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燎原の覇者  作者: さかもと希夢
不軌の権謀
151/179

<11>

一五三六年九月八日。

 風が微かに涼しさを増していく中で、自治領主会議は幕を開けた。自治領主会議と一言で言えば堅苦しいもののように感じられるが、実際は王国主催のある種、お祭だ。

 自治領主への会議出席の使者を立てた際に、この会議の趣旨はそれぞれの自治領主に伝えられている。それに沿う形でそれぞれの自治領主からの届け出をカークランドが受け取っている。

 自治領主達が随行員と共に連れてきたのは、各自治領区ご自慢の料理人で会ったり、特産物であったり、隣国との貿易でしか手に入らない珍品であったりした。彼らは自治領主とは別に闘技場に集められて、大きな市をたて、シアーズの人々や、他の自治領区の随行員を楽しませるのだ。

 この一週間の祭の間には、各自治領区対抗の武術大会や馬術大会も開かれる予定で、エドワード、リッツ、コネル、ギルバートも観覧席から観覧することになっている。

 この祭で戦乱の終わりを市民に実感させ、楽しませることによって新しい時代の始まりを感じ取って貰うというのがカークランドの考えだ。

 そのためにエドワードもこのような行事に率先して顔を出さねばならないのである。

 だがその費用が必要以上に掛かっては困る。見た目は賑やかに派手に、その実は質素堅実に。これがカークランド率いる自治領主会議実行室の目標である。

 そのため各自治領区の随行員達には臨時商業権を与え闘技場内での自由商業を保証する代わりに、自分たちの予算で市場に店を出させている。国家としては全く保証はしない。

 豊かな祭をやりつつも、未だ傾いたままの財政に負担を掛けない最善策だといえるだろう。

 武術大会や馬術大会は、元々シアーズで行われていた新祭月の武術大会の備品を利用すれば予算的な問題はほぼ無かった。普通は作り替えるものを塗り直しで済まさせたので、経費は作り直す三分の一ですんだ。

 嬉しい事にそれでもシアーズでの職人たちの仕事が大幅に増え、下火になっていた職人街の活気が復活している。経済を回すには、やはり多少の出費が必要なのだ。

 順調に全てが進んでいる中で、忙しいのに何だか面白くないのは、実務部隊の報告しか受けられず、何も手出しできない立場にいる者たちだろう。

 その筆頭がエドワードだった。

 エドワードは玉座の間の裏にある、王族用の控えの間で、大きなソファーの肘掛けに頬杖を付いてぼやいた。服装は国王用ではなく王太子用に誂えられたローブに近いような軍服である。

 リッツは白いマント付きの軍服に身を包んでいる。大臣としての礼服である。

 午後からは賑やかになるはずの広い玉座の間には、今は誰もいない。この隣室にいるのも今はエドワードとリッツのみだ。

 仲間達は皆忙しい。グラントは相変わらず自治領主会議以外の仕事で忙しいし、コネルはウォルターの作り上げた街全体の警備計画に基づいた人員配置におおわらわだ。

 他の面々もそれぞれ忙しくしているせいで、エドワードとリッツは防衛上の理由と、いざという時に捕まえやすい場所にいてほしいという二つの願いを聞き入れた形でこの場に放置されているのである。

 そもそも王族は常に玉座の間に居ると思われがちだが、普段の仕事はこの玉座の間の上にある国王の執務室で行っているのだ。つまり玉座の間は全く実用的ではない。この控えの間だって、滅多に使われることがない部屋なのだ。

 そもそもジェラルドとグレイグが命を落としたこの玉座の間に、エドワードは滅多に足を踏み入れない。それはリッツも同様だった。なのにその近くに一日いるとは何だか不思議な心持ちで、いささか落ち着かない。

