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燎原の覇者  作者: さかもと希夢
不軌の権謀
154/179

<14>

 王太子なのに悲しいぐらい、がらんとした質素な部屋だ。扉と向かいにある巨大なテラス付きのバルコニーが丸見えで寒々しい。

 この部屋は、リッツが作戦のために使用している屋敷の談話室ほどあるが本当に必要最低限の物以外なにもない。

 ティルスのエドワードの小屋と、置いてある家具の種類は変わらないだろう。元々エドワードは高価な物を好まない。

 そのためかこの部屋に住み着いて半年になるのに、必要最低限の家財が増えないのである。かくいうリッツも同じような状態なのだから、人のことをとやかくいえないのだが。

 その部屋の奥にある扉を開け、書斎に入る。この部屋は前の部屋と比べて比較的散らばっている。

 以前の持ち主のものであろう立派な書き物机が窓を背にして置いてあり、その上は書類でいっぱいだ。

 大まかに区別はされているようだが、リッツから見れば全てが面倒くさそうで、よく部屋に持ち込んで嫌にならないものだと思う。

 部屋を取り囲むようにある飾り棚や本棚にも様々な本が刺さっているが、ほとんどが政治や経済に関係する物で、リッツには読む気が起きない。

 きっとこの王宮で暮らした王太子の中で、エドワードが一番質素だろうなと思う。

 書斎を通り抜け、もっとも奥に位置する寝室に足を踏み入れる。廊下がなく全ての部屋が扉で繋がっているのは昔からの暗殺者対策だと聞いた。

 この部屋はリッツに一番なじみ深い部屋だ。隣室のリッツの部屋のバルコニーと並んでいるため、リッツがよくエドワードの部屋に入り込むのはここのバルコニーなのである。

 ベッドはバルコニーの窓とは逆の壁に頭側が向けられていて、朝日が昇り部屋が明るくなるとベッドに太陽の光が大きく入り込む仕組みだ。

 実は一番生活感のある部屋がこの寝室だ。

 クローゼットの中はエドワードの私物でいっぱいだし、ベッドから少し離れたところにあるテーブルの上には勝負途中で止まっているチェスと酒瓶が並び、グラスも置かれている。

