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夏の熱気に包まれた八月中旬。王城からほど近い屋敷の一室に十人ほどの男たちが集まっていた。
城壁に庭を挟んで隣接するその屋敷は、名目上リッツの持ち物とされている。実際は誰の持ち物で、どのような経緯でリッツ名目になったのかは知らない。それはハウエルとギルバートに任せているからだ。
元々先の戦いで命を落とした貴族の持ち物だったらしいが、リッツは詳しいことを聞いていないし、作戦が終われば返却する建物に愛着もない。
シュヴァリエ公爵邸に比べれば三分の一ほどの大きさではあるが、邸宅を借りることによって現在のリッツがどれだけの権力を持つかを象徴できるのだという。
事実リッツがあの高級倶楽部から密談場所をこちらに移したときには、貴族連中が目を瞠っていたから、それなりの効果があるのだろう。
リッツはランディア寄りの人々に贈られた豪華な家具に囲まれた談話室のソファーに寄りかかりながら人々を見回した。
思い思いの場所に置かれたソファーや椅子、カードテーブルで人々が談笑している。
その中の一人を除いた皆が貴族の地位を手にしている。貴族の地位を持たない只一人とは、当然リッツだ。
冷たく冷やした白ワインのグラスを傾けつつ高価なソファーに身を委ねながら、リッツは男たちを眺めた。
その彼らの周りを、美しいドレスの女性達が三人、給仕して回る。彼女たちはリッツがマレーネの店で頼んだ娼婦達だ。
娼婦達だけはリッツが頭を下げて頼み込んだ。横暴な貴族の中で働いて貰うのは気が引けたからだ。だが彼女たちは笑って引き受けてくれた。
貴族よりもよっぽど誇りをもった立派な人たちだとリッツは心から思う。
「大臣閣下? ワインのおかわりはいかが?」
馴染みの娼婦が歩み寄ってきて、微かに身体をこちらに預けてくる。
「ん~」
悩む振りをしながら、その耳元に囁く。
「大丈夫? 嫌なことされてない?」
「大丈夫よ専門家だもの。あなたこそボロ出さないようにね、僕ちゃん」
「……うん」
地位を得ても、立場が変わっても、彼女たちからすればリッツは坊や扱いだ。
「よくもまあここまでと思うけどね」
彼女の口調が微かに嫌悪を帯びたものに変わる。
男たちは皆、エドワード暗殺をもくろむ貴族たちである。当然貴族の権利を主張している一派の筆頭でもあるから、娼婦達からすればすこぶる評判の悪い男たちばかりなのである。
なにしろ娼婦達への支払を平民だからと平気で踏み倒すような男たちなのだから。
苦笑しながらリッツは彼女の頬に口づけた。
「俺でよければ、後で埋め合わせするからさ」
「それは大変ね。三人も一晩で相手してくれるの?」
「う~ん、俺もギルみたいに全員をいっぺんに相手できたら行けるんだけどなぁ」
「若いんだから可能でしょ。もちろん有料だけど、楽しみにしてるわ、僕ちゃん。また後でね」
とんでもない約束をしてしまったが、これも彼女たちへの迷惑料の一つだ。とりあえず今は忘れよう。今は娼館の遊び人ではなくて、エドワードの愛人なのだから。
小さく息をつくと、新しく受け取ったワインに口を付けつつ周りを見渡す。いつの間にか男たちは二つの集団に別れつつある。
一つの集団の中心にいるのはファルコナー寄りのダレン・イライアスだ。彼らはどちらかと言えば攻撃的であり、貴族の利益を真っ先の主張するような集団だ。
もう一つはランディア寄りのレイノルド・ウェブスターを中心とした一団だ。こちらは金銭的な利益の追求を真っ先に考えているように見える。ランディアは元来芸術の街である。芸術を愛するがゆえ、それを手に入れるための金銭に執着するのかもしれない。
そんな二つの集団だが、所属している貴族たちはみな未だに王宮で職務に就いており、表向きエドワード率いる革命軍に屈した形だ。
