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燎原の覇者  作者: さかもと希夢
遼遠の彼方
158/179

呑気な冒険者たちシリーズ読者さんのための遼遠の彼方プロローグ

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

長かった物語も、この巻でおしまいとなります。

今週はいつものおまけプロローグですが、次週から最終巻「遼遠の彼方」の連載が始まります。

最後までおつき合いをよろしくお願いいたします。

 毎週土の日は、リッツとエドワードが昔話をしてくれる日だ。

 二人の昔話はとても長くなることが多々あるから、未だ軍学校に入ったばかりのアンナとジョーは、エドワードが来る前に夕食を済ませ、風呂に入り、話が長引いてもすぐに寝られるように支度を済ますよう義務づけられている。

 誰にって、当然軍学校の教官を務めるリッツにである。

 リッツ曰く『しっかりと睡眠を取ることは、体を作るのに重要だからだ』だそうだ。

 正直言ってアンナは、リッツから受けるそんな子供扱いが面白くなかったりする。

 何しろアンナの実年齢は、三十二歳だ。もう一ヶ月ほどで三十三歳になる。ジョーが十四歳だと言うことを考えれば、それは当然のことだと思うけれど、何となく釈然としない。

 確かにリッツは、アンナにとって軍学校の剣技教官ではあるけれど、本当のところは仲間であり、たったひとりのアンナの恋人だ。

 普段のリッツは、今までと何ら変わることなく生活しているけれど、この長い話が終わった後、リッツの部屋に泊まるアンナに思い切り甘えているのは当の本人だ。

 子供だから、早く寝る用意をしてきなさいなんて、アンナにいうくせに。

 アンナは濡れた髪を拭きもせずに、むっつりとソファーに頬杖を付いて座っている。

 そんなアンナと一緒に談話室にいるのは、短い髪をがしがしと力業で拭いているジョーだ。

 ジョーは暖炉の前にあぐらを掻いて座り、暖炉の暖かさで髪を早く乾かそうとしているらしい。

「アンナってば、まだ怒ってんのかよぉ~?」

 妙に間延びした声でそんなことを尋ねてきたジョーに、アンナは口を尖らせた。

「怒るよ。だって明日なのに、今日だよ? 普通、一緒に過ごす約束をした恋人には、もっと前に言う物じゃないのかな?」

「……う~ん、あたしもそう思うけど」

「とっても美味しいホットチョコレートがあるって有名な、カフェに連れて行ってくれるって言ったのに。それにこの間約束したチョコレートショップのベリーナッツチョコ、欲しかったのに~」

 つまりアンナはリッツに突然本日、明日のデートをすっぽかされることになって、ふてくされているのである。

 リッツが大臣だった時には、買い物に付き合って貰うこともなく、食べ歩きに連れて行って貰うこともなかったけれど、リッツが仲間から恋人に変わってからは、意外とまめにリッツはアンナをあちらこちらへデートに連れて行ってくれる。

 だからアンナも毎週一緒に過ごすのをとっても楽しみに待っているのに、唐突に今日学校で肩をぽんと叩かれて『ごめん、明日から一週間出張入ってたの忘れてた』とすれ違いざまで言われたのだから腹も立つというものだ。

「だいたい学校で、しかもすれ違いざまに言い捨てって、愛がないよ」

 ぶうっとむくれると、ジョーが暖炉の前に座ったまま振り返って笑った。

「師匠だしなぁ~」

 それが仕方ないじゃん、といわれてるような気がしてアンナは口を尖らせる。

「……ジョーはリッツの肩を持つんだ……」

「ち、違う違う!」

「師弟関係は、友情に負けるんだぁ~」

「違うってば!」

 慌てたジョーがこっちに来かけて、思い切り何かに蹴躓いて転ぶ。思い切り派手な転び方に、アンナの方が慌てた。

「大丈夫、ジョー?」

「いてててて、誰だよもう! こんな所に荷物おいて!」

 思い切り打ち付けた膝をさすりながら起き上がったジョーの足下に転がっていたのは、見慣れたリッツの鞄だった。

 アンナのように肩から斜めに掛けるタイプではなく、デイパックになっているものだ。

 剣を使うリッツにとって、身につける鞄はいざという時動きづらいから、敵が現れたときに手を離してその場に落とし、剣を抜けるバックが最適なのだと前に聞いた。

 当然、盗人対策にリッツのベルトには小さな貴重品を入れるバックが取り付けられているが、そちらには本当にお金と身分証しか入っていないことを、共に旅したアンナはよく知っている。

