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燎原の覇者  作者: さかもと希夢
不軌の権謀
143/179

<3>

 戦乱の明けた夜の街は、一種独特な活気に溢れている。

 平穏な時代であったなら、このような多少乱暴ともいえる賑わいは人々から眉をひそめられるものかもしれないが、未だ戦乱の種火をどこかに宿している状態の国家では、むしろ活気ある好ましいものに思われた。

 もちろんそれは戦場のただ中に身をおくリッツの勝手な想像だろう。

 ここ一年ほどで戦場に慣れすぎたリッツにとって静かすぎる平和よりも、くすぶり続ける戦いの名残の方が妙に体に馴染むのである。

 たった数年前の自分は、こんな状況に身を置くことを想像し得ただろうか?

 いや、できなかっただろう。森にいた頃、殺人は確実に悪でしかなかった。

「思えば故郷は遠きに去りだな」

 ため息混じりに呟いたのだが、聞こえているだろうチノは黙ったまま少々うつむきがちに周囲を伺っていた。リッツの戯れ言など興味はないのだろう。

 小さく息を付くと口を開く代わりに指で軽く髪をもてあそぶ。静かすぎる夜は、考えても詮無きことを考え過ぎてしまう。

 ひっそりと自らの存在に沈み込むと妙に明るく見える場所があり、近づくと明かりの中に死を見いだして愕然とすることもあった。

 戦場を離れ、未熟な暗殺者たちとしか命のやりとりをしていないというのに、死は妙に身近にある。振り向けば背後に口を開く死の闇の国を遠ざけるには、この混乱した状況の街がふさわしい気がする。

「相変わらず賑やかだな、この街は。俺らがくる前と変わんねえの?」

 つぶやきに質問を乗せると隣を歩いていたチノが低く笑う。返事せざるを得ない状況に苦笑したのだろう。

「治安はいまいちですがね」

「まあな」

 兵士だったもの、傭兵だったもの、傭兵になり損ねたものなど、今のシアーズはそんな荒くれ者が集っている。それなのにする事がないという状況では、どうしても秩序が乱れてしまいがちだ。

 たが元々シアーズに住んでいる者にとって、秩序を欠いたこの状況が再びの戦乱を予感させられて不安かもしれない。

 そうなると今度は今までスチュワートたち偽王軍に向いていた嫌悪の矛先がエドワードに向きかねない。改革によって王位を手にしたエドワードであるから、国民の信頼を裏切ることは、決して許されないのだ。

 そのために傭兵隊としてリッツにある程度の人員を募るようギルバートが命じたのである。

 ギルバートから与えられた試練というだけではなく、これは勝利した現王国軍の為になすべき事でもあるのだ。

 自らの責任の重さを噛みしめつつ、覚悟して口を開く。

「チノ、例の件、調べてくれた?」

「もちろん」

「じゃあ、聞かせてよ」

「はいよ」

 王城には滅多にあがってこないチノと情報交換ができるのは、いつもこうして雑踏を歩いている時や、飲み屋にいる時だけだ。この街に溶け込んでいるチノは、目立つことをしたくないのだという。

 ダグラス隊の面々にいわせれば、リッツと一緒にいる時点ですでに駄目だろうと言うことだが、それでもいつも王城に通う奴と思われるよりも断然情報屋をやりやすいのだそうだ。