だが実際はエドワードによって貴族手当が止められたことによって苦しい生活を強いられているものが大半で、庶民に暴力を振れば逮捕される事に不平不満の固まりと成り下がっている。
リッツはそんな彼らの不平不満を知りつつも、気がつかぬ振りで、彼らの前でも我が儘に振る舞う。エドワードの悪口を言うわけでは無い。ただエドワードに対する愚痴や不満、ありもしない閨房での妄想を思わせる言葉を呟く。
それを彼らが勝手にリッツが『殿下への不満を募らせている』と思い込み、更にリッツにエドワードの悪口を吹き込んで来る。
エドワードを悪く言うことでリッツの思考を狭めていこうという作戦なのだろう。
実際には何を言われてもリッツのエドワードへの信頼は損なわれることはないのだが、そんなことを貴族たちが知るよしもない。
貴族たちのエドワード暗殺計画は、彼らの元に潜入している諜報部の話ではかなり固まりつつあるらしかった。彼らの進入経路、彼らが必死でかき集めた戦力、そしてリッツという馬鹿な道案内。
おそらく想像の中では彼らのエドワード暗殺は完成しているのだろうと思われる。
その際、リッツは自分も殺される計画を立てられているのを知っている。知っているが、知らぬふりをしているのだ。
その上彼らはリッツには一言もエドワードを殺すとは言っていない。それどころかエドワードに貴族たちの現状を直訴したいから、王宮に入れて欲しいと言ってきている。
自治領主たちの意見を聞いた後ならば、自分たち貴族の言い分を聞いてくれてもいいではないかと切々と訴えてくるのだ。
退屈しているリッツに、ちょっとだけスリルを味合わせてあげましょう、という話らしい。それに騙されていなくてはならないのは少々癪ではあるが、あまり彼らの話に関わらなくてもいいのは楽だ。
「閣下、先週殿下とお出かけになられたそうですな」
尋ねられて顔を上げると、ウェブスターだった。紳士然と優しく尋ねるその顔に、リッツを小馬鹿にする表情が微かに浮かんでいる。
普通の人では気がつかないかもしれないが、リッツは人の表情や感情の変化に敏感だからすぐに気がつく。
だが気がつかぬ顔で、笑みを浮かべてグラスを置く。
「行ったよ。内湾の無人島。良く知ってるな」
「それはもう。閣下の事なれば」
「ふうん。監視してんの?」
「まさか。見守っております」
「子供じゃないっての」
ギルバートやコネルもリッツを子供扱いすることがあるが、彼らは決してリッツを本心から馬鹿にしたりはしない。両者の違いにリッツの胸が少々痛む。
あの会議以来、本当に仲間たちから距離を取った。彼らも心得ていてさりげなく、そして少しずつリッツから離れた。
おかげで現在リッツは、外から見れば王城内で孤立しているといっていい。
「いかがでしたか、休暇は?」
「覗いてたんじゃないの?」
ワインに口を付けながら尋ねると、イライアスは小さく笑う。
「島に近づくことなど出来ませんから」
「そうだよね。陸から見るのは不可能だし」
事実あの時島に近づく者がいればすぐに察知できた。それを分かった上で聞いたのである。
「じゃあ、見なかったんだね」
思わせぶりに微笑む。
「何をでございますか?」
「何だと思う? ねぇ、環境が変わるってのはいいね……刺激があるでしょ?」
上目遣いにふんわりと笑みを浮かべて見つめると、イライアス視線を彷徨わせてうつむいた。
「すごくよかったっていったら、分かる?」
だがこう言って揺さぶりを掛けることで分かる事もある。彼らは本当に何も気がついていない。あの無人島で何が行われたかを。
「い、いや、そうですか、お盛んなようで、よろしいかと」
大丈夫、彼らは何も気がついていない。
イライアスが何を想像したのかは、簡単に分かる。だがイライアスの妄想を自分で想像するのは非常に困難だ。
