び心に言い聞かせる。

 覚悟の上だろう……?

 冷たく冴え冴えとした夜の中で、一陣の風が木々を揺らす。その風が立てたざわめきが、目の前の光景を、あのリッツと初めて出会った街道にかえた。

 最初は行き倒れだと思った。

 いつものように難民として拾い上げ、グレインに連れて行くつもりだった。

 だからあの時、運命的に声をかけたのではない。

 でも顔を上げたリッツの長めの漆黒の髪から覗くダークブラウンの瞳を見た瞬間、そこにあった闇に惹かれた。

 孤独に惹かれた。

 そう、瞳に惹かれたのは俺の方だったんだ。

 リッツにはいえなかったことだった。心の中にしまっていた秘密だった。

 リッツがエドワードの目が綺麗だと、瞳の力に魅入られたといっていたが、最初に惹かれたのは、間違いなくエドワードの方だった。 

 その闇に自分と同じ孤独を見た。

 予感がした。

 こいつとならば、共に生きられるのではないかと。

『お前、名前は?』

 心からお前の名前を知りたいと思ったんだ。

『リッツ。リッツ・アルスター。あんたは?』

『エドワード・バルディアだ』

 空虚なくせにただ真っ直ぐに何かを求めるその瞳に、気がつくと本名を名乗ってしまっていた。

 開け放たれたままの窓から吹き込む風が、強く髪を揺らす。あの頃は短かった髪は、もう肩を超え背に届く。

 その長さにリッツと共にいた時間の長さを痛感する。

『俺と一緒に来い、リッツ・アルスター』

 この手を取ってくれ。それで俺はきっと救われる。

『俺の命、貸してやるよ』

『借りておこう』

 あの時に取った手に、もうこの手は届かない。

 もう二度と、伸ばした指の先が彼に届くことなど無いのかもしれない。

 無意識のうちに力を込め、胸をかきむしっていた。

 息が吸えない。何も考えられない。

 こんなに苦しいのか。

 こんなに、辛いものだったのか。

 一人残される孤独というものは。

 リッツはこれをずっと抱えていたのか。死に別れなくてはならない仲間たちとの関係を、こんな風に痛みを持って抱えていたのか。

 それなのに笑って傍らにいてくれたのか。

 何が弱いだ。お前は十分に強い。

 俺よりずっと。

 くずおれそうになる身体を支えるように、カーテンを握りしめる。

 ほらこんなにも自分は脆い。

「くっ……」

 どうしたらよかった?

 本当にこれを望んだのか?

 もう後悔しているのか?

 これからどれだけ長く続くか分からない孤独が始まるのに。

「エディ……」

 静かな声にハッとする。振り返るとそこにパトリシアがいた。

「パティ……」

 薄暗がりの中で白い夜着を着てショールを纏ったパティは、微かに悲しみを漂わせつつも微笑んでいた。

「……いっちゃったのね」

「ああ」

 小さく返事をすると、エドワードはリッツが消えた木々の先を見つめた。いくら見ても、どれだけ見ても、もう友は戻ってこない。

 あの笑顔が見たくて、ただ目をこらす。

 リッツが望んだ別れじゃない。

 エドワードが望んだ別れだ。

 このままずっと共にいてしまえば、年を取らず、強大な力を持つリッツはいずれ身動きが取れなくなってしまうだろう。

 年を取っていく人々の中にいて、旧体制の力を持ち続けてしまう彼は、エドワードからその子へ、孫へと移行していく世代交代の中で脅威として恐れられる存在になりかねない。

 もし死ぬ時に友をこの手にかけられなかったら、エドワードが死んでもなお、永遠に国の象徴として囚われてしまうかもしれない。

 エドワードが手にかけねば彼は死ねない。でもエドワードはきっと彼を殺せない。

 死ねない彼は永久に変わらぬ権力と共に、王宮の怪物として人々の恐怖を一心に受け取ることになるかもしれない。

 それはリッツをどれだけ傷つけることになるのか、エドワードは分かっていた。だから表に出すしかなかった。

 そんな権力争いの中心に友を置くことなど出来ない。

 いや、それは建前だ。

 軍の中へ、今の仲間たちへの言い分けだ。

 もしリッツをこのまま手元に置いておけば、エドワードはリッツを殺すことになる。

 自分が年老いた時、望まれるままに親友をこの手にかけることになる。

 今ですら殺して欲しくて寂しげな笑みを浮かべ、じっとこちらを見つめる友の視線は耐えがたかった。

 ずっとその目を見続けることなどエドワードにはできそうにない。悪夢の中で友を殺し続けることに耐えられる訳など無い。

 今この手を放さねば、その先に死しかないエドワードという監獄にリッツを閉じ込めてしまう。

 希望が死ぬことしかない人生など友に送って貰いたいわけなど無いじゃないか。

 エドワードが死ぬ時、決して一人にはしない。殺して共に連れて行く。それは二人だけの誓いだ。

 でもそんなことできない。親友に刃を突き立てることなど、できるわけがない。

 生きて、幸せになって欲しいのに。

 エドワードに幸せをくれた人なのに。

 だから一縷の賭に縋るしかなかった。

 ギルバートたちと共に世界を見て欲しい。ユリスラだけではない、他の国を見て、他の亜人種を知って、そして共に歩ける存在がエドワード以外にもいるのだと言うことに気がついて欲しい。