「まずお前さんが知りたがっていた、奴ら共通の利益はもちろん金だろう。後は仕事だ。何しろ暴れたくて集まったやつもいるし、難民上がりで生活費を持ってない連中もいる」

「全員が暴れ回りたい訳じゃないんだよな?」

「当然だ。喰い詰めた奴らは仕事の方がほしいだろうよ。だが見つからないから兵士になるしか希望がねえ」

 なるほど、リッツのように戦いに身をおかねば考えすぎて不安、などという連中ばかりではないらしい。生きていくのには結局金が必要だ。

「じゃあさ、職業案内所を王国軍主導で作って設置するって現実味あるわけ?」

 先日エドワードと話した難民、浮民対策の一貫を口にするとチノは無精髭をこすりながら頷く。

「かなりあるな」

「じゃあさ、それでどのくらい荒くれ者が減ると思う?」

「ざっと三分の二ってところだ」

 それはすごい。軽く口笛を吹くと、リッツはチノに笑いかけた。

「んじゃ、それを確定情報として広める方向で」

「どれぐらいで設立されるんです?」

「もう政務部が準備を始めてるんだ。ひと月以内には正式稼働するよ」

 脳裏にサインを入れた書類をひらひらとリッツに見せるエドワードがよぎった。

『フレイから注文のあった職業紹介所に手が着けられそうだ。これで少しは治安が安定するといいがな』

 フレイザーカークランドは、政務部に所属しつつも、国家運営以上に自治領区運営を主な仕事としている。目下彼の担当しているのは直轄区の治安維持なのである。

 そんな彼の提案した一番の治安維持策が『全員を職に就けて忙しくしてしまえばいい』という至極まっとうな策なのだ。

 現在の王都シアーズは、長年の貴族の横暴や内戦の影響で建築物が破損し、路地の整備に遅れがでている。これを直すための職人は先に平穏を手にした自治領区に奪われ、圧倒的に不足しているのだ。

 その上、直轄区は周辺貴族たちによる強制徴兵で農業の担い手も失っている。人手不足を埋め合わせるためには、国家による職業斡旋が必要なのである。

「さすが国王陛下はお手が早い」

「まだ王太子だよ。それにエドだけの力じゃねえし」

 確かにエドワードの中には確固たる理想の国家運営図がある。だがエドワードがいくらそれを掲げても、彼の手の届く範囲は限られている。だからグラントやカークランドが必要なのだ。