 そのテーブルにあるのは椅子二脚で、普段二人で飲んだりゲームをしたりするとき、リッツがその片方を使っている。

 といってもだらしがないリッツのことだから、二人で酔っ払って眠ってしまっても無駄に広いベッドでゴロゴロしていることも多く、椅子にじっとしていることは少ない。 

 エドワード曰く、この寝室だけでティルスの自分の部屋ぐらいあるから、私的スペースはここだけで十分、とのことだった。

 確かにティルスでは同じぐらいの広さにエドワードとリッツのベッド、エドワードの机と本棚があった。

 扉を隔てて多少広い居間に台所、バスルームぐらいしかないティルスの家で二人で生活していたのだから、これでも広すぎるぐらいだ。

 リッツの部屋もエドワードの部屋から書斎を抜き、最初の部屋を半分にしたほどの大きさだが、確かに寝室しか使わなかったりする。

 お互いに貧乏性だなとは、ここに来てからよく繰り返される冗談だ。

 ベッドを見ると、サイドテーブルにはランプが置かれてほんのり明るくなっていて、綺麗に整えられていた。

 そのくせわざとらしくベッドの上で、掛布が人一人分盛り上がっている。ハウエルは全くもってこういう嫌みな演出が好きな男だ。

 何が悲しくて、男と二人こんなに広いベッドでくっつき合わねばならないのだろう。リッツは嫌で仕方ないのに、敵が潜入してくる前から準備万端か。

 溜息交じりに靴を脱ぎ捨ててベッドに飛び乗り、掛布に手をかける。

「今からそんなんで苦しくないのかよ」

 答えないハウエルに、溜息交じりに掛布を一気に掴んで剥がす。

「あんた、本当に物好きだな」

 途端目に入ったのは、ハウエルのくすんだ金茶の髪ではなく、綺麗に輝く金の髪だった。その次に細められた水色の瞳と、おかしくて堪らないといった口元が目に付く。

 呆然とするリッツに、人の悪い笑みを浮かべてその人物が告げる。

「そうさ、俺は物好きなんだ。というより自分のベッドに寝ていて悪い通りがあるか?」

 リッツと同じくグレイン騎士団の制服に身を包んだその笑顔に、口から悲鳴に近い叫びが漏れていた。

「エ、エ、エドワードっ!?」

「おっ、久々に名前で呼ばれたな」

「何、何、何? ここで何してんの!?」

「聞かなくても分かるだろ」

 楽しげにエドワードは身を起こした。呆然と座り込んでいるリッツの髪に軽く指を絡ませる。

「お前の愛人のふ・り」

 珍しく楽しげなエドワードがリッツに片眼を瞑る。

「はぁ!? だって俺、お前に睡眠薬を……」

 確かに入れた。確かに飲ませたはずだ。だから今頃隣の部屋で、ギルバートに見守られて眠っているはずでは……。

「これ、何だと思う?」

 エドワードの手にあるのは、見慣れたヴェラの薬包紙の包みだ。しかもそこに付けられた印に見覚えがある。

「解毒剤……?」

「正解だ。この間ギルに分けて貰った。お前のと綺麗に半分こだ」

「!!」

 つまりそれはリッツがギルバートからこれを手渡された時には、エドワードも同じものを持っていたと言うことになる。

「じゃあさっきは寝てなかったのかよ? あんなに苦労したのに。ものすごく重かったのに?」

 愕然と口にすると、エドワードは平然と言い放った。

「運ばせて悪かったな」

 猛烈に腹が立ってきた。

 最近疲れているし、無茶をさせたくないから眠らせて、何も知らないうちに綺麗に片付けようと思っていたのに、これは無い。

「エド……一発殴ってもいい?」

 低く尋ねると、エドワードは微かに目を細めて唇に笑みを載せたままこちらを見つめてくる。

「三発殴り返してもいいならな」

「何で!?」

「薬盛られるとかな、そう言うの俺は嫌いなんだ」

「はぁ!?」

 あまりにあまりな一言に愕然とすると、エドワードはリッツに真っ直ぐ向き直った。

「何が俺に知られないように、心配掛けないようにだ、この馬鹿が。お前が疲れ切った顔でベッドの横に立ち尽くしてる姿をみたり、顔を覆ったまま黙りこくっている姿を見る方がよほど心配だろうが」

「だけど!」

 王太子としての重みに疲れているのはそっちじゃないか。ジェラルドのいない痛みに苦しんでいるのはそっちじゃないか。

 それ全てを飲み込んで黙っているのは、そっちじゃないか。

 相談してくれないのはそっちじゃないか。

 そんな言葉が渦巻いたが、どう言えば上手く伝わるのか分からず、リッツは唇を噛んで俯く。

 不意にリッツの頭に手が乗った。

「……悪い。分かってるんだ、お前が俺の疲れをちゃんと考えてくれていることは。だがな、俺は王太子である前にお前の友であり、相棒でありたいんだ。こう願うのは駄目なのか?」

