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燎原の覇者  作者: さかもと希夢
遼遠の彼方
163/179

<5>

「以上、ルーイビル戦の報告を終わります」

 玉座の間で跪く兵士たちの前に立ち、リッツは報告を終えた。

 玉座の間には大勢の人間がいるはずなのに、水を打ったように静まりかえっている。

 この報告は戦いの終結を告げるものでもあるが、同時に貴族社会が完全に終わりを迎えたことを皆に知らせるものでもあったからだろう。

 貴族の世は終わった。これからは民衆の世が来る。

 時代の転換期が今始まろうとしていた。

 当然このような状況になるよう、場を作り上げたのはエドワードを中心とした元革命軍幹部である。

 普段なら報告はリッツからエドワードへとされるもので、このように政務部、軍務部の主立った者を全員集めて行われる物ではない。

 だがこの場に全員を集めたことに意味があった。

 この苛烈な戦いの顛末を、戦わずして王都に残り、エドワードに従った貴族たちにまざまざと見せつけることで、今後の争いを封じる目的があったのだ。

 王都に残る貴族の中にも従いつつも不平を抱える者は今もいる。

 だからこそ、この見世物のような報告になったのである。

「ご苦労だった」

 いつものように玉座の前に置かれた椅子にゆるりと腰掛けたエドワードが、威厳に満ちた声で静かにリッツをねぎらう。

 その目が一瞬だけリッツに向かって細められた。

 何が言いたいかなどよく分かっている。

 疲れているのに、茶番に付き合わせて済まないなとでも言いたいのだろう。

 だがリッツも今後の反乱を抑えるために必要なことだと分かっているからエドワードのすることに反論など有ろうはずがない。

「ファルコナー公爵」

 エドワードの冷徹とも言える声が、リッツの横で縛られたまま兵士二人に押さえ付けられている男に向けられた。

 貴族らしい豪奢な軍服は既に泥と血に塗れ、振り乱した髪は浮浪者のように乱れたまま固まっている。

 あの戦いで降伏した者は結局百数十人に過ぎなかった。それ以外はみな戦場で無残な遺体となったのである。

 その百数十人も連行されており、既に貴族は城内地下にある牢に投獄され、平民は兵舎の中に監禁状態になっている。

 降伏した貴族は三十人に満たなかった。

 ファルコナーも降伏をしなかった。

 勝機無しと判断し、自ら命を断とうとしたところを、敵陣に身を潜めていたジェイが生きたまま捕獲したのである。

 ジェイ達はこのために敵陣へと潜んでいたのだ。

「申し開きがあれば聞こう」

 エドワードの言葉にファルコナーは顔を上げた。その瞳には燃えたぎるような憎しみの色がある。

「……申し開きなどない。貴族の誇りの為に下賤な者の血が混じった偽の王族と戦ったまでだ」

 憎しみが滴るような言葉だったが、今までの貴族のような負け惜しみを感じない声だった。彼は今も心底エドワードを憎み、真の血筋は自分にあると疑うこともない。

「許しを請うつもりもないのだな?」

「そのようなことは死んでもせぬ。負けた以上、公爵としての誇りを持って死にゆくのみ。穢れた血の王族と話す気など無い。一刻も早く処刑するがいい」

 ファルコナーは小さく肩を震わせた。

 怯えているのかと思ったが、そうではない。

 彼は笑っていたのだ。

「エドワード・バルディア。お主は戦いの末この国の王となるだろう。貴族制度を廃止するなどとほざいておるが、それは所詮理想論に過ぎん」

 今まで丸めていた背筋を伸ばし、ファルコナーは周りを見渡した。政務部、軍務部の人々が見てはならぬ者を見たかのように視線を逸らした。

 今までは傅かねば成らなかった存在が、こうして罪人として存在している。それだけでも彼らの気持ちは複雑なものがあるだろう。

 エドワードに下った貴族たちを見てファルコナーは口元に笑みを浮かべる。それは人の上に立つ者だけが持つ尊大な笑みだった。

「貴族制度は滅びはせぬ。貴族と呼ばれなくとも、権力者は生まれ続け、権力がある限り理想よりも権力が勝つのだ。ここに居る裏切り者達は権力に従ったまでよ」

 やがてその視線は居心地悪げに身じろぐ彼らからエドワードへと戻された。

 エドワードとファルコナー。