「じゃあ俺は残り三分の一を王国軍と傭兵部隊に組み込めばいいわけだな?」  

「そうだ」

「具体的にどれぐらいいんの?」

 最近エドワードの護衛からこちらに配置されたばかりのリッツには、その数がいまいち把握し切れていない。

「なに、お前さんが担当するのは、たった六、七百人ぐらいなもんさ」

「そっか……」

 思っていたよりも多い。ということは今現在シアーズで浮民になりかけているのは二千人ほどいるということか。結構な数だ。

「で、今日行くのはその中心地ってわけ?」

「ああそうだ。荒くれどもだって時間が経てば中心となる奴らも出てくる。そんな奴らが根城にしている酒場だ」

 リッツは小さく息を付く。

 街の荒くれ者たちがどれだけのものかの想像も付かない。リッツの中で荒くれ者の集団と言えばダグラス隊しかいないからだ。

「結構手強いの?」

「誰と比べて?」

「そりゃあ……」

 言わずもがなとチノは笑う。

「ダグラス隊幹部に勝てる奴なんぞいるわけないだろう?」

「だよね」

 つまり手強くはあっても、ダグラス隊の幹部以下だということだ。

「じゃあ俺は?」

 軽く聞くと思い切り呆れられた。

「……お前さんはダグラス隊の隊長クラスだろうよ」

「ギルにはまだ全然敵わねえけど」

 それならば、ギルバートのような力業が可能だろうか。それ以前にあのギルバートのはったりを、リッツが巧くやれるのだろうか。

「チノ、はったりのコツってある?」

 至極真面目に聞いたのに、チノにため息をつかれた。そんなに呆れられる覚えはないのだが。

「お前さん、堂々と精霊族の英雄を演じたじゃないか。あれ以上のはったりがあってたまるかい」

「あれってはったり?」

「じゃなかったらなんなんだ?」

「そっか……」

 つまりはったりとは演じることと同じということだろか。

 大門で精霊族の英雄を演じたあのとき、リッツは自分の父親と、自分を忌み嫌う精霊族の人々、そして冷徹にリッツの生死を告げる精霊族の長を織り交ぜて演じた。

 自分では自分の姿は見えないが、皆がその精霊族の英雄という虚像を見事だと褒めてくれた。

 それがはったりだというのならば、リッツは演じればいいのだ。

 はったりの達人であるギルバート・ダグラスを取り込んだ自分を。

 いつの間にか賑わう酒場の前に立っていた。頭を総動員している間に、体はチノと共に酒場へと歩いていたらしい。

「おい、大丈夫かい?」

 不意に聞こえてきた声に答えず、リッツは質問を返す。

「チノ」

「何だ?」

「ギルとは付き合い長いの?」

 突然振られた言葉にチノは戸惑いつつも答えてくれた。

「長いな。ソフィア達姉妹、ベネットの次が俺だった」

 確かベネットは傭兵になる直前のギルバートと共にシアーズをでたはずだ。となるとチノは古参なのだ。

「……そっか」

 それならばチノの前でギルバートを演じてみよう。破綻せねばリッツはもう一つの特技を身につけられそうだ。

 それは演じること。

 他人の仮面をかぶることだ。

 ギルバートとは出会ってから今まで、かなりの日数共にいた。下手をすると死んだジェラルドよりも長い時間を共に過ごしているかもしれない。

 元々リッツは人の表情や感情を伺い推測することに長けている。生きるために身につけたその技能は、こんな時に役に立つのかもしれない。

 見て覚えたギルバートの表情を、眼の動きを、口調を、感情の動きを、その一挙手一頭足なぞれ。

 正確に、ギルバートという人格をなぞれ。

 眼を閉じ大きく息を吸うとリッツは背筋を伸ばした。あの大きな背のように、あの頼りになる大きな背中に見えるように。

 そしてリッツにはない、自分への自信をたっぷり滲ませられるように。

 いつもはかすかに伏せ気味の顔を上げろ。

 顎を引くのは軽く、長身を生かしてかすかに見下ろすような目つきで周りを見ろ。

 ゆったりと意味ありげに引き上げられた笑みを浮かべる口元を作れ。

「じゃあ、見ててよ。俺はこれからギルになるから」

 小さくそう宣言して扉に手をかけ、チノを振り返る。一瞬チノが息を飲んだのが分かった。

「行くぜチノ。奴らを俺の配下にしてやる」

「リッツ、お前……」

 戸惑うチノをおいて、リッツは扉を押し開けた。

 ギルバート・ダグラスでありつつも、リッツ・アルスターであれ。

 室内に入った途端、外の冷たい空気に慣れた体は雑多な香りを含んだ生ぬるい空気に包み込まれた。一気に流れ込む様々な声と物音と、視界に軽く掛かった靄に一瞬顔をしかめる。

 一番に鼻につくのは、靄の正体であるたばこの煙だ。次に感じ取れたのは料理に使われる安物の油の香りと、ひしめき合う男たちの臭い、そして酒の臭いが押し寄せる。

 街中にいると言うのに、なぜかその香りと生ぬるさは戦場を思わせる。

 臭いに続き感じたのは視線だった。その視線はじっと新参者であるリッツに注がれている。耳をラヴィの耳かごで隠し、帽子をかぶったリッツはこの荒くれ者が集う酒場には一見不釣り合いに見えるだろう。

 ダグラス隊曰く、普段のリッツはどう見ても戦闘職種には見えず、遊びに来たちょっと裕福な家の子といった雰囲気を持っているそうだ。

 だが今はこの容姿をも利用する。この容姿にギルバートの中身は絶対に効果があるだろう。

 さあ考えろ。

 この状況でギルバートは今までどうしてきた?

 脳裏に今まで行動を共にしてきたギルバードが浮かび上がる。その姿が自然に自分に重なっていく。

 人々の視線に眼をくれることもせず、リッツは迷わず空いているカウンター席に腰を下ろした。チノも無言のままリッツに倣い隣に座る。

 ギルバードになりつつ、リッツであるとすれば、リッツのどこを残してギルバートのどこを取り入れるのか、頭の中で瞬時にそれを組み立ててゆく。

 それは初めてなのに妙に手慣れた感覚だ。

 誰かの前で誰かを演じる。

 よくよく考えれば、生まれてから今まで幾度と無くしてきた行動だ。

 精霊族に暴行を受けた時も、母親の前でなんでもないふりを演じて笑う。

 子供っぽく絡んでくる父親には、喧嘩をふっかける怒りっぽい子供を演じる。

 そしてエドワードには、暗闇の底にいる自分などないように振る舞う。

 本当の自分がどんな存在だかはよく分かっている。陰気で考え込みやすく、自己肯定感のとことん低い臆病者だ。

 でもグレインに来てから変わった。エドワードと共にいることで、新しい自分ができあがった。この新しくできた自分が、人の世界で生きているリッツ自身だと言っていい。

 だから自然とリッツとして残す部分と、ギルバートを取り込む部分の振り分けができた。新しくできた子供っぽくて何も考えていなそうな自分と、一番恐ろしいギルバードの部分を組み合わせるのだ。