 時間を共に過ごせる人々もきっといる。

 幸せに生きるために沢山の世界を見て、沢山の人と知り合ってほしい。その中で本当に人生を共に歩める存在をみつけて欲しい。

 そしてその幸せをみつけたら、戻って来て欲しい。

 幸せに笑う姿を見たい。

 幸せになって欲しい。

 一緒に笑いたい。

 でも……。

 背中がふわりと温かくなった。パトリシアが後ろから抱きしめてくれたのだと気がついた。

 でもパトリシアは何も言わない。ただ優しいぬくもりが伝わってくるだけだ。

 前に回されたその腕に、腕を重ねる。

 堪えきれずに、呻き声が漏れた。

「……パティ……」

「はい」

「……一度だけだ。一度だけだから、弱音を吐いてもいいか」

 駄目だ。黙っていろ。いうな。

 彼女にも重荷を背負わせる気か。

 心がそう叫ぶのに、彼女の手のひらに重ねる力が増してしまう。吐く息すら震えてしまう。

 背中で黙ったままパトリシアが頷いたのが分かった。理性が沈黙を求めるが、感情の波がそれを許さなかった。

「あいつはもう……帰ってこないかもしれない」

 永遠に、あの笑顔を見ることができないかもしれない。

 そう覚悟を決めたはずだった。

 時に苦しめられるリッツがエドワードという有限の時に閉じ込められ死に至るのは嫌だった。

 だからもし永遠に失うかもしれなくとも、リッツが幸せをみつけられるならと、その可能性が僅かにでもあるのならと覚悟を決めたはずだった。

 でもそんなの嘘だ。

 本当はそんなこと望んでいなかった。

「俺は……リッツと一緒に行きたい。あいつと生きていきたい」

 絞り出すような本音だった。

「国王になんてなりたくなかった。あいつと一緒に行けるなら、王位なんていらない」

 頬に涙が伝った。止めどなく涙が溢れる。

「国王になった。ユリスラを平定した。国民の安定を取り戻し、貴族制度を廃止した」

『いいか、忘れんなよ。お前は俺の友達なんだ。俺がそう決めた。だからエド、迷う必要なんてねえじゃんか』

 あの日の笑顔が、信頼が遠のいていく。

「だからなんだ。それで俺の手に何が残るんだ? 権力か? 武力か? それがあいつの代わりにでもなるというのか?」

「……エディ……」

「あいつと引き替えにしなければならないなら、こんなものいらなかった!」

 ひときわ強く風が吹き込み、長い髪を激しく舞わせる。まるで荒れ狂う感情のようだ。

「俺はずっと、あいつと一緒にいたかった」

 流れ続ける涙が床に落ちる。

「ずっと、あいつの相棒でいたかった!」

 リッツ、お前、帰ってくるよな?

 俺の所に帰ってくるよな?

 怖くて、リッツにそう聞けなかった。

 それとももう……戻ってこないのか?

 乱れた呼吸を整えようと荒く息をしていると、背中でパトリシアが小さく震えていた。

 パトリシアは泣いていた。

 華奢な身体がエドワードにしがみつき、慰めるように身体を包んでくれている。

 激しく荒れ狂う激情が、静かに凪ぎに変わっていく。

 申し訳なさで胸が痛む。

 彼女を苦しめたくなかった。共に王家という重荷を背負ってしまった彼女には。

「パティ……」

 ただ名を呼ぶことしかできず、優しく回された腕を撫でる。

「ごめんパティ。忘れてくれ」

 これは仕舞っておかねば成らない感情だった。ずっと一人で抱えていくべき想いだ。

「すまない」

 何かをパトリシアが口にした。聞き取れずにそっと聞き返した。

「なんだい?」

「……帰ってくるわよ」

 絞り出すような、低い呻き声にも似た言葉だった。

 ハッと息を呑む。

 向き合ってパトリシアの顔を見ると、幾筋もの涙がパトリシアの頬を濡らしていた。

 思わずその華奢な身体を抱きしめると、パトリシアはエドワードの胸に顔を伏せ、全身を震わせる。

 悲しみではなく、怒りも混じっていることがすぐに分かった。 

「馬鹿エディ! 帰ってくるに決まってるじゃないの! 馬鹿リッツが帰ってこれる所なんて、あなたの隣しかないじゃないの!」

「パティ……でも俺は……」

「リッツを信じてないのはエディだわ!」

 しゃくり上げてパトリシアが怒鳴った。

「馬鹿よ。本当に馬鹿だわ! 馬鹿だから二人が信じられない分、またエディとリッツが一緒に生きていけるって私が二倍信じるわよ!」

 怒りと叫びは、それでも祈りに似ている。

 パトリシアの心は、ひたすらにエドワードとリッツの幸せを望んでいた。それだけで心に小さな火が灯った気がする。

「大好きよエディ、大好きリッツ。私、いつも二人が羨ましくて、憧れてた。その絆が切れたって、どうして簡単に諦められるのよ!」

 諦めなければ、信じていれば……きっとまた会える。

 それをずっと抱えていていいのだろうが。

 再会をずっと信じていてもいいのだろうか。

 でも、信じたい。

 きっとまた会えると。

「……ありがとう」

 パトリシアを力を込めて抱きしめる。

 信じる。

 それしかできないのならば、信じて待つしかない。

 ずっとここで。この場所で。

「行こうパトリシア。ここは冷えるから」

 エドワードは月明かりの庭に面した窓を、感情と共に閉じた。

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