 頭に載った手が、俯いたままのリッツを優しく撫でている。心の中に渦巻くどうしてと何故の感情が少しずつ静まっていく。

「隠すなとはいわないし、全部正直に明かせともいわない。でも俺はお前に守られるだけでは、いたくはないんだ」

 覗き込むようにこちらを見たエドワードの目を見つめ返す。深々と胸の奥から溜息が出た。

「エドらしいよ」

「許してくれるか?」

「……うん」

 許すしかないではないか、この状況では。

「でもいつからこの計画を知っていたの?」

「五日前だ。ハウエルを買収した」

「……買収……」

 あまりにエドワードらしくない方法だ。軽く睨むと、エドワードは楽しげに笑う。

「金は使ってないぞ。ハウエルだけに価値がある物と情報の交換だ」

 何を交換したのかは聞かない方が良さそうな気がして押し黙る。ハウエルと言えば精霊族コレクターで有名だ。おそらくリッツ絡みの何かだろう。

「そこまでして騒ぎたかったのかよ」

「ああ、もちろん。王太子は身体がなまるばかりだからな」

 肩を軽く回しながら笑みを浮かべるエドワードに、諦めよりも愉快感がこみ上げてきてしまう。唇からフッと零れたのは溜息ではなく笑いだった。

 お互いに守ろう守ろうとするあまり、結局こうなるのなら、最初から馬鹿騒ぎしておけばよかった。

「ったく、騒ぎ好きだな王太子殿下」

「そんなこと知っているだろう、大臣閣下」

「うん。まあね」

 笑い合うと、開いたままの扉の向こうから、この部屋の扉を開ける音がした。途端にリッツは思い切りベッドに引き倒される。

「うわっ、何?」

 その上に覆い被さってきたのはこのベッドに見合うだけの大きい掛布だ。

 一瞬にしてすっぽりと頭から布を掛けられた布の中で、隣にはエドワードが膝と両手を付き、リッツの横にぴたりと身を寄せている。

 耳元でエドワードの、低く抑えた声が聞こえてくる。

「とりあえず、計画通りにしようと思ってな」

「へ? へ?」

「ハウエルから貰った計画書は読んだ。お前は媚薬を盛られてるんだよな?」

「へ?」

「で俺は正気であってもお前に巻き込まれてて抵抗は出来ない。だから二人まとめて殺されると。そういう肩書きでいいな?」

「ああ、うん」

「確かに俺たちは二人とも剣士だから、それは簡単な暗殺法だ」

 笑いながらエドワードがリッツに向かって指をわきわきと妙な動かし方をして見せる。

「何してるの?」

「もっともらしくしてやろうと思ってな。リッツ、お仕置きだから馬鹿みたいな声を出すなよ?」

 思い切り楽しげなエドワードに小声で反抗する。

「何のお仕置き……くひっ!」

 途端に脇腹をくすぐられて妙な声が出る。

「決まってるだろ。俺の愛人なんて演じて、ここ数ヶ月何も知らない軍人や政務官に、どれだけ生温い目で見られたと思ってるんだ」

「や、やめろって、うひゃ、ひ、ひひっ……」

「俺は男を愛人にする趣味はないって、これからどれだけ掛けて証明すればいいんだ?」

「ご、ごめんっ! だっ、だって、うひゃっ! ひ、ひぃっ……」

「結局俺も変態兄貴と同類になったじゃないか。この落とし前、どう付けるつもりだ」

「ひあっ! 知らないよ! 何で俺だけ責任負うんだよぉっ! ホント勘弁だって、エド!」

 集団の気配が近付いてくるのに、エドワードが手を緩めてくれない。だがここで大爆笑をするわけにもいかず、必死でそのくすぐりに耐える。

 自然リッツはエドワードの手を止めようと奇声を上げながらもがき、エドワードの方はそうはさせまいとリッツを押さえつけに掛かる。

 じたばたと二人で掛布の中で暴れるその姿はまるで子供の喧嘩だ。

 だがはたから見れば激しく求め合っているように見えるのだろうことが、どうしようもなく恥ずかしい。

 自分で仕掛けたとはいえ、エドワードと何かあるなんて絶対に嫌だ。

「お、諦めたか?」

 耳元で囁かれて、間髪入れずに脇に指を突っ込まれてそのくすぐったさに悶絶する。

「うひゃっ、ひぁっ! や、やだ、本当やだぁ!」

 たまらず大声を出したのと、寝室の扉が開け放たれたのがほぼ同時だった。 

「やだぁっ! もうやめてよエド! ごめん、ごめんってばぁ!」

 扉が開いたことに気がついたエドワードが人の顔を見てにんまりと笑う。そのくせ手を休めてくれるでもない。