「久しぶりだなぁ~。これリッツのバックだ」

「師匠の?」

「学校から早く帰って、用意してたのかな?」

 呟きながらジョーに蹴り飛ばされて転がったリッツのバックを手に取った。丈夫な帆布製の使い込まれたバックには、汚れと染みと傷が無数にある。

 アンナが出会った時には持っていたから、このバックはきっと、アンナよりも遙かに長くリッツと共にあるのかもしれない。

 そういえばこの鞄と、フランツの鞄、エドワードの鞄は、神殿突入の際に一度なくしたはずなのだが、神の庭を辞する際、きちんと荷物置き場におかれていたと言っていた。

 おそらくゼウムの神殿の中で無くしたものを、何らかの方法でオルフェが拾ってきたのだろう。

「うっわぁ~ボロボロだね」

 興味深そうにジョーがアンナの持ち上げていたバックを見ると、突然にバックの底が抜けた。

「わ、わ!」

 二人で慌てて押さえようとしたのだが、バックの底が全部抜けたわけではなく、大量の紙類がばさばさと床に落ちただけで、バックの荷物が落ちてこない。

 どうやらこのバックは二重底になっていたらしかった。その外側の底が抜けただけらしい。

「……やばい、あたしがこけたときに破ったよね、これ」

 思い切り青ざめながらアンナを見たジョーに笑いかける。

 確かにその通りだろうけれど、この状態ではジョーの蹴りがどれだけ影響したかは計れない。

「さぁ? でもこれだけボロボロだから時間の問題だったと思うよ。夜のうちに繕ってあげないと」

 言いながらアンナは、床に散らばった紙の束を拾い上げようとした。

 だがその紙を結っていた紐もかなり劣化していて、持ち上げただけでボロボロとちぎれた。

「……あ~あ」

 拾い上げようとしゃがみ込んだアンナは、その紙の束が封書であることに気がついた。

 それと同時に書かれた文字にも気がつく。

『タルニエン共和国スイエン海軍本部付 リッツ・アルスター宛 エドワード・セロシア』

 エドワード・セロシア……それは王太子を名乗る前のエドワードの名だ。

「……これ……エドさんからリッツへの手紙だ」

 他にも落ちている手紙を皆拾い上げると、全てが同じ宛先、同じ差出人であることが分かる。

 手紙は古い物から新しい物まで大量にあるけれど、その全ての宛先がリッツで差出人はエドワードである。

 書状は全て丁寧に封が切られている。そのほとんどが幾度も読んだのだろうと思うぐらい、手垢で汚れている。

 そういえばエドワードが三十五年ぶりにリッツに会った時、こう言っていなかっただろうか?

『どれだけ書状を出したと思っているんだ?』と。

 その紙の束の他に、もう一つ紙の束があった。こちらも見事にばらばらになっている。そちらは無造作に折ってあるだけで封筒には入っていない。

 何気なく広げてどきりとした。

『エドへ』

 リッツが書いた物だった。リッツは確かあの時、一度も返事を書いていないといっていたのに、ここにはリッツの書いた手紙が大量にあった。

 広げてみると、ローレンの丸写しだという綺麗なリッツの字が、まるで線を引いたかのように真っ直ぐ綺麗に並んでいる。

『エドへ 子供が生まれたんだって? パティに似てもお前に似ても、きっとすごくもてるんだろうな。おっさんに似ればきっと立派な国王になるんだろうし、未来は安泰って感じだ。

