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燎原の覇者  作者: さかもと希夢
遼遠の彼方
164/179

<6>

 その日の夜、宣言通りにエドワードはリッツを伴ってギルバートが夜の大半を過ごす娼館へと足を運んだ。

 表情を取り繕っているものの、何かを深く思い悩んでいるようなリッツが気にかかったが、ギルバートと話をすれば少しは落ち着くのではないかと敢えて言葉を掛けたりはしない。

 話したくなったらリッツは話してくれるのだろう。今までだってそうしてきたし、これからだってそうしていく。

 だから無理に聞き出すことはしない。

 それが正解なのか間違いなのか分からないが、五年の間そうしてきたことを今は変えるべきではないような気がしていた。

「マレーネ!」

 マレーネが営む娼館に着くと、リッツは迷い無く娼館の女主マレーネに抱きついた。六十過ぎているというのにマレーネの妖艶で華やかな佇まいは一向に衰えることはない。

「あら坊や、久しぶりじゃないの」

「ルーイビルに行ってたんだ」

「ふふ。知ってるわよ。ギルに聞いているわ」

 娼館では階級がものをいわない。リッツはここに来れば常に坊やであり、エドワードも同様に扱われる。それはとても気楽だった。

 だが婚約者がいる以上エドワードがここに来ることなど滅多にない。

「あらあら珍しい。王子様も一緒なのね」

「……マレーネ、王子はやめてくれるかい?」

「あら残念。いらっしゃいエディ」

 ここでは身分を偽っているため、彼女たちは敢えてエドワードを愛称で呼んでくれる。

 本当は王太子であるエドワードと軽く接することに抵抗があるのかも知れないが、馴染みの人々にまで傅かれる事に負担を感じるエドワードに一応の配慮をしてくれているのだろう。