 それが一番効果的だと思われる。

 人に気がつかれぬ程度に視線を巡らせて様子を確認してから口を開く。

「マスター、麦酒ひとつ。混ぜものなしの奴でね」

 まず革命軍のみんなが知る人懐こい表情。これで警戒心を解かせる。

「チノは?」

 笑顔で見ると、困惑した顔で見返された。ギルを演じると言っておいてなんだ? と思われているのがありありと分かる。

 そんなに心配しなくてもちゃんとやり遂げるさと心の中で嘯くと、目の前の樽から注がれた麦酒が目の前に少々乱雑におかれた。

「どうも」

 機嫌良さげに見えるように、笑顔を作りつつ、リッツはグラスを掲げた。

 ランプの明かりに照らされた麦酒は少し濃いブラウンで、口を付けると炭酸の中で黒麦酒に近い香りがした。

 おそらく黒麦酒を何かで少し薄めているのだろう。でも味は悪くない。

「マスター、この辺の店ってみんなこんなにむさ苦しい感じ?」

 無邪気を装いあっけらかんと店内に聞こえる音量で店主に訪ねると、店主は顔をひきつらせた。

「あんた……」

「こんな時間から飲んだくれてる奴らばっかりなの? この辺。何かあれだ、つまんなさそうな人生だねぇ」

 ざわっと、背後の気配が変わった。今までは物珍しげに見ていた男たちの視線に、敵意が混じる。

 よし、食いついた。

 さらに釣り上げよう。

「ま、どうせ戦乱に出遅れたとか、戦乱落ち着いたのに仕事見つかんないとかでくすぶってる奴らでしょ?」

 さらに敵意と害意が燃え上がった。ざわつきが苛立たしげな小声に変わり、妙に酒場は静まりかえった。よし、そろそろとどめを刺すか。

「暇でいいなぁ。俺忙しくって死にそうなのに」

 椅子が倒れる音が響き、近づいてきた気配に感覚を研ぎ澄ませる。武器は持っていなそうだ。ならば完全に食いつくまで振り返らずに待とう。

 予想通り近づいてきた男は、力を込めてリッツの肩を掴んできた。

「おい」

 それでも無視して飲み続けていうと、男は乱暴にリッツの肩を掴んで自分の方へ向かせた。

「おいっ! 話しかけてんだ、こっちを向きやがれ!」

 見上げるとそこに肩を怒らせて立っているのは三十代半ばと思われる男だった。腰には剣があるが、それほど使い込まれた印象は受けない。

「何?」

 面倒くさげに見えるように、リッツは座ったまま上目遣いでじっとりと眺めあげる。それがさらに男の苛立ちに火をつけた。

「馬鹿にしやがって……貴様、表にでろ!」

 うん、計算通りだ。

 リッツの胸ぐらを掴み、怒鳴りつけた男に舌を出す。

「嫌だね、面倒くさい」

「なっ……」

 絶句する男に、ここぞとばかりにギルバートの冷ややかな笑みを浮かべてみせる。

「戦う意味なんてねえだろ。だって俺が勝つし」

「なんだと?」

「賭けてもいいぜ? 何ならここにいる奴ら全員で掛かってきても、俺が勝つけどな」  

 せせら笑うように周りを見渡すと、ほぼ全員が立ち上がった。座っているのは様子見を決め込んだ奴らだけだ。

 今は店内に賑わいはない。あるのはリッツに対する苛立ちと腹立たしさだけだ。

 よしよし、手間は省くに限る。一回でみんな片づけられればこんなに楽なことはない。

「おい、坊主!」

 店主が小声で呼びかけてくる。

「謝っちまえ。この数じゃ多勢に無勢だぞ?」

「別に、余裕さ。マスター、もしお店壊れたら俺の友達が補填するからいいかい?」  

 笑顔で尋ねると、店主は表情をひきつらせた。

「本気か?」

