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燎原の覇者  作者: さかもと希夢
遼遠の彼方
169/179

<11>

『パティへ。

 ええっと、なんて書いたらいいのかな。パティに手紙を書くの初めてだから、思った以上に難しいよ。

 色々考えたんだけど、まず御礼を言うことにした。

 友達としてエドワードよりも大切と言ってくれてありがとう。

 それだけでも俺は凄く救われました。

 出会った時には、色々怖がらせたり驚かせたりして本当に悪かったと思う。

 エドの立場を知らなかったから、パティに闇の血を引く俺を警戒された時、俺はやっぱりここでも忌み嫌われるのかなって正直諦めにも似た気持ちを持ったんだ。

 おっさんやエドにはよくして貰ってたから、自分が精霊族の嫌われ者だって忘れてたんだ。それを思い出したら怖かった。

 でも俺、あの時にそんなことに怯えてしまうのを見せたくなくて強がったよな。その後も互いにぶつかっただろう?

 だってさ、俺にはエドしかいなくて、パティとエドは親しくて、だからパティに嫌われたらエドとも離されるかもってちょっと気弱になってた。

 そんな風に始まった俺たちだから、パティに信頼して貰えるなんて夢にも思えなかったんだ。

 だからさ、本当に嬉しかった。

 俺は自分を晒すのが怖くて、いつもパティに何も言えなくて、自分の思いを隠すためにパティの気持ちをエドに暴露したりと、パティには本当に迷惑ばかり掛けたと思う。

 そんな駄目男な俺なのに、信用してくれてありがとう。パティの強さには本当に助けられたよ。

 俺たちは似たもの同士だったんだな。だからぶつかり合ったけど、結局分かり合えたのも似たもの通しだったからなのかも知れない。

 この間話した時に、俺もパティと同じで恋愛としてではなく友達としてずっとパティが大好きでいられると信じることが出来るようになった。

 本当にありがとう。

 そうか、ごめんなさいを先にした方がよかったのかな。

 パティ、俺の力が及ばず、俺の心の弱さのせいでおっさんを守れなくてごめん。ずっとちゃんと謝りたかったんだ。あの時以来俺、謝ってなかったよな。

 それからごめん。みんなに黙ってシアーズを出て行く俺を許して下さい。

 直接さよならを言ったら、俺はきっと出て行けなくなってしまうと思ったから、こっそり行きます。

 おっさんのこともそうなんだけど、俺は弱くて、いつも自分勝手に人を傷つけてきたんだって、この間エドと話して初めて気がつきました。

 大切な人を傷つけずに守れる強さが俺にはなかった。

 俺はどうしてこんなに弱いんだろう。パティみたいに強くあれたらこのままシアーズにいられたのかな。 

 ごめん、これ愚痴だな。

 でもこのままシアーズにいたら、きっとみんなを困らせてしまうと思うんだ。

 確かに俺、剣技は強いよ? でもこれからこのユリスラの国は平和の時代になっていくから、実務も心も弱い俺では役に立たないんだと思う。

 実務は慣れだって前にシャスタに言われたんだけど、多分それは人間社会に根を下ろして生きている人にしか分からないことで、俺のような浮き草みたいな男では基本的に人の上に立つことは難しい事なんだ。

 だからごめん、行きます。

 最後にお願いです。

 エドと幸せになって下さい。

 違うな。エドを幸せにして下さい。

 エドは俺の幸せを祈ってくれるけど、俺はエドにこそ幸せになって欲しい。

 エドはああいう男だろう? 多分自分をいつも度外視して相手を幸せにしようともがいちゃうんじゃないかな。

 だからさ、パティだけはエドを無理矢理にでも幸せにしてやって下さい。

 エドはずっとさ、寂しかったんだと思うんだ。だって十二歳からずっと王の血を引く者として生きてきたんだから、独りぼっちだったんだろ?

 その中でエドをずっとエディと呼び続けて愛してきたパティはきっと、エドの支えになっていたと思う。

 パティは俺の方がエドに近しいと思っているだろう?