「今日は何かしら? 遊んでいくの?」

 分かっているくせに蠱惑的に微笑んで尋ねてくるマレーネと、幾人かの馴染みの娼婦たちに、リッツは子供っぽく首を振っている。

「ちょっと野暮用なんだ。終わって時間あったら遊んでこっかなぁ」

「指名は?」

「とりあえず、ギルいる?」

「まあ憎たらしい。こんなに色とりどりの花を前にしてギルをご指名とはね」

 白く細いマレーネの指が、からかうようにリッツの頬を撫でる。その指を捕まえたリッツはマレーネの手の甲に音を立ててキスをした。

 完全に世慣れた遊び人の姿に、エドワードは小さく息を呑む。

「んじゃギルの後マレーネと遊ぶ」

「こんなおばあちゃんと遊んでくれるの?」

「何言ってるの? マレーネがおばあちゃんなわけないじゃん。マレーネこそ、俺で満足できる? 俺お子様だし?」

「お馬鹿さんね。満足どころか、体力が持たないわ。若い子達を取りそろえて置くわよ」

「ん~? 俺今日は少し年上の姐さんたちがいいなぁ~」

「あら、坊ちゃんは甘えたい日なのね」

「ん。そうだよ」

 マレーネの手を取っていたリッツは軽く彼女を引き寄せて身をかがめ、頬に口付けた。

「ま、ギル次第だけどね」

「そうね」

 妖艶ながらも一定の輪の内側に人を入れない雰囲気を持つマレーネが、リッツに関しては懐に入れているのを見て驚いた。

「マレーネ姐さんとだけなんて狡いわ。私たちにも挨拶がないの?」

「ごめん。挨拶が遅くなりました」

 笑いながらリッツはそこにいた娼婦二人を両腕で抱き寄せた。身体の大きなリッツの腕の中に収まった二人の娼婦の頬にそれぞれ口づけたリッツが笑う。

「後でたっぷり味あわせてよ」

「いやらしいんだから。後でね」

 去って行く娼婦二人の髪に音を立てて口づけたリッツは、ようやくエドワードを振り返った。

「さ、ギルんとこ行こうぜ」

「……ああ」

 微かに返事が遅れてしまった。だがエドワードの戸惑いに気がついた様子もなく、リッツは慣れた足取りで階段を上がっていく。 

 リッツと遊びに出ることは今もよくある。

 だが娼館に足を運んだのは久しぶりで、リッツがこんな風に女性をあしらうようになっているとは思わなかったのだ。

 エドワードの頭の中ではリッツはいつまでも子供っぽいあのリッツで、こんな風に感情が読み取れない世慣れた色気を振りまく男ではなかった。

 変わってしまったのだ。

 何がそうさせたのかは分かっている。暗殺者達を騙していたあの作戦が、否応なしにリッツをそういう男に作り替えた。

 感情が全く透けて見えないリッツは、まるでエドワードの知らない男のようで、微かに胸が痛む。

 こんな風に感情を閉じ込めさせてしまったのは、他ならぬエドワードだからだ。

「エド?」

「何だ?」

「いや、何だか元気なくねえ?」

「……そんなことはないさ。だが娼館にいると少し心配になってな」

 お前が、といえず適当に誤魔化すと、リッツは望む通りに誤魔化されてくれたようだった。

「あはは。婚約者にバレたらやばいよな。パティ、意外と焼き餅焼だろ?」

