<13>
自治領主会議最終日に、天光の間にて各自治領主と数人の随行員、政務部、軍務部にいる随行員の友人などを招いた祝賀会が開かれた。
エドワードの挨拶で始まったその祝賀会に参加しつつも、リッツは時折壁際のテーブルから食料をつまみながら、誰とも話すことなく壁に寄りかかっている。
自治領主の中には見知った顔もあるし、話したくはあるけれど、作戦上誰とも口を利くことが許されない。エドワードの姿は見失わないように常に見ているが、それ以外はやることがなくて退屈だ。
せめてダンスの許可ぐらいは欲しかった。
「何をしてるの? 壁の花?」
グラスを持ったパトリシアが隣にやってきた。ジェラルドの死からよそよそしかった関係が一時戻ったようで嬉しくて舞い上がりそうになる。
だがこのまま彼女とじゃれていたら計画の全てが破算してしまいそうしそうだから、パトリシアを口説くような振りをして両腕と壁の間にパトリシアを挟み込む。
「ちょっと、何をするのよ!」
慌てるパトリシアの耳元に唇を寄せる。
「なっ……!」
「ごめん作戦中。今日で全部片付くから、俺を放って置いてくれる?」
至極真面目な囁きに、パトリシアは何かを察してくれたようで黙って頷く。
「そう」
「うん」
「分かったわ」
詳しく説明をしなくても、リッツの言うことを信じてくれたパトリシアに感謝する。信頼してくれているのだと思うと嬉しい。
すんなりと人混みに紛れていくパトリシアの背に、何ともいえぬ寂しさがわき上がってきた。
本当は二人で話したかったのに、エドワードとパトリシアが互いの愛を受け入れてしまう前に。
そう思ったが、考えても仕方が無いことに、リッツは溜息をつく。決まっている未来を今更どうするのだろうと思うと、自分が女々しいと思う。
パトリシアはいつまで王都にいるのだろう。ずっといるのだろうか。一度くらいなら、ちゃんと話が出来るのだろうか。
そのためにも王宮と王城の危険性を排除しておいた方がいいだろう。今日全てに片を付けるのだ。
決意を新たに決めながら、リッツは懐にある懐中時計を手にした。
午後十時。もうそろそろ祝賀会も終わる時間だ。軍服のポケットを探ると、パラフィンに包まれた粉薬が出てきた。これはヴェラが調合した弱い睡眠薬だ。それと同時に印を付けられたもう一つの包みを取り出す。
解毒剤だ。これを飲めば、ほとんど全ての薬品を解毒できるらしい。貴族が盛ろうとしているのが睡眠薬であれ媚薬であれ、これさえあれば効くことはない。
リッツはこっそりと手にしていたシャンパンで解毒剤を流し込む。万が一にでも貴族が用意した媚薬など効かされては堪らない。
残るはこれだ。
視線を感じて振り返ると、イライアスとウエブスターだった。彼ら二人はリッツの招待での祝賀会に紛れ込んでいる。
しつこくこの場に招待しろと迫ったのを見ると、最後の最後でリッツが裏切ってエドワードに睡眠薬を盛らないのではないかと疑っているのは明白だ。
その上先ほど二人にしつこく酒を勧められて口にした。薬品が仕込まれていたのは確かだ。まったくもって面倒くさい。薬がちゃんと効くかも見ているのだろう。
しつこい視線に、リッツは内心辟易しつつ、エドワードに歩み寄った。手にしたグラスに睡眠薬を落とし込むと、血の如く赤いワインの中で粉は瞬時に溶ける。
悪いが全て終わるまでゆっくりと眠っていて貰おう。この五日間、ほとんど休み無く働いていたエドワードだから、この少量の睡眠薬でも効果覿面だろう。
丁度手に何も持っていないのを見計らい、リッツは友の手にワイングラスを押しつけた。
「エド、さっきからしゃべりっぱなしだろ。喉渇いてない?」
親切を装って渡したワイングラスを疑うこともなく受け取ったエドワードは、よほど喉が渇いていたのかそれを一息に煽る。
「悪いな。気を遣わせて」
「べっつに。でもさ、エド、そろそろ十時だよ? 疲れてるだろうし、この辺でお開きにしたら?」
「少し早くないか?」
「そう? だって王太子がいない方が少し盛り上がれるんじゃない?」
「お前は本当に失礼だな」
苦笑しながらエドワードがリッツの頭を撫でた。その目に伺うような色がある。リッツの態度から何かに気がついたのだろうか。