「うん。まあ、余裕だよ。殺さないように祈ってて」

「殺されないの間違いじゃないのか?」

 眉をひそめる店主に笑いかけながらリッツはゆっくりと立ち上がった。

「この俺が? まっさかぁ~」

 肩を掴んでいた男が微かにひるむのを感じる。

 それはそうだろう。身長だけでも自分がこの男たちの中で一番高い。

「俺に掛かってくるなら、食前の運動ぐらいになってくれよな」

 男を見下ろしながら笑みを作ると、軽く剣に手をかけた。

 酒場の空気が緊張感で痛いほど冴えた。

「チノは?」

「俺には関係ねえな」

 予想通りの言葉にそれでも笑いながら答える。

「冷てぇなぁ……」

 視線を戻して店内の男たちに笑いかける。

「ま、いいか。俺一人で十分だし」

 次の瞬間、目の前の男が切りかかってきた。それが合図だったかのように、男たちは一斉に牙をむく。

「そうこなくっちゃ!」

 剣抜きざま最初の男の剣を吹き飛ばす。

「なっ……!」

 焦る男を蹴り飛ばして、次の男たちに力任せに近くにあったテーブルを滑らせる。

「うわぁぁぁっ!」

 無様な叫び声をあげて、テーブルにぶつかられた男たちが、勢い余って床に転がった。

 その隙にテーブルから逃れて一瞬気がそれた男たちに剣を向けた。

「よそ見してたら危ないよ?」

 いいながら剣で男たちの力の無い剣を吹き飛ばし、一瞬でかがみ込んで足払いを掛けた。

 派手に仰向けに転んだ数人の上に、勢い余った男たちが乗り上げる。

 踏まれた男たちの悲痛な声が響く中で、リッツは鼻歌交じりに剣を振るう。

 気楽そうに見せつつ、殺さぬように集中力を高めてゆく。

 店内は軽い乱戦になってきた。

 元々少々酔っていた連中だ、ぶつかってくるなだの、おまえのせいで当たらないなどの小競り合いが起きたのだ。

 当然リッツに直接挑んできた中に立っているものはいない。

 そろそろ潮時だろう。

「あーあ、勿体ないよなぁ」

 剣を戻しつつ、リッツは芝居がかった仕草でため息をつく。

「あんたら、俺に喧嘩売るぐらいの気概があるのに、こんなとこで遊んでて楽しいわけ?」

 ギルバート足す自分。これが最善策。無邪気に見える自分、提案する時は有無を言わせぬ威圧感を与えるギルバート。

 力を見せつけた後なら一番楽で、かつ、一番効果があるはずだ。

 最初に剣を吹っ飛ばした男が呆然と座り込んでいる。男の剣は酒場の壁に突き立っていた。

 座り込んでいる者、潰されてうめいているもの、リッツに蹴られた腹を押さえているもの、浅い切り傷を布で押さえている者、すべてをぐるりと見渡す。

「こんな飲み屋の喧嘩程度じゃ、何の面白味も、戦いの高揚も、名誉も何も手に入んないよ?」

 ざわめいていた男たちが不審そうにリッツに目を向けてきた。先ほどの敵意を持った眼ではなく、なにを言い出したのかと興味を持った眼だ。

 先ほどまでのリッツの評価と、戦いを征したリッツの評価が変わっているのだ。

 すごい。言葉一つで人を動かすってこういうことなのか。

 今までギルバートは口がうまい人だと思っていた。腕も立つし口も上手いし、最強だなと。

 でもそこには計算がある。

 最小限で最大限の力を手に入れられる方法を編み出す計算が。

 ギルバートという人物をなぞってみて初めてそれが分かる。

「欲しくない? 名誉と評価と金。女は無理だけど、それだけあればついてこない?」

 こういう時、ギルバートはどうしている?

 口数は、目つきは、表情は、手の動きは?