「まあな。だがパティの焼き餅の方向が少し可笑しいんだ……」

「? へぇ」

 パトリシアはエドワードが娼館に出かけたといっても何も思わずに溜息をつくだけだ。

 元々貴族出身の彼女には娼館の女性に焼き餅を焼く習慣が無いのである。

 その代わりに彼女が嫉妬するのはリッツなのだ。

 彼女にとってもリッツは大切な友である。それなのに彼女はリッツを羨ましがるのだ。

 彼女はエドワードの事を一番よく知り、エドワードが全てを打ち明けるのもリッツだけだと思い込んでいる。

 どうしても男同士の友情に自分は入れないのだと思い込み、疎外感を感じて寂しがる。

 違うのだと幾度言ってもその思い込みは強い。

 実際の所最近のエドワードはリッツが見えなくなっているし、リッツが相談を持ちかけるのはエドワードではなくダグラス隊であるのも分かっている。

 いつの間にこんなに距離が出来てしまったのか、作戦が終了してなお、どうしてリッツが距離を取って離れようとしているのか、エドワードにはそれが分からない。

 ふと話をしたいと思っても、リッツは自室にいないことが増えた。

 隣室のエドワードがパトリシアと過ごす事を邪魔してはいけないと思っているのは分かっている。

 だがそれだけではない気がしていた。

 最近のリッツはただ静かに、諦めにも似たような笑みを浮かべて時折エドワードを見ているからだ。

 なのに彼は何も言ってこない。

 手を伸ばしても僅かに指がかかりそうなところでするりとこの手から逃げられる。

 そんな日がずっと続いていた。

 それはルーイビルから帰ってきてからも変わらない。

 だからエドワードの寂しさを埋めてくれるのは本当に、共に過ごし時間が増えたパトリシアなのだ。

 彼女は浮かない顔をしているエドワードの隣でグレインの話をする。親衛隊と共に訓練をしていることを話してくれる。

 書類仕事が多く仲間との時間が取れなくなったエドワードに変わり、今日一日の出来事や色々な仲間の現在状況を話してくれる。

 リッツが以前していてくれた、夜の晩酌の楽しみも共にしてくれている。

 今のエドワードはリッツと過ごすよりも彼女と過ごす時間の方が圧倒的に多い。それなのにパトリシアはやはりリッツには敵わないと思い込んでいた。

 いい加減に信じて欲しいところなのだが、こうして婚約者になる前の五年間の間に彼女の中でその価値観が固定しきってしまっている。

「まああれだよな。恋人の間に入るのは無粋だから、俺は何も言わねえけど、浮気すんなよ、エド」

「馬鹿を言うな。やっと手に入れた恋人を傷つけることはしないさ」

「だよな」

 楽しげに笑うリッツに、パトリシアを想っていたあの頃の寂しげな面影はない。それがまた違和感をエドワードに与えた。

 本当は辛かっただろうに、本当は傷ついただろうに、その顔すらもうエドワードに見せてはくれないリッツが遠かった。

「ギル入るぞ」

 勝手知ったるといった顔でリッツは平然とある部屋の扉を開けた。それはギルバートとエドワード達が初めてであった部屋で有り、シアーズに身を潜めていた時にもギルバートが使っていたという部屋だった。