 そんなことないって。自信持てよ。絶対にパティが一番だからさ。

 だからエドを幸せにするのは俺の役割じゃなくて、パティの役割だと思うんだ。

 エドは浮気するような奴じゃないし、俺みたいに困った性癖も持っていないし、真面目だからパティは幸せになれるよ。

 エドを幸せにすると言っても、パティも幸せになってくれなきゃ嫌だよ。

 嫌なことは嫌ってちゃんと言えよ? エドが国王だからって遠慮するなよな。

 もしエドが悪いことをしたら怒れよ? 前みたいに『何してんのよ!』って殴り倒しても良いからな。

 きっとそうすることが二人の幸せに繋がるって、俺、思ってるから。

 遠く離れてしまうからこの国のことは分からなくなってしまうと思うけど、俺は二人が幸せでいてくれるなら、どれほど遠くにいても幸せだと思うんだ。

 もし俺が二人の前で笑える程強くなった時、また二人に会いたいと思います。

 これが永遠の別れみたいに書いたけど、俺、ちゃんと戻ってくる気はあるよ。

 それが何年先になるのか自分でも分からないけど、強くなれたらきっと戻ります。

 最後になるけどこれだけは言っておくな。

 パティ、ありがとう。大好きだった。

 幸せになって下さい。

リッツ・アルスター』


 深々と溜息をついて、リッツは書き上げたばかりの手紙を封書に収めた。

 それから燭台の蝋燭で赤いロウを溶かして封をし、大臣の印章を押す。

「……終了っと」

 婚儀を二日後に控えた日の夜。リッツは自室で仲間に宛てた手紙を全部書き終えた。

 婚儀の混乱に乗じて姿を消そうと思っているから、誰にも別れを告げることが出来ないため、こうして親しい人たちに手紙を書いているのだ。

 燭台の明かりに照らされた箱の中には全員に当てた手紙が整えられて収まっている。

 封書に収まったそれは全て厚みをもって膨らんでいた。書き始めると言葉がとりとめも無く溢れ出して、結局全て長い手紙になってしまったのだ。

 グラント、コネル、ジェイムズ、ハウエル、マルヴィル、シャスタ、そしてパトリシア。

 自分が姿を消すことは誰にも言えない。

 言えばきっと止められるし、大臣の立場にあるのに責任を放棄するのかと叱られることが分かっているからだ。

 責任を放棄するのは事実で、だからこそ言い分けのように手紙に感謝と謝罪を書き連ねた。

 こんなに沢山の文字を書いたのは、ローレンに文字の練習をさせられていた時以来だ。

 手紙の中身は大筋では大体変わらない。

 自分がギルバートと共にダグラス隊としてタルニエンに渡ること、その際に大臣職は国王であるエドワードに預けること、そして個人的な御礼だ。

 ゆっくりと箱から封書を取り出して宛名の書かれた表面を撫でる。

 グラント、こんな男だけど見捨てずに役割を認めて色々助けてくれてありがとう。王国に関わる権利を全てエドワードに預けていくから、後を宜しく。

 精霊族だから身分証のない俺のために作ってくれた、特別な王国の身分証だけ貰っていくな。

 コネル、いつもすぐに噛み付いてごめん。皮肉に一々噛み付いた俺は子供だったよな。でも本当は俺を信じてくれていたことが嬉しくて、兄みたいに思っていたんだ。

 ジェイムズ、ベネットの頃から面倒を見てくれてありがとう。傭兵の技で色々鍛えてくれたこと、個人的な悩みや弱さを笑って聞いてくれて嬉しかった。あと、初恋の君との結婚おめでとう。

 ハウエル。精霊族として相変わらず持ち上げられているが全く嬉しくないからな。でも不思議と最後はあんたが嫌いになれなかった。あんたの本当は高い志とか能力を高く買っているんだから、これからもエドの役に立ってくれよな。

 マルヴィル。いや、おじさん。ティルスの村から色々教えてくれてありがとう。戦場にいる時は副官として常に帯同してくれて助かったよ。サリーを炎から守れなくてごめんな。サリーの幸福を祈ってる。

 シャスタ。勉強や文字、家事を教えてくれてありがとう。おかげで俺は色々なことが出来るようになった。一人っ子だから弟として本当に大切に思ってたんだ。それからローレンを救えなくてごめん。