 ソファーの反対側の肘掛けに半分腰掛けるようにして、椅子の背に身体を預けているリッツが欠伸混じりにぼんやり窓越しの空を見上げている。

 この控え室から見えるのは王宮の庭や薔薇園だ。王族以外がこの部屋にいれば王家の生活を覗き見ることとなり以前は不敬罪になったそうだ。

 そんなことはどうでもいい。とにかくエドワードは不満だった。

「……こういっては何だがな、リッツ」

「何?」

「自分で率先して動けないというのは、精神的によくないな。余計疲れる」

 吐息混じりに呟くと、リッツは呆れた顔でこちらを振り返った。

「王太子が自分で企画運営してどうするよ。エドはいつも仕事しすぎなんだから少しはダラダラしたらいいじゃん」

「馬鹿言え。書類はいつでも俺を待っているんだ」

「なのに書類これ以上増やして欲しいわけ?」

 リッツの言葉はもっともで、言い返す言葉も無い。

 書類を増やして欲しいわけがないのだが、直接陣頭に立って動けない以上エドワードに回ってくるのは書類仕事ぐらいだ。

「グレインの収穫祭みたいに、何かこう動けることがしたいと思わないか?」

「王太子が屋台でも出すの?」

「……それはあれだが……」

「恐れ多くて誰も寄りついてくんないよ」

 本当にもっともだが、最近の妙に大人びたリッツに諭すように言われても、何となく釈然としない。

「お前だって俺に黙って動いているし」

 つい本音をぼやく。

「仕方ねえじゃん」

「俺だって当事者だ。というか、俺が当事者だ」

 リッツは最近は部屋にすら帰ってこないことが増えた。帰りを待つこともなく先に眠ると、極たまに立ち尽くしたままじっとエドワードを見つめるリッツに気がつくこともある。

 どうしたのかと聞いても曖昧に笑って答えてくれない。傍にいるのにリッツがまるで霞か影のようにつかみ所が無くなっていく気がして、寂しいと言うよりも心がざわついた。

 何か大事なものを徐々に損なっているような気がして成らないのだ。

「エドを守るための計画を打ち明けたら、エドは勝手に危険に飛び込むだろ」

「そんなことは……」

「あるよな?」

「……あるな」

 悔しいが、聞いてしまえば参加したくなる。リッツと共に過ごすようになってから、エドワードは自分のそんな性格に気がついた。

「騎士団時代は俺よりも喧嘩っ早かったエドが王太子になったからって簡単に性格変えられないじゃん。だから俺は黙ってんの」

「ありがたいやら迷惑やら」

「迷惑はないだろ、迷惑は!」

 むくれたリッツが頬を膨らませてそっぽを向いた。最近リッツは人目があるところではかなりエドワードに冷たい態度を取っていたからこの子供っぽさが懐かしくて嬉しい。

 自分でも気がつかないうちにリッツの頭に手を置いて撫でていた。リッツはむくれながらもその手を払ったりせず撫でられている。

「悪かった」

「悪かったと思うなら、俺に聞き出そうとしないでくれよな。俺しゃべんないから」

「分かった」

 黒髪を優しく二回叩いてやると、リッツは溜息をつく。

「また子供扱い?」

「いや。そういうわけじゃないさ」

 ただリッツが遠くに離れていってしまうような気がして手を伸ばしただけだ。

 この友は見た目は全く変わっていないが、出会ってから四年という祭月で、別人に見えるほどの変化を遂げている。

 幼い子供だった最初の一年。

 剣士へと成長を始めた次の一年。

 英雄として踏みだした次の一年。

 一流の剣士として戦乱を戦った一年。

 まるで停滞していた長い時間を駆け足で駆け抜けていくようだ。そのまま駆け抜け、死へと向かって走り去ってしまうような気がして不安になり、そっと目を閉じる。

 いや、不吉なことは考えないようにしよう。エドワードが死ぬまでは生きていると約束させたのだから信じなくては。