 革命軍幹部として住居を与えられた後も、ギルバートは屋敷は性に合わないという理由で夜の大半をここで過ごしているのだ。

 何気ない顔で入っていったリッツに続いてエドワードのその部屋に足を踏み入れた。

 部屋の中はいつものように、女性達の嬌声や喘ぎが満ちていた。

 エドワードはその状況には未だ慣れない。性的な営みは普通秘めるもので、このように他人が入り込んではいけないものだろう。

 だがギルバートにそんな意識はまるでない。

「ギル、話あんだけど」

 平然とリッツは大きなベッドに歩み寄る。ギルバートと今まさに情を交わしている娼婦が頬を染めて喘ぎながらリッツを見上げた。

「あん、坊やじゃない」

「うん。久しぶり。相変わらず綺麗だね」

 照れることも困ることもなく、リッツもギルバートと繋がったままの娼婦に平然と口づけをする。

「やだもう。坊や可愛い……んっ」

 甘く微笑んだ娼婦にリッツが大人びた笑みを返した。まるで傭兵達のようだ。

 昔身動き一つ出来なくなっていたリッツはもういない。

 それがやはり切ない。

「おいこらリッツ、てめえ人が抱いてる女に手を出すんじゃねえ」

 笑いながらギルバートが娼婦を責めて立てている。漏れる激しい喘ぎのなかで平然としながらリッツがギルバートを見つめた。

「いいじゃん別に減るもんじゃないだろ」

「いいやがるなクソガキが」

「へへんだ。で、あとどんくらいかかるの?」

「これで終わりだ。数分待ってろ」

「へいへい」

 ヒラヒラと手を振り、リッツはソファーセットに腰を下ろして置かれていた蒸留酒を我が物顔でグラスに注いだ。

「ソフィアは飲む?」

 ソファーセットにはいつもの如くガウンを着て平然と煙草を吹かすソフィアの姿があった。

「頂くよ」

「エドは?」

「……俺も頂こう」

「はい、ソフィア。そんで俺に煙草頂戴」

「適当にやんな」

「サンキュー」

 ベッドとこことはまるで別の世界であるかのように飽くまでも普通にリッツは寛いでいる。

「みんなは?」

「適当に散らばってるよ。ファンとジェイとエンは飲みに行ったな。ラヴィは屋敷で絵を仕上げてるし、ヴェラはシャスタと飯を食うってさ」

「シャスタの奴、隅には置けねえな」

「見た目はお似合いだけど、中身は姉弟だよ。あの二人は」

「へぇ」

 仲間達の事を確認すると、リッツはグラスを小さく掲げた。

「遠慮なく」

「ああ。どうせギルのだ」

 ソフィアもリッツ同様軽くグラスを掲げると、紫煙を漂わせながら物思いにふけるようにグラスに口を付けた。

 そういえばとふと思った。

 ここに来る時、ソフィアもギルバートと共にいることがほとんどだがソフィアとギルバートの情事を見た事はない。

 もしかしたらギルバートに取ってソフィアは誰にも見せたくない特別な女性なのかも知れない。

 言葉通り、さほど間が開くことなくギルバートはガウンを纏っただけの姿でソファーにやってきた。

 今までの狂乱が嘘であるかのように平然とソフィアの煙草をその手から取って口にする。

 娼婦達の嬌声が消えた部屋は妙に静かだった。

 部屋の明るさまでが少々下がったかのように錯覚する程、張り詰めた空気が少々冷たい。

 冬の最中だから暖炉には火が入っており、微かに薪が弾ける音も聞こえるというのに。

 隣に座ったリッツがぼんやりと吹き出した煙が、天井へと漂うのを、黙って目で追った。

 煙草を吸うその姿があまりに様になっていてエドワードの知る彼とは別人のようだ。

 蒸留酒を口にし、煙草を吹かしている誰も口を開かなかった。エドワードも口を開かずにリッツの入れてくれた蒸留酒を黙って舌の上で転がす。

 やがてギルバートが口を開いた。

「エドワード。お前は既に気がついているのに、今更俺に何を聞きに来た?」

「……あまりに一方的過ぎるだろう、ギル」

「ああいうのは一方的に捲し立てねえと意味が無いだろうが」

「分かっているさ」

 やはりあの茶番はエドワードの推測通りだった。だがそれでもいわねば気が済まないことはある。

「リッツの時のように、全員に持ちかけることは出来なかったのか?」

 これからこう演じるから合わせろと、書面でいいから言ってくれればあのような状況にはならないのではないか。

 コネルだってあんなに混乱することはなかっただろうし、グラントに不快感で眉を寄せられることも、リッツが辛い思いを抱えることもなかっただろうに。

 責めるようなエドワードの視線に気がついたのか、ギルバートは苦笑した。

「本気で驚かせないと意味が無いだろうが」

「それにしたってやり過ぎだ」

「俺はそう思わねえな。なあエドワード、前にも言ったろう?」

 まるで師のようにその目がひたりとエドワードを見据えた。黙って見返す。

「傭兵の存在と国益についてだ」

「……正規軍の前に、裏切る可能性のある金食い虫の傭兵は必要が無い」

 それは聞いている。ジェラルドもギルバートと共にそれを論じていた。

「覚えているじゃねえか。それにもう一つ」

「軍事の頂点は二ついらない」

「その通りだ。士官学校を出ていなくてもお前さんは完璧だな」

 からかうような子供扱いに、つい口調が尖った。

「茶化さないでくれ」

「茶化していねえさ。士官学校を出てもそんな簡単なことすら分からない奴が多すぎる。ジェリーはお前に適切な教育を施したんだな」

 不意に出てきたジェラルドの名にエドワードは言葉を失った。忘れてしまいがちだが、ギルバートとジェラルドは盟友で有り、親友であったのだ。

 そしてギルバートはその親友を扉一枚隔てた場所で為す術もなく失っている。

 グラスを目の位置に掲げ、その琥珀色を楽しむかのように揺すりながらギルバートが呟く。

「これからの王国軍に必要な軍事の頂点はリッツだけで十分だろうよ。総司令官にコネルもいる。コネルの奴はああ見えてリッツを信頼しているから、権力を持とうなど思わないだろうよ」