「んんっ! もう嫌だってばぁ!」

「本当は嫌じゃないんだろう?」

 男たちを意識してか、エドワードが妙に色っぽくそういう。悔しいやら恥ずかしいやらで、全身で逃れようともがく。

「好きだよな?」

「嫌だっ!! こんなのやだっ!」

 極々正直にそう言ったのだが、周りの男たちが動揺しつつもベッドの周りに散会していくのを感じる。

 そうか、ベッドを取り囲むつもりだ。それで全員一気にこちらに掛かってくるのか。

「やめない。まだお前に確約させてないからな」

 色気たっぷりに言いながらも、エドワードの片手がリッツの胸元を指さした。

 そこには飛刀が入っている。

「んっ……かくやくぅ?」

 言葉に返事を返しつつ、ようやくエドワードのくすぐりから逃れて、荒い息をしたまま出た涙と鼻水をすすりながら懐に手を入れる。

「そうさ」

 エドワードの片手が剣に掛かり、もう片方の手の指が数字を示すように全て立てられた。それを確認して頷く。

 言葉に出さずにエドワードがゆっくりと指を折る。

 五、四、三、二、一……。

「ゼロ!」

 カウントと同時に掛布を一気に投げ捨て、エドワードがそれを後方に放り投げた。掛布は見事にこちらに飛びかかろうとした男たちに被さる。

「まだ今後隠し事をしないと確約させてない」

「それかよ!」

 目の前が開けた瞬間にリッツは正面にいた敵に飛刀を数本放った。

 男たちは武器を取り落として呻く。

 未だ荒い息でリッツは鼻をすすった。

「エド、やり過ぎ」

「そうか? 真実みがあっただろ?」

「……殺されるかと思った」

「お前にそう言われるのは二度目だな」

 エドワードが楽しげに含み笑いをする。

 一度目はよく覚えている。リッツに殴り跡を付けろといわれたエドワードが加減が出来ずに死にかけたときだ。

「……いつもやり過ぎなんだよ、エドは」

 文句を言いながら、次の標的を決めた。

「エド!」

 名前を呼びつつ短剣を抜いてエドワードと対峙していた男と斬り合う。

 この男には見覚えがある。貴族の集まりに来ていた男だ。

 それならば遠慮はいらない。

 自由になったエドワードは掛布に巻き込まれて呻く男たちを踏みつけてベッドから飛び降りた。

 正統派の剣を使うエドワードは、足場が堅い方が絶対に有利だ。

 この騒ぎを聞きつけたのか、高みの見物を決め込んで隣室にいたであろう男たちが入ってきた。

 男爵以上の爵位を持つ者たちだ。

 当然イライアスとウェブスターの姿もあった。

「なっ……何だと?」

「何事か!」

 リッツは迷い無く彼らに向かって飛び込み、後ろから回し蹴りを蹴り込む。書斎近くに立っていた男たちは、勢いよく寝室に転がり込んだ。

「……き、貴様……何故?」

「何故? 俺に媚薬を盛って、エドとやりまくってるところを刺し殺そうとしたくせに、何故ってなんだよ」

 リッツは笑みを浮かべながら短剣をしまい、本来の得物である剣を抜いた。

「何故それを……」

「知ってるに決まってんだろうが。なあ、ハウエル。どうせいるんだろ」

 剣を構えたまま書斎に声を掛けると、悠々とハウエルが入ってきた。

「当然控えておりますとも、大臣閣下。いやぁ、いい物を見せていただきました。やはり閣下は色っぽいですな」

「……ほざけ。後で殴るからな」

 ハウエル相手に軽口の押収をしていると、貴族たちがいきり立った。

「! 貴様っ! 裏切ったか?」

「裏切る? とんでもない。私は心より閣下の僕。閣下を裏切ることなどありませんよ」

 そう言って笑うハウエルに、リッツは苦笑した。

「とかなんとかいって、エドに情報売ったくせに」

「それはもう。ありがたき物を頂戴致しました」

「何をやったんだよ、エドっ!」

 振り返るとエドワードが数人を床に沈めて悠々とこちらに歩いてくる。

「ちょっとしたものさ」

 軽く片眼を閉じてから笑顔で彼らを見つめるエドワードに、床にたたきつけられたままの貴族たちが唸る。

「……似非王太子」

 ウエブスターのその呟きに、ついついリッツは剣を振るい、貴族の男に突きつけていた。

「何が似非だよ。エドワード・バルディア以上の王太子がいるか?」

 当然のようにそう告げて笑うと、イライアスが顔を引きつらせて叫んだ。  