 ふとポケットの懐中時計を取り出して時をみると、もう午後に近づいてきていた。

「リッツ」

「ん?」

「食事を運んで来てくれるように声を掛けてきてくれないか?」

 食堂も賑わっているため、エドワードはそこへ顔を出すことも禁じられている。本当に面倒なのだが、それはそれでリッツと少し離れる時間があることがありがたかった。

 内密に会わねばならない人物がいたからだ。

「ん、いいよ。すぐ帰ってくるからな」

 のんびりと身体を起こして立ち上がったリッツが、笑みを浮かべてこちらを振り返った。

「ご馳走かな?」

「馬鹿言え。この忙しい中でそんなものを出せる余裕はないだろう」

「だよなぁ……」

 ぼやきながらリッツが出て行くと、それを見計らったかのようにハウエルが入ってきた。

「王太子殿下。ご機嫌いかがでしょうか?」

「まあまあだな。それでハウエル、頼んだものはどうした?」

「もちろん御用意致しました。小官としては我が麗しの精霊族アルスター閣下を裏切っているようで気が進みませんが」

「大臣よりも私の方が格上だからな」

「もちろん存じておりますとも。殿下のご命令とあれば仕方ありますまい」

 差し出された薄い報告書を受け取る。

「すまないなハウエル」

「何をおっしゃいますか殿下。代わりに閣下の私物を一つくださる約束ですから守らないわけにはございません」

「……はは」

 王太子として報告書を求めるというのが本来だが、リッツの行動を盗み見するために権力を使うのはどこか忍びなく、代わりにエドワードはよく物を無くすリッツの持ち物を一つ引き渡すことで情報を手にしていた。

「たいしたものはなかったんだが、これでどうだ」

 無造作に取り出したそれは、リッツが文字の練習をしていた用紙だった。シャスタに手紙を出す際に、分からない綴りを幾度も書き付けて練習していたものだ。

 部屋のゴミ箱に落ちていたものを偶然拾ってしまった。リッツがシャスタに手紙を書いていた事すら知らなかったが、この練習で何を書いたか推測は出来た。

 やはりリッツはシャスタの兄であるという立場を大切にしているのだなと、ありがたく思ったものだった。

「おやおや、直筆ですか! これはありがたい」

「悪用はしてくれるなよ」

「もちろん。早速額縁を職人に作らせて飾ります」

「……そうか」

 このまま行くとハウエルの家に練習用紙が華々しく飾られることになりそうだ。

「では閣下が戻られる前に」

 来たときと同じように気配を消して立ち去ったハウエルと、ほぼ同時にリッツが手にトレイを持って戻って来た。

「はいエド。サンドイッチで我慢しとけって」

「ああ、ありがとう」

 薄い報告書をローブの内側にねじ込むとリッツに心の中で謝る。

 ごめん。お前が俺を心配して黙っているのに、俺はお前が心配でじっとしていられなかった。

 お前は知ったら怒るかな。

「なんか変な顔してるな、エド。どうしたの?」

「……白い礼服にお前がソースを零したらと思うと気が気じゃない」

「……さすがにこぼさねえよ」

 子供扱いするエドワードに怒りながらサンドイッチを口にしているリッツに謝りながら、エドワードもサンドイッチを口にする。

 それから一時間も経たないうちに、玉座の間は人でごった返した。控えの間から玉座の間を覗くことが出来るのぞき穴で外を観察していたリッツがそう報告してくれた。

 中央に敷かれた深紅のカーペットを挟み、右側に軍部の各部署責任者が、左側に政務部の各部署責任者がずらりと整列する。その後ろにいるのはおのおのの秘書官だ。

 その政務官と軍人が揃ったところに、グラント、コネル、ギルバート、カークランドなどの幹部がカーペットを通って現れ、玉座より一段低いところに置かれた椅子の左右に整列する。