 ちらりと視線を向けられたリッツが大きく溜息をつく。

「嘘だぁ」

「本人はその信頼にちっとも気がついていないがな」

「コネル、俺のこと馬鹿だと思ってるじゃん」

「まあ、馬鹿だと思ってるがな」

「ほら」

「だからこそ皆が補佐しようとしている。お前さんは少しエドワード以外の周りを信用しろ」

 その言葉に胸が詰まる。なあギル、今の俺はそれほどリッツに信用されていないかも知れないぞ、と口から出かかったが蒸留酒と共に言葉を飲み込む。

「信用しているよ。自分以上にはさ」

「そうだな。お前が一番信用しねえとならねえのは自分自身だな」

 しみじみと溜息交じりにいった言葉に、リッツがふいっと横を向く。リッツが自分を一番信用できないのは自分でもよく分かっているのだろう。

「だがギル。出て行くという選択肢一択しか残さなかったのは何故なんだ?」

 軍の頂点が一人でいいならば、総司令官にギルバートが収まれば良かったのだ。その下に副司令官としてコネル、参謀としてウォルターを付ければ事はそれで済んだ。

 だが革命軍幹部が全員揃った場で、ギルバートはそれを固辞した。

 黙ったままのギルバートにエドワードは言葉を続ける。

「遊撃隊を解体して、ギル自身も軍の要職を身を置くことを軍の再編の時に提案しても良かっただろう? なのに何故再編の時に強固に要職に就かなかったんだ?」

 自分の口調が責めるようなものになっていることには気がついていた。だがそれを変える気にはならない。

 エドワードは意思を持ってこの革命軍を率いて内戦を戦ってきた。だがエドワードは自分でも分かっているのだ。

 実質この戦いを勝利に導いたのはエドワードではない。ジェラルドとギルバートなのだ。

 エドワードとリッツはこの戦いを率いるための旗であり、象徴だった。いなければこの戦いを続ける為の大義名分はなかっただろう。

 だがそれだけだ。

 実戦を行い、勝利を手にできたのは自分たちの力では無い事など重々承知している。

 確かに一般兵士に比べれば自分たちは実力だってあるだろう。だがもしエドワードとリッツが一般兵士だったとしても、この戦いはジェラルドとギルバートがいれば勝っていた。

 若造で経験不足である自分たちは、戦略上コネルにすら及ばない実績しか持たない。

 本当は大臣の席に座るべきなのは、ギルバートだった。全員がそう思っていたし、リッツですらそう信じて疑わなかった。

 なのに実際に大臣の座に着いたのはリッツだった。ギルバートが固辞したからだ。

 もしギルバートが大臣職を受けていたなら、リッツにはエドワードの友として、軍には関係ない立場を作って与えられた。

 例外として王族と共にある立場を作れて、彼にもっと自由を与えられたのだ。

「少し昔話をしようか」

 煙草を吹かしながらギルバートが柔らかな目でこちらを見た。

「昔話?」

「ああ。昔話だ」

 静かに煙を噴いたギルバートの表情が、何かを懐かしむようなものに変わり、琥珀色の片眼が細められた。

「俺が士官学校生だった頃の話だ。俺には憎んで、それ以上に憧れた奴がいた。ファルディナとグレインという、共に王都から離れた田舎の男爵家生まれだというのに、そいつは優秀でな」

 ああ、ジェラルドの事だとすぐに分かった。

「士官学校の同期でな。何をやっても奴の方が上を行く。何に於いても勝てたためしがなくてな。常にそいつが首席にいた。俺は不遇な父のために王国軍でのし上がらねばと焦っていて、物静かに、だが決して俺の前からどかないそいつに腹がたっていた」

 小さく笑うとギルバートは煙草を咥えた。しばし黙想するようにして煙草を蒸かしてから微かに苦笑する。

「事あるごとに俺は奴に絡んだ。だが奴は飄々とした顔でやり過ごして俺に笑いかけやがる。唯々腹立たしかった」

 今はもういないジェラルドの、温厚な眼差しを思い出した。彼は内に熱情を秘めながらも、いつも平然と笑っているような人だった。

「奴には同期の相棒がいてな。そいつは軍に所属するつもりもなく政治やら経済やらの勉強ばかりしてやがった。そいつはどこか抜けていたが、目だけはいつも鋭くてな。俺はそいつも嫌っていた。要するに俺は全てが気にくわなかったのさ」

 それはカークランドのことだろう。以前にジェラルド、ギルバート、カークランドの三人は士官学校の同期生だったと聞いたことがある。

 ギルバートはただ淡々と昔話を語る。

 父親がファルディナの自治領主に酷使されていたことは以前に聞いた。その為にファルディナ戦では様々な人脈を使って自治領主を倒すために協力してくれた。

 大胆不敵で、いつも口元に自信に満ちた笑みを浮かべて全てを思いのままこなしているギルバートの学生時代は、どうやら今とは相当違ったらしい。

 全ての者を敵だと認識し、がむしゃらに士官学校での成績を上げようとしていたギルバートはある日事件を起こす。

 複数の同級生に囲まれたのである。それはただの喧嘩でそれで終わるとギルバートは思っていた。

 だが、相手は伯爵家の人間で、ギルバートよりも階級が上だった。

 暴力をふるったのは彼だけの責任とされ、士官学校を退学させられそうになっていた彼は、自暴自棄になり、全ての授業を自主的に休んだ。

 貴族という制度の中では、結局何も出来ないのだという絶望感が、彼の心をへし折ってしまったのだ。がむしゃらな努力もたったひとりの貴族のせいで全てが水の泡と帰すのが馬鹿馬鹿しくもあった。