彼らの目に映る自分とエドワードはいったいどんなすごいことになっているのだろう。自分で始めたけれど、最近それを思うと複雑になる。
王城で孤立しているリッツの傍に、変わらずに今もいてくれるのはエドワードだけだ。そうなっていることを、城内のあちこちに散らばっている貴族たちはあちこちで見て知っている。
王城では我が儘に絡むリッツを、頼んだ通り気遣わしげに見守ってくれているし、王宮で二人きりになれば今まで通りに友として接してくれる。
普通にしてくれるエドワードに対して、最近ではリッツの方がぎくしゃくとしてしまうのは自覚していた。
毎日毎日本心ではない自分を演じ続けていると、自分を見失いそうになってしまうのだ。心にも思っていなくても言葉として口に出せば、徐々に口に出した自分に近づいてしまうという言葉は、誰が言ったのだろう。
最近それは事実なのだと思うようになった。
貴族に示す自分、人に見られることを前提としたエドワードへの甘え、自分が徐々に自分を無くしていく。
王城では貴族たちに見せつけるようにエドワードに絡んでしまうから、二人きりの時はエドワードに対して他人行儀になってしまう。
エドワード本人に少々寂しげにそれを指摘されて初めて気がついた。普段は必要以上に馴れ馴れしく演じているせいで、確かに感じていた友としての距離が分からなくなりつつあったのだ。
今までエドワードとどれくらいの距離を取っていたのかとか、友としての正解の距離はどのくらいなのか。
過去の自分を振り返ってみても思い出せずに混乱するばかりだ。
そのせいでつい離れてしまう。触れられただけで飛び退いてしまうこともある。抱きつくのはおろか、どこまで触れて良かったのかも分からなくなってしまった。
ここまで触れるのは、愛人の演技だったから?
それならこれは友として正しいの?
間違っている?
自分へ毎日のように問いかけてしまう。
二人の間に気まずい空気が流れる度に、いっそのこと愛人だったら難しく考える必要も無かったのにとやけくそ気味に思うことすらある。
だから最近、リッツは王宮に帰らずにしばしばこの屋敷に泊まることがある。グレタと安宿で会うことも減り、この屋敷で逢瀬を重ねることも多くなった。
エドワードと話したい。そのくせ話すと何か気が重い。この混乱をどうしたらいいのか、自分でもよく分からない。
そんなリッツの混乱と積み重なった暗い心の澱のようなものに気づいてくれたのは、エドワードだけではなかった。
仲間たちもリッツの徐々に暗くなる表情からそれを察してくれていた。
彼らに不満を持っているように口に出すうちに、リッツの中で仲間たちとの関係を上手く消化できなくなりつつあったのだ。
あんなことを言ってしまったけれど、本当に怒らせたのではとか、本気で嫌なやつだと思われているのではないかと考え込んで不安になってしまうことが多くなったのを察してくれていた。
確認する術がない。ごめんなさいと謝れる場がない。顔を見て話すことも出来ない。
誰も見ていないところでこっそりと会って、一瞬で謝罪するとか気持ちを告げるのは、言葉の足りないリッツには難題だ。
エドワードと二人きりで無人島に行った、というのは表向きのことだ。本当はグラントの命令で無人島でコネル、エドワード、リッツ、カークランドの会合が行われたのだ。
知られないようにとコネルとカークランドは船乗りに変装までしてくれていた。
準備してくれたのは多忙を極めるグラントだったと知っただけで泣きそうになる。リッツが王城で一番酷い態度を取っているのは、他ならぬグラントだからだ。
大臣と対極にある宰相に不満を覚えるのが一番簡単だとギルバートに説得されてのことだった。
