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燎原の覇者  作者: さかもと希夢
遼遠の彼方
161/179

<3>

 時を遡ること四時間前……。

 爆発音が響き渡り、窓の外が一瞬紅く染まった。ソフィアの攻撃だ。

「始まったね」

 王国軍服に身を包んだベネット……ジェイムズが大弓を片手に笑う。

 いつもの女装から軍服に着替えたしまえば、もうベネットと呼んでも彼は返事をしてくれない。ヴェラ曰く『結婚したからけじめなんじゃない?』とのことだった。

 シャスタが知る以上にジェイムズは真面目な男なのかもしれない。

「始まりましたね」

「君の考えた作戦だし、ギルからも許可が出ている。そんなに緊張することは無いさ」

「僕はそんなに酷い顔をしていますか?」

「うん。この世の終わりみたいな顔をしているよ」

「……気がつきませんでした」

 小さく息をつくと、成る程、頬の辺りが少し痛い。緊張しすぎていて、自分がどんな状況か気がつかなかった。 

「シャスタはこれが初陣になるんだよね?」

 いつも通りの穏やかなジェイムズに小さく頷く。

 やはり不安だ。

 近くで身支度を調える人々を見回す。

 ここに居るのはダグラス隊の戦闘員が数人と、ジェイムズ、シャスタ、ラヴィの三人だ。十人にも満たない少人数だが、戦力としてはおそらく普通の兵士数十人を上回るだろう。

 それでもやはり不安は消えない。相手はこの街を支配している公爵の手の者だ。幾ら心配したってしたりないぐらいだ。

 そんな言葉にならない不安を感じ取ったらしいシャスタに笑いかけたのは、絵筆を握る時と何ら変わることの無い表情で槍を手にしているラヴィだった。

「大丈夫さ。まさか敵も街の中から攻撃されるなんて思っていないだろう?」

「それはそうですが……」

 敵の軍勢は出払っていて街に残っている者はいない。戦闘が長引けば門を開いて戻る傷病兵もいるだろうが、今はまだ戦闘が始まったばかりだ。

 絶対に気がつかれない。

 シャスタとてそれは分かっているのだが分かっているのと心から理解しているのは違う。

「門の警備は最初から手薄と分かっているしね」

「……はい」

「下調べは完璧だよ。仲間からの報告を疑うのかい?」

 門のことを潜入捜査してくれたのはジェイだった。ジェイは今敵軍のただ中にいる。そのジェイを疑うはずが無い。

「信じてますよ。でも僕は自分が心配です。役割が重いからこそ、僕で大丈夫なのかと……」

 初めて袖を通した王国軍服にシャスタは緊張を隠せない。

 普段は政務部の侍従として相応しい制服を身につけているシャスタにとって、これは戦うための服で有り、自分の身の丈に合った服では無い。

 戦場に出たことすら無い自分が身につけるには烏滸がましい…というよりもやはり気が重い。

「じゃあ私と待ってる?」

 軍服に身を包んだ一行の後ろで普段の格好でエンと共に立っていたヴェラが悪戯そうな笑みを浮かべて呼びかけてくる。

「そういうわけにはいきません」

「そうなの? だって非戦闘員なのは私もシャスも変わらないじゃない」

「でも言い出したのは僕です」

 発案者なのだからその責任を取る必要があるのは分かっている。

 正直に言えば怖いのだ。

 自分の身が危険にさらされることを怖れているのでは無い。勿論それだって怖いが、それ以上に怖いのは今から自分が人を殺めると分かっていることだった。

「発案者が戦闘に出ないことだってよくあることよ?」

「分かっています。でも街に被害を出さないためにと無茶を言いました。皆さんに助けて貰ってそれを実行に移せるというのに、僕が行かないのは自分で納得できません」

 怖くても、それでも先に進むには……この戦いを終わらせるには何が必要かなど分かりきっている。

「心は決まっているじゃない。だったら後は頑張ってきなさいね」

 近くに来たヴェラに手を取られて初めて自分の手が小刻みに震えていることに気がついた。ヴェラだけじゃなく、みんながシャスタの震えを知っていたのだろう。

 ありがたいなと思った。シャスタはエドワードとリッツの義理の弟だ。だが戦闘には全く関わっていない。

 それでも彼らはシャスタの意見を入れ、励ましてくれている。

 傭兵は普通こういう人たちでは無いのだろう。だが彼らはとても優しい。戦場に出たときの苛烈な戦い方とは正反対だ。

 この裏には彼らの隊長であるギルバートの存在があり、彼らと一時期共に暮らしたリッツの存在があるのだろう。

 こんなところでもリッツに助けられている。今迄義兄と言われることが少し複雑だったが、今は少し誇らしい。

 ヴェラの温かい手を強く握り返して小さく息をつく。

 大丈夫、やれる。

「ありがとうございます」

 お礼を言いつつ手を離すと、こちらを見守っていたジェイムズと目が合った。中性的な魅力を持つジェイムズが、シャスタを和ませるためかベネットの時のような笑みを浮かべて片目を瞑る。 

「行くわよ」

「はい」

「とりあえず占拠したらラヴィに報告に戻って貰うから、こちらをよろしく」

「はあい。じゃあジェイムズ、ご飯作って待ってるわ」

「ありがと」

 巫山戯たようなやりとりをしてヴェラとジェイムズが笑う。緊張感なんてどこにもない。

「じゃあ、行こうか」

 まるで散歩にでも行くかのように気楽に言ったジェイムズに、屋上から戦場の様子を見守っていたヴェラがこれもまた買い物に送り出すように笑って手を振る。

「行ってらっしゃーい」

 隠れ家でもある建物から出ると、頬に当たる風の冷たさに小さく首を振る。

 ここに来たときはまだ冬だったというのに、季節がもうすぐ一周してしまう。こんなに長くエドワードやリッツと離れたことは無かった。

 そのリッツは今、この街を覆いつくす柵の外側にいる。近いのにその距離は遙かに遠い気がした。

 建物から出て歓楽街を歩く。軍服を着た軍人崩れで溢れていた昨日までの歓楽街とはまるで趣が変わってしまっている。

 まるで人だけが消えてしまったかのように、ただ歓楽街は静まりかえっていた。普段この街を根城にしているのは殆どが兵士なのだから、当たり前だろう。

 人の消えた街で所在なげにその場にいるのはこんな劣悪な環境にあっても商売に精を出す商売人や飲食店ぐらいだ。

 この街で商売をするには理不尽なことも沢山合っただろう。それでも彼らはここで生きることを選んでいた。元々はこの自治領区の人間だったのか、それとも他の自治領区から来た難民なのかシャスタは知らない。