 そしてパトリシア。近くにいてくれてありがとう。

 全ての手紙を撫でてから再びそれを箱に戻す。思いの丈は全て詰め込んだ。これ以上に彼らに言いたいことは無いというぐらいには。

 エドワードから告げられた別れを心の中で消化するのに一週間、手紙を書くだけで一週間もかかってしまった。剣ダコの上にペンダコとインクの染みが出来てしまった程だ。

 勝手にこの国を去るのだから、これぐらいのけじめは必要だろう。

 大きく息をつくと、リッツは椅子に座ったまま伸びをした。肩が凝るなんて初めての経験だが、こんなに堅くなるものだとは知らなかった。

 まだ沢山の便せんが残ってはいるが、初代の精霊族のような建国宣言を残すつもりはない。

 リッツが英雄を演じた際の言葉が既に新建国宣言として出回っているし、戴冠式の時に口にした言葉も正式な精霊族からの言葉として書類に残っている。

 精霊族を演じてきたが本当は存在すら精霊族に認められていないリッツには、それだけで十分だ。

 本来ならユリスラの歴史に精霊族を代表するようにリッツの名が残ること自体が不本意だが、革命戦争の間王国建国神話をなぞってきたのだから取り消すことは出来ない。

 きっとグラントがこの二つの宣言を上手く活用し、リッツが消えたあと国民に上手く説明してくれるだろう。

「終わったの?」

 掛けられた声に振り返ると後ろにグレタが立っていた。グレタがこの部屋に入ってくるのには気がついていた。リッツが呼んだのだから当たり前だ。

 でも彼女はリッツが手紙をしたためる姿をみて、黙ったまま手近な椅子に腰掛けて待っていてくれたのである。

 人に対する気遣いが査察官故のことなのか、彼女の元から持っていた性格ゆえなのか分からないが、有り難いと思う。

「終わったよ」

 彼女にだけはリッツがこの国を去ることを知らせてあった。恋人ではないが、彼女はこの国で最後の愛人だった。

 だからこそ、黙っていくことは出来なかった。

 娼館に遊びに行くことがそう簡単にできなくなったリッツに取って、同じような哀しみや空虚を抱えるグレタと身体を重ねる時間は、自身の心を休める時間でもあったのだ。

 振り返らずに椅子に座ったまま苦笑して目の前に積み上がった手紙の束を示す。

「ほらこの通り」

「大量ね。しかも全部随分厚いじゃない」

「頑張ったからな」

 最後に封をしたパトリシア宛の封書のロウが固まっているのを確認して、リッツは全ての封書を束ねた。

 それはリッツが残していく心残りと同じぐらい、ずっしりと重い。

「悪い。頼めるのがグレタしかいなかったんだ」

 束ねた封書を机に置いてようやくリッツは振り返った。

 手元の燭台以外に明かりのない部屋に静かに佇むグレタは、幻のように綺麗だった。

「最後の最後まで利用するようなことして、ごめんな」

 本心だった。この大量の手紙はリッツが姿を消した後に各々に届けて貰わねば意味が無い。だからそれをグレタに託すことにしたのだ。

「私宛はないのね」

「ああ。グレタには直接別れを言えるし」

 近くにあったグレタの髪をそっと撫でる。その髪は柔らかく指通りがいい。

「……狡い人……」

 リッツの指が頬に滑り落ちると、グレタが微笑みながらリッツの胸に縋った。

「……ごめん」

 あやすように優しく髪に指を絡めると、グレタは小さく溜息を漏らした。

「本当に狡いわ。追えないようにしてしまうなんてね」

「悪いと思ってるよ」

 この国を出ると告げた時、最初グレタは傭兵としてなら共に行ってもいいといってくれた。でもリッツはそれを認めずにグレタに任務を託したのだ。

 手紙を届けて貰うことは些事だ。

 彼女に託した本当の任務は、査察部の立て直しである。

 しかも過去の査察部と違い、王城、王宮だけではなく、自治領区の騒乱を防ぐための監視の役割を負った新たな態勢作りだ。

 当然今迄通り査察官の上には国王と宰相と大臣しかいない。そうでなければ意味が無い。