リッツは実際の所、堅苦しいと思いつつもグラントを尊敬していたし、シャスタを優秀な文官に仕込んでくれているグラントに感謝をしているのだ。
そんな彼を目の前でこき下ろしていることに、自分でも嫌気は差していた。そんなリッツを慮ってくれるグラントがありがたかった。
それに一番どうしたらいいか分からない関係になっていたコネルとちゃんと話ができたことも大きかった。
コネルは元々リッツに厳しい。そのコネルは王城では軍事部門を取り仕切る大臣に次ぐ総司令官の立場だ。
そのコネルに上官として文句を言い、顔をしかめさせると、どこまで本当に嫌われているのか分からずに本気で怖くなっていたところだったのだ。
そして最後の一人であるカークランドは、自治領主会議専門部署の頭である。現在の自治領主会議の進捗状況、会議の内容、人員配置まで詳しいことを全てカークランドからきちんと聞くことができたことで、リッツは少しだけ落ち着いた。
自治領主会議で事が頂点に持っていけるように、リッツが会議に出ることも控えるようになっていたから、一人だけ本当に何も知らない状況だったのだ。
報告と会議が終わってから即王宮へとんぼ返りとなってしまったからエドワードと向かい合う時間は取れなかったが、それでも貴重な時間だった。
大丈夫だ、自治領主会議が終わればすべてが元通りになる。
そう自分に言い聞かせて、一人気合いを入れ直すしかない。
それから更にリッツは仲間たちとの距離を取った。自治領主会議まで間も無い。今はリッツが不平不満の固まりであるという演技が必要不可欠だ。
八月に入り、共に過ごせるのは、この計画の頂点にいるギルバート、諜報部のハウエル、査察部で愛人のグレタだけとなっていた。
この屋敷に泊まるか、酔って遅く帰るため、エドワードと二人の時間を持つことすら出来ないでいる。
たまに王宮に戻るリッツに出来ることは、明かりの消えたエドワードの部屋を覗き込み、ベッドで眠るエドワードの姿を確認するぐらいだ。
それ以外は常に貴族たちの中心にいる必要があった。そんなリッツにとってこの屋敷は必要不可欠なのだ。
「閣下?」
不意にイライアスに尋ねられて我に返った。物思いにふけってしまって、聞いていなかった。
「ん? なに?」
「いえ黙り込んでしまわれたので、どうなさったのかと」
「何でもない。それで計画はすすんでるの? 俺、ぜんぜん知らないよ?」
酒で酔ったふりをしながら貴族たちを眺める。いつの間にかリッツの周りには貴族たちが集まってきていた。
視線を一身に受けつつ振り向くと、自分の横にはハウエルが立っているから、ハウエルを見上げた。
「ねぇ、ピーター、俺何も知らないけどいいの?」
甘えるように舌足らずに尋ねると、ハウエルが微笑んだ。ハウエルはリッツの表情に動揺しなくなった。
同じくリッツも最近ハウエルのこの作り物の完璧な微笑みにすっかり慣れた。不本意ながらギルバート曰く、いいコンビらしい。
グレタは色々忙しいらしく、貴族相手の仕事はしていない。こちらはハウエルに任せきりになっている。
「よろしいのですよ、閣下。こちらは私にお任せください」
「そう? 俺を楽しませてくれる計画、進んでるの?」
貴族たちを一通りゆっくりと眺めてから、ハウエルを見上げた。
「ええ。それはもう」
「すっごくびっくりさせてくれる?」
「当然です」
「殿下も俺も?」
「はい、閣下」
笑顔の中で瞳が一瞬スッと細められた。この表情は分かる。いいから寝ていろというのだろう。リッツがいないところでエドワードの暗殺計画が練られているのをリッツは知っている。
リッツの前では彼らはあくまでもエドワードを暗殺するなどおくびにも出さない。
「じゃあ任せよっかな」
ソファーの肘掛けにだらしなく頭を置いてハウエルに微笑みかけて大きく欠伸をする。
「飲み過ぎちゃったのかな。眠くてさ」