 それでもどんな状況にあっても人の営みはそう簡単に変わる物では無いのだろう。

 この戦乱の世において、人は案外逞しい。この戦いが終わったらそんな人々のために改めて政務官としての仕事を考えたいと思った。

 何をするでも無くこちらを見守る街の人々の視線を浴びつつ、この街の正面に作られた仮の門を目指す。

 普段の格好で武器を持っていたら目立っただろうが、軍服を着ているからさして目立つことも無い。きっと戦闘に出遅れた兵士だと思われるだけだろう。

 この街に住む軍人たちはみなこの軍服を着ているから、ある意味で絶好のカムフラージュといえる。

 歓楽街の塀を超え戦闘の音に怯えて家々に引きこもっていて人通りの絶えた道を越えると、この街と外を隔てる柵の門にたどり着く。

 閉ざされた仮設の門の前に見張りはわずか三人しかいない。

 以前に門を知らぬ若者のふりをして尋ねてみたところ、二人は護衛、一人は証明書を確認する作業をしているらしい。

 証明書が無い限りこの街を自由に出ることはできないのだ。

 見上げると門の上にある見張り台にも兵士はいるが、当然ながらそこにいる兵士たちの注意は戦場に向いている。

 まさか外での戦闘中にこちら側から攻撃されるとは思ってもいないだろう。

 所定の位置に身を隠したジェイムズがこちらを振り向き笑みを浮かべる。

「行くよ」

 小さな言葉はそれでも戦闘開始の合図だった。

「……はい」

 頷くと、これまで散々練習してきた短弓を構える。

 ジェイムズは大弓を構えて見張り台の上の兵士に狙いを付けた。

 同時にシャスタは門の前にいる見張りに向かって弓矢を構えた。

 実戦の経験など無いから、じっとりと掌に汗をかいている。

 滑りそうで怖いし、それ以上にこれから人を殺してしまうのだと分かっていることがやはり怖い。

 だがここで任務を遂行できなければ、この街の人々に被害が及んでしまうかもしれない。

 自らの恐怖に捕らえられて、この街の非戦闘員に被害を出すのは嫌だった。

 守るために戦う。人を救うために矢をつがえる。

 それが自分にできる最低限の事ならば、それを行う事が一番後悔しないことなのだと分かっている。

 だからこそ、怖れてはいけない。

 こちらを伺うように視線を向けてきたジェイムズに、意を決して頷く。

 気がかりな顔をしていたジェイムズも、小さく頷いた。

「作戦開始」

 小さな宣言の直後、狙い澄ましたジェイムズの矢が放たれた。それは見事なまでの正確さで、見張り台の兵士に突き立つ。

「お見事」

 小さくラヴィが褒めたのが聞こえた。

 言葉に出さずにジェイムズがこちらに微かに手を上げる。それを確認してシャスタも矢を放った。

 緊張と手にかいた汗から、矢は狙いを少しはずれて、見張りの兵士の肩を掠める。

 外した。

 撃たれた男が肩を押さえて周囲を見渡している。

 このままでは作戦が失敗する。

 一瞬焦ったが、身体は自然と動いて第二弾を放っていた。

 その矢は見事にその男の腕に突き立った。

「……当たった……」

 男は叫びながら地面に転がりのたうっている。

 人を撃った……。

 背筋が泡立ち、腕に鳥肌がたった。弓をつがえる腕が震える。