 残念ながらもうおっさんはいないけど、おっさんの名前を貰ったのだから、きっといい男になるに違いないな。

 つうことは、絶対に養育係はシャスタの奴だな。だってお前もパティも、俺がいたら絶対に俺に預けなかったろ? 俺は一応子供の面倒を見るのは得意なんだけどな。

 そうそう、シャスタ。あいつは今もグラントにしごかれてるんだろう? お気の毒様だ。

 俺は早々にグラントに見捨てられたからな。

 きっとすごい政務官になるんだろうな、シャスタは。俺と違って役に立つ弟でよかったじゃんか、エド。

 俺はといえば相変わらずのその日暮らしをしている。

 光の一族に産まれたくせに、こんなに毎日のように血に塗れて生きてて良いのかなと、時折疑問が横切るが、それでも俺はどうやればこの長い人生を生きられるか、あまり分からないんだ。

 相変わらずだってお前は言うだろうけれど、生きるか死ぬか、明日があるのか無いのか、二者択一しかない傭兵の暮らしは意外と俺の性に合っているらしい。

 でも金が貯まったらちょっと傭兵を休職して旅をしようと思ってる。お前が言うようにちゃんと世界を見ないとな』

 そう書かれた文章の後に少し空白が続き、ぽつりと離れて言葉が乱暴に書き殴られていた。

『会いたいよ、帰りたいよ、エド』

 そこで手紙が終わっていた。最後の一言だけが、リッツの本心だった。

 手に触れたもう一枚を手に取り、ぎくりとする。そこには本心だけが書き殴られている。

『エド、俺は何をしてるんだろう。

 お前の隣にいたいのに、お前の所に帰りたいのに、帰るのが怖いんだ。怖くて仕方ないんだよ。

 なあ、俺の手は血に塗れても何も感じなくなったんだ。今の俺はさ、大義名分も無く、人を殺すのを生業としてる傭兵で、ただの人殺しなんだよ。

 こんな俺が、またお前の所に戻れるのかな?

 お前の隣で笑っても許されるのかな?