 現在の権力者と、過去の権力者二人がしばし見つめ合った。片や感慨もなく冷淡に、片や憎しみを込めて相手を呪うように。

「言いたいことはそれで終わりか、ファルコナー公」

 やがてそうエドワードが告げる。

「私には言いたいことなど有りはせん。これはお主への忠告で有り呪いだ。どれほど優れた王でも、権力に群がる虫を追うことなど出来ぬ!」

 微かな笑いがやがて玉座の間を覆う程の哄笑に変わっていく。

「その理想に押しつぶされるお主を見ることが出来ぬのが残念だ」

 狂って箍が外れたように笑うファルコナーに、エドワードは真っ直ぐ告げる。

「私は簡単には潰されたりはしない。残念だがもし生き延びても公が望みを叶えることなど出来ないだろう」

「今は理想で強がっておくがいい、若造。いずれお主にも分かる時がくるわ」

「裁きの日まで地下牢へいていただく。連れて行け」

 嘲笑を更に高めるファルコナーの両脇を固める兵士たちに命じたのは、エドワードの隣に立つグラントだった。

 このような式の場合、エドワードの両脇に宰相のグラントと大臣のリッツが立つのが普通だ。ちなみに本日はリッツの代わりにその場所には総司令官であるコネルが立っていた。

「はっ!」

 引き摺られるように連行されるファルコナーは、更に高く笑い続ける。その笑い声は確かに呪いのようで、リッツは軽く身震いする。

 エドワードはそんなことには成らない。分かってはいるが、リッツは先程の言葉を噛み締めた。

 貴族はいなくなっても、権力がある限りこのような人が出続ける……。

 リッツは人間ではないから権力の重要性はよく分からない。だが力を持つ者とそれに近しい者の立場は分かる。

 だからこそ思うのだ。権力は人を変えるといって、人を寄せ付けなかったエドワードの孤独を。

 ファルコナーの言葉がもしも真実なら、エドワードは戦いの最中を共に過ごしてきた仲間達をどうするのだろう。

 仲間達は皆、エドワードの側近として近くにいる。ファルコナーの言葉のように権力に縋るような者たちではない。

 でも人間は短命ですぐに世代が変わってしまう。もしかしたらまた、このような事を繰り返すのだろうか。

 絆で結ばれた仲間ではなく、いつか権力に塗れた者たちがエドワードの周りに集うようになるのだろうか。そんな彼らの欲に、エドワードが押しつぶされるような日が来るのだろうか。

 それともエドワードはリッツだけを頼みに、また孤独な道を行くのだろうか。

 リッツには分からない。

 ファルコナーが連れ去られて扉が閉められると、再び玉座の間に静寂が満ちた。

 だが先程とは違い、どことなく安堵した雰囲気がある。やはり貴族たちから見ればファルコナーの存在は大きいのだろう。

 そのファルコナーが負けたと言うことは、完全に貴族の時代が終わったのだと、心から実感したのかも知れない。

 実感は想像を超える。彼らの中で本当に一つの時代が終わったのだ。

「詳しい報告は後日報告書として提出してくれ。いいな、リッツ」

 小さく息をついたエドワードがそう言った。これは報告終わりの合図だ。

 リッツは形式通りに胸に手を当てて最敬礼を取り、立ち上がろうとするエドワードに従おうとした。共に執務室へ戻り、詳しい報告をする必要があるからだ。

 下で控えていた政務部、軍務部の人々もざわめきながら立ち去りかける。

 だが予想外の事が起こった。

「お待ち下さい、殿下」

 聞き覚えのある声がエドワードを呼び止めたのだ。

「何だい、ダグラス中将」

 静かに席に戻ったエドワードの呼びかけに、ギルバートは立ち上がって不遜な笑みを浮かべた。

 ざわり、と鳥肌が立つ。

 嫌な予感がする。ギルバートはルーイビルへと赴いた時から少々様子がおかしかったのだ。

「謝礼を頂きたい」

 簡潔にギルバートはそういった。だがこの場で口にしていい言葉ではなかった。

 リッツは近くにいた宰相のグラントが眉を顰めたのを見た。

 政務官と軍務官も不安げにざわめく。

「……謝礼?」

 小さくエドワードが尋ねると、ギルバートは堂々といつもの人を食ったような笑みを浮かべてエドワードを見据える。

「そう、謝礼を頂かなくては気が済みませんな。これで戦乱は終わった。つまり我々は最後の戦いを制したわけだ。しかもファルコナーを生け捕りにした。これも殿下が望んだ通りだ」