「シャス!」

 早くも二人目を仕留めたジェイムズの声に唇を噛み締めて、シャスタは次の一撃を放った。弓を引く感触が妙に重い。

 その矢も他の見張りの男に当たるも、仕留めるまでは行かない。

 だがシャスタの仕事は相手を殺すことでは無い。戦闘能力を奪うことだ。

「上出来だよ」

 緊張で小刻みに震えるシャスタの頭を誰かが撫でた。見上げるとラヴィだった。

「先生」

 この街で画家の弟子をしていたからつい彼をそう呼んでしまった。

「殺そうと力まないでいい。僕らの仕事だからね」

 作戦上、仕留めるのはラヴィが率いる少数のダグラス隊だ。シャスタは彼らを戦闘不能状態に持ち込めばいい。

 分かっていてもこの手にあるのは弓だ。人を殺すため改良された短弓なのだ。

 殺す覚悟……。

 ここで甘えて怖れてそれを押しつけてはいけない。

 もう一人を狙い矢をつがえる。

 もう一人、ここで戦闘能力を奪い、敵に気付かれる前に門を制圧する。

 怯懦に震える暇などない。

 仲間が撃たれたことに動揺し、右往左往している兵士に向かい落ち着いて次の矢を放った。

 それは風を切る音を鳴らしながら、兵士の頭に突き刺さった。

 外した……いや、これが本当は正しいのか?

 一言も発すること無く、兵士は倒れる。

 その振動がここまで届くわけなど無いのに、身体に響いた気がした。

 男は身動きひとつすることも、悲鳴を上げることも無かった。

 明らかに死んでいる。

「……っ」

 唇をかみ締める。

 殺してしまった。

 こんなに簡単に、人は死ぬのか。

 動揺するシャスタに構わず、ジェイムズが振り返った。

 見張り台にはすでに人の姿は無い。

「ラヴィ!」

「了解だ。制圧する」

 冷静な言葉と同時に、ラヴィと傭兵たちが門の前へと飛び込んだ。

「何事だ!」

 兵士たちの悲鳴や叫びが聞こえたのか、門の脇に作られた扉から兵士たちが飛び出してきた。

 兵士たちは扉から離れて仲間の救出に向かった。

 十人近い兵士をはき出した扉が沈黙する。

「扉を確保!」

 短くそう告げたラヴィに男が一人扉の前に立った。扉には中から鍵が掛けられていて、中に入るためにこの瞬間を狙ったのだ。

「しまった! 門を奪われる! 死守せよ!」

 門の警備兵の責任者らしき男が叫ぶも、時すでに遅しだった。驚き慌てふためく兵士たちなど、ダグラス隊の敵では無い。

 目の前が見る間に赤く染まっていく。

 兵士たちは悲鳴を上げる間もないままに、次々と物言わぬ亡骸となって地に伏した。

 広がりつつある血だまりに、シャスタは立ち尽くした。

 戦場のことは知っていると思っていた。

 エドワードやリッツが戦う戦場のことなど分かっている気でいた。

 でもやはり現実は重かった。

 呆然と弓を下ろすと、力強く肩を叩かれた。そこには今も弓を抱えたままのジェイムズがいる。

「ジェイムズさん……」

 他に何を言っていいのか分からずにただ名前を呼ぶと、ジェイムズが静かに頷いた。

「慣れろとは言わない。でもこれが最後の戦闘だと思って飲み込むんだ」

「飲み込む……」

 この状況をか? こんなに簡単に命が散っていくことを?