 王と宰相、大臣がこのシアーズを動けない代わりに、その手足となって国家全体を見守る役目を作り、それを査察部に託したのである。

 貴族中心の時代にあった、自治領主による国民の虐待など、エドワードの治世の間に決してあってはいけない。

 エドワードの目として、腕として動いて欲しい。その為の組織である。

 その長として完全に査察部が機能するまでの責任者としてリッツが任じたのがグレタなのだ。

 リッツがいなくなるから、万が一何かあった時、リッツと同じようにエドワードが信頼して動かせる部隊が一つだけ欲しい。

 だからリッツはエドワードには知らせることなく査察部の改革を進めていたのである。

 ことが成る前に姿を消すことになるのだから、あとはグレタに任せるしかない。

「俺を追っても意味なんて無いだろ。無位無冠の傭兵になるんだぞ?」

「無位無冠はでは愛人を養えないものね」

「まあな」

「いいのよ。言ってみたかっただけ。それに貴方は私を愛してくれているわけじゃないもの」

 微かに顔を上げたグレタは、からかうように目を細めた。リッツは小さく笑う。

「お前もだろ」

「ええ。それでもこうしていれば暖かいわ」

「……暖かいな」

 腕の中にいるグレタを抱きしめる。

 愛しい気持ちではなく、言いようのない罪悪感と切なさのようなものが胸に溢れてしまったのだ。

「なあグレタ」

「何?」

「あのさ……」

 一瞬言い澱んでしまったが、意を決して再び口を開く。

「グレイグを守れなくて、ごめんな」

 ようやくそれを口に出来た。グレタは微かに腕の中で身じろぐ。

「……今更何を言っているの?」

「だって……グレタはグレイグが好きだっただろう?」

 おそらくグレタはハロルド王とルイーズの命で守り続けてきた彼を愛したろう。だがグレイグは彼女を見ることなどなかった。

 記憶を無くしてアノニマスとして過ごしていた時は人に愛を返す事などグレイグの頭になかっただろうし、記憶が戻ってからグレイグの中にいたのはローレンだったからだ。

「……馬鹿ね」

 顔を上げたグレタは微笑んでいた。

「そういうことは聞かないのが優しさでしょう?」

 やはりそうなんだな、と納得した。

 それでも、想いを返されることなど無いと知りながらも、彼女はずっとグレイグを守ろうとした。

 愛では無く任務として。

 だからこそリッツとグレタは、恋人としてではなく、身体だけの愛人として互いの空虚を暖め合えたのだ。

「俺は少しでもグレイグの代わりになった?」

「……どうかしらね」

 怪しげに微笑むだけで、やはりグレタの内心は全く見えなかった。一流の査察官はそうなのだと彼女自身の態度を持って示されているような気分になる。

 だからこそ彼女を信用している。

 きっとグレタならばここから新しい査察部を作り上げていくことが出来るだろう。

「色々押しつけて悪い。でもお前なら出来るって、俺は信じてるからさ」

「褒めてくれるなんて珍しいわね」

「俺だってたまには褒めるよ」

 再び柔らかな身体を抱き寄せて、その髪に鼻を埋める。

 うっすらと柔らかな花の香りがした。

 彼女がリッツと会う時にたまにしていた香水の残り香だろうか。

「ねえ」

「ん?」

「明日、出て行くのよね」

「ああ」

 そう、明日の夜リッツは王宮を出て行く。

 翌日の婚儀の朝、リッツの不在に気がついても、その忙しさで誰も後を追えないように。

「じゃあこれがここで過ごす最後の夜ね」

「そうなるな」

 この部屋で眠るのは、もう今晩で終わりだ。

「それなら今晩は私と過ごすのよね?」

 泣いていないのに、綺麗の微笑んでいるのに、何故かグレタが泣いているような気がした。

 声に混じる色気に隠された切なさに、リッツはただ腕の力を強めることしか出来ない。

 いつもは信頼できる査察官で有り、妖艶な愛人であるはずの彼女が、酷く幼い傷ついた少女のように見えたのだ。

 そんなはずはないと分かっている。そんなことはリッツの感傷に過ぎないのかも知れない。

 それでもいい。