「ギル!」

 思わずリッツはエドワードの隣からギルバートの元へと駆け寄った。

「何言い出したんだよ!」

「お前と話はしていない。どいてろ」

「! ギルっ!」

 先程とは違う意味で玉座の間は静まりかえった。全員が息を呑んでいたのだ。

 立場で言えばリッツは大臣であり、形式上ギルバートよりも上官である。そんなことぐらいこの場にいる誰もが知っていた。

 つまりギルバートは全員が見守る前で、敢えて大臣であるリッツを貶めたのだ。

「中将、何を言い出しますか!」

 いつもはギルバートの部下を任じるコネルも、エドワードの隣からギルバートの元に駆け寄る。

 だがギルバートの目が、エドワードから逸らされることはない。

「殿下、お返事をお聞きしたい」

「……」

 眉を寄せたまま、エドワードはじっとその目を見つめ返している。何かを読み取ろうとしている、いつもの理知的な表情だ。

 エドワードに動揺は微塵もない。だがこの場を支配している痛い程の緊張感に、リッツは身動きすることすら出来ない。

 全員がただじっと押し黙って事態の推移を見守っている。

「おやおや、王太子殿下は相応の働きをした部下にねぎらいの報酬も払わないのですかな?」

 まるで挑発するような言葉に、リッツは唇を噛む。

 一体ギルバートが何を言い出したのか、何故こんなことを言うのか、全く理解できなかったのだ。

「中将!」

 諫めるように声を荒らげるコネルに、ギルバートは底冷えするような視線を向けた。

「コネル、お前も黙れ」

「っ……中将……っ!」

 苦しげにコネルが呻いた。リッツだけでなく総司令官であるコネルまで蔑ろにしては、罪が重くなっていくだけだ。

「殿下」

 更に要求を重ねたギルバートに歩み寄ったのは、軍人ではなくグラントだった。

「ダグラス中将」

 静かにグラントが口を開く。

「何です、グラント宰相閣下」

「貴官は何を言っているか分かっておるのか?」

 冷静な中にギルバートへの怒りが感じられた。

 このような政務官も軍務部も大量にいる場でこんな事を口にするのは正気の沙汰ではない。

 そんなことぐらい階級や立場に興味のないリッツにだって分かる。ギルバードとてそのぐらい理解しているだろうし、誰よりもそれを理解した上でリッツを立ててくれていた。

 なのに……何故……。

 グラントの厳しい言葉にも、ギルバートは口を噤むことはなかった。

「謝礼を求めた。それ以外の意味などありませんな」

「臣下で有りながら殿下に謝礼を求めると?」

「いけませんかな? 失礼ながら小官は王国の正規軍でもなければ革命軍でもなかった事を忘れて貰っては困りますな」

 ギルバートは静かに全員を睨め回した。

「現に小官は未だに傭兵だ。大臣職も、総司令官の立場も、何一つ頂いてはいませんからな。ここいらで報酬を貰ってもいいのではありませんかな?」

 静まりかえった玉座の間で、何かが五月蠅かった。耳の奥でその音は低くずっと鳴り響いている。

 その騒音が自分の心音であると、リッツはようやく気がついた。

 親友と師が静かに睨み合っている。

 革命軍として一枚岩だったのに、ギルバートが目の前でそれにひびを入れようとしているのだ。

 一体どうして、どうしてこんな事をいうのだ?

 今まで一度としてギルバートが謝礼を求めてきたことなどなかった。エドワードが支払う賃金を文句一つ言わずに受け取ってきたのに。

 なのに……。

「ダグラス中将。貴官には相応しいだけの資金を支払っているはずだが」

 グラントの声が耳に入ってきて我に返った。

「相応しい? 笑止ですな。小官は軍を率いてきた自負がある。コネルはさておき、所詮飾りに過ぎない大臣閣下のお守りをしてきた礼も貰っておりません故」

 どくり、と心臓が音を立てた。

 お守り……。

 確かにリッツは司令官としてお飾りだった実感はある。それは事実だろう。

 だがそれを言ってしまったら、彼は……ギルバートは……。

 混乱するリッツの事を冷たく見下ろしたギルバートは、遂に一番言ってはならないことを口にした。

「そもそも殿下がそこにおられるのも、ジェラルド・モーガンが小官に助けを求めたからに他ならぬはず。そろそろ小官の働きを精算し、謝礼をいただきたいと申し上げることに、なんら問題はありますまい?」