 シャスタの疑問は顔に出ていたのだろう。ジェイムズが微かに苦みを帯びた笑みを浮かべて。

「誰もなりたくて人殺しになるわけじゃ無い。エドもリッツもそうだろう?」

「……ええ」

「それでも人を殺すんだ。それが戦争で、これは終わらせるための最後の戦いなんだ」

 最後の戦いという言葉が重くシャスタに響いた。

 こんな戦いをエドワードたちは幾度も繰り返してきた。

 ティルスで、オフェリルで、ファルディナで、アーケル草原で、そしてシアーズで。

 その全ての戦いの内容を知っている。結末も知っている。でも現実だけは知らなかった。

 リッツが最初の戦闘の後に嘔吐を繰り返して意識を失ったことを、シャスタは目の前で見て知っていた。

 すさまじい勢いで女性を守るために敵を切り伏せたリッツは、力を失ったように剣を取り落として座り込んで嘔吐したのだ。

 女性を助け出すために麦畑に隠れつつマルヴィルの後を付けていたシャスタはそれを見ていた。

 涙を流しながら糸の切れた人形のようにその場に倒れたリッツは本当に辛そうだった。

 それ以上に殺された男たちの死体が凄惨に地面に横たわっていたことも良く覚えている。

 彼らの戦いはそこから始まっていた。

 だがシャスタは戦いに参加せずにいた。

 政務は戦いから遠かった。

 だが国家のために無くてはならない事だった。

 シャスタがその修行をしている間も、彼らは命を張って戦っていたのだ。

 これが最後の戦いならば、この手で彼らの戦いの重さを知り、共に手を汚してでも人を守るために戦わねば、何のためにここに残ったのか分からない。

 再び弓矢をつがえたジェイムズが見張り台に矢を放つ。

 見張り台に上がってきたばかりの兵士が状況を確認すること無く倒れて視界から消える。

 戦場にこの異変を知らされたなら、引き返してきた多人数の敵兵に返り討ちにされてしまうから、ジェイムズはここでずっと弓を構え続けているのだ。

 門の前の戦闘はあらかた終わっていた。

 異変を感じて出てきた兵士たちを片端からダグラス隊が斬り殺していったのだ。

 やがて門は静寂に包まれた。

「死体を隠して占領する」

 ようやく大弓を下ろしたジェイムズの指示で、シャスタはラヴィと傭兵たちに続いて門の中に入った。

 この門は二重の作りになっていた。

 兵士たちが飛び出してきた小さな木戸を通り抜けると、それは一枚目の門の内側だった。

 そこに小さな部屋があつらえられていて、兵士たちの詰め所になっていたようだった。

 食事をしていたのか、食器がまだテーブルに出されたままで、食べかけの食事が乗ってる。彼らもまさかこのまま二度と食べられないなどと考えてもみなかったのだろう。

 その部屋の片隅に上へと上る階段がある。見晴台に繋がる物だ。

 ラヴィを先頭に階段を上ると、この二枚の門の上に作られた横に長い見張り台がある。

 そこには死体がいくつか転がっていた。全てジェイムズが仕留めた物だ。

 傭兵たちに指示して死体は皆、門と門の間の空間の片隅に集められた。死んだ兵士たちは、全員で二十人に満たない。

「まあ、中から攻撃されるのは想定外だったろうしね」

 全ての死体を前に呟くジェイムズに瞳にある冷ややかな視線に、彼が戦場で生きてきたことを実感する。

 女装していたり、いつも楽しげに面倒を見てくれるジェイムズだが、やはり冷静沈着な元ダグラス隊員なのだ。

「さて封印しましょうか」

 笑顔で全員を見渡すジェイムズに、シャスタは我に返った。

 そうだった。ここで惚けているわけにはいかない。

 迷い無く動き出した傭兵たちに混じり、シャスタは門に巨大な閂を付ける作業に取りかかった。

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