「お前もその方が気が楽か?」
「ち、違うよ、そんなんじゃないよ!」
睡眠薬を盛ったなんてバレたら、後で酷い目に遭わされそうだと内心ビクビクしながらも、リッツは笑顔を浮かべる。
「まあ皆疲れているしな。確かにこの辺にしておいたほうがいいだろう。長い会議とパーティには利が無い」
エドワードはそういうと、カークランドとコネルを呼んだ。グラントは当にこの場にいない。顔を出すだけ出してしまってから、すでに数人の部下を連れて宰相室へと戻っている。
まだ重要な仕事があるのだそうだ。
ギルバートは女がいなくてつまらんとぶつくさ文句を言う振りをして王宮の方に隠れて待機している。成功すれば後で娼館で蒸留酒を驕らされることになっている。
「今日はこの辺りでお開きだ。後は任せてもいいか」
二人を代わる代わる見たエドワードが、小さく欠伸をかみ殺した。
「済まない。寝不足かな。少し眠くてな」
薬が効いてきているのだろう。さすがはヴェラの薬だ。
「……殿下はお疲れですな」
そういうとコネルが天光の間にいる人々に向け、戦場で指揮を執るときのようなよく通る声を上げた。視線がこちらに集まり、場が静まったところで、エドワードが全員を見渡す。
「お集まりいただいた諸君、本日は楽しい時間を私と共に過ごしてくれて感謝する。自治領区を束ねる諸君の協力は、この王国の繁栄に不可欠である。今後も王国と民のために惜しみない助力を注いで欲しい」
笑みを浮かべて至極真面目にそういったエドワードが、再び浮かんできた欠伸をかみ殺す。
「……とはいえ、私も少々疲れてしまって眠くてね。今日は先に失礼させて貰うことにする」
冗談めかした笑いでそういったエドワードに皆が和んだところでエドワードが本当によろけた。とっさに横からその身体を支える。
「おっと失礼。では皆は残りの時間を楽しんでくれたまえ」
笑顔でそういったエドワードは、颯爽と天光の間を後にする。リッツはその傍らで身体を支えつつ並んだ。
エドワードの護衛を務める近衛兵が数人そんな二人に付き従う。少なくなったとはいえ、暗殺の警護は続いているのだ。
もし彼らがいなかったら、イライアス達はここで仕掛けようとしただろう。
大人数を一網打尽にしたいから、それでは困ってしまう。
扉から出て大臣、宰相王族が主に使う階段を下る頃には、エドワードは完全によろけていた。必要以上に睡眠薬が効いてしまっただろうかと心配になった。
「本当に大丈夫? 飲み過ぎ?」
「そんなに飲んでいないんだがなぁ。疲れてるんだろうなぁ、きっとぉ」
いつもは明瞭な口調で話すエドワードが、眠たげな舌っ足らずの声でこんな風に話すのを初めて聞いた。
本当にまずい。薬が効きすぎだ。
ヴェラの嘘つきと心の中でヴェラを責める。
「いいから肩に掴まれよ」
言いながら肩に手を回すと、エドワードも同じように肩を組んできた。力が抜けているせいか妙に重い。
「お、おもっ……」
つい口にしてしまうと、エドワードがぼんやりと笑う。
「ああ、悪いリッツ」
「部屋、戻るからね」
「ありがとう」
「あの、殿下、閣下、お手伝いしましょうか?」
護衛の兵士たちの遠慮がちな申し出を笑顔で断り、リッツはエドワードを半ば引きずるようにして王宮まで戻る。途中幾度か護衛の兵士たちの手を借り、その度に本来は閉じる鍵を開けさせた。
リッツとエドワードの並んだ部屋にたどり着いたところで、リッツは護衛の兵士たちに笑顔を向ける。
「悪いんだけどな、王宮の侍従達の部屋、分かるだろ? そこに行って今日はもう用事で呼びつけたりしないから、もう休むように伝えて欲しいんだ」
唐突なリッツの頼みに、護衛達が困惑している。
「ですが閣下……」
「出来れば今晩は部屋から出ないでって伝えて。特に俺たちの部屋の近くには来ないで欲しいって絶対に伝えてくれ」
妙な頼み事だと感じただろう、だが彼らがこの騒ぎに気がついて出てきてしまったら犠牲者を出してしまう。それだけは避けたかった。
だが護衛は妙な顔をして簡単に頷いてくれない。護衛にも侍従にも女中にも来るななんて、それは異常な頼みだろう。そんなことは言っているリッツ本人だって分かっている。