 まるでエドワードを見下したかのような物言いに誰もが息をのんだ。

 リッツも言葉が出ずに立ち尽くす。

「貴族制度を廃止した今、殿下に頂けるのは謝礼か地位しか思いつきませんが、今更リッツの座をよこせとは言えませんからな」

 縋るように掴みかかったままのリッツを見据える瞳の冷たさに何も言えない。

 地位ならリッツなどよりずっとギルバートに適していることぐらい分かっている。差し出せるなら喜んで差し出したい程だ。

 だがこの場で、何故今そんなことを口にするのか、それが理解できない。

「中将っ!」

 コネルの制止の声がまるで悲鳴のように玉座の間に響いた。

「これ以上申されますな!」

 コネルに続き、リッツも思わずギルバートに掴みかかっていた。

「ギルっ……お願いだから……」

 もうやめてくれ。

 いつものギルバートからかけ離れたこんな行為の意味が分からない。

 だからどうしたら良いか分からない。

 頭の中が霧がかかったみたいに全て不確かで、どう言えばいいのか、何を考えたら良いのか、全く分からない。

「ダグラス中将、それは不敬罪である」

 特段大きな声ではなかったが、その断罪するような声ははっきりとその場に響いた。

 声の主は静かにギルバートを見据えていた。

 グラントだった。

 その目を見つめ返したギルバートが薄く笑う。

「不敬罪か。小官の功績など、このような一言で覆るとでも言うのかな、宰相殿?」

「然り。いくら功績があったとて、殿下に対する不遜な態度を許す事など出来ぬ」

「やれやれ。堅苦しいことだ。では殿下、殿下の答えは如何に?」

 ギルバートの問いかけに全員の視線がエドワードに向いた。

 今まで口を挟まずに黙っていたエドワードが静かに視線をギルバートへと向ける。

「私は貴官を常に我が師であったモーガン侯と共に優遇してきたはずだが、それでは不満足か?」

「確かに立場上は優遇していただきましたな。だがそれは所詮小官が殿下の手駒であったからでありましょう」

 この一言には流石にエドワードも眉を寄せた。

「手駒……だと?」

「多大なる功績を挙げても地位、名誉、報酬を強請らぬ小官と我々の部隊は便利であっただろうと申しているのですよ。だがそれがタダだと思って貰っては困る」

 わざとなのかギルバートの言葉には笑いが混じっている。人を嘲るような笑いが。

 これは傭兵の表情だ。今までダグラス隊と共に過ごしてきたリッツにはそれがよく分かった。

「だからその精算をお願いしたいと申し上げた。功績、そしてお飾りの大臣の補佐、全て報酬に値する」

「私が任命した大臣が役に立たぬような物言いは聞き捨てならんな」

 冷静だったエドワードの言葉に、微かな感情が込められた。

 それは暖かい物では決してなく、どこか凍てついたような冷酷さが混じっていたのだ。

「そう聞こえましたかな? あながち間違ってはおりますまい」

 今まで一枚岩だった革命軍に突如現れた亀裂に、見守る政務官と軍人達が身動きすることも出来ずに推移を見守っている。

 どうなるのかなどリッツには分からない。政治的な事など知らないし、この状況を収めることなど想像も付かない。

 やがてエドワードが小さく息を吐くと微かに目を伏せて口を開いた。

「ダグラス中将。貴官には多大なる恩がある。それは私も認めている。貴官が我が国のことを思って意見するのであれば、私はそれを受け入れる」

 エドワードの手が一瞬だけ握られたのが見えた。エドワードの迷いが、決意に変わったのだとそれだけで理解した。

 次の瞬間に顔を上げたエドワードは、個人ではなく王太子の顔をしていた。もうギルバートをどうするのか決めてしまったのだ。

「だがどのような恩があろうと、我々は王国軍で有り私兵ではない。貴官のみに求められた報酬を支払いはせぬ」

「ほう。交渉決裂ですな」

 まるで自分が権力者であるかのように、ギルバートはゆっくりと楽しげに腕を組んだ。

「殿下とは最後の最後で話が通じないようだ」

 挑発するような物言いにエドワードは乗らなかった。ただ静かに口を開く。

「我が人事と我が軍の軍旗を乱すような物言いは、許されることではない。我々はシアーズ国民の為にある軍で有り、軍事力である。個人の武を誇り、欲を持って報いを求めることは、いくら功績有る貴官であっても許せることではない」