当然演技である。だが貴族に頼まれてハウエルはいつもリッツに睡眠薬を盛っている振りをしているのだ。
貴族にとってはこれが当然の流れなのである。
「お任せを」
「王宮帰るときは起こしてよ。殿下が待ってるから」
あくまでもエドワードの愛人の立場からそう告げる。細かな演技が大切だとハウエルが言うからだ。
「承りました」
「よろしくね」
言いながら再び大きく欠伸をする振りをして、そのまま動きを止めた。いつも通り、眠っているふりをしてその間にハウエルに仕事をさせるのだ。当然寝たふりをしているから、全て耳に出来るのだが。
貴族たちはしばらく沈黙していたが、リッツが寝たのを確認したハウエルが娼婦達に出て行くように告げるとざわめきを取り戻した。
彼女らは屋敷の他の部屋で待機している予定だ。当然それは給金を貰うためであるが、リッツの相手をしてくれるためでもある。彼女たちは人の心の動きに敏感で、リッツの疲れを察してくれているのだ。
それはさておき、ハウエルが口火を切ったことで本当の暗殺者達の会合が動き出す。
「さあ、始めましょうか」
「毎度毎度、本当に馬鹿な男だな。睡眠薬を盛られているとも知らずに」
今まで黙ってこちらを眺めていたウェブスターの声だ。
「ふふ。世間知らずなのですよ、精霊族ですから」
ハウエルの含み笑いが聞こえた。心の中で馬鹿にしてるだろと突っ込む。
「確かに美しいですね、精霊族は。殿下が溺愛する気持ちも分からなくもない」
気味の悪いことをいうウェブスターにハウエルが同意している。
「おやおや、ウェブスター卿も私と同意見のようですね」
「当然だ。この私はランディアの貴族だ。美しいものを美しいと認めることこそ、芸術の都の貴族たるもののたしなみだろう?」
だがその二人に不機嫌な声が割って入った。
「下らぬ。精霊族とて男だろ? よくもまあ男に犯されて嬉しそうにしているな。しかも王の血を引くといえども農民の子に」
「といいつつ、閣下に流し目をされて頬を少女のように染められていたのは君ではなかったかな、イライアス卿」
からかい口調に冷たい本音を載せたウエブスターに、イライアスが舌打ちしている。この二人は元々不仲だ。
不毛な会話に終止符を打ったのはハウエルだった。
「仲間内で争いはやめましょう。利がありません」
この場で一番権力を持つのはハウエルだ。リッツの傍にいるというだけで大きな権利を持つ。案の定二人の貴族は黙った。
「進捗はいかがですかな、イライアス卿」
「問題はない。ごろつきどもを集めるのに少々難儀したが、苦労したおかげで少数精鋭を揃えられた」
「ほう……」
「たった十人程度だが、我々も含めれば二十人。現在近衛部隊長のタウンゼントは行方しれずになっておるし、親衛隊である元グレイン騎士団も数を減らしている。卿らの言うとおりに暗殺者を送ってもおらん。安心しきって警備は手薄だろう」
イライアスがコツコツと神経質に机を叩く指の音が聞こえる。対していつもどこか冷めたような顔のウェブスターが息をつく。
「その上、自治領区会議で更に警備が手薄になるなら、我々の勝利は間違いないでしょうね」
まるで牽制するようなウェブスターの言葉に、イライアスの机を叩く指の音が止まる。気がついているだろうにハウエルはそれを無視した。
「ええ。それに殿下は、閣下がいることで安心しきっているから、王宮の警備を厳しくする気もないですし」
「そうであろう? これでまた彼の御方にお戻りいただければ……」
機嫌良く応じたウェブスターに、イライアスが冷たい声を投げかける。
「その御方とはどの御方か? 我々が望む御方ではないようだが?」
「私はお名前を出してはおらん。誰のことを考えているやら」
「何だと?」
エドワード暗殺が必ず成功すると思い込んでいる二人の中で、ルーイビルのファルコナー公爵とランディアのバーンスタイン公爵どちらを次期王族として招くのかが争点になっている。