 だがある日、突然全ての罪が消えて平常に戻ったのだという。

 ある日士官学校に呼び出され、いよいよ退学かと思えば、休んだことを注意されただけだったのだそうだ。

 そして奇妙なことに、喧嘩をした相手の方がいつの間にか士官学校から消えていた。

 何が起こったのか分からずに戸惑うギルバートだったが、突然戻って来た平穏に流されてそれまでのように父親のためにと勉学に励んだ。

 勿論そんな事件があって以後もジェラルドとカークランドはギルバートにとって目障りな人々であったことに変わりはなかった。

 事件から数ヶ月後、ふとしたことからギルバートは人々の噂を聞くこととなる。

『ギルバートを助けたのは、ジェラルドとフレイザーらしい』と。

 そんな馬鹿なとギルバートは思った。

 ジェラルドとカークランドを嫌い、正面から対立していたというのに、彼らに救われるいわれなどないと思ったのだ。

 だがギルバートの性分で、黙って噂を聞き流していることなど出来なかった。だからある日この二人を呼び出した。

 最初、ジェラルドは平然と知らぬ存ぜぬを通したそうだ。

 カークランドもただふやけたような顔で笑っているだけでギルバートの欲しい答えをくれはしなかった。

 そんな二人を脅しつけてでも聞き出そうとしたギルバートに、ジェラルドはあっさりと『俺に剣で勝って、フレイに歴史で勝てたら真実を話す』と約束した。

 その頃、丁度試験が迫っていたのだそうだ。

 がむしゃらに試験に向かった結果、ギルバートは二人に勝った。

 そして事の真相を知る。

 ギルバートに喧嘩を吹っ掛けてきた貴族は、士官学校生が行き着けていたラウンジの女性従業員に岡惚れをしていた。

 だがその女性は偶にやってくる無口でぶっきらぼうな士官学校生に恋をしていたそうだ。

 それがギルバートだった。

 つまりギルバートは自分の預かり知らぬところで恋のさや当てをさせられていたことになる。

 士官学校生ともあろう者がと、呆れてものも言えなかった。

 そのことを知っていたのは、剣技も実技もからきし駄目なくせに、学内の情報収集に掛けては右に出る者のいなかったカークランドだった。

 そしてカークランドはそれを相棒のジェラルドに相談していた。

 ジェラルドはカークランドと企み、喧嘩に参加した伯爵家の男が、女性従業員に片想いをして、その女性の思い人を襲った事を噂として広めた。

 この噂をカークランドが一番最初に流したのは、なんと社交界だった。

 そう、カークランドは伯爵家の人間だった。そしてジェラルドは男爵家の人間であったが、親類にモーガン侯爵家があった。

 そこに『告白も出来ぬのに、他の男を襲った情けない者が伯爵だなんてふがいない』という尾ひれを付けたのである。

 貴族は本来狭い社会で暮らす生き物で有り、名誉を重んじるためプライドが高い。

 噂好きな貴族たちの間で、この噂はあっという間に広がり、プライドだけは高かった伯爵家の男は学校にいることが出来なくなった。

 そして学校側も彼らの怒りを買わぬよう、退学した彼に関わる事件をなかった事にした。

 つまりギルバートの罪も消えたのだ。

 こともなげに平然とそれを話したジェラルドとカークランドにギルバートは驚いた。社交界など関わったことのないギルバートに取って、あまりに意外すぎる手だったからだ。

 それ以上に驚いたのは、突っかかる事しかしないギルバートのことを二人が助けてくれたことだった。

「何故か俺を助けたのかを聞いた俺に、ジェリーとフレイはいったのさ。貴族制度の馬鹿馬鹿しさを本気で怒っている味方が欲しいとな。あいつらは学生時代からもう貴族制度の矛盾と戦っていたのさ。俺はそんな奴らに知らぬうちに見いだされてたってわけだ」