 冷たく響くエドワードの言葉に、ギルバートは動じなかったが、リッツは打ち震えた。

 次に来る言葉が分かったからだ。

「っ……」

 だが制止したくともこの場でエドワードの名を呼ぶことが出来ない。この場で必要なのは立場だ。リッツが最も嫌う立場がこの場では最もものを言う。

 この場にいるリッツは飽くまでもエドワードの臣下である大臣のリッツであって、友でいてはいけないのだ。

 言葉の代わりにエドワードを見上げて唇を噛み、拳をきつく握りしめる。

 頼むからそれを口にしないでくれ。それを口にしてしまえば終わってしまう。

 だが友の瞳はただ静かで、温度を感じさせないぐらいに冷たく冴えていた。

 その目はただギルバートを見つめていて、リッツを決して見ようとしない。

「ダグラス中将、貴官に謹慎を申し渡す。追って沙汰があるまで登城する必要はない。以上だ」

 そう言い切ったエドワードが、椅子から立ち上がって静かに身を翻す。

 身につけていたローブ状の裾が目の前でゆるりと動き、リッツはそれで我に返った。

 慌てて付き従うようにエドワードの後を追う。

 その背中でグラントの落ち着いた声が玉座の間に響いた。

「本日はこれまで。皆自分の業務に戻るがよい。ルーイビル戦に参戦した者たちには各部隊長より報酬が贈られる。それを受け取った者から本日より一週間の休暇とする。以上だ」

 玉座の間が微かな安堵と静かな混乱に包まれる中、王族用の待機室に入ったエドワードにようやく追いついた。

「エド!」

 声を掛けると、エドワードが大きく息をついてソファーに腰を下ろす。

「なあエド……」

「待てリッツ。扉を閉めろ」

 鋭い口調に慌てて扉を閉めた。

 この部屋の入口には警備兵がいるのだが、この部屋に入ることは許されていない。

 ここに居られるのはエドワードと大臣のリッツ、宰相のグラントと決まっている。最近そこに婚約者であるパトリシアが加わった。

 何も言わずにリッツはエドワードが座っているソファーの向かい側に座った。

 エドワードは両肘を膝に立てて両手の指を組み、そこに額を付けたままじっと黙り込んでいた。

 その沈黙は重く、リッツは何も言えずにそれを見守る。

 言いたいことは沢山有る。

 久しぶりの再会だから話したいことだって有る。

 でも一番話したいのはギルバートの事だった。

 だがどう言っていいのか分からない。

 政治にも立場にも全く興味のないリッツであっても、ギルバートの物言いと要求はしてはいけないものだと分かっているからだ。

 それでもリッツはもう一つ分かっている。

 ギルバートはルーイビルからずっとおかしかった。

 まるで遠くを見るように思い悩んでいて、戦いが終わったらと約束したものの、リッツも結局何も聞くことが出来なかった。

 しばらくしてから何かに納得したのか、エドワードがようやく口を開いた。

「ギルはもうこの国を出るつもりなんだな……」

「……え?」

 思いも寄らぬ言葉だった。

「どうしてギルが?」

「分からないか? ギルは以前から傭兵が力を持った国の軍隊は滅ぶと提唱していただろう?」

「! そうだった……」

 何故気がつかなかったのだろう。ギルバートはそれを前々から提唱し、わざと遊撃隊を高い地位に就けなかった。

 そして戦いの主立った場所を正規軍に任せてきた。王国軍の立て直しに際して、兵士の実戦訓練以外、遊撃隊はほとんど関わっていないのだ。

「じゃあギルは……」

「ああ。もう傭兵の役割は済んだと判断したんだろう。そしてこの国から出ようと考えた」

「……だから、あんなことをしたの?」

「おそらくな。もし功績を得たままでは、この国を離れる理由は出来ないさ。だから俺たち幹部の前ではなく、敵として当初は戦ってきた貴族たちが今も残る政務部と軍務部を前に一芝居打った」