 なあ、答えてくれエド、エドワード!』

 胸が苦しい。辛い。

 まるで心が傷ついて血を流して居るみたいだ。手紙は続く。

『昔みたいに頭を撫でて。

 大丈夫だって抱きしめて。

 笑顔で俺の名前を呼んで、頼むからエド。

 そんなことばかり望んでいるのに俺はやっぱり帰れない。怖くて怖くて堪らない。

 お願いだ、教えてくれ。どうすれば俺は強くなれるんだよ!』

 言葉が出てこずに、手紙を手にしたままアンナは固まってしまった。

 これはきっとリッツの最大の秘密だ。うっかり見てしまって良い物じゃない。

 手紙を開いたまま固まっていると、アンナの頭上から伸びてきた誰かの手が、すっとアンナの手から手紙を抜き取る。

「これは私のものだろう、アンナ?」

 穏やかな声に頭上を振り仰ぐと、そこにエドワードがいた。

「エドさん……」

 呆然と動けないアンナに変わって、エドワードは封筒に入っていない手紙だけを、てきぱきと拾い集めている。

 エドワードの手つきに全くの迷いはない。

「さて、他に私宛はないかな?」

「あの……勝手に持って行って良いんですか?」

 おずおずと尋ねると、エドワードは穏やかに笑う。

「『エドへ』と書いてあるから私の物だろう?」

「……そうですけど……」

「私はね、アンナ。この手紙を三十五年の間ずっと待っていたんだよ。長く待ったが、ようやく届いたな」

 いいながらエドワードは、大切そうにその手紙を自分の防寒具のポケットに収めた。

 エドワードが持って行った手紙の量を考えると、おそらくリッツはエドワードからの手紙にいちいち返事を書いては、出すことなく自分のバックに詰め込んでいたようだった。

「お~い、アンナ、俺の手袋しらねえか? お前がこの間編んでくれたやつ」

 扉が開いて何も知らないリッツが顔を出す。

 いつもののんびりした顔が、アンナとジョーとエドワードの目の前にばらばらに落ちている紙の束をみた瞬間に強ばった。

 リッツは無言のままそこに駆け寄り、慌てて手紙の束を拾い集めてポケットにねじ込んだ。

「これ、なんで……いや、なんでこれが……じゃなくて……」

 大慌てで目を白黒させながらリッツが視線を巡らせる。

 そしてそこに、無残にも下が破れた自分のバックを発見した。

「ああっ! 俺の鞄!」

「ごめん師匠! あたしが躓いた!」

「お前! なんて事してくれんだよ!」

 感情的に怒鳴ったリッツに、ジョーが怯えたように肩をすくめた。

 今までのふざけた感じは一切なく、本気で怒っている。

 反射的にアンナは二人の間に割り込んだ。

「ごめんなさいリッツ。私がジョーを慌てさせたの」

「アンナ……」

 真っ直ぐにリッツのダークブラウンの瞳を見つめると、明らかにリッツが動揺しているのが分かった。

 きっと見られたくない物を見られて混乱しているのだろう。

 デートをすっぽかされたとか、突然出張に行くなんてという今までの怒りは全て消え、申し訳なさとどうして良いのか分からない感情で、アンナはリッツと見つめ合う。

 その状況を変えたのは、エドワードだった。

「返事は貰っておいたぞ、リッツ」

「! エドっ! それは……っ!」

「私宛だったからな」

 平然とエドワードはそういうと、誰にも口を挟めない、あの無敵な表情でにっこりと笑った。

 そんなエドワードにリッツはいつものごとく、反論することもできす、ぐっと詰まる。

「ずいぶんと長い時間がかかる物だな、スイエンからの返事は。何しろ手渡しでしか届かんらしい」

 平然とそういったエドワードに、リッツは言葉も無い。

「お前が手紙をちゃんと読んでいることは知っていた。お前はファルディナで再会したとき、ルヴィア・サバティエリのことを知っていたからな。あれは王宮の人間しか知らんことで、私はあの事件の直後にお前にそのことを手紙で書いている」

 ルヴィア・サバティエリ。元王宮画家であり、アンナの友達ディル・サバティエリの父親だ。

 そんなことでエドワードがリッツが手紙を読んでいるか何気なく調べていたなんて気がつかなかった。

「おそらくお前のことだ、返事を書いても送ることはないことも分かっていたさ。でも返事を捨てずに取っておくとはな」

 微笑を浮かべるエドワードに、リッツは大きくため息をついて、額を押さえながらうめき声のようにこぼす。

「……お前の手紙……待ち遠しくて、そんで……きたら嬉しくって返事が書きたくて……せっかく字が書けるようになったんだし……」

「ならば出せばよかっただろう?」

「それは恥ずかしい!」

 リッツの一言にエドワードはため息をついた。アンナも愕然としてしまう。

 リッツの考え方はちょっと普通とは違うらしい。

「何故取っておいたんだ?」

「……一度返事を捨てたら、ダグラス隊に見つかって宿泊所の壁に貼られた……それからは書きたくて書くのに、捨てるにも捨てられねえから、こうして鞄の中に……」

「ダグラス隊が解散した後は?」

「戦場の名声ばっかり高くなっちまって、俺の一挙手一投足が注目を浴びてた。こんなの捨てたら見つかってシュジュン中に撒かれちまうじゃねえか。そしたら立場がねえし……」