 まだ王太子であるエドワードにとって、玉座の間最上段の王の座はまだ早い。

 全員が並んだところで、リッツと共に玉座の間に入る。その場にいた全員が胸に手を当てて頭を垂れ、王家への最敬礼を施す。

 形式とはいえ、仰々しいと思う。だが今はまだこの仰々しさを借りておく必要があった。椅子に座るとそのすぐ横にリッツがつく。

「顔を上げてくれ。これより自治領主との面談を始める。最初の自治領主をここへ」

 自治領主達は王城に就いた順に控えの間に通されて順番を待つことになっている。一つ一つの自治領主と随行員に掛けられる時間は一時間足らずだ。

 エドワードの言葉に扉の前に立つ男が声を上げた。カークランドの部下であり、この自治領主会議の準備をしていた筆頭文官だ。

「アイゼンヴァレー自治領主、カルヴァン・ストーン殿」

 警備兵によって扉が開かれて最初に現れたのは、懐かしい顔だった。

 見慣れた鉱山夫の格好とは違う正装に身を包んだその姿はまるで別人だ。数段上にあるエドワードの椅子の下に膝を付いた男が顔を上げる目が合った。

 互いに頷き合う。

 だがリッツは懐かしさのあまりか、声を上げていた。

「カル爺! 別人みたいじゃん!」

 そのリッツの言葉に、場の空気がざわつく。

 だがカルヴァンは冷静だった。

 そのまま表情も変えずにゆっくりと立ち上がり、丁寧に国王にお辞儀をしてから、一歩前に出る。

「変わらないご様子で安心しましたぞ、大臣閣下」

「……あっ」

 噛んで含むように言葉を掛けられてさすがに現在の状況に気がついたリッツは気まずげに口を閉じる。

「随分と落ち着かれたのではないですかな、閣下」

 それが嫌みであることぐらいリッツも分かったらしく、軽くむくれる。

「……久しぶりに会ったのに説教する……」

「まさか大臣閣下に説教など致しませぬわ」

「……ごめん」

 小さくなっているリッツの気持ちも分からないでもない。リッツはこの生まれながらの炭鉱夫といったカルヴァンに懐いていたのだ。

 今やこの王都から出ることが難しい立場になり、久しぶりに再会できることはこの上ない喜びだろう。

 エドワードも小さく笑った。

「ずいぶんと久しぶりだが、息災か? こちらに顔を見せてくれないか?」

 手招きすると、カルヴァンが椅子の近くに歩み寄り、その場で片膝をつく。 

「ありがたきお言葉です、殿下」

 そういうとカルヴァンは顔を上げた。あの炭鉱夫カル爺の顔をしている。皆に聞こえない場所に来たことを確認してからカルヴァンは人の悪い笑みを浮かべた。

「……といえるようになったなエドワード」

 カルヴァンも小さく言葉を返し、こちらを見て楽しげに笑う。まだ王太子も名乗らず、一緒に炭鉱を掘った事を思い出すと、妙に懐かしかった。

「ああ。ようやくさ」

「何よりだ。誠の王」

 リッツが誠の王を選ぶ。そう宣言した直後だっただけに、その言い方が懐かしい。

「カル爺、まだ炭鉱掘ってんの?」

 リッツも小声でカルヴァンに問いかける。

「当然じゃ。人間一生現役を貫かんでどうする」

「そっか、老体に鞭打って働いてんのかぁ」

「相変わらず口の減らないクソガキだなリッツは」

 二人の飾らぬやりとりに吹き出した。それからカルヴァンは元の位置に戻り、正式な会談がようやく始まった。

 自治領主と王太子であるエドワードとの面談時間は一時間。それ以外の細かい書類、陳情などは随行員たちと政務部の各部署の間で行われる意見交換会でやりとりされる。

 そのためこの短い時間でどのようなやりとりをするも、要求をするも自治領主次第だ。

「ここよりもっとも遠いアイゼンヴァレーよりよくきてくれた。まずはお礼を言いたい。カルヴァン・ストーン、遠路より大儀であった」

 わざと堅苦しく言いながら、エドワードは笑みを浮かべて見せた。カルヴァンはそれに答えるように人の悪いほほえみを浮かべる。

「殿下も閣下も息災で何よりでございます」

 改めてそう答えたカルヴァンに、エドワードは一番の懸案事項を口にした。

「貴殿にはお礼が言いたかった。王室所有の金鉱脈の件、本当に助かった。感謝する」

 王室所有の金鉱脈とは、北部同盟加入をアイゼンヴァレーに頼みに言った際に自分たちで発見した鉱脈である。この金鉱脈をカルヴァンは気前よくエドワード所有としてくれたのである。

 内線直後にそれは王室所有へと切り替えさせてもらった。そこで算出される金が、枯渇し掛けていた王室の財政の一部を担っているのだ。

「礼には及びませぬ。私の年若い友たちが掘り当てたもの故」

 その言葉が本当にありがたかった。未だエドワードが王太子でもなかった頃から信用してくれたから、資金が得られた。戦いはどうしてもお金が掛かる。その資金をサラディオからの借金とグレインからの持ち出しだけではどうすることもできなかっただろう。