仕方なく最近演じてきた妖しげな王太子の愛人の顔をする。内緒話をするように、唇に立てた人差し指を付けて片目をつぶって見せた。
「ようやく全部行事が終わったんだよ? 久しぶりだと盛り上がっちゃうでしょ、普通」
「はっ!?」
「察してよ。あまり人に見られたり聞かれたくないんだよなぁ、俺」
誤解を生むように色気を込めて言い切ると、護衛兵達が顔を赤く染めて最敬礼し、慌ててこの場を離れていく。
「……チョロいのか、俺が天下無敵の役者であり過ぎなのか……」
内心複雑だ。
リッツは自分の部屋の扉を開けると、中に声を掛けた。
「たっだいま、ギル。お待たせ~」
「おう。帰ってきたな色男」
ニヤニヤ笑いながらの言葉に、扉の外の会話を聞かれていたことに気がつき、一気に恥ずかしくなる。だがまあそれはそれでどうでもいい。
ギルバートに手伝って貰ってすっかり寝入っているエドワードを自分のベッドに寝かせると、自分は着ていた白い大臣の礼服を脱ぐ。
それをクローゼットに投げ込み、代わりにグレイン騎士団の制服を取り出して素早く身につけた。当然のように腰に剣を帯びる。
「ハウエル何だって?」
「未だ情報収集中だ。先ほど顔を出したときには、お前の屋敷にほぼ全員が勢揃いしているといっていた」
「近衛兵は?」
「手はず通りだ」
「そう。イライアスとウェブスターは天光の間にいたから、そのまま王宮を通ってここに来るだろうと思うよ。そのためにあちらこちらを開けてきたんだけど、後でもう一回確認する」
剣の他に短剣、懐の飛刀を確認する。全員捕縛が基本だが、何が起こるか分からない状況だから万が一を考えて武器は欠かせない。
「ギル、そういえば聞いてなかったんだけど、暗殺者側に潜入してる遊撃隊員って誰? 貴族に顔の知られてない傭兵としか聞いてないけど?」
「それはその場にたってのお楽しみだ」
「うわぁ……嫌な予感しかしないし……」
ひとり文句を言いながら、リッツはギルバートにエドワードを頼んで部屋から音も無く滑り出した。自分の住んでいる王宮だというのに、誰にも見られぬように内部を見て回る。
侍従や女中達の周囲を確認してみると、申しつけ通り部屋にいるようだから、こっそりと扉の外から楔を差し込んで、扉が開かないように細工する。
いつもあれこれ世話を焼いてくれている侍従達に怪我でも負わせたら困る。
警備兵達の歩き回る音がやがて遠ざかり、王城と王宮を繋ぐ扉が閉ざされる重い音がした。リッツは下まで降りてその扉がちゃんと閉ざされているのを確認してからゆっくりと錠を外す。
それから王宮との扉も施錠されているのを確認してから、この鍵も開く。警備兵達はちゃんと仕事をしている。騙しているからそれが申し訳ない。
それからリッツはそっと薔薇園を見渡した。夏の間美しく咲き誇っていた薔薇は、今はもう手入れされて何も無い。葉ばかりが涼しさを帯びる早秋の風に揺れている。
「ハウエル」
声を掛けると、手前からハウエルが顔を出した。
「お呼びですか?」
「そりゃあ呼ぶさ。これ見よがしに何してんだよ」
「確認作業ですよ」
「まあ、そうだよな」
ハウエルの視線の方向に、リッツも視線を向ける。薔薇園から続く細い小道の向こうは、王城の墓所に繋がっている。貴族以外の暗殺者達はこちらから侵入してくるのだ。
「目印に小さなランプを置いてやりました。これで間違いなく潜入してくるでしょう」
「そう」
「しかも近衛兵からは影絵のように侵入者の姿が丸見えになる。全くもって茶番劇ですね」
「茶番か」
「茶番です。侵入経路に明かりまで置かせて警戒しないなんて茶番以外何と言ったらいいのです?」
もっともな話だ。普通の暗殺者なら暗闇に紛れることの方を是とするだろうに。
闇の中にぼんやりと浮かぶ頼りなげな明かりなのに、それは大きな作戦の終わりを示しているようだ。
ふと皮肉に満ちた笑みを浮かべるハウエルに聞いてみたくなった。
「ハウエル」
「何でしょうか、閣下」
「お前は変な奴だ。裏切ろうと思えば簡単に裏切れるような立場にいて、その上それほど切れる頭を持ってるのに、何で俺を持ち上げてるんだ?」