 エドワードが苦笑し、リッツは深々とため息をつく。

「しまったよなぁ……お前と再会してからは焼き捨てるチャンスはいくらでもあったのに、すっかり忘れてた」

 ため息混じりに頭を掻いたリッツに、エドワードが手を出した。

「処分するなら、私がお前に宛てた分もよこせ」

「! 何でだよ!」

「この手紙を照らし合わせてじっくりと読み返す」

「嫌だ! あれは全部俺のだ!」

「そうか、そんなに私からの手紙が大切か」

「あ……!」

「仕方ない、私からの手紙はお前が大切にしておけ」

「……! く、くそっ! またエドに遊ばれてるし!」

 リッツが歯がみをしている。アンナはそれを見てなんだか嬉しくなってしまった。

 あの頃には出せなかった手紙が、ようやくエドワードの元に届いた。

 何だかそれって、リッツがようやくエドワードに、自分の苦悩と辛さを全て打ち明けて前を向いているような気がしたからだ。

 リッツがエドワードに、自分を殺すよう約束させたことを謝れたように。

 あの夜、エドワードを見送ったリッツが部屋に戻ってきてから、リッツの腕の中でそのことを聞いた。

 お互いにようやく胸のつかえがとれたような気がしたと、甘えながらリッツが呟いたのを、アンナはとてつもなく愛おしい思いで聞いていたのだ。

 未だ子供のように頬をつままれて、やり合っている二人をほほえましく見ていると、フランツが本を片手に談話室にやってきた。

「……? 何かあった?」

 訝しそうにこちらを見るフランツに、アンナは首を振る。

「何にもないよ」

 言いながら立ち上がりかけたその手に、何かがかさりと触れた。

 見るとそこには丁寧に折りたたまれているが、何度も手にしたのか手垢で変色するほど汚れた、少し厚めの紙が落ちている。

 何気なくその紙を手にとって開くと、アンナの持っている物に気がついたのかリッツが叫んだ。

「やめろアンナ! 駄目だって!」

 でももう遅い。アンナはその紙を開いていた。

「わぁ……すっごく綺麗……」

 そこに描かれていたのは、若いエドワードだった。

 王冠をかぶり、長い金の髪をまっすぐに垂らし、ローブを着たエドワードが、群衆に向けて王者の笑みを浮かべて片手を上げている肖像画だったのだ。

 その絵はものすごく上手く、どうやら手書きのようだった。

「どれどれ」

 そこに描かれているエドワード本人が、絵を覗き込む。

「ほぅ……これは見事だ。描いたのはラヴィだな?」

「……そうだよ」

「私の肖像を手垢で真っ黒になるほど、肌身離さず持っていてくれたわけだな、リッツ。いやいや、友人冥利に尽きる」

 にんまりと笑ったエドワードに、リッツは頭を抱えた。

「あああああああ……最悪だぁ……」

 完全に床に突っ伏したリッツと、それをからかうエドワードを尻目に、アンナはじっと絵の中のエドワードを見つめた。

 そしてあることに気がつく。

 この紙、片側だけがやけに荒く切られているのだ。まるで無理矢理切り取ったかのように。

 しばらくそれを眺めていて気がついた。

 この絵、エドワードが妙に片端に寄って描かれているのだ。しかもその寄っている方の端が、乱暴に切り取った側だ。

 更に穴が開くほどまじまじと眺めていると、エドワードの服の端がかすかに切れ、その代わり他の人物の服の端が描かれている。

 唐突にアンナは気がついた。

 この絵、半分だ。この乱暴に切られた半分に、続きがある。

 そしてこの絵に描かれているのがエドワードで半分しか無く、これを持っていたのがリッツならば……もう半分を持っているのは、きっとエドワードだ。

 そう考えたとき、この絵の半分が何か閃いた。

 リッツをからかうのに忙しいエドワードに、アンナは呼びかける。

「エドさん」

「何だね?」

「持っていますよね、このエドさんの肖像画の半分を」

 アンナの一言で、エドワードが笑みを浮かべたまま固まった。

「半分?」

 訝しげに眉を寄せたリッツに構わず、アンナは真っ直ぐにエドワードを見つめ続ける。

 やがてエドワードは小さくため息をついて、防寒具の所まで戻る。

 そして取り出したのは旅をしているとき、エドワードが常に身につけていた、貴重品の入った腰に着ける小さな鞄だ。財布や旅券もそこに入っていたのをアンナは知っている。

 エドワードはその鞄からリッツと同じように折りたたまれた古びた紙を取り出した。

 リッツと全く同じように、それもまた手垢で汚れている。

「どうして分かったんだね、アンナ?」

「片方の端が少し荒く切られていたんです。こんなに綺麗な絵なのに、真ん中で大急ぎで切るなんて、一つの事情を除いてないんじゃないかなって」

「一つの事情?」