「だ、騙したのか! やはり貴様は王太子の犬か!」

「犬じゃねえよ。知らないのなら教えてやるさ」

 リッツは悠々と剣を構え、からかうように笑みを浮かべて貴族たちを見下ろした。

「俺は殿下の友だ!」

 言葉と同時に剣を振り下ろそうとした時だった。

「そこまで!」

 よく通る声が寝室に響いた。

 全員の視線が向かった先に、王国軍服を身につけた多数の軍人が立っている。軍人達は未だ立っている貴族たちと暗殺者達を取り囲んだ。

 その先頭に見慣れた姿がある。貴族たちも気がついたようだ。

「総司令官か……何故だ! 何故こんなに早く!」

 彼らの視線がぐるりと一周し、共に立つリッツとエドワードのところで止まった。

「……最初から仕組まれていたのか?」

 ウェブスターの問いかけに答えず、リッツはここしばらくの荒れた生活で身につけた、人を見下ろし嘲笑する表情で身動き出来ない貴族たちを見る。

「当たり前だろう。そもそも俺は殿下に不満などない。親友に不満を抱くなら、それは口にして共に解決するさ」

「親友……? 愛人なのでは?」

「何で俺が殿下と肉体関係を持たなくちゃならないんだよ? 殿下はな、リチャードやスチュワートと違って変態じゃないんだ。こと恋愛に関しては至極真面目な堅物なんだよ」

 大真面目に言ったのに、隣のエドワードに足を踏まれた。言わずともいいことを言ったようだ。

「……図られていたのか……私たちの方が……」

 愕然とイライアスが両手を床に付いた。

「そうさ。悪いな。俺は殿下に危害を加える者には容赦しない。それが俺の役割だ」

 リッツは振り返ると、暗殺者達を見渡す。

「遊撃隊員、前に」

 号令を掛けると、暗殺者の三分の一ほどが前に出た。その姿に貴族たちはまた目を瞠る。

 前に出た男の中の一人が、目深にかぶっていた帽子を取って笑う。その顔に溜息が出た。

「ではでは下がりますよ、閣下」

「……ファン……ここにいたの?」

「ええ。彼らの教育係ですからね」

 ギルバートに意外な人物だと告げられていたが、まさかの人物に笑うしかない。もしファンが反撃してきたらリッツはともかくエドワードは意表を突かれて危なかっただろう。

 まったく、こういう心臓に悪いことはやめて欲しい。

 リッツは貴族たちに見せるのとは違う笑みを浮かべてファン以外の遊撃隊員を見渡す。

「ご苦労だった。よく休め」

「はい、閣下!」

 彼らが出て行き、部屋の中にいるのは謀反を企てた貴族たちと近衛兵達、そしてリッツたちだけとなる。

 恐ろしい静けさの部屋の中で、コネルは堂々と宣言した。

「反逆者ダレン・イライアス、そしてレイノルド・ウェブスター。並びに協力者たる者たちを、王太子殿下暗殺未遂により、王族への叛逆罪で処罰する。近衛兵、彼らを捕縛せよ」

 近衛兵が動いた瞬間、貴族たちが剣を抜いた。王族への叛逆罪は死刑であると知っているのだ。

 それならば抵抗して逃げるという万に一つの可能性にでも縋りたくなるだろう。

 だが近衛兵のほとんどは、内戦で戦い抜いた元正式軍人である。戦闘に参加すらしなかった政務部上がりの貴族たちが敵うわけもない、

 みるみるうちに貴族たちは呆気なく制圧されていく。気がつけば全ての貴族たちは剣を取り上げられ、みな捕縛されていた。

 近衛兵達に両脇を抱えられ、一人、また一人連行されていく。

「許さぬ。許さぬぞ、リッツ・アルスター」

 抵抗の末に血を流しながら、ウェブスターがリッツを睨み据えた。

「偽りに塗れて我々を騙し、平然とそこに立つ詐欺師のお前を決して許さぬっ!」

 血を吐くような絶叫に、リッツは微かに目を細める。この作戦を決行すると決めた時から、恨まれることも憎まれることも承知の上だ。

 それでも守りたい者を守れるなら、自分を偽るのも構わない。

 暴れながら連行されていく際に、リッツに向かってイライアスが唾を吐く。

「偽王太子の犬め、汚い男娼が!」

「何をするか!」

 近衛兵に殴られたイライアスが床に倒れ伏す。だがリッツを見上げるその目が、燃えるような憎しみでぎらぎらと輝く。

「農民上がりの偽王太子に抱かれてその地位を手に入れたような穢らわしい男に、我ら貴族の誇りなど分かるまい! 我らの連綿と受け継がれた貴族の血を知らぬお前などに、我らの苦しみなど分からぬだろう!」