 もし許されるなら今晩だけは立場も何もかも捨てて、ただ彼女に溺れてみたい。

 そう思った。

「抱いていいのか?」

 リッツの欲は、腕の中のグレタに伝わったようだった。だから彼女は全ての作り上げた表情を捨て去り、ただの女として寂しげな笑みを唇に乗せた。

「抱いて、リッツ」

 笑みを浮かべた彼女をリッツは強く抱きしめた。きっと自分もグレタと同じように、ただの男の顔をしているのだろう。

 生まれも、立場も、人種も関係なく一人の男の顔だ。

 互いに求めるままに唇を重ね合った。そのままリッツはグレタを抱えてベッドに放り込む。

 押さえることの出来ない熱をそのままに、互いに互いを貪り合う。

 今迄愛人としてただ身体の欲を埋めるためだけの行為だったが、何の立場に縛られることのないこの夜だけはと、その熱情に浮かされる。

 その中にある激しい感情の正体をリッツは知っていた。

 寂しい。

 寂しい。

 もう仲間達に会えない。

 一人になるのが怖い。

 助けてくれ。

 だれかこの孤独と恐怖から救って。

 俺を助けて。

 救いを求める自分の感情を口に出さないまま、グレタを欲望のまま求めた。そしてグレタも無き男の面影をリッツに求めて激しく熱情を欲した。

 互いに求める物が全く違っている。でもこの身体の熱さと互いの孤独だけが真実だった。

 それを分かっているからこそ、離れがたく、幾度も身体を重ねた。

 乱暴でごめん、とグレタを抱きながら幾度も謝ったリッツに、グレタはただ綺麗に笑ってくれた。

 その一瞬だけ、何かに許されているような気がした。恐怖に駆られたリッツに取って、それは微かな救いだった。

 熱情に駆られた夜を越え、明け方近くにようやく抱き合ったまま少しの間眠った。

 目を覚ましてからどちらからとなく、ただ黙ってベッドで抱き合ったまま笑い合った。それはやがて馬鹿みたいな笑いに変わっていく。

 これで終わりだと分かっていたから、熱情も感情も何も残らぬように、ただ互いに笑ったのだ。

「若いわね。どれだけ元気なの?」

「グレタこそ若いよ」

「随分とお年じゃなかった?」

「身体はぴちぴちの二十歳だよ?」

「ふふ。二十歳が聞いて呆れるわ」

 冗談のような言葉を互いに吐きながら、名残を残すことなく一度強く抱き合ってから離れた。

 互いに湯を使い、身支度を調えてから再び向かい合って立つ。

 もう触れることはしなかった。

 互いに分かっていることが一つだけある。

 もうこの関係として会うことは二度とない。

 もしかしたら会うことすら無いかもしれない。

 もしリッツが時を経て戻ったとしても、彼女は先に歳を取っているだろうし、彼女は彼女の幸せを見付けているだろう。

 だからこそ互いに失った物、これから失うであろうものを見つめて微笑みあったのだ。

 やがてグレタは黙ったままリッツの前に跪いた。

「……大臣閣下。最後のご命令を」

 リッツを見上げたその目に、もう愛人のグレタはいなかった。

 そこにいたのは査察部を立て直すために尽力している査察部長のグレタ・ジレットでしかない。

 関係を清算した今、リッツももう彼女を愛人とは思わなかった。

 恩人である彼女に、深い感謝と尊敬の気持ちはあったとしても。

「エドワード国王陛下の元、国家のために確かな目を持ち組織を律せよ。陛下と宰相の手足となりいついかなる時も陛下とお助けする手足となれ」

 俺の代わりに、エドワードの手足となってくれ。それがグレタに残した願いと望みだ。

「そしてそれが成ったなら……幸せになってくれ」

 一瞬だけグレタは動きを止めたが、すぐに深々と頭を垂れた。

「……承りました。閣下、どうぞご無事で」

「……ああ。手紙を頼んだ」

「はい」

 音も立てずに扉から出て行ったグレタを見送り、リッツはその姿が見えなくなってから、深々と頭を垂れた。

「ありがとうな、グレタ」

 君に幸あれ。

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