ここ数ヶ月で感じていた疑問を、口の端に載せていた。おそらくハウエルと二人で完全に組むことは、今後ないだろうと分かっていたからだ。
「それは真面目に聞いておられるのですかな?」
いつも通りのにやけた笑いを浮かべて聞いたハウエルに、リッツは小さく息をついて答える。
「真面目だよ。あんたのその仮面が嘘で、本当は冷たい切れ者だって知ってる上での質問だ」
「……そう……ですか」
しばらく黙ってから、ハウエルは口を開いた。
「初めて会った時に言ったことは本当だ。あなたは美しい。この闇にあってこそ美しさを輝かせる。王太子殿下が光であるなら、あなた美しく光沢を放つ闇だ。私はそれを見ていたいと思った。それだけのことだ」
「……またそれかよ。で、本心は」
「これが本心でないと?」
「ああ。あんたは貴族を皆殺しにしようとした農民達を、俺に先んじて説得しようとしたことがあった。結局止められずにぼこぼこにされてたけどな」
「そんなこともあったかな」
ハウエルは胸元から煙草を出して火を付けた。手を伸ばすと煙草を箱ごと差し出されたから、飛び出していた一本を口にくわえる。
マッチで起こした火を差し出されて火を付け、煙草を胸に吸い込み、煙を闇へと吹き出す。
「似合わねえことをすると思ったんだが、あれが本来のあんたなんじゃないかって、ちょっと思ったんだ」
風に煙が吹き去られるのをじっと見つめながら、黙って煙草を吹かしていると、ハウエルが小さく言葉を吐き出した。
「貴族の中で育っても、貴族であることに傷つく者もいる。自らの選んだ正義を貫くことが周りの正義と一致しないこともある。ならばそれが邪道であったとしても、自ら信じる正義を貫く道を歩むことをやめられない。それだけのことだ」
それだけを口にすると、ハウエルは黙った。ちらりと伺うと、いつものにやけた人を食ったような表情は微塵もなく、年相応の疲れた男の姿があった。
貴族で何不自由なく育った振りをしながら、その中で葛藤を抱えて生きてきたことを初めて知った。
そんな貴族もいるのだ。一概に貴族だからとか、平民だから等と口にすることなど出来ない。
「……ピーター」
意識してその名を呼んでみた。
「……珍しいですね、二人の時にファーストネームで呼んでいただけるとは」
いつものにやけた表情に戻ったハウエルに、リッツは顔を向けず、空に吐き出した煙に言葉を載せる。
「俺はあんたが嫌いだった。けど、今はあまり嫌いじゃないよ」
「それは光栄です。我が麗しの精霊族殿」
「そういうとこは嫌いだよ」
自分の闇を見れば見るほど、自らの本当の役割を感じ取らざるを得なかった。ハウエルのように半分闇に身を浸すことも必要だ。
それを知ることが出来た。
「だけどあんたと組むのは意外と心地よかった」
感謝を告げるときは顔を見ろ。ローレンの教えに従い、真っ直ぐにハウエルを見つめる。
「エドのために、王国のために、あんたの正義を貫いてくれよ。俺はあんたを信じるから、あんたは絶対に俺を裏切るな」
「命令ですか?」
目を細めて皮肉を言うように尋ねるハウエルに、にやりとからかうような笑みを浮かべる。
「いや。信頼って奴じゃないか?」
「……そうですか」
「暗殺者撲滅の作戦に尽力してくれてありがとう。あと少し、頼むぜ」
煙草を靴の裏でもみ消すと、リッツはハウエルの返事を待たずに王宮に足を向ける。
後一回りして時間を稼ぎ、確認作業をするつもりだ。
「了解致しました。大臣閣下。ベッドでお待ちしていますよ」
「はいはい、よろしく」
この後ハウエルがエドワードの身代わりを務めることになっているのだ。いつものふざけた笑いを含んだ声を溜息交じりに受け流す。
ハウエルをその場に置き去りにして、リッツはもう一周確認作業をして回る。
ようやく納得して時計を見ると時刻は何だかんだともう十一時を当に過ぎている。
決行時間は十二時。丁度いい頃合いだろう。
そもそもハウエルと二人で寝室に長時間いるなんて実にぞっとする話だ。その時間は短ければ短いほどいい。
あと少しで作戦が終わる。暗殺者を捕らえられる。 リッツは大きく一呼吸置いてからエドワードの部屋に入った。