「……分からねえな」

 血など何ほどの物だ。精霊族の血、闇の一族の血、人間よりも長く連綿と続くその血はリッツを救いはしなかった。

 リッツを救ったのは人間であり、友であるエドワードだけだ。

「そもそも俺は殿下の愛人じゃないしな」

「……くっ!」

「俺は一度だって殿下の愛人だと言ったか? 言ってないよな?」

 言質を取られず、そう見られるような演技をする。これをずっと心がけてきた。これまで一度もエドワードと関係があるなどと口にしてはいない。

「な……」

「早合点して誤解して、思い込んでんのはお前達だ」

「……き、貴様っ!」

「連れて行け」

 厳しいコネルの一言でイライアスは、引きずられるように叫び声を撒き散らして、床を引きずられていく。

「お前なぞ、偽りを詰め込まれたただの器ではないか! 偽王太子達に詰め込まれた綺麗なだけの張りぼてが貴族を偽るなど許さぬ、決して許さぬ! 闇の国に堕ちろ!」

 尾を引くような絶叫と共に、イライアスの姿が消えた。その言葉はまるで呪いのようだ。

 エドワードを庇うように、恨みがましい貴族たちの視線を一身に受けつつも、リッツは決して目をそらさずに立ち続ける。

 やがて全ての貴族たちが連行され、近衛兵が出て行くと、寝室が静けさを取り戻した。

 いつもエドワードとくつろぐ寝室が滅茶苦茶だ。これは侍従と女中を呼ぶしかないだろう。

 大きく一つ息をつくと、目の前の人物に気がついた。その人物が眉をしかめ目を細めてこちらを睨んでいる。

 怒っているようだがよく分からないから、いつものように笑みをつくって冗談を飛ばしてみる。

「まぁた美味しいとこ全部持ってくんだから、コネルは。『そこまで!』とか超格好いいじゃん」

 つかつかと歩み寄ってきたコネルに、重い一撃を頭に入れられた。

「いってぇ!」

 口を尖らせて見返し、リッツは言葉を失う。コネルは唇をグッと噛みしめて、怒りながら悲しげな表情を浮かべていたのだ。

「え……コネル?」

「ずっと言いたかったんだがな、お前は毎度そうやって自分を投げ出すな!」

 意味が分からず困惑しながらコネルを見つめる。コネルがリッツの無茶を怒っているのが分かった。

 これはきっと今日のことではない。リッツが中心で動いてきたこの作戦全体を腹立たしく思っているのだ。

 この作戦の中でリッツは心を壊しかけたことを、不安に眠れずにいたことを知っているから怒っているのだ。

 それはコネルに嫌われていると思っていたリッツに取って、非常に意外なものだった。

「だって……」

「だっても何もあるか! 殿下、こいつにこういう作戦をさせないでください!」

 矛先がリッツの後ろにいたエドワードに向けられる。

「分かっているさ。俺だってこいつを精神的に追い詰めたくないんだ」

 二人のやりとりに言葉が詰まる。確かにこの作戦中ずっと苦しかった。自分がどこにあるのかを見失いそうで怖かった。

 そうか、あの状態も終わるのだ。ようやく仲間達と普通に話せるのだ。

 でもそれって……どうしていたっけ。

 自分って、なんだったっけ。

 先ほどの貴族の言葉が呪いのように脳裏に響く。

『お前なぞ、偽りを詰め込まれたただの器ではないか! 偽王太子達に詰め込まれた綺麗なだけの張りぼてが貴族を偽るなど許さぬ、決して許さぬ! 闇の国に堕ちろ!』

 偽りを詰め込まれた張りぼて。

 本当だ。リッツという本当の中身はどんなだったっけ。どこにあるのだっけ。

 分からない。

 全てが終わって初めて気がついた。みんなと共に作り上げてきた自分という人物像が、張りぼてごと粉々に壊れている。

 だけど今すべきことは分かる。