 説明されれば納得できた。

 ルーイビルでおかしな態度を取っていたのは、傭兵隊としてのダグラス隊の引き時を知っていたからだ。

「お前、もしもギルが出て行くといったらどうする?」

「引き留めるよ! 俺、ダグラス隊好きだもん。でもあの人達自由人だし、戦場がないと暮らせないじゃん。だから留めることは出来ないかもしんないけど」

「そうだな。俺でも引き留められない。ギルは確固たる信念の持ち主だ。出ると決めたらなんとしても出て行くだろう」

 それは分かる。分からないのはあの態度だ。

「でもどうして離反するような真似をするのさ? そんなことをしなくても普通に軍を辞して出て行けばいいじゃんか。今まで沢山助けられたんだから、誰も文句言えないし、ちゃんと送り出すに決まってるよ!」

 革命軍の幹部は全員ギルバートの功績に感謝しているし、全員が傭兵と正規軍の役割をわきまえている。ギルバートが言い出したなら、笑顔で見送るだろう。

 だがエドワードは小さく笑う。

「傭兵隊の役割が終わったからとギルがこの国を出て行くのを革命軍の幹部以外が見たらどう思うか想像したことはあるか?」

「え?」

「戦場で一番の功績を持った人間が出て行くことになるんだぞ。仲間達なら理解できても、他の人々には理解できないさ」

 苦笑しながらのエドワードの言葉がよく分からない。

「意味が……」

「彼らはきっとこう勘ぐる。もしや俺やリッツ、コネルとの間に何らかの作為が働き、邪魔になったギルを追い出したのでは、とな」

「そんな……」

 あり得ない。

 ギルバートはリッツに取って師匠であり、コネルにとっては尊敬する上司だ。ギルバートが自分で出て行くことはあっても、追い出すことなどあるはずがない。

「だがそれが現実だリッツ。権力の中にいれば権力闘争は起きる。特に窺い知れぬ人々の権力闘争は面白い想像の産物になるだろう」

 そういうと再びエドワードは憂鬱そうに肘を突く。

「悔しいがファルコナーの言葉は真実だ。勿論権力構造に支配される気は無いし、そうならない仕組みを作るつもりではあるがな」

 ぞっとした。

 いくら革命軍が一枚岩であっても、下の者から見ればそのような権力構造に見えるのだ。

 だから何も無くとも、それを利用しようと有りもしない権力闘争を始める者たちも出るだろう。

「……じゃあ……」

「ああ。だからギルバートはああして俺たちの敵に回った振りをして見せたんだ。自分から離反していくように見せるために」

 この国を去るために、残る仲間達を思って敵に回って見せた……。

 そのギルバートの自己犠牲に声も出ない。

 彼に感謝してこれまでの恩をこれから返さねばならないのはリッツの筈なのに。

 黙ってしまったリッツの頭に軽く手が乗った。

「エド」

「悪いな。これだけじゃないんだ」

 エドワードはリッツに乗せた手で、宥めるように軽く頭を叩いてくれる。

「あの時のギルの物言いを俺が適切に罰することで、いくら権力を持った人間でも、規則を守らねば罰せられることをギルバートは政務官や軍人達に身をもって見せたんだ」

「法の裁きを持って平等に罰する……って前にエドが言ってた通りに?」

「ああ」

 貴族のみに許される特権と、人命をも脅かす行為を許さない。その為に法の裁きを持って平等に罰する。

 軍規においてもそれは変わらない。

 それがエドワードの信念だった。

 それが仲間であっても有効なのだと、人々の前でギルバートは証明して見せたのだ。

 自分が裏切り者になることで。

「そんなのさ、あまりに辛すぎるじゃんか……」

「ああ。そうだな」

 そういったエドワードが、力強くリッツの肩を叩いた。

「何!?」

「だからさ、行こうかリッツ」

「? どこに?」

「ギルの所にさ」

 片目をつぶって見せたエドワードはいつも通りだった。

「一方的に卒業試験を受けさせられるなんて納得いかないだろう? 俺の態度が合格だったのかギル本人に聞くしかないさ」

「じゃあ……」

「ああ。ギルの所に押しかけよう。勿論お忍びでな」

 ふとリッツの頭を撫でるエドワードの指先が小さく震えていることに気がついた。自分の読みが正しいと信じているが、一抹の不安はあるのだろう。