 その後はカルヴァンからの王国への要求となったのだが、その大半が以前にコネルと進めていたランディア境界に置く、国軍防衛部の駐留部隊増援の希望だった。

 やはりコネル達の予測通り、区境では軽い小競り合いが常に起きているようだ。

 カルヴァンの希望をいれ、予定の一時間を終えて出て行ったアイゼンヴァレー一行を見守っていたリッツが、小声でつぶやいた。

「カル爺が帰る前に、遊びに行ってもいいかな」

「いいんじゃないか」

「たぶんそのころには終わってるから……」

 その呟きは聞かなかったことにした。人の目がどこにあるのか分からないからだ。

 次にサラディオ使節団が、その後にはファルディナ使節団がやってきた。この二つの自治領主に対しては、接点の少ないリッツはおとなしく欠伸をかみ殺しながらだが聞いていた。

 ファルディナ代表としてルイス・グローヴァーがやってくれば別だっただろうが、ルイスは治安維持とセクアナ支援で忙しいらしかった。

 リッツは本当に自分と仲間達に関係があること以外の興味が薄い。経済関連はグラントの仕事と割り切っているから聞くことすらも億劫なのかもしれない。

 サラディオ自治領主にも高価な美術品を買ってくれたお礼と内戦の資金援助の礼をし、希望したサラディオからセクアナへと続く街道整備を了承した。

 ファルディナには自治領主がおらず、自治領主代理の二人を抱える使節団はそれぞれに現状の作物の状況と税の軽減、特産の家具の自由販売権を要求してきて、これも許可した。

 彼らの要求は大体カークランドの予測したとおりで、問題なく進んだ。

 昼の部最後となったのは、最も遅く革命軍に参加したアンティルだった。

 唯一の女性自治領主であるダウンゼントは以前にパトリシアに聞いた男装ではなく女性らしいドレス姿で現れた。

「アンティル自治領主タウンゼントにございます」

 タウンゼントは優雅に一礼をした。ドレスの裾がさらりと流れる。そのドレスは貴族が纏う派手でスカートの膨らみが大きいものではない。

 落ち着いた濃紺一色のドレスは流れるようにタウンゼントの体を柔らかく包み込んでおり、両腕も同じ色の長い手袋で覆われた品位のあるものだった。

 洗練されたその姿に一瞬誰かを思いだして吹き出しそうになる。こんな形のドレスをよく身に纏っていた人物が身近にいた。

 そう、この形のドレスを好むのは、今はジェイムズ・タウンゼントを名乗るベネットだ。

 エドワードは堪えたが、リッツは小さく吹き出してしまい、タウンゼントに睨まれた。

「……この服装は何か可笑しいでしょうか、大臣閣下」

「違うんだ。ベネット……いや、ジェイムズが……」

「よくおわかりですね。夫が見立ててくれました」

「あ、うん。だよね」

 ジェイムズからは結婚したことを知らされていたが、リッツに実感はなかったのだろう。だが細君からこう言われると否が応でも実感するようだ。

 言葉を無くすリッツを無視して、幾度か繰り返してきた同じ質問を口にする。

「アンティル自治領主より私に望むことはあるだろうか?」

「はい殿下。是非ともお願いしたい議がございます」

「それは?」

「女性にも自治領主となる権利を与えていただきたいのです」

 凛とした目でエドワードを見上げ、タウンゼントは言い切った。

「理由を教えてほしい」

「はい、殿下。我が父は自治領主として相応しい私の夫を捜すべく貴族に頭を下げて回り、そのために我が自治領区は貴族に隷属しました。その上、わが夫ジェイムズは無用の苦しみを背負う事に相成りました。もし私と夫の間に女児しか生まれぬ時、父と同じ苦しみを夫や我が領民に背負わせたくはないのです」

 彼らの物語は、パトリシアに聞いた。お互いに苦しんでようやく二人は結ばれたことも知っている。

「分かった。自治領区法に女性自治領主の就任を認める文言を記載することとする。それでいいだろうか?」

「ありがたき幸せ」

「他に私に求めることはないのか?」

「我が自治領区は、漁業を生業にするものも多くおり、船乗りの多い自治領区です。そこでシアーズの港の一つを我が自治領区にお貸しいただき、交易路線を開いていただければ幸いです」