「コネル……」

「何だ? 馬鹿ガキ」

「……ごめんなさい」

 正直に謝ると、コネルが大きく息をつき、リッツの肩を力を込めて叩いた。

「……俺も言い過ぎた。お前のやりようを見ているとどうしても苛立つんだ」

「俺が馬鹿だから?」

「それもある」

「あるんだ……」

「いいか、お前はお前だ。誰かの身代わりではない。それを忘れるな。お前は決してジョゼフになるな。」

 不意にリチャードが死ぬときに見せたあの微笑みと、絶望に叫ぶウォルターを思い出した。

 ウォルターはまだあの絶望から抜け出せずにいるんだろうか。総司令官参謀とし、コネルと共に忙しく日々を過ごす彼が。

「うん……」

「分かればいいんだ」

 こちらを見ずにコネルは部屋を出て行った。ハウエルもいつの間にかいなくなっているし、ギルバートに至ってはあれから一度も見ていない。

 二人きり取り残され、リッツは窓の外を見た。

 夜の闇の中で、ガラスがまるで鏡のように室内を薄ぼんやりと映している。

 そこに歪んだ自分の姿が見えるような気がした。

「エド」

 顔を見ないまま声を掛ける。

「ん?」

 いつも通りにしていい。そう言われたのに、エドワードに自分がどう接していたかが思い出せなくなっている自分に気がついた。

 何かが壊れてしまったのだろうか。

 壊れてしまったのは何だろう。

 みんなの中の俺はどういう人物だっただろう。本当の自分とは違う人物だったような気がする。

 みんなと共にいる自分の欠片が足下にバラバラに散らばっていて、まるであの時の夢のように金色の粉になって消えて行くようだ。

「エド、俺、まだ壊れてないよね?」

 ぽつりと呟く。

 無言でエドワードがリッツの肩を抱き、空いている手で頭を撫でた。

「壊れていないさ。お前は疲れてるんだ。疲れが取れるまでゆっくり眠ればきっと元に戻る」

 自分はジョゼフ・ウォルターのように、狂気を纏ってエドワードに縋ろうとしていないだろうか。

 時間が経つことの恐怖、長い寿命の恐怖を、エドワードへの執着に変えていってしまいはしないだろうか。

 それはとてつもなく恐ろしいような気がした。 


 同日数時間後、とある貴族の館で、ある人物が大慌てで荷物を詰め込んでいた。その鞄に入るだけの宝石を詰め込み、洋服を高価な順に詰め込んでいく。

「どちらへお出かけ?」

 その人物の背に、妖艶な女の声が掛けられる。

「……!」

「こんな夜中に。しかも旦那様がまだ戻られないんじゃないの?」

 振り向いた女は、そこに王国軍の軍服を着た妖艶な美女……グレタ・ジレットを見た。

「旦那様がねぇ、みんな吐いたわよ? あんないい人を夫にしていたのに、欲に塗れて馬鹿ねぇ」

 音も立てずにグレタはゆっくりと女に歩み寄る。

「わたくしは……何も知りませんわ!」

 女は貴族だ。その夫は宰相補佐官を務め、グラントの信頼厚い男だった。コネルの脱出劇に共に付き合った程の古参の政務官だったのだ。

 その男が自分の周囲への監視と調査の手に、ついに折れた。

 元々国家への忠誠心の篤い男であり、自分のしていることに苦しんでいたこともあって、グラントが問い詰めるとあっさりと白状して、その場で自ら命を絶ってしまったのだ。

 きっと彼は妻が暗殺者達を仕切っていた貴族たちの中にいた男の妹であり、彼を利用して兄に金銭を贈り続けたことを知られぬように自らの口を塞いだのだろう。

 男は彼女を愛していた。エドワード率いる革命軍に所属していたというのに、欲に塗れ貴族としての華やかな生活が忘れられず浪費を繰り返す妻を諫めることも見捨てることも出来なかった。