 一瞬だけ記憶の中のギルバートに触れる。

 ああ、こうだ。

 リッツはゆったりと周りを見渡しながら、口元を軽く引き上げて自信ありげな余裕の笑みを作る。

 口は開かず、ただそれだけ。 

「あんたならそれが与えられるのか?」

 やがて一人の男が口を開いた。なるほど相手の口を先に開かせて、こちらの考えに誘導するのか。

「与えられるっていったら?」

 誘うように笑みを浮かべると、男は微かにうつむいてから、決意を浮かべて顔を上げた。

「もうくすぶってるのは飽きた。名誉も金も、何より生き甲斐が欲しい」

 男に同意するように、幾人もの男たちが同意を示し、剣を納めた。それが合図だったかのように、剣を帯びた男たちが次々に言葉を発する。

「んじゃ、俺と一緒に戦うってのは? 給料は払うし、戦乱はまだ終わってないんだから、名誉もあげらるかもしれないぜ?」

 冗談めかしてウインクする。

 戦乱は終わっていない。その言葉に男たちの眼が微かに光を宿した。

 出遅れた、間に合わなかった、名誉を得る機会を失った。

 戦乱の世以上に自らの腕でのし上がれる機会なんてあるわけがない。自分たちはそれに乗り遅れた。それが男たちの失意の理由だった。

 でもまだ戦乱は終わっていない。ルーイビルには未だに急王国軍の残党と、かの公爵が残っている。

「名誉のために命懸けられる?」

 微かに戸惑い、それでもなお何かを求めてか、男たちの目が互いを伺い合う。まるで試すように、相手の行動を見極めるように視線が飛び交い、表情が揺れ動くのを感じる。

 こんな時に口を開いてはいけない。

 ゆっくりとカウンターに戻り、今までの乱闘が何も無かったかのように席に座った。ただ笑みを浮かべながらグラスに残っていた黒麦酒を流し込みつつ、男たちを眺める。

「あんたなら、それを与えられるのか?」

 代表するかのように最初にリッツの肩を掴んだ男が問いかけてきた。

「ああ」

「本当にこれからでも金と名誉を得られるって言うのか?」

「そうだって。疑り深い奴だな。俺は嘘なんか言っちゃい無いぜ?」

「条件は何だ?」

 男の目を見つめる。男は確実にリッツに賭ける気でいる。その目に不審や疑いは綺麗に消えていた。

「俺の配下につけ、だったとしたらどうする?」

 楽しげに笑いながらの言葉に男は小さく息をつく。もう一押ししておこう。

「嫌ならこの話は無しだ」

「待てよ。俺は嫌だとは言っていない」

 男はそう言うと立ち上がった。リッツに蹴り飛ばされた腹がまだ痛いのか、微かにさすりながら口元を緩めた。

「他の奴らは知らねえ。だが俺はあんたの話に乗る。俺は名誉も金が欲しい。だが犬死にはしたくねぇ。あんたは強い。戦場に行くなら強い奴が信用できる」

 その男の言葉がきっかけになったように、男たちが一人、また一人と立ち上がり、リッツと共に行く事を願い出る。

 金と名誉。これを得るためには圧倒的な力が必要だ。少なくとも一度は戦場に身を置いたことがあるならば、それは自明の理である。

 今この酒場でリッツに掛かってきて無事だった者はいない。これだけの実力を見せつけ、金と名誉が手に入るのだと言われれば、行き場を失った感情がこちらに向くのは当然だろう。

 リッツは顔色一つ変えずにカウンターで麦酒を飲んでいたチノをみた。

「チノ、どう? 俺、合格?」

 酒場で配下を作り、一隊を作り上げろ。それが貴族たちをだますための試験だ。

 それがギルバートの言葉だった。

 そしてエドワードのアドバイスである、欲しいものを与えられればついてくるの言葉。

 その結論としてこの状況。

「……合格だ」

「よっしゃ!」

 チノとリッツのやりとりに怪訝な顔をした男たちに、リッツは振り返った。

「俺は現王国軍遊撃隊ダグラス中将の副官フェイ。あんたたちを喜んで迎えるよ。次の戦いまで遊撃隊で面倒見るから、研鑽を積んでくれよな」

 怖いほどの沈黙のあと、驚きと喜びの声があがった。ギルバートの率いる遊撃隊は軍の最強部隊と しての評価が高い。

 当然それに志願する者も多いが、実力如何によっては簡単にはねのけられてしまう部隊であり、少数精鋭であるがゆえ、入隊は厳しく制限されている。

 戦闘職種であればその部隊に所属できることは名誉以外の何ものでもない。

 男たちの最初とは打って変わった明るい賑わいに、リッツはグラスを掲げた。

「んじゃ、これから与えられる名誉に、乾杯」

 男たちの歓声と裏腹に、リッツはこれから演じなくてはならない更なる役割の重さに微かにため息をついた。

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