「はい。描いた本人が、それぞれにそれぞれの絵を渡したくなった時です。そうしたらこの絵を半分にしたのが誰なのか分かるでしょう?」

「……ラヴィが半分にしたのか……」

 呆然と呟いたリッツの声を聞きながらも、エドワードを見つめたまま言葉を繋ぐ。

「そしてどうしてラヴィさんが急いで手渡したのか、分かるじゃないですか」

 押し黙ったままのエドワードと反対に疑問だらけのリッツが再び口を挟む。

「急いでいた? ラヴィが?」

「うん、そうだと思うよ、リッツ。きっとこの絵って元々、エドさんに贈られた物だったんですよね?」

 確認するように問いかけると、エドワードは小さく息をついた。

「そうだよ、アンナ。ラヴィから私への餞別だった。でも私がリッツはギルバートと共に行く事を話すと、ラヴィが突然この絵をナイフで半分に切ったんだ」

「それでリッツが旅に出る時に、お互いに一枚の絵を半々で持つことになったんですね。リッツだけは何も知らされずに」

 アンナはもう分かっていた。リッツとエドワードを二年間身近で見てきたし、恋人リッツからはいろいろなきっかけでエドワードの話を聞くことが多かった。

 いつも二人の絆の強さにアンナは憧れ、そして時には少し嫉妬してみたりした。

 だからこそ、この絵が元はどんな絵だったのか、そしてどうしてそれをラヴィが半分にしたのか、推測するのは簡単なことだったのだ。

「まるで見てきたようだな、アンナ。まるでラヴィがそうした理由まで分かっていそうだ」

 かすかに苦笑を浮かべ、肩をすくめるエドワードの瞳を見つめながら、アンナは静かに頷いて微笑んだ。

「だいたいは分かります。たぶん私はラヴィさんよりも近くで、リッツとエドさんを見ていたもの」

 アンナはリッツの持っていたエドワードの肖像画を見つめる。この絵がどれだけリッツの支えになったのだろう。

 あの手紙がどれだけリッツの心を守り続けたのだろう。

 おそらくリッツは、返事を書く度に、心からの望郷の想いを抱えながら、エドワードの肖像画を眺めていたのだろう。

 そしてエドワードもリッツと同じように、それを心の支えにしたに違いないのだ。

 それを思えば、答えは自ずと見えてくる。

「リッツとエドさんは二人揃ってこその英雄だったから、生きて再び共に過ごせる時が来るように、ラヴィさんは絵を二つに分けたんです。いつかまた二人が共に生き、この絵が一つの絵に戻るようにっていう願いを込めて。違いますか、エドさん?」

 きっぱりとそう言うと、エドワードはやがて大きく観念したようなため息を付き、自らの手で大切そうにゆっくりと古びたその紙を広げた。

 そこに描かれていたのは、リッツの姿だった。

 耳がよく見えるように軽くまとめた髪で大臣の礼服を着て、かすかに伏し目がちに、でも嬉しそうに笑みを浮かべて隣を見ている。

 アンナは先ほどリッツが持っていた絵とエドワードの絵を、元々のように並べておく。

 するとそこには群衆に王者の笑みを浮かべて堂々とした明るさで手を振るエドワードと、笑顔で傍らに立つリッツの絵ができあがった。

 その姿は今のリッツとはかけ離れている。逞しい現在とは違って細身で、どことなく危うい子供っぽさを残している。

 はにかんだような笑顔は穏やかなのに、少し寂しそうでどことなく影があり、それが不思議な魅力を醸し出している。

 でも確かにリッツなのだと、アンナは心から思う。

「うわぁ……英雄の肖像だぁ……」

 ジョーが感動の声を上げた。最近ジョーはリッツとエドワードの物語にはまり、いろいろなところから本を借りてきては眺めているのだ。

「……これで引き分けだな」

 ぼそっと多少悔しそうにエドワードが呟いた。

 ところが反撃してくるはずのリッツの反撃がない。

 全員の目がリッツを伺うと、リッツは慌てたように後ろを向いた。アンナが首をかしげると、かすかに鼻をすすったのが分かった。

 もしかして泣いているのだろうかと思いながら視線を巡らせると、エドワードと目があった。

 エドワードはアンナににっこりと微笑みかける。アンナも微笑み返した。

「ちょっと風邪気味だなぁ~。暖かい服を持ってかないと風邪引いちまう」

 ぼそぼそとそう言いながら、リッツは部屋を出て行った。

「仕方のない奴だ。それでは今日は、私から話をしよう。あいつもすぐに戻ってくるだろうから」

 言いながら自分の席に向かったエドワードは、いつものようにいつもの席に座って、ワインのボトルを手に取った。

「戦いからこの絵を私が受け取るまでの物語を始めよう。これが私とリッツの、内戦最後の物語だ」

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