 自分の世界の狭さにギルバートは言葉も無かった。彼らが見据えていたのは王国軍の未来で有り、王国の未来だった。

 それに引き替え自分の為にだけ学び、上にいる人間を憎む自分のなんと愚かなことか。

 ギルバートは彼らと話すことによって初めて視野の狭さに気がつかされ、目を開かされた思いだった。

 こいつらと一緒に行こう。

 ギルバートはそう決めた。

 父親のためでも自分の為でもなく、彼らのいう王国の未来のために共に。

 それ以降、ジェラルド、ギルバート、カークランドの三人は共に過ごしていくようになる。

 当然ギルバートとジェラルドの首席争いは続いていたし、カークランドは今まで通りに剣技も実技にも興味を示さずいた。

 馬鹿な悪戯もしたし、身勝手な貴族階級の学生へは、決して三人の仕業だと知られないようにと、本人にとっては最悪だが他の学生達からは楽しめるような復讐もやってのけた。

 女遊びも、酒の飲み方も、皆三人でこなしていった。最初は全く気が合わなそうな三人だったが、気がつくと三人でいるのが当然になった。

 他から見ると妙な三人組だったが、学内には自然とこの三人をまとめて一つの集団と捉える風潮が出来ていった。

 特に首席と副主席であったジェラルドとギルバートには誰もが一目置いていたのだという。

 端から見ればカークランドはこの二人もおまけだったが、様々な場面でお茶目とも言える貴族への悪戯を計画立案をするのはカークランドだったのだそうだ。

「あいつは昔から後方支援を得意とする男でな。いつの間にか学内で様々な事を裏から取り仕切っていた。今もやっていることは変わらんだろう?」

 カークランドの現在の職は、宰相に次ぐ地位にある行政尚書だ。彼が税を含めて自治領区全ての経済を管理しているといっても過言ではない。

 学年を重ね、最上級生に上がる頃には、三人は強固な絆を作り上げていた。

 三人はこの時から密かにずっと、王国軍改革派の案を温め続けていたのである。

 そして士官学校卒業でカークランドが野に下り、軍に残ったジェラルドとギルバートはカークランドと時折手紙のやりとりをしながら密かに王国軍改革派を組織していったのだ。

 それはジェラルドが二十代にしてモーガン侯となってからも続いていた。

 互いを信頼し、互いに背中を合わせて戦える程の友となっていた二人は、その後も様々な事をカークランドの助言を得て乗り越えていく。

 エドワードを逃がしたのもその一貫だった。

 計画を立てたのはジェラルド、実行するための用立てをしたのはカークランド、実際に護衛として実行部隊になったのはギルバートだったのである。

 途切れるのはギルバートが娼館でスチュワートに斬りつけられて軍を追われた時だった。

「バルディア夫人に命を救っていただいた。バルディア夫人に一度だけ謁見した時に、お前を助けた礼だといわれたよ」

 その時のことは以前聞いていた。自分の命を救った中にカークランドまで関わっているとは知らなかったが。

「そして俺は傭兵になるわけだが、その時にジェリーに誓ったのさ。俺が何者になっていようと、どんなことがあろうと、ジェリーが必要としたならば俺はお前の為に動く、とな。だから俺は王国に置いていた個人的な諜報員から王国の情報を聞いて戻ってきた」

 長い昔話を語り終えたギルバートが感慨深そうにこちらを見つめた。エドワードはその瞳を見返す。

「もしもあの戦いでジェリーが死ななければ、俺はこの国に骨を埋めただろう。だがあいつはもういない」

 その言葉の辛さ、口調の重さに言葉も出ずに隣に座るリッツに視線を向けた。リッツは黙ったまま手の中の火の付いていない煙草を弄んでいる。

「ジェラルド・モーガンが生きていれば、俺は共にこの王国を守った。仮にとされていた革命軍の階級に従い、あいつが大臣で、俺が王国軍総司令官になっただろう。フレイが行政尚書ならば俺たちの夢が叶うからな。だがジェリーがいないことで均衡が崩れた」