「ほう、交易路とは?」

「ランディアからアンティルを結び、全ての湾岸都市を行き来する海上の旅人の街道のようなものです。その中心をシアーズに頂きたいのです」 

 アンティルは小さな自治領区であり、食料自給は可能であっても他の自治領区に売って外貨を稼ぐだけの余裕はない。そのため常に新たな事業を模索しているのだ。

 カークランドを見ると、小さく頷いた。これは以前ジェイムズから提案がなされており、予算が整い次第新たな港の整備が進む予定となっている。

「しばし時間はかかるが、交易路線の整備を約束する」

「ありがとうございます。殿下。それからもう一つ」

「遠慮なく言ってくれ」

「夫が任務から戻りましたら、ちゃんと帰るように言い渡してくださいませ。殿下や皆様の事をお慕いしているのは分かりますが、帰ってこないとなれば何かと不都合も生じます。わたくしも若くはありません故」

 その言葉にエドワードはたじろぐ。

 アンティルにはまだ跡継ぎがいない。それを言われていることに気がついて焦ったのだ。作戦とはいえ新婚であるジェイムズを使者としてルーイビルに行かせて、そのまま潜伏させているのは彼らだ。

「……すまない。ちゃんと命じよう」

「お願いいたします」

 押されっぱなしのアンティル自治領主との会談を終え、休憩を挟んだ後に現れたのはセクアナの自治領主だった。

 セクアナの乱以後、劇的に病状が回復した自治領主は、すでに車いすを必要としておらず、歩いてこの場に入場した。

 エドワードはその病状の回復を祝ったが、リッツは思った以上にこのセクアナの自治領主に複雑な感情を持ち続けていて、その表情は堅かった。

 リッツにとってセクアナは、年上の友人の命の上に成り立っている意識がどうしても拭えないようだった。

 セクアナ自治領主もそれを分かっているようで、リッツと目を合わせることはなかった。

 エドワードもセクアナの事件ではもう少しできることがあったのではと、苦い思いを忘れずにいる。 未だに裏路地で膝を抱えてうずくまるリッツの暗い目を思い出す度、消えないエドワードの後悔として胸に突き刺さっていることに気がつく。

 あのときに話し合えていれば、あんな思いを友にさせることなどなかった。

 エドワードにとってもセクアナは苦い思い出の土地だ。だが現在のセクアナは、グレイン、サラディオ、オフェリル三自治領区によって復興へと向かいつつある。

 個人的にどのような感情があろうとも、王太子の立場としてはその復興が嬉しかった。あのとき出会った少女も元気に暮らしていて欲しいと願わざるを得ない。

 次の自治領区は、オフェリルだ。随行員たちだけで入場してきた彼らに、エドワードは壇上にいるカークランドを振り返る。

「フレイ、あちら側に行かないのか?」

 冗談めかして聞くと、カークランドが笑う。

「今更私に殿下への陳情があると? 殿下への自治領主からの陳情を仕切っているのは私ですよ?」

「ではオフェリルとしては?」

「現状維持で。内戦の始めにグレインとの相互関係で十分の農業復興をしましたので、現在は問題ありません」

「そうか」

「私の留守中は後方部隊指揮から自治領主代理となりましたマデイラが陣頭指揮を執り、優秀な事務官たちを動かしておりますのでご心配なく」

 飄々とそういうカークランドは、どこまでも穏やかに笑った。グレイン、オフェリルは最初に内戦が始まった地であり、最初に復興した自治領区だ。

 しかも領主が政務部自治領区経済部を仕切る立場なのだから問題のあろうはずがない。

「自分に甘くなることだけはせぬようにな」

 壇上からの冷徹なグラントの言葉にカークランドは表情を引き締めた。

「心します、宰相閣下」

「うむ」

 しかめ面で頷いたグラントにエドワードは吹き出す。カークランドへの信頼が最も強いのはグラント本人なのを、一番よく知っているのはエドワードなのだ。

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