 先程取った態度がギルバートの本音だったとしたら、エドワードもリッツもどうすることもできない。

「大丈夫だ、リッツ」

「……エド……」

「お前は信頼する師を失ったりしないさ」

 まるでエドワードが自分に言い聞かせているようだ。優しい言葉の中に見え隠れするエドワードの震えはおそらく恐れだろう。

 それはきっとこれから先の未来に色々なことが起き、少しずつ何かを失っていくかも知れないという恐怖だ。

 なのにエドワードはリッツが不安にならぬように笑っている。隠し通しているはずの表情が微かにそれをリッツに伝えてきている。

 ギルバートに裏切り者を演じられたエドワードだって辛いはずなのに、無理をさせている。

 ふとエドワードに伸ばしかけた手を、リッツは気付かれる前にそっと引っ込めた。

 彼に触れ、彼を慰めることが出来るのか。大丈夫だと自分に言うことはできるのか、とふと思ったのだ。

 自分のような弱く、彼が年を取ることを恐れて怯えているような情けない自分の手が、強く前を向くエドワードに触れていいのか、迷ってしまったのだ。

 迷った自分にリッツは戸惑う。

 今までは普通に触れられていたはずなのに、抱きついて『お前こそ大丈夫かよ』とエドワードに告げられていたはずなのに、何も言葉が出てこない。

「リッツ?」

 不審そうにリッツを見たエドワードが微かに眉を寄せた。

「お前……なんて顔をしてるんだよ?」

「え?」

「泣きそうな顔をしているな。だからギルは大丈夫だっていってるだろう?」

「……うん」

「全くお前は身内のことになると弱いな」

 苦笑しながらエドワードがリッツの頭をぐしゃぐしゃにかき混ぜる。

「ちゃんと話を聞こうな。そうすれば互いに納得できる結論が出る」

 やめてくれ。違うんだ。

 自分がどうしたら良いのか本当に分からないんだ。エドワードに伸ばす手に竦んだ自分に戸惑っているんだ。

 ギルバートの事以上にそのことに戸惑う自分が情けなくて、本当に泣けてしまいそうだ。

 本当は自分が権力者の頂点で苦しむ彼を慰めねば成らないはずなのに。

「ほらリッツ、泣くな」

 からかうような口調だった。

「泣いてねえし、泣かねえよ、俺」

 わざと強がって頬を膨らすと、エドワードが屈託のない友としての笑顔を見せてくれた。

 その顔が出会った時よりも大人びていることに気がつく。

 出会って五年。たった五年だ。

 その間にエドワードは二十四歳から二十九歳になった。

 リッツは……人を殺せるようになった以外、何も変わってはいない。

 弱く、幼く、誰かに縋らねば生きることの意味が掴めないほど情けない。

「どうしたんだ? お前本当に可笑しいぞ?」

 不審そうに眉を顰めたエドワードに、笑い返した。上手く笑えただろうか。

「リッツ?」

「お前も落ちこんでんだろ? ほら、ハグしてやろうか?」

 わざと巫山戯て両手を広げると、エドワードは苦笑しながら首を振る。

「嫌なのかよ?」

「それほど落ち込んでいない。本当に落ち込んだ時は頼む」

 いいながらエドワードが立ち上がった。

「執務室でルーイビルの詳しい報告が聞きたい。ここでは紙とペンがないからな」

「うん。ギルんとこはいついくの?」

「どうせ娼館だろう? 夜にならないと開かないじゃないか」

「あ、そっか」

 さっさと背を向けたエドワードに一泊遅れて着いていく。振り返らない背中に口に出さずに語りかけた。 

 大丈夫だと言ってあげなくては成らないのは俺なのに、ごめんエド。

 俺はお前と少しずつ時間に隔てられていくことが不安で仕方ないんだ。この手がいつか届かなくなると思うと、未だ届く手なのに伸ばすのが怖い。

 リッツの目の前にあるのはいつも、ジェイドに見せられたあの幻覚だった。

 伸ばした手がエドワードに触れたとたん、エドワードが金の砂になって崩れ落ちる幻だ。

 いつまで傍にいられるのだろう。いつまで共にいられるんだろう。

 いつか二人の年齢差が全てを壊していった時、この手は届くことなどなくなっていくのだろうか。

 リッツはエドワードに対する申し訳なさも抱えつつ、後ろに従った。

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