 ギルバートが新たに取り出した煙草の先にリッツがマッチを擦って火を付ける。

 ついでのように自分の煙草にも火を付けているリッツのその姿が、妙に疲れているような気がした。

「……俺が去らねばならない理由が分かるだろう、エドワード?」

 問いかけられて頷いた。

 分かった。

 決して彼を留められないことを完全に理解してしまった。

 この戦いの中心にいたのはジェラルドとギルバートの二人の将だった。この二人が二人とも生きていたならばエドワードを支える強固な柱となっただろう。

 だがジェラルドは死んでしまった。柱は一本では上を支えられない。

 そしてその柱があまりにも強く、逞しすぎたならば、そこに誰が望まなくても派閥が生まれてしまう。

 リッツとエドワードのように二人で一人の英雄であったなら、話は難しくはない。リッツはどんな立場でいてもエドワードと共にいる。彼に権力欲は一切ない。

 だがギルバートはあまりにも有名でありすぎるし、あまりに強すぎた。隣にジェラルドという牽制対象がいればそれでもエドワードの下に並び立つことが出来ただろう。

 しかし牽制してくれる者はもういない。

 戦場で人々が口々に恐れるような強さを誇るギルバートに心酔する者が多ければ多い程、彼が軍を率いてしまえば将来的に王国軍の兵士たちを惑わすことになりかねないのだ。

 そう、いざ有事が起きた時、王国軍兵士達はエドワードではなく、ギルバートの方を神聖視して彼のための兵となりかねない。

 そうなればエドワードの王としての権力が揺らぐ。それは新たなる戦乱を呼びかねない。

 ギルバートはそんな人物ではないと分かりきっている。だが周りはそうは見ない。

「国家に王と同じ力を持つ二番手の権力者はいらない……」

 ジェラルド、ギルバートが幾度となく唱えてきた理論を口にする。

「その通りだ。ジェリーがいない今、俺はお前にとって将来の脅威になってしまうだろう」

 だから王族は決して友を持たなかった。それに倣ってエドワードもリッツ以外の友を持たずに来た。隣に立つ者が権力者にならぬように。

「だから軍の再編成の際に、ギルはどの立場にも立たなかったのか……」

「そうだ」

 全てジェラルドが死んだ時に決まってしまっていた。今の状況まで全てだ。

「遊撃隊員と王国軍兵士の間に、既に軋轢が出来てきている。傭兵上がりの兵士は強欲で忠誠心が薄いからな。やがて不満は上に向く。コネルを危険にさらしたくはないさ。あれも俺たちの可愛い後輩だからな」

 傭兵は金と名誉のために戦う。決して王への忠誠心で戦ったりはしない。だから傭兵の力が強い国の軍隊は滅びる。

 そういう意味だったのだ。

「それに俺たち遊撃隊は勝ちすぎた。戦場が遠のけば行き場のない欲求から、更に軋轢が深まるだろう。俺はその不穏分子をみな連れて戦場たるシュジュンに戻ろうとしているのさ。王国に残りたい者はジェイムズに託すつもりだ」

 長い長い話が終わった。

 誰もが黙ってただ手の中にある煙草やグラスを見つめている。

「……ギル」

 不意にリッツが口を開いた。

「何だリッツ?」

「本当はおっさんがいないことが辛いから出てくのか?」

「……」

 答えの代わりにギルバートはゆっくりと煙を吐き出した。

 ギルバートは笑い飛ばすかと思った。今まで語ってきた理想と軍のあり方とはかけ離れた問いかけだったからだ。

「友を失うって……それぐらいのことなんだろ?」

 俯いたまま成された再びの問いかけにエドワードはリッツの横顔を見つめた。俯いたその顔は少々伸びた黒髪に半分隠れて表情が見えない。

 だがエドワードの予想に反してギルバートは微かに笑った。

「かもしれねえな。あいつは俺にとってたったひとりの憧れだったよ」

 終わるのだな、とふとエドワードは思った。

 ジェラルドとギルバートとカークランドが思い描いた未来が彼らの意図とは少々違う形であっても完結し、彼らの夢が終わった。

 だからもうギルバートと別れを告げるのが正解なのだ。

 手の中にある琥珀色の蒸留酒は想いに沈むギルバートの瞳のようで、エドワードはしばらくそれをじっと見つめていた。

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