 そんな女でも、男にとっては女神だったのだ。

 だが所詮そんなことをしても無駄であった。査察部の捜査でこの暗殺事件の資金を作り、政務部から流用している主犯は女だと分かっていたのだから。

「ねえ、愛することが哀れなことだって思ったことはある?」

 グレタは女の背後で囁く。

「何を……」

「あなたの夫はあなたを愛していた。それが故に過ちを犯した。そしてあなたはそんな夫を愛していない。命を賭けたあなたの夫の愛はどこに行くのかしらね?」

 振り返った女の手にはナイフがあった。かすめたその刃がグレタの髪を数本切り落とす。

「それ以上近づかないで」

「どうして?」

「わたくしは本気です!」

「……今更どこに逃げるというの? いいことを聞かせてあげるわ。あなたのお兄様、王太子暗殺の罪で捕まったわよ?」

「……えっ……」

「すぐに処刑されるわ。それにあなたの夫も死んでる。一人でどこに逃げられるの?」

「嘘……」

「嘘じゃない。もう終わりよ。あなたはどこにも行けないの」

 女はへたりと座り込んだ。

「夫も、お兄様もいないの?」

「ええ」

「誰か、わたくしを助けてくれる方は……」

「……いると思うの?」

 優しく囁くと、微笑んで見せる。

「誰にも何もしていないあなたに」

 ナイフが床に落ち、グレタの足下に滑り込んできた。

 ナイフを手にグレタが女を見つめる。

「人を愛したことがないのね。自分しか愛せないなんて、しかも他人に生かされることしか出来ないなんて、なんて可哀相な人」

 その目はうつろだ。

 夫と兄によって美しい花のように愛でられてきただけの女は、自ら切り拓く未来を知らない。

「本当に夫に金を盗ませて兄に届ければ貴族の世が戻ると思ったの? 馬鹿ね。貴族の世は女が利用されるだけの世なのよ」

 グレタはゆっくりと女の元に歩み寄り、その身体を抱きしめた。

「可哀相に。殿下の改革が成れば、女であっても自由を享受出来る世界になると知らなかったの?」

「自由……?」

「そうよ、自由。自分で未来を選べるの」

 女は小さく震えた。

「そんな恐ろしいこと……」

「自分で考えることが恐ろしいの? 自分の足で立って歩こうと思わないの?」

 女は小さく首を振る。守られるだけ、言われたことだけを守る、それだけに幸福を感じていたのだろう。

 そんな女にグレタの言葉は全く届かないようだった。

「せめて苦しめないようにしてあげるわ」

 軍服の胸にきつく女の頭を抱く。女は身動き一つしなかった。

 袖に隠していた細く長い針を音も無く取り出し、グレタは流れるような手つきで女の耳の穴に突き刺した。

 女の身体が激しく痙攣し始める。

 だがそれも一瞬で、やがて女は動かなくなった。素早く針を引き抜き、元の場所に戻す。出欠はほとんど無い。

 見開いたままの瞳をゆっくりと閉じて、グレタは立ち上がる。

 この女性は自然死として扱われるだろう。この針はそういった暗殺道具だ。グレイグを守るために暗殺者となった時に習得した技術の一つだった。

「約束は守ったわよ」

 グレタは死んだ彼女の夫に告げた。

 死にきれぬ男にグラントが叫んだ言葉に対する男の願いがこれだったのだ。

『どうか妻は苦しめないでください』

 男は叛逆罪での処刑方法を知っていた。だから妻に非があることを知られているのを知ると、最後の力を振り絞ってそう言ったのだ。

 そんな男の死に様を見て、グラントが苦渋の決断を下したのである。

「彼は私に長く仕えてくれた。こんな事が無ければ信頼できる有能な政務官でいられただろう。ジレット大佐。私個人の頼みだ。彼の最後の願いを叶えてあげてはくれぬか?」

 それは査察官人生の中で、初めてこの生真面目で堅物な宰相に命じられた、優しい暗殺司令だった。

 どれほどの時間が経っても査察官として信頼し続けてくれたグラントの願いを、グレタは受け入れた。

 グラント・サウスフォード。清廉潔白な希代の宰相。彼のために手を汚すのならば悪くはない。

「いかが致しました? 奥様?」

 先ほどの騒ぎを聞きつけたのか、階下から召使い達が上がってくる物音がした。

 グレタは身を翻して窓から外へと飛び出す。背後で召使い達が叫ぶ声が聞こえる。

 おそらく彼女は自然死だとされる。同時に周囲の者は胸をなで下ろすことだろう。反逆者の妻として重荷を背負わずに済んだと。

 宵闇の中でグレタは音を立てずに歩く。

 空っぽだ、と思う。

 自分は空っぽだ。ハロルドが死に、ルイーズが死に、グレイグが死んだ。仕える人物が次々に死んでいく。

 その度に胸の中にある矜持や誇りが少しづつ零れて空になっていく。自分には闇の精霊でも取り憑いているのではないだろうか。

 ふと振り仰いだ景色の中に、黒々とそびえる王城の影が見えた。その中に今日、暗殺者を一網打尽にする任務を遂行し終えた上司であり、愛人がいる事を思い出す。

 空っぽの自分と、愛情を恐れる空虚な愛人リッツ。

 なかなか似合いだ。

 互いに埋められる隙間などないことを知りながら、身体を重ねる虚無感が、人を手にかけた今、どうしようもないほど愛おしい。

 愛人に会いに行く前に、まず報告をしなければ成らないだろう。

 グレタは自嘲の笑みを浮かべて王城へと戻る道を歩き始めた。


 王国歴九月十二日。領主会議が幕を閉じた。

 同時に進行した極秘の暗殺者一網打尽作戦により、これ以後暗殺事件は数を劇的に減らし、王都には平穏な日々が一時戻ろうとしていた。

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