この二人には自治領主会議への案内を送ったが共に音沙汰がないとこの間カークランドに聞いた。
寝たふりをしながら、なんて想像力貧困な男たちだろうと可笑しくなった。どちらか選ぶ必要などなくなると、全く気がついていないとは。
不穏な二人の間に、ハウエルが割って入る。
「まだ成ってはいないことで争いますな。まず大事を成し遂げねば話には成りませんよ」
ハウエルの正論に、二人は黙った。
「千載一遇の機会を逃すなどと言う愚かなことはなさらないでしょう? イライアス男爵、ウェブスター男爵?」
挑発するかのように言葉をかけるハウエルに、リッツは心底感心する。この男は本当に諜報するために生まれたような男だ。言葉に何の揺れもぶれもなくするりと当然のように人を誘導する。
「もちろんだ」
「大望を得る機会を逃したりはせん」
口々にそういった男たちにおそらくハウエルは笑いかけているのだろう。心底彼らを信頼しているという顔で。
とてもじゃないがあそこまではできない。リッツにできるのはあくまでも模倣の上で自分を乗せていくことぐらいだ。
「ではこちらをご覧ください」
ハウエルが図面を広げる音がする。
これは王宮の内部地図だ。王城から王宮に行くまでの警備兵の位置、廊下の位置、扉の位置が事細かに書き込まれている。リッツが書き込んだものだ。
「これは素晴らしい」
ウェブスターの感嘆の声が聞こえた。
ここまで精密な内部図を手に入れるのは、やはりリッツではないと難しいだろう。それだけで彼らはリッツの利用価値を認めている。
当然ながらそれは本物で、見せることによってこちらの本気度を示すことができるものだ。
だが本物だからと言ってすべて書き込まれているわけではない。抜け道、隠し扉、隠し通路は当然省かれている。
「よろしいですかな?」
ハウエルがそういうと小さく咳払いした。リッツにも良く聞いておけという合図だ。
「自治領主会議の最終日は、ここ、天光の間ですべての領主とその家族を招いた舞踏会が開かれます。当然ながらそこでは酒が振る舞われるわけですが、殿下のグラスに弱い睡眠薬を入れさせていただきます。これは閣下がやってくださいます」
エドワードの酒に睡眠薬を仕込む。これがまず第一だ。弱い睡眠薬ならば、怪しまれることなく疲れからきた眠気と本人に誤認させることができるだろうという。
そのための睡眠薬は、この作戦を考え出した時に当然のようにヴェラに貰った。実はこれは演技ではなく本当にエドワードを寝かせてしまうことになっている。
当然エドワードは何も知らない。というよりこの作戦に於いて彼らがいつエドワードに仕掛けるのかも知らないのだ。
それを介抱するふりをして、リッツがエドワードを王宮に連れて帰り、リッツの部屋に隠す。そこにはギルバートが護衛につくことになっている。
もしもエドワードがこの計画を知れば参加しようとするのは間違いないから念のためだ。自治領主会議で疲れ切っているエドワードにこれ以上の無茶はさせたくない。
しばらく経ってから彼らが進入してくるが、そこで眠っているのはエドワードのふりをしたハウエルといった算段だ。
だが貴族たちはもう一段リッツには知られぬよう算段をしている。それはリッツのグラスにも薬を仕込む相談だ。
当然リッツは寝たふりをしているだけだから知っている。貴族たちがリッツに盛ろうと考えている薬はかなり強い媚薬だ。媚薬で混乱して性欲に突っ走ってしまっていれば、確かに冷静な判断なんて出来ない。
確かにリッツは剣士だが、理性が無ければ剣なんて握れない。
そもそも睡眠薬でよくないかとも思うが、二人同時に睡眠薬を盛ってしまえば、エドワードを部屋に運ぶ役割をしつつ王宮の鍵を開けておくという役目をリッツがこなせなくなるからこれは当然といえる。
それを聞いた日、リッツはギルバートにぼやいた。
「睡眠薬で眠っているエドを犯してる俺を、背中から一緒に串刺しって事?」
「その逆もまたしかりだな。弱い睡眠薬ならばエドワードが目覚めるだろう? そんな状態のお前がいたら放っておかないって算段だろう」
「でエドに夢中な俺が剣を握れるわけないって? ふざけんなっての」
「それほどお前の演技が上手く相手に働いているんだろうさ。万が一を想定して、当日は絶対にヴェラの解毒薬を飲んでおけよ」
「……うん。エド相手に絶対に間違い起こしたくないしね」
こっちは真剣なのに、ギルバートには爆笑された。はっきり言って納得いかない計画だ。
リッツが思い出している間も貴族とハウエルの間で細々とした配置や相談が行われたが、リッツには関係のない部分が大半だった。
ちなみにこの貴族たちが必死で探したという暗殺者達は、ほとんどが以前リッツが飲み屋で確保した、現遊撃隊員である。当然それも仕込んで彼らに雇わせたのである。
話し合いが大体終わったところで、リッツはのろのろと起き上がった。
「ごめん、寝ちゃった」
目を擦りながら貴族たちを一巡見渡す。
「話し合いは終わったのかい、ピーター?」
「ええ。滞りなく」
いつもの笑顔でそういったハウエルに、リッツは頷く。
「じゃあこれで会合は終わり? 後は当日だね」
再びゆっくりと貴族たちを眺め回す。
「失敗しないだろう? みんな俺を楽しませてくれるんだよな?」
目を細めて、だがエドワードの事を話すときとは違い、口元を軽くつり上げる。退屈から色々なものを壊そうとするかのように、酷薄な笑みを浮かべてみせる。
「つまらない俺の世界、変えてくれるんだろ? 期待していいんだろうな。ダレン、レイノルド」
初めて二人が恐怖を浮かべて動きを止めた。王城で孤立しているリッツが、実は本気で暗殺計画を楽しんでいる、そう見えただろうか。
リッツも殺しておかねばまずいと、本当にその計画でリッツとエドワードの二人を殺さねばと危機感を煽れただろうか。
「面白くなかったら、あんたらに責任とってもらうぜ? 殿下の寝所まで案内してやるんだ、詰まんなかったらあんたらを殺すよ? 俺、退屈してるっていったよね?」
今までくつろいでいた男たちが立ち上がり、リッツの前に頭を垂れた。
「必ず成功させます、閣下」
「楽しみにしてるよ」
リッツはそう言い捨てると立ち上がった。
「それじゃ、お休み」
さっさと彼らを置いて部屋を出る。自室に引きこもる振りをして、身を翻して談話室の隣の小部屋に身を潜めた。この小部屋と隣室の暖炉が繋がっていて、隣室がよく見えるのだ。
貴族たちが黙ったまま帰り支度を整えて帰って行くのを見守りながら、リッツは隣に立つ男に笑いかける。
「どうよ、今日の俺?」
「悪くないな」
笑いながら答えたのはこの作戦の影の責任者たるギルバートだ。
彼らが出て行った後、リッツは隠し扉を開けて談話室に戻り、お気に入りのソファーに座り直した。
「あ~疲れた~。姐さんたちは?」
「上で待ってるさ。後で可愛がって貰え」
「やった! で、どうよ? 俺よかっただろ?」
自身満々に手近な椅子に腰を下ろしたギルバートに自慢すると、ギルバートが笑う。
「そうだな。もう昔みたいに分かりやすい子供じゃなくなったな」
褒め言葉であるはずなのに、妙に苦しかった。リッツは一瞬苦笑してから椅子の背にもたれて不敵に笑う。
「俺が役者にならなかったのは、芸術界最大の損失だな」
「ずいぶんというようになったな」
「こういう時だからいわせてくれよな」
本心を出さなくてすむようになった自分が成長したのかそれとも何か大切なことを捨てていっているのか分からない。
だけど何かが失われたような気がして、リッツは小さく息を吐いた。




